教 育 問 題



★庄原市議会で「ジェンダーフリー教育の排除を求める請願」が採択!(17.3.1)

●ジェンダーフリー教育 排除を求める請願採択  庄原市議会県内15市で初【平成17年3月1日 中国新聞より】

 庄原市議会は1日の本会議で、「ジェンダーフリー教育の排除を求める請願」を県内15市の議会で初めて採択した。
 請願は、「各地の教育現場で男女共同参画社会推進に名を借りて男らしさ、女らしさまでも否定するジェンダーフリー教育が行われようとしている」とし、「庄原市では同教育の例は少ないが、真の男女共同参画社会実現のための教育推進」を求めている。
 討論では「同教育は、こいのぼりや、ひな祭りなど伝統文化も否定するもの」「男女差別の解消は既に国民的合意がある」など三人が採決に賛成。一方で「男女共同参画社会づくりが進んでいるが、女性の地位はまだ低い」「ジェンダーフリーの意味するものをもっと研究すべきだ」など三人が反対した。挙手採決の結果、賛成11、反対6だった。
 討論に先立つ質疑で、庄原市については、小学校での男女混合名簿の採用が同教育に当ると示唆する発言が請願の紹介議員からあった。市教委は十年以上前から採用しており、同教育に基くものではないとしている。
 請願は「日本会議広島」(安佐南区)が提出した。全国では鹿児島県議会などで採択されている。

「クリック」 ジェンダーフリー教育 一般的に、生物的性差を否定せず、社会的・文化的な性差別解消を目指して行われる教育。性別により特定の役割、能力などを要求したり制限したりせず、それぞれの個性と能力の発揮を尊重するとしている。 【以上引用終わり】


※コメント・中国新聞の「クリック」の定義の中で、「生物的性差を否定せず」という文言は、これまでの様々な資料には入っていない文言です。ジェンダーフリー推進派は「男女を区別することは即ち差別である」と主張してきており、実際に、生物的な性差を否定乃至無視して「ジェンダーフリー教育」は推進されています。ジェンダーフリー教育推進派を擁護する中国新聞らしい、定義のすり替えであると思います。

●本会が提出していた「ジェンダーフリー教育の排除を求める請願」が採択されました。

 ジェンダーフリー教育の浸透については、庄原市に限らず、県内各地域でも行われているという情報があります。特に、ジェンダーフリー教育の一環である過激性教育の問題は、4日に参議院予算委員会の山谷えり子議員の質問でも取上げられ、異常な実態に首相、文科大臣も絶句するという一幕もありました。東京都では既にジェンダーフリー教育の排除に乗り出していますが、神奈川県で行われた性教育の実態調査では、県教委と教組が談合して結果を公表していません。今回の質疑で、大臣が性教育の全国的な実態調査を行う旨答弁いたしましたので、今後、証拠隠滅や、隠蔽などが行われないよう、徹底して監視していく必要があります。

 山谷えり子議員の質問に答弁に立った厚生労働大臣の答弁で、性感染症が青少年に蔓延している実態が浮かび上がりました。その水準は性モラル崩壊で苦しむ欧米諸国の十倍にも達するという指摘がなされました。現在、アメリカでは、性行動を抑制する教育が行われ成果を上げていますが、かつては、現在、日本の教育現場で行われているコンドーム教育・セーフセックス教育がなされていました。ところが、そのときには10代の妊娠や性感染症は増加し、既にその教育は有害無益であることが証明されているわけです。現在の日本の10代の性モラルの崩壊と性感染症の蔓延は既に危険水域に入っているという指摘がなされています。若年で性感染症にかかったり妊娠中絶をしたりすると生涯に渡って不妊症になる危険性があり、また精神的な面でも深刻なダメージがもたらされることが専門家からも指摘されています。

※山谷えり子議員の質疑の様子は参議院のホームページから 「インターネット審議中継」 でご覧頂くことが出来ます。

 過激性教育は、「性の自己決定権」という名目で「人権教育」の一環としても行われており、総合的学習の時間などを使って行われています。また、国語の教科書の中にもジェンダーフリー推進の教材が取上げられ、家庭科の教科書などはシングルマザーを奨励するかのような記述がなされているなど、教育内容への浸透は著しいものがあります。(ちなみに、現行教育基本法の第10条では、「教育は不当な支配に服することなく〜」と書かれています。その文言を梃子にして、日教組は、教育内容の決定権は教師にあるとして、教育行政が教育内容にかかわることに徹底的に抵抗してきました。具体的には国旗・国歌の実施などに明らかですが、国旗・国歌は氷山の一角であり、教育内容全般にわたり、「教育内容」をゆがめてきたのです。ジェンダーフリー教育は、反日・自虐の歴史教育などと同じ根と同じ目的を持っていると断定できます。

