| 家業と子供 | ||
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他の国のことは、よく知りません。
日本の家庭は、何かと忙しい! 共働きなら、なおいっそう忙しいですね。 共働きでなくても、お母さんが専業主婦でも何かと忙しい! だから、十分に子供をかまってやることが出来ない!ということは、日本では割と自然なことです。 子供が小さいうちは、四六時中遊びたがります。 お母さんは、心から子供が一人で遊んでくれることを願います。 そうでなければ用事が片づかないから! ◆
だから、いろいろと工夫をします。子供が大好きなビデオを見せて、子供が夢中になっている隙に洗濯を・・ それもなかなか良いアイデアだと思います。 お母さんも、ずっとずっと子供の相手ではとても疲れます。 たまには子供から解放されたいでしょう。 そして、そのことについて改めて考えてほしいことがあるのです。 ◆
だれが、掃除や洗濯を遊びではないと決めたのか?突然、妙なことを言い出すようですが、 掃除や洗濯は遊びではありません。立派な家事労働ですよね。 しかし、それは大人の感性です。
「子供の感性は、違うかもしれない!」ということを考えてみる必要がありそうです。ショートの「発達の芽」「経験」でも書きました。 子供は、何でもやりたがります。 人が何かをやっていると、それをまねしてやってみたくなるのです。 これは子供だけではなく、大人もそうなのです。 みんなが、または友達がインターネットをやっていると、自分もインターネットをやりたくなるのです。 心理学では「モデリング」と言っています。 お母さんが、掃除機をかけていると、小さい子供なら自分もやりたがります。 お母さんが洗濯をしていると、小さい子供は洗濯に興味を持ちます。 小さい子供は、それが遊びなのか、遊びではないのか、区別をしていない時期があるのです。 掃除や洗濯は、遊びではなく「大変な家事」だと教えたのは、何を隠そう親なのです。 私が3匹の子ぶた方式で足し算を教えた子供は、足し算の問題は楽しいクイズだと思っています。 でも、幼児教育雑誌の付録の「どれと同じ形かな?」というやつ、同じ形のものを選んで答える問題集!はイヤな勉強だと思っています。 ◆
さて、モデリングだけではありません。子供は、お母さんやお父さんにかまってほしいのです。 だから、お母さんやお父さんが家で何かをやっていると、子供はじゃれついてきます。 そこで、子供はとてもじゃまだと感じます。 子供がじゃまして掃除が出来ない。 子供がじゃまして用事が片づかない。 小さな子供を持つお母さんは、時々子供のいない世界にあこがれますよね。 子供がいなければどれほど静かでのびのび出来るか! ◆
親が、家で用事をしているとき、子供はじゃまをせずおとなしく一人で遊んでもらいたい。多くの人がそう願います。 「でも、その背景には、子供は子供らしい遊びのみをするものだ!」という思いこみがあるのです。 しかし、子供は子供らしい遊びのみをするとは限らないのです。 自分で歩き、言葉を理解するようになれば、家の用事の手伝いが出来ます。 子供によって年齢は違いますが、1歳半〜2歳! それは、子供にとって、家族という人間社会への参加なのです。 遊びだとか遊びでないとかの区別はいりません。 家族という人間社会に参加しているという実感は、子供の孤独を癒すのです。 そして、自分の価値を確認するのです。 家族から、邪魔者扱いされていないと確信するのです。 とても大切なことだと思います。 ◆
ちょいと話は変わります。食事の支度をしている最中だと思ってください。 2歳半の子供がとても退屈していました。 お母さんに話しかけても、遊ぼうと誘っても、「忙しいからあとで!」と相手にされないからです。 子供は手におもちゃを持っていました。 それで遊びたかったのです。 私は、その子に言いました。 「いいのを持ってるなあ!」 すると、その子は私が相手になってくれると思って、私のところに来ました。 そこで、私が言います。 「そのおもちゃをこっちに運べる?」 その子は、おもちゃを運びました。 そこで私は、 「おっ!運べるなあ!じゃあこれは?」 といって、食卓に運ぶべきコップを一つ手渡しました。 「これをあそこに運べる?」 その子は運びました。 そして、次はできあがったおかず!その子の父親に出すビール! 私は、言いました。 「きっと、お母さんが助かるから喜ぶよ。はい次はこれ!」 見ている大人は、心中穏やかではありません。 とても危なっかしいからです。 その子はおかずをこぼしそうになりながら、よちよちと運んでいます。 大変スリルに満ちています。 でも、その子は役立っている自分自身にご満悦です。 私は言います。 「もしかすると、落としてしまうかもしれないけれど、かまわないよ。まだ、2歳だからね。でも3歳の大きなお兄ちゃんになる頃には上手に運べるぞ!」 そして、私の目の前で、どんどんと上達していきます。 私は一言つぶやきます。 「この子は社会に役立っている!」 その子は、「自分は役立つ存在である」という自信に満ちた、いい顔をしていましたよ! ◆
さて、私は、その子の「遊びたい」という気持ちから、「運べる」という能力に、その子の注意を転換しました。ここで、やったのはたったそれだけのことです。 ただ一つ、知っていたことは、 小さな子供にとっても、人に役立つということは大きな喜びだということです。 「子供は、余計なことはしなくて良い!」という思いこみは、必要ありません。 そして、当然、子供には十分な能力は備わっていません。 だからこそ、失敗する権利を与えてあげると良いのです。 この場合なら、しっかりとお手伝いが出来るようになるまでに、皿20枚、コップ20個、を割ってしまう権利!そして、絨毯や床を汚す権利!を与えてあげるといいと思います。 親として、子供に与えてあげることが出来る最高のプレゼントだと思います。 もちろん、必ず失敗します。お皿を割ることはまず間違いないでしょう! 割ったときは、その子に「割ったときの片づけ方」を身につけてもらうチャンスです! ◆
子供を相手にするということは、子供のために遊んでやることとは限りません。子供は、単に食事を与えられ、遊んでもらうという存在ではありません。 その家庭にとって、重要な戦力の一人です。 |
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