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[403] 今年も終わりです。お世話になった方々へ Date:2003-12-31 (Wed)
今日で今年が終わります。
この日が来るたびに、「一年ってはやいなぁ。」って
思いますが、はてさて2003年の1月に何があったのか
聞かれたら憶えてないというのが事実です。
地方都市であり、保守的(閉鎖的?)な、この地で
演劇をはじめてから4年たち、明日からは5年目に
突入します。
明日からも地道にやるだけだと思っています。
今年、二回の公演を打ちましたが、ご来場来てくださった
方、また、このHPに来てくださった方・・・・・
本年は、ありがとうございました。
来年もよろしくご愛顧のほどお願いいたします。
「毒にも薬にもならない」という言葉があります。
あまり、この言葉のような存在になることだけは
さけたいと考えています。
2004年1月には
HPも新しくなることを聞いています。
そして1月下旬には2004年のS−PROJECTの
公演をお知らせできると思います。
どうかお楽しみにしていて下さい。
それでは、よいお年を。
[402] 好みは何ですか? Date:2003-12-28 (Sun)
煙草にもいろいろ種類があるし
珈琲にもいろいろ種類があるし
それによって好き嫌いがあって当然だと思う。
珈琲の種類で言うと、私はモカよ。あなたは何?
キリマンジェロ、僕は、ブルーマウンテン、・・・・・・
いろんな種類があれば、あるほど、珈琲の世界全体が
ふくらんでいって、その発展につながる気がしている。
モカ珈琲愛好者であって、他が好きな人に
あなた、モカを飲みなさいともいいたくないし
それを言うのは、おせっかいなことだと思う。
そしてまた、モカ珈琲が好きな人がブルーマウンテン
愛好者の存在をつべこべ言うのも品がないと思う。
趣味思考がいろいろあって、いろんな色がいっぱい
あって、よいのだろう、よいことなのだろう。
民主主義では多数決でどちらかに決める。
それは社会を維持していくためには
何らかの形として、どちらかに決定しなくては閉塞状況に
なってしまうからであって、文化や娯楽などでは
多種多彩なものがあっていいと思っている。
大衆が望んでいるものを作る作業は、利益を考える
企業家にまかせておけばいい。
権威もいらない、利益もいらない、迎合もしない
徒党をくまない、日本の村社会にも属さない
・・・・今、あげたことを戒めにしないと
今の文化における閉塞状況から
いくらたっても抜けきれないで
いつまでたっても、もがき苦しむのは目にみえている。
神のみぞ知る・・・・方法論は正しいのか否か。
『古い船を今、動かせるのは古い水夫じゃないだろう』
古い水夫さん、さようならです。
[401] 今年最後の忘年会。。。そして Date:2003-12-27 (Sat)
今日が楽日でした。
その後、打ち上げでしたが、芝居の打ち上げと
今年の劇団の忘年会をかねて、いつもの場所とは
違った所で、いつもより、少し豪勢に
会を開きました。
公演をうつたびに、いつも思うことなのですが
演劇というのは、その場所でしか見られませんので
時間をさいて、その場所に来ていただいた人々に対して
本当に感謝の念で一杯になります。
お客さんもそうでしょうが、お手伝いの人たちも
本当に一生懸命に残って、掃除など雑用をしてくれている
姿を見ると、胸が熱くなります。
招待券を手渡しして、そのときだけ、嬉しそうな態度や
頑張って下さい、必ず見に行きますからと
言いながら・・・・・
もうよしましょう。
今日の本番前に役者さんたちを集めて
今回の義士スピリットについて、話をする機会が
ありました。
義士といいますのは、主君のために命をかけた男たちの
物語です。
「○○○のために・・・・・人は何をするのか・・・・」
このことを考えて、この戯曲を書いたことをいいました。
○○○のところには、義士なら主君、母なら子
サラリーマンなら会社・・・などなど
いろんな事があてはまるのですが、○○○の中に
入る言葉として、最近、といっても物質的に豊かになった
日本が形成された頃から、『自分だけのために』という
言葉がはいる人間が増えているように思います。
そういった人間は本当に怖いです。
簡単に『嘘』をつきます。
簡単に『裏切り』ます。
簡単に『自分を事故にあわせ、他者を殺し』ます。
それを時代のせいにするのは、よくないことなのでしょうが
そう思えてしかたがありません。
寄り合い所帯で自分以外の人間が周りにいっぱいいた時代
物は豊富になかったのでしょうが、自分以外の人ために
何かしようとする気持ちは、今よりも強かった気がします。
多分、そのときの海は今より青く
そのときの空も今より青く
そのときの山は今よりも緑で
あったのだろう
物心という言葉がありますが
その二文字はいつも反比例しているのでしょうか。
明日から、また仕事に戻ります。
いろいろな思いを持たせてくれた、今回の
公演でありました。
[400] 二日目 Date:2003-12-26 (Fri)
師走の寒い中、ご来場していただいた
方々に感謝しています、今。
本番二日目がすみ、一人パソコンに向かってはいるのですが
・・・・芝居の難しさを痛感しています。
演出として、伝えることをきちっと伝えてきたのか
・・・・自分の非力さを感じてしまいます。
本当にいつもいつも参加している人の心は
清らかで、私生活をともにしていましても
好青年や純な女性ばかりで喜んでおりますが
やはり、芝居となると、普段のその人間がよくても
舞台に立てば、そんなこと関係ありません。
もっと、もっと、伝えておけばよかった
相手が口で理解したといっても、毎日、毎日
口がすっぱくなるくらいに、言い続けなければ
ならないのかと思います。
いつも、いつも、この繰り返しなのでしょうか。
その反省を忘れずに、どれだけつきつめて
やれるかでしょう。
見ていてつらいのは・・・・本当につらいことです。
明日で2003年のS−PROの活動も終わります。
2004年度へ向けて、次につながる公演にしたいもの
です。
ホント、あと一日です。
[399] 本番初日 Date:2003-12-25 (Thu)
今日が本番初日でした。
いらんなことがあって、私が今日だけ音響を
するはめになりまして・・・・・・
なんとか「あら」なくできたことに
ただただ満足しています。
本当に迷惑をかけなくて、よかったという、その一言です。
あまり客の入りはよくなかったのですが
まぁ、クリスマスといって、バカ騒ぎしている奴には
見て欲しくない、問題意識を持たない作品であるので
少々、少なかったことに、落ち込む気持ちは
ありません。
物事をあまり考えない、おたくのような人には
見てもわからないだろうなぁ、人情のわかる
情の深い人だけに見てもらえれば、それでいい
そういった感じです。
アニメおたくや、あまり本を読まない人に
あわそうとは、これっぽっちも思いません。
今、演劇の世界でも、ただ面白ければいい
そういう軽い風潮があるのかもしれませんが
人である以上、考えて、試行錯誤して
芸術である演劇と対峙していかなければならない
ときにきているのではないかと思います。
個人的に友達になって、その義理でくだらない芝居を
見ることは不幸なことなのですから。
『汝、迎合するなかれ』
その言葉を持って、明日からもです。
比較論ばかり、論じても仕方がないのだと
思います。
他者を気にせずに、自分の道を進むことに
一抹の光を見出さなければ何もはじまらない
・・そう思います。
言葉に対する感受性の強い方がたを
いかに開拓するか・・・・道は遠いかもしれませんが
それをやる時に来ているのかもしれません。
明日は二日目です。
[398] クリスマスだったんですね Date:2003-12-24 (Wed)
朝から夜の9時まで一日中、ホールにいると
世の中がクリスマスであるということを
忘れてしまいます。
今日は仕込みでした。
まぁ順調に予定通りに運んだ気がします。
が、油断禁物です。
明日には、どんなハプニングが待っているやもしれず・・・
最後の最後まで気をぬけない4日間になりそうです。
ふと帰ってきて、思ったのは
芝居をしている人間はMじゃないかということです。
自分を追いつめて、体も精神も極限まで疲れさせて
くれるものっていったら、お芝居であるように思います。
二日に一回のペースで前回の「さらやしき」のときは
エッセイが書いていたのに、五日に一回とは・・・・
疲れているのかもしれません。
まぁ、今回は役者が7人でて、それぞれに複数のキャラを
演じるので、その分の衣装関係や小道具だけでも
この前の「さらやしき」にくらべて、3倍くらいの
量になっているのが、疲れている原因かもしれません。
そして、自分的には今回の作品の方が好みなので
自然と力が入ってきます。
クリスマス・イブ・・・・が仕込みで
クリスマスが公演初日、確認しないと
今が何月で何曜日でって忘れそうな気がします。
こんな年の瀬もありかな・・・・・・
ありかも・・・・あります。
明日・・・・本番です。
[397] ただいま・・・追い込み中 Date:2003-12-19 (Fri)
稽古、稽古、稽古、稽古の毎日です。
ほんとに・・・ただいま追い込み中・・・って
感じです。間に合うのだろうか・・・・
大丈夫だろうか・・・・ここまできたら、そんなことを
言っている暇はないって感じで、黙々と稽古を
やっているといった状況です。
楽しいとか、苦しいとか、しんどいとか
そんなことを通り越しています。
やるしかない・・・状態であります。
討ち入りを決めた浪士たちの心境に似ているのかも
しれません。
やるしかない、あきらめずにやるしかない、ただ
やるしかない、ひたすらに・・・・・
毎日、少しずつでも進歩している役者さんたちを
見ると嬉しくなりますが・・・・もっと、もっと
貪欲さを持って、もっといいものができる
もっと面白いものができる、最後の最後まで
ねちっこく、あきらめずに、見守ってゆこうと思います。
本番まで・・・あと・・・なんと・・6日
[396] 魂 Date:2003-12-15 (Mon)
いったい死んだらどうなるのだろう?
一つの魂となって、空高く消えてゆくのだろうか。
それとも地に落ちてゆくのだろうか。
だれもしらない。
いくら科学が発達しても、このことだけは
わからないのだろう。
いつだったか、多分、高校生くらいだったろうか
死んだらどうなるのか、ばかり考えていた時期があった。
答えがでないのに、そればかり考えていた。
魂・・・・ってなんだ?
肉体は滅びても、魂は残る?
本当だろうか?・・・・・・・
そんなことばかり考えていた。
私のまわりの人々もいつかいなくなるのだろう。
私、ひとちぼっちになるのだろうか?
そのときの気持ちはいかなるものなんだろう?
