伊達小次郎君墓所

 

 政宗の唯一人の弟小次郎君の墓所。母の義姫は政宗が秀吉から小田原参陣を命じられたとき伊達家の危機を感じ政宗を毒殺しようと企んだ。なぜなら政宗は秀吉からの参陣の命を再三無視し続け、ついに秀吉の臣下に下っていた奥州の名家芦名氏を滅ぼしてしまっていたからである。義姫は参陣の無事を祝うため政宗を宴に招いた。このときの料理の中に毒がもられてあった。政宗は一命を取り留めたが母の義姫を罰することはできず、なんと弟の小次郎を自らの手で成敗することとなった。さらに7代の勘当を言い渡した。以前から小次郎を擁して伊達家の当主とする家臣達が裏で画策をしており、伊達家分裂のおそれがあるのを政宗は危惧していた。このような状況の下、母義姫による毒殺の陰謀はあまりにもタイミングが良すぎた。義姫も山形の生家最上家へ逃れた。小次郎の守役であった小原縫殿助は小次郎の遺骸を一度は福島の某寺へ埋葬したが秀吉の東北仕置により政宗が会津の地を召しあげられると小次郎の遺骸を福島から引き上げざるを得ず、その後義姫の内命により横山の地に埋葬することとなった。

 現在の墓碑は明治26年5月に地元有志の方々、長谷寺住職、本吉郡長が発起人となり、三百年祭の大法要とともに建立された。

 昭和62年3月に「伊達小次郎君奉賛会」が設立され四百年祭の大法要が行われた。

Copyright (C) 2008 Takeshi Aoki All Rights Reserved.