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2002年

[243] 温故知新 投稿者: 投稿日:2002-12-06 (Fri)
今、古典を読んだり聞いたりしようとしています。
新しい文化を創造するためには、『温故知新』の字のごとく
古きものを温めることが第一歩なのかなと思ったわけです。
今日は、レンタルCD屋さんに行って、落語のCDを
借りてきました。それが途方もない量あるので
とりあえず、姫路にちなんだ演目を一つ借りてきました。
来年の全二回の公演のおおまかなテーマは
「地域密着」とした以上、姫路や姫路近郊の歴史なんかを
綿密に知ることが大切です。
まだまだ郷土の事の知らない部分が多いです。
それを丁寧にひとつずつ読み込んで
面白い題材を探す旅にでようとしはじめたところです。
貧乏暇なし・・・公演すんでも何かしてないと
落ち着かない性分になってしまったみたいです。
1月中旬まで、こういった作業を繰り返し
5月末か6月の初旬にやる公演のことを考えてみたいと
思います。
そして、それ以外に「いい音楽」を探すべく
いろいろな曲をいっぱい聴いて、自分の引き出しに
蓄えておこうと・・・・・
「いい構図」を探るために、「いい映画」・「いい絵画」
「いい建造物」をいっぱい見て、引き出しに
貯めておこうと・・・・・
蓄えては吐き出し、また貯める・・・・その作業の繰り返し
なのかもしれません。でもこういった作業の源である所の
何かを創造しようとするエネルギーはマグマのように
熱く、いつも燃えています。
それが私にとって「生きること」なのかもしれません。

[242] 地域密着で行こう!! 投稿者: 投稿日:2002-12-04 (Wed)
第三回公演が終わり、まだ一週間も経っていませんが
来年の第四回・第五回のコンセプトを夜な夜な考えている。
仕事場で公演に来ていただいた方々(ほとんど私より年配
なのですが)から忌憚のない、様々な意見を聞きました。
嬉しいです。みなさん、真剣に劇を見てくださったと
思える意見ばっかりなものですから。
演劇の良さは何かということを考えたとき
映画やテレビは同時に多くの方々が、全国各地で見れますが
演劇だけは、その場に居合わせないと見れない・・・
役者と観客が同じ空気を同じ時間に吸っていることが
「良さ」に繋がっていると感じています。
そうしたとき、姫路で公演を行う以上、この街に根ざした
この街の人々が共感できるテーマを持った作品にしたら
どうですかというサジェッションがありました。
私もそのことは頭の片隅にありましたが、時期といいますか
タイミングといいますか、まだ自信がなかったのかも知れま
せんが、今まで、それをやらなかったのが事実です。
三回やって、右も左もわからなかった
『この街での演劇にまつわる、様々な事象』が
右側くらいは、ぼんやりとわかってきた感じがしています。
来年こそは、地域密着で行こう!!
この播州地方にまつわる話を題材にして公演しましょう!!
そう思うようになってきました。
少し、「ほっ」としています。
漠然ですが、光が少し見えてきた感じがするからです。
明日から、いや今日から、資料作成の毎日が続きます。
内容に関しては来年一月の中旬に発表します。
姫路という街をこよなく愛している方々が
多く参加されることを願っております。
来年のキーワード・・・それは『地域密着』です。


[241] 一枚のアンケート 投稿者: 投稿日:2002-12-02 (Mon)
アンケートの一言、一言に一喜一憂するのは
あまりよくないなぁと思いつつ、一喜一憂してしまいます。
今日の書き込みで「愛里」という役柄を演じた「ゆう」さん
のを読ませていただいて、私も昔、25歳の頃のときの
『一枚のアンケート』のことが頭に浮かびました。
あれは忘れもしない15年前の春3月・・・・
京都は下鴨の無門館(今は劇研という名称だそうですが)
で私の作・演出でやった芝居のアンケートのことです。
タイトルは、(お恥ずかしいのですが)
『風のグラジュエーション』といったベタなものだったので
すが、そのお芝居のアンケートが今も忘れることができない
でいます。芝居の内容は、卒業をしたくない、大人に
なりたくない女の子の物語だったのですが、そのアンケート
には、以下のような内容が書かれてありました。

「私は明日、田舎である和歌山に帰ります。
 京都での学生生活、あまり、いい思い出がありません
 でした。情報誌で昨日、この芝居があることを知り
 やってまいりました。
 来て、よかったと思います。
 ありがとうございました。今は、とても元気です。」
 
知り合いでもない、ふらっと来られた方が
まして、明日、電車に乗って田舎に帰られる卒業生の方が
私たちの芝居を見に来ていただいて、このようなアンケート
を書いていただいたこと・・・やってて、よかったなぁと
救われた気がしました。
なぜ今の演劇に携わっているのかという問いの
答えの一つがここにあるようです、自分なりに分析すると。
すべての人々に満足できるものを作るのは
並大抵のことではないでしょうが、それができなくても
ちっぽけでも、一人の人間の心を動かしたんだなぁと
思うと嬉しくて、嬉しくてなりません。
人のエネルギーは、悔しさや屈辱や敗北感などを見返すもの
ではなく、素直に他人様に喜んでいただいたときに生まれる
喜びからくるものであってこそ、本当にいいものが
作り上げられる・・・・そんな気がしています。
より一層、いいものを・・・再考した一日でありました。

[240] 第三回公演を終えて 投稿者: 投稿日:2002-11-30 (Sat)
今、実際は12月1日の午前二時十五分です。
今日が芝居の楽日でした。打ち上げが今さっき
終わってパソコンに向かっています。
ご来場していただいた皆様、ありがとうございました。
そしてお手伝いのスタッフのみなさん、ありがとう。
そしてスタッフ・役者のみんな、ご苦労様・・・・です。
いろいろな方々によって演劇が支えられていることを
実感できるのが、この楽日であります。
そして自分が、なぜ演劇に携わって生きていこうとしているかを実感できる日でもあります。
姫路という地方都市、しかも古い伝統を重んずる城下町で
演劇という馴染みのないものを普及するのは
大変だなぁと実感する日でもあります。
公演を重ねるたびに、段取りと言いますか
要領はよくなってきていますし、公演に携わるスタッフも
多くなってきてはいるのですが、いかんせん、宣伝不足なの
か来場者は横ばいです。もっと多くの人に見に来ていただき
たいのですが、どうも芝居をみるというと、おおげさなので
しょうか、大変さがまとわりつくのでしょうか・・・・
気軽さはありません。「お気軽に」といったフレーズが
ありましたが・・・お気軽にするのも、見るのも
なかなか難しいことなんでしょうね。
私的には、気楽にやって、さくっと見ていただける感じに
いつもいつもできればなぁと思ってはいるのですが。
まだまだ三回くらいでは、そのような雰囲気には
到達してないのでしょう。
反省点は多く、ひとつずつ、ひとつずつ、亀の歩みでも
それを解決してゆくよう努力していこうと思います。
また明日から始まりです。
今回、出演された方々とは、情がうつっているのですが
いったん、その思いを断ち切り、また新たな4回目に
向けて始動しなくてはならないとも思います。
もし今回参加された方々でまた参加されようと御思いなら
気持ちも新たに、あたらしく参加しようと思ってらっしゃる
方々と一から作り上げる覚悟できていただきたいと
思います。一期一会・・・それが合言葉ですから。

[239] 本番当日です。 投稿者: 投稿日:2002-11-29 (Fri)
とうとう29日になってしましました。
本番当日です。
芝居作りが生活の一部のように、のん気に悠々と
できればいいなぁと、少し前に思ったこともありましたが
ホールに入ってみると・・・・てんやわんや・・・・
そんなこと言っていられません。
あわただしく一日がすぎるばかりです。
貧乏暇なし・・・いつになったら悠々とできるのでしょう。
今回に関して言えば、初めて芝居をはじめた役者さんが
よく頑張って、練習に参加し、伸びてくれたことが
真っ先に思い浮かびます。
はじめてかどうか、お客様はわかりません。
役柄のまま、いいか悪いか判断します。
その点では初心者ぽくなくなっている気がしています。
一つの役柄をもらい、一生懸命にそれを演じようとする姿が
あります。テクニックを駆使するプロの役者さんよりも
演技的には下手ですが、けなげに、前向きにやってやろう
という意志を感じます。
練習でマンネリになったことなど一度もありませんでした。
新鮮でした。毎日が。
その新鮮な生きのよさを今日からの公演に
思い切ってぶつけて欲しいとおもっています。
いつか書きましたが、この『home@home』は
あなたたちのために書かれた作品でありますから。
二度と再演されないであろう、この本の最初で最後の
演技者として、舞台で暴れまわってほしいです。
後は無事に怪我なく初日を終えられることを
祈っています。
『夢見てたんやろか?』・・・・という台詞があります。
今日・明日と同じ夢をみんなで見ることにしましょう。
「お芝居」という夢を・・・・ね。

[238] ホール入りした水曜日 投稿者: 投稿日:2002-11-27 (Wed)
今日、午後からホール入りをしました。
あっという間の時間が過ぎてゆくのが仕込みの初日です。
今日も今日とて、知らぬ間に時間だけがどんどん過ぎてゆきました。今日の一日は24時間なかったかのように・・・
ホールはイーグレひめじの地下にあるアートホールという
所なのですが、あまり演劇として使うには
設備がよいほうではないのですが、空間の広さが
私の目指す芝居の空間と一致しているので、ここを
使っているわけです。
キャスパホールで一度、やりましたが、大きすぎて
また白塗りの壁のような外装が気に入りません。
芝居と言うのは、ちょっとおどろおどろしい見世物小屋
のような雰囲気を持っているものだと勝手に思っているので
ここの広さ、暗さの方を設備の充実よりも優先的に
選んでいるわけです。
今回のお芝居は登場人物7名ですが実質は5名の芝居です。
5名くらいなら、ちょうどいい空間かなぁと
終わり間際の練習を見て、そう思いました。
出入りに気をつけたり、吊った照明のシュートをしたり
音量を調整したり、だいたい予定どおりの一日で
終えることができました。明日、一日は朝から晩まで
役者中心の練習です。ころころ気が変わる私は
明日になって、その空間ならではの新しい演技を
つけるかもしれません。多分、つけるでしょう。
最後の最後までよりよいものを求めて・・・・
ホールにずっと入っていると、いったい今日は
何日なのか、何曜日なのか、わからなくなります。
『いったい今日は何曜?月曜?火曜?土曜?
木曜かな?・・・・・金曜?』
こんな台詞を言う毎日が後三日続きます。
すんでから『夢やったんかなぁ?』てなことにないように
かみしめて冷静にホールと仲良くしてゆこうと思います。

[237] 木だけが生きている。。。 投稿者: 投稿日:2002-11-25 (Mon)
ゲネプロを4回やりました。
後はホールに入ってからの一回だけです。
ゲネが後一回・・・本番が二回です。
そう思うと・・・そう思うと・・・残りわずかだなぁ
淋しいです。もっともっとゲネをやりたいというのが
本音です。この一週間でゲネをしていて
お客の立場で見た場合、今回の芝居で私が一番
印象に残っている台詞があります。
それは『木だけが生きている』という台詞です。
劇中劇で『ゴドー』のまがいものみたいな芝居を
するのですが、ゴドーから取り込んだ台詞も
何箇所かあって・・・その中のひとつが・・・これです。
今日、仕事場に行く途中
姫路の大通りに立っている、黄色く紅葉した銀杏の木や
公園の周りの木を眺めてしまいました。
いつもは何も感じないのに・・・『木だけが生きている』
という台詞が頭にこびりついているものだから
あっちこっちの木が気になって仕方がない病に
かかったみたいです。
木も生きてるんやなぁ・・・そうなんや・・・・
私も生きてるんやけど・・・・この台詞はなんやろ・・・
木だけが・・・木だけが・・・生きてるんやって
どういうこっちゃ・・ベケットさん!!って
言いたくなる奇妙な感覚であります。
その変な感覚が嬉しいというか心地よいというか
自分的には好みというか、いいですね。とっても。
ついつい家でもこの台詞につられて
『時計だけが動いている』なんて、言っています。
感化されやすい性分だと思います。
のりやすい性格だとも思います。
そういうのって『お調子者』って世間ではいうのかも
しれません。
まぁ、この芝居終わるまで、この台詞に限らず
自分の書いた台詞を含めて、いろんな台詞のことで
影響を受けつづけるのでしょうね、多分。
終わるまでには、いっぱい感化されて
脳裏に焼き付けておくことにしましょう。
あと本番まで4日だというのに・・・呑気な調子者です。

[236] 酔いしれていては。。。 投稿者: 投稿日:2002-11-23 (Sat)
台詞を読む際に、効果としてBGMをかけます。
そのとき、わたしが一番してほしくないことがあります。
それは『酔いしれないでほしい』ということだけです。
曲調にあわせて、ついついムードのある曲ならムーディに
もの悲しい曲調なら、さびしく台詞をいってしまいがち
です。それでは、つまらないし、面白くないのです。
曲調は曲調です。そのシーンにあうように音響さんが
選んでいます。それと同調して自分の読む台詞の
リズムをそれに合わしてしまうと同じ調子の音が
二つ聞こえてくるわけで、台詞の意味が伝わらなくなる
のではないのでしょうか。
悲しいシーン、悲しいBGM、台詞だけは
強くて、いきがっている、堂々と語っている
・・・・悲しみを堪えながら。
そういうのが私の趣味といいますか・・・好みです。
効果的な演出かなとも思います。
今回も後半で詩のような台詞を3人が交互に
言うシーンがあります。今日もゲネでしたが
そのシーンを口を酸っぱくして言っているのが
『酔いしれるな』『曲に台詞をあわせるな』です。
誰でもできる簡易な方法を排除し
その人間の悲しみをこらえて、強がっている部分を
悲しいシーン、悲しいBGMが流れる中
だしてもらえれば私的にはOKです。
そのことの延長線上には
BGMのない場面においても、台詞をどのように
読めば、伝わるか・・・・感動させられるか・・・
のヒントが隠されている気がしています。
酔いしれた俳優をみても、自分の世界にはいっているだけで
お客さんは遠い感じがするだろうなぁ・・・と思います。
酔いしれるのは明日から止めにしましょう。
黙々とひたすらに演技をしながらも
冷静な自分がいなければ、何も伝わらないでしょう。
自分が客になった場合、空気が別世界であると感じる
行動をとった役者は見たくないのです。
酔いしれること、それは『ひとりよがり』の
始まりですから。

[235] ドラフト会議 投稿者: 投稿日:2002-11-21 (Thu)
子供の頃の「夢」・・・プロ野球の選手
野球少年でした。学校から帰ったら、近くの神社の広場で
いつもいつもボールを追いかけていました。
中学校に入っても野球部に入りましたが
視力が著しく低下しため、好きな野球をやめました。
でも野球をしなくなった今でも
少年の頃、バットの芯にボールが当たった心地よい感触は
忘れてはいません。
昨日は年に一度のドラフトでした。
多くの選手がプロ野球に入れるか、否かの日です。
悲喜こもごも、いろんな気持ちが揺れ動いた日だと
思います。
特に逆指名で入った有名な指名選手よりも
下位で指名された選手に頑張ってほしいものです。
契約金は下位のほうが安いですが
これからは一位も七位指名も同じラインに立つわけで
努力しだいで、何億もかせげるプレイヤーに
なれるわけですから。
我がタイガースは11名の指名をしました。
札束の力でぺタジーニを口説き落とした巨人
いつもいつも逆指名でアマチュアの一番手をとる巨人
・・・・巨大戦力の東京読売巨人軍を・・・・
・・・・倒すべく・・・阪神に入団して・・・
頑張ってほしいものです。
そうでなきゃ、野球が面白くなくなるのです。
一つだけが強くて、何が面白いのでしょうか。
なんか阪神以外の4球団に巨人を倒す意気込みを
感じられないです。
星野阪神、二年目のシーズン、あなたたちが
甲子園で活躍する姿を望んでいます。頑張れ!!

[234] あーよかったな。。。と思うこと 投稿者: 投稿日:2002-11-19 (Tue)
四十です。もうすぐ厄です。
まさか、自分が四十になるとは・・・早いものです。
多分、五十になっても、六十になっても・・・まさか
私が・・・と多分、そう思うのでしょうね。
四十の私が今、二十の人々と『お芝居』をしていること
素直に・・・『あーよかったな』と思います。
学校の演劇顧問の教師なら、学校の部活などで
定年まで演劇に携わることができるのでしょうが
私の場合、普通の市井の勤め人です。
こういった身分で若い才能のある人々と『芝居作り』を
共に苦悩しながらできるのは幸せものかもしれません。
そして、S−PROJECTに応募して来ている人たちは
芝居作りに対して真摯な態度で取り組んでくれいます。
そういった態度を見ていると・・・『あーよかった』と
思います。
今まで二回、今回が三回目でいろんな人々が集まって
来られましたが、だんだんと集まってくる人々の質というか
真面目さというか・・・演劇に対する強い思いというか
・・・しだいに・・・よくなっている感じがします。
初期の頃は・・・応募して出ることが決定したにも
かかわらず、急に連絡がとれなくなり、本番三日前に
連絡がやっと取れた人なんかもいました。
聞いてみると、バイトにあけくれていたそうです。
可哀相な人だと思いました。彼女は多分、今のままでは
何もつかめないまま、人生を終えるのだろうなぁ・・・
一つの事柄を一生懸命にやることの大切さを
わかって欲しいなぁ・・・素直に、そう思いました。
物質的に豊になり、欲しいものが増えているのは事実です。
車、バイク、洋服、アクセサリー、etc
でも人間同士の信頼や信用は『お金』では買えないのです。
『でます』・『参加します』・『なんでもやります』
私やその他大勢の前で言った言葉が
ええかげんな態度をとっていると空虚なものになって
不信感を抱かせているとは、思わないのでしょうか。
演劇とは役者・スタッフまた役者でも主役・脇役
だれひとりかけても成立しないものです。
大切なのはチームワーク・お互いを信頼する気持ちです。
今回の役者さんたち・スタッフの方々、すべて私は
信頼しています。信頼できる人々だと確信しています。
後わずか・・・・あなたたちといて
『あーよかった』という思いを最後まで持ち続けたいと
思います。そうすれば、おのずと
結果は見えてきそうですから。

[233] 演出日記 vol.5 投稿者: 投稿日:2002-11-17 (Sun)
今日、初めて衣装もつけての『通し稽古』をしました。
全体的にレベルと言いますか、練習した分だけは
着実に上手になってきていると思います。
しかし・・・・哀しいかな・・・・・
昨日まで、よかったシーンが悪くなり、昨日、最悪だった
シーンが良くなる・・・日替わりメニュー状態です。
このことは、あまりよくないことです。
毎日毎日、いいシーンと悪いシーンがある。
やるたびに、それがころころと変わる・・・それは何故か
答えは簡単です。集中力が一時間半、続かないからです。
それと芝居を一時間半するスタミナがないからです。
スタミナは無理かもしれませんが、集中力は
変えられると思います。
一時間半のうち、どれだけ気をはって、集中するか否か
その量に比例している思います・・いいシーンの
全体に占める割合は。
多分、アマとプロの差ってここなんだろうと思います。
プロはステディです。同じ芝居を何ヶ月も続けても
笑かすシーンは、わらけるし、哀しいシーンは
涙ぐめるし・・・・計算されたとうりに進みます。
初日に来た人にも・・・3日目に来た人にも・・・
同じような気持ちにさせてくれます。
はやく私たちも「その域」まで達しないと
いけないなぁと・・・ふとリハを見てそう思いました。
集中するには、やはり台本を何度も何度も
時間があれば読み返し、練習でも目一杯、動いて
それだけやったんだから・・・・何も怖くない・・・って
言えるくらいの自信を持てるかによる所が大きいと思います
練習して・・・練習して・・・一杯失敗して
後は本番では楽しく、リラックスして、演技を
すればいいのではないかな、と思います。
残りわずか・・・いいシーンを今よりいっぱい作って
お客様に喜んでもらいましょう。

[232] 演出日記 vol.4 投稿者: 投稿日:2002-11-15 (Fri)
昨日、本番と同じ場所・・アートホールで練習をしました。
照明担当者がはじめて来たので、最初から時間を計りながら
通し稽古みたいなものをやりました。
正直、ホッとしました。それは公演時間のことです。
人間の集中できる時間は、お芝居の場合、休憩を入れずに
だいたい一時間半くらいだと思っています。
その時間くらいに今回の公演時間が収まりそうです。
でも、ホッとできないこともありました。
それは役者のひとりが、あまり台詞を覚えていない
ということです。彼以外の人はほとんど入っています。
彼だけが覚えていない。覚えていないと、自信がないから
声が小さくなる。早口になる。カツゼツが悪くなる。
悪循環のオンパレードです。
彼は努力をしているのか?疑いたくなります。
努力という言葉を使うのが恥ずかしいくらいです。
役者にとって台詞を覚えるのは当たり前のことです。
その作業を怠っている感じがします。
下手でもいいのです。不器用でもいいのです。
高校野球で全力疾走する選手を見ていて、心地よくなる。
そんな芝居でいいと思います。最初は。
あまりにも・・・あまりにも・・・・だったので
怒ってしまいました。
正直、あまり怒りたくはないのですが
真剣に音を出しているスタッフ・・・照明プランを
真剣に構築しようと、お芝居を見ているスタッフ・・・・
舞台袖でスタンバイして、真剣に見つめる舞台スタッフ
わざわざ今回の芝居を記事にしていただくために
来ていただいた新聞記者の方・・・・
多くの人が真剣に見つめている舞台に立つのです。
それなら、それなりの努力をして、真剣に役者を
演じてほしい・・・・頑張って欲しい。・・
ただ、それだけです。
時給750円の喫茶店で汗水流して働いている
芝居好きな女性が、公演を楽しみにしていたら
・・・彼女の2時間の労働をこのままでは無にすることに
なると思います。・・・・毎日、毎日、シナリオと
向き合って、シナリオが溶けるくらい何度も何度も
言葉をだして声にして・・・覚えてくれることを望みます。
後二週間、彼がどのように変わるか、変わらねば
変えさせるか・・・・私はいつも真剣です。


[231] オモイッキリ。。。 投稿者: 投稿日:2002-11-12 (Tue)
後二週間と少しで公演です。
なかなか練習が思うようには進まないけれど
面白い芝居になる予感はあります。
お芝居もタバコやお酒などの嗜好品のように
人ぞれぞれ、好き嫌いがあると思います。
今回は自分で本書いているので
とっても自分的には面白い作品だと思っています。
それが唯一の救いかもしれませんが・・・・・
舞台にのせる以上は演劇的に面白く仕上げなければ
なりません。本を読んでいるのではなく
舞台は視覚・聴覚などの五感に働きかける部分が多いので
そのあたりを上手に見る側に伝えなければと
常に思っています。
オモイッキリ・・・という言葉があります。
関西弁なら・・・おもくそ・・・になるのでしょう。
台詞が心もとなかった状況から役者さんたちも
台詞をこなしてきたようです。
後は・・・オモイッキリ・・・おもくそ・・・です。
舞台ではじけて欲しい・・・そう思っています。
何の関係も今まで持たなかった人間が集まって
ひとつの芝居をつくっています。
高校の同級生でもなければ、幼馴染でもない
ただ『ホーム・アット・ホーム』という芝居のために
参加してきた人々たちです。
このことは、よくよく考えてみると凄いことだと
思います。
私の性格から多分、この芝居を再演しないでしょう。
自分が書いた作品はいつも、その時代とともにあると
思っていますので、何年か後にしても
あまり意味のないことじゃないかと・・・考えます。
そうすると、ある意味、今回の役者さんが最初で最後の
この本のプレイヤーということになります。
まぁ・・なんて・・・凄いこと・・かもしれないと
一人・・・思ってしまいます。
あなたたちの為にある芝居であり、あなたたちの為にある
戯曲ならば・・・・もっと、もっと楽しんで欲しい
おもいっきり、はじけて欲しい、大きな声で
大きな手振りで、おもくそ、おもくそ・・・オモイッキリ
飛び跳ねて欲しい・・・そう感じはじめた
残り二週間とちょっとです。
私も楽しみます。お客さんも楽しみます。
そして・・・・あなたたちも・・・・・ね。


[230] 知ってもらう努力 投稿者: 投稿日:2002-11-10 (Sun)
今回から協賛という形で姫路市における企業や自営業の
方々に援助をしていただくことを始めました。
お金が足りないとか、そういう経済的な意味合いは
あまり大きくはありません。総予算にしめる割合は
協賛予定数が満杯になったとしても6分の1程度のもの
です。なぜ、このようなことをしようとしているのか
それは、二つの意味合いがあります。
芝居にはお金がかかります。それを参加している人々に
わかってほしいことがひとつあります。
S−PROJECTは劇団費もチケットノルマも
ありません。コピー代程度の実費を一月に1000円ほど
いただいているだけです。それにあぐらをかいて
『知ってもらう努力』を怠っている人々がたまにいます。
一番最初にした『ドラキュラ』という芝居をした時のこと
誰がどのくらいチケットをさばいたか、またその人が
配った当日精算券で何人が公演を見に来たか・・・など
きっちりと公演後に統計をとったことがあります。
その中で、少数ではありますが、チケット販売が0
当日精算できた人も0・・という役者の人がいました。
準主役の俳優さんでした。はじめて来た人にいろいろと
指導もしていました。演劇のことも詳しい人でした。
しかし、誰にもチケットを売らず、また当日精算券の客も
いないし、本当に『知ってもらおうとする努力』をしていた
のか・・・疑問に思いました。
演劇を普及さすには、演劇そのものを理解してもらうことが
必要だと思います。S−PROJECTに入いれば
ただで芝居ができると思われるのは悲しいことです。
よって協賛してもらうべく、企業やお店に行って
自分たちのことを知ってもらう、わかってもらう作業が
このことで参加している各人に自覚してもらえればと
思っています。
もうひとつは、リサーチといいますか、演劇というものに
対して、どのような感覚で外部(企業とか自営の方々)
の方たちが受け止めているのか。
それが狙いでもあります。多分、多くの協賛者は得られない
かもしれません。でも、協賛していただく説明をする中で
いろいろと相手の考え方が見えてくることがあろうかと
思います。それが、この町で演劇文化の向上を目指すという
命題を解決する上でのヒントになるんじゃないかと
思います。哀しいかな・・・日本は芸術的なことに
あまりお金を使いたがらない国です。
政治家は道路や橋、市井の人々は食べ物や着る物
目に見えるもにしか、お金を使わない感じがします。
それを根底から覆すために、町の演劇関係の外の意見を
聞く、うってつけの作業として、この協賛があるならば
有意義なことになるのかなぁと考えています。
明日からも仕事・・・練習・・・協賛活動・・・
忙しい日々が続きます。
『知ってもらう努力』・・・『相手を知る努力』・・・
闘いは続きます。



[229] 本気モード突入。。。 投稿者: 投稿日:2002-11-07 (Thr)
今日、練習でした。やりたいことがありすぎて
3時間ではぜんぜん時間が足りないといった感じでした。
集まりもいいし、発声している役者陣の気合の入った
練習を見ていると、本気モードに
入ってきたのかなと思います。
私の場合、本気モードに自分が入ったかどうかの
目安はひとつあります。それは、本気モードに
なると、ずっと・・・ずっと・・・永久に練習を
していたいと・・・思うようになることです。
自分勝手な基準ですが、そんな感じです。
今日、今回の芝居の練習で初めて、そう思いました。
このまま、この役者さんたちと、ずっと永久に
練習をし続けていたいなぁ・・・と。
そろそろ私もエンジンがかかってきたみたいです。
そのような心持ちに今回もなれたことが
まず嬉しいし、役者さんやスタッフさんたちの意気込みに
のせられてるなぁと感じています。
あぁ・・演劇っていいなぁ・・・舞台作りって・・いいなぁ
と思える自分が幸せ者なんでしょうね。
毎日毎日、ここちよい緊張感の中で生きていける喜びも
感じています。
いつかは公演日が来て、公演をして、思い出に変わることは
重々承知してはいますが、そういうのを飛び越えて
今ある練習が永久に続ければと思うようになったのは
前回の『SーPRO版 熱海殺人事件』からです。
それまでは何度も公演はしてきましたが、あまり
そういった事を感じたことがありませんでした。
純粋に何かを追い続ける人々の姿を見ていると
そのような気持ちになるのでしょうか。
明日からも練習は本番まで続きます。
今の心持ちが最後まで続けば、きっといい芝居に
なっています。
いざ・・勝負!・・勝負!・・・本気モードの始まりです。



[228] 怒るとき 投稿者: 投稿日:2002-11-05 (Tue)
芝居の演出していて、怒るときがあります。
「こうやって下さい。」と言って、できなくて怒りは
しません。まだまだ、この時期、できなくて当たり前です。
怒るときは、役者が失敗して笑ったり、演技を急に止めたり
音響でもそうですが・・・・自分の失敗によって
時間を中断したにもかかわらず、その後も
それを引きずって、なかなか次に進行していかなく
なったとき非常に腹立たしくなります。
練習の時間って無限にはありません。
貴重な時間です。それを個人的なことで
多くの人間の動きが止まり、また、それが長引くと
いらいらしてゆきます。
練習で本番同様の緊張感を持てないものが
いい芝居ができるわけがないと思っています。
舞台に立つということは怖いことです。
真剣勝負です。
それができるようになるには、常日頃の練習から
いつも本番モードになっていないと痛い目にあいます。
痛い目にあってから、後悔しても 後の祭りです。
後4週間、後悔のないように全力で集中して
練習する心構えを役者陣もスタッフも持って
臨まないといけないと思っています。
お金をだして、見に来ていただいた「お客様」に
下手でも真剣に取り組んでいるところを見せることが
最低のラインだと考えています。
その最低ラインの上に何本の線が描けるか
今からが勝負です。
あまり私が怒ることなく練習ができることを
望んでいます。


[227] 『きっかけ』 投稿者: 投稿日:2002-11-03 (Sun)
練習、仕事、練習の毎日です。
今回のお芝居のテーマは『ふるさと』です。
おおまかすぎるかもしれませんが、『ふるさと』です。
homeという英語は『家』という意味もありますが
ふるさと・故郷という意味で考えました。
拉致被害者の方々の問題が取り上げられていた
今年の5月くらいのことです。
もし、拉致されたまま、異国で生涯を終えることになった
としたら、その死ぬ間際は彼らがどのような感情を
もって自分の生涯を振り返るのだろうか・・・
単純にそう思いました。拉致されたこと自体、とっても
不条理なことです。その不条理さに・・何を思うのだろう。
多分、自分の人生における不条理な不遇さよりも
ただ単に『ふるさと』に帰りたい・・・ただ、それだけ
思うのではないか。あくまでも私の憶測ではあるのですが。
これが、今回のシナリオを書く「きっかけ」です。
私も約40年生きてきて、ふるさとである、この姫路の地に
20年、他の場所に20年・・・半々に暮らしてきました。
同じ日本の地ではありますが、自分の生まれ、育った
場所のことを片時も忘れたことはありませんでした。
「ふるさと」を考えると言うことは
自分を考える、自分の原点を考える、そういった事に
つながっていると、ふと思います。
いろんな事で悩み、いろんな事でつまずき、いろんな事で
やりきれなくなる・・・そういったとき、まず浮かぶのが
ふるさとの山であり海であり川であり、そこに住む人々
かもしれません。
もし、これを読まれた方で「ふるさと」を感じたいならば
「自分」を見つめなおしたいならば、どうか今回のお芝居を
御覧になって下さい。
拉致された5名の方々は「ふるさと」に帰ってこられて
本当に幸せそうですが、その裏側に、もしかして
まだ生存していて、北朝鮮で望郷の念をもって暮らしている
方々がいるかもと・・・あまのじゃくな私は、そう
思ってしまいます。
そういった方々には私どもの芝居で言う台詞は聞こえない
かもしれません。でも実際、演じている役者、スタッフは
我々の想いが届くことを祈っています。
人を想う心・・・それは「ふるさと」を想う心に
つうじるものですから。


[226] シナリオ完成で・・・ひとまずの・・「ほっ」 投稿者: 投稿日:2002-10-31 (Thr)
シナリオを書き始めて約一ヶ月、やっと完成し
今日の練習で役者やスタッフの方々に最終稿を
手渡すことができました。
10月末をひとつのメドにしていたものですから
何か自分との約束を果たせて、ほっとしています。
昨日、朝4時まで無理してでも机にむかって
よかったです。
今回の芝居のプロットは何ヶ月も前から
いろいろと考えていました。
プロットをもとに参加される人数(今回は7名)によって
どのくらいの世界がひろげられるか
また、その参加された方々の演劇的技量も分析もして
各役者たちを配役し、芝居をどのように構築してゆくか
・・・・・そういった思いをいつも頭に入れながら
シナリオを書いた一ヶ月でありました。
将棋で強くなるには、自分より少し強いくらいの人と
将棋をさしなさいと言う言葉を聞いたことがあります。
私も同じ考えで、舞台に出る役者を今より、もっと
魅力的に引き出すには、彼が持っている役者の技量よりも
少し難易度の高い技量を求めます。
それによって、その役者の反応を見ることがあります。
できない・・と、へこたれる者
どうにかして、やってやろうとする者
どちらが私好みかは、わかろうかと思います。
常にたたかい、常に上を見ている人こそ
いい俳優になれるような気がします。そういう人が
大好きです。向上心がなければ、なにもなりませんから。
より・・いいもの・・・より・・・面白いもの
より・・・より・・・・・より・・・
この「〜より」という貪欲な姿勢がたまらくいいのです。
明日から11月、今回の役者陣が
どのように化けてくれるか・・・楽しみです。
シナリオ書き終わったことで、真剣に演出として
彼らに向かい合えることも・・・楽しみです。
いろいろな場所から集まった7人です。
私も「ほっ」とせずに、あなたたちを真剣に見つめていこう
と思っています。
シナリオ書き上げたくらいで・・・ほっとしていられない。
でも今日くらいは、ほっとさしてくれ!!
でも貧乏症の私が言うのです。
「ほっ」とするのは、今回の芝居がすんでからだよって。