 ジェンダーフリー教育の余りにも異常な実態について、最近刊行された『新・国民の油断』(西尾幹二・八木秀次/PHP研究所/1500円税別)は余すところなく告発しています。(リードから「異常なイデオロギーの持ち主たちが政府、自治体、学校に潜り込んで、洗脳教育と文化破壊を強制使用としています。問題の人物名と組織の内容を具体的に明示」)過激性教育は小学校1年から行われています。その意味では小学生以上のお子さんを持つ全ての保護者の方に、この本を読んで頂き、その恐るべき実態について知って頂き、お子さんの通う学校をチェックして頂きたいと思います。広島市や他の県内の地域でも極めて過激な内容の性教育がジェンダーフリーの名の下に、或は隠れて行われていることがわかっています。また、この実践には既に十年以上の蓄積があります。

※「新・国民の油断」は、 ここ から購入できます

   今、日本の至るところで毎日のように異常な事件が起こっていますが、人間の心身を根底から破壊するこうした教育実践が背後にあることと密接な関係があるように思われてなりません。
 今後、皆さんのご地元の自治体の議会において、庄原市に続き「ジェンダーフリー教育の排除を求める請願」を採択するように、働きかけをして頂きたいと存じます。尚、請願提出のために資料が必要な方は、本会事務局までご一報下さい。

★広島・民間校長自殺事件の真相
  ―故慶徳和宏校長の霊前に捧げる―
  (16.3.1)
                (広島県議会議員  石橋良三氏ホームページより)


■教育現場の「闇」に命を落とした校長

今年三月九日、民間出身の慶徳校長が自殺された。痛憤の思いである。
慶徳校長が教育の世界に関心を抱くに至ったのは、「学級崩壊、いじめ、不登校、青少年の自殺、非行、犯罪」などの報道に心を 痛めたことがきっかけだった。教育の立て直しは、「歩く道徳」と評された故人の、心からの願いだったと思われる。広島銀行に 三十一年間に渡って勤め、東京副支店長まで務めた豊富な経験を「学校経営」に生かし、「社会貢献」をしたいという願いが「公立学校の 校長任用に係る校長候補者の推薦」の機会に機敏に反応させたのである。校長の願いの深さが偲ばれる。
昨年四月、尾道市立高須小学校に赴任した慶徳校長は、教職員との相互理解と意思統一をはかり、一体となって子供達の為に尽くそうと 努力された。
それが、僅か一年足らずの間に精根尽き果て、自ら命を絶つに至ったのだ。その痛恨の思いは如何ばかりであったことだろう。
四年前の世羅高校の石川校長(当時)自殺事件、そして昨年三月、三原養護学校の谷口進校長が自殺した事件が生々しく蘇るのである。 私は、昨年の予算特別委員会において、この三原養護学校長自殺事件について質問をしたが、職員会議が機能せず、校長を無視した文書が 外部に出される、校長を無視して学校行事が企画・運営されるなどの無法状態があったことが判明した。慶徳校長と同じく、真面目で誠実 な人柄で校務に心を砕いておられた方である。
更に、このほかにも校長先生や教頭先生が自殺に追い込まれた事件がここ数年でも数件起こっているのである。水面下での反撃の実態が 如何なるものであるのか、余人には窺い知れない教育現場の「闇」に命を落とした校長先生方の「壮烈な戦死」のことを思うと断腸の 思いである。
校長室の机の引き出しには「能力のない者が校長になって、たくさんの方々にご迷惑をおかけすることになり、本当に申し訳ありません」 という遺書が残されていた。しかし、慶徳校長は決して「無能」ではなかった。就任以来の一年間、困難な状況に屈せず、「並みの新任 校長には及びも着かないほどの活躍を見せ」実績を上げていたのである。上寺久雄氏が正論七月号に「悲しい結末 民間出身校長の自殺」 の中で指摘している。
「この小学校は、尾道市の『基礎学力定着推進校・教科担任制度推進校』として基礎基本の定着や、個を活かすための指導方法の工夫、 授業時数の確保、学力検査の実施とその分析による指導の充実など、是正指導後の“新生広島”をリードする存在であった。このような 学校のおかれた状況の中で、『校長は急ピッチで改革を進め、なおかつ同小の百三十周年行事を成功させるなど、“並みの新任校長”には 及びもつかぬ活躍を見せていた』と報道されている。これで見る限り全く申し分のない優れた校長さんであったことに異存はないように 思われる」
実際、年間を通しての授業研究とその成果として一月二十二日に行われた「高須小学校教育研究会」では、全学年による公開授業が行われ 、保護者を含めた約四百名の参加を得た。高須小学校で公開授業に取り組むのは過去初めてのことであった。
にもかかわらず、教職員組合の報告書では、校長が学校現場のことがわからず、戸惑っていたことが強調され、言わば校長の「無能」を アピールしている。その目的が、「民間校長反対」という彼らの運動方針に基づくものであることは明白である。 親交のあった行員から「まじめで誠実、責任感が強く規律性、協調性のある人物、職務能力、人柄ともに立派な方」と慕われ、子供たち からも「校長先生は、高須小学校のために毎日がんばってくださいましたね。寒いのに、毎日校門に立って『おはよう』とあいさつをして くださっていました。いまでも、声が聞こえてくるような気がします。三月五日の朝の集いのときも、『みんながあいさつのできる、 明るい高須小学校になろうね』とお話してくださいましたね。高須小学校は、校長先生のおかげで、いままでより明るくなったと思い ます。(慶徳元校長の葬儀における児童の弔辞の一節)と慕われていた。校長が、二学期から毎朝ただ一人で校門に立ち、児童と挨拶を 交わし触れ合いを深めてきたことが、強い印象となって子供たちの心に焼き付いていたのだろう。
その慶徳校長先生が、何故「能力がない」のか。そして何故「自殺」を選ばざるを得なかったのか。その場所が、自宅でも、教育委員会 でもなく、何故「学校現場」だったのか!ここに、故慶徳校長の強烈なメッセージが込められていると思わざるを得ない。
 

