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今回は教育のお話です。
私が看護教育に携わるようになってから、もう10数年もたってしまいました。 月日のたつのは早いものですねぇ。 それにしても教育というのは何年やっても難しい・・・。 教育に限らず看護もそうですけれど、人間相手の仕事は一筋縄ではいきません。 心理のお仕事もそうですよね。 本当にそう思います。一人の学生にうまくいったからといって同じ指導の仕方を別の学生にしてみたら全然違った反応が返ってきてうまくいかなかった、なんてことは日常茶飯事。 同じことをしても受け止め方は学生によってさまざまで、まったく難しい! たとえば、講義では板書が少なくて話を集中して聞けてよかったという学生もいれば、もっと板書してほしいという学生もいる。 実習では、先生がベッドサイドについてきてくれて丁寧に指導してもらえてよかったという学生もいれば、いつも先生にそばにいられてやりにくかったという学生もいる。 記録が多くて大変だという学生の声を受けて記録用紙を減らしたら、今度はもっと書く欄がほしかったという学生が出てくる。 などなど、数え上げたらキリがない! 学生って、ああすればこう言う、こうすればああ言うなんだから、 どうしろっていうんだー?まったくー!! はじめの数年間はこんな風についイライラしてしまうことがありました。 すべての学生が満足する教育を提供するなんて、はっきり言って無理なんだと心の中で思いつつ、でもそう思ってしまう自分が何かイヤで、そんな風に開き直ってしまってはいけない、やはりすべての学生が満足する教育を目指さないといけない。 でもそれはどこまで行っても学生と教員のイタチゴッコのような気もするし・・・。 と、この問題は解けないまま数年が過ぎました。 そして今から10年程前だったでしょうか。ついに私はこの問題の答えを見つけました。 私の見つけた答えは、「大体論」! 教育学の人が書かれた本に、まさにこの問題に対する答えが立派に論じられていたのです。 そこには、『クラス全体にせよ、各個人にせよ、やってよかった・面白かった・好きだ、という気持ちがおおよそ8割以上もあれば、成功とみなすことである。』と書かれていました。 「これだ!8割でOKと考えてよいのか!それならまだまだ新米教員の私の場合は7割、いや6割でOKとしよう! つまり、6割の学生がよいと思えばこの教え方でヨシとしてよいのだ!」 いやあ、ナント自分に都合のいい解釈を加えたことか。 我ながらあきれてしまいますが、それからの私は何事につけて6割でOK,6割でOK、と自分に言いつつ教育の仕事をしてきました。 この考え方はもともと大ざっぱな性格の私にはピッタリくるものでした。 向上心は一応あるつもりですが、完璧主義ではないんですね。 要するに自分に甘いところのある私にはピッタリでした。 たしか高校や大学の単位だって60点以上でもらえるし、国家試験だってそうだったじゃないか、6割あれば十分だ。 ずーっと「6割」と思い続けてきたせいで、あの本にもたしか6割と書いてあったように記憶が変形してしまったことに気づいたのは2年前です。
そんなに厳しかったっけ・・・。 それに教育の仕事もいつのまにか10年以上もやっているのだし、いくらなんでももう新米とはいえないし、仕方がない、そろそろ少しレベルアップして、私の基準は7割としないといけないな、と最近思っている次第です。 8割にしないところが相変わらず自分に甘い私です。 とにかく、人間相手の教育の仕事はこのくらいに考えた方が気持ちが楽になります。 同じようなことが子育てにも言えるのではないでしょうか?
皆さんも「大体論」はいかがですか? ちなみにその本は庄司和晃という方が書かれた『全面教育学の構想』(明治図書出版)という本で、教育について実に幅広い視野で書かれています。 実は、サイコロTown!をはじめて見たときにその構成がNatureとTownに分かれていて、心理学なのに視野が広いなあと思い、またその広がり加減があの本と似ていると感じました。 特に、Natureがユニークですよね。 あの本にも、山川岩石内教育、植物内教育、動物内教育など、自然と教育について論じてあって、共通点を感じます。 そんな幅の広さ、細かくなくて大らかさを感じさせてくれるところがサイコロTown!にハマってしまった一因でしょうか。
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