月ノ浦

  

 伊達政宗の名は文部省認定日本史教科書にはなかなか見ることができないが、文句無く歴史に関った事象といえば「慶長遣欧使節」である。この使節と対比されるものにかの有名な大友、有馬、大村三侯の少年使節による「天正遣欧使節」がある。しかしこの天正使節団はあくまでも親善の目的であったのに対し、慶長使節は政治的外交を目的としていた。よって外交目的でヨーロッパへ渡ったのは慶長使節が日本で最初である。政宗の家臣である支倉六右衛門常長が使節団長となって遣わされたため世に言う「伊達政宗の慶長遣欧使節」となっているが、徳川政権下にある日本において政宗の独断で決行できるものではないことは明白であり、よって「伊達政宗の」の部分は歴史的な解釈としては誤りといえる。ただし、政宗という人間は表裏のある人間として有名であり、幕府公認の使節団を利用して「奥州王 伊達政宗」という肩書きでときのローマ法王へ書簡を送っている。実際政宗が常長へ託した内容がどのようなものであったのか政宗と常長2名のみ知るものであろう。とにかく史実として確かなのは慶長18年(1613)9月15日に支倉常長の乗った大船サン・ファン・バウティスタが月ノ浦からヨーロッパへ向けて出航したことである。現在の月ノ浦を見下ろせる展望台には支倉常長像が海の彼方を見つめている。

 

サン・ファン・バウティスタ

(サン・ファン・バウティスタパーク)

  

 石巻市にサン・ファン・バウティスタが復元された。木造帆船の造船は昭和40年代初頭で打ち切られていたが、平成2年(1990)に復元の声があがり、20世紀最後で最大の帆船の造船がおこなわれることとなった。帆船の造船技術を知る船大工は少なくなり、よって帆船造船の工程を残す文化資産の意味も込められた。平成5年(1993)10月に完成。平成8年(1996)には東京港まで無事に航海し、一般公開となった。

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