■教職員組合の民間校長への異常な仕打ち

慶徳校長の死は、是正指導以前の広島県公教育の実態が今も残存していることを示すものであり、この実態を徹底的に究明し、「異常」を 正していくことが何よりも急務である。
広島県教育委員会・尾道市教育委員会の報告書をはじめ、PTA関係者、内部告発文書、地元での噂など、広教組の報告書を除く全ての 情報が、教職員の校長に対する仕打ちを浮き彫りにしている。意気に燃えて赴任した新任の民間出身校長を待っていたものは、「民間 出身校長」に組織的に反対する方針を持つ、排他的な教職員集団であった。高須小学校の組合率は三十八人中三十五人と九割以上であり、 県全体の三十%台に比べて著しく高い。新任校長は早くも四月半ばには嫌気が差し、「こんなことを教員と話すためにきたのではない」 と県教委の職員に洩らしていた。
五月に入り、教頭が倒れた。校長は一人で組合に立ち向かわねばならなかった。五月の運動会での国旗掲揚・国歌斉唱に食って掛かった 一部教職員の余りにも非常識な言い掛かりに、慶徳校長は戸惑った。それでも何とか乗り切り、二学期に入ってからは、朝の挨拶運動を ただ一人で始め児童と直接接して志を振るい起した。
ところが、十一月に学校で飼育していた十八匹のウサギのうち十七匹が惨殺される事件が起った。教員の異常さはウサギ惨殺事件で ピークに達した感がある。この児童の安全に係る問題に、教職員は集団登下校の引率に難色を示し、中途で打ち切ったのである。 そのためPTAから抗議が集中し、校長は板挟みになった。
地元の一致した見方は、教職員が校長を追い詰めた、というものである。しかし、その教職員の中でも確信犯は数名であって、後の数十名 は、組合怖さに追随していたに過ぎないという。ウサギ惨殺事件の冷酷無情で残虐な殺し方を見たとき、児童の安全を第一に考えることは 保護者として当然の願いである。ところが教職員は残業となることに反対し、年明けには打ち切りになったわけである。このことが保護者 の学校と教職員への不信感を決定的にした。
三月七日、入院していた教頭先生が復帰に際して挨拶に来ることを伝えると、教員は「何をしにくるのですか」「七時半にどうやって来い というのか」と校長に噛み付いた。校長はもう何も言わなかった。教職員の人間性への絶望が胸の内を覆ったことだろう。
広島県教育委員会と尾道市教育委員会の詳細な報告書が提出されている。この報告書について、「不十分である」「偏っている」などと 教職員組合等がレッテルを張っている。しかし、高須小の保護者の一人は「大筋はあの通りです、いえ、あれは証拠を示せるものに限定されているため、穏やかになっていますが、実際はもっと酷いものでした」と話してくれた。しかし、聖域化している学校内で起こっていることについて、明確な証拠をつかむことは極めて困難である。例えば、五月十三日、運動会の国旗掲揚をめぐり、職員連絡会において教員達が慶徳校長を追い詰め執拗に質問したことも、職員会議録では「国旗掲揚…役割分担について学校長の話を聞いて善処していく」と書かれているだけであり、広教組の報告書では「対立はなかった」と書かれているのである。これでは、職員会議には必ず録音するというような規定を設けざるを得なくなる。 県教委報告書に現れる慶徳校長の言葉を拾ってみると、その苦しみが伝わってくる。
「校務運営の困難さについて校長は、五月十七日(金)に県教育委員会職員及び尾三教育事務所職員に対して次のように述べている。 『私の性格として、控えめで、何事も最初から丁寧に一つ一つやる性格である。校長としては、教職員とけんかをしながら施策をとおして いく強引さが必要だと思う。職員会議で提案したことが教職員から打ち返される。柔らかい性格で強引にとおすことができない』 『教頭がいないことは非常に痛い。私は、状況がわからない。校長が銀行家になっても何も分からないのと同じで、規則、手続き等 よく分からない。午前は係長、午後は管理主事がここ一週間は毎日のように来てくれてありがたいが事務的なことが中心である』
「この(民間校長の管理職登用に反対している)教職員団体の学校分会が高須小学校にあり、慶徳校長はこの学校分会への対応について、 五月二十一日(火)、見教育委員会職員お呼び尾三教育事務所職員に対して次のように述べている。『学校では、初めて聞く話も多いし 、組合対策も民間ではなかったレベルの話がある』『四月中旬までは自分も元気だったが、組合や教員とこんな話をしに来たのではない という思いがあり、嫌気がさしたところに、教頭が倒れたということが重なって気持ちが落ち込んでしまった。教育をどうしようかという ことでなく、そんなことに労力の大半を費やしている』『自分としては、公的な立場にあるし、無責任なことはできない』 『今年の運動会から国旗掲揚をすることとしているが、掲揚を誰がするとか「国旗に注目」という発言を誰がするかを決めることも 簡単にはいかない。今年から始まったこともあって、教員からどうしてという質問が出されるが、うまく回答できない』」

