白石城

 白石城の初代城主は刈田経元で、寛治5年(1087)から居住したといわれる。これより刈田氏は室町・戦国期を通じて伊達氏の家臣となり、白石氏と改姓した。天正14年(1586)白石宗実が塩松城へ移るまで白石氏の居城であった。宗実の後は屋代景頼が城主となったが、天正18年(1590)政宗の小田原参陣の後会津一帯は秀吉により没収となり蒲生氏の領土となった。蒲生氏一族の蒲生郷成が城主となると「白石」の地名を「ますおか(益岡・増岡)」と改めた。慶長3年(1598)蒲生氏から上杉氏へと移ると地名はふたたび「白石」にもどされた。

 慶長5年(1600)関ケ原合戦時に伊達軍は白石城を陥落させ、ふたたび伊達領とし、白石城は石川昭光が一時預かることとなった。慶長7年(1602)政宗は仙台領最南端の防衛としてもっとも信頼の厚い片倉景綱を城主とした。以来明治元年(1868)の戊辰戦争敗戦まで白石の地は片倉家が治めることとなる。

 元和元年(1615)の大坂落城後に徳川幕府は諸大名へ対して「一国一城令」を施行したが、仙台藩だけは二城、すなわち仙台城(青葉城)の他に白石城も公認された。理由としては 1.伊達政宗の政治力 2.幕府が政宗に上杉氏の牽制を期待したため 3.天下の陪臣「片倉景綱」が城主であったため と、憶測できるが正確なところ定かでない。

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