花言葉

「ね、この花の意味、何?」
「“忘れない”だ」
「じゃぁこれは?」
「“罪”だな」
「何か変な意味だね。じゃぁこれは?」
「いい加減自分で調べろ。人にばかり訊いていても身に付かんぞ」
「ええー!」


 そう大げさに嘆き、アイティは頬を膨らませた。形の上では俺の養女となっているこの少女は、可愛らしい仕草で俺の服の袖を掴み、もう反対の手で花を指さし意味を教えろと繰り返す。
「いいじゃない。私が忘れてもギヴィルが覚えていれば」
「なんでそうなるんだ。毎回毎回人に訊いていて恥ずかしくないのか?」
「ギヴィルは植物研究者でしょー? 人に教えるのもお仕事の内じゃないの?」
「それはそれこれはこれ。しかもお前に教えるのは仕事じゃない」
「じゃ、義務でしょ」
「どこで覚えて来るんだ。何時も思うが」
 食い下がるアイティの頭を押さえつけ腕をほどく。
 ほどかれた腕を未練がましそうに見て、アイティは唸った。
 それを無視して、俺は少女の頭に上着をかぶせてやる。
「いいからさっさと行くぞ。買い物行きたいんだろ」
 途端、顔を輝かせた少女の顔を見て、俺は短く溜息をつくのだった。
 俺はやはり、この少女には甘いのだ。





 棚に並べられている小物を珍しげに見ている黒髪の少女。背の半ばまで伸びたそれを色気もなく一つで括り、最近お気に入りの帽子と黄色の上着を羽織っている姿は贔屓目抜きで可愛らしい。
 十四歳になったばかりのアイティは、髪と同色の瞳を輝かせて店の主人と話し込んでいる俺の袖を引く。
「ねぇねぇ、これはどうかな?」
「……却下」
「ええー」
 アイティが持っていたのは真っ黒な壺。それに大きな目玉と唇が描かれているいかにも妖しい物だった。
「可愛いじゃない」
「どこが」
 年頃の少女の感覚とはこういう物なのだろうか。目線で苦笑している主人に訴えると、彼は肩をすくめて片目を瞑って見せた。
 しぶしぶ棚に戻しに行くアイティの後ろ姿を見送って、俺は呻いた。
「なんだあれ。なんであんなのがあるんだ」
「いやなぁ、行商人が仕入れてきてな。面白そうだったから飾ってみたんだが。アイティちゃんは相変わらず面白い物ばかり欲しがるなぁ」
「今回はあいつのじゃない。というか、けしかけるなよ? また前回みたいにねだられたらたまらんぞ俺は」
「またまたそーいうことを。可愛いじゃないか。おねだり事ぐらい訊いてやるのがたまらないんじゃないか。"お父さん?”」
「あのなぁ」
 最後の部分をやたら強調して言ってくる。たのむ、この男どうにかしてくれ。
 同い年の店の主人は人の悪い笑みを浮かべて俺の肩を叩く。年々親父化していくこの友人の性格を再確認しつつ、俺はその腕を払いのけた。
「しかし珍しいな。お前がきちんと贈り物を考えるだなんて。今まで一度もなかったんじゃないのか?」
「俺じゃない、アイティが言い出したんだ」
「でも何であれ、お前も考えているんだろう?」
「さぁな」
「さぁなって。おいおい。いいと思っているのか?それで」
「どういう意味だよ」
「お前、頭良いふりして相当馬鹿だろう?」
「お前にだけは言われたくなかったなぁ、ご近所悪大将」
「うおっ。そんな昔の事を持ち出すか!?」
 事実だろうも。
 まだ十かそこらぐらいまで、村一番の悪餓鬼の名をままに振る舞っていた幼なじみは露骨に驚いて見せた。やめろ。芝居臭いのが見え見えだ。
 その幼なじみは、ぶつぶつとなおも良いながら、これは極めつけといった表情で俺に人差し指を突きつけてきた。一応一児の父親なんだから、人に対して指を突きつけるな。
「そんな風に余裕こいているとなぁ、横から取られるぞ? 何を安心しているのか判らないがいい加減お前も正式に身を固めてみたらどうなんだ!」
「だから。どうしてどいつもこいつもあいつと俺を結びつけたがる」
「何を! あの時この辺りの餓鬼のほとんどがセティスに目を付けていたって言うのに。お前まさかそれに気が付いていないとでも言うのか? ちゃっかりと彼女の一番近くに何時も居たくせに!?」
「知らんな」
「くあー!!」
 殴りかかってきそうな顔をして店主は机を力いっぱい殴った。多分、近い内にその机は壊れるのだろう。
 なおも言葉を続けようと呻く店主と俺の耳に、アイティの「決めた!」という声が響くのは、最終的に俺が胸ぐらを掴まれる直前だった。
「決めた。これ、これならいいでしょ?」
「そーだな。それなら悪くないかもな。これ包んでくれ。迷惑大将」
「だから昔のあだ名を使うなってーの! はいアイティちゃん。ちょっと貸してくれ。包み紙はこっちで良いな?」
 顔に似合わない可愛らしい包み紙を取り出してにこやかに笑う様ははっきり言って気持ち悪いが、一応子供の手前。俺は堪えることとする。
「はい、どうぞ。ほらギヴィル。勘定出せ」
「………やっぱり俺にくるのか」
 それじゃぁアイティからの贈り物にならん気もするが。
 この店主は最初からアイティから金を取る気はないのか、自分の財布を持って驚いているアイティに「気にしなくていいんだよ〜」などと笑いかけながら手のひらを俺に差し出す。
 溜息一つで金を払うと、奴目はその昔悪戯を思いついたときの人の悪い笑顔を浮かべて、何故か異様に低い声で言った。
「毎度あり」
「二度と来ないから安心しろ」