■県民から寄せられた内部告発の手紙

慶徳校長先生を死に追いやったもの、それは教職員組合の組織的・継続的で執拗な「いじめ」であったことを、私は確信している。 それは、現場を知る多くの県民の思いであり、私の手元には、次のような匿名の内部告発の手紙が届いた。
「前略と匿名をお許し下さい。

広島県尾道市立高須小学校校長の自殺について、調査をお願いします。 具体的な事例の一端は次の通りです。
民間校長の新任校長を高須小学校の教職員組合は、職務能力・人間性有無について、集団で日常的に非難し、罵声を浴びせ続けた。 その上、教員を指導する教科的能力がないこと等、学校管理能力全般について、人格を傷つけるほど嘲笑し、馬鹿呼ばわりした。
新任・民間出身であることを前面に出して低姿勢で対応しようとする、意欲的な新任校長に対し、教職員組合は集団で継続的に挨拶・ 会議等で無視することを組合で取り決め、実行した。
民間から採用した新任校長に経験がなくて、答えられないようなことを全員の前で組織的に意地悪く質問し、答えられないことを馬鹿にし 、無能呼ばわりした。例えば、民間会社と学校教育現場と違うことを強調して、『民間会社のエリートのお前に何ができる。やってみろ。 何もできないから。同和教育とは何か答えてみろ』と脅迫した。
四月からの実施予定の人事評価制度について、能力がないのでできないことを校長自ら全員の前で自白させようと脅迫した。(略)
校長は三学期になると人事・卒業式のことで組合と再び対立し、校内で孤立感を深めた。卒業式に『君が代斉唱とピアノ伴奏』を 職員会議で教頭に指示したが、質問等で強い抵抗にあい解決策がなく実施に不安をいだき、そして絶望した。
自殺の原因は広島県教職員組合高須小分会の陰鬱な集団的いじめの結果であります(後略)」
この他にも、更に深刻な内容の告発文書も届いている。
詳細に語る紙数がなく、詳しくは広島県教育委員会のホームページで公開している報告書を見ていただくしかないが、 いかに学校の中が「異常」な空間であり、排他的、閉鎖的であるかをまざまざと実感させられるのである。

■教育基本法第十条の改正が急務

ところで、広教組はしきりに県教委・市教委が、「たった二日の研修で現場に出したのが間違いである」ことを強調し、県教委・市教委 の責任を追及している。教育委員会に全く落度がなかったとは言えないだろう。しかし、一義的にその学校で共に働いていた教職員が、 自らには全く非がないかの如くに振舞うのは実におかしな話である。
尾道市の地元新聞に載った声であるが、「この地域では教員の出世は校長をやめさせることができた人」という「教育界の常識」がある そうである。また、高須小学校の校長経験者は「赴任早々に、組合教員から『この学校を乗っ取ってやる』と言われたことがある。
『乗っ取れるものなら乗っ取ってみろ』と思ったが三年ほどでその教員は別の学校へ転任していった」と語る。まだまだ「異常」な話には 事欠かない。
もし教育委員会に落ち度があるとするならば、民間出身校長の力を過信し、この異常な学校現場というサティアンに送り込んだことで あろう。問題は、県教委・市教委が想像もつかないほど学校の現場が「異常」だったということに尽きよう。レーニンらロシア革命下の 人間群像について「鉄の様な意志と冷酷な非人間性」がその本質であるとベルジャーエフは喝破したが、正に「マルクス・レーニン主義」 を根本ドグマとしてきた教職員組合が、「鉄の様な意志」と「冷酷な非人間性」を貫いているのが学校現場の実態なのである。
この極一握りの組合教員が支配する学校体制の恐るべき実態を思うとき、教育基本法第十条の条文が「教育は不当な支配に服すること なく、国民全体に直接責任を負って行われるべきものである」とあることを想起せざるを得ない。この条文は、日教組によって、 不当な介入の主体を「文部省」であり「教育委員会」であると決め付けられ、「教育権は教師(組合)にある」とする学校の教職員 組合支配の根拠とされてきた。
現在、教育基本法改正が論議されているが、この教育現場の異常な実態を見過ごすならば、全くの画餅に終わると思われてならない。
教育の荒廃の原因は、社会的常識と人間性を欠落させた教職員集団の存在にあり、これを告発せずして、教育に明日はない。 それはそのまま日本の死につながるのだ―慶徳校長がこう考えたかどうかは分からない。しかし慶徳校長の死なくして、これらの 異常な実態が注目され議論されることはなかったに違いない。慶徳校長が死を以て訴えたかったことは一体何であったのか。
「諫止」という言葉が浮かぶ。温厚な人格者であった慶徳校長の死は、武士道精神に貫かれた「諫死」だったのではないか。
しきりにそう思われてならない。民間で叩き上げ修羅場を潜り抜け、世界情勢に通じ、教育を「国家百年の大計」と位置づけ、 体を張って教育現場に乗り込んできた慶徳校長が、「追い詰められて」死んだ、とは思えない。このままで済ましてはならない。 慶徳校長の無念を晴らすには、「諫死」の意味を受け止め、亡国の淵にある我が国の精神の覚醒を促すしかない。そして、それには 「教育基本法の改正」就中、第十条の改正が急務であると思うのである。