[225] 演出日記 vol.3 投稿者: 投稿日:2002-10-29 (Tue)
もう後三日で11月です。
わきあいあいと練習をするのも、あと三日です。
11月になれば、鬼に化さなければ、いいものは
できません。役者と演出の本当の闘いが始まるのが
11月です。
今度の役者陣たちは、あまり変な癖のある人々が
少ないので、毎日、少しずつですが成長しているところが
見ていてわかるので、練習していても楽しいです。
高校演劇かなんかやっていて、演劇をあまり知らないけれど
偉そうに「こうやれ!」「ああやれ!」とのたまう
馬鹿な顧問の教師によって、多分、変な癖がつくのだろうと
S−PROを始めて、実感しています。
演劇を志す生徒は多分、真面目な人が多いので
その顧問の教師の言うことを立派なことだと
ついつい思ってしまい、(オウム真理教の麻原のごとく)
変な癖が知らず知らずの間についてしまうのだろうと
勝手に分析しています。
ゴルフでもゴルフを少し、かじったくらいの人に
教わると、変な癖がつくのと同じように。
変な癖がつくと、こちらが言ってもなかなか直りません。
芝居によって、脚本によって、それぞれ
読むリズムや動きが変わってくるのにもかかわらず
いつも同じリズム、同じような動きしかできないことは
可哀相に思えてきます。
いろんな引き出しがあって魅力的な俳優になれるのに
一度、演劇をやったものだから、それに胡坐をかいて
進歩しようとしない人がよくいらっしゃいます。
前にやった自分を捨て去り、新たな自分から
新たな芝居をスタートをさせたとき、うるものは大きい
はずです。まぁ、これは芝居だけのことだけでは
ありませんが。
捨て去ること・・・こそ、進歩への第一歩だと思います。
恥ずかしがらずに・・・今までの自分を捨てて
彼らがこの芝居にどのように取り組んでくれるか。
楽しみにしましょう。

[224] 寒い夜に。。。お寒い話を 投稿者: 投稿日:2002-10-27 (Sun)
寒気が南下してきているようで
今日の夜は非常に寒いです。あともう少しの台本を
書き上げなくてはならないのですが、暖房のない北向きの
部屋でパソコンに向かっていますと、寒くて頭も
まわりません。今日は、このエッセイだけ書いて寝ようと
思います。・・・皆さん、風邪にはご注意を。
そんな寒い夜、最近のニュースで一番、気になっていること
があります。それは、経済の話です。
竹中財務・金融大臣 vs 銀行の話です。
銀行の不良債権問題でどれだけ時間をかければいいの
でしょうかねぇ。もう死にかけの人がいて、いますぐ
人工呼吸しなければならないときに、「あなたは病人だから
いい病院を探してあげましょう。」って言ってるみたいな
感じで討論しているように思えてなりません。
株価が下がってもいいじゃないですか
デフレになっていいじゃないですか
不況・大恐慌・・・来てもいいじゃないですか
ずっとソフトランディングといって、生ぬるいことばかり
やってきて今の状況になったのではないのですか。
私は竹中氏がやろうとすることを応援したいし
今やらなければ、いつやるのだろうと思っています。
官僚たちが・・・天下りをした馬鹿な元・官僚たちが
銀行の馬鹿な経営者たちが・・・・苦しめばいいのです。
失敗したら、竹中氏に責任をきちんと取るのかと
言葉で脅す貴方達は、何の責任をとってきたのですか。
マネーゲームばかりして、金から金を生むことを
もう、やめにしましょうよ。
日本人の良さは、勤勉さです。こつこつと汗水流して
頑張って、働いてきたからこそ、ある程度、物質的に
豊かになれたのだと思います。
ある程度、豊かになったら、次は心の部分で豊かになること
に、お金を使うようにはならないのでしょうかねぇ。
このままじゃ、心が寒くて、凍傷を起こしそうです。
はやく、そのことにも気づき、今の改革を進めていって
いただきたいものです。
小泉さんも、しょうもないマスコミへのパフォーマンス
ばかりせずに、もっと、もっと自分の言葉で
国民に語りかけてほしいものです。
大切なのは、政治家にたいする根回しじゃなく
国民に対しての理解だと思うのですが・・・

[223] 空気 投稿者: 投稿日:2002-10-25 (Fri)
お芝居の練習をするなかで、最近、つくづく『空気』というものが大切なんだなぁと感じています。
配役は決まっているのですが、私の場合は
その役の役者の台詞を練習で違う人にやってもらうことが
よくあります。いろいろな人が読むことによって
その配役の役者さんにいろいろと考えてもらいたいというの
が、その狙いであります。
人は千差万別、それぞれの雰囲気を持っています。
その雰囲気が、そのシーンの空気をかもしだしていると
思っています。雰囲気をいかに作るかによって
そのシーンの空気が違ってくるようです。
しかし、その元来、各人が持っている雰囲気を
だせない人がいます。いいものを持っているのに
なかなか、それがでない。それを導くのが演出家の
役割のひとつだと思っていますが、演出家頼みでは
困ります。役者自身が変わってもらはないと、いけません。
持っている良い雰囲気がだせない理由がなんだろうと
考えると、それは「羞恥心」という言葉がひとつ
頭に浮かびます。殻をなかなか破れない理由が
それによるのかなとも思います。舞台に立つと言うことは
どうことなのか・・・・見られよう・・・自分を見てくれ・
私の存在を見てください・・・逃げも隠れもいたしません・
・・どうぞご自由に・・・もうまな板の上の鯉・・・・
っていう感じで、いい意味での『開き直り』が必要に
なってきます。テクニックはその後だと思います。
心の持ちようをいかにつくっていくか・・・・
これからの練習で変化してゆくことを期待しています。

[222] 演出日記 vol.2 投稿者: 投稿日:2002-10-22 (Tue)
今日の練習は本読み中心の練習でした。
どのような音をだすか・・・役者さんがだす音を
集中して、耳をすまして、聞き入っていました。
今月の初めの火曜日にシナリオを渡して、初めて読んで
もらったときから、この三週間でみんなは
確実に進歩しているなぁと今日ふと感じてしまいました。
若い人々の吸収する力は凄いなぁと感じています。
この前のエッセイで日本橋まで音響機材を
買いに行ったことを述べましたが
その商品が、次の日に着いて、今、その音を聞いています。
大きな出力のアンプから、その大きな出力を
ささえるに充分なスピーカーから小さな出力で音をだすと
とってもひとつひとつの音が鮮明で
耳障りのいい音に聞こえてきます。
役者さんも、それと同じことが言えるのかなぁと
今日の本読みをして、そう思いました。
複式をちゃんとやって、体を鍛えて
自分のアンプを大きくして
正しい口の開け方をして、口としてのスピーカーから
その音をだす。
やっと・・いい音がでてきた・・・・そんな感じです。
しかし、これが一時間半前後の長丁場で
動きもあり、いろんな段取りもあり、様々な制約の中で
いい音が出せるものかどうかは、これからです。
スタミナ・・・それを養う体力増強は各個人個人に
まかせています。役者陣が毎日、こつこつと
腹筋や背筋や腕立てやマラソンなどの走る作業を
してくれていると信じています。
限られた練習時間で短期間で芝居を作っているので
体力向上の練習はあまりできないものですから。
体力もそなわり、役者としてのアンプとスピーカーを
手にしたなら、後に残っているのはひとつ。
どのような音をだしてゆけるのか・・・ただそれだけです。
いろんな音をだすには、鍛えたらできるものではなく
その人の感性みたいなところがあります。
いろんな、いい音をいっぱいいっぱい聞いて
口真似でもいいから、自分で口にして、言ってみると
いいかもしれません。モノマネをしている人が
人のモノマネをするとき、似せようと思った人を
観察します。特に話し方、声の大小、声のトーンなど
さまざまなファクターで研究します。
マネをしようとする人の声を聞き、その特徴をとらえ
何回も何回も練習して自分のものにします。
われわれはモノマネする芸能人ではないですが
その手法だけは、お手本にしてもいいかもしれません。
そうすれば、いいアンプにいいスピーカーに
いい音源がある・・・・いい役者がいる・・・・
存在感をしめせてこそ、役者があるのですから・・ね。



[221] テント芝居 投稿者: 投稿日:2002-10-20 (Sun)
通常のホールじゃない場所でいつか公演したいと
最近、つとに思います。
芝居のことを考えて作った箱がないから、そう思うのかも
しれませんが・・・それとは別に、自分たちが自分たちの
演劇空間をつくるところから始めるって
とても、楽しい作業かなって思います。
それにはテント買ってきて、照明機材や音響機材などを
買うか借りるかして、自前でテント芝居してみたい気が
しています。この前、第二回公演にでていた山原君と
話していて、冗談で5周年記念には、大手前公演で
木下大サーカスにも負けないくらいのテントを張って
芝居したるねん!どうや!って、いきがってしまいました。
半分冗談、半分本音って感じで、いつか、いつの日にか
テントでやりたい・・・そう思います。
生まれて初めて、自分の「お金」で見に行った芝居が
状況劇場だったからかもしれませんが
あのときの衝撃は、今も忘れてはいません。
ラストシーンで今まで舞台の背景だったセットが壊れ
その後に、後ろのテントが開き、主人公が星空が見える
自然の世界の中へ消え去っていくのをみたとき
震えが止まらなかったことを覚えています。
自分たちの手で、あのようなことができるようになれば
結構、きちっとした芝居の打てる集団になっているかも
しれません。まだまだ、よちよち歩きの段階で
こんなこと言うのは、お恥ずかしいですが
『念ずれば花開く』という言葉があるように
それを夢みて、頑張っていこうと思っています。
 次回公演まであと約一ヶ月です。
こんな悠長なこと、言ってる場合じゃないのですが。

[220] 移動時間に? 投稿者: 投稿日:2002-10-18 (Fri)
今日は休みだったので、大阪の日本橋まで行ってきました。
目的は音響の機材をいろいろとみるためです。
まぁいろいろといろんな電気屋さんがあって
面白かったというのが感想です。
中古の音響機材の店に行くのが第一目的なのですが
行く途中行く途中に、寄り道をしてしまうくらい
様々なものを売っている店があって時間のたつのを
忘れるくらいでした。
たまに、ひとりで姫路じゃない町をぶらぶらするのも
いいものだなぁと感じました。
行きかえりはJRの新快速だったのですが
普段あまり、いやほとんど電車に乗らないもので
電車の中の風景をじっくり観察してしまいました。
電車に乗ってる時間って、人間にとって
たんなる移動時間なのでしょうが、人それぞれに
いろいろな行動をとっているようです。
私が一番多いのは、外の景色を見ている時間で、その次が
寝ている時間かなと思うのですが、今日の観察では
年齢によって行動が分かれているように感じました。
10代から20代であろう人は、ほとんどといっていい
くらい携帯電話をいじくっています。メールしたり
ゲームをしたりしています。ペースメーカーの方が
いるので電源を切ってくださいのアナウンスの下。
わたしが立っている真下に座っている20代の女性は
テトリスをしています。「おい!おい!そこちゃうやろ!
えっ!それでは点にならへんやん。」
六万点プレイヤーの私は彼女に教えたくなります。
30代から40代のサラリーマン風の人は
新聞か雑誌を読んでいます。
私の右下の人は経済誌を読んでいます。
「ホンダが業界売り上げ・二位のごまかし!」
こんな見出しの所を黙々と読んでいます。
左の立っている人は「日本シリーズに向けて!西武の戦い」
スポーツ関係の雑誌を読んでいます。必死で揺れと
たたかいながら。
二列くらい向こうで50代と60代のおばちゃんは
二人でぺちゃくちゃ、お話をしています。
まわりの目をまったく気にしていない様子です。
・・・・・電車の中にいると・・・・
いろんな人々がいるのがわかります。
もう二度と会わないであろう人々・・・・・
いままで知り合った人の何倍も何倍も
多くの人間がいることを痛感さしてくれます。
そう思うと、今回の芝居もそうですが
ご縁ができた方々を粗末にしてはいけないのだなぁと
こっそり思った・・日本橋・日帰り・ショッピングでした。




[219] 拉致された人々の帰国。。。何を思ってこのニュースを見ましたか? 投稿者: 投稿日:2002-10-16 (Wed)
北朝鮮に拉致された人々5名が一時にせよ帰国しました。
彼らの5名やそのご家族の様子がテレビから流れるたびに
私は複雑な気持ちになります。
素直に喜べない・・・・問題は何も解決していないから。
誰も真実を知ることはできないかもしれません。
洗脳されて、北朝鮮の不利益になることを彼らは
言うはずがないとテレビにでている評論家は言っています。
インタビューも疲れているという理由だけで
一言だけコメントして、その場から立ち去りました。
もっといろいろと話したいことがあるのでしょうが
誰かがシナリオを書いているのでしょう、後は
その家族の人々のコメントに終始しました。
ご都合主義的なシナリオを書いたものだと
テレビを見て、そう思いました。
本当のことを言いたいのに、言えない拉致被害者に対しての
配慮なのでしょう。でも、彼らこそ、この事件の生き証人
であります。人情的な部分を越えて、今後、このような事が
起こらないためにも、今こそマスコミは真実を追求し
伝えるための努力をすべきじゃないかと思います。
それを私たち、国民が後押しする空気をつくって
ただ帰ってきたから、よしとする甘い考えや情緒的なものを
きょくりょく排除して、この事件に対峙しなければ
ならないと思います。
今度のHOME@HOMEという芝居の中で
私なりに、この拉致問題を取り上げています。
拉致されて、このように帰国できずに
年老いていった老人がいるとしたら、彼はどのような気持ち
で祖国を思い、家族や愛する人を思うのだろうか。
ずっと何かを待っている、ひとりの老人の妄想。
満たされないときこそ、人はいろんな事を思い
たたかい、もがき、自己を見つめるのではないのかな
そう、思ってシナリオを書いています。

『ふるさとは遠きにありて思うもの
 そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて
 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆうぐれに ふるさと思い涙ぐむ
 そのこころもて 遠きみやこにかえらばや
 遠きみやこにかえらばや』

室生犀星のこの詩が浮かんでは消え、また浮かぶ
今日は、そんな夜になりそうです。




[218] 第四位・・・明日につなげて! 投稿者: 投稿日:2002-10-14 (Mon)
本日の甲子園の中日戦で阪神タイガースの公式戦は
終了しました。
結果は66勝70敗4引き分けでした。
思い起こせば、開幕から7連勝したときは
今年こそ優勝だと多くのファンが思いました。
でも結果は第四位でした。
4年連続で最下位のチームが8年ぶりに4位に
なったことを思えば、よくやったと褒めてあげたいと
素直に思います。
去年の12月の星野監督就任以来、めいっぱいに
走り続けてきた感じがします。
最後まであきらめない試合が多くて、勝ち負け関係なく
いい試合が多かった気がします。
優勝を目指しているのは当然ですが
その過程において、情熱を感じさしてくれる、いい試合が
来年も数多くみられたらなぁと思います。
遠山、葛西、星野、伊藤・・・・打てない時代に
毎日毎日、リリーフで踏ん張っていた選手たちが
今日で引退しました。
遠山選手の涙を見て、こちらもなんだか泣きそうになって
しましました。お別れは淋しいけれど、彼らの思いは
ひとつ、自分たちが味わえなかった優勝を目指して
来年こそ頑張ってほしいということなのでしょうか。
阪神ファンになって何十年たつかわからないですが
もし星野監督の時に優勝があるなら、おもいっきり
優勝した日に泣ける気がしています。
星野仙一は男の中の男だと思います。
強きをくじくことに生きがいを感じる男だと思います。
阪神ファンだった私が今は星野ファンになっています。
男・星野が胴上げされる姿、見たいものです。
この一年、星野さんをずっと見続けてきた上で
私が彼の男気に惚れたのですから。
「明日からがはじまりです。」
今日の甲子園の星野監督の一言が
すべてをあらわしています。

[217] ノーベル賞 投稿者: 投稿日:2002-10-11 (Fri)
最近、暗いニュースが多い中で
ノーベル賞の話題はとってもいいです。
特に化学賞とった島津製作所の田中さんは
庶民的な人柄でとっても親近感が持てます。

ノーベル賞をとるために、大学で研究をし
学会で発表を重ねる、どこかの名誉教授がいますが
その欲深い人々を押しのけての受賞は
なんだか、無欲の勝利って感じです。
難しい理論を展開して、とった賞ではなく
実験を重ね、また失敗を繰り返しながら
実社会のために、実用性のある発見が
こうして賞に選ばれたことに
ノーベル賞を選ぶ方々の良識をうかがいしれることが
できたような気がします。
賞と名のつくものは、どこか、うさんくさい部分があって
主催する側にとって、都合のいい方・・・・
たとえば、○○の女王を選ぶ場合、その主催者の取引先の
娘さんを選ぶか、それより少しだけ綺麗な長屋の娘を
選ぶかなら、まぁだいたい前者を選んでいたような
場合が多いように思います。
いつも年末のおこなわれるレコード大賞なんかは
私の予想がいつもくつがえされて、大きな事務所の
タレントが新人賞や特別賞や大賞までも持っていきます。
数字にでない賞を人が選ぶということは
難しい作業だなぁとつくづく思います。
なんの圧力もなく、既成概念にとらわれず
選ばれることが大切なのですが・・・・ねぇ。

化学賞をとった田中さんの人生が
これから変わるのは確実です。彼が、この賞をとっても
今と変わらず、普通の一サラリーマンとして
粛々と研究ができるか、淡々と驕らずに生活できるか
それが彼にとって重要なことだと思います。
いろんな所からくる講演依頼を断り、今のフィーバーが
冷めるのをじっと待って、さりげなく、仕事を
していってもらいたいものです。
そして、新たな発見をして、我々にとって有意義なものに
それを発展させて欲しいものです。

[216] カメレオン 投稿者: 投稿日:2002-10-08 (Tue)
詩をばひとつ

タイトルは『カメレオンは、かわいそう』

人の中にもカメレオン 
そいつは、いつも、ころころと
会うたびに 言うことを変える
いつか 誰からも 相手にされなくなるよ
言っても 利かぬカメレオン
今日も 今日とて 言うことを変える

カメレオンはかわいそう
カメレオンは 誰からも 相手にされず いつも ひとり
いっそ あの夕陽の中に飛び込んで
夕焼け色に 染まってしまえば
いいのだろうと 思う勇気もなく
ころころと ころころと
言うことを変える 

鏡に写らぬカメレオン 
自分のことが知りたくて
鏡の前にたつのだけれど 自分の色がわからずに
戸惑い 苦しみ その結果
何も写らぬ保護色に 変化してゆくカメレオン
鏡の前でも ころころと ころころと
その姿を変える

カメレオン あぁカメレオン
一度 わたしが 君のいっぱい持ってる色の中から
保護色という絵具をとりだして あげようか
いつも 自分を守ってばかりじゃ
いつも 一人ぼっちだから
いつも 自分を守ってばかりいたら
いつも 幸せになれないから
君が幸せになるように 君が君自身の手で闘えるように
友達いっぱい 菜の花畑で 写真を撮ろうね
そのときの君の色は もう黄色じゃない
僕と君が 鮮明に 肩くみあっている姿
僕は
宝物にしたいんだ 宝物にしたいんだ

[215] ふるさとの『祭り』 投稿者: 投稿日:2002-10-06 (Sun)
播州地方はこれから祭りシーズンが始まります。
私も高校生のときは、屋台をかついでいましたが
大学行ってからは、ちょうど、この頃は秋季公演の
真っ最中ということで、姫路には帰ることが
できませんでした。それから、しだいに疎遠になったと感じ
です。姫路に帰ってきた今は、参加するというより
まわりから見守る一観客として、祭りをみています。
観客のひとりとして、祭りをみていると
「私のふるさとは、ここなんだなぁ」とあらためて
感じずにはいられません。
幼い頃、あの大きな屋台を大きな声で担ぎ上げる様子を
見て、一種、恐怖心や大人になったら自分も担げるように
なりたいなぁっていう憧れがありました。
いろいろな年代で、いろいろと祭りの日に思ったことが
蘇ってきます。
今の私にとって、祭りは、過去を蘇らせてくれるイベント
みたいです。今年も仕事終わってから、祭りを見にいこうと
思っています。いったい今年は何が私の脳裏に
浮かんでくるのか・・・・楽しみです。
そして、小学校の初恋の人に会うかもしれないとか
草野球を一緒にやった悪がきだった連中に会うかもとか
会ったら、ちょっと恥ずかしいなぁとか
なんて言って、会話をしようとか
まぁ、いろんな事を考えながら、観客としてみるわけです。
両親は、多分、私のそんな思いはしらず
いっぱいの手料理とお酒でもてなしてくれるのですが。
ふるさとがあって嬉し、祭りがあってなを嬉し
今年の秋は、邂逅の秋になるかもしれません。

[214] 演出日記 Vol.1 投稿者: 投稿日:2002-10-04 (Fri)
第三回公演の練習は、10月からはじまっています。
初めて演劇を経験される人が多く
基礎の、基礎の、そのまた基礎の・・・ところから
練習している日々であります。
練習して、つくづく感じることは
正直いって、ちょっとくらい演劇をした人間と
あまり差異がないということであります。
確かに、発声とか体の使い方などぎこちない部分は
まだありますが、正しい練習方法さえやっていければ
一ヶ月くらいで、高校演劇を少しかじった人くらい
いけるようになります。
ようは感性であり、演じよう、何かを伝えようという
気持ちだと思います。意識をどのように持つか
それが大切なことだと思います。
今回の役者陣には、やってやろうとする意気込みみたいな
ものを感じています。練習して成長してやろう
自分がやらされてるのではなく、やっているのだという
能動的なものを感じます。
不安いっぱいでスタートした今回でしたが
その不安も、彼らに会うたびに、少しずつ小さなものに
なっていく感じがしています。
凝り固まった演技しかできない、何も知らない、勘違いを
している役者よりも、やわらかく、しなやかで、何でも
吸収してしまう彼らのほうが演出していても
やりがいはあります。
最後まで今と同じ気持ちで練習すれば
とっても、いい芝居になる予感がします。
多分、初めての芝居作りは、彼らにとって、とっても
濃度の濃い日々になるかと思います。
ひとつの物事の真理を見るには、多くのものを犠牲にして
それに対峙しなければ、ならないこと
わかって頑張ってほしいものです。
最後の公演が終わった時、何を手にすることができるのか
今から楽しみです。


[213] まんてん・・・・作・マキノノゾミさんです。 投稿者: 投稿日:2002-10-02 (Wed)
大学3年の秋の夜、共同下宿のピンク電話が鳴った。
隣の1回生の男の子が電話をとる役目であった。
その日も彼が電話をとった。しばらくして私の部屋を
ノックする音。「首藤さん、電話ですよ。」
「ありがとう。すぐ行くから。」
電話の受話器をとった。
「はい、首藤です。どちらさんですか?」
「マキノです。」
「マキノ?」
「マキノノゾミです。同じ同志社の第三劇場で
 芝居をしていたマキノです。」
はっと思った。マキノさんといえば、当時、京都の学生の
演劇界では超有名で、私も、何回も新町にある小ホールに
彼の舞台を見に行ったことがあった。
「今度、MOPという劇団を旗揚げするのです。
第一弾の芝居『広島に原爆を落とす日』の
オープニングで英語のMCを流す予定です。
そのMCをやってもらえないかなぁ・・・・」
当時、私は同志社のESSのドラマセクションの部長を
していた。それを誰かから聞いたのであろう。
電話番号を調べて、私のところにかけてきたのだ。
「いいですが・・・MCなら私より適任の人がいるので
とりあえず、その人を連れて行きます。」
そういって電話を切った。
次の日、『ほんやら洞』という喫茶店で待ち合わせをした。
こちらはMCしてもらう先輩と私、むこうはマキノさん
清水さん、堂岡さんの3人、計5人だった。
旗揚げをどうしても成功裏におさめたい・・・
彼らの熱意が会話をしてひしひしと伝わってくる。
だから最初のシーンで派手にいきたい。
よって英語のMCを入れて、ダンスをして盛り上げたい。
ふむふむ・・・なんだか面白そうだなぁと思った私と
先輩は、お役に立てるならと、そのMCを受けた。
「どうしたらいいのですか?」
「録音するから、今夜、この場所に来てくれませんか。」
「いいですよ。」
夜、指定された場所は熊野神社から程近い、堂岡さんの下宿
だった。彼の下宿に入って驚嘆した。
それは普通の学生の下宿と違い、音響機材の中に
住んでいる感じで、ひとつのスタジオみたいであった。
「今から流す曲にあわせて、英語でMCを入れてくれたら
 結構ですから。」「はい。」
曲は当時はやっていたチェッカーズの『星屑のステージ』と
いう曲であった。その曲にあわせて、何回も、何回も
英語でシャウトする感じでMCを入れていった。
マキノさんがOKをだすまで、それは続いた。
「はい。OKです。お疲れさん。」
終わった。四畳半の狭い下宿に夜な夜な男5人が
集まって、麻雀もせず、ひとりが英語を読み、残り四人が
静かにそれを聞いている・・・・なんとも変な光景だった
ろうと今になって思う。あの時のマキノさんたちの熱意が
彼をNHKの朝の連続テレビ小説のシナリオを書くまでに
つながっているのかと思うと、しょうもない会社に入って
妥協で結婚して、くだらない毎日を送らなくて、よかった
ですね、マキノさん、と言いたくなります。
NHKの朝ドラは嫌いだけれど、彼の今までの苦労があれば
また違った朝ドラにしてくれる気がしています。
「まんてん」が「れいてん」にならないように
今までのNHKの型を打ち破って、本を書いていただきたい
ものです。遠く姫路の空から応援したい気持ちで
いっぱいです。

[212] 女性専用車両 投稿者: 投稿日:2002-09-30 (Mon)
通勤・通学の時間帯に女性専用車両をJRで運行して
とっても好評だそうです。
それを受けて各私鉄でも、それを取り入れるそうです。
このニュースを聞くと、男性である私は
少し複雑な気持ちになります。
「痴漢は必ずいる。」「痴漢はなくならない。」
「痴漢は男性だけである。」
だから別々にしてしまえば、それで解決する。
男性からみれば縁切り状をつきつけられたような
解決方法のように思えてなりません。
確かに、痴漢する人間は許されないし
した人間は弁解の余地もないと思います。
罪をもっと重くしたらいいとも思います。
だけど、女性の過度な痴漢にたいする意識のために
たまたま手が触れただけで痴漢あつかいされるケースも
多々あることは事実です。
「やった。」「やらない。」の水掛け論で両者とも
嫌な思いをするなら、この女性専用車両は
とってもいい解決方法だと思います。
しかし、それでいいのでしょうか。
それですべて解決したのでしょうか。
「この日本という社会から痴漢をどのように
なくすか。」・・・この問いには誰も答えを持って
いないのではないでしょうか。
あくまでも私の勘で言うのですが、痴漢する要因として
彼らは女性に対して誤った認識をもっていたり
あまりにも女性のことにたいして無知なため
自己の性欲からくる妄想を誇大化さして
その行為にいたるのではないかと思います。
第二の性が目覚めてから、男性は女性を女性は男性を
意識するようになります。
その意識してから、なぜか私学などでは男子校と女子校に
わかれて学校運営をしています。
異性を意識しないで勉強に専念してということでしょうか。
専念した分、いい大学にいけ、いいところに就職できるかも
しれませんが、痴漢はへらないと思います。
共学であれ、男子校であれ、学校という場所を離れて
実体験として、男性は女性と触れ合う、女性は男性と
触れ合う場所を探してゆくべきじゃないかと思います。
学校で男と女を分けて勉強したことが
女性専用車両を作り上げているとしたら
なんとも皮肉なことだなぁと仮説ですが思ってしまいます。

[211] 夢の旅路・・・・・エッセイ書いて、ちょうど一年たちました。 投稿者: 投稿日:2002-09-27 (Fri)
昨年の九月二十一日に書き始めた、このエッセイが
一年も続くとは思いもよりませんでした。
今回で第211回目になります。
勝手気まま、思いのまま書き綴ってきました。
このページに足を運んでいただいた方々に感謝し
またこれからも、ゆっくりですが
書き続けていこうと思っています。
これからも、ご愛顧のほどよろしくお願いします。
で・・・本日のタイトルは『夢の旅路』です。
たまに、ふと「なんで演劇みたいな、面倒くさいものを
やってるのだろう」と思うことがあります。
もう役者として舞台にでることに決別した今では
別に人前にでて、格好つけて、歌ったり、踊ったり
目立とうとは、思いません。
また劇団を作って、それをメジャーにしたいとも
思いません。
ただ、いつも空気のように演劇が、生活の一部として
そばにある・・・ただそれだけでいいのかなぁ・・・・
そんな感じで演劇と接していければと思っています。
演劇がテレビや映画と違うことは、その場に生きている
役者が、その場に生きている観客と
その場にある同じ空気を吸っているということだと
思っています。
生身の人間同士がぶつかりあって、ひとつの空間で
ひとつの物語を共有する・・・時代はマスの時代です。
衛星から送られる映像で最新の映画や音楽のコンサートが
家で寝転んで、おやつでも食べながら、見れる時代です。
そんな時代に逆行してるのが演劇かもしれません。
だけど、こういった演劇などの皮膚感覚的な生身の
人間を感じる場所がなっくなった社会って、とても
恐ろしい社会になるような気がしています。
私が感じる恐ろしい社会にならないように
演劇というものをやり続けていこうとも思います。
ソフト面では、S−PROをつくって、細々とやり始めましたが、ハード面もいつかは考えるときがくると
思っています。
いつか、この姫路の街に、フリースペースとしての
小劇場をつくれればと思います。そのときは、もう老人に
なっているかもしれません。でも今の私と同じ思いの
若い後継者がいて、その人々の感性で作り上げられた芝居を
袖幕の横で静かに見守ることができれば、満足です。
まだまだ『夢の旅路』の序章・・・第一歩がはじまった
ばかりなのですが。

[210] とりあえず・・・祝・巨人軍優勝 投稿者: 投稿日:2002-09-25 (Wed)
にっくき敵、ジャイアンツが昨日、優勝しました。
今年の巨人軍の優勝の要因は原監督の采配という人が
多いですが、私はそうは思いません。
今年の勝因は『ホームランバッターが相次いで怪我をした事』
だと思います。
巨人といえば、FAであっちこっちからホームランバッターを
とってきて強力打線を築き上げる事ばかりしてきました。
落合、広沢、清原、江藤・・・などなど
しかし、一番から八番までホームランバッターで
かためたら、勝てるかというと、そうではないと思います。
ホームランバッターといえば、お芝居で言えば『主役』です。
その主役が八人もいる芝居ってどうでしょう。
面白いでしょうか。わけわからないストーリーに
なってしまいそうです。
脇役があってこそ、主役がひきたつし、物語もしまると
いうものです。
今年の巨人は、清原や高橋や仁志の怪我、江藤の不調などで
そのホームランバッターがずらりと並ぶ打線が組めなかった。
その穴を二軍にいた足のはやい、こつこつとバットにあてて
ヒットを狙いだけの小兵的な選手が埋めていった。
小兵的な選手が芝居で言うと、名脇役になったわけです。
このことが優勝した、もっとも大きな要因であったと思います。
つまり、ホームランバッターが故障や不調でなければ
今年の優勝はなかったことになります。
来年、タイガースファンの私は、巨人の選手、とくに
ホームランをよく打つ選手が一年通して、健康で試合に
でれることを望み、若手で一軍半の小粒な選手が怪我を
してくれることを望みます。
なにか芝居と野球って共通点があることを
思い知らされた2002年のプロ野球でありました。

[209] 合コン 投稿者: 投稿日:2002-09-22 (Sun)
S−PROの練習後、すこし食事をとりに
居酒屋へいきました。わたしたちが席についてから
小一時間くらいして、10人の団体さんが入ってきました。
男5人・女5人でいかにも合コンといった感じで
よそよそしいというか、緊張しているというか
『重々しい空気』が漂っています。
なかなか注文した料理がこないので、暇つぶしって感じで
彼らの行動を眺めていました。
「あの5人のなかやったら誰にいくかなぁ。」とか
「あの子は顔は可愛いけど、体ごついなぁ。」とか
「髭はやしてる兄ちゃんは多分、あの娘がええんやろか。」
・・・・・・・と無責任で勝手なことばかり、こちら側で
言い合っていました。
そうしていると、その合コンのテーブルにも
ビールが来て、料理が来て、宴がはじまりました。
すると、その『重々しい空気』が次第に消えてゆくのが
こちら側で客観的にみていると手に取るように
わかります。下を向いて恥ずかしそうにしていた
髪金の小柄な女の子も対面に座るお兄ちゃんに
お酌をしはじめています。
当たり前の話ですが、お酒の力は・・・・ふむふむ・・・
こういう力があるのだなぁ・・・人同士を和ます力・・
重々しい空気を軽い空気にかえる力・・・・・
お芝居をやっていて、大切なもののひとつとして
感じているのは『空気』です。
芝居はじまって、どのようにしてお客さんが
われわれのかもしだす空気に触れて、同じ空気の中に
同化していってくれるか・・・なかなか、その線を
超えるのは時間がかかります。
お酒の力を借りるわけにはいきませんから・・・・ねぇ。
それには、いかに演者がリラックスして演じるか
ほどよい緊張感を持って演技に集中しているか。
空気というのは必ず、伝わってゆきます。
幕が開いたときから、どれだけはやく、まずその空気を
伝えるか・・・それからだと思っています。
客席と舞台が、一体になったと感じたとき・・役者冥利
演出冥利になる気がします。

[208] 人生の学校は疑問形? 投稿者: 投稿日:2002-09-20 (Fri)
学校ってなんだろう?
知識をえる場所?技能を修得するところ?
学校にいけばなんとかなる?なんとかって?
なんとか食べていけるってこと?
なんとか生きていけるってこと?
困ったときの学校頼み?
「学校に行く」って言葉は隠れ蓑?
「学校に行く」って言葉は時間稼ぎ?
マニュアルを教えてもらって何になるの?
体系を教えてもらって何になるの?
それを超えたところに何があるのか?
それは考えないの?