・・・・・・・・・
そのときいろいろと考えたことが
今もふと浮かぶときがある。
切なくて、やりきれなくて、苦しくて
どうしようもなくて、何もする気が起こらなくて・・・・
そういったこと、もろもろを忘れたくて
芝居をやっているのかもしれない。
時間を忘れさせてくれるものを
追いかけているのかもしれない。
毎日、第五回公演の練習が続きます。
あっという間に時間が過ぎ去ってゆきます。
練習を真剣にすればするほど・・・・
その反面、自宅に帰ってきて、久しぶりに
こうしてパソコンなんかに向かうと
・・・・・変なことを思ってしまいます。
公演まで・・・あと10日・・・・・
反動が来るくらい・・・・練習した月曜日です。
[395] 十二月二十五日 Date:2003-12-11 (Thu)
「義士スピリット」の公演の初日が半年前に
12月25日に決まりました。
イラクのことと赤穂浪士=義士の話を絡めて書こうと
思ったのが、それから一ヵ月後のことです。
今日、政府の発表で航空自衛隊の先遣隊約10名を
12月25日にカタールとクウェート向けて
派遣する方針を決めました。
私どもの最初の公演初日が、そのような日になるとは
何か因縁めいたものを感じずにはいられません。
2003年12月25日は
そういった意味で一生忘れえぬ日になりそうです。
芝居の方は、まだまだで、練習に練習を重ねないとという
危機感で一杯の状況です。
時間が足りないけれど、あせらずに、こつこつと
やっていくしかないのだろうなぁと言い聞かせています。
後二週間で25日はやってきます。
わたしたちも派遣される自衛隊の方々も。
彼らの気持ちを考える、今回の芝居です。
自分以外の人のことを考えること、想像することは
できそうで、なかなかできないことだと思います。
日常の自分の生活に追われている人が多い世の中です。
たまには、自分以外の人のことを考える,いい機会として
この文章を読まれた方々と劇場でお会いできれば
と思っています。
本番初日まで・・・・あと14日
[394] 寒くとも・・・ Date:2003-12-08(Mon)
今日は、今年で一番、寒く感じた一日でした。
土曜日から三日続けての練習でした。
練習するのが・・・楽しくなってきました。
いつも、この時期に思うのですが
本番なんか来ずに、このまま、ずっと練習ばかり
していたいなぁと・・・・・
よく絵を描くことと芝居のことを比較してしまいます。
それでいうなら、今は、一枚のキャンバスに
下絵(=台本)を書き終えて、その各場所場所に
色を塗っていっているのだろうなぁ・・そう思います。
何色を塗ろうか?ここは黄色、赤、紫、白、いや青・・・
考えるのが、とても楽しい作業です。
展覧会にだしてしまったら画家はすることがなくなります。
芝居は生き物ですから、最後の最後まで変更変更なのですが
最後の楽日の公演は、何もすることがない画家の
心境でゆっくり、のんびり、楽しく、今回は客席の片隅で
見させてもらおうかな・・・とちょっと贅沢なことを
思っています。
色をつけても、表現者である役者さんが、その色を
美しく、だしてもらうには、何度も、何度も繰り返しの
練習を経て、自己の体に、その色をしみこませないと
だめなんでしょうね。
まだまだキャリアの浅い人々が多いのですが
その思いだけは、失わずに謙虚にこれからの日々を
過ごしていってもらいたいなぁと思います。
シナリオが完成して、めずらしく『あとがき』なるものを
書きました。
私の想いが伝わったと信じています。
あとは・・・街は・・寒くとも・・・心は・・・燃えて・・
いてほしい・・・そう願っています。
『あとがき』の最後に次のような文章を書きました。
今、練習していても、このことをわかって、みんな
やってくれているなぁと喜んでいます。
ありがとう・・・・感謝・・・・感謝・・・です。
『熱い心で誠心誠意、真心をこめて作った「おにぎり」が
形が悪くとも美味しいように・・・そんな芝居を
目指してゆきたい・・・・そう思います。』
[393] 中庸・・・これが私の作品を作る原点かもしれない Date:2003-12-06 (Sat)
高校生のとき現代国語の松尾先生が好きでした。
明石は朝霧から姫路まで通勤してました。
雨になると、持病の神経痛がでて、学校を休んでいました。
体が華奢な方で、見た目に強いとは言えない感じの
方でした。
彼の授業が面白くて、彼のことを好きになったと
思います。説明の仕方が上手で、いつもそこには
ユーモアやウィットがありました。
今も鮮明に憶えているのが
彼が説明した『中庸』という言葉であります。
中庸という言葉は、どういう意味かと言いますと
「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。
過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。
古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一つ
とされた。中道。」
辞書でひくと、わかりにくい表現が並び、理解しにくいの
ですが、先生が私たち学生に言ったのは
「やじろべぇを考えてください。右におもりが偏ると
右に傾いて、立てなくなる。左もしかり。
やじろべぇが真っ直ぐに立つには、左も右も
同じ重さでないといけない。人間世界もおなじで
右におもさが偏ると左へ行くのが中庸になるし
左もしかり。主体性がないように感じるかもしれません
が。これも重要なことなのです。」
その言葉がなぜか、あのときから、離れません。
多分、その話を聞いて、こういう生き方も面白いと
高校生ながら、思ったのでしょうね。
そんな気がします。
高校生のときから、あまのじゃくだった私と
波長があったからかもしれません。
今、世間はなんだか右に傾いているように
私は感じます。
アメリカでのネオコンの動き、テロ、自衛隊派遣問題
イラクでの外交官殺害事件への東京都知事の発言などなど
もうちょっと時間がたつと『やじろべぇ』が
傾きすぎて、倒れそうな・・・そんな気がします。
そう感じて、書き出したのが、今回の義士スピリットで
あります。
ただ戦争反対、戦わないことに勇気があるのだ・・・・
それだけで書いた作品ではないと思います。
大きな時代の流れのなかで
極端なことにならないよう、願った作品であります。
それを思い書いた本であります。
中庸・・・それが見つめる世界が国家的なものだけではなく
日常的なものに関する些細な事柄をも対象に
本を書いてゆきたいと思います。
最低でも、二つの世界を考えることで本質が見えてくる。
そう信じて・・・・です。
公演まであと・・・・19日です。
[392] 僕たちの・・・義士スピリット Date:2003-12-04 (Thu)
役者で参加予定の男の子が二日前、交通事故に
遭いました。命には別状ないのですが、単車で転倒した
際に、首、腰、脚部を強打し、脚部の骨にひびが
はいりました。普通の日常生活に戻れるまで
三週間だと聞かされました。
こういうこと、長いこと、演劇にたずさわって
はじめてです。テレビや新聞で、大きな劇場でする芝居
でニュースとして、こういうことは聞いたことは
ありますが、まさか、自分たちが・・・・です。
悩みました。どうしよう・・・彼が出られない・・・・
うーん、どうしよう・・・・なかなか結論を出せずに
一日が経ちました。知り合いの○○君に頼もうか
それとも、私が知らない誰かを・・・他の劇団員に
探してもらおうか。
一日経っても、まだ解決策が見つかりません。
冷静になって、じっくり考えてみました。
『新しい外部の誰か』に頼むのは・・・・もう、よそう。
それをまず決めました。あとわずかなのに、その人が
来てもらって、みんなや私が、遠慮して、言いたいことが
いえなくては、何のためにやってるのかわからなくなる。
その人もつらいだろう・・・・・・・・
ということで、今いるスタッフの中から
何とかしようと思い、最初に役者ででてもらおうと
思っていた、音響担当の男性に出てもらえないかと
お願いしました。
とっても言いにくいことです。
なぜなら、彼は本当に音響初心者にもかかわらず
一生懸命に音響の仕事をこなしてくれていたからです。
彼を音響にしたのは、スタッフ強化という意味合いが
主な理由です。
スタッフも役割分担がきちっと、できつつありました。
いい感じでした・・・その矢先の事故です。
彼に役者の事故のことを伝え、舞台に立ってもらえないかと
お願いしました。
彼は事情が事情でもあるし、私の心の中にある危機感を
察知したのでしょう・・・・
しばらく考えた後、「やります。」と一言いいました。
配役を新たにし、今日から再出発です。
事故をして、半泣きで電話してきた人間・・・・
その事情をしって、「やります」といった人間・・・・
配役変更を余儀なくされて、昨日まで覚えた台詞が
人の台詞となり、また一から役作りを開始する人間・・・
相手が変わったことでまた新たに相手と間を
知るために読みあわせをはじめる人間・・・・・
そういう人々を見ると・・・・心が震えてきます。
涙が、でそうになります。
俺はこいつらと一緒に芝居をできてるのだという
喜びを感じます。
かれらこそ、義士スピリットを持った人々かもしれません。
苦境に立たされた時こそ、人は今までにない
エネルギーをだすのかもしれません。
サッカーで一人が退場になって、10人で戦ったチームが
勝つときがあります。苦境になればなるほど、新たな
結束力が芽生えることを信じて、残り少ない時間
お客様が喜んでもらえるように精進して芝居作りを
していかなければなりません。
前を向いて。
本番まで残り21日です。
[391] シナリオ完成 Date:2003-11-30 (Sun)
昨日、シナリオが完成しました。
今日の練習で役者およびスタッフに手渡し、作家としての
一区切りの仕事を終えられたかなぁといつものように
「ホッ」としております。
後は演出家として、いかに仕事をするのか
ただ、それだけであります。
今回は、第五回ということで記念公演という形で
公演します。その記念にふさわしい戯曲にしようと
まぁいろいろな書物を山のように読み、実際に
舞台でやる、とある職業(見てからのお楽しみということで
今は言えない)の仕事をする現場を見るために
神戸まで足を運び、それをビデオでとり、とったものを
パソコンに落として、日々、研究したり・・・・と
だいぶ熱のこもった作品つくりでありました。
そういった意味では満足感があります。
ただ、これを舞台で表現するにあたり
いろんなことがつまっている本なので、きちんと的確に
その意図を汲み取って、表現できなかったら
・・・・・そういった危機感を感じさせられます。
元阪神タイガース監督の野村克也氏が、いつも
おっしゃる言葉があります。
それは、投手が投げるボールの配球において
一球たりとも、意味のない、意図のない球を
なげてはいけないし、キャッチャーは投げさせては
ならない。
この言葉を聞くと、芝居の世界でも、同じ事が言えます。
一つの台詞を言うとき、どういう意図で、どういう表現で
台詞をいおうとするか、それがないと、つまらない舞台に
なってしまいそうです。
江夏のように、自分で組み立てができる投手(役者)は
なかなかいません。素人同然の人ばかりです。
だとすると、キャッチャーが配球を考えなくては
なりません。そのキャッチャーの役目を演出家が
しないといけないと感じています。
どういう意図で、その台詞を読むのか、どういう意図で
どういった動きをするのか・・・
考えてくるのは、ほどんどいなく、台詞を覚えるのが
やっとこさです。
考えて、考え抜いて、一つの台詞を言わそうと思います。
きちっと色をぬっていこうとも思います。
黒一色のベタ塗りにならぬように、いろいろな色が
まじりあった極彩色のお花畑になるように・・・・・
あと初日まで・・・・25日です。
[390] 演出日記〜「義士スピリット」〜その3 Date:2003-11-27 (Thu)
読み込む毎日です。
まだまだ読み込みが足りないと今日、実感しました。
『歌は語るように、台詞は歌うように』・・・
誰が言ったか忘れましたが、なかなか言いえて妙な言葉で
あります。
こういう風に言ってください・・・といっても
音のとれない人はやっかいです。
台詞をどのように音にするか・・・そればかり考えている
今の練習です。
手を抜くのではないでしょうが、練習のときにこそ
やりすぎるくらい、目一杯やってほしいものです。
ち・・・ち・・・ちょっと・・・トーン押さえ気味で
という風に言ってみたいものです。
もっと大きくとか・・・もっと抑揚をつけて・・・
なんて、もう言いたくない気がします。
舞台というのは、ある種、特異な所です。
ある意味、狂気がない役者はでてはいけない
かなとも思います。
一線を越えたものが、舞台に立ってほしい、いや舞台に
たてる権利がある、そんな感じですか。
普通のあんちゃん、おねいちゃんであるなら
舞台にたたずに、友達と映画見て、お茶して
美味しいものを食べて、旅行にいって・・・・・
並の人がすることをすればいいのに・・・そう思います。
舞台の上で、あなたの狂気がみたい。
狂気のある役者を見たい。
狂気とは、狂うのではないのです。
一線を越えられるか、どうか、自分を捨てられるか
どうか。
11月も残り少なくなってきました。
あと公演まで、一ヶ月をきりました。
これからが、本当の役者さんとの対決です。
さぁ、練習に来るまでに何を仕込んで来てくれるのが
楽しみです。ぶつかりあいましょう。
[389] 〜みんな夢の中〜 Date:2003-11-24 (Mon)
♪恋は短い 夢のようなものだけど
女心は 夢を見るのがすきなの
夢のくちづけ 夢の涙
喜びも悲しみも みんな夢の中
やさしい言葉で 夢が始まったのね
いとしい人を 夢で捕まえたのね
身も心も あげてしまったけど
なんで惜しかろ どうせ夢だもの
冷たい言葉で 暗くなった夢の中
見えない姿を 追いかけてゆく私
泣かないで 嘆かないで
消えていった面影も みんな夢の中 ♪
よく夢を見ます。
昨夜は、交通事故現場に遭遇する夢でした。
とある警察官が、事故現場に到着したところから
物語は始まる。
事故処理にきた警察官とその近くで交通規制をしている
警察官。規制をしている車道は姫路でいうと
2号線みたいに、日頃からよく混む道である。
一車線をまるまる規制している。しかも時間は朝
通勤通学の時間帯である。
ということは、とほうもなく長い渋滞が起こっている。
ドライバーがイライラとしてくる。
警察官の処理もなかなか進まない。
極限状態に来たのであろうか、一人の渋滞待ちをしていた
ドライバーが、「えーい、行ってしまえ!!」とばかりに
規制している車線に車を進め、先へ先へ行こうとする。
止めようとする警察官。しかし、その車は、スピードを
緩めずに警察官に突進する。
車のボンネットの前方に警官をのせ、壁に激突する。
警官の断末魔!!!
その様子を見ている私がいる。
何ってこった・・・・この運転手は気が狂っている・・・・
こんなひどいことするのは・・・・
『くすり』をやってるか・・『精神の病』を患っているのか
そのどちらかに違いない。
そして・・・・もしかして・・・・
警察官の次は・・・・私かも・・・不安がよぎる
そう思っていると、壁に激突していた車のバックライトが
白く光る。やはり・・・こいつは・・・・次に・・・
自分を・・・・・狙うのか。
「逃げよう。とにかく逃げよう。」そう思ったが
なぜか体が動かない。手足がしびれて動かないのだ。
あぁ・・・どうしよう・・・どうしたらいいのだ・・・
このままでは・・・殺される!!!!!!!!!!!!