★宗教への理解が乏しい教育現場
                (篠栗南蔵院住職 林 覚乗氏 法話より)


 世の中で今、子供たちの心が荒れて様々な事件が発生しています。こういう 種々の問題が起きてくると、心の教育が大事だとか、宗教的な教育が大切である とか、騒がしくなってくるものの、心の教育とはどうするのか、宗教教育とは何 をもってそういうのかと問われれば、大方の人は答えにつまってしまうでしょ う。

 学校では天台宗を最澄がいつの時代に開いたとか、空海が真言宗を高野山に開 いたとかは教えても、二人の説いた内容がいかなるものかは教えられない。受験 の知識のみに汲々として、仏教そのものの教えを先生も知らず、外に出て近くの 住職から話を聞いても良かろうことを、教育現場に宗教を持ち込むことの非難を恐れ、心の 教育に取り組むことが出来なかった責任はだれにあるのか、私は知るよしもな い。次の一文を読んで頂きたい。

   空き缶に活けられた一本のコスモス

   日蓮宗のある住職は、子供さんたちが成人し家庭をもったので三人の里子を預 かっているのだそうです。ある日のこと、子供たちの部屋を掃除しに行った奥さ んがいつまでも戻ってこないので、部屋に行ってみると、今年四歳になる智子 ちゃんの机の前で肩をふるわせて泣いています。「どうしたの?」と声を掛ける と黙って机の横の本棚を指差しました。本棚といっても学生用のそれではなく、 四歳の子がその日着るものを下の段にいれ、上段には絵本がおいてあるといった ものなのだそうですが、奥さんは上の段を見ろというのです。  「何があるの?」と覗いた住職は、おやつにあげた缶ジュースの空き缶にいけ た一本のコスモスの花が目に入りました。更にその後ろに一枚の絵がはりつけて あります。「何だろう」とよく見てみるとその紙には四歳の智子ちゃんが幼稚園 で習ったばかりの字、鉛筆をなめなめ、カ一杯「おかあさん」と書いた字があり ました。この智子ちゃんは寺に来る半年ほど前にお母さんを亡くしているので す。またお父さんもいないという事情から里子にきたのですが、寺に来てお檀家 の人たちがお墓参りする姿を見たからでしょうか、亡きお母さんにお花を供えて いたのです。きっともみじのような手を合わせ南無妙法蓮華経と唱えただろうな と思ったとき、住職も奥さんと一緒に泣いていたといいます。しばらくして「き れいな花瓶持ってきましょうか」という奥さんに向かって、住職は「この世の中 でこんな美しい花、こんな素晴らしい花瓶はないんじやないか。こんな心のこ もったお位牌、こんな立派なお仏壇はないんじゃないか、このままそっとしてお こう。亡きお母さんの喜んでいる顔が目に浮かぶよ」

   先祖や仏神への敬虔な心を養う教育を この話は形にとらわれ、心をおろそか に生きることのむなしさを教えてくれるとともに、この女の子の心は学校の中で 培われていくものではないことがわかるでしょう。仏様や神様のものの見方はど こが違うのか、それは損得ではなく善悪の眼でもってすべてを見ることが凡人と の違いなのです。うまく生きることのみ教え、よりよく生きることの素晴らしさ を教えることさえ出来なくなった今、心の教育も宗教教育も一朝一タに出来るも のではありません。

 霊感商法の被害に遭った人々やオウム真理教に走った若者たちの共通点は何 か。家に仏壇がなく、家族と共に寺や神社にお参りしたことがなかった、とは被 害者弁護団の弁護士の言葉なのです。

