誉めるということ、叱るということ。
ポジティブフィードバック、ネガティブフィードバック
  
誉めるということ、叱るということを再検討して、新たな教育の考え方を検討してみましょう。
そもそも、誉める叱るはポジティブフィードバック・ネガティブフィードバックの内の1つです。
教育法として全く効果がないわけではありませんが、「誉める?叱る?」で書いたように、簡単なために使いすぎる傾向と、 副作用の問題があります。

誉めるというポジティブフィードバックから考えてみましょう。
それの中には、親の評価が含まれています。
つまり他者の評価なのです。
子供の自己評価ではありません。
そして、自分の行った行為ではなく、他者の評価が重要な要素としてクローズアップされてきます。
誉められるということは子供にとってとてもうれしいことなので、子供は大きく感情を動かすことになります。
だから、自分の行った行為よりも、良い評価を下した親の姿の方に子供は関心を持ちます。
その結果、誉められたいという願望が先行して、よい行いをすることは忘れられていくのです。
「親に誉められること」を、もっと簡単に手に入れたくなります。
つまり親が「誉める」という行為をするのであって、自分自身が何かを行うということではなくなるのです。
さらに、誉められるために、親の注目を得ようとしますが、十分注目が得られないと今度は親を困らせることによって関心を引こうとしますね。


叱るというネガティブフィードバックは、子供にとっては強烈に不幸な体験です。
子供に恐怖を与えて、ある行為を行うこと、またはやめることを強要することです。
子供は、恐怖を憶えるだけではなく、親の行為に対する反感を持ちます。
恐怖が先行する間は、子供はおとなしいのは当然ですが、子供が十分に強くなった後は反感が先行します。
叱れば叱るほど言うことを聞かなくなります。親に対する反感や恐怖は社会に対する反感や恐怖へと広がる可能性が高いことも まずいところですね。
そして、自分の行いよりも、「叱った親」に対する恨みへと子供の気持ちは向きます。
この場合も、相手の行いへと意識が向きます。
子供自身の自己評価ではなく、親が叱るのか叱らないのかという親の行為に対する評価が中心になり、 叱られなければ何をやっても良いという判断になります。
「誉める叱る」の場合、共通することは、他者からの評価であること、そのときの感情が強いことです。
これらが1セットになると、思わぬ副作用が増してしまうでしょう。
私は、副作用のない教育方法はないと思っています。しかし同じ種類の副作用を積み重ねるのは危険だとも思っています。
だから、副作用の分散が重要ではないかと考えるのです。
副作用を分散するためには、しつけや教育の手段を分散することだと思います。
「誉める叱る」はフィードバックのほんの一部にすぎません。
いろいろなポジティブフィードバック・ネガティブフィードバックがあります。それらを使い分けて副作用の分散を計るといいでしょう。
具体的な方法はサイコロTown!の中で紹介していきます。
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う〜ん、また今回は、格別まじめに書いたもんだ。
こんなに「まじめ」を、やっていると疲れますな。
  
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