その時、目が覚めた。夢から覚めても、まだ手と足が
しびれている。そして、体が動かない。
変な格好をして寝ている自分の姿がそこにあった。
体は下向きで、その体の下に、自分の手を敷いている。
左足は曲げて、その「ふくらはぎ」の上に右足を
のっけている。もうメチャクチャな寝方である。
最近、睡眠時間が少なく、やらねばならない事が多くて
疲れ気味である。だから、こんな格好で寝たり、変な
夢を見ているのではないかと思ってしまう。
あと一週間、はやく『義士スピット』を完成して
ゆったりした夢を見たいものである。
[388] 演出日記〜「義士スピリット」〜その2 Date:2003-11-20 (Thu)
戯曲まだ書いています。
なにか、この前よりも、内容が濃くて大変な日々です。
この分だと2時間超える芝居になってしまうかもしれない。
まぁ、書きたい事を素直に書いた結果、そうなるのもよし
・・・深く考えずに行きましょう。
年の瀬の芝居です。
12月の初旬にやったことは一度ありますが
今回は25、26、27日という、本当に年の瀬です。
なんでも、いいように考える私は、芝居が終わって
打ち上げをして、「あぁ、芝居も終わったんだなぁ。」と
いつもより、強い達成感になるのではないかと
勝手に想像しています。
年の瀬ならではの雰囲気を街に感じながら・・・・・
一年を終える芝居ってのもいいかもしれません。
でも、本当の達成感は、練習して、ねって、ねって
あーでもない、こーでもないと試行錯誤してこそ
得られるものであると思います。
芝居の神様が、おっしゃっています。
楽をするな、苦しみなさい・・・・と。
楽をして、手を抜いた者には、必ず、悪魔が訪れ
苦労して、真剣にとりくんだものには、天使が微笑む。
長い経験で、これだけは自信をもって言えることで
あります。
時間をかけたら、かけたぶんだけ良いものができる。
そう確信しています。
仕事や学業などをやりながらの練習です。
どこかのプロみたいに、朝から晩まで毎日、練習という
わけにはいきません。
練習のない日にシナリオを開き、何度も何度も、この芝居に
まつわる人は、全体を読んでくれていると思います。
人前でできるのはしれています。
陰でどれだけやるか、その成果は、顕著にでます。
あと1ヶ月と5日です。
これから、しだいに気合が入る時期でもあります。
[387] 絵の採点 Date:2003-11-17 (Mon)
中学・高校の6年間、美術の授業が一週間に一度ある。
その時間が嫌いだった。
一学年130人程度しかいないので、美術の先生は
学校に一人だけしかいなかった。
奥山という、少し東北弁の混じった言い方をする
先生だった。
ようするに、その奥山先生が嫌いだったのである。
その理由は、ただひとつ。
生徒が書いた絵を先生のところに持っていき
点数をつけてもらうのだが、彼は、点数をつける際に
その生徒が実際に書いた絵の右上のところに
赤いペンで「5」とか「4」とか数字を書き
「この絵は、5には、ちょっと足りないから
4の一個マルだなぁ。」と言って、4と書いた数字の
右上にマルを書くのである。
それが、とっても嫌な点の付け方だった。
一生懸命書いた、ひとつの作品なのに、貴方の主観で
3とか4とか5とか点数をつけられた上に
汚い字で、その作品に赤いペンで数字を書いてしまう、
デリカシーのなさに・・・・こいつは芸術家じゃない
エセ・芸術家だ、いや職業・芸術家だとか
わけのわからない、憤りを持って彼に接していたように
思う。
今、実際に芸術というものに携わっていて、とくに
感じるのは、一番とか二番とか三番とか
順位がつけられないから『芸術』なんだなぁと
いうことである。
競争を生まないのが『芸術』である。
『芸術』があふれた場所では平和でストレスのない
健全な人間がいる。
みんな、生き生きとして生活している。
そんな風になるのだろうなぁと想像している。
芸術というものは、そもそも教わるものではない。
教わらなければ、なにもできない、現在の
学生気質(学生以外もそうかもしれないですが・・・)
が、あることは情けないし悲しい。
自分らしさをいかに出すかということを
常々、考えていきましょう。
芸術こそ、ナンバーワンにならなくていい
芸術こそ、オンリーワンでなければならない。
[386] 演出日記〜「義士スピリット」〜その一 Date:2003-11-14 (Fri)
今は、シナリオが約4割程度完成して、書き上げては
役者さんに渡し、そして、読み込み、その場面の雰囲気
をつかむ作業が続いています。
動きをほとんどつけていないというのが現状ですが
あまり、あせらずに、やっていこうと思っています。
人間というものの行動は、やはり、その人間が
何を思い、何を考え、といったところをしっかりと
把握しないと、役者として、どのように動いていいか
わからないと思います。
今は、与えられた役柄の心を読み取る作業が、主な練習で
あります。
今回のシナリオで自衛隊のイラク派兵を取り上げています。
イラクに行った息子を思いやる父・・・なんてのも
登場します。イラク行きが決まった恋人と最後の夜を
むかえる女性も登場します。
そういった人々の心境を把握して演じるのは
とっても難しく、想像の世界のことなのかもしれません。
しかし、それに負けてはいけません。
それに類似した体験談(例えば太平洋戦争の話)を
読むとかパソコンをする方なら、いろんなHPで
戦争のこととかを知ろうとする、そういう努力が
役者として、この芝居に立ち向かう第一歩のような
気がしています。
例えば、昨今の新聞の投稿を見てみましょう。
今日は11月13日付け朝日新聞・朝刊の「声」から
の抜粋です。
『恋人に迫った派遣をやめて』 女性会社員・札幌23歳
私の恋人は自衛隊員です。来春、イラクへ行きそうです。
国からの正式発表がないのに、「なぜ?」って
思うでしょうが、現場の部隊では意思確認の面接があり
彼は「8割方、行くことになる。」そうです。
こんなことになるとは夢にも思いませんでした。
どこか遠い国での出来事としかとらえていなかった
イラク戦争が急に身近に思え、毎日が不安でなりません。
彼に詳しいことを聞きたくても忙しすぎて連絡が取れない
状況です。・・・・・・(中略)・・・・・・・
考えてみてください。とてもとても大事な人が戦地に
行くのです。命を落とすかもしれません。
たとえ、彼が行かなくても、代わりに誰かが行き
私と同じ思いをする人がいるのです。
そう考えるとなぜ戦争がおき、なぜ止められなかったか
いろんなことが頭をよぎります。
昔、戦争を体験した人たちもこんな思いをしたのでしょうか
それならなおのこと、同じことを繰り返さないで
と思います。
自衛隊のイラク派遣、本気でやめて下さい。
※切実な声です。いかに、いろんな『声』を聞き
それをいかすかが、役者として、いい演技ができるか
どうかの別れ道になっている気がしています。
[385] 総選挙に思う Date:2003-11-11 (Tue)
日曜日、近くの小学校まで投票に行った。
行く道すがら、出くわすのは、おじいちゃん、おばあちゃん
おじさん、おばさん、ばかり、若い人、特に20代の人を
見ることはなかった。
お年寄りの多い地域なのかもしれないが、20代の人が
0というのはどんなものだろう。
選挙後、各世代の投票率がテレビで紹介されていた。
思ったとおり、20代の人々の投票率が最低であった。
この傾向は今にはじまったわけではなく
その前も、その前の参議院選挙もそうであった。
政治に興味が無い、政治に無関心
そんな言葉でこの現象を説明してはいけないと思う。
私が、考えるのは、14,5歳で元服した江戸時代
金の卵といわれ、就職して、自分の仕事をもって
自分の力で生きていた昭和30年代、それから以後
大学が増え、少子化も進み、バカでもアホでも
大学という名の学校に行けるようになった現代
・・・その時代の違いが、若者の投票率の低さに
起因しているような気がする。
つまり、端的に言うと、親のスネをかじって
適当にアルバイトをして、適当に好きなことをして
本当の貧困も味わったこともなく、人生における
修羅場も経験したことの無い、生活感が希薄な人間が
現実の政治に関心を持てるわけがない、それが
20代の投票率の低さに出ているのだと思う。
学生運動という言葉がなくなり、今の大学は
楽しいワンダーランドになり、自分を犠牲にするという
言葉なんて格好の悪い言葉になり、いかに嘘っぽくても
いいから、格好よく、人から見て美しく体裁を
とるかというのが主流をしめていると思う。
最近、選挙権を18歳から認めてはどうかという案が
あがっているが、18にしても、どうせ選挙に行かない
人間が多いのなら、その事務的な費用がもったいない
気がする。
もっと、もっと、切実なものとして
若い世代が選挙というものを受け止めてほしい。
あなたたちが行けば、本当に政権交代も起こるかも
しれない。利害関係でがんじがらめになって投票している
大人ではできない選択をできるのが
貴方たちなのだから。
[384] お国言葉 Date:2003-11-08 (Sat)
姫路の南部・飾磨という場所で育った。
いつからか、自分たちが使う言葉が荒っぽくて
汚い言葉だなぁと思うようになった。
海が近くて、昔は、漁師の人が多かったからかもしれない。
もともと、南部に限らず、姫路という場所は
柄が悪い場所だと思われているようである。
こちらの地方紙には、なぜ姫路ナンバーの車が
マナーが悪いのかという特集記事がでてるくらいである。
お国言葉・・・・私にとっての、それは紛れも無い
汚い播州弁である。それは、この故郷で生まれたものとして
生涯つきまとうだろうが、初めての方と会ったときなどは
京都で教わった、はんなりした関西弁を使うように
心がけている。威圧するような感じが姫路の言葉には
するからである。
思うに、このような言葉は、『男言葉』であるように思う。
だから、高校のときからまじに、あらあらしい播州弁を話す
この地域の女性とは結婚しないぞ!!と心に決めていた。
母親は、同じ飾磨の人をもらってほしいようなことを
いつも言っていたが、残念ながら、もう10代の頃から
それは私の心にはなかったのである。
姫路に帰ってきて、町をゆきかう女子校生が話しているのを
たまに聞くが・・・・可愛い顔をしているにもかかわらず
言葉が汚い、品性が無い、たまにだが、ヤクザのような
言葉を使っている人もいる。
多分、昔には、この地域でも、播州弁としての女言葉という
ものがあって、それは、優しい、はんなりとしたものだった
ような気がする。いつしか、男女平等、男女共同参画の
時代になり、それを間違った解釈として受け取った
女性たちが、言葉までも醜くなっていった感がする。
言葉をいかに使って、話すかで、その人の魅力が
違ってくる。今の汚い、荒っぽい、男言葉を話す女性から
何ひとつ魅力を感じられない。
もう一度、話し言葉を見直してみてもいい時なのかも
しれません。
[383] ある場面が見たくて。。。 Date:2003-11-06 (Thu)
シナリオを書く日々が続いています。
まぁ、いろんなシーンを書くわけですが
やはり、お客さんの心に響く、いいシーンを
書けたらなぁと思っていますが・・・・・
難しいですね、これだけは。
心に響く感動する場面・・・・今までの芝居や映画で
私が心に響いた場面って、いくつくらいあるのだろう。
どんなシーンが記憶に残っているのだろうか・・・・
考えてみました。
一番、最初に頭に浮かんだのが次の映画のワンシーンです。
映画『蒲田行進曲』
階段落ちを明日にひかえた大部屋役者ヤスの部屋
看板俳優・銀ちゃんの子供を身ごもった小夏が
一人、ヤスの部屋にいる。
ヤスは銀ちゃんからの頼みで妊娠中の小夏と結婚をし
新撰組土方歳三を演じる銀ちゃんのために
映画の見せ場である階段落ちでの、切られ役、つまり
大階段から転げ落ちるのを承知する。
ヤスが、場末の酒場で知り合った人々をたくさん引き連れて
帰ってくる。何事が起こったのか、戸惑う小夏。
明日が階段落ちというのに、ヤスは酒をかなり飲んでいる。
帰って下さい・・・・泣き叫ぶ小夏。
しぶしぶ帰る人々・・・残るはヤスと小夏
小夏:ごはん食べる。作り直すから。
ヤス:いらねぇよ。(小夏に向かってヤスが屁をする)
小夏:(手でその臭いを払う動作)
ヤス:なんだよ。臭いのか、俺の屁が。なんだよ、これは。
このまねは。お前よ、前に銀ちゃんが屁こいた時、
ワァー、やだ、クチャイ、クチャイ、クチャイ・・・
やだやだやだやだ・・・喜んで、撮影所の中
走りまわってたろ。なんだよ、銀ちゃんの屁は
嬉しくて、戸籍に入った俺の屁は臭いのか!
戸籍は屁よりも劣るのか。情けないよ、俺はよ。
小夏:すみません。ごめんなさい。
ヤス:よぉ、よぉよぉよぉ、お前よ。話し合ったか?
銀ちゃんと。保険金の使い道、話あったか、よぉ。
ねぇねぇねぇ、なんて言った?銀ちゃんねぇ。
小夏:あんたねぇ、なんでいちいち銀ちゃんのこと
持ち出すの?
ヤス:銀ちゃんじゃない。
小夏:私ねぇ、あの人とは、はっきり別れたのよ。
ヤス:腹に子供まで仕込んでよ。
小夏:そんなことよりね、あたしたちの生活のこと
どう考えてるの?
ヤス:最近よぉ、銀ちゃん、妙に冷たいんだ、俺によ。
何考えてんだ。何が不服なんだ。この飲み込みの
ヤスのよぉ。お腹の子供まで飲み込んじまった
この、ヤッサンのさぁ。
小夏:だからさ、話そらさないでよ。
ヤス:今日だってよ、目そらして逃げやがんだよ。
明日、いよいよ階段落ちじゃねぇか。こんなんで
いい落ち方ができるかよ。
俺は死ぬかも知れねぇんだから。
小夏:だから、やめてくれって言ったじゃないよ。
ヤス:冗談じゃねぇよ。おぅ、俺は何のためにお前と
くっつけられたわけだ、腹ぼてのお前とよ。
小夏:くっつけられたわけ、私たち。
ヤス:それだけじゃねぇや、俺は、何のために、十年間も
あの野郎に殴られてきたんだ。蹴っ飛ばされて
きたんだ。あの野郎に、あの野郎に・・あの・・・
小夏:お腹だけは蹴んないでよ、私の子なんだから。
ヤス:てめぇと銀ちゃんのガキなんて知るかよ。俺がよ。
小夏:どうしたらいいの。何が不満なの。(泣き崩れる)
ヤス:俺にわかるかよ。万年、大部屋のこの俺によ。
小夏:そんな風にね、臨月の今になっていいだすなら
どうして私のこと引きとったりしたのよ。
ヤス:俺は大部屋だぞ。お偉い方の言う事は、なんでも
へいへい聞かなきゃいけねぇんだよ。
高い所から飛び落ちろって言ったら、飛び落ちる。
すっころがれって言ったら、すっころがる。
火かぶれって言ったら、火をかぶる。
階段から落ちろっていったら、落っこちる。
それで3000円だ、5000円だ!!
それが大部屋なんだよ。文句があるか!
文句があるか!!文句があるか!!!文句があるか!
文句があるか!!文句があるか!!!!!!!
(そう言いながら、部屋中をめちゃくちゃにする)
小夏:やめて・・・やめてよ・・・(泣きじゃくっている)
(少しの静寂、ヤスもテーブルに顔をつけ泣いている)
ヤス:前はね、平気だったのよ。何言われても、へらへら
へらへら笑ってやってきたの。それが、どうしちまっ
たんだろうね、俺。お前のことを好きになれば
なるほどね、悲しんだよね、この心が。
小夏:あんたー
ヤス:お前とね、いっしょに生きていこうと思えば
思うほどね、切ないんだよね、この胸が。
小夏:あんたー
ヤス:お前とね、離れられなくなればなるほどね
苦しいんだよね、体中が。
小夏:あんたー
ヤス:どうしちまったんだろうね、俺。ほんとに。
小夏:あたしのことで、随分、苦しましちゃったみたい。
ごめんね。ごめんね。
(抱き合っていたのをヤスは解き、一人立ち上がり
玄関のほうへ歩き出す)
小夏:今夜、帰ってきてくれる。
帰ってきてほしいんだなぁ、今夜は。
今夜か明日にでも陣痛がはじまりそうなの。
そりゃ、あんたの子でもないのに悪いとは思うけどさ
やっぱり、産みたいじゃない、女だもの。それにね
こんなこと言ったら、あんた、笑うかもしれないけど
私、この生活、けっこう気にいってんの。
あんたに殴られても、蹴られても失いたくないの。
(ヤスは、外に出てゆく)
小夏:やっぱり、だめだったの・・・・・私たち・・・・
(泣き崩れる)
※このシーンは約5分あります。何回みても涙します。
いろんな事を考えさせてくれます。頑張ろうという
勇気をもらえる感じもします。まだシナリオを書く
作業が続きます・・・・・はい。
[382] 不可解なことで一杯 Date:2003-11-03 (Mon)
「ダイエーの小久保選手、無償で巨人にトレード」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「公約守ったことがない政党同士が、マニフェスト選挙」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「友人に結婚語った三日後に、殺害幇助の女子高生」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「ただ不作というだけで、あせって作物、盗むふとどき者」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「調子乗り、赤ブラジャー つけて踊った留学生」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「争点にならない イラクの派兵問題」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「老後の安定ばかり 考える この国の民」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「液晶だ、プラズマだ、本当にテレビ大好き この国の民」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
「安全な場所から 戦争映像を 液晶テレビで
ビール飲み飲み 楽しみに きっと
見ている この国の民」
あぁ〜不可解だ。不可解だ。
文化の日とは名ばかりの文化のない国、文化を育てようと
しない国での不可解な事を羅列してみました。
この不可解さを消すにはどうしたらいいのだろう。
どこかに、これらを消す、消しゴム、売ってないかなぁ。
ちっちゃいのでいいからさぁ。
どこにも売ってないか・・・・さて、どうしましょうか?