 国歌も国旗も否定しながら、その体制から禄をはんで、恥ともしない教師に立 派な子供を育てるカはないでしょう。連綿と先祖から続いたこの命の尊さを親と 子、先生と生徒という大切な出会いの中で、見つめ直す時がきていると思いま す。カエルの解剖で自然科学を学ぶことより、カエルの命を大切にする教育がい かに困難であるか。そのためには、親と子が先祖の墓に詣でることも教育である し、修学旅行で京都や奈良に行き,社寺の仏神前に立てば、自然に頭を垂れて、 手を合わせる姿を先生自身が生徒に見せることが出来るかが問われているので す。
 合掌



★一人ひとりの人格を認めることの大切さ
                (篠栗南蔵院住職 林 覚乗氏 法話より2)


 今、昔話の内容が変わってきているのをご存じでしょうか。例えば、兎と亀の 話は、勢力を続けることが大事で、努方を続ける人間が幸せになるのだ、と思っ ていたのですが、「寝ている兎を起こさなかった亀さんは根性が悪い。だから、 起こして一緒に走っていく優しい亀さんになりましょう」という教え方があるそ うです。これは、今の世の中の変な平等主義ではないだろうかと思います。   何が大事かというと、一緒にゴールインすることではなく、兎には兎のそして、 亀には亀の、生きる道があるし、能カがある。このことを認めてあげることが、 本当の平等ではないだろうかと思うのです。

 十二月は終業式があり、子供たちが通信簿をもらってきます。数年前ですが、 地元のテレビ局から出演依頼がありました。「終業式で子供たちが通信簿をも らってくる前に、悪い通信簿の上手なしかり方を教えて下さい」ということでし た。テレビ局で話を聞いて愕然としたのですが、親が「あんたのお兄ちゃんは、 もっとよくできた」とか、「お姉ちゃんはもっといい成績ばかり取ってきた」と か「近所の○○君はもっといい成績を取っているらしいね」と比べているので す。兄弟であっても一人の人格ですから、別人です。それを別人格と比べられた ら、本人はとてもつらいだろうし、だめだという、レッテルを自分で貼ってしま うかもしれません。これが「あなたは一学期はこうだったのに、二学期はどうし たの」と言われたら、自分の勢力のなさに気がつく子供はたくさんいると思うの です。しかし、能カも育ちもすべて違う人間と比べられて優劣を決められたら、 どうしようもない。

   世の中には、支えてくれる人がいるから、自分が成り立っていることに気がつ かない人がたくさんいるのです。一番の子供は、すべて一番と思っているから、 世の中に出たときに挫折することが多くなってくる。四十番の子供は決してつま らない人間では なく、四十番という役割を果たしている。そのときに、一生懸命努カした四十番 かどうかということの方が、もっと大事になってくるのです。われわれは単純に 一番と四十番の子供を比べて、一番は優秀だ、四十番はつまらない、というレッ テルというか烙印を押してしまう。そういうときに、四十番だったら、三十九人 を支えてやっている優しい子供だと思うような発想の転換が、必要になってくる のではないかと思うのです。

 一人ひとりの子供に生きる世界があり、それぞれの能カがある。そして、そ の役割がある。そのことを認めてあげることが今、大事なことだと思うのです。
合掌



★中学生に性行為を推奨する冊子 「思春期のためのラブ&ボディBOOK」 の配布差し止めを求める緊急要望書 を、広島県教育委員会に提出!

 7月9日、表記の要望書を、広島県教育委員長並びに教育長に宛てて 提出いたしました。平日の昼間にもかかわらず13名もの方々がお 集まり下さいました。その内、中学生のご子息を持つお母さんも含 め女性が10名参加下さいました。
 午後2時、県庁東館4階の県教育委員会総務課を訪問し、総務課長 代理の荒川氏に対応して頂きました。主婦の方から、要望書を朗読し、 その上で、各自から意見を申し伝えました。
  この冊子は、県教委や教育事務所を通らずに、各保健所から市町村 教育委員会に配布されているということで、既に学校にまで配布され ているところもあるということです。子供たちに無造作に配布される 前に、ストップするためにも、地域の学校や、教育委員会に連絡して、 差し止める行動が必要となっているように思います。
 以下、要望書の全文をご紹介いたします。


