12.商店街組織の一体化

 区画整理事業がはじまるまでの中込商店街の組織は、商店街各通りごとに単会はあったものの大別して「中込商店会」と「中込料飲組合」の2つであった。
 それが、昭和50年2月に、商店街近代化区城内に出店する104店が、法人組織による「中込商店街協同組合」を設立したため、中込商店街の中には3つの商店街組織ができたことになった。
 商店街協同組合の範囲は近代化区域内だけであり、料飲組合は単一業種の組合ということから、全町的な行事やイベントは中込商店会が総括して行なってきた。
 このため商店街協同組合員と料飲組合員は、中込商店会にも加入するという2重加入、会費(賦課金)も2重負担という形になっていた。
 昭和59年3月に商店街近代化事業が完結したことから、これを機会に大同合併して全町的な一つの組繊にしよう、という気運が協同組合からも、商店会の内部からも起きてきた。まず、昭和60年6月の商店会総会の時に、この問題が会員から提起された。これを受けて商店会、商店街協同組合、料飲組合との役員による第1回の会議を昭和61年3月にもたれた。
 この時の話し合いでは直ちに組織を一体化するには、商店街協同組合側にいろいろな問題点があるので、まず「できる事業」から一体化で進める。そのためには、商店街協同組合がどこまで譲歩できるかが鍵であるということから、協同組合としての検討結果を待つことになった。

 すなわち、商店街協同組合は、近代化事業の過程でいろいろな権利や財産を取得していたが、反面大きな義務も背負っていた。その主なものを拾ってみると
1.権利・財産
(1)組合経営駐車場などの借地権及び公会堂借家権(権利)
(2)歩行者専用道路内の組合負担によって造成した各地設、及び組合経営駐車場の機械化設備、組合事務所内の什器・備品類(財産)
2.義務
(1)高度化資金の返済・・・組合としての借入金は無いが、組合員の借入れに対しては組合が保証している。(平成元年1月末現在借入れ額51店で5億2,646万円・パラス分を除く・最長平成8年11月まで)
(2)出資金の返済・・・平成2年3月31日現在高1,827万円(現金ではなく、歩行者専用道路の施設に充当してある)
等々であった. 大同合併してひとつの商店街組織にするに当たっては、当然この商店街協同組合が持っている権利や財産、及び義務は新しい組織が継承せざるを得なくなる。
 もちろん、権利や財産を引き継ぐことについては誰も異論はないのであるが、いざ義務の継承ということになると、二の足を踏んでしまう。
 さらに切実な問題として、今まで商店街協同組合員が負担してきた賦課金(会費)の額と商店会員(料飲組合員を含む)が負担してきた会費との間には極端な差異があり、この調整が大きな課題として論議されることになった。
 商店街協同組合員の賦課金の最高は年額96万8千円、最低でも5万4千円。これに対し商店会員は最高で年額7万円、最低で3千円と比較にならないほどの安さである。
 また、商店街協同組合は、高度化資金の返済が終わる平成8年までは解散する訳にはいかない。従って、新しい組織は当然法人化されたものでなければならない。
 今までの商店街協同組合員は横すべりをして新しい組織に加入すればよいが、商店会員はまず出資金を出して新しい組織の組合員にならなければならない。その上、賦課金は調整の結果増額されるし、商店街協同組合の義務も負わなければならない。果たして新しい組織をつくるメリットが何処にあるのか、という声は当然にして起こってきた。
 61年は、単発的な論議だけで終わり62年3月になり再度本格的に3者間で論議されることになった。
 ここでは、従来の3者間だけの話し合いでは、お互いの主張だけが表面化してしまいまとまらない。中立的な第3者の仲介により一体化を図ろうということになり「中込商店会一元化準備委員会」を組織して、その委員長に中島春五郎氏(中央名店会長)を依頼することになった。
 懇請の結果、中島氏はこれを受諾し、4月17日正式に準備委員長に就任した。
早速、準備委員会の組織、構成あるいは運営方法等について協議を重ねる一方、一元化構想に基く組織づくりなどについても活発な論議が交わされ、7月までにはその骨子がまとまった。
 なお、この時点で、この一元化問題を処理するために、臨時職員として小島孝雄氏(中込・三ッ家在住)を採用した。(62.8.24付)
 準備委員会は、委員長のほかに、商店街協同組合6名、商店会6名、料飲組合5名、青年部4名のほかに顧問2名の計24名をもって構成された。準備委員会の考え方では、一体化した新しい法人組織をつくる間は暫定的に別の組織をつくり、その組織が一体化のための事業を行なっていくということになった。
 その暫定的な組織については、
(1) 名称は任意組織による「中込商店会」とする。
(2) 商店街協同組合と料飲組合は、解散することができないので存続をする。
(3) この商店会は、新組織発足時点をもって解散する。
(4) 一体化できる行事、イベント、事務処理は、中込商店会の名のもとにこれを行なう。
(5) 昭和64年3月31日をめどに諸条件を解決し、同年5月の通常総会時には法人化した「中込商店会」を発足させる。
 等々であった. これに基き暫定的の中込商店会としての人事構成を終え(部員まで含めて総員63名)、各部会ごとに62年度後半の事業計画の策定、あるいは一体化の問題点などについて論議を交わした。