[381] 第九条 Date:2003-11-01 (Sat)
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を
誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による
威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段
としては、永久にこれを放棄する。』
『前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の
戦力は、これを保持しない。国の交戦権は
これを認めない。』
これが日本国憲法第二章第九条であります。
戦後58年経ちました。
この間、どれだけ、この第九条について議論されてきた
のでしょうか。
戦争を知らない世代です。
生まれたときには、自衛隊という軍隊があった世代です。
自衛目的という理由だけならいいのですが
この度の「イラク支援法案」によるイラクへの
自衛隊員の派遣は、どうなのでしょうか。
カンボジアに行くのとわけが違うような気がします。
非戦闘地域ってあるのでしょうか。
言葉が現実と乖離している感じがします。
官僚が机の上だけで考えただけのような、今回の法案が
成立してしまう、我が国を憂いてしまいます。
正義と秩序を基調とした国際平和・・・・とありますが
正義って誰の正義ですか
秩序って誰の秩序ですか
星がいっぱい付いている国旗の国のための
正義ですか
そのために、人を犠牲にするのですか
しかも、丸腰で・・・・犬死させるのですか
あなたが派遣される自衛官の家族だとしたら
どんな気持ちになるのでしょう。
国同士のお付き合いのために、命をささげるのは
納得できません。
11月になり、選挙カーが、けたたましく街を
行きかっています。
私の一票で何が変わるのか、無力感を感じながらも
選挙に行こうと思います。
[380] 港がみえる丘。。。 Date:2003-10-29 (Wed)
ふと、海が見たいと思うときがある。
美しい海ではない。港の岸壁から見る海でいい。
少し、潮の香りがすればいい。
高校のとき、毎夜、飾磨港の突堤まで
体を鍛えるという名目でジョギングしていた。
夜のフェリー乗り場、誰もいない埠頭、薄明かりの道
・・・・少しの潮の香り
海を見たら、今でも、ほっとする。
何気なく、どこかで聞いた「港が見える丘」という曲が
脳裏に浮かぶ。
最近になって、この歌が昭和22年に東辰三という
神戸大学出身の人が作ったことを知った。
そして彼の息子さんが山上路夫さんであることも
知った。
山上路夫さんが作詞した歌はよく覚えている。
「ひなげしの花」「恋する夏の日」「虹をわたって」
「学生街の喫茶店」「あなたに夢中」「瀬戸の花嫁」
「世界は二人のために」「ふたりでお酒を」
などなど、当時の有名どころばかりである。
最近知ったのだが、水戸黄門の「人生楽ありゃ、苦もあるさ
・・・・」も彼の作詞であります。
あぁ、何か繋がっているんだなぁと思ってしまう。
東さんは昭和25年に亡くなっているのだから
自分の息子さんが自分のあとをついで、同じように
作詞の道にいったことを知らない。
こういうことを調べていくと、なんだか探偵になった気分
で面白い。
今も聞いている。
新井英一さんが唄う・・・・「海の見える丘」が
最近の、私のお気に入りである。
「港が見える丘」
あなたと二人で来た丘は 港が見える丘
いろあせた桜が 唯一つ 淋しく咲いていた
船の汽笛 咽び泣けば チラリホラリと花びら
あなたとわたしに ふりかかる 春の午後でした
あなたと別れたあの夜は 港が暗い夜
青白い灯り 唯一つ 桜を照らしてた
船の汽笛 消えてゆけば チラリホラリと花びら
涙の雫にきらめいた 霧の夜でした
あなたを想うて来る丘は 港が見える丘
葉桜 ソヨロ訪れる しお風 浜の風
船の汽笛 遠く聞いて うつらとろりと見る夢
あなたの口許 あの笑顔 淡い夢でした
[379] 燃え尽きた・・・闘将 Date:2003-10-27 (Mon)
プロ野球の全日程が終わりました。
3月の終わりからはじまって、7ヶ月もの期間
戦いぬいた選手や監督、コーチのみなさん、本当に
今年は、野球ファンとして(阪神ファンとして)
素晴らしい一年をありがとうございましたと
言いたいです。
第六戦を今シリーズ、絶不調の伊良部を投げさせるならば
最後の最後に、今年の軸として頑張った「井川」投手を
先発で投げさせてもらいたかった、そのことが
唯一、心残りなことでありました。
一年間、一度もローテーションをはずれずに
最多イニングを投げ抜いてきた、若いエースしか
ダイエーの勢いを止められる人はいないなぁと
試合前、予想していましたので、先発投手の名前を
聞いて、正直、だめかなぁと思いました。
でも、星野監督なりに、いろいろと考え抜いた結果
なので、文句はないのですが・・・・・・
二年前には最下位のチームをよくぞ、ここまで・・・
彼の持っている全エネルギーを傾けていただいたのだと
思うと勇退された後は健康な体にはやく回復されることを
望むばかりです。
疲れ果てた顔になっているなぁと人は言いますが
私なりには、燃え尽きた顔になっているのだろうと
言葉を変えたくなります。
疲れはなんとか休めばとれますが
燃え尽きたのは、もう終わりを意味します。
ふりしぼっても、ふりしぼっても、何もでないのが
燃え尽きるということです。
それほどまでに力を注ぐことは並大抵の人には
できないように感じます。
野球人生は、燃え尽きても、一人間として
まだまだ56歳というのは、これからだと思いますので
本当に健康に気をつかって、のんびりと楽しく
過ごして下さいとしか言葉が見つかりません。
そして、多くの阪神ファンは、彼が阪神のフロントに
残って、GMなどの仕事についてもらいたいと思うで
しょうが、私は、それを望みません。
彼は燃え尽きたのです。
その彼に、また、なにをしろというのでしょうか。
エネルギーをこれ以上、しぼりとるようなことをしたら
大変なことになるような気がします。
何もお願いせず、プレッシャーやストレスのかからない
立場で野球界を見ていただきたいと思うだけであります。
野球人、星野仙一さん、さようなら!!
自由人、星野仙一さん、こんにちわ!!
てな、感じで、やってもらいましょう。
正直、ダイエーの方が強いチームだと思います。
若い力がみなぎっています。
次期監督には、阪神も若いプレイヤーがベテランを
引っ張って、セリーグを連覇するようなチームを
作ってほしいと思います。
金本、桧山、矢野、片岡、伊良部・・・・残念ながら
彼らは30代半ばです。
浜中、関本、鳥谷がクリーンアップを打って、シーズンで
100打点、30ホームラン以上を記録して
日本シリーズにのぞんだとき、今日の悔しさが晴れるとき
だと確信しています。
その時、ネット裏で喜ぶ「星野」前監督の姿が
あることでしょう。
夢をありがとう・・・というよりも・・・・
夢のはじまりをありがとう・・・です。
[378] BLOWIN’ IN THE WIND Date:2003-10-25 (Sat)
How many roads must a man walk down
Before they call him a man
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand
How many times must the cannonballs fly
Before they're forever banned
The answer,my friend is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind
ちっぽけな事ですぐ怒る人
料簡の狭い人 恩を知らない人 一番にばかりなりたい人
平気で嘘をつく人 せこい人 特殊な武器を使う人
二枚舌を持ってる人 視野のせまい人
キレイ事ばかりいう人 醜さを知らない人
暴力の痛みを知らない人 せつなさを知らない人
考えずに物を言う人 思慮深くない人
ふるさとを捨てた人
自分の力で生きてない人
勘違いを勘違いだと思わない人
人を攻撃するくせに攻撃されたらたじろぐ人
今あげた人々は多分
風に吹かれて、この意味がわからない人たちだろう
風に吹かれて、その意味は、その答えは。
風に吹かれながら考えてみることに
しよう。
[377] 引退 Date:2003-10-23 (Thu)
我が阪神タイガースが歴史に残る二試合連続サヨナラ勝ちを
しました。なんかもう4勝しなくていい、ただ甲子園で
負けなければいい、甲子園に来て応援するファンの前だけ
勝てばいい・・・そんな気分になりました。
本当に、素晴らしい日本シリーズです。
あと甲子園で一つ、ゲームが残っています。
なんとか勝って、星野監督の勇退に花を添えて欲しい
ものです。
勇退をこのシリーズ後にする人もいるかと思えば
今日のニュースで中曽根康弘翁が、小泉首相の
引退勧告をけって、次期衆議院選挙に出馬するそうです。
比例区定年を73歳と決めた以上、例外を認めないというの
は、あたりまえのことだと思います。
それが民主主義というものなのに、中曽根翁は
橋本元総理のときに彼と交わした念書を持ってきて
この約束を破るのか・・と怒り心頭であります。
もう85歳ですよ、おじいちゃん、あとは後進に道を
譲っていいじゃありません・・と言いたくなります。
「政治的テロ」って彼らしい言葉の使い方に
笑ってしましました。
藤井総裁といい、この中曽根翁といい
困った人々です。藤井総裁を解任にするなら
この中曽根氏も遠慮せずに、党を除名にしたらどうなので
しょうね。
人間、引き際が大切だと思います。
男の花道・・・・という言葉があります。
往生際の悪い人には、その花道で
花が咲いているのでしょうか・・・・・
ゴミだらけの道で去っていく感じがしています。
[376] 遠藤さん Date:2003-10-21 (Tue)
朝日新聞10月20日付け夕刊より
『遠藤寿美子』(えんどうすみこ=演劇プロデューサー)
18日、心不全で死去、66歳。
葬儀は近親者で済ませた。
お別れの会を、12月25日午後1時から
京都市左京区下鴨塚本町1のアトリエ劇研で開く。
84年、京都市左京区に
「アートスペース無門館」を開き
大学生らがつくる演劇サークルに作品発表の場を
提供し、若手劇作家や俳優を育てた。
02年にサントリー地域文化賞受賞。
1984年12月、当時できたばかりの無門館で
有志を集め、「熱海」をやりました。
大学三年生の冬のことでした。
大学を離れ、自主的な外部での公演でありました。
それ以来、この無門館では5本の作品を公演しました。
なかには生まれてはじめて自分自身が書いた
オリジナル作品もありました。
違う劇団の公演の手伝いに行ったり、たまにですが
京都以外から来られた劇団の公演も見に行ったりと
年に十数回は、この無門館に行った年もあります。
このエッセイでも以前、書いたことがあります。
その当時、一番、お世話になったのが
『遠藤さん』です。
彼女は、本当に気さくな方でありました。
はきはきと話をされるし、私ども素人同然の公演の初日を
必ず見てくれました。
そして、お金の心配をいつもしてくれました。
いまでは驚くような話ですが
この無門館で公演をうつ際には、手付けを少しうって
会館使用料は公演の一週間後に精算する形式を
とっていました。他の劇団はどうかわかりませんが
私たちには、いつもこの形で遠藤さんがやってくれて
いました。
「あんたら、お金ないんやろ。お金は後でええよ。
芝居がすんでからでええよ。券いっぱい売りなよ。
宣伝もいっぱいして。・・・・・・」
この文章を書きながら、涙が流れてきます。
もう、彼女の元気な励ましの声が聞こえない・・・・
演劇に、それも名もなき学生演劇集団にたいして
あたたかい情をもって、ホールを利益目的ではなく
運営されていたのだと、今、思うと
・・・・・・言葉になりません。
今年の12月25日、お別れ会だそうです。
その日がS−PROの第五回公演の初日です。
何かの因縁を感じています。
彼女の演劇に対する情熱を感じた一人として
離れた姫路の地ではありますが
これからも頑張ろう、頑張らねば、という気持ちに
なりました。
天国から見守ってくださいね。安らかに、安らかに。
合掌
[375] 準備万端 Date:2003-10-19 (Sun)
様々な思いをこの一ヶ月、ノートに書き綴りました。
このエッセイ書き終えてから、シナリオという形で
書き始めようと思っています。
思っているというより、決意していますといったほうが
いいのかもしれません。
ついつい、いろんな事を考えたくなるので
そればかりしていると、いつまでたっても台本が
できませんから。
推敲に推敲をかさねてこそとは思いますが
自分で第一稿を役者さんにお渡しする日を
来週の日曜日と決めたからには、やらねばならぬって
感じです。
頭で考えてばかりよりも、実際に活字にしないと
見えてこない部分も多々あるのですから
そう思って、気楽に執筆を進めることにしたいと
思います。
今日から後、一ヶ月、11月の終わりまで
芝居の練習と台本を書く作業と日常の仕事が
続く毎日になります。
確かに、しんどく、苦しく、眠い日々です。
でも、役者の人たちが私が書いた本の台詞を