広島県教育委員会
教育委員長 小笠原 道雄 様
教育長   常磐  豊  様

  日頃から本県教育向上のために多大なるご尽瘁を賜り、県民の一  人として衷心より敬意を表します。
さて、六月二十九日『産経新聞』一面トップで大きく報道された、 「思春期のためのラブ&ボデイBOOK」という冊子が全国の中学生に配 布されようとしています。これは、厚生労働省所管の財団法人「母 子衛生研究会」が、複数の製薬会社の資金援助を得て作成したもの で、国会などにおいて、内容の公正性について疑問の声が起こって おります。
 この問題の冊子が、本県の各学校現場に配布され、今まさに中学 生に手渡されようとしています。
 この冊子は、「自分の性行動は自分がきめる」→「好きな人とならば 性行為も構わない」→「そのときピルが強い味方となる」と記述され、 中学生を性行為に誘導する危険性を含んでいます。更に「ピルをき ちんと飲めば避妊効果は抜群」とピルの効能を推奨し、「コンドー ムの正しい装着法」として男性用女性用別に図解入りで事細かに説 明しています。あるいは、「家族の中で性行為を強要されたとき」 などという項目や、キスや性行為について「あなたならどうする」 と聞いた上で、「産むか産まないか」「いつ産むか」などを「自分 で考え、自分で決めることが大事だ」とする「性の自己決定権」を 強調していますが、未成年で、結婚年齢にも達しない中学生に、こ のような余りに過激な内容の冊子を配布することは明らかに常軌を 逸しています。
 文部科学省もこの冊子について「中学生には不適切」として驚き を隠さず、一方、作成した厚生労働省が「特に問題はない」として、 中央官庁において意見が真っ向から対立し、混乱が起こっていると 報道されています。
 また、ただでさえ思春期を迎え、性についての意識が芽生え、純 粋に異性を意識する時期、このような「フリーセックスの奨め」のご とき冊子を中学生に配布することは、中学生の心に生涯に渡って残 る深刻な傷を与えかねず、青少年の性道徳の乱れを助長するもので あります。
   熊本県などの自治体では、この冊子の内容に問題ありとして、す でに全県下で配布差し止めの措置を取っています。
 つきましては、県教育委員会に置かれましては、速やかに本県の 実態を調査の上、この冊子の配布差し止めと回収の指示をお出しい ただきたく、ここに急ぎ要望する次第です。
 なお内容を詳し検く討することなく「夏休みに読んでおきなさい」 程度の軽い扱いで、生徒に手渡す学校・学級も予想されます。手遅 れにならないよう、迅速な措置を重ねてお願い申し上げます。以上

     平成十四年七月九日
                                            日本会議広島
                                            会長 山仲一二

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【産経新聞広島版 平成14年7月10日記事】
中学生向け性教育冊子 生徒へ配布せず
内容不適切 保護者が反発 県教委が決定

 配布をめぐって文部科学省と厚生労働省の見解が対立している中学生 向け小冊子「思春期のためのラブ&ボディBOOK」について、県教委が 生徒に配布しない方針を決めたことが9日、わかった。県内市町村教委 にも口頭で指導を始めた。
 問題の小冊子は、厚生労働省所管の財団法人「母子衛生研究会」が 作成。5月ごろから、各地の保健所を通じ、市町村教委を経て中学校に 届けられている。
 その内容が、性行為をゲーム感覚で取り上げたり、「ピルをきちんと 飲んでいれば避妊効果は抜群」と記述したりするなど、フリーセックスを 推奨しているかのように読み取れるため、全国各地で保護者からの批判 が噴出。国会でも取り上げられ、文部科学省が「中学生には不適切」と の見解を示す一方、厚生労働省は「特に問題ない」として対立している。
 県教委は「十分な指導なく生徒の目に触れ冊子の内容が一人歩きする と、誤解や短絡的な行為につながる恐れがある」(スポーツ健康課)と して、県立学校では生徒へ配布しないことを決定。県内市町村教委にも 中学生への配布をやめ「指導用の資料にとどめてほしい」との指導を始 めた。
 この問題で、日本会議広島(山仲一二会長)は9日、県教委に対し、 同小冊子の配布差し止めを求める緊急要望を行った。



★刑事告発された「6時間目の授業をしない」」広島の中学校(H14.6.12)
                           (週刊新潮 6月13日号より)


広島県府中市立第2中学校では,昨年の1学期と2学期を通じて,毎日6時間目の授業が カットされていた。合計93時間。しかも学校側は,この不正を隠蔽する為に出席簿を改竄し ていた。
今回公立学校を公文書偽造罪容疑で刑事告訴したのは「広島県の教育を正す会」。 入学以来5時間授業しか受けたことのない子の母親が,市教委に出席簿の公開を申請したが, そこには55日間,6時間授業が行われていた事になっていた。(担任印と校長印が押されていた。) しかし子供と担任教師との間で毎日交わされていた連絡帳には6時間授業が行われていた記述は無かった事から 学校ぐるみの出席簿改竄が判明した。この事実を突きつけられても市教委は「改竄ではなく思い込みによる 不始末」程度の認識。
昨年末の県下の公立小中学校での慢性的な授業時間カットの露見以来,手緩い責任追求 に業をいやした末の刑事告発。市教委をはじめとした関係機関の徹底的な責任追及を望む限りである。


★また校長が死んだ・・・広島の「偏向教育」現場(H14.3.31)
                           (週刊新潮 3月28日号)


