摺上原古戦場
奥州の名族で会津黒川城を居城とする蘆名氏、政宗の眼前には常に蘆名氏が立ちはだかっていた。政宗の奥州合戦デビューとなった大内氏討伐は事実上蘆名氏に対する戦線布告の意味が込められていた。天正17年(1589)弱冠24才の政宗はついに蘆名氏と雌雄を決する時を得た。合戦の場所は会津磐梯山麓の摺上原であった。奥州の関ケ原合戦といわれるこの戦は「蘆名家記」によれば、伊達軍2万3千、蘆名軍1万6千といわれ、6月5日午前八時に激突した。戦が始まって4時間余後、ついに政宗は宿敵蘆名氏を滅ぼし、奥州の覇者となった。そして「伊達政宗」の名は全国区ヘと躍りでることとなる。
三忠碑
蘆名義広の家臣、金上盛備・佐瀬種常・佐瀬常雄(種常の子)の三士は主君義広の危急を救ったが、三人共々討ち死にとなった。その忠誠のさまを後世に伝えるべく会津藩主松平容敬公が建立した。
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