声にだした時のあるしゅの感動があるかぎり
できる作業かなぁと思ってもいます。
今日も練習でした。今日までは、ワークショップみたいな
感じの練習でしたが、来週からは本格的な第五回公演の
練習がはじまります。
ワくワクしてきます。
備えあれば憂いなし・・・・何事にも
準備万端・・・・といきたいものです。
[374] 勇退 Date:2003-10-17 (Fri)
昨夜、星野阪神監督が今季かぎりで監督を
健康上の理由でやめることが報道されました。
今朝、スポーツ新聞を買って、詳細を読みました。
新聞には、星野監督の今後や次期阪神監督の岡田氏のこと
や島野、田淵コーチなどの今後の進路などが
結構、克明に書かれてあります。
そうかぁ、だいぶ前に決まってたんやなぁ
なんかビックリして損したなぁ、青天の霹靂の感じで
このニュースを聞いたのになぁ・・・・・
ということは、誰かが、この時期を選んで
意図的に、このニュースを流したのだろうなぁと
思ってしまいます。
いつも踊らされるのは、何も知らない私たち、庶民
なんだなぁと。
まぁ意図的なものはあるにしても、真の阪神ファンなら
この事実を素直に受け止め、来季のことは、明日から
はじまる日本シリーズ最終戦後まで封印しておきましょう。
小学校の頃、給食を食べてからの
5、6時間目の時間は 私にとって
学校帰りに 赤土と呼ばれたグラウンドでする
草野球のメンバーを集める時間でありました。
放課後 夕焼け色にボールが 染まるまで
野球ばかりしていた そんな少年でした
今もいると思う いると信じたい
野球バカな子供たちが。。。
そんな子供たちと昔のそんな子供たちが
一喜一憂するゲームを明日から見せてください・・ね
そんな願いをこめて
今夜、外に出て、星空にむかって
わたしだけの 始球式
第一球はストレート カーブ フォーク スライダー
何を投げよう 悩みながら
明日になれば いいのにね
待ちきれぬ金曜日の夜であります
[373] 宝石 Date:2003-10-15 (Wed)
ある日 ぼくは思った
ぼくに買える宝石なんてあるだろうか
またべつの日 ぼくは思った
ぼくに作れる宝石なんてあるだろうか
そのつぎの日 ぼくは思った
ぼくの手に入る宝石なんてあるだろうか
ぼくは詩を書く
「どうしても
宝石を手に入れることのできない ぼくが
かなしい
だが
宝石を欲しがる ぼくの心が
もっと かなしい」と
※寺山さんの詩は、いつも心があらわれます。
今、脚本執筆中、私の頭がいろいろなことを
考えていると 爆発しそうになります。
そんなとき 彼の詩集を無造作にひろげて
でたページの詩を幾度も幾度も読みかえします。
今日は「宝石」でした。
宝石のような美しい本が書ければ・・・・
戸惑いの午後11時55分・・・・
しばらく生みの苦しみを楽しみますか。
[372] 赤穂へ。。。 Date:2003-10-12 (Sun)
赤穂に行きました。
S−PRO第二回公演に水野刑事役で参加した
藤本京子さんが、出演する舞台「友情」を
観劇するために赤穂ハーモニー・ホールまで
足を運んだわけです。
思っていたより、近い印象を受けました。
電車で35分くらいでしょうか。
JR播州赤穂駅について、徒歩10分くらいのところに
ハーモニーホールがありました。
中に入って、ホールの大きさにびっくりしました。
演劇なのでもっと小さな所でやるのかなと思っていました
が、なんのなんの、1000人くらい入りそうな
立派なホールです。舞台の天井も高いし、奥行きもあるし
客席もキャスパと違い、段になっていて、見やすいし
いきとどいたホールって感じです。
芝居の方は、国宏富之さんや荒木しげるさんや山本みどり
さんや丹古母鬼馬二さんなどテレビで良く見る方々が
でていて、けっこう、あきずに見ることができました。
私的には、ドン貫太郎さんという俳優さんの演技が
面白く、上手いなぁと感心させられました。
間がいい役者さんだなぁと思いました。
お話は、白血病治療のために転校してきた女子中学生と
そのクラスメートたちの「友情」を描いたものです。
薬の副作用のために、髪が抜けてしまった主人公を
励まそうと、クラス全員が自ら、同じように髪を切り
全員丸坊主になる場面は、こんなこと、現実ではないやろと
疑問を持ちつつも、実際の役者さんたち(中学生を
演じる20名程度の人々)の本当に頭を丸めた姿を
目の当たりにすると、感慨深く、ジーンとしてしまいます。
そのクラスメート役の一人が、藤本さんでありました。
彼女が一生懸命に踊ったり、歌ったりしている姿を見ると
嬉しくて嬉しくて、頬がゆるみっぱなしになります。
ニコニコしながらも、ある種の感動も覚えます。
18歳で「これが私の生きる道」と学生にもならずに
演劇の道に進んだ、彼女の気概に私は感動を覚えざる
をえません。
もしだめなら、こっち、こっちがだめなら、そっち
・・・と逃げ道を作っていないところが素晴らしい生き方
であるように感じます。
これからも何事にも迎合せず、自分の心に素直に
やりたいことをやって、頑張っていただきたく思います。
ずっと応援したい人です。
カーテンコールが終わり、ホールの出口に中学生役の
人々が客出しをしていました。
彼女の前にいき、「公演、おめでとう」と握手を
しました。彼女のパワーを今日はもらった感じです。
そのパワーを第五回公演「義士スピリット」につなげて
ゆこう、そう思います。
赤穂で。。。赤穂から。。。赤穂にむけて。。。
今日は気持ちのいい一日です。
[371] 人間をみること Date:2003-10-10 (Fri)
私が働く施設は登録制になっています。
その施設で働くには、まず会社で面接を受け
会社の面接官の人が、この人なら大丈夫であろうと
私のところに送り込んできて、私が研修生として
二日間ばかり預かり、この施設での仕事ができるのか
どうか判断を下し、それによって登録するか
どうかを決定して、合格なら何枚かの書類を用意し本登録
ということになります。
今日、研修生として53歳の男性がやってきました。
彼のことを会社で面接した女性は、事前の電話連絡で
すごく好感のもてる方であると話されていたました。
朝、9時に彼が来て、おおまかな仕事の説明をした後
各地区の担当の責任者(班長と呼んでいるのですが)に
彼をそばにつけて、仕事内容を実際に見せるように
指示をだしました。
9時から昼休憩をいれて3時まで、彼に仕事を見せた後
実際に、あるポジションに行って、彼一人で
車両を誘導する仕事を10分間ばかりさせました。
黙って彼を見ていました。静かに見ていました。
その姿を見ていると、だんだん腹がたってきます。
この人は今日一日、何を見ていたんだろう。
何を考えて、わたしたちの仕事を見ていたんだろう。
そういう感じがします。
技術は下手でもかまいません。経験がないのですから。
その技術の前の話で・・・・おはなしにならないのです。
人命を守るということ、安全に車両および通行者を
導くということ、をわかっていないようにみえました。
わかろうとしないようにも見えました。
何人もこういう形で研修の人間を預かりましたが
メモをとったり、質問をしたりして、なんとか
ここでプロとして生きていこうする人もいます。
彼には、そういった熱意が微塵も感じられません。
私は彼にここで働くのは残念ですが認められないことを
言いました。
会社で数十分、面接したくらいで、人はわからないもの
なのだと、こういう事があるたびに思います。
今、ネットの社会でも、会ってもないのに
恋愛感情をもったり、その人間を信じたりすることが
多く、事件に発展しているケースがあるようです。
声を大にして・・・・だまされてはいけないよ!!!!
・・・・と叫びたくなります。
特に二枚舌を巧みに使う女性の甘い言葉によって
被害に遭っている純な男性が多い話をよく聞きます。
自分の目的が達成するためなら、心にもない言葉を
だすことのできる卑劣な人間が、この世にはいます。
実際に会って、判断するならいいのですが
仮想世界であまり、その人の言葉を信じないように
しましょう。
短時間でその人のことを知ることは難しいことです。
立場上、仕事もS−PROでの活動に関しても
『人をみること』を長年、やってきているので
少しは、うさんくさい人間の匂いくらいは
感じられるようになった気がします。
経験でしか培われないものなので、何かの機会に
このことが役立てばと・・・・漠然と思う日です。
[370] 〜オレ流〜 Date:2003-10-08 (Wed)
今日、中日ドラゴンズの監督に落合博満氏が就任しました。
彼は、よくオレ流の人だと言われます。
まぁ現役時代の練習も人と違うことをして
三冠王を三回もとったわけですから
オレ流というのが、しょうにあっているのでしょう。
今年、低迷した中日をどのように建て直すのか
お手並み拝見です。
彼がなぜ人と違う練習方法をやったのかには
わけがあるように思います。
人それぞれに弱点があります。
バッティングなら内角が弱いとか早い球に弱いとか・・・
その自分の弱点を知った上で、どうやったら
克服できるかを自分で考えること、そして、そのための
練習(克服方法)も自分で考えることを独自に
していたように思います。
そうすることで、弱点は克服され
いい結果を導いていたように思います。
コーチや監督に頼っている選手がいます。その場合には
コーチや監督などから、欠点は指摘されます。
そのための克服方法も言われます。
そして練習をします。だけど・・・・だけど・・です。
なかなか、その練習によって、すぐに結果はでません。
至難の業です。一生上手くならなくて、戦力外選手に
なる人もいるでしょう。
それは、受身だからです。
芝居の役者さんでも演出のいったとうりにしか
動かない人がいます。いったとうりにしか台詞を
読まない人がいます。受身な人です。
そうでない能動的な人は、練習までに家で考えてきます。
この台詞を今日はこんな風に読んでみよう・・・とか
動きに関しても、こう動こうとか、ああ動こうとか
様々なパターンを考えてくる人がいます。
そんな人と練習すると楽しいし、本番の舞台でも
生き生きと役を演じています。
オレ流は・・・・言葉を変えて言うなら・・・・
積極的に能動的に物事と対峙すること・・・・と
言ってもいいかもしれません。
オレ流の役者さんが、いればいるほど、面白い舞台に
なる・・・・そんな感じがします。
〜オレ流〜 いい響きです。
[369] せっせ、せっせと、ボランティア Date:2003-10-06 (Mon)
大金持ちで 力持ち 末は博士か大臣か
そんな人こそ ボランティア
せっせ せっせと ボランティア
自分のすること 愛あることと
身銭ださずに ボランティア
人から何も 言われずに
自分の口から ボランティア
せっせ せっせと ボランティア
ひどいやつが いるもので
自分の体験 ボランティア
本書き 儲ける 大学教授
妻も一緒に ボランティア
せっせ せっせと 日銭を稼ぐ
何を見ている ボランティア
苦しむ人の 流す涙 ばかり見るのか ボランティア
見ていて 見落とす 彼の目を
今度は 彼の目ばかり 見たものの
見ていて 見落とす 彼の姿
彼の姿ばかり 見たものの 見落とす 彼のふるさとを
ふるさとばかり 見たものの 見落とす 彼の実世界
実世界ばかり 見たものの 見落とす 彼の一日を
一日ばかり 見たものの 見落とす 彼の悲しみを
彼の悲しみ 見たものの 見落とす 彼の一筋の涙
あなたは いつも 見落としている
それは あなたが ボランティア
偽りの 善いこと 気付かない
気付いてくれとは 言わないが
私の前から 去ってくれ 頼むから 去ってくれ
※久しぶりに詩を書いて見ました。
醜い人間が少なくなることを望みます。
[368] 『動』 投稿者: 投稿日:2003-10-04 (Sat)
頭の中がいろんな構想でいっぱい・・・・・
どれもこれも捨てがたく・・・・でも、すべては
入れられず・・・・整理が必要な状況です。
第五回公演の台本の初稿を10月26日に渡す予定です。
今回は『動き』がたくさんある芝居にしたいと
思っています。遊眠社をやめて、京都に帰ったばかりの
芝居で役者を動かすことばかり考えて演出したことが
あります。
踊りはあまりありません。
台詞をいいながらも、とにかく動く、走る。
今から思えば、よくもまぁ、動かない役者を動かすなんて
無謀なことをやったものだと思います。
今回も、あそこまではいかないまでも
動きのあるものにしたいと思います。
シーンが動く。世界が動く。役者が動く。
今回の公演が先生も走り回る師走に行われます。
あわただしい年の暮れに行われます。
ちょうど、そういった意味で『動き』のあるのが
いいのかもしれません。
ただ無作為に動かしては、美しくありません。
アンサンブルを綿密に考えねばなりません。
シナリオを書くのと同時に、絵コンテみたいなものを
並行して、たまにかくときがあります。
動きのあるシーンでは、それを書くことが多いです。
今回は、ほとんどのシーンで絵を描かなければ
ならないのではないかと思います。
演出テーマは『動』です。
夜な夜な、今回参加される役者さんたちが
動ける体つくりをしてくれていると思うと
シナリオを書くのも自然と力が入ります。
もう腹筋は終わりましたか・・・・・・次は?
腕立て?背筋?スクワット?
えっ?酒飲みすぎて・・・ダウンしてる?