※ここでいう学校とは
 義務教育の学校のことではありません。
 例えば演劇をやろうと考えたときに、実際の劇団に
 入るか、学校に行くか。料理に興味をもったときに
 自分で毎日、工夫して料理を作るか 料理学校に
 行くか。英語を話したいときに、自分でテープ買って
 きたり、ラジオ聞いたり、いろんなことするか
 NOVAに行くか。
 学校に行くのは悪いことじゃないと思います。
 だけど、学校にいけば、すべて解決してもらえるという
 すべて満たされると思っていることは危険です。
 方法論として、すぐに学校に行けばいいという考えも
 好きではありません。
 まぁ世の中にいろいろな学校はありますが
 教えることは、ありきたりで、体系的なことしか
 教えてはくれないような感じがします。
 それを超えたところにあるものは、自分の手で
 掴み取るしかないのかもしれません。
 「あの・・・・人生について学びたいのですが?」
 「はぁ?」
 「人生の学校ってありませんか?」
 「はぁ?」
 「学校に行きたいのですけど・・・・・」
 「ちょっと私にはわからないですね。」
 「そうですか。」
 「あの人なら知ってるかもしれません。」
 「誰ですか?」
 「駅前でアルミ缶、拾っている・・あ・・あの人。」
 「あのホームレスですか。」
 「はい。」
 「あの人・・・いつも町に出て、いつも駅で行き交う
  人々を見ています。朝も昼も夜もずっと見ています。」
 「はぁ・・・・」
 「あの人に聞いてください。私はこれで。」
 「・・・ど・・・どうも。」
聞いた人物はホームレスの老人のところに行かなかった。
一日中、老人と同じように、駅で行き交う人々を
見ていた。朝も昼も夜も。
何日も何日も・・・・・・雨も日も晴れの日も
彼は、もう『人生の学校』のことは
すっかり忘れていた。『学校』という言葉が
彼の頭からなくなっていた。
秋がはじまり、天高く、うろこ雲が
彼の頭上に あった。

[207] 異空間での旅 投稿者: 投稿日:2002-09-18 (Wed)
トイレに時刻表を一冊、おいてある。
トイレで新聞を読む人の話はよく聞きますが
私の場合、トイレという家庭の中で一風変わった空間で
時刻表を読むのが、なんだか癖になってきたようです。
今日はちょっと北海道までいってきました。
大阪駅:12:00発トワイライトエクスプレス号の
ロイヤル(A寝台個室)に乗り込み、いざ札幌へ。
札幌着次の日の9:08ですから約22時間の旅です。
日本中あちこち行ってきましたが、まだ一度も訪れていない
のは沖縄と北陸・北日本の日本海側なので、車中からですが
一応、北陸と北日本の風景をはじめて見ることになります。
日本海に沈む夕陽がいかなるものか、乗り込んだばかりの
私はわくわくしています。
夕食はダイニングカーでの食事を予約しています。
フランス料理になるそうですが、それも楽しみです。
今は新幹線なんかの食堂車が採算がとれなくて
しだいに無くなっていると聞きます。
食事するだけの車両が一台専用についてるなんて
贅沢な気持ちになります。
・・・・・・とここまで馬鹿なやつの空想を
聞いていただき感謝しています。でも人間がなんらかの
行動をおこす時、衝動的な事例を除き
だいたい予定をたてて、行動していると思います。
私の場合は今日一日なにをしなければならないのかを
昨日のうちにメモにして就寝することが多いです。
トイレでの『異空間の旅』の延長線上に
実際の『行動としての旅』があるように思います。
ただいま脚本執筆中です。行き詰まると・・・
どこか、遠くへいきたくなります。逃避行かな。
でも逃げられないから、空想の世界でもいいから
どこかへ行ける『異空間の旅』はありがたいです。
明日は、どこに行くことにしましょうか。
それは明日、異空間に入ったときにしましょう。
今から考えずに・・・・そのときの気分で・・ね。

[206] 集中 投稿者: 投稿日:2002-09-15 (Sun)
アマチュアの劇団を見に行って、いつも感じることがある。
それは『恥ずかしそうにやってはるなぁ』ということで
あります。特に視線。定まっていないというか
どしっとしていないというか。言葉に「目が泳いでいる」と
いうのがありますが、まさにそれです。
そういう出演者を客として見ていると、見ていいものかと
こちらが恥ずかしくて、恥ずかしくて
その人ばっかりが気になって、ストーリーになかなか
入っていけないですね。
舞台に立った以上、もう「まな板の上の鯉」、度胸くくって
やるしかないのに、うろたえるのは、どうしてでしょうか。
それは一言でいうと、経験不足という言葉でかたずけられる
かもしれません。しかし、それだけでないような気がしてい
ます。あほほど練習やれば、いいのか・・・・それも
本質的な答えではないような気がします。
うーむ・・・なんやろ?・・・・うーん
『集中力』・・・これやろか?
『コンセントレーション』・・・英語にしただけやん
『・・・・・・』・・・・何も書いてへんやん
書いてへんのと違う。これしかでてこえへんのや。
『集中力』の持続。これにしましょう。
ダラダラ練習してもダメ。集中力を持って、短時間、練習
して日本一になった神戸製鋼ラグビー部を見習おう。
いかに集中して役づくりに取り組むか。
その役を集中して演じるか。
役者以外でもスタッフにそれはいえることですが。
皆が皆、集中して練習し、それを舞台にのせる。
そうしたら、お客さんも集中して見ていただけるような
気がします。
われわれもアマチュアです。プロではありません。
恥ずかしそうにする人がいます。
それを払拭する方法・・・昨日、はじめてやった練習から
そんなことを考えてしまった連休の中日です。
今後の成長がいかなるものか・・集中して見守ることに
します。



[205] 自転車泥棒 投稿者: 投稿日:2002-09-13 (Fri)
マンションに住んでいます。
昨日の朝、自転車に乗って出かけようと一階の自転車置き場
に行くと私の自転車がありませんでした。
周囲を見てもありません。
「やられた!」・・・・これで二回目になります。
鍵はちゃんとしていたのですが、一個の鍵では
だめだということでしょうか。
自転車盗られたり、パンクさせられたりした経験は
多くの方がお持ちであろうと思います。
見えない、わからない人間の仕業というのが
私や被害にあった人々の苛立ちにつながっているようです。
なんで人が困惑するようなことをするのか・・・
盗る人間にそんなことを言っても無駄だと思います。
彼らは一生、何も変わらずに、せこい窃盗をくりかえし
つまらない、卑怯な生き方をしていくでしょう。
そして不幸な結末をむかえて人生を終えるでしょう。
1999年、姫路に帰ってきてから
三台目の自転車購入になりそうです。仕事場に
行く手段でどうしても必要でありますから。
じっと堪えて昨日の出来事をこのエッセイで書くことにより
自分の憤りを浄化していくことしかないのでしょうね。
くだらない、せこい、汚い人間がこの世から
なくなることを祈りつつ。

[204] あれから一年・・・NYの朝 投稿者: 投稿日:2002-09-11 (Wed)
世界貿易センタービルが崩壊してから一年。
今日は、いろいろな特集を組んでテレビでやって
ましたね。このような事柄(何人もの人が死んだときなど)
が、起こったとき、『あの日のことを忘れてはいけない』
とよく言いますよね。
9月11日を忘れるな・・・・・とか。
いったい何を忘れないようにしようというのでしょう。
人を傷つけたり、殺したりするのを
悪として、忘れてはならないと言っているのでしょうか?
そうしたらアメリカによって殺戮されたアフガンの人々には
どうなるのでしょう。アメリカが空爆した日を
この9月11日みたいな日にするとしたら
そんなのいくつでも、こうした忘れてはならない日が
できてくるように思います。
自分たちだけが正義であるというのは大嫌いです。
力によって、人間を押さえ込もうとする態度も
大嫌いです。
私は、いま述べた二点のことを
この日になれば、思い起こすことになると思います。
市井でも、他人の話をなんにも聞かず
自分の事ばっかり話す奴がいますよね。
自分中心的で、自分が世の中の中心にいて
世界がまわっているのかのごとく。
頼むから、自分中心的な話をやめてくれ!
これ以上、しゃべると殴ってしまうかもしれないから。
人の優しさや人間の情を己のエゴというフィルターを
透してみるから、そういった奴は
何もわかっていないことが多いです。
そのような方々は、私のそばから遠い世界で
過ごしていただくことを祈ります。
アメリカ・・・アメリカかぶれ・・・アメリカ好き
さようなら・・・です。

[203] 時計 投稿者: 投稿日:2002-09-08 (Sun)
♪大きなノッポの古時計 おじいさんの時計
 100年いつも動いていた ご自慢の時計さ
 おじいさんの生まれた朝に 買ってきた時計さ
 今はもう動かない その時計
 100年休まずに チクタク チクタク
 おじいさんと一緒に チクタク チクタク
 今は もう動かない その時計
 何でも知ってる古時計 おじいさんの時計
 きれいな花嫁 やって来た その日も動いてた
 嬉しいことも 悲しいことも みな知ってる時計さ
 今はもう動かない その時計
 真夜中にベルが鳴った おじいさんの時計
 お別れの時が来たのを みなに知らせたのさ
 天国へのぼる おじいさん 時計とも お別れ
 今は もう 動かない その時計
 100年休まず チクタク チクタク
 おじいさんと一緒に チクタク チクタク
 今は もう 動かない その時計 ♪

「大きな古時計」はやってますね。
小学校の音楽会で歌うような、この曲を
平井堅が歌うとなぜか新鮮な感じがします。
いい歌をこうして、掘り起こして
これからも歌っていってもらいたいです。
まぁ、このおじいさんのご両親は
なかなかセンスがいいというか 私流に言わせてもらうなら
「おしゃれ」といいますか
自分の子供が生まれた日に 時計を(しかも大きい壁掛け)
買ってくるなんて 凄い。本当に洒落た両親です。
まぁお母さんは、産むのに大変だったでしょうから
お父さんの考えでそうしたのでしょうね。
時計っていうのは 何気なく日頃 腕にしたり
壁にかかってるのや机の上に置いてあるのを
ぼんやり見てるだけだけど こうして素敵な詩にして
擬人化して表現されると 時計って哲学的です。
多分 わたしたちも死ぬまで ずっと時計とともに
時間を感じながら 生きていくわけで
意識として よくわからない時間という概念的なものに
いつも なんらかの形でしばられているのでしょうか。
しばられるということが、なんらかの不自由さになるならば
時間を忘れさせてくれるものが
一番 贅沢なものになるのかもしれません。
世界一周の旅をするエリザベス二世号の船内には
どの部屋にも時計を置いてないということを
聞いたことがあります。
時間の贅沢を楽しんでくださいという
ことなのでしょうね。
時計で刻めば、同じ一時間、同じ一日なのに
我々 人間にとっては 状況などいろんな要素によって
長さが違うのは確かです。私の場合、芝居の公演で
ホール入りしてから、本番して、撤収するまでの時間が
何回も公演を重ねても 一番 短い一時間、一日に
なってるようです。その感覚がたまらなくて、忘れられ
なくて、演劇をやっているところもあるかもしれません。
あっという間の・・・・時間。
時計の針が狂ったかのように、はやく進む一日が
11月に味わえるかと思うとわくわくします。
それまでの日々はじっくりと時計の針を調節しながら
たんたんと過ごすことにしましょうか。



[202] すべてを望むものは何も得られないことになっているのかもしれないと夜な夜な想う 投稿者: 投稿日:2002-09-06 (Fri)
彼女・彼が欲しい。お金も欲しい。
楽しい趣味も欲しい。友達も欲しい。夢も欲しい。
・・・・欲しい。・・・・・欲しい。・・・・欲しい。
「欲しい」「欲しい」「欲しい」って
欲張りな人は、なにひとつ得ずに人生終わりそうな
感じがします。
ひとつの事をつきつめていくうちに、いろいろなことが
叶っていくのだと思います。自然に、ごく自然に。
芝居もやりたい、金も欲しい、彼女・彼も欲しい
(彼女や彼がいる場合→彼女や彼との時間が欲しい)
・・・・最初からこんな事を思っている人がいたら
芝居をやめることをおすすめします。
芝居に限らず、音楽など芸術的なことも同じだと思います。
さっさと止めて、時給のいいバイトでもして
そこに務めている可愛いオネーちゃんとでも親しくなって
毎日、楽しく飲み食いしたらどうでしょうね。
姫路でS−PROJECTとして活動をしていて
思うのですが、本当の意味での芝居好きと、この町で
出会ったのは少ないです。ほとんどいないかもしれません。
京都には芝居気狂いがたくさんいました。
そんな人々を見て私の大学の後輩のW君なんかは
「世捨て人」と「世捨て人」と呼んでいました。
(後々、私も彼から「世捨て人」と呼ばれることに
 なるのですが。)
「世捨て人」という言い方を私なりに分析すると
ひとつの物事に熱中し、つきつめていくには、やはり
世を捨てるくらいのエネルギーが必要だったのかと
最初にこの言葉を使った人に変な意味で感服せざるをえない
感じです。
ひとつの真実を得るのは並たいていではないこと
わかってらっしゃいますから。
ひとつの真実が見えたとき、がらっと世の中が
変わってくるように思います。
もし、あなたが迷っているなら
答えはひとつですよ。
『多くを望むことなかれ。真実はひとつのことから
 見えてくる。さぁ今、立ち上がるときです。』

[201] 九月からはじまるのです 投稿者: 投稿日:2002-09-03 (Tue)
九月になりました。まだ暑いけれど、もう九月です。
八月、目いっぱいした仕事の疲れもだしてはいられません。
九月十四日から芝居の練習をはじめることにしました。
新たなスタートです。今回で姫路での「お芝居」は三回目に
なります。また新たな人々と「お芝居」ができます。
喜びと不安を抱えながら・・・・のスタートです。
不安はいままでの何十回した芝居も今回も同じで
それが結構、いい緊張感持たせてくれてます。
どんな「お芝居」ができるんだろう。
どんな役をどんな風に応募してきてくれた方々が
演じてくれるのだろうか・・・・・楽しみです。
今、カレンダーをぼんやりと眺めています。
長そうで短い、公演までの三ヶ月になりそうです。
九月というのは世の中でも夏休みが終わり
REーSTARTって感じで新たな気分になれる月だと
思います。2002年、今まで、充実しなかった人も
充実していた人も残る四ヶ月をどのように過ごすかで
「いい年」になるか「悪い年」になるか・・・・
大切な四ヶ月だと思います。
S−PROJECTとしても、今年を締めくくる意味で
いい「お芝居」ができるようになればいいのですが・・・
後は私を含め、参加された人々の頑張りいかんだと
思います。
皆さん、頑張りましょう!!



[200] Try to Do 投稿者: 投稿日:2002-09-01 (Sun)
本当に嫌いな人間なんていない。
本当に好きな人間もいないかもしれない。
「この人はこうだ!あの人はこういう人だ!!」
決めつけるのが嫌いである。
又 決めつけていいのだろうかという疑問もある。
一人の人間の中には、その人のDNAと同じくらい
様々な性格を決定する因子みたいなものが
あるような気がする。そして、その中の表面に突出した
部分を見て、この人は赤だとか、青だとか、黄だとか
勝手に色を決めつけているに違いない。
見えているのが、氷山の一角ならば、人を憎んだり
うらんだり、好きになったり、愛したり
いろいろなアクションを起こすことが馬鹿らしく
無意味なことになるように思える。
とことん人と付き合えば、隠れている部分が見えてくるか
といえば・・・・・・・これも難しい。
結婚をして、同じ共同生活をおくっている夫婦でも
相手のことがわからないことが多々ある。
あきらめるか・・・・とほほ・・・とほほ・・・
いやいや、あきらめるのは早計だ。
決してあきらめず、相手のことを知ろう、わかろう
そうする姿勢が大切なことだとこの歳になって感じる。
「愛している」とは言えない。
「愛そうとしている」なら言えるかも知れない。
最後まで相手がわからなくてもいい。
最後までとにかく伝えること、わかり続けようとすること。
九月十七日、わが国の首相が平壌に行くことになった。
両国には様々な、互いに、理解しあえない懸案が存在する。
わかりあおうとする姿勢を崩さずに
根気よく交渉をしていただきたく思う。
そうすれば自ずと道は開ける気がする。

[199] 闘うべき相手 投稿者: 投稿日:2002-08-29 (Thu)
「闘う」という言葉がいつも頭の中にある。
実際に行動しなくても頭の中だけでも
最近は何者かと闘えるようになっている。
「闘う」ことは好きだ。何かと闘ってるなぁと思うと
自然とエネルギーが湧き出てくる。
勝負事が好きなのも、多分、知らず知らずに
そのエネルギーがでているからだろう。
自分自身でエネルギーがでてくるのがわかる時がある。
そんなとき、少し恍惚としている自分がいる。
酔いしれている自分がいる。酔いしれるのが好きなのかも
しれない。
演劇が好きになったのも、それがあるからだろうなぁと
思っている。
私にとって今、そして今から闘うべきは何だろう・・・・
とふと考えてみたくなった。
『私が今まで生きてきて、矛盾してるなぁ、変やなぁ
 おかしいなぁ、と思っていた事柄が何年生きてみても
 何一つ変わっていない状況』
この状況と対峙して闘わなければならないと思う。
「変えなくちゃ」「変わらなきゃ」「捨て去らねば」
与えられるのに慣れっこにばかりなってもいられない。
「与えなきゃ」「ボールを投げなきゃ」「走らなきゃ」
守りに入ったときが自分の終わりのときだという
感じがする。
大社一族が守りにはいった時から、日本ハムの
凋落が始まったのだと思う。
企業も個人も何かを変えようとしないと不幸な結末が
くる。しかし、私が抽象的に書いた
『矛盾を抱えながらも何一つ変わらない状況』の代表格
である官公庁(国・地方自治体)は、なぜか不幸な結末
が来ないことが多い気がしている。
日本ハム問題で農水省が格好つけて、えらそうに
事業所などに立ち入っているが、おおもとは
君たちがBSE問題ではっきりした態度をたらなかったこと
また業界をかばう、消費者無視の牛肉買取システムを
誰に圧力をかけられたが知らないが、時間をじっくりかけず
構築したことに起因するものだと思います。
つらつらと文章を書いているうちに
具体的に闘う相手が見えてきたようです。
その相手は大きければ大きいほど
私のエネルギーも大きくなるから
なんだかワクワクしてきます。いざ勝負!!

[198] 時代 投稿者: 投稿日:2002-08-25 (Sun)
時代を感じたくて、よく電器屋さんに行きます。
大きな電器屋さんに行って、様々な最先端の技術を駆使した
商品をみるのが好きです。
携帯電話やパソコンなどの、それ自体、先端をいってるもの以外にも
白モノ家電と呼ばれる洗濯機や冷蔵庫などでも、技術の進歩に
驚かされます。ドラム式の縦回転の全自動洗濯乾燥機などは
わぁー・すげ―・ほし―!飛びつきそうになります。
テレビも今では超薄型の液晶テレビやプラズマテレビが
どや!!見てちょ!!って感じで売り場の真ん中にどかって
座っています。
衝動買いパートVではないのですが、AIWAの15インチの液晶TVを
買ってしまいました。価格コムで買った人の評価どおり、とっても
キレイな画面で満足しています。画面にうつる文字の輪郭がしっかりしていて
鮮明です。重さが5〜6kgくらいなので持ち運びも簡単です。
あと何年かしたら、重い重い、箱型のテレビはなくなるのではないかと
思ってしまいます。時代は便利なものを勝者にしますから。
そして私がなくなるものの一つとしてあげたいのが
VHSのビデオテープとそれにまつわる機材です。
懐かしい話ですがビデオテープがでたとき、若い方は知らないでしょうが
ベータ方式とVHS方式の二種類が最初は規格としてあったわけですが
なぜか大きさが、小さい方のベータが負けてしまい、今のVHSが
ビデオで主流になりました。しかし、そのときは同じビデオ同志の
勝負だったけれど、今度は違う相手が勝負です。
今、電器屋さんではHDD録画、DVD録画の機材が10万前後で
売られています。これが普及して、コストが下がって、どんどん
安くなれば、ビデオデッキに変わるものになると思います。
それはデジタルの時代が来るので、それに対応したものに
録画機器自体も変わらざるを得なくなるというのが私のつたない考え
なのですが。いかがでしょう?
時代を感じるとは、今を知るということです。
本当に電器屋さんは時代の鏡です。器械にうとい、そこの
お父さん、お母さん、お姉さん、僕・・・・みんなで電器屋さんに
もっと行きましょう。何も買う必要がなくても、今を感じに・・・ね。



[197] うつせみの家 投稿者: 投稿日:2002-08-22 (Thu)
街路樹から聞こえる蝉の鳴き声が
ミ―ン・ミ―ンからツクツクボウシ・ツクツクボウシに
変わったことに今日、気がつきました。季節は、ほっといても
勝手に過ぎてゆくものなんだなぁと感じた涼しい一日でした。
久しぶりに、詩でも書いてみたくなりました。

 『うつせみの家』−56歳で逝った貴方へのレクイエムー

何気なく ほんと 何気なく 歩いていた
蝉が死んでいた 死んでいたというより 固まっていた
・・・ように見えた  誰かに魔法をかけられたように 
可哀相だなぁと思った まっとうしたのだろうか とも思った
その蝉をまたいだ瞬間 「ミ―ン」と鳴いた 本当に鳴いた
私は驚いた なぜか走った その場から逃れたかった
死んでいると勝手に思った私に まだまだ息絶えてたまるか!!
それを言いたかったのだろう
貴方は何も言わなかった 何も言わずに逝った
ひとり暮らしが辛いとか 淋しいとか 苦しいとか
何も 何も 何も 言わずに逝った
何か 言ってほしかった
何か 伝えてほしかった
あなたがいない家は うつせみの家
あなたがいない部屋は うつせみの部屋
あなたがいない会社は うつせみの会社
あなたがいない町は うつせみの町

あなたがいない私の心は うつせみの私の心

私の周りはヌケガラだらけになってゆきます
これから、こんなことが増えてくるのかと思うと
嫌になります 
いつまでも いつまでも いつまでも
すべての私の周りの人々よ ありつづけて いてください
時の流れは そんなこと 許してくれないのは 承知の上で

[196] 夏の別れ 投稿者: 投稿日:2002-08-20 (Tue)
祖母の通夜のとき、親戚のおじさん、おばさんが私にこう言いました。
「おばあさんのこと、今日はいっぱい話してあげよう。」
知りませんでした。そうすることで、彼女が安らかに冥土に行ける
ということを。
今日、ひとりの知り合いの男性が亡くなりました。
電話でそのことを聞きました。彼は、仕事上での部下でした。
数日まえから少し体調を崩していたので、お休みしてもらっていました。
その間、電話をしてもつながらないので心配をしていた矢先のことでした。
ひとり暮らしをしていました。身寄りもなかったそうです。
地区の自治会の人が倒れている彼を発見したそうです。
彼は片目が不自由でした。それでも仕事では一生懸命に
左右確認をして車を誘導していました。
へたくそでしたが、一生懸命でした。手を抜く事をしりませんでした。
子供のような性格だったので、みんなに可愛がられていました。
明日、会社のみなさんにこの事を伝えるのはつらいです。
このエッセイに書いた『かき氷』の美味しい店を教えてくれたのも
彼でありました。姫路の美味しい食べ物やのことを
よく知っていました。食べ歩くのが趣味みたいなところがありました。
他には、これといって趣味みたいのはなかった気がします。
煙草も吸わないし、酒も飲まないし、賭け事もしませんでした。
人がよくて、いろんな人間によく食事をおごったり
苦しい人には、お金を貸したりしているのを見たことがあります。
若くして父親を亡くし、母と生活していたらしいです。
しかし、その母も痴呆症にかかり、看病に数年の月日を費やしたけれど
6年前に他界してしまい、それからはひとり、家族もなく生活していました。
夏の別れです。淋しいです。悲しいです。やりきれないです。
冗談っぽく、一度、舞台にたってみないかということを
彼に言ったことがあります。二、三日して、そのことをすっかり
忘れていた私にたいして彼が近寄ってきて一言いいました。
「よかったら、出てもええで。」
私は 「冗談やん。本気にしてたん。ふーん。で・・また、なんで?」
彼は 「自分を変えたいんや。」
そう言いました。子供っぽい彼の口から、そんな台詞がでるとは
おもいもよりませんでした。引っ込み思案でおとなしくて赤面症で
人前で少しどもりクセのある彼から・・・その言葉が。
葬式もお通夜も身寄りが、いないからしないかもしれない。
会社からの連絡はこうでした。あなたの事を少しだけ、ほんの少しだけ
このエッセイに書かせてもらいました。ここで語らせてもらいました。
安らかに眠ってください。ただそれだけです。そして、姫路に帰ってきた
私にいろんな所へ連れていってくださって、心より
『ありがとうございます』
こう言いたいです。今日の涼しさは、あなたとの別れとともに
今年の夏との別れみたいで、なんだか切ないなぁ・・・

[195] 衝動買い PART U 投稿者: 投稿日:2002-08-18 (Sun)
頭から芝居のことが離れた事はありません。
何かにつけ、面白いことがあれば芝居に使えるんじゃないかと
思う性質に体がなってしまったようです。
街でふと流れる音楽がいいなぁと思えば、いつか芝居で使ってみようかとか
ユニークな服装をした人やメイクをした人なんかを見ると・・・・・
同じようなことを思ってしまいます。
盆で飾磨の実家へ帰った先日、母からリバーシティ(ジャスコ系のスーパー)で
夕食(盆なので我が家では珍しく・・・お寿司)を買ってきてと
頼まれました。夕食を買いに行ったものの、リバーへ行ったときには
いつも立ち寄ってしまう店があります。それは3Fの楽器屋さんです。
買う、買わないにかかわらず、楽器って見てて、楽しくなります。
私にとっては、本当に字の如く『楽しい・・・器』であります。
何十万もするギターの前に立ち、このギターの音色はどんな音を
するんだろうと思いをはせる・・・楽しい時間であります。
ギター見たり、シンセ・ドラム見たり、店の中をぐるぐるまわっていたら
ミキサーのコーナーに来ました。ミキサーは芝居の音響で使うのですが
まだ持ってないので興味津々、眺めていたら、若い男の店員さんが
背後にやって来て、「お客さん、貴方が今、ご覧になっているミキサーは
なかなか手に入らないものですよ。入荷したら、すぐに売れてしまうし
今度、いつ入るかも知れないものですよ。」と私に言いました。
「ほんま?」「はい。同じメーカーの型違いは予約ずみの札が
はってあるでしょう。横を見て下さいよ。」「ほんとや。」
「いい音でますよ。何に使われるのですか?」「お芝居に・・」
「そうですか。お芝居なら、あの予約ずみのより、今、ご覧になっている
方がチャンネルも多いし、お勧めですよ。」「・・・・じゃあ下さい。」
「・・・・」の時間はわずかだったと思う。
本当に衝動的にかってしまった。メーカーもあまり聞いたことないし
ドイツ製だし、使い方よく知らないし・・・・・
右手にミキサー、左手に家族4人分の寿司を手に持ち、リバーから
帰る姿はへんてこなものだっただろうなぁ。
それから三日たち、今日はじめて、そのミキサーを開封した。
説明書を読んでも、よくわからない。悪戦苦闘の時間が続く。
いろんなボタンやコントローラーみたいなのを動かして
なんとか一つの音源から音をだすことができたけど・・・・
多分、本質をわかってないから、まだまだこれから勉強しなくては
ならないでしょう。頭が痛いけど、心地良い頭の痛さであります。
いつか、このミキサーもって、何の設備もない所に行って
芝居とかコンサートとか、やってやるぞ!!という意気込みは
ありますが・・・・使いこなせるようになるまで、いったい
どれくらいの時間がかかるのか・・・頭の中の私のミキサーが
いろんな考えを整理できないまま、不協和音をだしそうな・・・・・
そんな現状であります。いろんな知識を蓄えて、それを整理して
いい音がだせるように、頑張ってゆこう!それしか今は言えません。
まぁ車もそうですが、自分のものとして買って、毎日、それと
戯れていれば、結構、うまくいくようになるものだと
楽観的に考えている、都合のいい自分もいるのですが。
えーい!!どうにでもなるわい!!そんな思いの『衝動買い』だった
のかもしれません。

[194] 衝動買い PART T 投稿者: 投稿日:2002-08-17 (Sat)
残暑厳しいです。本当に暑いです。
マンションの5階に住んでいますが、部屋にものを限りなく一杯置いている
ものですから、風通し悪いです。私の書斎(たんにパソコンがある部屋)
は孤立していて、廊下をへだてなければならず、ベランダもないので
今まではエアコンを置いてませんでした。というより置くことができなかつた
というのが本当のところです。
暑さも限界になり、エアコンの外機が置けなくてもよい、窓用エアコンを
買おうと思いたったのは二日前。姫路市内の大きな電器屋さんを何軒か
廻り、一番安い『コジマ』で昨日、買いました。
今なら、特価!7割4分引き!セール!!という言葉にも騙され
買ってしまいました。買ったのはいいけれど、取り付け工事代を節約したもの
ですから、今日は、その取り付けに悪戦苦闘の日々を過ごしてしまいました。
取り付けして、その窓用エアコンのスイッチを入れると、まず室温が
表示されるのですが、なんと、それには日当たりの悪い場所にも
かかわらず、33℃の表示(午後5時現在でですよ)でありました。
よく我慢して、この部屋のパソコンの前でエッセイ書いたり
会社の資料揃えたり、台本書いたり・・・・・・
自分を誉めてやりたくなるくらい、この暑さを我慢したなぁと
感心しています。
今の室温は、27℃です。滅茶苦茶、涼しいわけではありませんが
快適です。これで、やっと落ちついて、この部屋に長くいて
じっくりと、いろんな事を考えられると思います。
今日は取り付けで体力をだいぶ使って、へとへとですが
明日からずっと、この快適さが保障されると思うとにっこりしてしまいます。
暑さよ さらば!!残暑なんて へっちゃらだーい!!
調子に乗りそうなくらい、心の中で喜んでいる衝動買いでした。◎


[193] お盆 投稿者: 投稿日:2002-08-14 (Wed)
お盆といえば墓参りです。
昨日、墓参りをすませてきました。わが家の墓参りは母方が姫路に住んでいた
関係上、田中家(母の旧姓)の墓に参るわけですが、よくよく考えてみれば
母は養女なので、血のつながりのない先祖の人々の供養をしていることになります。
少し不思議な墓参りって感じがします。
だけど私を一番可愛がってくれたのが、その墓に眠る祖母なものですから
不思議な感情を越えて、祖母に手をあわせて、近況報告することは
わたしにとって自然な感情です。
彼女の名前は『田中うの』といいます。
明治30年生まれで、91歳まで生きました。大往生です。
子供の頃、「うの」という、ひらがなの名前が妙に変な感じがしてましたが
時代は平成になって、神田うのさんが登場してきて、ファンから
「うの」ちゃん、「うの」ちゃんと呼ばれだしてからは
祖母の名前がなにか今風なものに変わってゆきました。
うの・・・・UNO・・・・いいかもしれない・・・って。
生前、彼女と英賀保の西のお山と呼ばれる田中家の墓まで
何回か歩いて墓参りしたことがあります。
歩いて二時間くらいだったでしょうか、レンゲやタンポポが咲く田んぼを
見ながら行ったことを覚えています。
田んぼと民家しかなかった記憶があります。道も細くて、車も少なくて
旧街道といったものしかなかったように記憶しています。
今は、車で行ったのですが、田んぼは殆どなくなり、木造の民家よりも
マンションがけっこう増え、大手のコンビニ・フードショップなどが
立ち並んでいます。道も今まで田んぼで土地があったものですから
太い、大きな道ができています。車だと15分くらいでついてしまいます。
お盆ですから、祖母も今、帰ってきて、この英賀保地区の変貌ぶりに
驚いているかもしれません。
町は近代的になっても、私にとっては、『祖母と手をつないで歩いていった
二時間の墓参り』のほうが、先日の『車で15分でシューっと行った
墓参り』より心の中に記憶として残っている部分が大きいのは事実です。
簡単なことより、しんどくて面倒くさいことのほうが
思い出としてはいいようです。


[192] 83万6510円です。 投稿者: 投稿日:2002-08-11 (Sun)
今日のニュースからです。
今日の小倉競馬12RでJRA史上最高の配当がでました。
その額は、なんと!なんと!なんと!
836510円でした。100円が83万円になるわけで
もし1000円かけてると830万に、10000円だと・・・・
穴をあけたのがスリーライアン君という馬です。
べべた人気の彼が3着にきたので3連複でこういう結果に
なったわけでして、彼の背負ったゼッケンが3番で
名前がスリーで結果が3着で・・・・こじつけかもしれないけど
そんな感じで買わなければ、あたらない馬券です。
411万票のうち当たりが363票だったそうです。
なんと確率は0.0088%です。凄い事です。
宝くじで一億円あたる確率は知りませんが
結構、いい勝負するのではないかなぁと思います。
こういう馬券あたる人はあまり欲のない方かもしれません。
だってオッズみたら怖くてかけられませんし、まさか、これがと
思ってしまうからです。金を追いかけると逃げるとは
よく言ったもので、負けて、とりかえそうと、意気込むと
なかなか勝負ごとはあたらないものです。
無の境地になったときに、あたるのかもしれません。
いつも冷静に思慮深い人が勝負事にむいているのでしょうね。
勝負師になりたかった時期があります。
だけどお金のかかることなので、だめだなぁと思いました。
人間関係、変になりそうでしたから。
芝居というグランドで細々と勝負といいますか
チャレンジといいますか、そういった自己の心を満たすくらいで
いいかなと思っています。小さな幸せで・・・小さな喜びで・・
それが続くならば。
そういったことを戒めつつ、スリーライアン君にちょっとだけ
感謝しつつ眠る事にします。真夏の夜の夢で終わらないように(^^)

[191] TAMEIKI 投稿者: 投稿日:2002-08-09 (Fri)
田中真紀子さんが議員辞職しました。
秘書給与不正問題が引き金です。辻元議員と同じようになりました。
私は彼女たちに関して詳しく調べるのは専門家にでもまかせて
他の国会議員の先生たちが同じようなことをしていないかどうか
徹底的に個人個人調べる機関を作っていただきたい。
それと彼女たちのこういった事件の内容を誰がどこにどういう目的で
情報を流したのかということを知りたいです。
だれかが作為的に追いつめている感じがしてならない。
そう思うと溜め息がでます。
日本ハムの偽装牛肉事件が姫路営業所からあかるみにでました。
確かに残念ですが、これも明るみにでた以上、あとはしかるべき所に
まかせて、他の伊藤ハムやプリマハムやゼンチクなどの大手から
小さな問屋やスーパーまで徹底的に偽装した牛肉を取り扱ってないか
調べる機関を作っていただきたいと思います。
日本ハムの場合、内部告発で判明したらしいのですが
そういった機関をつくって輸入牛肉をあつかう業者の関係者に
呼びかければ、もっともっといろいろとでてくるような気がします。
この際です。とことんやって醜い膿を全部だしましょう。
それをしないと・・・・・溜め息がまたでてきます。
USJで規定以上の火薬をつかっていたそうです。
アトラクションだけの停止では処分が甘い感じがします。
USJが起こした数々の問題からして、すべての業務を一年間くらい
停止するくらいのきついものにするくらいでなければならないと思います。
また旅行関連の会社も日本ハム製品を引き上げたスーパーのように
USJの旅行パックをやめて自粛をうながすという動きが
あってもいいように思いますがどうでしょう。
でも多分そんなことできないでしょうね。・・・・また溜め息がでます。
溜め息ばかりでます。
それはこの三つのニュースのどれもどれも氷山の一角であり
なんら解決する方法をだれも見出していないからかもしれません。
TAMEIKIのでない世の中になるには
いったいどのくらい時間がかかるのでしょうか。
事件は時代の鏡です。こういった事件は、今の日本を象徴しているのかと
思うと、くだらない国に身をおいている自分がなんだか
情けなくなってきます。
また溜め息です。これ以上、書いても、今日は溜め息しかでないようなので
このへんにしますか・・・・ね。