 さて協同組合としては、今までの理事会や各委員会の会議などは、新しい組織の役員会あるいは部会で処理できたし、イベントや組合ニュースの発行な′ど一般的な行事や事業には差したる支障は無かった。
 しかし、組合が抱えている「高度化資金の返済」の問題、または「賦課金の調整」問題などについては、簡単には結論は得られなかった。というのは、これらを余り具体的に表面に出せば、折角の一体化構想がご破産になってしまうというおそれがあったからである。
 結局、「賦課金調整」の問題については、62年度分は現行のままとして、63年度以降においてバランスがとれるよう調整する。また「高度化資金の返済」問題については、組合自身の借入金がある訳ではなく、万一組合員が返済できなくなった場合にのみ組合に返済義務が生じることになるのだから、余りこれにはこだわらない方が良い。“その時はその時”ということになった。このように一体化のための基本的事項がまとまったことから62年12月1日「中込商店会一元化設立総会」を開き、役員構成(会長中島春五郎氏以下各部員63名)を承認したあと、会則、事業計画(62年度後半期)などを決め、暫定的な組織が発足した。
 従って、新しい中込商店会での議題は、法人化するための問題処理、事務手続きなどが主体になった。内容としては、新規加入者の出資金の一口当たりの額をどの位にするか。会費の格差是正をどのようにして行なうのか、あるいは今までの商店街協同組合を解散して新しい法人をつくるのか、料飲組合は一括加入か個別加入か、・・・などが主に論じられた。
 県中小企業団体中央会の指導や助言を得ながら何度か会議は持たれが、なかなか結論は得られなかった。この間、会長の中島春五郎氏は任期満了で63年3月31日をもって辞任したため、筆頭副会長であった中沢邦次郎氏が会長代行としてとりまとめの掌に当たった。(臨時職員の小島孝雄氏も同日付で退職)

 5月の総会時までには何としても法人化して一体化するという前提で会議が進められた結果、大要次のようにまとまった。
(1) 現商店街協同組合の定款の一部を変更することにより新組合を組織する。(「中込商店街協同組合」を「中込商店会協同組合」に。「副理事長4人」を「副理事長5人」にそれぞれ改める)
(2) 新規加入者の出資金は、一口10,000円とする。(従来どおり)
(3) 商店街協同組合員と商店会員との会費(賦課金)の格差是正については、第1回目を平成元年度に行ない、以後段階的にこれを行なう。(当面、商店街協同組合員の賦課金は据え置きとして、商店金員の会費を引き上げることによりバランスをとる)
(4) 料飲組合員は一括加入でなく個別加入とする。
(5) 役員(理事)人事については、これを契機に思い切った若返りを図る。

 このように懸案事項について結論が得られたことから平成元年5月26日に商店街協同組合と商店会の総会を同時に開催し、新組合設立のための各議案を議決し「中込商店会協同組合」が新発足した。
 なお、この総会では、新組合の役員(理事及び監事)選挙が行なわれ、初代理事長に中沢邦次郎氏が就任した。
 昭和50年2月に商店街近代化事業のために設立した「中込商店街協同組合」は、事業を59年3月に終え、併せて街の環境整備あるいは施設の充実など幾多の業績を残し、平成元年5月26日をもって、14年間の幕を閉じたのである。


前のページ 次のページ