いろんな景色が目に浮かんできます・・・本格的な練習が
はじまるのが、とっても楽しみであります。
[367] 今日の生き恥をかく 投稿者: 投稿日:2003-10-02 (Tur)
今日、カラオケに行きました。
久しぶりで、楽しい時間でした。
最近、よく聞いている「泉谷しげる」の曲を
歌いました。
その歌のタイトルは「春のからっ風」という歌です。
マイナーな曲がいつも好きになります。
その曲の歌詞のなかにでてくる
「今日の生き恥をかく」というセンテンスがとっても
お気に入りです。
「恥をかく」ことは人にとって嫌なことです。
人は他人から、自分がどう見られているか気になるもの
です。
人は、ええ格好したがるものです。自分が、人から
いいように思ってほしいから。
人は権力が欲しいものです。権威をもって、他人に
えらそうにしたいものです。
・・・・・・・・・
「恥をかいて生きること」は、人からええようには
見えないであろうし、自分の権力も失いかねないことに
なるように思います。
だけど、私は「恥をかいて生きること」が素敵なことの
ように感じています。
さらけ出すこと・・・・まわりの人を意識しないこと
人を力づくで押さえつけないこと・・・・・
権力に固執しないこと・・・・・
他人に対して人間としての優劣をつけないこと・・・
それらに、つながっているような気がするからです。
あなた、恥をかきましょう。
ええ格好をやめましょう。
自分をさらけだしましょう。
人が自分をどう思ってるかばかり
考えるのをやめましょう。
恥をいっぱいかきましょう。
それから・・・・です。
『春のからっ風』
春だというのに北風にあおられ
街の声に急きたてられ
彼らにあわないから追いまくられ
さすらう気は、さらさらないのに
誰が呼ぶ声に 答えるものか
望む気持ちと うらはら
今はただ隙間風を手でおさえ
・・・・・今日の生き恥をかく・・・・・
なんでもやります 贅沢は言いません
頭を下げ 詫びを入れ
すがる気持ちで仕事をもらい
今度こそ 真面目に やるんだ
誰が呼ぶ声に 答えるものか
望む気持ちと うらはら
今はただ隙間風を手で押さえ
・・・・・今日の生き恥をかく・・・・・
言葉が足りないばかりに
相手に自分を伝えられず
わかってくれない周りを恨み
自分は正しいと逃げ出す
誰が呼ぶ声に 答えるものか
望む気持ちと うらはら
今はただ隙間風を手で押さえ
・・・・・・今日の生き恥をかく・・・・・
[366] 締切・・・・です。 投稿者: 投稿日:2003-09-30 (Tue)
今日が次回公演の応募締め切りの日である。
期待あり不安あり・・・・締め切りという日は
あまり好きではない。
今回も問い合わせはいろいろとあった。
芝居というものは簡単に作れないということを
折り返しのメールに書く。
書くと大部分の人は、メールが帰ってこないことが
多い。
何かを犠牲にしなくては、芝居というものは
成立しないのか?どうなのか?
芝居以外にも、一日24時間しかないわけだから
何かを犠牲にしながら、優先順位をつけながら
人間は生きていくのだとしたら
別に芝居をするといって、悩むことはないようにも
思う。
簡単に手にいれてしまうってことは
本当に怖いことのような気がする。
昔、「オールタナティブ」という芝居の中の台詞で
『真実は遠回りしないと得られない』というのを
書いたが・・・今もそれは変わってはいない。
演劇をやろうとしている人がいる。
どこの劇団かに所属してやることになるかと思うが
それなりの覚悟をしていないと、後で
どえらい目に遭うのかもしれない。
3分でラーメンはできるが
お芝居はそうはいかない。
大変な労力を使う。
でも、その労力を使えば使うほど
いい、お芝居ができると信じていたい。
ほぼ出演者が固まってきました。
後は明日から、あてがきの日々です。
テーマは決まっています。いよいよです。
いざ!!いざ!!
[365] いかにも日本的・・・原監督解任劇 投稿者: 投稿日:2003-09-27 (Sat)
昨日、読売巨人軍・原監督が辞任しました。
そのニュースを昨日からみたり、今朝のスポーツ新聞で
読んだりしておりますと・・・・・・
いかにも日本的な感じがしてきます。
古い体質から抜け切れない日本が見えてくるようです。
構造改革、構造改革と政治家さんたちが言っていますが
プロ野球の世界にも、その必要があるみたいです。
この巨人軍のドタバタ騒動を見て思うのですが
よくわからない・・・理解しがたい・・・・
そういう印象を持ちます。
原監督の本意が記者会見で見えてこないのは
どうしてでしょうか。
体裁だけとりつくろって、本意は言わずに
墓場の中まで持っていこうとしてるのでしょうか。
オーナーである、言葉を大切に使わない渡辺氏にたいして
言いたいことが、山ほどあったのではないのですか?
「勝てなかったこと、すべて私の責任です。」と
あなたは言いました。
可哀想に思います。勝つことだけを背負わされていたの
でしょうね。
「感動を与えること、イコール、勝つこと」なのですか?
毎年毎年、勝ち続けなければいけないのですか?
毎年毎年、利益を上げないといけないサラリーマンの
悲哀にもにていますね。
ジャイアンツ愛というのは、組織のために、ジャイアンツ
という組織のために、自分を殺すことだったのですか?
古臭い、古臭い・・・・・感じがします。
拝啓、原前監督へ
特別顧問になられるそうですね。
巨人軍を強くするために外部から助言をおっしゃる立場
なのだとしたら・・・・・
あのオーナーと刺し違える覚悟で強くなるための助言
をしないと巨人軍はよくはならないと思います。
人事異動という言葉、嫌な言葉ですよね。
夢のある野球人に対して使ってほしくない言葉です。
こんな言葉を使う、野球自体を冒涜している人間の
考えを叩き直すことをまずやってほしいですね。
頑張ってください。
ー野球を愛する いちファンよりー
[364] PUKAPUKA 投稿者: 投稿日:2003-09-24 (Wed)
煙草 なかなか やめられず
いつも プカプカ プカプカ
煙 見ながら 考えごと
いつも モヤモヤ モヤモヤ
優勝記念の セブンスター
書いてある文字 Conguratulations! `03 VICTORY
それみて いつも ニヤニヤ ニヤニヤ
昔のフォーク 聞くは 「プカプカ」
いつも この歌聞いて 思ってた
この詩に でてくる あん娘と二人
いつか 場末のスナックで
飲んでみたいな グビグビ グビグビ・・と。
『プカプカ』
おれの あん娘は煙草が好きで
いつもプカプカプカ
体に悪いから 止めなっていっても
いつもプカプカプカ
遠い空から 降ってくるっていう
幸せっていやつが あたいにわかるまで
あたい 煙草 やめないわ プカプカプカプカプカ
おれの あん娘は スイングが好きで
いつも ドゥビィ ドゥビィドゥ
下手くそなスイング やめなって言っても
いつも ドゥビィ ドゥビィドゥ
あんたが あたいの どうでもいい歌を
涙流すまで わかってくれるまで
あたいスイング止めないわ ドゥビィドゥビィドゥビィドゥ
おれの あん娘は 男が好きで いつもフフフフフーン
おいらのことなんて ほったらかして
いつもフフフフフーン
あんたが あたいの寝た男たちと
夜が明けるまで お酒飲めるまで
あたい 男やめないわ フフフフフフフフフーン
おれの あん娘は 占いが好きで
トランプ スタスタスタ
よしなっていうのに おいらを占う おいら明日死ぬそうな
あたいの占いが ぴたりと あたるまで
あんたとあたいの死ぬとき わかるまで
あたい トランプ止めないわ スタスタスタスタ・・・・
[363] 3年目へ。。。 投稿者: 投稿日:2003-09-22 (Mon)
2001年9月21日から始めた、このエッセイが
今日から、3年目に入ります。
今回で363回目のエッセイになります。
ほぼ三日に一回のペースで書いていることになります。
この2年間というもの、あっという間に
過ぎ去った2年間のように感じます。
たまにですが、過去ログから、昔の自分の書いた
エッセイを読むことがあります。
結構、勝手気ままに、おもむくままに
好き勝手なことを書いてるなぁと自分ながらに
思ってしまいます。
ただ、媚び諂わずに、自分の考えを述べていこうと
する姿勢だけは、これからも大切にしていこうと
思います。
一番、大嫌いなことは『媚びる』ということです。
相手に嫌われないために、媚びる奴を見ると
無性に腹がたってきます。
今日、小泉改造内閣が発足しました。
11月には衆議院選挙があるそうです。
新しい人事で幹事長に安部晋三(49)前内角官房副長官
が就任しました。今日も今日とてテレビ各局に出演して
いました。背が高くて、スマートで、政界のサラブレット
で血統もよく、顔たちも端正です。
いうことない感じですが、次回の選挙の争点は
『イラク特別措置法案』にからむ、我が国の
安全保障や自衛隊の問題だと私は思っていますので
彼が自民党内においてタカ派的な存在であることが
どうなのでしょう・・・気になるところであります。
顔は優男、考えは強硬な国家主義者であるとしたら
本当に、こういった人に、こういった政党に
この国をまかせていいものか、迷います。
久々に、この国のことを考えさせられる「秋」に
なりそうです。
どうか自民党に対立する政党も皆さん!
この選挙の争点をあいまいで答えがすぐに見出せない
『景気対策』に持っていかずに、ただ単純に
自衛隊をイラクに派兵するのかどうか
戦地にわたしたち、日本人を送るのかどうか
それをするのか、しないのか・・・・・・
この一点で勝負していただきたいと思います。
わかりにくい選挙はこりごりです。
3年目のスタートの日、国を憂う日・・・・・
どこかで彼岸花が赤く燃えてる日でもあります。
[362] 『前略、道の上から』 投稿者: 投稿日:2003-09-20 (Sat)
リバイバルするそうです。
一世風靡セピアの『前略、道の上から』が。
あの当時は、とっても印象的な曲でした。
踊りというか、舞踏というか
とっても奇抜であったなぁと記憶しています。
次回の芝居では、いかに動的なものにするかを
考えています。動きのある芝居にしたいと思います。
それにはダンスをとりいれようかと思っています。
ダンスって、そう簡単にできるとは思っていません。
とっても時間がかかることであると思っています。
だけど・・・・この『前略、道の上から』のダンスとか
気志団のダンスくらいなら、なんとかなるのではないか
と考えています。
下手でもいい、踊り手が一生懸命に動き回って
汗、びっしょりになる姿をみていただいたなら、それだけで
いい。
この前、テレビで気志団のドキュメントをやっていました。
木更津での野外コンサートをやるにあたって
バックで踊るダンサーを一般から募集して、オーディション
をやる場面が映し出されていました。
いろんな方が、そのオーディションに来られていました。
ダンス歴何年もの人から、自己流で踊っている人まで
様々でした。
そして、その中から何人か選ばれました。
選んだ気志団のリーダーである綾小路翔は言います。
「上手い下手でコンサートで踊る人間を選ぶのは
しない。今日のオーディションで、どれだけ
熱意を持って、踊っていたか。それが伝わったか。
ただ、それだけで選んだんだ。」と。
そして、そのコンサートが映りだされます。
あまり、踊りが上手いとはいえない面子が
バックで踊っています。だけど、彼らの踊りは
魂のこもったものに見えるではないですか。
汗をかき、思いっきり手を振り、上がらない足を
おもいっきり上げて・・・何か感動しました。
そして・・・思いました。
ダンスができなくてもいい。
やってみよう。下手でもいい、やってみよう。
そのかわり、一生懸命に踊ってもらうことが
最低条件にしよう。手を抜かずに踊ってもらうことが
最低条件にしよう。
できないから、やめることは簡単です。
できなくても、やる勇気がなくては・・・・
簡単な道を選ぶことが、嫌いな性質です。
明日から基礎練習がはじまります。
『前略、道の上から』・・・この曲でスタートです。
[361] ケータイ@POEM 投稿者: 投稿日:2003-09-16 (Tue)
阪神タイガースがM2からM1へと向かって
戦っている昨日の午後、神戸新聞姫路支社で
『第二回 ケータイ@POEM 勝ち抜き大会』が
行われました。
ケータイ@POEM?
いったい、なんのことやねん?