[190] B級ニュースはとっても面白い・・・です。 投稿者: 投稿日:2002-08-06 (Tue)
こんばんは、ヴィレッジシンガーズの清水道夫です。
私、昔ですが、今はやりの『亜麻色の髪の乙女』という曲を
歌っていました。当時でオリコン7位までいったのですよ。
それが最近、リバイバルヒットして、とっても喜んでいます。
といいますのも、ヒットしたおかげで、小さな町のカラオケコンテスト
などに、お声がかかり、『亜麻色・・・・』を一曲歌い、審査員をする
だけで、15万ほどいただけるからであります。
島谷ひとみさま、そしてリバイバルを企画されたスタッフのみなさまに
心より感謝いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地元のケーブルテレビに映し出された偽の清水道夫さんの映像を
見ました。気持ちよく『亜麻色の髪の乙女』を歌ってらっしゃいます。
審査員としても堂々とされてらっしゃいます。
でも観客の中に本当の清水道夫さんのお友達がいることは
知るよしもなかったのですね。まさか、こんな東京から遠く離れた
地方都市にそのような方がいらっしゃるなんて想像もできなかったですよね。
その方がいなければ御用になることはなかったのにね。
でも貴方のことを私は許してあげたくなります。
そりゃ主催者側は大変、迷惑な話だったかもしれませんが
私的には騙されてもいいかも・・・と思っています。
貴方がいつばれるかドキドキしながらも、あれだけ堂々と、あの名曲を
歌い上げたという根性に感服しているからであります。
今度からは、美空ひばりならぬ美空びばりのように
ヴィレッジシンガーズならぬヴィレッジシンカーズという名前にして
登場されることを期待しています。
・・・・・・それではお呼びがないって?・・・・・
それもそうですよね。でも呼ばれなくても場末のスナックで
自分がかってにそう名乗って歌えば、しょせん相手はただの酔っ払いです。
本物と間違ってくれるかもしれませんよ。
いろんな意味で楽しませてもらった今日のB級ニュースでした。どうも(^_^)



[189] 説明会 投稿者: 投稿日:2002-08-04 (Sun)
今日は第3回のプロジェクトの説明会でした。
とある公民館の一室を借りて、説明会をしました。
説明会なのに、なぜか説明は少なく、初めて会う方々と
今までにS−PROに参加していただいた有志と一緒になって
パントマイムを使った連想ゲームみたいなものに殆どの時間を
費やしました。大変、楽しくみなさんのマイムを見させてもらいました。
この場を借りまして、今日、来ていただいた過去の芝居に参加してもらった
方々にお礼を述べさして頂きたく思います。
『どうもありがとうございました。』
いつか、いつの日かあなたたちともう一度、一緒に共同作業ができれば
いいなぁと正直思っちゃいました。叶わぬ事かもしれませんが・・・
また、今日、説明だけだと思っていた応募された皆さん
マイムとはいえ、はじめて会う人々の前でいろんなことをさせて
驚かれたかもしれませんが、これもS−PRO流といいますか
とにかく動く、とにかく何かをやってみるという精神のもと
芝居作りをしたいと思っている表れでありますので
御了解ください・・・・・今後とも。
千差万別・・・いろいろな人が集まるところには、いろいろな色が
できます。同じ色はありません。みんな個性的な色に見えます。
初々しい色に見えます。それが大事なことかなと思います。
芝居をかじりだすと変な使命感やありきたりのテクニックに流されて
自分という色を見失うことがあります。
あなたたちだけは、今日出会った純粋な色であって欲しいし
こちらも貴方たちが色あせないように見守ってゆく覚悟をもって
接してゆこうと思っています。
初心忘れるべからず・・・新しい人々に出会うたび、その言葉を
思い起こします。久しぶりに心あらわれた一日でありました。感謝


[188] 夏休み 投稿者: 投稿日:2002-08-02 (Fri)
夏休みはありません。お盆休みもありません。
ただただ、もくもくと働くだけの夏です。
いつもの公園のいつもの桜の木で少女がセミをとっていました。
彼女はとっても捕まえるのが上手で次から次へと
セミを捕まえてゆきます。なかなか、こつをわきまえています。
そんな彼女の姿をみて・・・・子供の頃、私も夏になれば
昆虫たちとたわむれたことを思い出しました。
いつからでしょうかね、昆虫たちとたわむれなくなったのは。
今、夏休みをあげるから、好きなことをしなさいと
会社のお偉いがたが、私におっしゃったなら何をするのか、ふと考えました。
多分、何もしない、何もできないかもしれないなぁ・・・
よく学生の頃、自由課題っていうのがありましたが
自由っていう不自由さに悩んでなにしたらいいか、なにから
始めたらいいか、いつもそういう状況になっていた自分のように。
仕事も学生の頃の授業なんかもみんなカリキュラム決まっていて
毎日、毎日けっこう同じ事をやっていればいいみたいなところがあって
それに安堵して生きている自分がいたりして・・・・・
そのクセといいますか慣れといいますか
それが体にしみついているから、何もすることが思いつかないのでは
ないかなぁといった感じでしょうか。
枠組みを与えられることになれっこになることは怖いなぁと思います。
いざ自分で枠組みから何かをはじめなければならないときに
その枠組みの作り方を知らなかったり、枠組みが頭に思い浮かばない
ことは本当の意味でアビリティがないと言わざるをえない気がします。
無から有へ・・・・そういった作業をどんどんしていくことが
必要かもしれません。
『仕事は与えられるよりも、自分で作りなさい』・・・・といった
部長(私がはじめて社会にでたときの人なのですが)さんの
言葉が浮かんできます。さて明日からどんな仕事をしましょうか・・ねぇ。

[187] 神様のひとふり 投稿者: 投稿日:2002-07-31 (Wed)
毎日が楽しくなくていい。辛くて苦しくて悩み続けてもいい。
あの『一振り』のためなら。昨日のような『一振り』があるなら。
熱狂的な野球好きである。昨日の阪神・八木線選手の逆転満塁代打ホームラン
には久々の感動を覚えました。
阪神ファンが彼のことを「神様」と呼ぶのがわかる気がします。
神様はみんなが苦しいときに、ひょこっとあらわれて
大仕事を平然としてゆきます。
憧れますね。みんなが大丈夫なときは昼間の行灯みたいでいて
困ったときだけ出て行って、颯爽と大仕事をしてゆく。
これぞ『男のダンディズム』ですね。
でも神様はみんなが見ていないところで、血へど吐くくらいの練習を
しているのだと思います。『一振り』のためにいろんなものを
犠牲にしているのでしょうね。
野球とは関係ないけれど私も年に二回くらい演劇で代打の神様みたいな
『一振り』・・・決めてみたいですね。
そのための意気込みは人一倍持っているつもりでいます。
第3回公演に参加してみようとS−PROに興味をもたれた方々と
初めて今度の日曜日にお会いします。とっても楽しみです。
私の意気込みをわかってもらえれば・・・・それだけで
・・・・・いいです。神様のひとふり・・・あなたたちも打てるように
なることもわかってもらえれば。

[186] 大学という学歴 投稿者: 投稿日:2002-07-28 (Sun)
今、働いている施設には三つの会社が入っています。
各会社ごとに事務所というか待機する場所はなく
3社共同の事務所を借りて、そこから仕事にでかけるようになっています。
机が三つ隣同士に並んでいて、その机ごとにA社、B社、C社の責任者が
使うようになっています。
一昨日、隣のB社に研修生がやってきたときのこと。
仕事の内容を幹部たちが、その研修生に説明してから、研修生が仕事にでた
あとのこと。幹部(だいたい50代後半の人々が数名)が彼の履歴書を
みて、話しをしている。隣で書類を書いていた私の耳に、彼らの話しが
聞こえてくる。
X幹部:「こいつ、大学でてるで!」
Y幹部:「ほんまや、横浜の会社に行ってたんやな。」
Z幹部:「リストラちゃうか。まだ45やもん。」
X幹部:「大学でてても、なんやあれ。挨拶もきちっとでけんやないか。」
Y幹部:「ほんまや。何、勉強してきたんや、あいつ。」
Z幹部:「ほんまや。情けないなぁ。」
・・・・・・・・・・・・・・
このような会話が続いている。
彼らは皆、大学をでていない。でていないし大学というものを知らない。
だから大いなる勘違いを生んでいる。
大学でたからといって、きちっと挨拶できるわけでもなく
人間的に素晴らしいとは限らない。
知らないということは、哀しいことだなぁと思った。
学歴で人間の価値は決まらないと私は思う。
ただ50代後半の彼らの話しを聞いて思うのは
学歴の低い人々は高い人々を意識しすぎていることである。
高卒であろうが専門学校卒であろうが中卒であろうが
人間として、いかに生きていくかを真摯に考えているか、否かで
人を判断しなければだめなような感じがします。
今年、ある企業が大学の名前を聞かないで、就職の面接を行なったという
NEWSを聞きました。とっても、いい傾向だと思う。
大学の名前で固定観念をもっては人柄は判断しにくいでしょうから。
でもまだまだ日本社会では多くの所で多くの人が
学歴や肩書きなどで人を判断する悪癖が残っています。
少しずつでもいいから、価値観を変える作業をしなければ・・・・
ぼんやりとした責任感が芽生えてきています。頑張りましょう!

[185] 『負の指標』という言葉を耳にして 投稿者: 投稿日:2002-07-26 (Fri)
昨日のNEWS23の筑紫さんの多事争論のタイトルが
『負の指標』という言葉でした。
年間に自殺する人々は過去最高で約3万人だそうです。
中高年者の自殺が特に増えているそうです。
凶悪犯罪も増えているそうです。
最近、特にこういう事件、多いです。
犯罪をおかした人々の共通点は、借金がある、離婚歴があるといった
社会的には落伍者といってもいいような人々であります。
自分の思い描いた世界(幸せで裕福な家庭など)が崩壊して
孤立した人々であります。
自殺する中高年の人々も自分が存在していた会社などから
リストラされたり、自分で経営していた会社が資金繰りが
うまくいかなくて、自分の手で死を選んでいるケースが多いように
かんじます。
つまり犯罪者のそれと同様に自分の思い描いている、自分が今そこにある
世界が崩壊してゆくことで死を選んでいるのではないのかと思います。
このままでは日本において『負の指標』の数値がどんどん
大きくなっていくように思います。
自分が今ある世界や自分が手に入れた幸せな世界が崩壊したとき
何を選択するか・・・・・これが問題である気がします。
その答えが今の日本には『自分の死』か『他者の死(凶悪犯罪による)』
しかなくなってきていることは、とっても危惧するところであります。
もし自殺する人々や犯罪をおかす人々が
今までに構築と崩壊(破壊)を繰り返しながら
強く生きていたならば、こんなことにならなかったのかなと少し思います。
しかし、今の教育制度において、構築した後にまた構築し、その積み重ね
が多くできたものが、良い大学に行き、良い企業に入り、良い暮らしを
手に入れることになるようです。
「良い暮らしを手に入れること」は構築し続けた歴史の上に
成り立っているのかもしれません。
ずっと、ずっと構築の歴史が続けばよいのでしょうが・・・・ねぇ。
作っては壊し、また作っては壊し・・・する演劇に携わっていて
よかったなぁと何気なく感じています。
『崩壊』や『破壊』になれっこになった自分がいるものですから。
演劇にかぎらず、今までの自分の人生をふりかえっても
崩壊ばっかりの40年、なんの正解をいまだ持ちあわせていないようです。

[184] サーカスにはピエロが・・・ 投稿者: 投稿日:2002-07-24 (Wed)
サーカスにはピエロがつきものなのさ
だって、いつもいつも君が笑っているとかぎらないもの
サーカスにはピエロがつきものなのさ
だって昨日の思い出に別れを告げるんだもの

題名は知らない。歌っているのは『西岡きょうぞう』という
今はなきフォーク歌手です。
なにげなく暑い夜を彼の曲を聞いてすごしています。
凶悪事件が続いています。
悲しいです。やりきれないです。昨日まで幸せだった人々が
己のいいかげんさで不幸せになった人々に
あやめられる。
不条理な話です。
あやめられた人々の家族や友人や知り合いの方々は
全く関係のない私が、こんな気持ちになっているのですから
悲しいとかやりきれないとか、そんな言葉ではいい表せないほどの
感情を抱いていることだと思います。
今は、ピエロを見ても
笑えないかもしれません。
だけど、ピエロが必要なのは確かです。
ピエロのような存在がいなくては、本当に救いのない社会に
なっていくような気がしています。

[183] 眠れぬ夜 投稿者: 投稿日:2002-07-22 (Mon)
朝から夜の9時まで仕事をしていると体が火照って
夜も眠れなくなる。今も深夜2時である。
体が熱い。今日の最高気温は姫路で33℃あっただろう。
新聞を読む。住民基本台帳のニュースが書いてある。
ひとこと・・・・反対である。
小さな政府がいいと思っている。
テレビをみる。ゆとり教育のことで話しをしている。
ひとこと・・・偽善っぽい。嘘っぽい。
文部省は仕事をしなくていいと思っている。
東大でて、公務員上級試験をとおった貴方たちに
管理されたくないし、『ゆとり』などといった言葉を
使っていただきたくない。
大使館のプールで泳ぎながら、ドンペリでも飲んで
天下国家をお話しにでもなれば、よろしいんじゃないでしょうか。
バブルはもういらない。どこかの土建屋や投資家たちが喜ぶためなら
景気なんてよくならなくていい。
清貧でありたい。貴方たちが多分、失ったであろう言葉なのかもしれない。
眠れない・・・・体の火照りと官僚のことを思うと。
眠れないときの口の運動でもしようか。
『だいぜんじ がけだらなよさ』
『だいせんじ がけだらなよさ』
『だいせんじ がけだらなよさ』
寺山も天国でねむれぬときに、言っているのかもしれない。
捨て去ること、さよならすること、未練をもたないこと・・・
何回か言ってみた。逆からも言ってみた。
やっと眠れるような雰囲気になりました。おやすみなさい・・・ハイ。


[182] 多面体 投稿者: 投稿日:2002-07-20 (Sat)
台本を書き始めようとしている。
自分なりに面白い物語を書きたいと思っている。
面白い物語ってなんだろう?・・・・ふと考える。
・・・・ふと考え・・・目をつむり・・・瞑想のように考える・・・
そんなにすぐに・・・面白いことなんて浮かばない。
やーめた!考えるの・・・・やーめた!
でもなぁ・・・よし!面白い形を考えてみよう。うん、そうしよう。
なんだろう?丸?四角?三角?・・・平面的すぎるなぁ、これでは
立方体?三角錐?円錐?円柱?球?・・・・・味気ないなぁ、これでは。
面白いということは、どういうことか?
いろんな多くの人々が面白いということが面白いということなんだろうか?
面倒くさいから、そうしよう、そうしよう。
そうしたら、いろんな多くの人が面白いと思う形ってどんな形なのだろう?
最大公約数的な『球』だろうか?
いや違うような気がする。
うん・・・うん・・・考える・・・考える・・・ひたすら考える
ひとつの答えがでる。『多面体』・・・・『多面体』
これならどうだろう。
ええ答えちゃうんかな・・・ふと、その言葉の響きが好きになる
自分がいる・・・なぜか微笑む自分がいる。
イメージは大切である。『多面体』のような物語
ぼやけているが・・・抽象的だが・・・これを目指そう!
梅雨明け、海の日、夏休みの初日
12時間仕事を終えた後、なんとなく、そんなことを
漠然と思った・・・今日の通り雨みたいに。

[181] カーテンコール 投稿者: 投稿日:2002-07-18 (Thu)
♪カーテンコール ステージライト ざわめき 今でも 火照る体
 ギターかかえて 夜汽車に揺られ 次の街まで ただ眠るだけさ
 どこへゆくのか 何をしてるのか 時々 わからなくなるよ
 飛び去ってゆく レールの上で 時は過ぎてく またたくまに
 描いた夢と 叶った夢が まるで違うのに やりなおせもしない
 もう帰ろう みんな投げ捨てて でもどこへ いったいどこへ・・・・
大好きな浜田省吾の曲の中でも、大好きな曲「ミッドナイトブルートレイン」
の出だしの部分です。先日の暑気払いのビアガーデンの後のカラオケで
この曲を「おっちゃん」たち・演歌大好きグループの前で
歌ってしまい、少しヒンシュクをかってしまいました。
でも私のカラオケでのポリシーは、どの世代といっても
今(そのときに)、歌いたい歌をうたうということ、迎合しないということ
です。この時も、何日か前から、この曲を聴いて、いろんなことを
考えていました。ずっと、ずっと何回も何回も聴いていました。
頭にフレーズがこびりつくくらい聞いてたものですから
多分、歌いたくなったのでしょう。
「描いた夢」と「叶った夢」が違うって何だかわかるような気がします。
夢を追いかけているうちは、いいけど、ある程度、その何割かが
達成してしまったら、こんな気持ちになるのでしょう。
なにかの本で読んだのですが、歌は3年、踊りは7年、演技は一生
うまくなるのに時間がかかるということが書いてありました。
演劇というものを、なぜ今もやっているのか
いいお芝居を作ろうと、なぜ今もやっているのか
いい役者に、なぜ今も出会おうとしてるのか・・・・・
一生ものだから・・・やってるのかもしれません。
高校や大学の連中と昔の栄華を求めて、演劇している時代は
そんなことを真摯に考えた事はありませんでした。
ひとりになって、孤独になってから、もうひとりの自分と対峙したとき
演劇の本質が少しながら見えてきた気がしています。
『東京へ行こう!』・・・・何かがあると描いた東京で叶った夢は
あまりにも違うものでありました。
やりなおそうと東京を離れて、時間的に紆余曲折はありましたが
かえってきた故郷で今こうして演劇という活動していける状況を
感謝しています。これからが・・・・これからが・・・・
自然と手に力が入ります。幾度も幾度もカーテンコールを聞きながら
この街で生きてゆけたらなぁと思いながら
今も「ミッドナイトブルートレイン」を聞いている深夜2時です。

[180] 子猫 投稿者: 投稿日:2002-07-16 (Tue)
仕事場の近くの公園を朝、歩いていると
どこからともなく「ニャ―、ニャ―」と小さな声が聞こえる。
大きな桜の木の下に、白い小猫がいる。
よく見ると、目やにで前が見えにくいようで よたよたと歩いている。
直感で『捨て猫』と感じた。このような状態でここにたどり着ける
はずはない。ここの公園によりつく猫もあまりない。
誰かが捨てたんだ!・・・・そう思った瞬間、ものすごく腹が立った。
人間のエゴの為に、このように捨てられていく動物がいる。
生まれ出でた時に、この子猫が目が悪かったかもしれない。
それゆえに捨てたのかも知れぬと思うと余計に腹が立ってくる。
動物は商品や物ではなく、生き物である。
命がある。ここに飼い主として、捨てるということは
どういう意味を持つのかということをわかってほしい気がする。
「ニャ―、ニャ―」とかぼそい声でなく子猫の横に
 花が咲いている。小さな一輪の花である。
 太宰治の文章を思い出す。
『ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところが
 あると思った。花の美しさを見つけたのは人間だし
 花を愛するのも人間だもの・・・・・』
複雑な気持ちになった。
私が少し付け加えるなら
 『花を愛するのも人間だし、子猫を捨てるのも人間だし
 いったい人間の心は何なのでしょう。』と。
心に棲む天使と悪魔・・・だれしも持ってるものなのでしょうか?
あぁ・・・人間なんて・・・・人間なんて・・・・
仕事帰り、桜の木の下には、子猫はいませんでした。
多分、もう見ることはないだろうなぁと思いました。
でも、なぜか私の心には、その子猫がいるのです。
気になってならないのです。
自分の無力さを感じた、むし暑い、夏の一日のできごと。

 

[179] ビールの季節 投稿者: 投稿日:2002-07-14 (Sun)
初めて、お酒を口にしたのは、いつだったか よく覚えていませんが
硬派きどりの高校生だったので 高校の頃は 間違いなく飲んでいました。
多分、高校一年のときの学校を仮病で休んだ祭りの日・・・
祭りの後にお酒を飲んだのが最初のような気がしています。
高校2年の頃、クラスで司馬遼太郎ブームがおこり、短期間で
彼の本をまわし読むことがあったのですが、その数ある著作の中で
土佐藩主・山内容堂を描いた作品『酔って候』っていうのがあって
いつも酒を飲みながら藩をきりもりしていく容堂さんの
豪放磊落さに、憧れたりもしました。
高校の頃はアルコールだったら、なんでもよかったようで
味も多分、あまりわからなかったのでしょう、とにかく多く飲むこと
それが『男だ!』みたいな勘違いがありました。
大学になると、少し飲み方が変わって、場所も京都に変わったせいか
こぎれいなパブなんかで、バーボンなんかを飲むようになりました。
これは先輩の影響が多分にあって、いろいろな飲み方、いろいろな
飲み屋を教えてもらいました。
このころからかな、ビールの苦さが美味しく感じられてきたのは・・・
社会人になってからは、ビール・ウイスキー・ブランディーと
まぁ普通の感じで飲んでいましたが、姫路へ帰ってきた、ここ2、3年は
焼酎をよく飲むようになりました。ウイスキーの類はあまり飲みません。
だけど、どの時代も、最初は必ず、ビールだけは口にします。
ビールを2、3杯飲んでから、次にうつるのが定番になりました。
今日は会社で業務終了後、夏の暑気払いということで
約20人でビアガーデンに行く事になっています。
若いY君なんかは、今日の目標は、ジョッキで11杯飲むぞと
ひとりで盛り上がっています。多く飲むことが、男らしかった
私の高校時代のように。
姫路の街が一望できるビルの屋上で もう男らしさなんて考えなく
自分のペースで楽しい酒が飲めたらなぁと個人的に思っています。
20代から60代まで幅広い年齢層の二十人・・・・
きっと面白い飲み会になりそうです。
今日は午後2時くらいから水分をひかえ、夕方からの、それに
備えるようにしようと思います。
ビールの季節・・・夏、本番です。


[178] ダイエット 投稿者: 投稿日:2002-07-12 (Fri)
中国で製造されたダイエット食品を使用した女性が
肝機能障害を起こし死亡する事件が起こりました。
この不況でものが売れない時代にダイエットを中心とする
健康食品はよく売れているそうです。
時代が変われども、『痩せたい』と、どの時代の女性も思うのでしょう。
このような「いいかげんな商品」を売りつけて被害にあった事件は
あとをたちません。
薬とか健康食品を使って、体を変えようとするのが
都合のいい話で、痩せようとするなら、体を動かすとか
毎日の食事についてのカロリー計算をきちんとして
献立を考えて、普段の食生活から改善していこうとすれば
こんなことにはならなかったのになぁと思ってしまいます。
人間は弱くて、痩せるためなら、藁をもつかむ気持ちで
この「うさんくさい中国健康食品」にたどり着いたのでしょうが
今一度、痩身について、新たな方法を考えるときにきているように
思います。今回の事件で驚いたのが、結構、年輩の女性の方が多く
こういった商品を使われていた事です。
私だけの考えかも知れませんが、歳がいけば、変なダイエットして
病的なおばちゃんになるより、ダイエットをしないで、ある程度
自分の好きなものを食べて、ちょっと小太りで、丸いおばちゃんの
ほうが、かわいらしく思えるのですが・・・・まぁ限度もありますけど。
飽食の時代です、そして、その裏側でダイエット本やそれにまつわる
商品が売れる時代でもあります。けったいな矛盾したことが
食以外でも、いろいろな分野で起こっているように思います。
私も知らず知らず、その世界の中にいるのかもしれません。
なぜって今もこうしてエッセイを書いている最中も
煙草を吸いながら、のど飴をなめているのですから。


[177] 台風6号 投稿者: 投稿日:2002-07-10 (Wed)
台風6号が来ています。今、10日の深夜1時半なんですが
雷鳴が響いて、風、雨も強い状況です。
台風が来て大変ですが、幼い頃は、台風がくるとなると
なにかワクワクするものがありました。
その残り香でしょうか、この歳になっても、ほんの少し
ワクワクしている自分がいるような気がします。
船場川が氾濫して、いままでの道が道でなくなり、すべてが
川のようになって、その中を家まで歩いて帰ってた小学一年生
停電して、家中が真っ暗になって、ロウソクだけで
何時間も過ごした小学二年生
台風にそなえて、戸という戸に板をかまし、窓という窓に
テープを兄とともに貼った小学三年生
様々な思い出が今も頭をよぎってゆきます。
みんな楽しい思い出です。
子供ながらに、非日常を楽しんでいたのでしょう、多分。
一度だけ、台風の目が姫路のわが家の真上に来たことがあります。
いままでの風や雨がやみ、急に青空が出現する光景は
本当に不思議な世界でした。
その静寂がみょうに怖かった事を覚えています。
ポカーンと口をあけて見た台風の目・・・・
いったい上空から、なにを眺めていたのでしょうね・・・・
ひとつしかない目で、私のことをにらんでいたのかもしれません。
自然と向かい合うことのできる一日・・・・それが台風が来る日
なのかもしれません。
『片目閉じ 右目でにらむ台風の目 狭き視界に 見えた真実』

[176] ひとり問答・・・・アット・タナバタ・デイ 投稿者: 投稿日:2002-07-07 (Sun)
七夕の日、これといって祈る事もないので
拓郎の『イメージの詩』と今日は「ひとり問答」です。

『イメージの詩』
拓郎:これこそはと信じれるものが、この世にあるだろうか?
私 :あります。それは自分だと思います。
拓郎:信じるものがあったとしても信じないそぶり
私 :そんな照れ屋では世の中、渡っていけません。
拓郎:悲しい涙を流している人はきれいなものでしょうね
私 :そうは思えないんですが・・・
拓郎:涙をこらえて笑っている人はきれいなものでしょうね
私 :確かに、その類の人は、きれいだと思います
拓郎:男はどうして女を求めてさまよっているのでしょう
私 :やはり〇〇〇したいからでしょう
拓郎:女はどうして男を求めて着飾っているんだろう
私 :やはり〇〇〇されたいからでしょう
拓郎:いいかげんな奴と口をあわせて俺は歩いていきたい
私 :いいかげん・・・いい加減・・・それなら私も歩いていきます
拓郎:いいかげんな奴らも口をあわせて俺と歩くだろう
私 :いやぁ・・・どうでしょう。歩いてくれるのか自信ありません
拓郎:いったい俺達の魂の故郷っていうのは、どこにあるのだろう
私 :今現在では覚えていない、生まれてから幼少期までの記憶に
   あるような気がします。
拓郎:自然に帰れってことはどういうことなんだろうか
私 :何の意味もわからない、無邪気な、あの頃に帰れってことでしょう
拓郎:誰かが言ってたぜ 俺は人間として自然に生きてるんだと
私 :ふ〜ん、それで?
拓郎:自然に生きてるって自分でわかるなんて
   なんて不自然なことなんだろう
私 :お見事!これは一本とられました。私の負けです。
   参りました。返す言葉がありません。残りのメッセージをどうぞ
拓郎:古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう 
   古い船を今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
   なぜなら古い船も 新しい船のように 新しい海へでる
   古い水夫は 知っているのさ 新しい海の怖さを

※やはり今日は七夕の日、短冊に願いを書いて、眠ることにします。
 短冊には・・・・『いつまでも新しい水夫であり続けたい』と。

[175] ここはいったい・・・どこの国 投稿者: 投稿日:2002-07-05 (Fri)
疲れています。大変、疲れています。
それは今、仕事をしている施設がナイター営業をするようになり
朝9時から夜の9時まで12時間も勤務しているからです。
日が暮れてからの仕事は大変、疲れます。
これが6日間、続きます。大変です。気合入れて頑張らねば。
自分の話はさておき、その施設の周辺は姫路市でも
一番の夜の繁華街(飲み屋街)・・・魚町と呼ばれる場所です。
通常は昼間だけの勤務なので、いたって静かな街なのですが
夜になりますと、街は顔を変えます。
ネオンがあちこちに点きはじめ、キレイなおね―さんたちが
集まってきます。お仕事なんですね。
そのおねーさん目当てにサラリーマンたち、自営の社長さんのような方、
ちょっと怖そうな?方々・・・・いろんな人たちが集まってきます。
今日は本当に魚町は人・・・人・・・人・・といった感じでした。
そのおね―さんたちを見て、感じたことは
なんと外国の方が多いのだろうということです。
東南アジア系の方が一番多いと思いますが、白人(多分ロシア系?)の
方も結構いらっしゃいます。
その若い白人の女性(20代前半っぽい)と頭の禿げた
センスの悪いスーツを着た、いかにも土建屋さんの社長さんみたいな人が
手をつないで、歩いている姿があります。
中国語で会話をして、お店に向かっている、スタイルのいい(ホントに脚が
長いです、中国の方は)女性のグループがいます。
そういった光景を目の当たりにしますと
いったい、ここは、どこの国?・・・って感じがします。
夜の魚町は多国籍です。
魚町で流しをされているSさん(魚町事情に詳しい)に聞いたところ
外国の女性を雇った方がコストが安くつく。この不況のなか
生き残るためには、このように人件費をきりつめないと
商売が成り立たなくなってきている。しかし、その傾向は
あまり好きではないと・・・・彼は言います。
それは、古き良き時代の魚町に集う男性たちは、スナックやラウンジなど
おねーさんのいる場所に来て『会話』を楽しんでいた。
少しのスケベ根性があるのは今も昔も同じとして
今は、そんな『会話』などなくてもよくなってきている。
それはカラオケの普及と因果関係があるのではないかと。
お店に来て、会話しなくても、キレイなおねーさんが隣にいて
ただカラオケで歌うたってるだけで、『大人の遊び』が、成り立つならば
コストの安い、日本語のできない人々で十分であるということ
なのでしょう。
異国の方々が増えた要因は、不況によるものと同時に
遊び方が変わっていったことなのかもしれませんね。
ふと、そんなことを思った、2002年の魚町事情でありました。

[174] 7月・・・夏といえば 投稿者: 投稿日:2002-07-01 (Mon)
7月になりました。夏です。
こうして『夏』って漢字をよくよく眺めると、なんか格好いいですね。
夏子っていう名前、いいかもしれませんね。
春子、秋子、冬子・・・そして夏子
こういう風に書いてみても、どれかひとつ選べといわれれば
断然、『夏子』がいいですね。あくまでも漢字の字体からですが。
夏といえば、普通は「海」とか「太陽」とかイメージするのですが
私の場合、夏といえば「かき氷」ですね。
いつも食い意地はってますから。頭がカキ―ンとくるのがいいですね。
暑くて、ボーっとした時に、そのカキ―ンが目を覚ましてくれるというか
しゃきっとしろ!頑張れ!!って言ってくれてる気がします。
コンビニの「かき氷」は「かき氷」じゃないです。
やっぱ、「かき氷」は、氷屋さんが作った大きくて、とってもきれいな氷を
大きくて、タッパのある「かき氷機」の台にのっけて
右手で機械を動かし、左手で容器を持って、けずられた氷を
うける・・・・その時の音がまたいいです・・・・シュッ、シュシュシュッ
・・・削られた氷の何ともいえぬ食べ心地・・・・絶品です。
小さい頃、近くには「かき氷」をそうして作って、食べさしてくれた店が
けっこう、あったんですが、今はあまり見かけないのが残念です。
今、そうした「かき氷」を食べようと思えば、喫茶店になるのでしょう。
姫路城の南側、大手前公園の西側に「ミラノ」という喫茶店があります。
普段は多分、お城に行く観光客の人たちが一服するために
たちよる喫茶店だと思うのですが、そこの「かき氷」が
姫路では美味しいと思って、年に何回か食べに行きます。
私は「ミル金」派なので、練乳がどのくらいかかっているのか
また、その練乳の甘さはどんなものか、金時の質や分量(ただ多くても×)
など細かく味を吟味します。
ここの「かき氷」はとってもバランスがいいといいますか
練乳と金時の比率がお互いを殺し合わない程度に入っていて
とっても美味しいです。氷も質的にもサクっとしているし
量も少なからず、多からず、適度な量であります。
ミラノの回し者ではないですが、一度、氷好きな人は行かれる価値ありと
思います。
浴衣といい「かき氷」といい、古き良き日本の先人たちは
私たちに、夏のしのぎ方をどのようにするか、教えてくれているようです。
梅雨があけ、本格的な夏が来ます。
温暖化がささやかれている昨今、温故知新、暑い夏の過ごし方を
今一度、頭をひねって考える時にきているのかもしれません。
エヤコンばかりに頼っていては、馬鹿になるいっぽうですから。

[173] HOME@HOME 投稿者: 投稿日:2002-06-29 (Sat)
HOMEを辞書で調べる。
1)家 2)家庭 3)故郷 4)家庭の 5)療養所 収容所
6)生息地 原産地

『家』や『家庭』しか知らなかったHOMEの意味が
いろいろ書いてあり、面白い。
そうか!老人ホームっていうのが、あるけれど
あれは、療養所としてHOMEを使っていたのか・・・なるほど、うむうむ。
HOMEの次にAT HOMEってのが、すぐ下に書いてある。

at home・・・・・1)在宅して 2)訪問客を受ける用意がある
            3)本国で、国内で《副詞》
えっ?私が日本語で知る「アット・ホーム」と意味が若干、違うなぁと
思いきや、その下に
・feel at home・・・くつろぐ、気楽に感じる
・make oneself at home・・・くつろぐ、気楽にする

そうか!日本語では「feel」と「make oneself」を
省略して「アット・ホーム」だけで「くつろいだ、気楽な」といった意味
となったのか気づく・・・・なるほどなぁ。

なにせタイトルを先に決めたものだから、いろいろと知識をひろげないと
「まともな?」本は書けないと思い、右往左往している。
連想ゲーム的に、ひとつの言葉から次の言葉へと
関連をもたせてシナリオを書くのも面白いかもしれない。
イメージを膨らますだけ、膨らませて、書くのも面白いかもしれない。
こじんまりと、まとまってしまっては面白くない。
野球の打撃でよく「あてにいくバッティング」をしている選手が
いるが、それではフェンスオーバーはしない。ボールに
あたろうが、あたろまいが「おもくそバットを振る」事が
シナリオを書くうえでも大切かもしれない。
例文:野球選手の夫をもつホーム・メイカーのマリーは
   彼が試合でホーム・ランを打つたび、ホーム・メイドの
   ケーキを焼くことにしている。
   息子のトムはテレビに釘付けでホーム・ワークをするのを
   忘れ、マリーに「トム!ちゃんと勉強しないと、あなた
   ホーム・レスになっちゃうわよ。」と叱られた。