「良いのかなぁ」
「いいんだろ」
「でもでも、それじゃあたしからの贈り物にならないよ? やっぱりちゃんとお金払うよ」
 ちゃんと持ってるよ?
 と赤い財布を両手で抱え持つ少女の帽子を小さく弾いてやる。
「ま、今回だけだ。お前が選んだだけでも意味があるだろう?」
「……うん。えへへ。喜ぶかな?」
「多分な」
 丘の上にある我が家までの道のり。小さく明かりの灯った家は、大人二人と子供一人が住むには最近小さいのではないかと思い始めている。それもこの少女が大分大きくなったからだろうか。
「とりあえず食事終わるまで隠していろよ。見つからないように帽子の中にでも入れておけ」
「はーい」
 素直に、本当に帽子の中に入れ込む少女を見て苦笑を一つ。
「本当に入れる奴がいるか」





「………って、言うことがあったんだよ」
 小さな声で、話す相手の耳にだけ聞こえるように。アイティは隣の部屋を気にしながら、こちらに耳を寄せてくれている女性に言った。
 その女性は穏やかな瞳で静かに相づちを打ちながら、やはり同じように隣の部屋を気にしていた。
 家の主はいつもの仕事部屋でいつものように研究に没頭している。
 夕食を食べ終わって早々に引きこもってしまった彼は、普段の何倍も言葉が少なかった。
 雑貨屋での一部始終を伝え終えた少女はくすりと笑って目の前の女性の反応を待っていた。
 女性は小声で、目を輝かせている少女に返す。
「楽しかった?」
「うん! あ、でね。これ」
 隠しておくことが出来なくて、脇に置いていた小さな包み袋を女性に渡す。可愛らしく包装されたそれは手のひらに丁度収まるぐらいの大きさ。女性は受け取って目の前で開いた。
 中から出てきたのは小さな鎖を幾つもつなぎ合わせた腕飾り。所々に色とりどりの花を模した彫り石が埋められて、可愛らしい造りだ。
「セティス、お誕生日おめでとう」
「可愛いわね。ありがとう、アイティ」
「うん。……へへっ。あ、私がつける!」
 言って、アイティは包み紙の上に乗ったままの腕輪を取り、付けやすいようにと差し出してくれたセティスの細い腕を逆の手で持つ。
 白い腕に赤、白、黄、桃、水色、紫の六色の彫り石は良く映えた。銀製の鎖がちゃらちゃらと音を立てて、その腕に収まる。
「わぁ、良かった。やっぱりセティスに似合う!」
「ありがとう」
 微笑んで、セティスはアイティを抱きしめた。少女は「えへへー」と照れ笑いを浮かべて擦り寄るように抱きついてくる。
「さ、もうそろそろ寝なさい。明日は早く起きるんでしょう?」
「うん」
 アイティはセティスにしがみつく手に力を込める。
「おやすみセティス」
「おやすみなさい、アイティ」