そう思われる方もいるかと思いまして
まずは説明をば・・・・・・・・それは
神戸新聞姫路版紙面にて昨年の秋から企画された
ものでありまして、携帯からメールで自作の詩を
新聞社のアドレス宛に、投稿してもらい、その中から
優秀な作品を選び、紙面に掲載しているといったものです。
一週間に一度くらいのペースでのるみたいです。
そして、それとは別に、年に二回くらいのペースで
勝ち抜き大会を開催して、それを盛り上げようと
しているということだそうです。
まだ二回目という、はじまったばかりの企画で
担当の方も試行錯誤されている段階かなと
お見受けしました。
で・・・・なぜ・・・私がこのことを・・・・話すのか
といいますと、今回の勝ち抜き大会の審査をしてほしい
との依頼を受けしまして、面白いことは前向きに
なんでもする好奇心旺盛な私が、それを拒む理由もなく
快く引く受けさせていただく事になったわけであります。
感想は・・・・正直、面白かった・・・それが実感です。
事前に8名の作品が選抜されていまして
それを厳正なる抽選によって組み合わせを決めて
トーナメント形式で優勝者を決めるといったもの
でありました。
面白いのは最初の一回戦だけは前もって送られてきた
ものでありますが、二回戦以降決勝までは、勝った人に
こちら側から『勝ちましたよ』というメールを送り
20分の考慮時間を与えて、すぐに詩を書いてもらい
そのできたてホヤホヤの作品をまた審査して優劣を決める
といった風に進行してゆきます。
決勝戦までは、詩のタイトルはフリーなのですが
決勝戦まで残った二名には、こちらからタイトルを
伝え、そのタイトルにそった詩を書いていただくという
・・・・少し難度の高いことを要求して、決勝にふさわしい
勝負を・・・といったものでありました。
審査員は私を含め3人いまして、それぞれの机の上には
AとBの札が置いてあります。
それぞれの詩を読み上げる方が私たちの隣の机に
いらっしゃいます。その読み上げる二つの作品を
聞き、手元にある印刷された作品を目でおい、どちらが
いいか、A(前者)かB(後者)どちらかの札を
あげるのです。三人ですので必ず決着がつきます。
全部で8名のトーナメントですので、7試合あるわけですが
三人が三人とも、同じのを選ぶといったのが一試合しか
ありませんでした。実力伯仲した、いい勝負が
多かったように思います。
各試合がすんだ後に、その二作品の寸評を述べまして
次に進むといった感じで決勝まで、あっという間に
時間がたちました。
自分以外の人が書いた素人作品を真剣に読むといったことも
あまりないし、二つの作品を比較するといった作業も
はじめての経験で、本当に楽しめました。
そして、それを三人で、ここがよかった、ここがもう
ちょっとって・・話をする作業も面白かったです。
短時間に感じたことを即座に言う作業って
自分には向いている感じがしました。どこかしら
勘に頼って生活しているところがあるからなのでしょうか
苦にならないですね、時間がなくても。
ここで、書かれた作品を紹介したいのですが
この勝ち抜き大会の模様は、神戸新聞の姫路版紙面に
明日17日か24日、どちらか都合のいいほうに
載るらしいので、ここでは遠慮しておくことにします。
これを読まれて詩に興味のある姫路の方がいらっしゃい
ましたら、新聞を購入してお読み下さい。
とっても素敵な詩がたくさんありましたから。
それと自分で詩を書いて応募してみようという方が
おられましたら、その紙面に多分、新聞社あての
メールアドレスが載っていると思いますので
投稿されてみては、いかがですか。
飾らずに、上手く書こうと思わないほうが
いい作品が多い感じがします。
自分が日常でふと感じたことなんかを
詩にしてみるって、ちょっぴり素敵なことなのかも
しれませんね。
今回は審査員でしたが、メールアドレスしか
新聞社サイドには、わからないと思いますので
こっそり私も詩を書いて、送ってみようかなと
まじで思っております。
さて・・・・タイトルは何でいこうかなって・・・・
[360] 優勝 投稿者: 投稿日:2003-09-15(Mon)
言葉にならない喜びってあるのですね
今日のpm7:33
忘れられない時刻です
18年の歳月を
人は 「長い 長い」 というけれど
私は 長くは感じない
負けても 勝っても タイガース
いつも そばに タイガース
そして・・・・・永久に タイガース
この優勝で わかったことが ひとつ
本当に タイガースが好きなんや 自分
そのことが
優勝したこと以上に 嬉しい
「好きだよ」と告白した相手に
「ちょっと 考えさせてね」と言われ
何年たったのだろう 何年待ったのだろう
待っててよかった 本当に 待っててよかった
そんな一日・・・・九月十五日です。
[359] 祝・旗揚げ公演 投稿者: 投稿日:2003-09-11(Thu)
知り合いの芝居を見に行きました。
場所は姫路キャスパ・ホール
題は「寸前家族」、劇団名は「福沢BANANA55」
旗揚げ公演でした。
私も姫路に帰ってきて、S−PROを立ち上げたときの
ことを思い起こしました。
旗揚げ公演って物凄くエネルギーがいります。
大変な苦労があったことだと思います。
でも、そうした苦労は必ず、いつか、いつの日にか
何らかの形で報われることだと思います。
これからも、できるだけ長く、活動を続けていって
もらいたいと思います。
同じ姫路という場所で舞台芸術に携わっているものとして
お互いに切磋琢磨して、刺激しあって、よりよきもの
を作り、より多くの人が「お芝居」って、こんなに
面白いもんやって思っていただけるように頑張りたい
ものです。
今日は・・・本当に「祝・旗揚げ公演」です。
芝居の内容にかんしてですが、率直に言って
違和感のない話、違和感のない演出、違和感のない
舞台セット、違和感のない音響、違和感のない照明
・・・・・そんな感じでありました。
すっと劇世界に入りこめ、それを最後まで持続できた
ように思います。
ただ、あまりにも違和感がなさすぎて、無難な感じが
しました。平凡にも映りました。
もう少し、冒険があってもよかったかもしれない・・・・
そんな感じです。
次回、大変だとは思いますが、なにかに冒険してみて
ほしい・・・・・期待しております。
野球の話で恐縮ですが、少し前に「サンケイスポーツ」の
紙面で前阪神監督・野村克也氏が「矢野と古田のリードの
違い」について文章を書かれていました。
矢野も古田も今は日本を代表するキャッチャーである。
しかし、二人には似て非なる部分がある。
矢野のリードはあまりにも無難に行き過ぎる。
無難は悪いことではない。しかし、それは投手を
成長させない。古田のリードには冒険心がある。
セオリーを踏まえつつ、あるときには冒険をする。
冒険をさせられた投手は考える。
今までのセオリーを逸脱した球を要求され、考える。
それが投手の成長につながるのだ。
短期間で、まとめるのは至難の業である。
プロデュース形式なら、なおさらである。
だけど、まとめよう、まとめようと、するあまり
こじんまりとしてしまうことがある。
それがプロデュース形式で私もやっていて悩むところ
である。
それを乗り越えるには、何回も何回も「お芝居」を
実際にやって、いろんな経験をつむしか、道はないような
気がしている。
とにかく、たくさん、長く、やること・・・・・
ひつこく、やること・・・・・次回、楽しみにしています。
[358] 人が涙する時 投稿者: 投稿日:2003-09-10 (Wed)
一度だけ、曲を聴いて泣いたことがある。
あれは高校生の頃・・・・
ビートルズの「IN MY LIFE」という曲を
聞いていたとき・・・・なぜか涙がこぼれた。
胸がぎゅっと締めつけられる感じがした。
こらえきれなかった。それが何かわからなかったけど。
今、思えば、あの頃は、進学校にいったものだから
いい子を演じなければならないプレッシャーが
あったのだろう・・・・そう思う。
いい中学校にはいり、いい高校にはいり・・・・
次には、いい大学、そして・・・いい企業へ
何か、その線路の上を歩かされている・・・・
そんなことを感じはじめていた頃だった。
自分で選んだものなんてなにもなかった。
それが淋しかった。
それが悔しかった。
それがたまらなく嫌だった。
そういったとき、ビートルズに出会った。
リアルタイムではなかったけれど・・・・
今まででたアルバムを朝から晩まで一日中、聞きまくった。
そして「IN MY LIFE」に出会ったとき
なぜか涙がこぼれた。
心が解放された気がした。
その安堵感から涙がこぼれたのかもしれない。
人はどんなときに涙するのだろうか?
ふと思った。
悲しいとき?くやしいとき?むなしいとき?
さびしいとき?嬉しいとき?安堵したとき?
・・・・・・・・・・?
最近、涙していない。
この年齢になって躊躇しているのだろうか?
泣ける芝居を・・・・観客も自分も
泣ける芝居を・・・・作りたい。
躊躇せず、恥ずかしがらずに、感じたことを
感じたままに表現しよう!!・・・そう思う。
どれだけ枠を取っ払うか・・・裸になれるか・・・・
ええ格好せずに、素直に・・・です。
[357] 11番目の...月 投稿者: 投稿日:2003-09-07 (Sun)
今年は9月11日が中秋の名月だそうです。
我が姫路では、お城の三の丸広場にて当日は
「観月会」が催されます。
お城を背に、満月を眺めるって、なかなか
風流な感じがします。
今日が7日だから、満月の十五夜から逆算して
11番目の月の夜ということになります。
よくよく月をみておりますと、まだまだ半月から
少し丸みを帯びた感じであります。
明日、あさって、しあさってとしだいに丸くなって
いく姿を楽しみたいと思っています。
いきなり十五夜の月をみてしまうより、それに向かって
変化する月の様子を観測してみようかなと
今年は思います。
阪神の優勝の瞬間よりも、それまでの過程を
楽しんでいるファンの心境に似ているのかもしれません。
お月さんを意識的に見ることって、最近、少ないように
思います。建物が高くなったり、町に街灯や車のあかりや
コンビニのあかりなど、昔にはなかったものが
たくさんあって、日常として『月明かり』というものを
感じることがないからなのかもしれません。
「月がとっても青いから」っていう名曲がありますが
月明かりを感じない今では、それが青いかどうか
・・・・・ピンとこない人が多いのではないでしょうか。
荒井由美さんの曲で「14番目の月」というのがあります。
次の日から、欠けていく十五夜よりも、その一歩手前の
14番目の月が好き・・・といった歌詞だったと
記憶しています。
その微妙な感覚が、当時、とっても素敵だなぁと
思いました。すべて満たされた状態よりも
あと少しで満たされる状態のほうが、本当の
輝きがあるのだろうなぁ・・・・そういったことを
感じた歌詞であります。
満たされないこと・・・・少しくらい人生にとって
あってもいいのでしょう。
そう思うと楽に生きていける気がします。
[356] 『人生 あみだくじ 』 投稿者: 投稿日:2003-09-05 (Fri)
姫路には魚町という盛り場がある。
東京でいえば・・・新宿、札幌でいえば・・・すすきの
名古屋でいえば・・・栄、大阪でいえば・・難波・梅田
って感じなのだろう。
姫路は、そういった大きな街ではないけれど
「魚町に行く」といったら
「お酒を飲みに行く」と同義な言葉として
ほとんどの姫路に住む方々は連想するのである。
それほど、魚町という地名は知れ渡っている。
大人に憧れていた高校生の頃、魚町にはじめて行った。
はじめてPABに入って、ウイスキーを飲んだ。
『アルビオン』という名前の店だった。
姫路に帰ってきて、その店はなくなっていた。
というより実際は看板だけが今もあるにはあるのだが
店が閉まっていて、閉めた後も誰も借り手がつかない
状況のようにみえる。
魚町で流しとして働いている『けんちゃん』こと
酒江さんと、魚町のことを語るときがある。
彼は言う。
「魚町も飲み屋さんが減って、いかがわしい店が
増えている。ただの性欲処理の街になってきている。
そのことに危機感をかんじる。昔は、もっと
情緒のある街だったのに・・・・・・・・」
私が聞く。
「どうしたら・・昔のような情緒のある街に
戻るのでしょうね?」
彼は言う。
「多分、もう無理かもしれへんなぁ。過程を楽しむこと
より、すぐに実利を欲しがる人が増えたからなぁ。」
また私が聞く。
「過程を楽しむ・・・ですか。酒江さんは、流しを
されていて楽しいときって、どんなときですか?」と
彼は言う。
「毎日、街角に立っていて、いろんな人に出会う。
一回きりで終わる人、また声をかけてくれる人、
自分の事を気に入ってくれて、別の仕事をくれる
人・・・・・いい人もいれば悪い人もいる。
最初から、いい人か悪い人かはわからない。
つきあってだまされたこともある。
逆に、つきあっては予期せぬことで
助けてくれた人もいる。
まるで・・・あみだくじのように・・・・
出会った人で、ころころ人生が変わる。
人生は、あみだくじ・・・どうなるか、わからんから
楽しいのと違うかなぁ・・・」
私は思う。
あみだくじ・・・あみだくじ・・・あぁ、あみだくじ
何本かの縦線のうちに一つだけの当たりが
隠されている。
そこに辿り着くための横線がある。
いったい何本の横線を引けば・・・・
そこに辿り着けるのだろう・・・誰もわからない。
わからないから・・・・面白い。
何本も何本もいっぱい、いっぱい、線を引こう。
右へ左へ・・・・くねくねして・・・・みよう。
くねくねするのも・・・・面白い。
当たりに辿り着くことを忘れてしまうくらい
横線をひくことを楽しもう・・・・・
人生あみだくじ・・・・ですか・・・・
いつか、このタイトルで作詞をしてみようかなと
そして「けんちゃん」に曲をつけてもらって
後は・・・・・・・・・・・・・・
夢がふくらむ(勝手にふくらんでいる)言葉です。
[355] 本物 投稿者: 投稿日:2003-09-03 (Wed)
今日、NHKの夜の番組で編集者のインタビュー番組を
見ました。
名前は「見城徹」という、どこからみても中年といった
感じの人でした。年齢が52歳・・・歳相応の感じです。
しかし、おっしゃっていることは、とっても若々しくて
物凄いエネルギーを彼の言動から感じます。
一番、印象に残った彼の言葉があります。
編集者は、偽物でいい、作家(表現者)が本物で
あればいい・・・本物とは何なのか・・・・
それは人と違う、その作家独自の世界を表現できるか
どうかである。
私は、その独自の世界に触れ、感動したときに
編集者として、彼と共に仕事をしたくなる・・・・・
ある日、街を歩いていると、どこからか尾崎豊の
「シェリー」という曲が流れてきた。
なぜか涙がでた。それ以来、毎日、朝から晩まで
会社に行っても、尾崎の曲を聴いた。
彼がなぜこんな曲を作れるのか。彼を知りたくなった。
彼を題材に書物を作ろうと思った。
そして、彼の事務所に行った。事務所に行って担当の
人と話をした。担当者は彼に言った。
「あなたで7社めですよ。尾崎のことを本にしたいと
おっしゃってきたのは。だから、多分、無理です。
・・・・・もう遅いですよ。」と。
彼は、お願いした。尾崎本人に少しの時間でも
会わせてください・・・・と。
ある日、連絡が入った。18歳の尾崎本人と会うことが
できるとの連絡だった。
尾崎に会った。その短い時間に彼は、毎日、朝から晩まで
涙流しながら、感動して聞いた、尾崎が作った曲の
感想を思いのまま、素直に語った。
数日後、彼の元に連絡が入った。事務所からだった。
「尾崎が見城さんのところと手をくんで、自分の
ことを書いた本をだしてもいい・・・
そう言っていますよ。」
7社めに来た編集者が6つの会社をとおりこして
本を作ることを許された。
そして、その本はベストセラーになった。
なにかPROJECT・Xみたいな感じで書いてしまいまし
たが、彼の話しぶりを見て、あぁ、この人ならって
私も思うほど、彼には不思議なエネルギーが、ある感じが
します。彼を知りたくて、インターネットで彼の名前を
うって検索したら、たくさん関連ページがでてきました。
その中で、彼が「課外授業へようこそ先輩」という
番組で出会った、子供たちへのメッセージを読んで
またまた、うわぁ〜凄いなぁと思いました。
編集者という職業は偽物でも、この人は、人間として
本物の人とちゃうんかなぁと思ってしまいました。
まぁ、そのあたりは彼のメッセージを書いておきますので
いろいろと、各々に感じていただければ・・・・
彼に感動した私も嬉しいです。
『編集とは感動だ』
心が運動すると風が起こる。
熱が出る。光が発生する。
人はそれに引き寄せられる。
それが君の魅力だ。
君の存在感だ。
運動しない心は何も生み出さない。
運動する心と心がぶつかりあったとき、傷口が拡がる。
返り血をあびる。涙が出てくる。
でも、そこからが本当の関係なんだ。
そこからが、すべての始まりなんだ。
君たちの心は運動したか?