※この例文で、ひとつだけ ホーム〇〇〇の使い方が英語として
 間違ってるものがあります。さて何でしょう?
 わかったらメールして下さい。お待ちしています。

[172] 町の匂い 投稿者: 投稿日:2002-06-27 (Thu)
仕事帰りの日暮れの町の木造の家から匂うは
「カレーの匂い」・・いや「秋刀魚を焼いてる匂い」・・いや
「おふくろの匂い」
狭い路地の多い城下町には、今もこうした情景に遭遇することがあります。
そのこととは対照的にマンションがたち、今まで建っていた木造の家が
数日で駐車場に変わっている風景もあります。
当然のことですが、マンションの前も空き地や駐車場の前を
通っても、何の匂いもしません。ぽっかり空間があるだけです。
人の気配のしない空間って、なんだか不気味です。
人の気配がしたと思ったら、駐車場で遊び場を無くした少年が
ひとり、壁にボールをぶつけては投げ、ぶつけては投げ
それを繰り返す音が響いていました。
ふっ↓・・・溜息がでるばかりです。
なにか虚しく、そのボールが壁に当たる音が聞こえてきます。
いつから少年は遊ぶ場所をなくしたんだろう。
いつから少年はキャッチボールの相手をなくしたんだろう。
「夕飯の匂いのする世界」と「少年が壁とキャッチボールする世界」
我々、現代人が、どちらを選択しようとしているのかは明白であります。
あえて、答えはいいませんが・・・・明白です。
次のお芝居は家庭劇です。家庭がテーマです。
まだ脚本は、枠組をつくるプロットの段階です。
コメディ・タッチにしようと思っていますが
奥底には、今日感じた現代人がどうして「匂いのする世界」を捨て
ばらばらになっていったか、一人になっていったか、またそれを望むのか
そのあたりを描ければと思っています。
      「何匂う 梅雨の晴れ間の 城下町」 


[171] ずっと雨宿り 投稿者: 投稿日:2002-06-24 (Mon)
雨降る夜 久しぶりに 詩を作って見ました

『ずっと雨宿り』
あの時から あの場所で あの人と ずっと雨宿りをしている 
話す言葉が無くなってしまうくらい ずっと雨宿りをしている

あの時 何も知らなくて あの時 何も恐れずに
あの時 見果てぬ夢だけを 追いかけていた

あの場所から あの時 見た 美しい山や海は どこへいったのだろう
あの場所から あの人に 言った 愛の言葉は どこへいったのだろう

しとしと ずっと 降る雨に すべて 消されてしまったのだろうか
ざーざー ずっと 降る雨に ずべて 流されてしまったのだろうか
消され、流されたものを 人は 思い出と 呼ぶのだろうか
すべての思い出が消えてしまったら
ぼくたち二人に 何が残るのだろう

「悲しすぎるね、何も残らないなんて」 あの人が久しぶりに声にした言葉
同じ気持ちでいたんだね 
その時 はじめて じっくりと あの人の顔を見た
笑っていた・・・涙流しながら・・・笑っていた
僕も笑った 涙流しながら 笑った
あの人の笑顔でできた多くのしわだけは 雨は消してくれなかった
そう思うと また涙が とめどなく 流れてきた
 
僕は あの人に 言った
「ひとつだけ。ただ、ひとつだけ残るものが ある。
 それは 君と 僕が 同じところに いたという こと。」

雨宿りは 終らない  だけど 「終らなくてもいい」と 
二人は 思った 
 
※意味を超えたところに 人間の存在というものがあることが
 最近 何となく わかってきたかもしれない 梅雨のなかば 肌寒い日



[170] ゆかた・まつり  投稿者: 投稿日:2002-06-22 (Sat)
「ゆかた」祭りがはじまりました。
「ゆかた」着ている方をみると、ほんとうに涼しげです。
着ているほうも、見ているものも、涼しくなる着衣なんだなぁと
「ゆかた」を作った昔の方の知恵に唸らされてしまいます。
と同時に 年頃の女性が「ゆかた」を着ている姿をみると
なぜか「初恋」という言葉が浮かんできます。
夏・・・祭り・・・若い女性・・・色とりどりの、ゆかた
・・・その後にくるのは・・・恋でしょう。
その恋も・・・あわい・・・苦しい・・・切ない・・・
人には言えぬ・・・初恋でしょう。
♪好きだよと言えずに 初恋は ガラス細工の心・・・・
といった歌がありましたが、そんな感じですね。
時代は流れ、最近では積極的な女性も増えてきています。
でも初恋にかんしては、誰しも すぐには打ち明けられないものでは
ないのかなぁと思います。どうなんでしょうか。
最近は何でも自分の意見や考えを言うことの方が
尊重されるようになってきた感がしますが
こと恋愛にかんしては、言うに言えない、もじもじっとしたところが
あった方が素敵な気がします。
ジージャンにジーパンでもじもじされるより
「ゆかた」でもじもじされたなら 恋心を寄せられている男性は
ふらっとなってしまうような気がします。
今宵は多くの男女が、その「ゆかた」の力によって
カップルになって恋を成就させることでしょう。うらやましい限りです。
私はといえば・・・・・・・・・・暗くなるから書かないでおきます。

[169] 不条理 投稿者: 投稿日:2002-06-20 (Tur)
不条理という言葉、好きな言葉です。
今日、次回のプロジェクトの中にも、不条理という言葉を
つかわしていただいています。
物事の筋道が立たないことを不条理と呼ぶわけですが
こんなこと、毎日、毎日、生きていたら、遭遇するわけで
生きてること自体、不条理であるといってもいいような気もします。
今度のプロジェクトで使っている不条理とは
哲学用語の方の不条理です。
つまり「非合理的な世界とその中にある人間の絶望的関係を示す」
不条理であります。少し難しい言い方かもしれません。
非合理的な状況になったとき、はたして人間は
絶望という言葉をもつのか、逆に希望という言葉を持つのか
いったい私は、どちらの言葉をもって生きるのだろうか・・・
考えれば、考えるほど、頭がこんがらがっていくのが
心地よいです。
まだ概要だけしか決めていませんが、9月までに脚本を書く作業が
気持ちよく、苦しみながら書けるのではないかと思います。
不条理という言葉を使ったものですから。
不条理劇の代表的な作品:サミュエル・ベケットの「ゴド―を待ちながら」
をちょっとばかし参照にしてみようかなと密かに思っています。
常人の私は、今まで脚本書く時は、いつも自分に言い聞かせることが
あります。それは「狂いなさい!」ということです。
今度はもっともっと狂わなければ、不条理なことを描けないのでは、と
今から心配している、空梅雨、雨の降った今日の終りです。

[168] 韓国 おめでとう!! 投稿者: 投稿日:2002-06-18 (Tue)
日本が負けましたが、韓国が強豪イタリアに勝ちベスト8入りしました。
自国が負けたことは、残念ですが、韓国も応援していたので
大変、嬉しい日になりました。
しかし今日の「韓国×イタリア」戦はすごい試合でしたね。
久しぶりにサッカーを見て感動してしまいました。
決して、一点差でも最後まであきらめない、韓国イレブンの姿勢が
ロスタイム前に実った感じの同点のゴールでした。
最後のゴールにしても、前半にPKをはずした選手が決めるところなんて
とってもドラマティックで感動の幕切れといってもいいと思います。
このW杯を日韓のサポーターの面からみても
韓国のサポーターの方が何かみんなで応援しているみたいな
感じがしました。W杯に参加したのも韓国のほうが歴史があるし
サッカーという競技に対しても、老若男女の国民全員がよく熟知している
感がします。日本は、20代前後の若い層が中心であり
年輩の多くの方は、サッカーというスポーツについても
よく熟知されてるかと言ったら、?マークがつくと思います。
職場でも、オフサイドって何や?教えてくれる?といった
50代以降の方々がいっぱいいました。
まだまだなんだなぁと思ってしまいます。でも、このW杯がきっかけで
もっと、もっとサッカーというスポーツが日本の多くの層に
興味をもたれ、みんながよく知る、面白いスポーツに
なっていっていけばなぁと密かに思う次第です。
そして応援の仕方、勝った後の喜び方も
今大会のようにではなく、人に迷惑をかけず、常識を持った応援者として
次回のW杯まで成長していって欲しいものだと感じました。
韓国の選手が勝った後、みんなで手をつないで
ピッチの上を走ったあと、ヘッドスライディングする光景は
日本人にはない、喜び方のような感じがして
とっても心温まるものになりました。
また見たいものです。がんばれ KOREA!!


[167] 馬鹿騒ぎはもういいです。 投稿者: 投稿日:2002-06-15 (Sat)
日本が決勝リーグに行く事になりました。
嬉しいことですが、街で騒ぐ馬鹿な顔した奴を見ると
めっちゃ、うっとうしくなります。
今度のトルコ戦も勝てば、また馬鹿さわぎ
次も勝とうものなら、またまた馬鹿さわぎ
また、その次も勝てば・・・・・
おまえらの為だけに街があるんじゃないんだぞ。
サッカーに興味のない人にとっては、とっても迷惑に感じている
ことだと思います。うかれるのも、ええ加減にしてほしいものです。
あまり騒ぎすぎると、道頓堀の川の中に
ピラニアとか毒ヘビとか入れられるのではないかと
普通に喜んでいる私としては心配してしまうのです。
渋谷では道路標識の上に登ってる奴らをテレビで見ました。
ひとりがやれば、次々にまねをして、同じように標識に登り
揺らし、ねぎまげ、破壊していました。
後で誰かが迷惑をこうむることを考えずに。
なぜ小泉純一郎氏は、あほと同じように喜ぶだけのコメントしか
ださないのか、喜びのコメントの後にでも
「正しい喜び方」についてのコメントも一言くらいあっても
よかったのではないかと思ってしまいます。
馬鹿さわぎしている人間が、なんらかの事故で
死んだりしないと、首相もマスコミも「騒ぎすぎるな」という
コメントをださないのでしょうか。
みんなが盛り上がっていいという雰囲気がある以上
どんどん馬鹿な奴はエスカレートしていくように思います。
他国のフーリガン対策は完璧でも、自国の即席フーリガンもどきの
対策は予期していなかったのかもしれません。
なんとも皮肉なお話です。

[166] 打破 投稿者: 投稿日:2002-06-13 (Thu)
蒸し暑い毎日が続く。何もやる気が起こらない。
W杯は面白いけれど、かといって、結局、どこが勝っても
別に自分ではいいと思っている。
受け身な毎日が続いている感じである。
仕事は生活の糧と割りきっている。自分のやるべき事は
なんだろうと自問自答する日々が続く。
打破しなくっちゃ・・・・・打破しなくっちゃ・・・・
とりとめもない焦燥感の中、悶えている自分がいることに
ふと気づく。それが今日だったのかもしれない。
打破しなくっちゃ・・・・打破しなくっちゃ・・・・
そう言いながら、食べて寝ての繰り返しの日々が続く。
いっそのこと、何も食べず、一睡もせずに
生活できないものだろうか。それもできるはずはない。
意味や意義を持ってしまったばっかりに
悩んでいるのは、わかっているのだが。
空を自由に飛ぶ鳥を見て、「あぁ、いいなぁ」と思った。
「何も考えず、空を飛んでいられたらなぁ」と思った。
彼らは何かを乗り越えて、何かを打破して、空を飛んでいるのだろうか?
ふと、そんな疑問を思った。
『鳥が誕生するときのこと。鳥は卵からぬけ出ようと戦う。
 卵はひとつの世界である。生まれようと欲するものは一つの世界を
 破壊しなければならない。そして、鳥は神に向かって飛ぶ。』 
ヘッセの言葉を思い出した。
これが私の疑問の答えならば、人が神に向かって歩くには
どの卵をわって、会いにいけばいいのだろう。
卵=ひとつの世界・・・・まずそれから、じっくり考える事にしてから
それを『打破』することを思うことにしよう。
ひとまず休息・・・明日はチュニジア戦。


[165] 何を背負って 投稿者: 投稿日:2002-06-11 (Tue)
どこかの新聞に、なぜ阪神が人気があるのかということが書いてありました。
プロ野球発足時から関西の電鉄会社が所有する球団が
何個かありました。阪神、阪急、近鉄、南海の四つが代表的なものです。
その中で、阪神だけが地名といいますか、地域を表現した名称である
というところに関西人がひかれたのではないかと書いてありました。
ふむふむ・・・なるほど・・・・
W杯見ていても、やはり日本という自分が住んでいる地域を
応援してしまいますよね。日本人で今度、チュニジアを応援してますよ
といった人はいないでしょう。特殊な例を除いて。
まぁ、当たり前のような話ですが、なにかしら危険な感じも
してきます。日本に負けたロシアで暴動が起こりましたよね。
ロシアに勝った日本では、馬鹿な奴が橋から飛び降りましたよね。
そのエネルギーの源は、地域(この場合は国家)にたいするものから
きているのでしょうね、多分。
国といった得たいのしれないもののために
人間は、あそこまで興奮し、非日常的な行動をとるといったことは
私にとっては、とっても危険な香りとともに、ひとつの恐怖を感じずには
いられませんでした。
日本代表の選手が「このW杯は日本を背負って戦っているんじゃない。
俺は、幼い頃からサッカーが大好きだった。
そのサッカーの最高の舞台で俺が、俺自身が、俺のために
俺がどのくらい能力があるか、ためすためにピッチに立っているんだ!」
そういった言葉を言ってもらえれば、私の感じた危険な香りや恐怖も
杞憂に終るのではないかなぁと思います。
頑張れ!!それぞれの個としての選手たち!!

[164] ロシア戦を前に・・・苦言を。 投稿者: 投稿日:2002-06-09 (Sun)
これから大一番です。日本vsロシアです。
最低でも引き分けないと決勝リーグにはいけないでしょうね。
勝つことにこしたことはないのですが。
先日、五日と七日、神戸まで行ってきた感想といいますか
私なりの苦言を書かせてもらいます。
それは試合がすんでから、スタジアムから最寄のJRの駅(神戸と新長田)
へのシャトル・バスのことです。
このバスは、W杯のシャトルバスとして、唯一、運賃をとるバスなのです。
札幌、新潟、埼玉など他では無料になっています。
神戸市の場合、球技場の真下に市営地下鉄が走っていて、それとの
からみで、シャトルバスも運賃をとることに決まったそうですが
なんだか納得できません。実際に新長田のバス降車場にて
降りる乗客がなぜ支払うのだろうという疑問を
徴収に来た市営バスの職員に聞いている風景をよく見ました。
W杯というのは日本全国、世界各国のさまざまな方が来られています。
とくに神戸市はあの震災があったときに、日本全国の方々
全世界の国々の方々から義援金や励ましをいただいた都市です。
その恩がある都市である神戸だけが、せこくバスの運賃を
とるとは、いかがなものでしょうか。
地下鉄の兼ね合いなら、そのW杯当日、地下鉄も乗り放題(無料)に
するくらいしても、あの時のお礼になったことでしょう。
今こそ、神戸はあのときから、立ち直った姿を
街の様子とは別に、サービスの点でもアピールする、いい機会だったのに。
愚かな、目先のことしか考えない、神戸市の態度しか見えてこないことは
同じ兵庫県人の私としても、とっても残念でなりません。
あと一日(6月17日)、神戸での開催は残っています。
それまでに改善されることを望みますが
一度、決めた事は頭の固いお役人さんには変えられないだろうなぁ。
あぁーあ。溜息のでるロシア戦開始、1時間前です。



[163] 昨日と明日に挟まれた今日は休日。 投稿者: 投稿日:2002-06-06 (Thu)
昨日の神戸でのW杯の仕事・・・大変でした。
まず早く起きなくてはならない。勤務時間が長い。
厳戒体制なので常に緊張していなければならない。・・・・etc
普段の仕事の倍くらい疲れました、正直言って。
スタジアムから約2kmくらい離れた埠頭に
その日に試合のある国の応援団をのせたチャーターバスの
駐車場があります。その埠頭の治安維持部隊として警戒する仕事
がまずひとつ。
次に、スタジアムから試合終了後にでるシャトルバスがJR神戸駅と
JR新長田駅に着きます。そこで降りる人々を安全に次の交通機関へと
導く案内業務がふたつめです。
最初の仕事では広い埠頭を自転車に乗って巡回するのですが
『潮風』というのは字にすれば格好いいのですが
実際に、潮風に吹かれながら、強い太陽に浴びながら巡回していますと
顔がひりひりとしてきます。なにか海水浴にいって日焼けをしているみたいで
日頃の感じとは少し違った感じがします。
ロシアの方々はその埠頭から唄をうたい、またラッパというか小さなホルン
みたいな楽器を吹きながら、歩いてゆきます。
『ズドラーストヴッチェ』というとこちらを向いて微笑んでくれます。
結構、陽気な人々だなぁという感じを受けました。
女性の警備員は小さなロシア国旗をもらっていたり
派出所に止めてあった白バイに興味をもったロシア人と
仲良く警官が写真をとってあげてたのを見ると
なかなかいい雰囲気というか、あぁお祭りなんだなぁと思いました。
ふたつめの業務では私は新長田のバス降車隊の責任者として
勤務したのですが、そのシャトルバスが駅前ではなく
少し離れた、二号線につくものですから、降りた人々でとくに遠方から
来られた方々は、JRや地下鉄の場所を私たちに聞いてこられます。
神戸市の職員も近くにいましたが、ほとんど私たちに聞いてこられるので
大変、忙しい仕事でした。話をすると結構、日本中のいろんな場所から
来られているもので、W杯人気がうかがいしれることができます。
明日も神戸で試合があります。
同じ業務をすることになると思いますが
一度やっているので、今度は落ちついて、要領よく仕事が
できると思います。潮の香りの中、元気よく、業務をして
何事もなく、一日が終るように祈って眠ることにします。
皆さん!サッカーを楽しみましょう!明日も!
Ha det sa trevligt under matchen!

[162] 神戸ウィング・スタジアムへ 投稿者: 投稿日:2002-06-04 (Tue)
今日の日本代表、惜しかったですね。
大好きな稲本選手が逆転の二点目をあげたときには
勝ったと思いましたが・・・幻の三点目も彼だったし・・・・
まぁベルギー相手にドローだったら、よしとすることにしましょう。
試合内容もよかったし悲観する事なんてなく、前向きに次のロシア戦を
迎えましょう。予選リーグは第二位で通過して
ブラジルと我が兵庫県がほこるウィング・スタジアムで
たたかい散ってゆきましょう。桜のように。
で私のほうなんですが、明日のロシアvsチュニジアの警備にあたる前に
本日、大会の警備本部に打ち合わせにいってきました。
大会本部はウィング・スタジアムの真横のビルにあるのですが
そのフロア―には警備本部やボランティアの本部などがまとめて
はいっています。その各部屋の前には警備員さんが立っていて
もう厳戒体制が始まっている感じでした。
スタジアムの前の空き地には機動隊が整列し、スタジアムに入ろうとする
関係車両には各ポイントで金属探知機を使ったチェックが
はじまっていました。そして、オリンピックでよく見る許可証みたいなものを
肩から吊るした外国の方々が何人も何人も歩いてらっしゃいました。
普段のこの町は、JR「和田岬」駅があり、川崎重工で働いている方々が
集う町であります。民家もありますが、町はこの一つの企業があるからこそ
いろんな店があり、いろんな人びとがいるといった感じだそうです。
そんな町がもうW杯一色に塗り返られています。
ノドを潤すために入った小さな喫茶店で、警備服を着た我々に
そこのマスターらしき人が真面目に「ごくろうさま。」と
声をかけてくれました。
大変、嬉しく、また明日から頑張って、縁の下で、このイベントを
ささえて、何事もなく、来る人もこの町に住んでいる人も
有意義なW杯になるよう力を尽くそうと思いました。
明日の起床時間am4:45 多分、こんな(-_-)でしょうね。
着いてからは、こんな(^_^)してお客さんを迎える事にします。

[161] やりきれない話 T 投稿者: 投稿日:2002-06-03 (Mon)
高校生のとき、付き合っている人がいました。
彼女は大学へ進み、私は予備校へ進みました。
音信不通になりました。というより私の方が連絡をしなかったというのが
事実です。やはり自分が大学にいけなかったという「負い目」が
あったのかもしれません。
その夏、故郷にかえり、同級生から彼女が同じ京都という
場所の大学へかよっていること、そして私の事をまだ考えている事を
聞かされました。
くだらない「負い目」を感じてしまったことに悩んだ末、彼女に
連絡することにしました。
それから翌年の受験の季節まで数回、お会いした事を覚えています。
だけど、受験の直前になって、くだらないことばかり思う私は
彼女にこう言ってしまいました。
「これから受験やさかい、君とはしばらく会えない。わかってな。」
都合のいい言葉だと思います。
なにかしら、自分に規制をしいて、本当の思いとは裏腹な行動を
とってばかりいたように思います。
一年の空白を終え、大学生活がはじまりました。
だけど、その忙しさからか、また音信不通になってしまいました。
というより、また私のほうが、ただたんに連絡をしなかっただけなのですが。
当時、私が住む下宿は小さなものではなく、何十人という人が住む
学生ハイツみたいな下宿だったので自分に来る郵便物が
どこにくるかしらないまま過ごしていました。
大学で部活にはいりました。友人がたくさんできました。
その夏、その友人たちが『暑中見舞』を下宿あてに、たくさんだしたよ
と言うので、はてさて、どこに着ているのかと
下宿の管理人さんに聞いてみると、玄関入って、下駄箱の隣に
小さな部屋があって、そこに何十人ぶんの小さなロッカーがあるとのこと。
行ってみると、確かに、自分の部屋番号が割り当てたロッカーが
ありました。あけてみると、友人たちからの暑中見舞のハガキと
一緒に小さな箱がひとつありました。
その小さな箱をよくよくみると『誕生日 おめでとう! 〇〇 〇子』
と書いてありました。彼女からでした。
どうして、連絡しなかった私のこの住所がわかったのか
未だに謎です。
とっても複雑な気持ちになりました。
私の誕生日は4月19日なので、この小さな箱は
このロッカーに約4ヶ月の間、じっと私が来るのを
待っていたことになります。それを思うと・・・・
なんともいいようのない虚しさと自分の情けなさを痛感しました。
でも違う人との恋はもうはじまっていました。
4ヶ月・・・・この4ヶ月で・・・・いろいろと・・・
今だに、このことが心にひっかかって生きています。
彼女はこのことを多分、知らないでしょうから。
人生はいつも不条理なものだと割り切れれば「救い」もあるのでしょうが。

[160] 祝!W杯開幕 投稿者: 投稿日:2002-05-31 (Fri)
W杯が開幕しました。
開幕の朝、神戸でのW杯の試合の警備業務書類を部長から
受け取りました。
その書類を見て、業務内容を読めば読むほど
煩雑な仕事内容で大変なことを引きうけてくれたものだと
会社に感謝しています。
それによりますと朝の6時くらいに姫路を出発し
神戸で仕事を始めるのが8時半から
終了予定が20時半まででした。12時間仕事をするわけです。
今から、どうなることになるか不安だらけですが
こんな世紀のイベントの裏方として従事できることは
ちょっぴり有意義なことかなと思っています。
サッカーというスポーツは好きでも嫌いでもないけど
テレビの報道で各国の選手がキャンプをしている場所の住民たちと
国は違えども心触れ合っている姿を見たり、ソウルでの開幕戦で
いろんな格好をした、うきうきとして入場する肌の違う方々を見たりしますと
サッカーというスポーツを超えたものが、何かW杯にはあるような
気がしてきます。
ロシアの応援団をチャーター・バス駐車場から会場まで
案内する業務があります。
今から少しロシア語の勉強しておかなくては(もう、手遅れかも)。
スパシーバ!!まず、これからはじめる事にしますか。



[159] 医師 投稿者: 投稿日:2002-05-29 (Wed)
父方の祖父は大分で医師をしていました。
代々、医師の家系らしいです。
父は三男で上の兄が二人とも医者になったので
自分はなる必要がなかったと言っています。
でも自分の子供たちに対しては違いました。
大学受験の際、兄も私も両親から「医学部へ行け」と
一度はいわれています。しかし、二人とも行かなかったのか
行けなかったのか・・・今では全然違う道を二人とも
歩んでいます。
私の場合は高校の理系・文系の
どちらかへ行くかといった選択の際に、その道にいかないことを
表明して文系にいったのです。
そのときの理由は今思えば、簡単で
私学で開業医の息子が多くいましたが、彼らを見てなんとなく
「こいつらと生き方や考え方がちゃうなぁ」と思ったことが
要因だった気がしています。
医師として開業するには多くの資金が必要です。
初期投資ですね、会社でいう。その資金を回収し、それから
経済的に利益をあげ、それを維持するには
自分の息子や娘を医師にして守らなければならないという
発想が生まれるのは自然の流れだろうと思います。
医療というのは私たちが健康に生きていくためには
なくてはならないものなのですが、それを逆手にとって
利潤ばかり追求している医師がいるのは残念でなりません。
今日のニュースで歯科医師がアトピー患者にたいして
ネット上で必ず治るという宣伝をだし
歯科医師の免許しかもたない身分で広告を見て、やって来た患者を
治療したとして逮捕されています。
しかも、その治療は稚拙で、患者の健康な歯に穴をあけ
そこに薬を入れたり、塗ったり、わけのわからない治療を
治らない事を知っていながら、行なっていたらしいです。
歯科だけでも多分、普通のサラリーマンよりも
多くの年収を得ていたでしょう。裕福な生活をしていたでしょう。
それなのに、どうしてと言いたくなります。
多分、たんに多くの金を欲しかっただけのゲスな野郎だったのでしょう。
こんな野郎が一人いるだけで、真面目に一生懸命に真摯に
医療行為をされている医師の皆さんにどれだけ迷惑をかけているか。
あまり医師にかからないように『医食同源』を考えていくように
日本人が増えればいいのになぁと思ってしまいます。
皆さん、(特にお年よりの皆さん?)ちょっとやそっとくらいで
医者に行くのやめて、まずは毎日の食事がバランスのいいものか
どうか、どの食物が体にどのように働くのか、それから
始めようじゃあーりませんか。。。ね


[158] もうすぐ募集をかけますが・・・その前に 投稿者: 投稿日:2002-05-27 (Mon)
♪19のとき君 家をでてから この町ひとり アパート暮らし
 7時に目覚まし 時計とめて コーヒーだけの朝食すませ
 今日は何を着ていこうかしら 毎朝 迷う鏡の前
 でも迷うほど ハンガーケースの中 洋服並んでるわけじゃない
 電車の扉に 押しつけられて 朝日の中を 君はひとり・・・

 土曜の夜 テーブルごしに 声かけられる 見知らぬ人に
 でも淋しさ 投げ出せるような 少女の頃は もう遠い日々
 ほんとの愛 見つける その日まで 夜更けの町で 君はひとり・・・

浜田省吾の『4年目の秋』という歌詞です。
この詩の主人公のような方 いらっしゃったら
ご一緒に芝居なんぞ やりませんか?
だいたい募集をかけますと 演劇をかじった方が多いです。
かじった方は、それなりに上手で意欲もあり それはそれで
いいことなのですが、それでは範囲といいますか
小さな世界でしか演劇というものが成立しないように思えます。
私が考える「お芝居」は、いろんな方々、とくに今までの人生で
何を表現してきたんだろう、何をしてきたんだろう
今、なんとなく仕事してるけど、これでいいんだろうか?
そんな普通の市井の方々が集まってやる芝居こそ
とっても面白いものが作れるのではないかと思っています。
ちょっとくらい演劇をかじったくらいで
もう私は役者よ、僕は俳優だぞ、何でも知ってるわよ、何でも聞いてくれよ!
そんな事を思ったり、言うやつは、だいたい人間的に面白くない方々が
多いです。勘違いもはなはだしいと思います。
魅力ある役者は魅力ある人間である。・・・そう思います。
何か人を引きつけるものが、自然と『その人』にはあること多いです。
何か面白い、何か滑稽だ、何か不気味だ、何か・・・何か
なんでもいいのです。人を引きつけるには。
今まで一度も舞台を経験してなくても大丈夫です。
貴方自身が人を引きつける魅力がどこかにあるならば
いい役者さんになれると思います。
市井に埋もれている、真新しい感覚をもった、魅力的な人々に
はやく出会いたい、そう思います。

  

[157] Derby 前夜 投稿者: 投稿日:2002-05-25 (Sat)
就職して、すぐ研修があった。
京都で一週間、ホテルで缶詰、それから青森の百石町にて
約二ヶ月の実地研修を受けた。配属が東京本社に決まった。
青森から東京に向かう飛行機の中、同期のY君が私に聞いてきた。
「首藤君、明日、どれが来ると思う?」
「ん?何のこと?」「ダービーやんか。明日は。やらへんのかいな。」
屈託の無い関西弁だった。青森から離れられる喜びと次の週から
本当の意味での社会人としての一歩を踏む緊張感で
明日がダービーというのをすっかり忘れていた。
感性のおもむくままに行動する私は即座にY君にこう言った。
「明日、せっかく東京にいるんやし、競馬場いこか。」
言わなければよかった。電車はぎゅうぎゅう詰め、府中にある東京競馬場は
だっだっぴろく、どこへ行けばいいのか、もう『おのぼりさん状態』と
化していた。今まで青森のコンビニが一軒しかない町にいたせいなのか
少し人酔いしてしまった。
行ったかぎりは馬券を買わないと面白くないのですが
締めきり30分前なのに券売所には長蛇の列ができていた。
馬券をこのままでは買うことができるのかいな・・買えへんかったら
何しに来たんやろ、ほんま・・・Y君がつぶやく。
やっと買えたのが締めきり3分前のことだった。
それから人を関西人のパワーで、こじあけ、ねじあけ、やっと
ゴール前にたどり着いた。必死だった。
ファンファーレが高らかに鳴った。観客から空が割れんばかりの声!
金かかっとったら、野球の声援とは一味も二味も違うもんやなぁ
Y君がつぶやく。
スタートしてゴールするまでの約二分半、ずっと騒いでいたような
気がする。馬券買った馬を応援するという雰囲気ではなく
『お祭り』が始まり、そして終るといった感じでありました。
勝ったのは、ウィナーズサークルという白い馬でした。
私もY君もはずれました。
ダービーは違うわ。独特やなぁ。こんな雰囲気、味わったことないもんな。
馬券とれへんかったけど、満足、満足!
Y君がつぶやきました。
Y君、今、どこで何をしているのでしょうね。
多分、もう会う事なんてないと思うけど・・・・・
ダービー前夜、Y君のことや唯一、生で見て感動したダービーの
事を思い出しました。いつの日か、もう一度、見たいものです。
走れ!!ゴール目指して!!18の選ばれし優駿たち!!
みんな応援してるから!だけど特に頑張って欲しいのは
〇〇〇〇〇〇〇〇君 よろしく頼みますよ。

[156] fan 投稿者: 投稿日:2002-05-23 (Tur)
W杯まじかですが関西方面は、そのことより
阪神タイガースのことで持ちきりな感じがします。
今年のプロ野球の試合の様子を見ても、さすがに東京ドームは
大入りだけど関東の野球場はひとかげまばらで
あまり観客がきていないように見えます。
関東の方が関西よりもサッカー熱が高いのかもしれません。
土地柄がでているのかもしれませんね。
ちなみに神戸で行われる6月5,7日の両試合には
日本代表の警備員?としてW杯の裏方として
参加することになっています。
そのときの様子などは、このページでお伝えしようかと思っています。
サッカーの話はそのときにして
今日は野球のfanの話です。
今までいろんな職場や学校などで生きてきて感じるのは
だいたいプロ野球のfanは阪神か巨人に別れますね。
たまに横浜とか広島とかいるけれど、すごく少数派で
だいたいTとGです。
今の勤め先にもTとGのfanがいて、いつもどちらかが勝ったら
どうや!強いやろ!見てみぃ!という『どや顔』をして
その日は過ごすタイプの人が多いです。
自分が選手で活躍したかのように、昨日のホームランよかったやろ
こう内角の球を腕をたたんでな・・・こうやってな・・・
身振り手振りで休憩時間にやっています。
滑稽な姿に見えますが、当人は真剣です。なかには昨日の監督の采配に
ついて、私だったら、こうするとかとかこうはしないとか
昨日の原・星野監督の采配を分析して、議論しています。
そのような姿を見て、みんな野球好きなんだなぁ。と思ってしまいます。
自分の利害には全然、関係のない話をああも真剣に話せるなんて。
みんな話す顔は子供の頃に戻ったような無邪気な表情をしています。
あぁ・・・fanってこういう人たちのことを言うんだなぁ
芝居にも、これほど熱くなるfanができればなぁと
羨ましく思ったT×Gの3連戦でした。
『たかが野球 されど野球 ・  たかがfan されどfan』
いろんな人々に支えられてスポーツや文化が
栄えていくことが大事なのですね。
心動くことにいっぱい出会って、楽しみたいですね。ほんとに。


[155] 祝☆ROLLY’S PAGE 投稿者: 投稿日:2002-05-20(Mon)
管理人さんに無理を言って『ローリー』(犬・メス生後60日)のページを
作ってもらいました。どうもありがとうございます。
生き物は大好きです。言葉を喋らない分、顔の表情やら仕草で
一生懸命に何かを伝えようとしているところが、たまらなく好きです。
生きる事しか考えない彼らを見て、なぜ同じ動物である人間は
悩み、落ち込み、ときには自分の手で自分をあやめたりするのか
情けなくなってきます。
ひたむきに前向きに生きる事を
動物などから教えられる事が多いですね、私も。
このページを見るたびに、大きくなっていく『ローリー』という
一匹の犬からいろんな事を教えられるのではないかと思っています。
ふと『生きる』という原点に立ち止まって悩まれたとき
日頃の仕事や学業にお疲れになったとき
何か悲しいできごとに遭遇されたとき
愛するという言葉を忘れかけそうになったとき・・・・
そんな時に癒してくれる存在として『ローリー』が
成長していってくれたらなぁと思います。
彼女の性格形成はこれからの数ヶ月で決まるらしいので
会った時はいじわるせずに優しくしてあげようと
決意したしだいであります。

[154] ローリー登場 投稿者: 投稿日:2002-05-18 (Sat)
飾磨の実家へ帰りました。
すると、びっくり『サリーの死』から約一ヶ月
新しい犬がいました。
種類はリトル・ダックスフンドのメスで生後約60日
毛色は血統書にはレッドと書いてありましたが
実際は茶色というか黄土色というか、その中間です。
名前を『ローリー』と言います。
サリーがいなくなって、もうペットは飼わないでおこうと思ったものの
年老いた二人だけの家庭には、なにかぽっかり穴が空いた感じになっていた
らしく、ペットがいるという存在がどれほど大きな存在であったか
どれほど癒されていたか、どれほど生きる喜びを与えてもらっていたか
・・・・そんな事を痛感したらしく、買うことになったと
両親は言っています。母は「私の寿命より、多分よーさん生きるから
その時は、あんたが面倒みるんやで!」とブラックな事を言います。
そんなこと言われて、なんと答えていいのやら返答に困った
しだいであります。
体調40cmほどのローリーは、ほんとうによく動きます。
じっとしていません。なかなか愛嬌のある顔をしています。
少しタレ目で、いつも尻尾をふって、はしゃいでいます。
見るものすべてが新鮮なんでしょうね、なににでも好奇心旺盛に
とびつきます。いいですね、若いというのは。
S−PROJECTのマスコット犬として、将来、オズの魔法使い
なんぞやったときは、ドロシーのペットとして舞台に立たせても
面白いんじゃないかと、勝手に思ってしまった私です。
管理人さんに話をして、このHPに『S−PROのマスコット・
ローリーの成長記』なるページを作ってもらえないかなぁと
マジで思っています。言ってみようっと。
ちょっとくらい息抜きできるページもあってもいいのではないかなぁ
と思いますので。
今日はローリー君・・・いやメスだからローリーちゃんに会えて
すこしハッピーな気分になった仕事帰りでありました。(^.^)