 少女の部屋の明かりを消して、セティスは台所へと足を運んだ。湯を沸かし茶葉用意し、数分蒸らしてから注ぐ。
 甘めの菓子を数個準備して、まだ湯気の立つ香り茶を家主の元へと。
 予想したとおり、薄暗い部屋の中で書き物に集中していた家主は、漂ってきた匂いに顔を上げた。目線高さに掲げられたそれらを見、
「ああ、すまん」
 とだけ言ってまた書き物に集中し始めた。
 卓の空いている場所に盆ごと置いて、ギヴィルの手元にある蝋燭に火を付ける。明かりが一つ増えていく事に部屋の暖かさも増えるようで心地よいが、あまり調子よく明るくできないのが残念だ。
 何しろ今は、夜なのだから。
 彼の手元だけでも明るくなるようにと火の位置をずらし、それ以外の場所にあまり当たらないように気を付ける。
 研究室と称されているこの部屋は植物で溢れていて、太陽が落ちてしまえば彼らも当然の様に眠るのだから。人工的な陽で好き勝手に起こしてはならないのだ。
「つけたんだなそれ、良かったな」
 こちらの手元を見もせずにギヴィルは言う。相変わらず目線は動かしている自分の手と資料の本の間をいったりきたりしているだけだ。
 でもそれは、いつものこと。
「ええ。ありがとう、ギヴィル」
「俺は選んでいない。ただ金を払っただけだ。成り行き上な。どうせアイティのことだからそこまで話したんだろう? 黙っておけば良いものを……」
 笑い、書き物を止めない彼に香り茶を渡した。
 観念したのか手を止めてギヴィルはお茶を受け取った。
 二口すすり、邪魔にならない程度の脇に置いてまた作業に取りかかる。
「あまり遅くならないようにね」
「ああ」
「あと、火は全部消すように」
「判っている。――――セティス」
「はい?」
「そこの本の上」
 振り向くこともなければ指をさし示すことなく言われ、とりあえずセティスは辺りを見渡す。と、積み重ねられた本の上に見慣れない紙袋が置いてあった。
 小首をかしげるように問う。
「……誕生日の贈り物?」
「…………」
 袋の中から出てきたのは木彫りの髪留めだった。とある花を模したそれは、その花の匂いが染みついている。
「ふふ……。ありがとう、ギヴィル。お休みなさい」
 彼は何も言わず、片手を挙げるだけでそれに答えた。





 セティスが自室に戻ってからしばらくして、俺はようやく書き続けていた腕を止めた。彼女が置いていってくれた香り茶は既に冷え切っている。蝋燭の長さも大分減っていて、そろそろ新しいのと交換しなければならない頃だ。
 小さく伸びをして、蝋燭の火を一つづつ消していく。最後の一本を持って寝室へ。足音を立てないように、寝ている二人や植物達を起こしてしまわないように。
 注意しながら自室に入ったところでようやく一息付けた気がした。
「ばれたな。完璧に」
 あの様子では。とかく昔から勘が良いのだ。彼女は。
 それに注意しなければ判りにくいが、俺の部屋は今。
「換気はしているが、そうそう簡単にはいかないということか……。はぁ」
 肩を落として、机の引き出しを開ける。
 そこに納められている箱を取り出して開けると、中から出てきたのは彫刻刀と削り残した材木。
 さらにその中にもう一つ箱があり、その中にはやすりと光沢を出す樹液が詰まった瓶が入っている。僅かに漂っているのはこの匂いだ。
 鼻奥を付くような独特の匂いはなかなか消えてくれない。それに混じって、花の匂いもする。
 溜息をついて引き出しを閉めた。
 その花の香りを付けるために、この季節にはなかなか見つからない花を探し出して、その花びらをすりつぶして染み込ませた。彼女が一番好きな花の匂い。ディダという名前の花。
 ある青年が想いを伝えたい相手になかなか想いを告げられず、何年も恋いこがれ、求婚の言葉の変わりに差し出した時に使われた花。
 以来花は青年の名を付けられ、愛を意味する贈り物として人々に親しまれてきた。
 俺たちの住むこの土地は、暖かな季節になると平原の隅に見られるようになってくる。それを手に、求婚する者も珍しくない光景だ。俺にはとうてい出来そうにない光景だ。
 そう考えて、苦笑を一つ。
 訂正。
 そうと知らずにやってしまった光景だった。
 ずいぶんと昔のことだ。四つか五つか。それぐらいの年齢だったと思う。
「よく臆面もなく出来たもんだよな……」
 当時のことを思い出すと、今すぐそのころの自分をひっつかまえてとくと意味を教えてやりたい気分になる。
 あのころの自分は、何も知らな過ぎた。せめて渡す花の名前ぐらい、意味くらい、判ってから渡せなかったのか。


