テイチク七不思議
商略逞しいテイチクイズム

★ 関西ならではの商法。

テイチクレコードの発足は昭和7年。奈良に本社を置くいちレーベルとして発足するが、その後古賀政男、美ち奴・楠木繁夫・藤山一郎等の入社やディックミネの発掘等で、一躍急成長を遂げ5大レーベルの仲間入りをするレーベルである。

さて、お手持ちのテイチクレコードと、他社のレコードを比べて見ていただきたい。キッチリ重ねて比べてみると解るのだが、「ほんの少し」小さいのがわかる。それとテイチクレコードは何故か聴きこんだ盤が多いのも特徴。何故であろうか?
テイチクレコードは他社のレコードよりも価格が安いのも特徴であり、その辺りに秘密がありそうである。

例えば盤をほんの少し小さくすることで100枚単位でプレスしたとき、普通の大きさの盤をプレスするときより一枚余計にプレスできるのであろう。また、盤質も故意に落とす事で早く寿命が来てもう一枚買わせようという魂胆であろう。(昔のレコードは消耗品であり、鉄針で聴き潰したら、同じ盤を何度も買う事は日常茶飯事であった)
とまぁ、こういった具合の大変商魂たくましい会社である。

★ 純国産レコード

テイチクは純国産を謳って発足した会社で、録音からプレスまですべて国産(機械等も自作?)という事になっている。
初期のテイチクの録音は手製のコンデンサマイクを使用していたというから泣かせる話である。昭和12年頃からマイクはWE-630(ダイナミック型)RCAのベロシティー(不明)自作のベロシティー等を使用したというから、この時点で純国産という条件は満たさなくなっているようにも思える。

さて、N盤の頃になると「ハイフレックス吹込」という表記がレーベルに登場する。これがどのような吹込み方法かは不明であるが、特段録音特性が変わったとも思えない。確かに昭和12年のいつ頃かから、録音方法を変えたのは確かではあるが、その後の特別な変化は無いようである。

★ テイクの多さ

さて、テイチクコレクターの一番の関心事は「この盤は所有盤とテイクが違うか」という事である。一般の方はこの一文を読んで「おや?」と思われるであろうが、実は戦前の10年から15年に掛けての盤 、特にN盤・A盤には同一の楽曲に「何通りもの」テイクが存在する。
そもそも、「宣伝盤」自体一般発売盤と全くテイクが違う。一般発売盤も大概2テイクずつ存在するのは当たり前で、多いものについては10テイク弱存在する。
内容も耳で聞いただけでは判別が不可能な位類似の楽曲から、編曲自体が違うもの、テンポが違うもの、合唱が付いていないもの、全部歌ってないもの(2番を歌ってないとか)などなど数え上げたらその違いまで様々である。

大概の大手レコード会社というのは「テイク番号」という刻印があり、録音時に何回原盤を切削したか、そのうちの何枚目の原盤なのかというデータが盤に記載(リードアウトの刻印)があるものである。
ところが、テイチクに関しては「一応」テイク番号はあるが、これが甚だ信用できない。同じテイク番号のように見えても内容は違っていたりという事は日常茶飯事。

ではどうやってテイクを見分けるか。。。
結論として溝の状態から推測するしかないのである。リードアウトが長いか短いか、はたまたリードアウトの溝の本数が何本か、かと思えばリードアウトの始まりと終わりの場所は何処かなどを総合判断するしかないのである。

そうなると、例えばお手持ちの藤山の盤も実はあなたが聴いている音源は他の人と共有しているとは限らないという事になります。ちなみに私は「東京ラプソディ」は2テイク存在する事を発見したが、この分だとまだ存在する予感である。「のぞかれた花嫁」もご存知の通り、発禁盤と、それ以外2テイクと合計3テイクは確認。。。

とまぁ、テイチクレコードコレクターはこういう具合でひとつの楽曲のテイクを研究することに没頭するのである。

そもそもテイクの多さは謎で、「マザーが沢山作れなかった」「本社と工場の意思の疎通が出来ていなかった」「短期大量増産の為に、スタンパを乱造した」などの説がまことしやかにささやかれているが、どれも根拠が無い。

★ レーベルの怪奇

テイチクのレーベルはコロコロ変化して大変難解である。
特にN盤となると多種多様である。ご存知の青地に金抜きの斜体「Teitiku」というのもあれば「Teithiku]というのもある。はたまたまるで花びらのような外形のレーベル。その中でも色が多種あり、中のデザインが同じでも形状が花びらではないレーベルもある。
これらの変化についての理由は全く不明である。どう考察しても法則性を見出せない。不思議である。

T盤になると初期はレーベル自体が大きめだが、そのうちに小型になる。大東亜戦争が始まるとオレンジのレーベルから楠公像の大写しの青径レーベル(以前の赤盤の再プレスレーベルに酷似したもの)に移るが、これまた時期によりどちらも存在する。

X盤になるとレーベルの活字が何故か手書きになる。これには説があり、X盤の頃にはレーベル製造は内職に頼っていたのではということ。確かにレーベルはハサミで切ったかの如く不恰好である。

そもそもテイチクは17年の合同合併の際に、南口重太郎社長がお上に盾突いて存続させた会社。大東亜レコード(ポリドール)と同じく物資の配給に困っていたようだ。

★ 粘土盤

粘土盤という言い方をする方もいるが、T盤の後期には新品の盤でもザラザラしていて大変品質が低下する。手でなでると怪我をしそうな手触りだ。臭いも独特の合成シェラックの香りがする。
推測であるが、配給のシェラックが他社よりも少なかったのではないであろうか。どうやら再生シェラック(不用盤を回収してリサイクルした原料)を多用したように思える。
特徴として何故かぶ厚い。ホルダーに入っていても上から覗けばT盤の後期盤が入っている事は年季が入ったコレクターならわかる者である。
何年も前、とある骨董市で「ケースまることでないと売らないよ。しかも中は見ちゃだめ」と業者に言われ、皆で辟易していた所。。。
とあるコレクターが「あのレコードの厚さはTかXの筈だ」とヤマを掛けて買ったら見事的中し、X盤の珍盤をごっそり入手したとか。やはりコレクターには年季と感がモノを言うことがあるものである。