[153] 富み 投稿者: 投稿日:2002-05-16 (Thu)
今日、長者番付が発表されました。
この不況といえども、稼いでいる人は沢山いるものだと感心しました。
共産主義のように社会の富をすべての人に均等にしていては
頑張った人と頑張らなかった人に差がなくなり
皆、頑張らなくなり、社会に何の進歩も発展もなくなってしまう。
今の資本主義社会なら頑張った人は頑張った分だけ
報酬をもらえている・・・よかった・・・よかった
本当にそうなんでしょうか?
今回の長者番付をよくよくながめてみると
消費者金融やパチンコ店経営者がなんと多いことでしょう。
この両業者が儲かっている事に嫌な気持ちを抱くのは私だけなのかなぁ。
自分は、パチンコはしないけど、はまっている多くの人を知っています。
パチンコ地獄から抜け出せないでいる人を知っています。
そのパチンコ店の隣には、なぜか消費者金融があることも知っています。
かっとなって、消費者金融で金を借りて、パチンコ店に駆け込む
多くの人々の姿がそこにあるように思います。
健全じゃない感じがします、その姿は。
姫路の駅前を歩いていて、パチンコ屋の前を通りがかると
必死で多くの人々がパチンコを打っている姿を目にします。
そのエネルギーをもっと違う方向に使ったらええのになぁと
思います。
国や地方自治体が行っているギャンブルは
その利益が国や地方にゆきます。それで社会に還元してもらえたら
いいのですが、パチンコなどは個人にゆきます。
その点で公的なものとパチンコは違うように思います。
早くその点に気づいて、おおがかりな規制(例えば射幸心をあおるのを
やめさすとか)をしてほしいし
それができなければ、もっとマスコミなりのメディアが
パチンコで借金苦に陥っている方々を紹介するとか
社会としての悪として、それをとらえる作業をしないことには
いつまでも今のような状況が続くのではないかと思ってしまいます。
目先の小銭欲しさに生きるのって嫌な生き方ですね。本当。

[152] やっと・・・タイトルが。。。 投稿者: 投稿日:2002-05-14(Tue)
2月の公演すんでから、なんとか年2回の公演形態を
春と秋の季節のいい時期にならないものかと
考えていました。最初の「ドラキュラ」が8月でしたので
6ヶ月に一度になると、毎年2、8月といった水商売では嫌うニッパチに
なってしまいます。そんな人が動かない時期に公演うっても
仕方ないと思い、そのサイクルを変えるには次を
すぐに打つか、間隔を長くとるかの二者択一しかありません。
二月の頃はいきおいで短期間にすぐ打とうかと思っていましたが
やはりじっくりと練習し、時間をかけたいということで
間隔をとる方向で制作サイドで決定しました。
そして内容なのですが、オリジナル作品でいこうということに
なりました。そのタイトルがやっと・・・やっと・・・
決定しました。それは5月末の次回のプロジェクトで発表することに
しますが、今はほっとしています。
芝居に限らず、タイトルを考えるのって、ものすごい難しい作業だと
思います。あまりベタすぎるのも興ざめしますし、わけのわからない
ものすぎると何の芝居かわからなくなるし、本当に難しいですね。
まぁ脚本書く人がこれでいくと言えば、それになるのでしょうが
書く人とプロデュースする人が同じ場合は、これにしたら
あれにしたら、それにしたら・・・・受け手がどうとるか
先読みして推敲してしまいます。
でも最終的には芝居の演出家と同じで、タイトルを選ぶものが
気に入って、変な自信というか、思い込みというか・・・・
そういった類のものを持てたなら、○であろうと思っています。
そして私の場合、タイトルを決めて脚本を書いていくので
その言葉がプリズムのように多角的にひろがっていくものであれば
言う事ないのですが。
今日のテレビの2時間ドラマのタイトルなんかは
「街の医者・神山治郎 乳房喪失・生き別れた子への約束を 
 守るために自ら死を選んだ母の揺らぐ決意」
と書いてあります。
こんなタイトルを芝居で書いたら、お客様にはったおされそうで
怖いです。なにもかも丸みえって、どこか気分悪く感じるのは
私だけでしょうか。
オールタナティヴというタイトルをつけた芝居を
書いたとき、世には今の時代のように、その言葉は浸透していませんでした。
少し時代よりも先に使った気がします。
やはり時代とともに演劇があるとするならば、時代に呼応した
その時代の言葉をつかってタイトルにするのが 
わかりやすくていいかもしれません。
本当、タイトルだけで何日も考えていしまいました。
心地よい知的疲労がまだ残っています。
そういった知的疲労を繰り返し『いい脚本』ができあがれば
嬉しいのですが。頑張ります、いや頑張らしていただきます。


[151] 宇宙 投稿者: 投稿日:2002-05-11 (Sat)
宇宙誕生から間もない約153億年前の銀河が発見されました。
宇宙の誕生が約160億年ということなので
それから7億年後に銀河が存在していたことが判明されました。
この銀河では星の生成活動が盛んで、毎年太陽40個分もの星が
誕生していたそうです。
こんな話を聞くと、今日一日、どのように生きるかばかり
考えている私にとってスケールが大きすぎて
頭がフッーとなって、今日や明日のことをどのように暮らすか
どないでもいいような感じになってきます。
今いる部屋をでると姫路の街があり、姫路をでると姫路とは違う日本の街
があり、日本をでると外国の街があり、外国の次は地球以外の場所があり
地球以外の場所=太陽系の様々な場所があり、太陽系からでると・・・
こんな事ばかり考えていたら、眠れなくなってしまいます。
でもたまには眠れない夜があって
一日中、天文学のことばかり考えていても
いいかもしれない
と、ふと思ってしまった、そんなNEWSでありました。
自分という人間の存在の小ささや無力さを感じずにはいられない
そんなNEWSでもありました。

部屋の窓を空けて 夜空を久しぶりに見てみようかな
じっと空を見上げて 望遠鏡でしか見えなかった
153億年前の銀河を思えば
かすかに ほんのかすかに 見えてくるかも・・・

今日は、そんな私のいつもと違う『もうひとつの土曜日』
就寝3時間前の『天体観測』でした。



[150] 時には母のない子のように 投稿者: 投稿日:2002-05-09 (Thu)
今週のスカパーの421チャンネルでカルメン・マキさんの特集を
しています。421チャンネルはデジタル・ラジオ・チャンネルなので
画面にはタイトルしかでてきません。ただラジオのように曲を
じっと聴くだけなのですが、カルメン・マキさんの当時の歌声を
デジタルで聴けるのは、とっても嬉しいことです。
寺山修司に見出されて、劇団「天井桟敷」に入ったマキさんは
歌の才能をも見出されて、「時には母のない子のように」で
歌手デビューし、この曲が大ヒットします。
独特の歌い方で彼女の声のトーンとこの曲の歌詞がマッチして
母のない子がマキさんのことではないかという風な錯覚さえも
覚えてしまう感がします。
このスカパーの特集の最後の曲がイタリア語で
マキさんが、この「母のない子のように」を歌っています。
それがまた実にいい!意味を知っていて聞くからかもしれませんが
イタリア語の雰囲気といいますか、物悲しい音色といいますか
遠い昔、何の意味を持たなかった、少年の頃
母に手をつながれて 今は廃線となった飾磨線に
C12という蒸気機関車を見に行った日が
目蓋をつむると セピア色で浮かんできそうな そんな曲です。
もうすぐ母の日です。
誰かが勝手につけた母の日ですが それに便乗して
普段、自分の母のことをおざなりにしているならば
原点に立ち戻って 自分と母の関係を考えてみても
それはそれでいい事なんだろうなぁと思います。
 
『時には母のない子のように』

時には母のない子のように 黙って 海をみつめていたい
時には母のない子のように 一人で旅にでてみたい
だけど心はすぐ変わる 母のない子になったなら
誰にも愛を話せない

時には母のない子のように 長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように 大きな声で叫んでみたい
だけど心はすぐ変わる 母のない子になったなら
誰にも愛を話せない 


[149] 子供の日 投稿者: 投稿日:2002-05-05 (Sun)
GWですが、仕事があるので働いています。
芝居をするときには、まとまって休みをもらうものですから
GWといっていられません。
今日は子供の日でした。いつも朝礼を私の挨拶からはじめて
その次に一番年下のY君(25歳)に本日の天気をみなさんの前で
言ってもらっています。Y君の日課となりました。
いつも前日のサンテレビの天気予報を見ているそうです。
今日は皆が集まる前にY君にこう言いました。
「今日は子供の日やから君が子供の頃の思い出をいうてみいや。」と
そうするとY君は即座にこう言いました。「あまりありません。」と
彼がそう言うと自分でも子供の日って何かしたかなぁ・・・と
思いはじめました。GWの最後のへんの日で自分でも
あまり思い出がないことに気づきました。
「そういえば君が言うように、俺も思い出ないなぁ。」
5月5日は端午の節句です。
「端」というのは「初め」、「午」というのは「五」という意味です。
つまり端午というのは、月の五日という意味になります。
そして、その節句というのが陰暦の5月5日になり、男児の節句と呼ばれ
しょうぶやよもぎを軒に挿して邪気を払って、鯉のぼり・甲冑・刀剣
を飾り、ちまき・かしわもちを食べて、男児の将来を祈る。
とまぁ、こんな風に辞典には書いてありますが
こんなこと幼い頃やったかなぁという感じです。やったとしても
それが思い出としてあまり残っていないのは
GWというだらだらと長い休みのせいで、この端午の節句が
盛り上がらないというか、たんに長期休暇の『とある一日』としか
考えないようになっていった気がしています。
意味のある一日を何か意味のない一日にしているのは
GWのせいかもしれませんね。
幼い頃、明治生まれの祖母が菖蒲を湯船に入れてくれていたことを
思いおこします。だけども、その菖蒲の香りが
どのようなものだったか、遠すぎて思い出せないのが哀しいです。
季節とともに生きてきた良き日本人の魂を消さずに
生きていきたい・・・そう思った『子供の日』でありました。

[148] イムジン河 投稿者: 投稿日:2002-04-30 (Tue)
最近、嬉しい事がひとつあります。
それはフォーククルセダ―ズの『イムジン河』という曲が
ヒットしていることです。
フォーク大好きな私にとっても、この曲はとりわけ思い出深い曲です。
北山修氏の書く歌詞がとってもシンプルで好きでした。
彼がフォーククルセダ―ズの一員と知ったのは大学生の頃です。
それ以来、フォーククルセダ―ズの曲をよく聴くようになりました。
「悲しくてやりきれない」という曲が好きでした。
この「悲しくてやりきれない」という曲には逸話があると知りました。
それは「イムジン河」という曲を発表した彼らでしたが
当時は南北朝鮮があまりにも緊張状態にあったため
両国を歌ったこの「イムジン河」の歌詞がダメということになり
放送禁止になったのです。そこでフォーククルセダ―ズのメンバーは
この曲を逆回転にして、それをメロディにして
佐藤ハチロー氏の詩をのせて「悲しくてやりきれない」という作品を
世に発表したのです。彼らが佐藤氏の、この詩を選んだのは
何か意味があったのかどうか、実は計り知れませんが
私的には、何か自分たちの表現を国家などの理屈で規制しようとすることに
不条理さを感じたから、この詩を選んだ気がしています。
時代は流れ、日韓共催でワールドカップが行われようとしています。
これがきっかけかどうかわかりませんが、この「イムジン河」が
今、シングルカットされ、世の人々の前で流れる事は
嬉しさ半分、くやしさ半分といった複雑な気がしています。
嬉しさとは、放送禁止になった時代から規制がとかれた開放感から
くるものと素晴らしい曲はみんなに聞いてもらって感動してもらえれば
というもの、くやしさとは自分だけが宝箱にこっそり入れておいたものを
他者が知ってしまうというものですか。
まぁ戦争に負けて、二つに分断されなかった日本人の私が、この曲に対して
こんなちっぽけな感想を持っても、どうってことないんですけど。
この曲を聴かれた当事者である、同一言語を使いながら
社会体制が違う方々の『想い』はいかなるものか・・・・
それを考えるだけでも、日本人であるわたしたちの犯した過ちに
つながれば救われるかなと思っています。

『イムジン河』
イムジン河 水清く とうとうと 流る
水鳥 自由に 群がり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 思いは はるか 
イムジン河 水清く とうとうと 流る

北の大地から 南の空へ 飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに 分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

イムジン河 空遠く 虹よ かかっておくれ
河よ 思いよ 伝えておくれ
ふるさと いつまでも 忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと 流る

[147] ホームページ開設・一年 投稿者: 投稿日:2002-04-27 (Sat)
私が管理していませんが、わがS−PROJECTのホームページが
誕生して一年が経ちました。なにか遠い昔のような感じがしています。
それだけ、この一年の間にいろいろな出来事があったからだと思います。
演劇というものはテレビドラマや映画と違い、ある特定のひとつの場所に
足を運んでいただいた方しか見る事のできない代物であります。
マスが発達した時代には逆行したものであるかもしれません。
でも、そのことが私にとっては魅力的なことだと感じています。
中途半端な地方都市でも文化として成り立つのが演劇だと思っています。
地方で少々,人気がでて、大都市などにいって、うかれている劇団が
ありますが、愚の骨頂、笑いたくなります。
多分、彼らは自分をいつか見失うか、それとも大都市の、同じような類の
ものに吸収されてしまうか、そのどちらかだと思います。
わざわざ出ていかないでも、大都市からわざわざ足を運んで見に来てもらう
そんな演劇をつくるのが理想といえば理想かもしれません。
正直いって、そこまでしてもらわなくても、そっちはそっちで
やってくれって感じで、同じ町に住む、同じ空気を吸っている方々とともに
劇団も成長していったら、こんな有意義なことはないかもしれません。
まだまだ、いろんな意味でこのプロジェクトが始まったばかりですが
少しだけ、ささやかな「手応え」みたいなものは感じています。
この一年、何らかの形でプロジェクトに参加してもらった方々に
感謝をし、2年目を迎えて、これから先、一緒にプロジェクトに参加して
いただける、まだ見ぬ同志の方々に「よろしく。共に頑張りましょう!」と
いう言葉をささげます。
人はひとりでは何もできない『無力』な存在を感じはじめた私です。



[146] 将棋名人戦 投稿者: 投稿日:2002-04-25 (Thu)
今日、愛知県蒲郡市で将棋名人戦第二局がありました。
丸山名人に森内挑戦者がいどんでいます。BS2で名人戦を
中継しているときは、いつも見るようにしています。
全然動きのない画面です。だって将棋なんですから。
対局者と盤面が交互に写り、解説者とNHKのアナウンサーが
それを見て、話あうといった、ものすごーい地味な番組です。
視聴率のことを心配してしまうくらい地味な番組です。
でも私にとっては、この一手,一手どのようにプロ棋士がさすのだろうと
一喜一憂しながら、食い入る様にその動かない画面を見ております。
間が好きです。一手打つまで、水を何杯も飲み、トイレに行き
腕組をし、頭をかき、考えて考えぬいて30分、60分、90分・・・・
そしてやっと一手をさす。だいたい勝負がつくころには
各自、9時間の考慮時間を使いきってしまうのですから
それくらいは時間使うはずです。
本当に贅沢な間です。これが芝居だったら一言いうのに、こんな間とってたら
客が帰ってしまうことでしょうね。また寝てしまうか・・・大変です。
現代は何でもスピード優先の世の中にあって、この将棋の世界は
こういった時間を大切にしているなんて、なんかいいですね。
二日かけて、将棋を一局しかしないって、なかなかできませんよね。
今日は森内挑戦者が勝ちました。次回の放送は5月8,9日だそうです。
次々に展開がころころ変わるドラマやバラエティより
時の流れが止まったかのような『この将棋の時間』
一度、見てない方も見てみたら、価値観かわるかも。
今日は、そんな時間でした。王手!!

[145] 先生 投稿者: 投稿日:2002-04-23 (Tue)
先生と呼ばれる人・・・あまり、いいイメージないですね。
なんか傲慢で偽善的な感じがする。演劇でもちょっと名が通ったら
すぐにどこかの大学の助教授や講師になっていく人がいます。
いやですね。なにか勘違いしてるのでしょうね。食うためなら
しょうがないけど、名誉のごとく、それを自分の肩書きに入れている奴を
見ると腹がたちますね。と同時に嘲笑してしまいますね、その類の人々に。
「先生」という言葉の魔力で己が河原乞食の分際というのを忘れてしまって
いるのでしょうか。
高校の時、先生面して生活指導も熱心だった熱血漢の地理のN先生よりも
煙草を吸いながら教室にいつも入ってきて うるさい奴がいたら
チョークを思いっきり投げるは、自分が下らないと思った質問には
沈黙するは 突然、窓の外を見て約10分くらい何も言葉を
発しない現代国語のF先生のほうが、今考えると、本当の先生と
呼べる人だった気がしています。
わしゃ教えるだけ、他は知らん、わしの授業を邪魔するものは
痛い目にあうんだぞ、教えることがなくなったら終わり、外を見るだけだぞ
いいですね。説教じみたことを一言も言わないし、生徒によく見られよう
と思ってもいない。教師の鏡みたいな人に思えてきました。
自由にF氏が振舞っている姿を見て、自由人って多分、こういった人の
ことをいうんだろうなと思っていました。
彼の授業からは息苦しさを感じた事がありませんでした。
ええ格好して、これしたらダメだとか、受験戦争を勝ちぬくのは
綿密なスケジュール(計画)をたてるのだとか・・・
まぁこの手の教師からは息苦しく・重い空気を感じずにはいられなかった。
全国の先生と呼ばれる方にいいたい!
ええ格好やめなはれ。人生訓言うのもうやめなはれ。
傷ついた人間のこと、わかろうと思うなら
自分だけ暖かい、守られてる立場から離れなはれ。でも無理でっしゃろ。
家族もいますし、自分の生活レベルも守らにゃならん。
人によく見られようとするの止めなはれ。時代は「先生」という言葉に
何の期待も希望も持ってないんやから。
あんたらが、ええ格好して作り上げる『生徒にたいする管理』からは
『生徒にたいする抑圧』がうまれ、それが『いじめ』につながっていく
ことわかってぇな。頼むで。もうそんなにしゃかりきにならんでええからね。

[144] ウェル・メイド・プレイ。。。おもろいかなぁ? 投稿者: 投稿日:2002-04-22 (Mon)
2004年のNHKの大河ドラマが三谷幸喜氏による「新撰組!」に
決まったそうです。彼のコメントで「歴史の再現よりも、わくわくする
面白いエンターテイメントを作りたい。」と述べています。
彼の舞台やテレビ(古畑ものなど)を見た事ある人が多いでしょうが
私は一回見たら、後は、同じことのくりかえしで・・・
うむうむよくできた『お話』ですね。よかった、よかった、ほんとね。
そういった感じですか。彼の書くことが見えてくる、よめてしまうので
あまり面白く感じた事はありません。
日頃から生活に追われ、なにも物事を考えない人々の娯楽には
なっているかもしれませんが、芸術としての作品という側面で見れば
なにひとつ、感動を与えてくれはいないと思います。
昨今、土田英生やマキノノゾミなどの同じ時代に京都で芝居をしていた
人々がウェルメイドプレイの作品を書いて、演劇界で台頭している
ようですが、毎回毎回、どうやったら面白い構図が描けるのだろうか
そして、その構図をどのように崩していったら、面白い作品に
なるのだろうかということばかり考えるようになってきていることは
個人的につまらないなぁと感じている次第であります。
また彼らを受け入れる側、つまり見る側がそれを望む状況にあるという
今の日本の受け手の心の貧しさ・軽薄さがそうさしているのかもしれません。
時代は窮屈になり、何の目標も持てず、だけど毎日,毎日,何かを
消費しなければ生きていけなくなった人々が そのウェルメイドを
望んでいるとしたら、その姿は健全なものではなく
何か不健全な感じがするのは私だけでしょうか。
はやく平成の寺山があらわれることを望むばかりです。

[143] 雨の日にふとおもうこと。 投稿者: 投稿日:2002-04-21 (Sun)
雨の日もたまにはいいかな。でもTG戦が中止で夜は暇やなぁ
何して過ごそう?パソコンでも?読書でも?ぼーとした時間がすぎる。
テレビはまぁ見ない方かな。見るとしたら、見る番組が限られています。
野球などのスポーツかニュース番組か、たまにドキュメントか衛星で
やっている演劇か音楽番組か。
妻や実家の両親は、ドラマをよく見ています。
2時間サスペンスとかトレンディー・ドラマとか見てます。
どうも自分は見る気がしないんですね。理由は物語が面白くない。
その一点につきます。同じような話ばかりで、斬新さがありません。
テレビというもの、マグロが止まったら死ぬように
毎日,毎日,くだらないものでも、流さなければならない宿命を
背負っているものだから、テレビ局が意図的に作ったドラマなんかは
面白く感じないのかもしれません。
でもテレビって手軽なもんだから、スイッチ、パチってつけたら
何か始まっちゃうわけで、なにしていいかわからない人々にとっては
なにしていいかわからない時間を消費してくれるわけで
こんな好都合なものはないなぁと考えています。
家族がテレビ・ドラマを見ている時間、パソコンで音楽を流しながら
このエッセイを書いたり、インターネットしたり、次のプロジェクトの
要項を考えたり、会社の書類などを書いたり
することは毎日、貧乏暇なし、けっこうあって
いつも何かしら考えごとをしながらパソコンに向かっています。
ちなみに今は大滝詠一のアルバムを聞きながら書き込んでいます。
頭のなかはいつもグルグルといろんな想いが駆け巡って
自分でもひとり机に座り、パソコンをいじっている時間が好きです。
このままでは晴耕雨読じゃなく晴読雨読、オタクみたいに
なってしまうので、はやく次のプロジェクトにとりかかりたいのですが
あせっても仕方ないので、じっくり待ちの姿勢をとってる今日この頃です。
漠然と いい意味でいい加減に時がたつ、雨の日・・・好きかもしれません。

[141] サリーの死 投稿者: 投稿日:2002-04-19 (Fri)
サリーは実家で飼っていた犬です
15年間、生きました 先週の12日に死にました
そのことを今日、実家の母から聞きました
今年に入り、鼻血が止まらなくなっていました
耳が聞こえないようになっていました 白内障にもなっていました
母は言いました 「私を見てるみたい・・・・」
今日は私の誕生日でした もう40回目になるのかと思いました
老いがまだ来てるようには思えません 
でも着実に肉体は老いているのでしょうね 心持ちとは裏腹に
長生きしたいとは思いません 自然にサリーのように
誰の手にもかからずに 事故にあわずに 普通の生活をして
老いて その延長線に「死」があることを願うくらいです。
死んだら、どこへ行くのか 誰も知りません
だけど人間は他の動物と違い、「死」という概念はあります。
こんな概念なんて持ってしまったから 恐怖や不安などを
「死」というものに感じてしまうのです。
川を産卵のために上る鮭が、もしこの概念を持ってしまったら
根性なしの鮭などは川を上るのをやめ ずっと海にいるのかもしれません。
もしかして鮭は「死」という概念を持って、つまり死ぬるために
川に上り、産卵して死に絶えているとしたら
そうとうな覚悟をもって行動していることになります。
それが正解ならば、なんと人間は覚悟をもたない
弱い、へたれな、気の小さい、動物であることになります。

人間の定義はともかく、情をかけたものが 声をかけても
もう答えることがなくなるのは 淋しいことです。
私にまつわる多くのみなさん!私がいっぱい、いっぱい
あなたに問いかけます。だからいっぱい、いっぱい
なんでもいいから答えてくださいね。沈黙なしにね。
いずれ沈黙がいやでもやってくるのですから。
淋しがりやになってしまった 40歳(これ書くのなんか嫌だなぁ)です。

[140] 『ジョジョ・マッコイ』 投稿者: 投稿日:2002-04-17 (Wed)
何気なく本棚を見ていると、鴻上の本が目に止まった。
冒険宣言・・・1987年に出版された本で彼の戯曲ではなく
エッセイとか舞台のあいさつ(初演から彼は『あいさつ』という名で
各公演のたびに文章を書いています)とか、なかなか面白い文章が
いっぱいあって久しぶりに読んでも、時代遅れではなく
楽しく、ときには「うむうむ」と納得したりして
一気に2時間くらいで読破してしまった私でありました。
そのなかでS−PROをやっている立場からとっても参考になるところを
私のエッセイのなかでも紹介したいと思います。
それは彼がNYにいって、そのときグリニッジ・ビレッジで
オフオフの演劇人に「NYで今、いちばん面白い演劇人は?」と
聞いたところ、ジョジョ・マッコイという人物を紹介され
彼の著書『リアル・プレイ』なる演劇にかんする評論集を渡され
それを引用しながら感想を述べているくだりがとってもNARUHODOと
思わせてくれるものでしたので、マッコイの俳優にたいする考えを
紹介して今日のエッセイとさせていただきますね。ufu・・・poh(^。^)
『マッコイの一言〜リアル・プレイより〜』
★役者は才能である。努力したってダメな奴は絶対ダメだ。(・o・)
★理屈を言う女優に美人はいない。ブスばかりだ。こいつらは
 劇団においておくだけで毒だ。殺せ。(*_*)
★ダメな役者と付き合うな。自分がダメになる。
 ダメな役者というのは不平と不満と理屈を言う奴である。(~_~)
★男は女と、女は男とどんどんセックスしろ。
 安定は役者の最大の敵のひとつである。(ーー;)
★スタニスラフスキーを今ごろやっている奴は馬鹿である。
 日常の感情を追体験したって何になる。実力で役者になれると思うのか!
★ブレヒトを今ごろやっている奴は馬鹿である。
 客の感情移入をSTOPさせて理性にうったえかけるなんてのは
 ヘタな役者の言い訳である。(゚-゚)
★グロトフスキーを今ごろやっている奴は馬鹿である。
 君はそんなに貧乏になりたいのかね。(+_+)
★アルトーを今ごろやっている奴は馬鹿である。
 君はそんなに気が狂いたいのかね。(@_@)
★カブキを今ごろやっている奴は馬鹿である。
 君はそんなに猿まねをしたいのかね。(;_;)
★京劇を今ごろやる奴は馬鹿である。
 君はそんなにオリンピックにでたいのかね。(^0_0^)
★ここでもう一度言おう!努力で役者になれるわけがない。
 役者は才能である。役者は天性である。役者は生まれたときから
 役者なのだ。役者になるのではない。役者がいるのだ。
 役者として生まれた人間がいるだけだ。(+_+)
★演劇は才能のある役者と才能のある演出家と才能のある脚本家のみで
 つくりあげられるものである。(゚o゚)
★発声は、体の震動である。ノドでするものではない。
 一日でこれをマスターできないものは演劇をやめたほうがいい。(・_・)
★セリフを言う時、基本的な体のゆれを切ること。これは最低の礼儀である。
★「ノー!」と叫ぶ時、首を振るのは演技ではない。
 それは、大きな声をだすための生理的押し出しか、「ノー!」という時
 首を振るものだと一人勝手に学習した結果である。(._.)
★考える時、腕を組む。悩んだ時、頭をかく。これらすべても演技ではない。
 これらは知らず知らずのうちに、意味のヌケガラを学習したのである。
★意味を伝えるのではない。意味の裂け目を伝えるのだ。
 裂け目には、感情、生理、匂い、などが顔をだしている。(^。^)
☆これだけは忘れないでもらいたい。もし、あなたが、周りの人々から
 不思議に人を引きつける魅力があるといわれているなら
 あなたは、役者への道の最初の門をくぐったことになる。
 ただ、それは同時に、普通の幸せを手放したことになるのだ。
 私は、肉親や友人が死ぬと嬉しくてたまらない。
 なぜならそこには悲しむ人々、私のわきあがる悲しみ
 呆然とする人々、さまざまな最良のテキストが提示されているからだ。
 どうしてこれを学習しないでいられようか?私はそれを、かたはしから
 観察し、盗む。人、それを悪魔と呼ぶ。が、私はそれを役者と呼ぶ。

[139] 皐月賞のあった日 投稿者: 投稿日:2002-04-14 (Sun)
『賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある』

今日も賭けたけど負けました。今年のG1は三連敗です。
結果は大荒れでした。
勝った馬の名前は『ノーリーズン』
「なんでこんな馬が勝つのだろう?わからなんなぁ。」と言った私の
言葉を聞いて、彼は、「あっしが勝つ理由なんてないんだよ!
だって、あっしの名前は・・・・」
と嘲笑うように心地よくターフを
かけぬけてゆきました。
2着に来たのが『タイガーカフェ』という、お馬さん。
黄色の帽子をかぶり、まるでタイガースの快進撃のような
激走でした。
たかだか二分ほどの一瞬の出来事に何日も何日も前から
どれがくるんやろと職場でも皐月賞の話が盛り上がっていました。
レースのときは仕事をしているのですが、誰かがこっそりと
どこから聞いてくるのか、レースの結果を言う「おっちゃん」が
いて、困惑しています。家に帰って、録画したのを見て
自分が賭けた馬を応援するのが楽しみなのに
結果を先に聞いてしまっては、面白くもなんともない。
わずかな、はずれても困らないお金しか賭けてはいませんが
額が問題じゃなく、たとえ100円でも楽しみたいのです。
どの馬が逃げて、ペースがどうか、不利はなかったか
いろいろな場面を見たいのです。お芝居をみるように。
そして結果を知りたいのです。こういう展開でこうなったのかってね。
知ってしまったら、面白くないことって
競馬に限らず、いっぱい世の中にあるような気がしています。

『明日、何が起こるかわかってしまったら
 明日まで生きるたのしみがなくなってしまう』
そんなことを思った皐月の一日でした。

[138] 『引越し』 投稿者: 投稿日:2002-04-12 (Fri)
入学式はめでたいが、予備校の入学式は?
浪人時代が一年ありました。よく鮮明に覚えている。
なぜなら,生まれてはじめて親もとを離れたから。
場所は京都・駿台の寮に姫路から荷物を運んだ。
着いて驚くことばかりであった。管理人とは名ばかりの、えらそうにする
京大の学生、廊下には彼らが飲み干した一升瓶やビールの空き缶。
着いた夜、彼らの中の最上級生あろう奴が入寮生を集めて
受験について成功者のように語りはじめる。
母親がすすめた入寮であったが、その夜、三畳一間の屋根裏部屋みたいな
自分に与えられた部屋で眠れぬ夜をすごした。
徹夜のまま、管理人に私は告げた。
「忘れ物をしたので、姫路に日帰りで取りにいってきます。」と。
新快速に乗り、家につき、状況を説明した。
入寮説明とは違う事実を知った母親はこう言った。
「あんたの好きなようにしなさい。でも全部、自分でかたつけて
 くるんやで。」
その言葉をもらい、すぐさま京都に戻り、下宿を探した。
賄いなしの所しかなかった。「まぁ、いいや。どうにかなるだろう。」
そう思って、竹屋町の家具屋さんの下宿を選んだ。
大家さんと話をして、駿台のアホの京大生が管理する寮まで
車(軽のトラック)を出してもらうことを交渉した。
交渉後、その寮に戻った。そして管理人の京大生のところに行った。
「お話があるのですが。」「なんや!」偉そうなトーンだった。
「あと二時間して私の荷物を取りに来ます。ここを出ます。」
「なに言うてんのや,君。」またまた偉そうなトーンだった。
「もう決めました。」この一言しか言わなかった気がする。
お前らが酒あびるのを見たくねぇ・・とか
偉そうに、自分たちの成功話を聞きたくねぇ・・・とか
言わなかった気がする。こいつらに言っても無駄な気がしたのかもしれない。
2時間後、家具屋さんの軽トラが来た。
そこから一年間の浪人生活がはじまった。
自分ひとりの力で、生まれた所を離れた場所で、はじめて
親の力も借りずにやった『引越し』で
漠然とした、ひとりで生きていける自信がうまれた日でもありました。

[137] 入学式 投稿者: 投稿日:2002-04-08 (Mon)
今日、ほとんどの学校で入学式が行われたようです。
姫路城の側を通りながら、いつも駅周辺に行くのですが
今日は母親づれの中学校や高校の生徒の姿をよく見かけました。
彼らの姿を見るととっても初々しく、自分でも
こんな頃があったのだなぁと振り返ってしまいます。
あの頃は母親と一緒に学校行くのは、多分、嫌な部類の人間であったように
自分で思いますが、年老いた母がいつもいつも私の家内に話すことが
私や兄のことである事実を思うと、あの入学式のとき、もっと笑顔で
もっと愉快に 母と学校に行ってあげていたならと 少しばかり
後悔してしまいます。親孝行って何だろう。。。。
ふとそんな命題を思うとき、私は人様に迷惑をかけずに
己の信じる道を突き進むことこそ・・・親孝行ではないかと思います。
両親は優秀な高校,大学、一流企業、そして豊かな生活、何不自由のない
生活を幼い頃から、強く、強く、要望していました。
彼らが望むものと私が望むものとのギャップに悩まされながら
生きてきました。兄は両親の望むように、今も一流企業で頑張っていますが
私は違います。でも私には演劇があります。自分の思いを
自由に表現できる場所があります。それだけで充分なのです。
ようやく私が姫路に帰り、S−PROを立ち上げてからは
あまりがみがみと彼らの望みを言わなくなりました。
あきらめたのかもしれません。いや理解してくれたのかもしれません。
どちらかわからないけれど、何も言わない彼らを見て
逆に、ときたま淋しくなるときがあります。
それは確実に両親がパワーをなくしている点につきます。
あきらめたとか理解したとかという次元じゃなく
老いて、子供に対して望む力が希薄になってきているのだと思います。
言われていた時はやっかいで、言われなくなると、淋しい。
あまのじゃくですね。でもどっちも経験した私が思うのは
やっぱりガミガミいつも叱っていて欲しいなぁと。

