初めはいつも
物事の始まり!
  
初めてしゃべったときのことをみなさんは憶えているでしょうか。
私はしゃべり出すのが遅かったので 、そのときのことを未だに憶えています。
私が初めてしゃべった言葉は「じゃがいも」。
食事中に突然「じゃがいも!」と叫びました。
周りにいた人がとても驚いたのを憶えています。

私はすでに言葉は理解できました。
でも、しゃべったことがなかったのです。
母親がスプーンで私の口にお粥をいれました。
そして祖母と何か話をしていました。
そして私の口に、 またお粥。そして祖母と話。
またお粥。
私は目の前のじゃがいもが食べたくて、苛立ちました。

何とかしてこのことを知らせねばなりません。
しかし、またまたお粥。何とか知らせよう。 しかし、悩みましたよ。
本当にじゃがいもと言えるか?自信がありませんでした。

そして、またお粥が来た瞬間、「じゃがいも!」という叫び声が部屋にとどろき、周りの人は驚き静まり返るのです。
それ以来「じゃがいも」と言えます。自信があります。

初めて自転車に乗った時のことを憶えているでしょうか。
このあたりからは覚えている方も多いでしょう。
多くの人が幼稚園の頃前後ではないでしょうか。
補助輪つきから補助輪なしへの、一般的な、あの苦労のことですよ。

タイヤは3つだとこけません。
4つでもこけません。
ところが大変なんですよ。
2つのタイヤでもこけないことを心から 理解するのはね。
どう考えたって4〜5才児の物理学ではこけると結論づけられます。

他の人が簡単に乗っているのを見てもだめです。
必ずこけるに違いないと、かたく心に誓っているのです。
それで、お父さんが自転車の後ろを持って、こけないように支えることになります。
子供には自信がありません。
だから、絶対に後ろの手を離してほしくないのです。
ところがお父さんは「いつか手を離してやるぜ!ケッケッケ」 と恐ろしいことをたくらんでいます。

お父さんもそのようにして自転車に乗れるようになりました。
自転車に関してはお父さんの方がよく知っています。
自転車は2輪でもこけません。
その理由を知ってから自転車に乗ろうとしたら、いつまでも自転車には乗れません。
こけない仕組みを知ることと、自転車に乗れることとは、全く違うことなのです。
脳のなかでもそれぞれ違う部分が担当しています。
自転車がなぜこけないか、大人でも知る人は少ないでしょう。
でも乗っています。

やがて、初めて乗れる瞬間が訪れます。
でもとても頼りなくて危ないでしょう。
とても怖いと思いながら乗っています。
そして、どんどん上達します。
子供はそのとき、こけないことに自信があります。

車の運転免許を取るのは結構大変ですね。
多くの人は教習所へ通います。
教習所に通ったからと言って、 簡単になるわけではありません。
多くの学科教習と実技教習をします。

学科教習も疲れますが、初めて車の運転席に座ったときの疲れは格別の味わいがあります。
車を無事発進させることができるかどうか、こんな基本的なことが大問題になるのです。
車でどこかに出かけようとか、 買い物に車を使おうとか、そんなことは夢のまた夢!とてもできそうにありません。
今はオートマ免許があります。 その場合は、発進は楽でしょう。

次にやっかいなのは車庫入れでしょうか。
ウィンカーや安全確認でしょうか。
そのときはとてもうまくいきそうな気がしません。
卒業検定が間近に迫ってきます。
しかし、自信がありません。
それでも、どうにかこうにか免許は取れます。

さて、さらに免許を取ってから初めて、公道を車で走るとき、自信があるのは初心者マークの付け方だけです。
それから、一年も乗っていると初心者マークなどははどうでも良くなります。
そして、いつから運転に自信を持ったのかを心の中からいずれ消え去ります。

免許は取ったものの、車には乗っていないという人だけが、未だに自信を持てません。
  
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