教育論・第4章
家業と子供
  
他の国のことは、よく知りません。
日本の家庭は、何かと忙しい!
共働きなら、なおいっそう忙しいですね。
共働きでなくても、お母さんが専業主婦でも何かと忙しい!
だから、十分に子供をかまってやることが出来ない!ということは、日本では割と自然なことです。
子供が小さいうちは、四六時中遊びたがります。
お母さんは、心から子供が一人で遊んでくれることを願います。
そうでなければ用事が片づかないから!
だから、いろいろと工夫をします。
子供が大好きなビデオを見せて、子供が夢中になっている隙に洗濯を・・
それもなかなか良いアイデアだと思います。
お母さんも、ずっとずっと子供の相手ではとても疲れます。
たまには子供から解放されたいでしょう。
そして、そのことについて改めて考えてほしいことがあるのです。
だれが、掃除や洗濯を遊びではないと決めたのか?

突然、妙なことを言い出すようですが、
掃除や洗濯は遊びではありません。立派な家事労働ですよね。
しかし、それは大人の感性です。
「子供の感性は、違うかもしれない!」ということを考えてみる必要がありそうです。
ショートの「発達の芽」「経験」でも書きました。
子供は、何でもやりたがります。
人が何かをやっていると、それをまねしてやってみたくなるのです。
これは子供だけではなく、大人もそうなのです。
みんなが、または友達がインターネットをやっていると、自分もインターネットをやりたくなるのです。
心理学では「モデリング」と言っています。
お母さんが、掃除機をかけていると、小さい子供なら自分もやりたがります。
お母さんが洗濯をしていると、小さい子供は洗濯に興味を持ちます。
小さい子供は、それが遊びなのか、遊びではないのか、区別をしていない時期があるのです。
掃除や洗濯は、遊びではなく「大変な家事」だと教えたのは、何を隠そう親なのです。
私が3匹の子ぶた方式で足し算を教えた子供は、足し算の問題は楽しいクイズだと思っています。
でも、幼児教育雑誌の付録の「どれと同じ形かな?」というやつ、同じ形のものを選んで答える問題集!はイヤな勉強だと思っています。
さて、モデリングだけではありません。
子供は、お母さんやお父さんにかまってほしいのです。
だから、お母さんやお父さんが家で何かをやっていると、子供はじゃれついてきます。
そこで、子供はとてもじゃまだと感じます。
子供がじゃまして掃除が出来ない。
子供がじゃまして用事が片づかない。
小さな子供を持つお母さんは、時々子供のいない世界にあこがれますよね。
子供がいなければどれほど静かでのびのび出来るか!
親が、家で用事をしているとき、子供はじゃまをせずおとなしく一人で遊んでもらいたい。
多くの人がそう願います。
「でも、その背景には、子供は子供らしい遊びのみをするものだ!」という思いこみがあるのです。
しかし、子供は子供らしい遊びのみをするとは限らないのです。
自分で歩き、言葉を理解するようになれば、家の用事の手伝いが出来ます。
子供によって年齢は違いますが、1歳半〜2歳!
それは、子供にとって、家族という人間社会への参加なのです。
遊びだとか遊びでないとかの区別はいりません。
家族という人間社会に参加しているという実感は、子供の孤独を癒すのです。
そして、自分の価値を確認するのです。
家族から、邪魔者扱いされていないと確信するのです。
とても大切なことだと思います。
ちょいと話は変わります。

食事の支度をしている最中だと思ってください。
2歳半の子供がとても退屈していました。
お母さんに話しかけても、遊ぼうと誘っても、「忙しいからあとで!」と相手にされないからです。
子供は手におもちゃを持っていました。
それで遊びたかったのです。
私は、その子に言いました。
「いいのを持ってるなあ!」
すると、その子は私が相手になってくれると思って、私のところに来ました。
そこで、私が言います。
「そのおもちゃをこっちに運べる?」
その子は、おもちゃを運びました。
そこで私は、
「おっ!運べるなあ!じゃあこれは?」
といって、食卓に運ぶべきコップを一つ手渡しました。
「これをあそこに運べる?」
その子は運びました。
そして、次はできあがったおかず!その子の父親に出すビール!
私は、言いました。
「きっと、お母さんが助かるから喜ぶよ。はい次はこれ!」
見ている大人は、心中穏やかではありません。
とても危なっかしいからです。
その子はおかずをこぼしそうになりながら、よちよちと運んでいます。
大変スリルに満ちています。
でも、その子は役立っている自分自身にご満悦です。
私は言います。
「もしかすると、落としてしまうかもしれないけれど、かまわないよ。まだ、2歳だからね。でも3歳の大きなお兄ちゃんになる頃には上手に運べるぞ!」
そして、私の目の前で、どんどんと上達していきます。
私は一言つぶやきます。
「この子は社会に役立っている!」
その子は、「自分は役立つ存在である」という自信に満ちた、いい顔をしていましたよ!
さて、私は、その子の「遊びたい」という気持ちから、「運べる」という能力に、その子の注意を転換しました。
ここで、やったのはたったそれだけのことです。
ただ一つ、知っていたことは、
小さな子供にとっても、人に役立つということは大きな喜びだということです。
「子供は、余計なことはしなくて良い!」という思いこみは、必要ありません。
そして、当然、子供には十分な能力は備わっていません。
だからこそ、失敗する権利を与えてあげると良いのです。
この場合なら、しっかりとお手伝いが出来るようになるまでに、皿20枚、コップ20個、を割ってしまう権利!そして、絨毯や床を汚す権利!を与えてあげるといいと思います。
親として、子供に与えてあげることが出来る最高のプレゼントだと思います。
もちろん、必ず失敗します。お皿を割ることはまず間違いないでしょう!
割ったときは、その子に「割ったときの片づけ方」を身につけてもらうチャンスです!
子供を相手にするということは、子供のために遊んでやることとは限りません。
子供は、単に食事を与えられ、遊んでもらうという存在ではありません。
その家庭にとって、重要な戦力の一人です。
  
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