[136] 足の引っ張り合いは、もう。。。 投稿者: 投稿日:2002-04-04 (Thu)
辻本議員の秘書問題が始まってから、まだゴタゴタしています。
社民党の土井さんの秘書がからんでいるとかいないとか。
今日の週刊誌には田中真紀子前外務大臣にも、同じような
疑惑があるのではないかと報じています。
正直いってこんな「ちくり合い」・「足の引っ張り合い」は
もう聞きたくないです。こんな事に時間を割かれてばかりだと
肝心な国の在り方に関することが疎かになってくるような気がしています。
面白おかしく書いて売れる週刊誌など無視して
本腰を入れて、経済問題をはじめとする諸問題に
はやく取り組んでもらいたいです。
政治家の倫理なんて最初からないものだとあきらめている私から
すれば、騒ぐようなことではないような気がします。
なにか橋本派(鈴木宗男がいる派閥)にしたたかに撹乱された
ような気がしています。
はやくこの国の行方を明確に提示してくれる政治家が出現して
欲しいものです。後ろ向きなことばかり多くて
新聞読むのも億劫になってしまいます。
阪神が五連勝したのは、選手・スタッフ全員が前向きに
やってやろうとした賜物だと思います。
前向きな思考こそ成功をうむのです。
星野監督のような政治家があらわれることを祈ってやみません。

[135] 4月になりました 投稿者: 投稿日:2002-04-01 (Mon)
4月になりました。自分が生まれた月というのもあるのでしょうが
4月が一番好きな月です。桜が咲き、散り、そして青葉の季節に変わる・・
生命を一番感じる季節・・・それが、この季節です。
今日は、世の中では『エイプリル・フール』で
会社でも家庭でも、つまらない嘘をいいあって
くだらない会話が横行していたのではないでしょうか。
正直いって「エイプリルフ―ル」とか「バレンタイン」とか
「母の日」とか「父の日」とか、なにか季節感もなく
誰かの意図で作られた日というのは嫌いです。
この日には嘘をついていいとかチョコあげて愛を告白していい
・・・AHOか!馬鹿だなぁとつくづく言いたくなります。
いつでも好きなときに馬鹿な嘘(冗談)つけばええやん、いつでも
気持ちがたかぶったら告白すればええやん、いつでも両親に感謝
すればええやん、気の弱い人々のために作ったんとちゃうかと
思います。こういう日やから許してくれるやろ、何してもええやろうって。
今年は暖冬で桜がはやく開花しました。
姫路城三の丸での市主催の観桜会は今週の土・日です。
まぁそのころにはほとんど散っているでしょう。
この日にしたら桜が満開だと思って予定していたのでしょうが
結局、自然には勝てないというか、読めないというか
人間は「無力」なんだなぁと思ってしまいます。
桜を見る日が・・・・桜を見れない日に変わったこと
なんだか面白く、それがナチュラルで、私的には楽しい事になりそうです。

[134] 開幕と昨日の『福沢家』の感想をば。。。 投稿者: 投稿日:2002-03-30 (Sat)
開幕!開幕!開幕!
ついに野球の季節到来です。十一年間の開幕戦に勝てなかったタイガースが
宿敵Gに3−1で勝ちました。この勝利は選手個々の心のもちようの
勝利といっていいと思います。ぜったい勝つんだ!勝てるんだ!!
という強い意志を選手がみんな持っていたからこそ、最終回の阿部のヒット
性のあたりがショートのグラブの届く高さにいって、ダブルプレイに
なったと思います。私流に言えば、野球の神様が見ていてくれたんでしょう。
キャンプで死ぬおもいで汗ながしながらやった、新生・タイガースの練習を。
今年は、今日から10月くらいまで野球を楽しめることを
確信した一日でもありました。(^。^)

『福沢家』・・・・変なタイトルでなんのこっちゃとパンフレットをよく
見た。場所・姫路文化センター小ホール 時間・11:00
高校演劇フェスティバル’02
タイトル:「福沢家」 演出:福沢BANANA55
なんのこっちゃ?そして出演者やスタッフの横に生年月日なるものが
書かれてある。またまたなんなんだろう?
そのなんなんだろうと思わす作戦にはまって、真剣にお芝居を
久しぶりに見てしまった。
福沢家というひとつの世界がある。女性4人が雑居している。
その関係性はわからない。ふむふむ・・・また作戦か?
そして、その4人は年上のものから、長女・次女・三女・四女
と他者に対して、そのように呼んでいる。名前は呼ばない。
ふむふむ・・・またまた作戦かぁ?罠かな,今度は?
長女と呼ばれる女性がその家を出て行く日・・・事件がおこる。
事件とは彼女が大切にしていたものを紛失してしまうことからはじまる。
それは、彼女が、この世界と決別する覚悟を持つことのできる品物らしい。
それがなくては「サヨナラ」を言えないのかもしれない。
うむうむ・・・それは何だ?いったい、またまたまた作戦にはまる。
もうはまりっぱなしである。単純な39才、牡羊座のBである。
よく練った脚本で面白く拝見しました。それだけで満足なのです。
役者が上手いとか下手だとかを見にいってるわけでもなく
照明や音響がどうだとか言う気もないのです。
私の場合、要はストーリーひとつ、それが面白くなければ
ゼロなわけで、あとに役者が100点の演技をしても
ゼロにいくつかけてもゼロなのです。
その点で、この「福沢家」という脚本は、アイデアがいっぱいつまってる
いいシナリオだなぁという感想を持ちました。
そして男ばかりで、やったらどうなるのだろう?とか
もう少し現代の家庭問題をいれたらどうなんだろう?とか
観劇後、本を書くものの一人として、いろいろな想いを
抱かしてくれた事に感謝したいと思います。

[133] 歴史 投稿者: 投稿日:2002-03-28 (Thu)
年老いて、病におかされていく母の姿をみるのは辛い。
だんだん小さくなっていく。細くなっていく。
僕の歴史の出発点・・・・それが母だ。
昭和の初期に、この姫路の貧しい家の三女として生まれ
三軒隣の裕福な料理旅館の養女になった母。
豆腐一丁を家族で分け合っていた環境から
何でも望めば手に入れられる環境になっても
三軒隣に住む実の母の愛を求めた・・・しかし・・・
迎えくれた育ての父の愛情深く、その悲しさを癒してくれた
しかし、その歳月も短く、父は若くして他界
料理旅館も廃業、また貧乏な世界に帰ることになる
働きはじめてから5年、商船大学での船乗りと出会う
結婚・・・・出産・・・・5年後、出産・・・・
最初の出産で兄が生まれ、5年後の出産で私が生まれる
出会った男はエリートで何の生活にも不自由ぜずに生きていけた
時間もでき、フランス刺繍の美しさに魅せられてゆき
その世界に没頭してゆく 幾人もの弟子をもつようになり
指導者として、その世界で活躍する
しかしエリート社員の父は家庭をかえりみず 働く機械として
高度経済成長の一翼を担っている 
父の浮気 女からの無言電話 受話器をとるのは私だった
子供の結婚 父の定年 会社の設立 ・・・倒産 孫の誕生
めまぐるしい人生・・・・めまぐるしい時代・・・目がまわりそうなくらい
そのめまぐるしさが要因かどうか・・・・重病を患うことに・・・・
その闘いから丸3年が経とうとしています。
70有余年の歴史をわずか十何行で語る事はできないけれど
語らずにはいられない「何かの力」が私を導いている。
彼女の歴史を語る事は、私の歴史の原点を考えることになる。
いつまでも、いつまでも、永久に語れたらと思う。



[132] 美しさ 投稿者: 投稿日:2002-03-25 (Mon)
寺山のエッセイを読んだ。タイトルは『少年時代の私には眠り姫が
なぜ美しいのか謎であった』というものである。
一人の少年が別荘地でかくれんぼをしている。
そこで草のしげみの中に眠っている美しい人妻を見つける。
眠りが深いと思った少年は彼女に近づき、頬や髪の毛をふれたり、うなじを
なでたり・・・しかし彼がさわっても動かない。
彼女は死んでいた。
眠っているように見えていたときは少年の目には美しくおもえた彼女が
「死んでいる」とわかったとたん、美しく思えなくなった。
それがなぜだか少年はわからなかった。
少年は大人になっても、この日の出来事を忘れられなかった。
眠っている女の美しさを忘れられなかった。まるで人形か眠り姫のように。
大人になった少年は老人になった。老人同士会話をしている。
彼の友人が聞く。「そうかい、そんなことが幼い頃、あったのかい。」
「あんたが最も美しい女は、人形か眠り姫ということなんだね。」
・・・・・老人になった少年は言う。「いやいや」「ちょっと違うんだ。
私は意志のない人形なんて抱きたいとは思わない。私が、美しいと思う女は
わざとらしさをどこかに持ってる必要があるのさ。」
「つまり、本当に眠っている女じゃなくて、眠ったふりをしている女だよ。」
「本当の眠り姫じゃなく、眠り姫をよそおっている女、人形そのものじゃなく
人形に化けた、いたずらっ気のある女・・・」
美しい女には、どこかわざとらしさが必要である。
化粧、饒舌、技巧、仮面ーそして、その影にひそむ、はっとする無垢の心。
遊びのきらいな女に、美しい女はいない。詩を解せない女、ベッドの嫌いな女
にも、美しい女はいない。
『美しい女とは、美しい女になろうとする女のことである』
・・・・・・・(感想)・・・・・・・・・
女だけじゃなく、男にもこういったことが言えると思います。
強い男というのは強くなろうとする男である。
優しい男というのは優しくなろうとする男である。
などなど、これで満足してしまった段階で「美しさ」も「強さ」も「優しさ」
も消えうせてしまう。・・・真実であるような気がしています。
何事にも満たされていないという心の持ち様が大切なんでしょうね。

[131] 年度末 投稿者: 投稿日:2002-03-24 (Sun)
今日から一週間で平成13年度も終ろうとしています。
来年度から今年度とは違う業務を入札した結果、うちの会社が
請け負ってきました。新しい業務のひきつぎやらなんやかやで
頭の痛い一週間になりそうです。
それを不揃いの人々に教えなければならないことを思うと
またまた頭が痛いです。
まぁ、新しい年度がはじまると同時に緊張感持って
仕事できるのは、ありがたいのですが、スムーズに失敗しないで
皆が仕事できるのかどうか、みんな私にかかっているわけで
丁寧に、わかりやすく、業務内容を教えていってあげようと思います。
ハァ〜大変な一週間になる予感。

[130] Fight 投稿者: 投稿日:2002-03-21 (Thu)
季節の変わり目、少々疲れ気味です。自己を奮い立たせるために
『ファイト』という曲を聴く毎日です。

私、中卒やから仕事をもらえへんのやと書いた
女の子の手紙も文字は尖りながら震えている
ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの目が歳をとる
くやしさを握り締めすぎた こぶしの中 爪がつきささる
私 本当は目撃したんです 昨日 電車の駅 階段で
転がり落ちた子供と 突き飛ばした女の薄笑い
私 驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ怖くて逃げました 私の敵は私です
ファイト たたかう君の唄をたたかわない奴らが笑うだろ
ファイト 冷たい水の中をふるえながら上ってゆけ
暗い水の流れにうたれながら 魚たち上ってゆく
光ってるのは傷ついて はがれた鱗がゆれるから
いっそ水の流れに身をまかせ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけて痩せこけて 魚たち上ってゆく
勝つか負けるか、それは、わからない
それでも とにかく戦いの出場通知を抱きしめて あいつは海になりました
ファイト たたかう君の唄をたたかわない奴が笑うだろう
ファイト つめたい水の中をふるえながら上ってゆけ
薄情もんが田舎の町に あとは足に砂ばとられてさ
出てくなら お前の身内も住めんようにしちゃるっていわれてさ
うっかり燃やしたことにして やっぱり燃やせんかった この切符
あんたに贈るけん もっといてよ にじんだ文字 東京行き
ファイト たたかう君の唄をたたかわない奴らが笑うだろう
ファイト つめたい水の中を震えながらのぼってゆけ
あたし男だったらよかったわ 力づくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ 
あたし男に生まれればよかったわ 小魚たちの群れ キラキラと
海の中の国境越えてゆく あきらめという名の鎖を
身をよじってほどいてゆく
ファイト たたかう君の唄をたたかわない奴らが笑うだろう
ファイト つめたい水の中をふるえながら上ってゆけ

明日も仕事です。私がいなきゃ始まらないのだ!自分の存在意義を
確かめなければ生きられないタイプの人間であるのだろう。多分。

[129] 不揃いだけど、あたたかい、昔の長屋みたいな世界 投稿者: 投稿日:2002-03-20 (Wed)
私が会社から任されている部隊の総員は私を入れて18名います。
それと補勤の方をいれますと22名になります。
基本的に日曜日も祭日も関係なく年間330日、稼動するわけですから
4名くらいの補勤者がいることになります。
その年齢比は全体が18とすると
二十代:4名 三十代:2名 四十代:4名 五十代:7名 六十代:1名
こういう感じですか。五十代の方が多いのは昨今のリストラの影響で
いろいろな会社をやめさされて、うちに来られている結果だと思います。
その他にしても、ずっと警備の仕事いっぽんで来ている人はなく
二十代の人でも中学でて建設業にいったり倉庫業ではたらいたりして
その世界でなじめず、ここにやってきた人もいますし
三十代、四十代にしても同じような感じです。
六十代の方はこのエッセイで以前、彼のことを取り上げましたが
姫路でも数少なくなった『流し』の仕事を毎夜魚町でされています。
本当に年代別に見ても、また過去の職歴を見ても、様々で
ふぞろいの感がします。ふぞろいの人生を歩んできた人たちばかりだと
いったいその世界はどうなるかといいますと、みなそれぞれ痛みを
何らかの形で受けた人々でありますから
最近のはやり歌ではありませんが、なにか「人にやさしく」といった
感じで親切で心やさしいあたたかな世界がそこにはあります。
外の仕事なので例えば急に雨が降れば、待機の「五十代のおっちゃん」が
雨具を立哨中の「二十代のにいちゃん」にもっていってあげたり
仕事がすめば、世代の異なる気のあう人たちで喫茶店にいったり
立飲み屋にいったり、おごったり、おごられたりしているみたいです。
そのような彼らの姿をみて思うことが一つあります。
それは仕事をやる上でガツガツしてないというか
あくせくしてないというか、悪い言い方をすれば、出世欲がないというか
まぁみなさん、マイペースでやられているなぁということです。
彼らの話している会話を聞いても、野球の話だとか酒の話とか
趣味の話とか今日の食事の話とか仕事の話などあまりしていません。
まるで縁台でもあれば今からヘボ将棋でも始まりそうな雰囲気がします。
長屋住まいの「ハッつぁん、クマさん」的な人ばかりです。
そんな「おっちゃん」や「あんちゃん」の世界に
しだいに愛着をもってきた私がいることは紛れもない事実です。

[128] 人間 投稿者: 投稿日:2002-03-18 (Mon)
人は一人では生きていけない
今日食べた野菜も昨日食べた魚も一昨日食べた牛肉も
自分が作ったり、とったり、飼育したり、してはいない
いろんな人の手によって
生きる源である食事ができている
しかし、ときに人はひとりよがりになってしまう。
自分の存在意義を確認したくなってしまう
自己とはいったい何なのか 自分はこの社会の中で
どんな役割をしているんだろうか

このエッセイの『宗教』という題に登場したN君は
悩んでいます。いつも悩んでいます。
僕がいなくても社会はまわり続けるだろう
僕がいなくても仕事には何一つ支障がないだろう
僕がいなくても誰も困らないだろう・・・・僕がいなくても
僕がいなくても・・・僕がいなくても

毎日苦しむ彼の姿を見て、何か助けてあげたくなります
でも反面、そのように悩む彼に何も手をさしのべず
彼が自己の葛藤を自力で克服すればいいなぁとも思っています

「生と死」という言葉があります。
人間にとってこの言葉ほど不可解であり、何一つ
答えを見出せない言葉であるように思えます
「生」・・・・どうして生まれてきたのか
「死」・・・・どうして死ぬのか、死んだらどうなるのか
誰もわかりっこない「この命題」と同じように
N君の悩みも答えがないものかもしれません。
ただ言える事は、これらを考えて生きるのか、どうかで
自分が生まれてから死ぬるまでの心のもちようが
変わってくるように思います。
私はN君にいいました。
「もっと、もっと悩みなさい。」と。
するとその翌日、彼は私にこう言いました。
「一つ結論がでました。隊長、聞いてください。
 それは覚悟を持つことからはじめます。」
という言葉でした。
「覚悟」・・・・・いい言葉です。
形はどうであれ、悩んだ末の彼の言葉を快く聞いた早春、風の強い日で
ありました。

[127] マスコミって・・・ 投稿者: 投稿日:2002-03-15 (Fri)
鈴木宗男議員の涙の離党表明がありました。
確かに、彼の行いは強引で、私利私欲しか考えないものであることが
日々、マスコミから次々に暴き出される報道で私たちは知ることが
できました。しかしその情報はすべて外務省の内部からはっせられるもの
ばかりで、何一つ、マスコミが暴き出したものはないと言えるでしょう。
もしマスコミが鈴木宗男氏が外務省の役人を殴った事実を
知っていたら、そのときに公表していたでしょうし
北方領土にMUNEO・HOUSEが建てられたときのVTRが
よく流れますが、そのときに疑問を抱いて、その施設に関しての
取材をきっちりしていたら、彼が2002年の今になるまで
してきた悪事の数回はなくなっていたかもしれません。
日本のマスコの取材って本当に取材と呼べるのかという疑問を
この騒動がおきて強く抱くようになりました。
筑紫さんや久米さんがのたまうことが「正義」だと一度も
思ったことはありません。ただありのままの真実を迅速に私たちに
伝えてもらえれば結構だと思っています。
それから判断するのはわれわれ番組を見ている者であります。
今回の鈴木問題を毎日テレビや新聞でみていると
マスコミというものが、なにか、勘違いした「正義」を
ふりかざしているようにしか見えません。外務省の力(=情報)を借りて。
例えば、他の事件や事故のニュースを見ても
どのテレビ局もまったく同じ原稿をアナウンサーが読んでいます。
それは警察から流れる、モノラルな情報を各局の担当記者が聞いて
記事にしているからでしょうが、そのシステム自体に
何の疑問を持たないのでしょうか。
それではいつまでたっても紋切り型の記事しか私たちは読んだり
聞いたり、そういう状態が永久に続くのでしょう。
多様性の時代に何か逆行しているのではないのかなぁと思ってしまいます。
政治にも改革が必要なようにマスコミも変わってほしい。そう思います。

[126] 仮面ライダー 投稿者: 投稿日:2002-03-13 (Wed)
本日の朝日新聞の夕刊の芸能面の『夢』という欄に
先月から始まった「仮面ライダー龍騎」の話が取り上げてありました。
仮面ライダーという言葉を聞くと、小学校の頃を思い出します。
当時、仮面ライダー・ファンであった私は、仮面ライダー・スナック
というお菓子を買うと付いてくるカードを必死になって集めまくって
いました。そのカードには仮面ライダーや敵対するショッカーから
送り込まれてくるモンスターの写真が載っていました。
まだテレビ放映されていないモンスターのカードなんか手にすると
興奮して、眠れなかったことがしばしばありました。
お菓子を買わなければ、カードを貰えないものですから
食べきれない量の袋に入った「仮面ライダー・スナック」を
家の裏庭に深い穴をこっそり掘って、埋めていたことを
この場をかりて白状します。・・・おかあちゃん、ごめんなさい。・・・
その時の「仮面ライダー」は勧善懲悪の世界だけで
見ている子供たちも、それはそれでとっても満足していました。
しかし時代は過ぎ、現在に至るとヒーローものの番組も変化している
みたいです。それはヒーローを描くときに、まず敵ありきだった
昔のヒーローものはもう視聴者に受け入れられず
この「仮面ライダー龍騎」では敵との闘いとは別に、ライダーが何人も
登場して、出てきたライダー同士が最後の一人になるまで戦う宿命を
背負っていることが視聴率の良さにつながっているらしいのです。
新聞のコメントにプロデューサーはこう言っています。
「日本のヒーローものは正義というものをちゃんと描いてこなかった。
 今、争いごとが世界からなくならないのはなぜか。それは
 自分こそ正義で、ほかのものを認めようとしないから。
 絵空事のヒーローが敵を倒しても、現実社会は少しもすっきりしない。
 虚構と現実の溝をどう埋めていくのか。この作品では
 現実を理想に近づける手探りを続けていきたい。」
何か、『正義』という言葉が、昨日書いたエッセイのそれと
共通項があるような感じで、興味深く、この記事を読みました。
「たたかう宿命のライダー」・・・・ふむふむ・・・いいですねぇ。
次のシナリオを書くヒントを少しいただいた気がしています。
今週の日曜日から、朝、早起きしてテレビを6chanにあわしている
自分の姿があることでしょう。40前に仮面ライダーを
もう一度見ようとは、思ってもいませんでした。(・o・)



[125] 宗教 投稿者: 投稿日:2002-03-11 (Mon)
土曜日に見たお芝居に触発されたのでしょうか、ここ数日、宗教というものを
考えることが多くなりました。
今、仕事をしている場所で部下として働くN君(28歳)は学会に入っていて
S新聞なるものを会社に持ってきて、今日の大先生のお言葉を毎朝
私の机の上でメモをとっています。
会社が終ると「勉強会」にも頻繁に出かけています。
また同じ職場で学会に入っている人(ただなんとなく入っている人ですが)
の家に「お祈りをしましょう!」といって、半ば強制的に
お祈りをして帰路につくといった作業をしています。
私から見て、たいへん敬虔な信者のように見えます。そして
N君はとっても仕事ぶりも真面目で優秀な人だと思います。
ただ、ひとつ残念なのは人の話を聞かないというか
自分のことばっかり、話をして言葉のキャッチボールができないと
いうことです。特に宗教の話になると。
憲法で信仰の自由は保障されています。だから彼がどの宗教に
入ろうが、それは自由です。例えそれが「オウム」でも。
しかし彼の態度や言動は、「オウム」問題が露呈した時代の
オウム幹部の態度や言動に類似している点が多い気がしています。
それは自分の信じるものだけが正しくて、それを信じないものは
悪である、といった点であります。
「個」としての心のよりどころとしてだけの「宗教」ならいいのですが
「個」の周りの「それを信じない他者」に対して
また「それを受け入れない社会」に対して
排他的になったり、それを攻撃したりするようなものになっては
危険極まりない「宗教」になってしまう。
しかし、歴史は正直で普遍的にこういったことを
繰り返しながら人類が歩んできた事は紛れもない事実であります。
だから私、個人としては、あまり「宗教」といったものに
のめり込まないように、ある程度の距離をもって生きていこうと
しています。心のよりどころは人によって違うでしょうが
それが自分の愛する家族であることが一番、望ましいような気がしますが
こればかりは自分が生まれいでた時の環境とかで
不遇な方々も、たくさんいらっしゃるのでなんとも言えません。
私の心のよりどころは何だろうと考えたとき、それは
家族かもしれないが、それだけではないような気がしています。
一つ確実に言えるのは、演劇をやってきて、今まで多くの戯曲を
読んできました、その中に出てくる名言といいますか
私の心に残る言葉との出会いといいますか
それらに助けられて、ここまで生きてこられたのではないかと
感じています。
演劇がなかったら、心に残る名言がなかったら
富士のふもとでサリンを作る手伝いをしていたのかもしれません。
それは神のみぞ知る・・・・・ことなのかもしれませんが。

[124] ここからは遠い国 投稿者: 投稿日:2002-03-09 (Sat)
一週間に一度しかない休みを二回続けて、観劇にあててしまった
演劇大好き、40歳前の心はまだ20代でいたい、最近よく眠い
自称『エセ・エッセイスト』の私であります。
本日は姫路はキャスパ・ホールで大阪の劇団『太陽族』というところの
「ここからは遠い国」というお芝居を見に行きました。
この劇団は昔から知っていましたが、どういうわけか京都にいるときも
見にいく機会がなかったので、今回がはじめての観劇となりました。
感想というか、見終わって感じたことは、同じ演劇をやらしていただいている
者としては、いろんな面において、しっかり作っているなぁと・・・
舞台、音響、照明など役者以外の面で特にそれを感じました。
作・演出の方のプロフィールを見ると大学に入学した年が私と同じで
まぁ同世代の人であるので、彼が言いたいことや彼が選んだ曲など
なんの違和感なく私の心にスムーズに入ってきました。
私たちより、やや古い時代のフォークを中心に使ってあり、そういった
ほのかにメッセージ性を持った曲が私も大好きなので、ウムウム・・・
いい感じでありました。客入れ最後の曲が「戦争を知らない子供たち」
それから始まりが「悲しくてやりきれない」、そして最初のシーンから
次のシーンの転換として曲(カーテンコールも同じ曲」が
「春夏秋冬」でありました。
この芝居は、オウム真理教を脱会して「家」に帰ってきた男が
その「家」というものに癒され、閉じこもっていた自分を捨てて
外に出て行く・・・・といった物語であり、すこし前のマスコミで
オウム問題が主流を占めていた時代に書かれたものであります。
あのとき自分が「オウム問題」に対して、いろんな事を考えた事を
もう一度、思い起こしてしまいました。
自分はいったい何だろう。何をしてきたんだろう。そして
これからどこへ行くのだろう。経済成長がとまり、社会全体に目標を
持てないようになった頃から、オウム問題がでてきたように感じます。
目標がなくなった世代の、救われなくなった世代の、そして
それでも毎日、生きていかなければならない世代の
求めたもの・・・・・・それがオウムであるなら
それはそれで理解できるものであるのですが・・・・
まぁいろんな事を考えさせられた芝居でした。
今日はまたひとつ引き出しを持たしてもらった感じで感謝!感謝!

[123] ホッホ・ホッホ 投稿者: 投稿日:2002-03-07 (Thu)
公園で餌をついばむ鳩を観察していると、鳩の世界は
メスを追っかけるオスがホッホ・ホッホと求愛の声をあげています。
メスは気に入らないオスには、しらんぷり。馬鹿なオスは
そのメスの前でホッホ・ホッホとしつこく、また意地らしく鳴き声を
あげています。
「おい!君はもてない君だからいくら叫んでも無駄だよ!
 あきらめなさい。」という私の忠告をも無視して
ホッホ・ホッホと何度も何度も・・・・
情けなくなってきます。それは彼がもてない君なのに一生懸命に
鳴いている姿にではなく、神様がオスというものを創られたときに
メスを獲得するために自分自身の姿も自分が今、どういう行動を
とっているかということも、すべて盲目にしてしまうというか
自分を見失ってしまうというか、本当に男というものが
情けない存在に創られているのだなぁと思ってしまうのです。
鳩に限らず、人様の世界も同じことで、暖かくなってくると
心も高揚して、ホッホ・ホッホとのたまう男性が多くなってくるのでしょう。
ホッホ・ホッホと言うのはいいけれど、それに女性が答えなければ
人様の世界では鳩の世界とは違って、サクっとあきらめたほうが
いいと思っています。あまりにもしつこいのは嫌われるし
まわりにいるであろう友達もなくします。
しかし時代はストカーなる言葉が生まれ、あきらめきれない『ダメな男』が
増えている気がしてなりません。
物質的に豊かになり、また少子化で兄弟の少ない環境で育ち
欲しいものは、幼い頃から手にしてきた若者が増えてきています。
物を得るように、人の心は簡単には手に入れることができないことを
わかっていないのでしょう。危険なホッホ・ホッホ人間が増えています。
その解決策は貧しさを知り、与えてくれる存在をたちきり
自分の力で生きていくしかないような気がしています。
全国の父親・母親の皆さん!おたくのお子さんがストーカーに
ならないために、何でも与えずに、苦しくても助けずに
知らん顔して遠くから見守ってあげましょう。


[122] 桜・開花予報 投稿者: 投稿日:2002-03-05 (Tue)
4月生まれの私にとって桜の季節が近づくと何だか心のそこから
ワクワクした気分になります。
今日、今年の桜の開花予報が気象庁から発表になりました。
統計では今年は5番目くらいに暖かな冬であったそうで
桜も3月の後半には開花宣言が、姫路のまちにもでそうです。
みんなで酒を飲むのが好きなので、今年もこれから「お花見」の日どりや
それに伴う準備を考えはじめなくては思っています。
一度だけ、本当に一度だけ、お酒を飲んで、世の中の景色が
グルグルとまわったことがあります。それは高校2年から3年へと
変わる春3月、ひとり一升瓶一本の合言葉どうりに同級生が三の丸広場に
集まり、夜の花見をしたときのことだと記憶しています。
7人で7升ぺロっと飲んで、買い足しに行きました。
高校の頃は、硬派に強い憧れを持っていたせいか、酒を飲めないのは
男じゃないとかなんとか言って、機会があれば酒!酒!酒!
みたいなところがありました。
今思えば、味なんてなにもわからないまま飲んでいたような気がします。
高校を卒業してからは、アルコール依存症にもなったこともなく
健全に「お酒」とつき合わせてもらっています。
今では、食事にあわせて、飲もうかどうか考えるくらいで、どうでしょう
一週間に一度くらい口にするかどうかだと思います。
しかし、花見ではウキウキ気分になって、いつもより多くの量を
飲むことになるのは間違いなく、そろそろもう少し飲む回数を増やして
胃を飲める体勢に整えておかなくてはと、つまらない心配をしています。
満開の桜の木の下 姫路の城を見上げて 歌を唄う
今年も楽しい花見であるよう、今から祈っている私でありました。

[121] 『夕鶴』 投稿者: 投稿日:2002-03-03 (Sun)
今日、相生市民会館に創作ミュージカルなるものを
見に行って来ました。それはS−PROの練習に来ていた
森山君の勇姿を見るためであります。
タイトルは「空へ」〜つうものがたり〜といって
民話の「夕鶴」をモチーフにしたというか、そのままを
子供にもわかりやすい風にアレンジしたというか
とっても、とっても、創作とはかけ離れたありきたりのものでありました。
相生の子供達がいっぱい、いっぱい、可愛い着物姿ででてきて
歌を歌ったり、元気良く踊っていた姿は印象に残りました。
五百もあろうかと思われる観客席も満員で、長い時間をかけて
宣伝されたものだと制作スタッフの努力に感心いたしました。
やっぱり役者さんには、いっぱいの「お客さん」の前で
やらしてあげたいものです。
観劇後、脳裡に浮かんだ事は、この『夕鶴』という民話は
いったい何をいいたかったんだろうと言う事であります。
昔から有名なこの話は当然知っていましたが、よくよくテーマを
考えた事はありませんでした。
「よひょう」という男が一匹の鶴を助ける。そしてその鶴は人間の女性に
化け、「よひょう」の前にあらわれる。そして彼のために機を織る。
そして、その機を織っている姿を「よひょう」に見られた鶴は
自分が鶴であったことを知られたため、空へ帰っていく。
だいだい、このような話なのですが、いったい何を言いたかったのだろうと
思ってしまいます。弱い者・困っている者を助ければ、必ず良い事がある?
約束をやぶれば、その良い事も消えてしまう。言ったことは守って
生きてゆきなさい?
現代の子供が、これを見て何を感じているのでしょうか?
丹頂鶴の飛来する場所が年々の環境破壊によって、少なくなって
きていると聞きます。国会では、NGOの人々に対して
会議に参加依頼を外務省が出した出さないと言った言わないの
問題があります。出したのか、出さなかったのか、どちらかが
嘘をついているわけで、それをきちんと解明しようとする姿勢を
見せていない政府があります。
こんな世の中です。もう偽善的なことでは誰も感動できない時代に
突入しているのをわからないのでしょうか。
子供のためにとか開発途上国のためにとか北方領土返還のためにとか
いろいろな偽善を建前に私利私欲を求める政治家たちがいます。
彼らの存在がある以上、今日のような催しも公共団体が行っている
文化事業も、希薄でありきたりの、本当の文化を育てるには
程遠いものであるような気がしてなりません。そして、そこからの脱皮は
市などの公では無理なような気がしています。
政治にも改革が必要だし、文化事業にも改革のメスを入れる時期では
ないかと思っています。


[120] 卒業?????????? 投稿者: 投稿日:2002-02-28 (Thu)
卒業式のシーズンになりました。
最近、仕事場に向かう途中に通る高校の校門にも「卒業式」という看板を
目にしました。社会人になるまで「卒業式」なるものを数回,経験した
わけですが、自分の卒業式のときは何を考えていたろうかと思いおこすと
別段、何も考えていなかったし、同じ同級生との別れとの惜別の気持ちも
あまりなく、やっとこの世界から次の世界へ行けるんだという
開放感を持ってその式に臨んでいたような気がします。
しかし、今よくよく考えると、本当の卒業っていったいあったのかなぁと
思います。文部省とやらが勝手に6・3・3制で学校をふりわけ
その後に大学が4年間あるわけですが、そのシステムの中で
カリキュラムを組み込まれて、それを消化するために、つめこまれた
学業に身を委ね、それを忠実に守って頑張ったものが「エリート」として
東大や京大にに行ったり、外務省や大蔵省に入ったりしているのが
日本の現状であります。その「エリート」が馬鹿なたたきあげの政治家に
ペコペコして、国益とはかけ離れた行為をしてしまっているのが
鈴木宗男問題であるとしたら、忠実にそのカリキュラムに従うのも
どうかと思っています。
次の新しい世界に行くために、ひとまずひとつの世界に区切りをつけるために
「卒業」というものがあるとしたら、今の教育制度における中での
卒業は「卒業」ではなく、同じくくりの中でのパイプみたいなもので
あるような気がしてならない。
出会った人々との別れは切ないかもしれませんが、そのムードに
感傷的にならずに、この区切りをつけた世界で自分は何をやったのだろうか
総括し、それを反省し、次の世界にたいしては、そこで何をやるのか
何を求めて、その場所に行くのかということを『卒業される方々』には
今一度、考えていただきたい。
ちなみに私がいままで生きてきた中で、『親と経済的に縁をきった時』に
「あぁ、卒業したのかなぁ」と少し思ったくらいですか。
それ以外は「卒業」とは名ばかりのものばかりであった気がしています。

『卒業』
誰かの喧嘩の話にみんな熱くなり、自分がどれだけ強いか知りたかった
力だけが必要だとかたくなに信じて、従うとは負ける事と言い聞かした
友達にさえ強がってみせた、時には誰かを傷つけても
やがて誰も恋に落ちて、愛の言葉と、理想の愛、それだけに心奪われた
生きるために計算高くなれというが、ひとを愛す真っ直ぐさを強く信じた
大切なのは何?愛することと、生きるためにすることの区別迷った
行儀良く真面目なんてくそくらえと思った
夜の校舎、窓ガラス、壊してまわった
逆らい続け、あがき続けた、はやく自由になりたかった
信じられる大人との争いの中で、許しあい、いったい何、わかりあえただろう
うんざりしながら、それでも過ごした、ひとつだけわかってたこと
この支配からの卒業
卒業していったい何わかるというのか、思い出のほかに何が残るというのか
人は誰も縛られたかよわき子羊ならば、先生、あなたは、かよわき大人の
代弁者なのか、俺たちの怒り、どこへ向かうべきなのか
これからは何が俺を縛りつけるだろう、あと何度、自分自身、卒業すれば
本当の自分にたどり着けるだろう
作られた自由に誰も気づかずに、あがいた日々も終る
この支配からの卒業・・・・たたかいからの卒業   by Y.OZAKI

