米沢城跡

     

以前の碑、朽ちていました

現在の碑、きれいになりました

写真提供:米沢市 山口様

 政宗の祖父晴宗が伊達家の本拠地を伊達郡西山城から米沢城へ移す。これより輝宗、政宗と米沢城主は受け継がれる。

天正18年から19年にかけての「大崎・葛西一揆」は実は政宗の扇動によるものという噂が広まるが、政宗はその噂をかき消すために一揆の討伐をおこなった。政宗は秀吉の上洛命令に対し白装束姿で金箔の磔柱を抱えて弁明に赴く。裁判の場で一揆扇動の密書に書かれた政宗の花押は偽物であると自ら弁明し、秀吉はなぜか素直に政宗の言い分を認め、疑いを解いた。しかし秀吉はその後政宗へ一揆討伐の恩賞という名目で旧大崎・葛西領を与える代わりに米沢城から岩出沢城へ移るよう命じた。政宗にとって祖父依頼の居城であった米沢の地の没収は、結局のところ秀吉の政宗に対する疑いは晴れていなかったということであろう。

 現在米沢城跡は関ヶ原合戦後上杉景勝が入城して以来代々上杉家の居城であったことから伊達家の面影よりも上杉家の面影が強い。本丸跡には上杉謙信を奉る上杉神社がある。

舘山城跡

写真提供 米沢市山口様

 

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