 (前略)広島県立三原養護学校の谷口進校長(55)が亡くなったのは3月 1日のこと。居間に倒れているのを家族が発見し、病院に運ばれた時にはす でに呼吸停止状態だったという。
「表向きは”突然死”とされていますが、事情を知る関係者の間では自殺だと いわれています。3月中旬に行われる卒業式で渡す卒業証書の表記を元号 のみにすることを、教職員らに反対されて悩んでいたそうです」(学校関係者)
 広島ではこれまで、西暦と元号を併記した卒業証書を授与してきたが、今 年から元号のみにするように県教委が指導していた。これに猛反発したのが 教職員組合。曰く、「天皇制と結びついた元号の強制は生徒の内面の自由 を侵す」。
 谷口校長の相談に乗っていた知人の一人がいう。
「2月半ば、谷口さん”まだ元号問題が決着しとらん。いっぺんにやるとワーッと なるからまず主任クラスに話して、次に全体を説得する”と言っていました。そ の後もかなり突き上げを食らっていたようで”組合がうるさいんじゃ”と愚痴って いました。そして亡くなる前日には、親しくしていた何人かの校長に”あんたの ところは元号、どうするんじゃ”と電話で相談しているんです」
 谷口校長が別の養護学校の教頭から、三原養護学校に赴任したのは昨 年4月。「彼は、学校が抱えている問題を一つ一つ真面目に解決しようとし ていました。世羅高校の事件以降、県内の公立高校全ての卒業式で、 国旗掲揚、国歌斉唱が行われるなど、かなり教育現場の状況は改善され ています。が、養護学校はまだまだ組合色の強い教員が多く、問題教員の 牙城のようになっている。校長になったばかりの谷口さんは、最初から苦労の 連続だったそうです」(公立高校元校長)       (以上、記事前半)
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■広高教組の猛威による元号・西暦併記が”確立”するまで
広高教組が猛威を振るっていた昭和62年3月、県立学校103校中実 に54校で卒業証書の西暦発行が行われていたといいます。また、児童・ 生徒から書き換え要求がなされ西暦に書き換える学校もありました。当時 の県教委はこの54校の校長に「文書訓告」処分を取りました。
 これに対して、広高教組は「昭和による卒業証書の発行の零を目指し て闘う」ことを決定し、広高同教においても「確認」して行きました。
 こうした中で、県教委が「昭和以外の『余事』の記載があっても認める」 という表明を県議会文教委員会で行ったことにより、元号・西暦併記とい う異常な状況が恒常化してしまったのでした。
 そして「学校現場に混乱を生じさせた」責任を県教委と校長協会が「反 省」することにより、広高教組が勝利宣言をしたのが昭和63年1月でした。 (以上、「広島高教組40年史」(平成5年10月8日発行)より)


■広島県の障害児教育が抱える問題(教員について)
「広島県障害児教育基本構想策定委員会中間報告(平成14年2月8日)より」

3、今後の障害児教育の基本的方向性
(3)特殊教育教諭免許取得の推進、研修の充実など
ア (前略)本県の(「特殊教育教諭免許状」の)保有率は31%で、都道 府県別の順位は全国第44位である。今後、特殊教育教諭免許状の保 有率を高めていくことが望まれる。(後略)

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(週刊新潮記事後半)
研修という名の糾弾会
 この問題を県議会で取り上げた石橋良三県議会議員が話す。
「三原養護学校では、異常な学校運営が行われていました。約80人の教職 員による職員会議が学校の最高決議機関になっており、校長の意向が大きく 制約されていたのです。この学校は、4年前の文部省による是正指導以前の 状況とまったく変わっていない。谷口校長は何とかそれを改善しようとしていまし た」
 その上、”個人総括”と称して、職員が校長などを糾弾する会も開かれてい たという。
「1年に何回か”同和教育が適正に行われているか”を点検するために一人一 人の職員がレポートを書き、”研修会”を開いて総括し合うのです。会では、 校長が書いたレポートが狙われることが多く、徹底的に糾弾される。広島では、 20年も前から個人総括が行われていたんですが、文部省の是正指導の対象 になり2年前には完全に現場から消えたはずでした」(福山市内の中学教諭)
 が、県教委幹部によると、「県教委への投書により、福山の障害児学校3校 で個人総括が行われていることが分かり、指導していたところでした。三原養護 については、谷口校長が亡くなるまで、個人総括が行われていることは把握で きませんでした」
 谷口校長の死について、三原養護学校の現校長は、「突然死だったとしか 聞いていない。元号問題でもめたということはない」と話し、県教職員組合も、 「話すことはない」 の一点張り。県教委は現在、学校に職員を派遣して調査をしている。
 未だに続いている広島の偏向教育。谷口校長の死の真相を究明することが、 問題解決の第一歩ではないか。(遺書は見つかっていない)
                               (以上、記事後半)
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皆さんの良識の声を広島県教委へ届けましょう!
広島県教育委員会ホームページ 意見のひろば

http://www.pref.hiroshima.jp/kyouiku/hotline/iken.html
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