[119] 『目標』 投稿者: 投稿日:2002-02-26 (Tue)
人生の目標はなんですか?こう聞かれたら困るだろうなぁ。
今回の公演の目標は何なのですか?これも困るだろうなぁ。
演劇活動を続けていて最終目標は何なのですか?これも・・・・・
振り返ってみて、目標なんて立てて、ことごとく何も得なかったなぁと
つくづく思っています。
そして、たまたま目標を立てた事が達成されると、次の目標を
立てて、より大きな望みを叶えようとするのが人間の宿命で
あると思います。資本主義社会における企業が永続的に利潤を
追い求めるように。
だから私は目標をたてることを好みません。
好まないというより、いつか裏切られるのが「目標」ならば
それをたてずに、のんきに、あわてず、あせらず
マイペースに生きていくことに私の人生も
行き詰まった「資本主義社会」も救いがあるような感じがしてなりません。
よくよく考えてみると、目標という言葉の意味からずれるかもしれませんが
『己が死ぬまで生き続ける事』・『芝居をやり続ける事』
『愛する人を愛し続けること』
こんな抽象的な言葉しか今の私には浮かんできません。
〜ingで行くしかないなぁと思っているところです。
点を追っかけるより、線を大切にして生きるしかないのかなぁと
思う、冬の終りです。明日も穏やかな日和でありますように。


[118] あぁ!ソルトレイク!! 投稿者: 投稿日:2002-02-24 (Sun)
冬季五輪ももう終りです。今回は芝居の公演と重なり、あまりテレビを
見なかったのですが、何かとっても後味の悪いオリンピックって
感がします。審判がアンフェアーとか、もっとしっかりした採点を
してほしいとか、基準を明確にとか、いろいろな問題が起こっている
ようですが、私が最も感じるのは「アメリカ人ってかわいそうな人たち」
だなぁということくらいですか。
もともとアメリカというのは歴史的に見ても、アングロサクソンが
土着民を殺戮し、得た土地であります。そこに国家なるものを作り
あげたわけですが、実際、そこに住むのは豊かな白人と奴隷としての
黒人と労働力としての多くの多民族であります。
白人のために社会がつくりあげられました。歳月が経てば、最初の
構図も血が交じり合うわけですから、明確な役割というものは
薄れてきて、黒人の市長やら有力な企業家や才能のある白人以外の
人々にも陽の目があたるようになりました。
多民族国家としてのアメリカの特徴はアメリカ人の中に
国家としてのアメリカという意識があまりにも強いように思えます。
そして、その意識の高揚をはかるには、うってつけ舞台が
オリンピックだといっても言いすぎではないように思えます。
アメリカによるアメリカのためのオリンピック!
とっても見ていて、こうでもしないと国がまとまらないのだなぁと
思うと、何だか可哀相になってきます。
日本でも、マスコミでオリンピックは盛り上がっていますが
別に里谷たえさんがメダルをとろうが、清水がとろうが
明日から日本人として生きていくことになんの関係もなく
私が推測するに多くの日本人は、しらっとして、たんたんと
明日をむかえるのではないかと思います。
開発途上国のほとんどの人々は、雪など降らぬ熱い大地で
明日生きるための食料を細々と作っていることでしょう。
しかし、人々は、自国を鼓舞することなく、けなげに生き
自分の生まれた土地やそこに住む人々をいとおしみ
幸せに暮らしているのかもしれません。そんな気がします。

[117] ふたりのAKABOSI 投稿者: 投稿日:2002-02-22 (Fri)
今回の熱海の音響にあたり、個人的にMDデッキなるものを
購入しました。時代遅れかもしれませんが、MDってこんなに
いいものかと感心しています。
SKY PERFECT TVのデジタル・ラジオなるものを
契約している私にとって、このMDデッキとCSチューナーを
光ケーブルで接続して、MDディスクに最新のHIT曲や
年代別のHIT曲やクラシック、jazz、映画音楽、ラテン
台湾、韓国、沖縄、洋楽・・・・・etc
自分の興味のある音をデジタルで録音できるのはとっても便利というか
音響に携わるにあたり、とっても勉強になります。
調子にのって何枚も何枚もMDを購入して、お気に入りMDを
作成しています。
もともと音楽はとっても、とっても好きだし
テレビ見るよりも一日中ラジオ聞いてるほうが好きなほうなので
お気に入りMDを作る作業は面倒なものではなく、楽しい作業であります。
このペースでいくと一日2枚くらい74分MDを作っているので
年に730枚もMDディスクがたまる計算になります。
10年で7300枚たまり、どのMDになにを入れたのか
整理ベタな私は戸惑って、パニックになるんじゃないかと
今から杞憂しています。
最近の曲では「きんもくせい」というバンドの「ふたりのあかぼし」
という曲がなんともいえずいいです。30代後半の私にとって
どこか懐かしいメロディをおしゃれに軽く歌っているvocalに
好感を持ちます。
音楽に限らず、自分なりの引出しをいっぱい持てるかどうかが
面白い本や芝居作りに役立つと思っていますので
この春はいろんな分野からいろんな事を吸収して次に備え様かなぁと
思っているところであります。
春うらら、ポッケの中に、何入れる?
つくしにレンゲに、愛に、希望に、大好きな・・・あの子?
いえいえ私は、次にそなえて、いい音といい言葉といい心
いっぱい摘めて、歩きましょう。ねぇ。

[116] 闘いは続く 投稿者: 投稿日:2002-02-20 (Wed)
この場をかりて、今回の公演に来ていただいた方々に対して
「どうもありがとうございました。」と感謝の意を
述べさせていただきたく思います。
現代のマスが発達した世の中で、わざわざ会場まで足を運び
2時間近くある芝居を御覧になる『お客様』を今後も大切にして
より良いものを作っていこうと新たな決意を今、している
ところであります。
「見に行くから」と言って、来なかった知り合いよりも
わざわざ当日券を買ってまで、来てくださった方々を
大切にしていこうと思っています。
私の頭の中は、もう次回のことに切り替わっております。
黄昏どきのように、ぼやけた青写真だけはありますが
それを、どのように具体化していこうかなぁと思案しています。
この思案がとっても楽しいときであります。
家を建てるときの基礎のような段階がとっても楽しく
それがとっても重要であり、揺らぎないプロジェクトにするためにも
企画が大切かなぁと感じています。
舞台を作ること、それは私にとって楽しみでもあり、自分がどのくらい
やれるだろうかという『自分との闘い』であるといっても
過言ではないでしょう。
ということで・・・・・まだまだ闘いは続くのでありましたとさ。

[115] 楽日をむかえて 投稿者: 投稿日:2002-02-17 (Sun)
もう昨日になります。3回公演の2回を終えました。明日の搬出予定を
整理し、文章化し、明日(実際はもう今日なのですが)の公演にそなえ
眠る前に、このエッセイを書いています。
アンケートを読んでも、役者さんが頑張っているというものが
多くて、とっても喜んでいます。
芝居をするのは役者さんであり、その個々が生き生きとしていたなら
それでいいと思っているので、ホッとしているところであります。
今回の役者さんには18歳や19歳といった若い人がいます。
彼らを見ていると、自分のその頃は何をしていたのかと
ふと振り返ってしまいます。演劇には18の時には出会っていなかったし
19の頃のほとんどの部分もまだ出会っていませんでした。
ただ受験受験で勉強の毎日であり、しいていえば体を鍛えることが
趣味で肉体訓練の日々だったように思います。
この「熱海」というハードな戯曲をこの若さで演じる彼らのエネルギーに
感服するとともに、この若さでここまで演じていることのできる
18,19の人は全国でも何人いるかと察するに
そう数はいないと思います。
水野役演じる「藤本」さんの演技に幾度,涙したことでしょうか。
彼女はこのままでいくと必ず、いい役者さんになると思います。
また部長役をやっている「天野」くんは、まだ荒削りだけれども
前向きな芝居に対する熱い思い、演じながら涙を流せる
高校三年生は見た事がありません。技術を磨いて、いろんな音を
聞いて、いろんな人生経験をして、レベルを上げて
東京に行って頑張れば、魅力的な役者さんになれると思います。
大山役の「樋高」くんは天性の迫力ある声の持ち主で
とっても声の悪い私から見てうらやましいばかりです。
これを武器に体を鍛えなおして、動ける、ばねのある役者を
目指してほしいものです。
熊田役の「大北」くんも彼らよりは少々年齢はいっていますが
この『熱海』で何かをつかんでくれたかなぁと思っています。
半月前まではろくすっぽ標準語さえ話せられなかった彼なのに
つか作品のリズムをちゃっかり掴んだ気がしています。
音感の良い子だから、掴めるとは思っていましたが・・・・・
楽日がすめば、いろんな人生が待っています。
それぞれの役者さんたちにとって。真摯に何事にも取り組む姿勢が
今のようにあれば、どこへ行っても、何をしても
大丈夫だと彼らを見ていて、そう思います。
『求めよ!そうすれば与えられるであろう!』という聖書の言葉がある限り。


[114] ダメだし 投稿者: 投稿日:2002-02-12 (Tue)
演劇用語で「ダメだし」というと、リハーサルやパート練習を役者が
やって、まずいところやダメだったところに対して、ここをもうちょっと
こうやってくださいとか、それはやりすぎなので止めときましょうとか
見ているもの(まぁ演出がほとんど)が各役者に対して意見を言うことを
いいます。
後何回、演出としてダメをだしたらいいのか、多分、最後の最後まで
その作業は続くのですが、ひとつだけ私がその作業において
心がけていることがあります。それは、頭ごなしにものを言わないと
いうことです。少し前のエッセイで「監督」という題で書いたように
演出家はディレクターです。導き出すものです。
その役者さんの良いところをどれだけたくさんだせるようにするか
それが一番大事な事ではないかと思っています。
頭ごなしに怒鳴りつけたり、演劇論も勉強していない人に向かって
自分がちょっとかじったような演劇論をぶっても何になるのでしょうか。
相手は人間です。心があります。その心を掴んで、その気にさせるのが
大切ではないかと思っています。
今回で例をあげていうと、つか作品のスピード感に不慣れな役者さんを
いかにそのスピードに慣れ、なじますかという作業を
やってきました。おおむねそのスピード感には慣れてこられたと思いますが
その副産物として、早口で台詞が聞き取りにくいということを
感じています。こうなることを覚悟はしていました。
まぁ予定のうちかなぁといった感じです。その副産物をこれからいかに
なくしていくかという作業をやれば、姫路という地方都市で
つか作品を御覧になってない方でも内容がよく理解できうるものに
できあがるのではないかと思います。
このエッセイを読まれてもしお芝居を御覧になろうとされている皆様が
いらっしゃいましたら、ひとつお願いがあります。
それは真剣に見ていただきたいということだけです。
真剣にといいますのは、こちらも(役者陣も)一生懸命に演じますので
お客様も一生懸命にみていただきたい。
一生懸命に何を言っているのか聞いていただきたい。
そういう芝居だと思います。つかさんの芝居は。
役者やスタッフから今日のお客さんはとっても熱意のある目で
見てくれたんだよって言葉を期待しています。
真剣に一生懸命に同じ時を共有できれば至上の幸福であります。

[113] 時空を超えて 投稿者: 投稿日:2002-02-09 (Sat)
昨日、このS−PROのBBSに大学時代の一年後輩の丸山くんからの
書き込みがありました。実際に彼と会ったのは15年くらい前くらいですか。
記憶が定かではないですが、多分、それ以来でしょう。
正直、彼の名前が書かれてあったのを見て「びっくり」しました。
そして、あの時、彼が初めてやった「白鯨」という芝居を思い出しました。
私は当時、そのクラブの部長で新人が初めてやるショート・ドラマ二本の
制作をやっていた関係上、また彼が出なかったほうの芝居のほうの
スタッフ(照明)をやっていたので彼と接することがあまりなかったのですが
彼の眼を大きくひろげてやる、片腕なき船長の演技は、いまでも
覚えています。なにか「時空を超えて」って感じですね、本当に。
時間がタイムスリップしてしまいました。
芝居が凄いと思うのは、何十年前の芝居でも必死で闘ったものなら
絶対忘れずに詳細に覚えているということでしょうか。
そして、こうして時空を超えて、多分もう出会わないであろうという
人々をネット上ではありますが引き合わせてくれるところが
また凄いことなのかもしれません。
今回の『熱海殺人事件』のほとんどのメンバーは四月になれば
プロを目指して、この姫路を旅立ちます。
いつか彼らとも何年か後に東京で活躍している役者さんとして
出会えれば、鍛えたかいがあるというものです。
その時、この芝居の打ち上げよりも、もっと美味しい酒が彼らと飲める事を
こっそり楽しみにしている私がいるのである。



[112] 監督 投稿者: 投稿日:2002-02-07 (Thu)
今年の阪神は変わるぞ!!星野監督になって!!
阪神ファンならずとも、プロ野球ファンの多くは、そう思っています。
確かに私も変わるような気がしています。
英語で監督というとディレクターと言います。映画監督もディレクターだし
お芝居の演出もディレクターです。
今,私も同じディレクターという立場にいるわけで、毎日毎日の練習を
とおして役者を鍛え、また技術的にも成長させる役目を担っています。
野球のように映画や芝居は勝ち負けがないから、なにが成功かというのかは
難しいけれど、やはり自分が面白いというものをきちっと作って
お客さん喜んで貰えたら光栄かなぁと思っています。
速く、確実に、てきぱきと、台詞をいい、体を動かし、飽きない様に
シーンを構築していこうとはしていますが、なかなか役者がついて来れない、
というのに現時点では不満を感じていますが、今回の役者陣のいいところは
下手なりに前向きで貪欲であるので、必ず本番までには『喜んでもらえる
芝居』ができあがることを信じています。
監督は選手を信じ、選手も監督を信じ、その信頼関係から
勝利へと導かれる気がしています。
敵は外部ではなく、内部なのであるということを
忘れず戦いをいどんでいこうと思います。
「さぁ、やるそ!」今日も8時間の練習へ向かう朝。



[111] 演じること 投稿者: 投稿日:2002-02-04 (Mon)
演出やっていて、一番気になる事は、その人物を演じるにあたっての
立っている姿勢であります。
例えば、老人を演じるなら、腰を曲げるでしょうし、えらそうな人を
演じるなら胸を張って、やや上向きに体をむけるでしょう。
その人物を演じるにあたって、彼がどのような人間なのかを
把握し、彼の立ち振る舞いがいかなるものかを真剣に考えれば
その人の立ち方、姿勢がおのずと見えてくる気がしています。
その『立ち』をつかむまでには時間がかかるけれども
それは、とっても大切ですが、ついつい役者自身の持って生まれた歩き方や
普段の姿勢がでてしまいます。それでは演じているとはいえません。
私の場合、役者ではないけれど、普段、町を歩く時にも
今日は重心を低くして歩こうとか、大またに歩こうとか
舗道に書かれてあるラインの上を真っ直ぐに歩こうとか
いろいろと歩くことをたまにですがやっています。
よく戯曲を読み込んで、登場人物の性格分析やらとかをやって
どのように演じるかというプランを立ててやる話を聞きますが
分析やったって精神的にその登場人物の動きが想像できても
肉体的にそれができなければ、演じたことにはならないと
思っています。頭でっかちでは芝居はできないというのが
私の持論であります。
いかにいろいろな動きができてこそ、真の役者といえるのでは
ないでしょうか。それには『身体表現』にたいする意識を常に持ち
そして訓練が必要になってくると思います。
訓練は実践である公演で充分、補えると思いますが
意識は各役者個人個人が持たなければ何の進歩もないと思います。
後わずか、何とか「その点」に留意して、いい芝居ができればと
頑張っていこうと思っています。



[110] 如月です。 投稿者: 投稿日:2002-02-02 (Sat)
正月が来たと思ったら、もう「きさらぎ」です。
光陰矢のごとし・・・時の経つのは速いものです。
公演まであと2週間です。今の状況は「絵」でいうとやっとキャンバスに
うっすらとデッサンできたかな、といった感じでしょうか。
これからです。これから。・・・・しかし、ハードな練習のためなのか
昨今の寒さのせいなのか、役者陣の中で熱でたり、下痢したり
体調のすぐれないものが何人かでてきました。
熱が38℃以上あって練習にだすのも、なんなので
「休め!」とは言ったものの、心配が募ります。
今思うと、もう少し体力をつけさせてから、この熱海にチャレンジさせれば
よかったかなぁと後悔しています。
私がこの「熱海」をやった十数年前には京都の御所の周りを
毎日1時間くらい、2ヶ月間休まずに走ったことを思い出します。
演劇でも野球とか他のスポーツでも基本は「走る」ことです。
「走る」ことによって体力とか持久力とかいろんな力を養えるのだと
思っています。
人生、山あり谷ありです。芝居作りにも同じことが言えます。
あと2週間、公演日に万全で臨むべく、今の「谷」の状態から
少しずつ、少しずつ、山の頂点めがけて足場を固めながら
登ってゆきたいと思っています。
紆余曲折があってこそ、真の「いい芝居」が生まれるのですから。

[109] 小泉さん!やっぱり、あなたも。 投稿者: 投稿日:2002-01-29 (Tue)
今日いま、田中外務大臣と野上外務事務次官を更迭しました。
補正予算案の審議に支障をきたすため、このような措置をとった
わけだそうです。
アフガニスタン復興支援会議におけるNGOの参加問題についての
発言が大臣と事務次官とが食い違っていることが発端です。
どちらが本当のことを言っているかどうかくらい
関係者全部集めて、話を聞けばわかるでしょう。アホかあんたは。
なぜ、やめさせれば何でも事が済んで、次に話が進むとでも
思っているのだろうか。
このやり方自体、古い自民党の悪しきやり方じゃないでしょうか。
なにが「聖域なき構造改革」だ。こんなことをしていては
誰も政治というものに信頼できなくなる(もう信頼していない方も多いですが)ような感がします。
お願いだから、こういうやり方で問題をうやむやにすることは
やめていただきたく思います。
汚職が発覚した関係者が自殺して、なにごともうやむやにして
会社やその集団や組織を守るのと同じことのように思います。
真実はどうなのか、そりゃ決まっていると思います。
鈴木宗男氏が外務省に圧力をかけたことは間違いなく
彼を守るために、このような措置をとったと確信しています。
自分で選んだ右腕となる外務大臣を更迭するなら
自分自身もおやめになればいいのじゃないかと思います。
今日の最後にとっても失望したニュースが流れてきたものです。
この国は変わらず、何も変わらず、頭でっかちな知識だけが豊富な
アホな官僚と落としどころばかり考える利己的な政治家...
明日からも、この体制が続くことに怒りと憤りを持っているのは
私だけだろうか。やだねったら、やだね。


[108] 高校野球のような... 投稿者: 投稿日:2002-01-27 (Sun)
演出していて、最近ふと思う事がある。
それは、この舞台に立っている役者さんたち、楽しんでるのだろうか?
人生に一度くらいでしょう。一つのシナリオをするのは。
例えば、「熱海」をやったら、もう一度「熱海」をする機会がある人なんて
つかこうへい氏の劇団以外、まぁ最初で最後の「熱海」やってるって
感じだろうと思います。
こんないいシナリオをやれる役者さんもスタッフも本当にめっちゃ楽しんで
芝居つくりやって欲しいと思います。
もし私が新聞で、わけのわからない、名もない劇団の「熱海」を知って
見にいったとしましょう。そこで私は何を期待するのでしょうか。
役者が下手だったとしましょう。これは名もないアマチュアだから
仕方がないと思う。上手い役者なんて期待してはいない。
下手でも楽しんで舞台に立って頑張っている役者と出会ったとしよう。
私の心はどうなるか。多分、ハッピーな気分になるような気がする。
へたくそが、ポンコツが、汗かき、必死で台詞を言い、楽しんで
芝居に興じている。そういった姿を期待している気がしています。
プロ野球より高校野球を好きな人が世の中にいっぱいいるように。
全力疾走、汗、泥、涙、そして負ければ後がない、一回きりのトーナメント。
そういった所に「高校野球」のファンになった人の理由があるような
感じがしています。
名もなき集団のわれわれの今回の「熱海」も精神は「高校野球」と同じである
と言いきっていいと思います。
最初で最後の一回きりの、この舞台を楽しみましょう!
全力で体を動かし、汗いっぱいかきましょう!
みんなで感動し、涙いっぱい流しましょう!
心こもった芝居なら、下手でも見るものに、必ず感動を与えられる。
という言葉を信じて。


[107] NORINORI 投稿者: 投稿日:2002-01-25 (Fri)
今、苦しいけどとっても楽しい時期です。
このまま公演なんか永遠に来なくて、練習だけしていたいと
今日ちょっぴり思いました。作っては壊し、壊しては作る。
なかなか楽しい作業です。自分で言うのはなんなんですが
もう『のりのり』って感じですか。
伝兵衛役の役者さんが体調をくずしながら、たびたびトイレに
行きながらも、楽しい練習でした。今日は。
昼間、仕事をしながら「よし!ここはこうしよう!あそこはこうしよう!」
と不謹慎ながらも次々といろんなアイデアがでてきて、それを今日は
いろいろと試せたので満足しています。
演出するのってとってもパワーがいります。もともと体にあるパワーは
人より多めにあると思いますが、これも体調が悪ければどうしようも
ありません。今はとっても体調がいいのですが、寒い日が続くこの季節
いつ風邪などひくやもしれず、大好きな夜更かしをやめて
早寝・早起き・うがい励行・ビタミン補充・・・・体にいいものは
毎日とりいれて、二月十六、十七日まで気合をいれて頑張ろうと
思っています。
時のたつのがはやく、あっという間に公演日はやってきます。
プランどうりには、なかなかいかないけれど全力投球しはじめなければ
「待ったなし」のところにきているのも事実です。
「よし!いくぞ!」・・・・・こんな感じですか。

[106] サルビアの花 投稿者: 投稿日:2002-01-22 (Tue)
♪ いつもいつもおもってた サルビアの花を
  あなたのへやの中に投げ入れたくて
  そして 君のベッドに サルビアの紅い花を敷きつめて
  僕は君を死ぬまで抱きしめていようと
  なのに なのに どうして他の人のところに
  僕の愛のほうが 素敵なのに...♪

今回の芝居のワンシーンにこの『サルビアの花』という曲をBGMで
使おうとふと思いました。もの悲しいシーンにはぴったしの曲と
思ったからです。私が今まで生きてきて音楽を聴いてきた経験というか
勘というか、フィーリングというか、まぁ結構いいかげんなことで
音楽を決めているのですが、この曲も同じ類で「これしかない」と思い込み
で決めました。しかし、これからが大変で、この曲を歌っている人を
インターネットでいろいろと検索してみると井上陽水から芹洋子まで
結構、いろんなジャンルの人がこの曲を歌っていて、全部聞くことはできず
どの「サルビアの花」を使えば、このシーンにぴったしなのか
どうすればいいのか...ちょっと戸惑ってしまいました。
芝居の音響してる人の大半が、みんなが知っている曲ではなく
自分しか知りえない曲をコッソリ使いたいという性質なのだと思っています。
私も同じ性質なものですから、この「サルビア」を歌っているリストに
あがっている人の中で自分が聞いたことのない人から聞いてみることに
しました。早川義夫・・・・聞いたことのない名前でした。
ネットの音楽配信のサンプルで彼の歌声を聞きました。
なんと物悲しく、低くて、暗闇からの声って感じで
聞いた瞬間、彼の「サルビア」でいこうと即座に決めました。
『かっこいいことは なんてかっこ悪いんだろう』という
彼のアルバムを購入しました。
情けない話ですが、買ってみて、この曲を彼が作曲したのを知りました。
彼は「日本のロック」の創成期のバンド「ジャックス」のメンバーで
二十三年間、歌を歌うのをやめていて、最近歌いだしたそうです。
最近、もし彼が歌いだしていなければ、彼の歌う「サルビア」にも
出会わなかったでしょうし、彼が作ったこの曲を彼以外のアーティストが
歌い継いでこなかったら、私の脳裏には残っていなかったし・・・
なにか因縁めいたものを感じています。
そして彼がこのアルバムの後書きに書いている「能書」という文章を
読むと、彼の歌声とリンクして屈折した、もの悲しくて暗い人間像を
思い浮かべることができます。
そして熱海殺人事件に登場する「大山金太郎」という人間像と
オーバーラップしているなぁと感じているのは
私だけでしょうか。
    『能書』 −早川義夫−
僕はこのレコードをどうしても流行に乗り遅れてしまうような方に
捧げようと思う。多分に時代遅れぎみのこれらの詩曲は決してかっこよくは
なく、なんともみじめな歌ばかりである。
まわりには卒業していく方もあるのに、僕はいつも同じところを
歩いているような気がしてならない。納得いかぬことばかりなのだ。
絶対これだというのがなく、いつもうじうじしている。
別に化粧品や紳士服のコマーシャルのようにきりっとした男性を望んでない
から、まして卒業とは納得すればいいのだから、僕は一生卒業できないだろう
君も、一年前、このような場所でこのような事を考えた。
だからきっと一年後も、このような場所でこのような事を考えるだろう。
逃げようと思えば思うほど、追いかけられるのだし、それは求めれば
求めるほど見失うようなもので、いつの間にか背中だけが巨人に
なっている。すくなくとも追いかけられるより追いかけたほうが
『素敵』だろう。
AはAの原因しか知らず、BはAの結果しか知らぬ。
かも知れないし、かも知れぬ。人々の会話はスピードを増し、納得した
ふりで事のみ運ばれていく。いったい僕たちはあれもこれも
欲しいのだろうか。僕は回転数を間違えたようなこれらの詩曲を
甘えたくて甘えたくてしょうもない人に聞いてもらいたい。

[105] 青森 投稿者: 投稿日:2002-01-20 (Sun)
♪上野発の夜行列車降りたときから
 青森駅は雪の中 北へ帰る人の群れは
 誰も無口で 海鳴りだけを 聞いていた・・・♪

今回の熱海殺人事件に登場する熊田刑事の故郷を青森にして書いています。
原作では富山なんですが、富山には行った事がなくて
私自身、富山がどういう所なのかわからないまま
熊田という登場人物を作っていく事はあまり面白い作業でもなく
富山という場所がもつ雰囲気や性格を熊田に投影することにも
無理があると思い『青森』にしたわけです。
青森はこのエッセイでも以前書いたように、二ヶ月ではありますが
住んだ事があり、東京からの距離感とか、そこに住んでいる人々の
様子や言葉などの生活も肌で感じているし それと
私自身が大好きな「寺山修司」氏の故郷でもあるということで
選んだわけです。
そして彼(熊田)の生立ちにおいて、父とは青森県百石町の漁師で
6歳時に死別、その後、母だけに育てられる。
母は三沢の米軍基地の家政婦をしながら彼を育てるのだが
若くして夫を失った彼女はアメリカ兵に弄ばれる毎日を続ける。
その姿をずっとずっと見ながら育った熊田には
いつしかアメリカへのコンプレックスが芽生え蓄積されていく・・・
まぁこんな風に自分なりに設定して、自分が面白いように納得いく形で
熊田像を作っていこうと思っています。
熊田役の役者さんは不器用ですが一生懸命なので
いい芝居が、いい熊田刑事が、作れると確信しています。
青森で酒を酌み交わした工場で働く皆さんに見てもらえたら
嬉しいのですが、物理的に無理なので、気持ちでもいいから
彼らのことを思い、真摯に頑張っていこうと思っています。
春まだ遠い青森に 姫路から「春」を届けられるような芝居が
できればなぁ・・・・・とどけ!青森まで!僕たちの想い!



[104] 1月17日・・・あの日から7年 投稿者: 投稿日:2002-01-17 (Tur)
1995年朝、地震がありました。
後に『阪神大震災』と呼ばれる出来事になりました。
そのとき私は京都にいました。京都でも揺れました。
マンションの鉄骨があんなにきしんだ音をだすものかと
驚いたことを覚えています。本当に不気味な音でした。
あんな音、もう聞きたくありません。
その時、神戸では何千という人の命がなくなっていたことを
思うと心が痛みます。時に自然は不条理なものに変わるのだという事を
思いしらされた時でもありました。
その不条理さと平行して私が『この出来事』で感じたことは
私たちは一瞬一瞬の刹那において、いつ死んでもおかしくない
状況にあるのだということです。
今こうしてパソコンに書き込みをしている最中に地震がおこり
マンションが倒壊して、五階の我が家に埋もれてしまうかもしれません。
いつ何時、死んでしまうかわからない状況であるということは
『生きる』ということをどのように考えなくてはならないかという状況でも
あるということを意味している気がしています。
『生』と『死』は表裏一体だと思います。
そんなことを考えた「七年目の一月十七日」でした。

[103] 暖かい雨です 投稿者: 投稿日:2002-01-15 (Tue)
「冷たい雨」という歌があるけれど、今日は「暖かい雨」でした。
朝、仕事場へ行く前に喫茶店にゆきました。
ひとりであまり入らないのですが、今日は雨降りで車で送ってもらい
ちょっと早く着きすぎたので時間調整で珈琲を嗜んだわけです。
ひとりで喫茶店にいても頭の中は芝居のことばかりで
どういった曲をかけようか、そのタイミングをどうしようか
このシーンをどうしよう、役者をどのように動かそうか・・・
いろんな事を思う余り、時間調整だったのに時間オーバーになって
しまって、いつもより着くのが遅くなってしまいました。
ぐっと考え事をすると時間とか今、何をしてたのかわからなくなる
タイプの人間だと自分自身、思っています。
よくあるのは風呂に入っていて、知らず知らずのうちに考え事をはじめて
そして、風呂からでて髪をかわかそうとしたとき、髪がねとねとしていて
そこで初めて、シャンプーをしていないことに気づくことが
多々あります。歳のせいではなく、20代の頃もあったから
これは天然ってことだと思っています。
集中力といえば聞こえがいいのでしょうが、自分でも世界に入りすぎて
ちょっぴり恐くなることがあります。
まぁそれだから演劇にかかわることができてるのかなぁと
いい様に解釈しているノー・テンキな野郎です。
今回の役者の一人からは、まるで熱海の「部長」みたいな性格でんな
といわれています。うれしいのやら、かなしいのやら、、、、
自分の性格をまだ把握できていないかもしれません。
けったいな人々に必ず入る性格の持ち主ということはわかっているのですが。

[102] 本格始動です! 投稿者: 投稿日:2002-01-13 (Sun)
チラシもチケットも完成し、台本もほぼ95%くらい完成しました。
あとは必死で、この『熱海』と役者とともに対決するのみです。
何度読んでも熱海はいい「お話し」です。自分で脚色していく過程で
実際の、つかこうへい氏が書いたのを何パターンか読んだり
ビデオでみたりしたのですが、あるシーンで年甲斐もなく
涙してしまいました。お恥ずかしい話ですが。
本当に「情」芝居だなぁ、と思っています。
今年の私のスローガン『しなやかな義理と人情』というのに
ピッタシの話です。こういう話をやれることに幸せを感じています。
と同時にそれをどのように伝えたらいいのか、伝える事ができるのか。。。
考えて、考え抜いて、人様の前にだせたらなぁと思っています。
さぁやってやるぞ!という闘志が湧いてきました。
あと一ヶ月と少し、心地良い苦悩と推敲の日々が続く!!

[101] おばちゃんマークを作ろう! 投稿者: 投稿日:2002-01-11 (Fri)
仕事をしていても、自分で車に乗っていても
一番危ない運転者は「おばちゃん」である。
初心者は若葉マークがあり、老人には紅葉マークがあるので
運転がへたくそだとわかるけど、おばちゃんの運転手に「○○マーク」
なるものを作ってはどうだろう。
運転下手でそれに輪をかけて交通マナーを守らず
とっても横柄な運転をする。交差点を左折しようとするとき
歩行者が通っていてもスピードを緩めず、入ってくるから大変である。
これから運動神経や動体視力が向上するわけでもなく
あとは衰えるだけのおばちゃん、ひとめでわかるように
マークの提案をしてみたのですが・・・・どうでしょう。
デザインは公募にして採用者には金一封だしたら
結構いい作品がでくるかもしれません。
これから車に乗ろうとしている皆さん、免許とってから
わが街をドライブするとき、「おばちゃん」だけは気をつけて
運転しましょうね。あなたが事故に巻き込まれないようにね。

[100] あぁ・・・・時間が欲しい! 投稿者: 投稿日:2002-01-08 (Tue)
忙しい、忙しい、誰か時間下さい。
師走がすんでも芝居が終わるまで、ずっと走り続けなければ。
性格なのだろうが、学生時代の試験勉強のときなども計画立てて
勉強するタイプでもなく、ぎりぎりこれくらいから始めなければならない
所からやる、切羽詰った状況からが好きみたいです。
「貧乏ひまなし」とはよくいったもので、本当にお金もなく暇もない。
あるのは熱意だけ・・・・ちょっと格好つけすぎだけど
まぁ英語でいうと、「WILL」から「MUST」に変わっていこうと
してる時期でもあります。毎日が緊張の連続と頭の中が「どうしよう」
「どうなるのだろう」「?????」疑問符だらけですが
それにひとつずつ、ひとつずつ、的確に答えをだしていかなくてはと
思っています。
みなさまに喜んでもらえる舞台にするため日々格闘の毎日が続きます。
あぁ、時間がもっと欲しい・・・・・

[99] 今年のスローガン 投稿者: 投稿日:2002-01-05 (Sat)
新年、あけましておめでとうございます。
とうとう2002年がやってきてしまいました。公演まで後、一ヶ月と十日
あまりとなり、気合をいれてやらなきゃならんと思ってる毎日です。
阪神タイガースの今年のスローガンが昨年末発表されました。それは
「NEVER NEVER NEVER SURENDER」
だそうです。「決して、決して、決して服従・降伏しない。」
といった意味のようです。いいと思います。最下位からの旅立ちなのだから。
さて私の今年のスローガンなのですが、いろいろと考えた末
「しなやかな義理と人情をもって」にしよう思います。
なにか「義理と人情」といえばヤクザの好きそうな言葉ですが
あまりにも我が我がといった利己的な人間が増えている現状の中、
私たちが対人関係をもつとき、しなやかに、つまり枝がしなるように
弾力性をもって柔軟に守るべきものは守り、恩義を感じるところは感じ
そうすることによって相手のことを思い、本当の自己をさらけだしていく。
個人主義を利己主義と履き違えている今の日本人の人間関係の拙さを
改善できないものか、自分もその中にいたら、なんとか脱出できないものか
と考えた結果、このようなスローガンになった理由です。
2月の芝居はこの義理と人情たっぷりの、軽快な中に少しどろどろした所も
あり、いろんな要素が含まれた作品です。
このスローガンに少しでも共鳴していただけたなら
一度、見に来てください。お待ちしています。
ちょっと宣伝でしたが。それでは今年もよろしくです。