虎哉禅師と片倉小十郎景綱 一命を取り留めた梵天丸であったが、しかし疱瘡の毒は梵天丸の命の代わりに右目を失わせた。彼の右目は眼球が飛び出たようになり、醜い顔だちになってしまっていた。梵天丸は自分の顔を恥じ、人前に出ることを嫌い、内向的な性格になっていた。伊達家の家臣達からはそんな梵天丸を伊達家を託す人物に値しないという評価を下しはじめていた。とくにその要因となった裏には次男の「竺丸(じくまる)」の存在があった。義姫は輝宗との間にもう一子男子をもうけていたのである。梵天丸の弟竺丸はまだ乳飲み子であるが、顔だち良く、聡明そうな赤子であった。本来美しいものを好んだ義姫は醜い顔に変貌した梵天丸を遠ざけるようになり、竺丸を溺愛するようになっていた。また、義姫から梵天丸を遠ざけた輝宗に対してのあてつけも理由のひとつであった。そのような母親に反し父親の輝宗は梵天丸の器量を信じ、期待をかけていた。輝宗は梵天丸に伊達家の世継ぎとなるにふさわしい人間にするべく、帝王学を学ぶ環境を整えていた。とくに学問および人間性の形成を求めるべく、虎哉宗乙(こさいそういつ)禅師を招いた。虎哉禅師は快川紹喜(かいせんじょうき)に師事し、下野(栃木県)雲岩寺の大忠禅師と並び、天下の二甘露問といわれた名僧である。なお、快川紹喜といえば「心頭滅却すれば火もまた涼し」という有名な言葉を残し信長に焼殺された高僧である。
虎哉禅師はたまたま輝宗の叔父である東昌寺の住職康甫(こうほ)のところへ滞在してたところを何度も頼みこんで承諾してもらうことになった。そして輝宗は資福寺を建立し、そこへ虎哉禅師を招き、梵天丸の学問所とした。ある日虎哉禅師は梵天丸にたずねた。
「じぶんの顔をどう思うか」
梵天丸は答えた。
「醜く思う」
「ならばその醜いと思う心に打ち克つ心をそなたに教えよう」
このことがなによりも輝宗が梵天丸のために虎哉禅師に求めたことであった。梵天丸がこの先伊達家の頭領にふさわしい人間となるには片目であるコンプレックスを完全に排除せねばならないのである。
梵天丸は虎哉禅師のもとへ通うようになってから日に日に成長をしていった。
ある日寺院で不動明王を見た梵天丸が「不動明王様は仏様でありながらなぜこのような恐ろしい顔をしているのか」と問うと寺院の僧は「恐ろしい顔は悪をこらしめるためのものです。しかしそのような姿でも不動明王様は大変慈悲深い仏様で、外に剛、内に慈悲をそなえた偉い仏様です」と答えた。梵天丸は「そうか、わたしも是非そうありたい」とぽつりと言ったという。
片目である梵天丸の心の中で何かが変わろうとしていた。また梵天丸には乳母(うば-母親代わり)として小十郎の異父姉の於喜多が世話をしていたが、彼女は常日頃から梵天丸に「若様が片眼なのは満海上人(まんかいしょうにん)の生まれ変わりだからです」と言っていた。満海上人とは当時羽州(山形)で聖人として有名だった高僧で、満海上人も片眼であった。梵天丸は神話を背負って育てられ、どこかに自分は他の者とは違う存在であるという意識を持って、片眼であることを肯定していけるようになっていた。
ある日小十郎と梵天丸が木刀で稽古をしているときであった。小十郎は他の者がけっして触れようとしない梵天丸の右眼のことに対し「そのように飛び出した状態では敵の手につかまれたら大変です」とずばりと言った。他の者は小十郎は梵天丸に斬られると思った。しかし伊達家嫡男の意識を持ちはじめた梵天丸は小十郎にこう言った、
「ならばこの右目を斬ってくれ、そうすればつかまれる心配はなくなる」
小十郎は小刀を手にとり、飛び出た右眼を一瞬に切り取ったという。命じた梵天丸も、またそれに従った小十郎も常識では考えられない行動である。当然右眼からは大量の血が噴き出し、梵天丸は意識が遠のきそうになるのをぐっとこらえた。小十郎も万一の場合は切腹の覚悟でのぞんだ。
この事を知った輝宗は「二人ともあの若さで伊達家に命をかけておる」とひそかに涙を流していた。
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