|
64回目の終戦記念日であるこの日、新装なった広島護国神社参集殿にて日本会議広島主催 第18回戦歿者追悼広島県民集会が開催され、
約100名の県民の方々が参加した。 国歌斉唱・護国神社拝礼に続き、鳥取市米子市在住で92歳になられる、蜂谷弥三郎氏が講演を行った。 蜂谷氏は、戦時中、平壌の陸軍造兵廠に勤務。終戦後、妻の久子さんを残して、スパイ 容疑でソ連軍に連行され、シベリアの強制収容所に送られた。日々を、祖国日本への思い を支えに貫いたが帰国叶わず、クラウディアさんと結婚。後に久子さんが再婚もせずに自 分の帰りを待っていることを知りソ連崩壊後、1997年に50年ぶりに帰国し、久子さんと 再会した。50年間待ち続けた妻と、「他人の不幸の上に自分お幸せは築けない」と送り出し てくれた女性の愛情物語はTVドラマやドキュメントでも紹介され、大きな感動を呼んだ。 講演の中で「無実の罪でスパイ容疑をかけられた。釈放後、労働組合の生活指導員にまで 抜擢されたが、一方で帰国するまでスパイ容疑が晴れることはなかった。受刑中は、“なに くそ!生き抜いて、日本に帰ってやる。それが日本人としての生きる道だ”と思って、理 髪師・写真師・養蜂など、工夫と粘りで腕を磨き、ソ連人に認められるまでになり生き抜 いてきた。その間、“日本語を忘れたら日本人ではなくなる”“日本人として恥ずかしくな い振る舞いをしよう”と心掛け、毎朝晩、教育勅語を暗唱した。 妻や村長からロシアに帰って来いとしきりに言われるが、私は日本人だから日本で死なせ てもらいたいと言っている。妻とは毎週電話で話をしているが、私はそれで満足している。」 と述べられ最後に、「どんな所へ行っても皆と助け合い思いやりをもって接すれば、居心地の 良い場所に変わるという事を皆さん知っていてください。」と結ばれた。 蜂谷氏の言葉の中に、今の日本人が失いつつある、戦前の日本人の心意気と優しさを感じた。 正午の時報にあわせ参加者全員で黙祷、天皇陛下の御言葉を拝聴したのち、靖国神社への首相参拝を求めると共に、 祖国再生に力を尽くす事を旨とする声明文を満場一致で採択し閉会した。 また本集会に先立ち、広島護国神社拝殿にて同神社主催による英霊感謝祭がしめやかに執り行われた。 |
|
広島国際会議場「ひまわり」にて天皇陛下御即位二十年奉祝広島県委員会設立総会が、
前衆議・市町首長・議会議長及び各界の代表をはじめとする350名の参加者で開催された。 まず内閣府製作の奉祝映画を上映。続いて総会を開会、国歌斉唱の後,皇居遥拝を行う。 林 県議会議長の挨拶の後、事業計画案及び役員の発表を行った。 奉祝事業計画としては、奉祝映画「平成のご巡幸」の上映活動の推進、 8/24広島駅地下イベントホールを皮切り開催される奉祝写真パネル展の開催、 12/23 ALSOKホールでの奉祝式典の開催、地方議会による賀詞決議及び 市町単位での祝賀懸垂幕・記帳所の設置推進、内閣府製作映画の学校・公共施設での上映推進、 11/12に東京で開かれる奉祝国民式典への参加促進など。 役員としては名誉会長に藤田 県知事、会長に大田 県商工会議所連合会会頭、副会長 には元広島カープ選手で野球解説者・衣笠祥雄氏ほか12名、奉祝議員連盟会長に林 県議会議長などの役員案を発表し、承認を得た。 次に大田 会頭、知事代理として城納 副知事、秀 広大医学部教授、衣笠祥雄氏に式辞・ 祝辞を賜った。衣笠氏は「引退の翌年、園遊会で御言葉を賜った時の感激を今も忘れない」 と述べられた。最後に追林 県神社庁庁長の聖寿万歳で閉会した。 続いて松浦光修 皇學館大学教授が「皇室の伝統と日本の再生」と題して記念講演を行った。 氏は「天皇陛下の一番の公務は宮中祭祀であり、その内容は“民安かれ”を皇祖・神に祈 る事。そして皇室は有史以来、後奈良天皇が疫病の流行が御自分の徳の不足によると祈ら れた例などのように、祈り続けてこられた。そして国民も皇室の安寧を祈ってきた。 しかし戦後、唯物史観にとらわれた国民は皇室をないがしろにし、非難する事はあっても 祈る事を忘れた。日本の危機が叫ばれる今こそ、“宸襟(しんきん)を安んじ奉る”という言葉を噛み締 めて、素直に“ありがたい”と言う心を、如何に後世に残せるかを真剣に考えていくべき。」 と語られた。 天皇陛下御即位二十年奉祝広島県委員会の活動は http://jp-pride.com/houshuku20/ でご覧になれます。 |