 泣いている女の子がいた。
 その女の子がいじめられるのはよくあることだった。今なら判る。
 いじめた奴らは全員男の子で、その女の子がとても可愛かったからだ。
 こっちを見て欲しいばかりについちょっかいを出したくなって、それが少し過ぎて泣かせてしまう。そうなってはどうすることもできなくて、無責任にもその場から去ってしまう。
 そして泣いている女の子が一人だけ残される。
 それをどうにかしたくて、手近に生えている花を大量に摘み取って差し出しに行った。
 女の子は泣くのを止めて花束と自分の顔を何度も往復させた。
 あげる、と小さく言うと、女の子は嬉しそうに受け取ってくれた。
「いいにおい……。ね。なんていうおはななの?」
 「えっ」
 「このおはなのなまえ」
 「え、え………っと……」


 当時のことを鮮明に思い出して、俺は思わず机につっぷしてしまった。
 その時、花の名前が答えられないことが原因で、植物研究家なんていう道を進むことになったのだ。そんな理由からだなんて誰にも言えない。
「………寝よ」
 眼鏡を外し、髪の結い紐をほどき、最後のろうそくの火を消した。
 立ちこめる煙の匂い。だがそれに負けないほどの植物たちの香り。
 どんな理由からであれ、この仕事を嫌だと思ったことは一度もない。
 むしろそのおかげで出会えたものだってある。
 たとえば、隣の部屋で寝息を立てる黒髪の少女とか。
 陽の匂いがする布団に倒れ込むと、何事かを考える間もなく俺は眠りに落ちていった。





 朝が来ているのは判っているが、俺の身体はまだ睡眠を必要として動いてくれない。
 聞こえてくるのは近く野山に住む鳥の歌声。のどかで穏やかな朝だ。
 だがそこに、扉一枚へ立てた分の、元気いっぱいの声が響いてくる。
「おはようセティス! 今日の朝ご飯はなーに?」
 アイティが食卓に顔を覗かせたらしい。皿の音がしていたことから、朝食の準備をしていたセティスが微笑を混ぜて返した。
「おはよう。今日は、貴女の大好きな野菜湯と小麦焼きよ。香り茶を淹れて貰えるかしら?」
「はーい」
 足音を響かせながらアイティが動き回っている。本当に、朝から元気な娘だ。
「ギヴィル、まだ寝ているの?」
「昨日は遅くまで起きていたみたいだから。朝食が出来上がったら起こしに行きましょう」
 そうしてくれると助かる。
「うん! ……と。セティスぅ。それどーしたの?」
「それって……ああ、これ? これはね………」
 そのまま小さな声で二人は話し始めた。何の話なのか、アイティがやたら嬉しそうに「うそぉ! ……ほんと?」と言うのだけは聞き取れた。
 なぜだか嫌な予感がする。
 ともあれ、起こしに来るのはまだまだ先のようだ。そのことに安心することに専念して、寝返りを打った。
 仕事は後少しで一段落付く。
 それが終わったら、久しぶりに散歩にでも出てみよう。
 あと数ヶ月もすれば咲きほこる、ディダの花が咲く丘へ。
 最初に逢ったときと比べ物にならないぐらいに元気になった黒髪の少女と、花束を受け取ってくれたときからずっと側にいてくれる彼女と一緒に。
 寝れるのはほんの少しだろうな、と漂ってくる朝食の匂いを感じながら。
 俺は二度寝の睡魔に身をゆだねることにした。