音に関して言えば最悪で、まるで嵐の中で音楽を聴いているように物凄い轟音である。いくらダイヤの針で再生したとしても、鉄針のように減ってしまうのでは?と思うくらい凄まじい。

★ 小さめの袋

テイチクの盤が小型だという事は冒頭に記したが、当然袋も小型になっている。私は極力オリジナルの袋を入手する事に力を入れているが、どういうわけかテイチクの袋だけは不足してしまう。これには他社の盤を入れて破いてしまうという事が考えられる。
テイチクの袋は中期以後、歌手や演者の顔写真をふんだんに使用して大変にぎやかなものとなっている。また人気の度合いや力の入れようもその写真配置で一目瞭然である。
例えば赤盤時代の袋で多いのは何といっても古賀政男である、当時のテイチクではそれだけ古賀の力に頼っていたということがよくわかる。

写真で人気がよくわかるのはT盤の袋。写真の配置はコロコロ変わり、例えばディックが一番上で大きい写真があると、その周りに人気の順に「小野巡」「美ち奴」「塩まさる」「鶴田六郎」「服部冨子」・・・と段々に写真が小型になってゆく。これで力の入れようがよくわかる。
もう少し時代がくだり、小野の人気が安定すると裏面の一番上には小野の顔写真が来るようになる。これで、当時はディックと小野が二枚看板だったという事がよくわかる。

さて、もう少し時代が進むと突如N盤時代の袋が復活する。白黒で顔写真が片側に斜めに3枚ずつ並べてあるものだが、明らかに演者からしてT盤時代である。また材質も粗悪になり、商標もT盤の商標に変わっている。
骨董市などで、「なんだよこれ、時代が違う袋じゃねーか」と邪険にする前によくよくご覧あれ。藤山のポジションに鶴田六郎がいたり、違いに気づく筈である。

さて、つまらない話?(テイチクコレクターからすると大真面目な話)ですがテイチクの袋をよくよく見るとお尻の部分に芥子粒ほどの文字でローマ字と番号が刻印されている。これは何か?。
全く不明ですが、どうやら製作順に袋に番号が振ってあるらしい。私も含めたテイチクコレクターはこの番号にまで拘ってしまう。

★ センターレコード・スタンダードレコード

センターレコードという盤を稀に見かける。マイナーのように見えてどういうわけか楠木や藤山のテイチクの楽曲がプレスされている。また後期スタンダード(ハープと女性印)にも同様の傾向が見受けられる。

いったいこれはどういうことであろう。

仮説としていえるのは、テイチクの内部資料である金属原版を「誰か」が持ち出してこれらの第三会社に持ち込んで換金し、それを使用して海賊盤として発売したか、はたまたそもそもがスタンダード・センターがテイチクの子会社であるのかもしれない。
ただひとついえるのは、どちらのレーベルも「テレフンケン」「テイチク」「フクナガ」等の他社原盤も使用しているという事である。とにかく謎である。

★ 珍曲の宝庫

テイチクの魅力は何と言ってもその楽曲のバラエティーの広さであろう。それと大衆向きの楽曲が特に多く、我々コレクターを裏切らない珍曲も多い。

例えば「お洒落禁物」というディック(三根耕一)の曲だが、七・七禁令をテーマに扱った楽曲であるが、そもそも編曲が大久保のジャズアレンジであり、禁欲的な歌詞をディックが歌う辺りかなり面当てである。「葉巻・ウイスキー・金時計・絹のシャツは。。。殿方達よお互い気をつけましょう。。。」
と、思わず「お前に言われたくない!」というような楽しい珍曲である。

また服部の「東京の夢」は歌詞に「武運長久勝ち戦」「昨日兵士を見送った」等の時局的歌詞が散見されるが、アレンジは全くのスウィングジャズ。多分検閲を通過させる際に歌詞しか見ていないという事を見透かした計画的犯行(笑)な一曲である。

★ あるようでないれこーど

さて、よく藤山一郎を国民的歌手と評する事があるが、テイチク時代に関しては完全に低調であったようだ。シティーソングを歌っていたという宿命により、都市部での売り上げはあったとしても地方では左程売れていなかったようである。
いま藤山のテイチク時代のレコードを探すとなると出てくるのはありふれの盤ばかりで、ちょっと珍しいレコードを探そうと思っても至難の業である。

この理由には戦災で都市部に存在していた盤が焼失したということもあるが、後期の盤になると意図的にテイチクが宣伝をしないようになっている。 これは会社の藤山に対する個人的事情が垣間見れるが、ともかく歌は名曲だから売れるのではなく、今も昔も同じ「宣伝力」がモノを言うのである。

さて、こういった理由もさることながら、テイチク盤は特に関東ではなかなか見かける確率は少ない。やはりお膝元の関西には「関東に比べて」まだ出現の確率が高いようである。
これは逆も言えて、例えばキングは関西では大変売れてないレコードである。またタイヘイも関東では殆ど見ることは無く、関西で左程の盤でなくとも関東では大変珍重される。

こういった地域差は戦前の流行歌王国の「ポリドール」「コロムビア」以外のレコードはすべてにあるようである。

「テイチクはズル盤でも買え」という格言があるように、「それだけ」テイチクはその存在数が少ないレコードでもある。

2003.07.20 保利 透

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