|
開催前に広島市長及び被爆者団体より日程の変更要請があり、全国的にも注目されていた
8・6田母神講演会「ヒロシマの平和を疑う」が予定通り開催された。 参加人数は実に1,300人。事前に用意したメイン会場のほか、モニターで参加する第二会 場、更にロビーにもモニターを据えて対応した。しかし事前に前売券の販売数を把握し調 整していたので、当日の混乱はなかった。 国歌斉唱の後、原爆死没者のご冥福を祈って、講師・参加者全員で30秒間の黙祷を行った。 松浦日本会議広島会長の開会の辞のあと、早速、田母神氏の講演が行われた。 田母神氏は核問題について「核兵器を廃絶しても平和が来るとは思っていないし、核廃絶 自体も現実的には困難だと思う。オバマ大統領が核削減を提唱したが、核保有国の首脳は 同意しない。また、アメリカ自身も老朽化した核兵器の廃棄に留まると思われる。 核兵器は非常に悲惨な被害を及ぼす。それゆえ双方が報復を恐れる。核戦争には勝者はい ない。つまり核兵器は先制攻撃に適さず、あくまでも報復の恐怖を背景とした抑止の兵器 である。しかも通常兵器のように数を多く持つ方が有利と言うものでもない。核兵器は一 発が与える被害が極めて大きいので、相手より多く保有しているから安全と言うものでは ない。そのような事から世界の国々は核兵器を保有したがる。日本は核保有を議論する事 すら許されないが、3度目の核被害に遭いたくないから核武装をするという論理はおかし くない。当然アメリカや中国は反対するだろうが、それに対し粘り強く交渉し勝ち取って いくのが外交である。ただ残念ながら日本のリーダーは軍事に関する素養がない。国際法 に基づく毅然とした態度すら取れない。国際社会は相手が譲歩すれば一歩更に踏み込んで くるのに、いつも譲歩してしまう」と語られ、日米安保について「北朝鮮による日本人拉 致はいわば侵略行為である。しかしアメリカは手助けはしてくれない。日米安保は抑止と しては効果があるが万能である訳ではなく、自国民を自力で守れない者をアメリカは本気 で助けてはくれない。アメリカが日本を助けるには大統領の承認が必要だが、その効力は 2ヶ月だけである。それより長期の支援はアメリカ議会の承認が必要である。従軍慰安婦 決議をするような議会が果たしてその時承認してくれるかは疑問である。」と、核を持たな くてもアメリカが守ってくれるという考えは甘い事であると述べられた。 そのほか自身の更迭も含め、過去の日本をよく言うと問題となる風潮について「終戦直後 の占領軍による言論統制は日本を良く言う書物や人を徹底的に排除した。その流れが現在 も続いている。アメリカは戦後の日本に民主主義をもたらしたどころか言論弾圧を行った のである。確かに歴史は勝者によって作られる。しかしいつまでも間違った歴史観を持ち 続けるべきではない。自分の父祖が誇りある人物であったと思える事は苦境のときに自信 となる。誇りある日本の歴史を学び、自分の力で守れる気概を持つべきである」と述べ られた。 会場は終止、賛同の拍手と笑いが起こり、大盛況であった。懸念された反対派の妨害や抗 議も会場の雰囲気に圧されたのか一切見られなかった。また今回は集団での参加より個人 単位の参加が多く、一人ひとりが今の日本を憂い行動する勇気と活力が現れてきた事を実 感した。 また今後も再び核の惨禍に日本が巻き込まれないためには、どのような事を模索してゆけば良いかの 一つの参考として今回の講演会は意義あるものであったと認識するし、今後もこのような講演会を 開く事で国民一人ひとりが真剣に考えていく場を提供していきたい。 ※講演を収録したCDを販売いたします。 9月上旬お届け予定です。 ご注文はjc@nipponkaigi.org にお名前、送り先、携帯など連絡先、申し込みセット数 を送信ください。 ・CD2枚組、収録約90分 ・定価:1575円(税込)、代引手数料及び送料600円 合計2,175円 ・発売:日本会議事業センター |