運動したら、わかるはずだ。
やればできる。
編集とは感動だ。
[354] 被害者の気持ち 投稿者: 投稿日:2003-09-01 (Mon)
会社から帰ると、マンション横の駐車場に止めてある
我が家の車のボンネットがへこんでいました。
フロントガラスの上方が傷ついていました。
その横に消火器が落ちておりました。
推測するに、マンション上層階から
消火器を我が愛車めがけて、なげつけたことが
わかります。
警察をすぐ呼びました。
被害届を書きまがら、警察官の方とお話をしました。
こういった車に対しての『いたずら』や『車上あらし』が
増えていることを聞きました。
そのような話を聞いていると、マンションの二階から
外に出ていこうとしていた、若いお兄さんが
寄ってきて一言。「僕も、この前、ここの駐車場で
車のガラスを割られたんですよ。」と。
恐ろしくなりました。
見えない犯人が近くにいることが・・・・・・
どうして、なにもしていない人間の物を傷つけるの
でしょうか。不条理です。
そのような人間が存在することが信じられないし
そういった非情な人間と決して係わり合いをもちたくない
そう思いました。
救いは、壊されたのが『物』であったことなんやと
自分自身に言い聞かせて、憤りを紛らわせております。
大阪教育大付属池田小学校で起こった事件に
最近、判決がでました。
テレビで殺された被害者の家族のコメントが
多く流されました。
その映像を見て、なんてむごいことを宅間はしでかしたの
だろうと思いましたが、今、自分が不条理に
意味もなく、我が車を何の関係のない第三者に
傷つけられたことによって、心の底から、実感として
被害者としての、重苦しい、なんともやりきれない
虚しさと犯罪をおこなうものに対して毅然と
立ち向かわなくてはいけないという使命感みたいなものが
湧き上がってきました。
許してはならない。
決して許してはならない。
見えない犯罪者は、正直、怖いです。
また車を修理した後も、やられるんじゃないかという
怖さもあります。
その怖さにおびえて毎日を過ごすことが
実は一番、怖いことなのかもしれません。
守るべきことは、なんなのか、少々の費用をかけても
いいのではないかと思っています。
くだらない、クズな人間と関わりたくないための
費用を。・・・・これが本心かもしれません。
[353] ダイ・ラケの間 投稿者: 投稿日:2003-08-31 (Sun)
今日は姫路では第四回よさ恋まつりでした。
大手前公園周辺では、いろんなイベントが
目白押しでありました。子供たちにとっては
夏休み最後の日であり、いい思い出ができたことだと
思います。
わたくしも、前回の「さらやしき」に参加した女性が
イベントで簡単なお芝居をするということで
観劇さしてもらいました。多くの子供たちに囲まれて
しかも公演時間が朝の10時半という今までに
経験したことがない観劇でありました。
なんだか新鮮な感じがしました。
子供たちがイベントとはいえ、お芝居を生でみる機会が
あるというのは、とってもいいことだと思います。
その後、家に帰り、なにげなくテレビをつけました。
すると昔の漫才をやっていました。
小学生の頃から、そういったお笑いが好きでした。
漫才や松竹新喜劇など、土曜日の昼からが待ち遠しい
時間でありました。
その昔の漫才さんたちのVTRをみて、一番、感心した
漫才さんがダイマル・ラケットさんでした。
リアルタイムでも見ていたのでしょうが、当時は
あまり記憶に残っていません。子供だったので
多分、ギャグっぽく、誇張の大きいのが好きだった
ように思います。
演劇に携わるようになり、台詞と台詞の間というものを
深く考えるようになりました。
それを長年やっていますと・・・・このダイマル・ラケット
さんの漫才における、掛け合いといいますか
台詞の間といいますか・・・絶妙です。
それが、はっきりわかります。絶妙をとおりこして
ある種の『凄さ』を感じてしまいました。
わずか2〜3分ほどしかVTRで流れませんでしたが
わかります・・・・・その『凄さ』が。
どの台詞をいうのも、力んでいないし、カツゼツが
たいへん良くて、聞きやすいし、そこに絶妙な間がある。
笑いというのは、本当に難しいものだとは
以前から思っていました。「間」で人をわらかすことは
並大抵の事ではできません。
物語の構図のずれで、笑いをさそうことができるかも
しれませんが、それは、あくまでも本の話であって
実際に人様の前では演者同志の「間」が大切に
なってくるんだなぁと再認識させられました。
ダイ・ラケの間・・・・DVDで彼らの漫才が
あるようなので、購入して勉強してみたいと
感じた、8月最後の一日です。
[352] 41 投稿者: 投稿日:2003-08-28 (Thu)
我が阪神タイガースは甲子園へ帰り、宿敵・巨人軍に
連勝です。気持ちよく今日も眠れそうです。
今日は11−0の大差で勝利しました。
特に私が一番、応援している広沢選手が
三打数三安打六打点の大活躍でした。ホームランを
二本も打ち、三本目のヒットを打った後の
一塁ベース上での、舌をぺロっと出したお茶目な表情が
41歳という年齢を感じさせない、若々しい印象を
受けました。
私も彼と同じ41歳です。
もう41歳・・・なのでしょうか?
まだ41歳・・・・なのでしょうか?
広沢選手が頑張れば頑張るほど、まだ41だ!
これからだよ、41!!
励まされている気がします。
最近、次回公演の練習が9月にはじまるということで
毎日、こつこつと腹筋に背筋、腕立て伏せにストレッチ
と体を動かし始めています。
私は舞台には立ちません。演出という役回りです。
演出をするには、いつもいつも大変なエネルギーを
使います。実際に自分でやってみせることも
多々あります。大声もだします。
もう、ええ歳なんやから、今回の芝居だけは
動かずに、静かな演出をしようと心で決めていても
いったん練習がはじまれば、そんなことなんて
どこかに飛んでいってしまって、動きまわり、叫びまわり
・・・・血が騒いでるって感じで、いつも燃えています。
このスタイルは変わらないでしょうね。41を超えても。
ただ前回の「さらやしき」の本番まじかな練習のとき
テンションの上がらない役者さんの台詞を大声だして
何回も何回も、叫んだ後の話。
家に帰り、しばらくして、声が変になってゆくではない
ですか。そして、しだいに喉が痛くなってゆくでは
ないですか。そして・・そして・・・次の日の朝。
起きると体がだるく、微熱がありました。
それから仕込みの前日まで微熱と咳が止まらない日々が
続きました。こんなことは今までなかったのに・・・・
やはり年齢なのでしょうか・・・・いやいや・・・
たまたま・・・その練習で叫ぶ前から・・・・
風邪をどこかでうつされていたんや・・・・・
いろいろと考えましたが、その要因はどうでもよく
実際に、そういう体調で本番前の大切な時期をすごすこと
が、なんと辛いことなのだろうと思った次第であります。
そのためには、今から体作りをこつこつと
していこうかなと思います。
明日、会社で市井のスポーツ・ジムに通うFUKUちゃんが
そこの入会案内のパンフレットを持ってきてくれます。
41からのジムがよい・・・・・はじまりそうです。
阪神のTORAに負けてはいられませんから。
[351] 〜 「めだまやき」の時間 〜 投稿者: 投稿日:2003-08-25 (Mon)
仕事のある朝は必ず、めだまやきと納豆を食べています。
「めだまやき」は美味しいです。
しかも半熟っぽい、見た目に美しいのが好きです。
「めだまやき」を焼くのは、簡単そうで
結構、むずかしい作業です。
それが半熟で美しいものなら、なおさらです。
上手く焼くには、火加減が大切です。
まずフライパンを火にかけます。
煙がでるくらいまで、それを熱します。
それから火をやや弱火にしてから
切ったベーコンを入れます。そしてベーコンを
しきつめた上に玉子を丁寧に割って、落とします。
だいたい、二個くらいです、整った「めだまやき」を
作ろうとしたら。
そうしたら、やや弱火の火をもう一段階、弱くします。
そしてフライパンに蓋をします。
後はじっくり待つだけです。
ただただ待つだけです。弱火でじっくりと・・じっくりと
焼くのです。
はやく食べたいと、あせってはいけません。
一度でも強火にした日にゃ・・・・玉子の白身の部分に
気泡ができたり、ベーコンが焦げたり、ろくなことが
ありません。
じっくりと、じっくりと弱火で焼くからこそ
半熟の美味しい、形のきれいな「めだまやき」の誕生と
あいなるわけであります。
良い「めだまやき」を作るには
それなりの時間が必要なんだなぁということを
痛感します。
他の物事でもそれがいえるような感じがしています。
何かをいいものを作るには、それなりの時間が
かかるもんだなぁ・・・・そういう気がします。
私が携わっている芝居づくりにも
同じようなことが、いえるかもしれません。
弱火でじっくりと焼くかのように、作った芝居と
強火でがんがん焼いて作った芝居とは
最後の最後で歴然とした差がでてくるのかもしれません。
そして、もう一つ感じたことがあります。
芝居の公演時間はだいたい一時間から二時間くらいが
ほとんどです。
芝居をやり始めた頃、私は、なんで、こんなに長々と
一つのテーマを伝えるのに時間をかけるのかと
思っていました。多分、せっかちだったのでしょう。
しかし、今となっては全く考え方が
180℃違ってきています。
この半熟で形の良い「めだまやき」の時間と同様に
じっくりと、じっくりと、ある程度の時間をお芝居でも
かけないと、芝居上で伝えたいテーマが
お客様の心に響かないのではないか・・・
体にしみ込んでいかないのではないか・・・
そんな気がしています。
美しく、ほどよい食べごろにかかる「めだまやきの時間」
美しく、ほどよい見ごろにかかる「お芝居の時間」
・・・・・前者の時間はわかっているのですが
後者は、まだまだ勉強中といったところかも
しれません。
[350] 絵描き。。。 投稿者: 投稿日:2003-08-23 (Sat)
ある町に 下手な絵描きが おりました
彼には 友人が おりました
その友人もまた 絵描きでした
彼もまた 下手な絵描きでした
いつも二人は お互いが描いた絵を
ながめながら 食事をするのが 常でありました
そして 互いに 相手の絵をみて
同じ台詞を言うのです。
「素晴らしい」・・・・「ブラボー」
「ワンダフル」・・・・「エクセレント」・・・
テーブルの上で 美辞麗句が飛びかっています
二人は「絵を描くこと」よりも
「描いた絵をほめあうこと」が楽しくなっていきました
そうこうしていると
下手な絵描きの友人の・・・友人が
あらわれました
彼もまた、下手な絵描きでした
そして同じように食事をしながら、お互いの絵を
ほめあいました
そのパターンで何年も何年も繰り返し
たくさんの下手な絵描きが集まりました
わいわい がやがや 酒を飲み 美味しいものを食べながら
お互いの絵に・・・ブラボーの日々です
お互いのことを理解できる仲間がいっぱいいるって
なんて素敵なことなんだろう
最初の下手な絵描きは そう思いました
「絵をかくこと」を続けてよかった
そうも思いました
「上手くならなくてもいい」
「こんなに多くの人が集まって、楽しいのだから」
その一部始終を見ていた男がおりました
彼もまた下手な絵描きでありました
彼は人一倍、絵を描くことが好きでありました
彼は孤独でした いや、孤独な状況に
自分をおくようにしていました
他人の絵を見ても、ほめないし、けなさないし
ただただ無口な男でありました
その無口な男が 大騒ぎをしている彼らをみて
たまらなくなって 声をだしました
「・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・」
声にならない声でありました
※その声を考えてみよう、そして、それを糧として
これから・・・も これから・・・も です。
[349] 『義士』 投稿者: 投稿日:2003-08-21 (Thu)
次の公演のことを思う毎日です。
『義士』です。
『義士スピリット』です。
『義士』を辞書で引くと『節義を貫いて生きる人』
こう書かれてあります。
『節義』ですか。『節義』を辞書で引きましょう。
『人として守るべき正しい道をふみ行うこと。』
こう書かれてあります。
面白くなってきました。
人として・・・守る・・・正しい道・・・
そんなもん、あるんかいな?
なんやろ?時代によって・・・違ってくるのと違う?
何を守るの?
何が正しい道なの?答えなんてあるの?
・・・・・・・
いろいろな疑問が持てたとき、本を書くのが
楽しくてなるので・・・・今からワクワクします。
そして、今回は私にとって・・有意義な作品が
できる予感がします。
赤穂義士を題材にしようと思ってはいますが
当時のままの話をしようとは思いません。
あくまでも、今の時代を反映したものにしようと
考えています。
最近、今の時代で『義士』と呼ばれる人たちが
どこにいるのだろうか?
そんなことをふと考えました。
そして・・・昨日・・・・・
ふむふむ・・・もしかして・・・・
この人たちのことを『義士』と呼んでも
いいのではないかと思うようになりました。
その人たちとは・・・・○○○
今、言わないでおきましょう。
芝居に来られて、初めて知ってもらうほうが
インパクトがありますから。
第一ヒントは『イラク支援法案』です。
第二ヒントは『戦争』です。
第三ヒントは・・・・・下の詩です。
♪野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が涙がでるの
♪戦争の日を何にも知らない
だけども私に父はいない
父を思えば あぁ荒野に紅い夕陽が夕陽が沈む
♪いくさで死んだ悲しい父さん
私はあなたの娘です
20年後の このふるさとで 明日 お嫁にお嫁にゆくの
♪見ていてください 遥かな父さん
いわし雲とぶ 空の下
いくさ知らずに二十歳になって 嫁いで母に母に
母になるの ・・・・・・・・母になるの
[348] 最後の晩餐 投稿者: 投稿日:2003-08-19 (Tue)
先日、NEWSステーションを見ていたら
大竹しのぶさんが出ていてました。芝居の話を
少ししたあと、最後の食事のメニューについて
話をされていました。
最後の晩餐ってやつです。
彼女は「美味しい、たきたての御飯が食べたい」
と言っていました。おかずは、漬物で充分だとも
言っていました。
この企画をよく見ています。前も誰だか忘れましたが
同じようなことを言っていました。
『美味しい御飯』ですか・・・・何か、こう言えば
通みたいで、格好いい感じがします。
いろんなものを食べて、ほとんどの食材を食べて
いきついたのが・・・・『美味しい御飯』・・・・
って感じですよね。
質素な答えの裏側に、彼女が日々、贅沢な食事をしている
・・・満足な食事をしていることが見え隠れします。
私なら、最後なら、フォアグラとかキャビアとか
河豚とか蝦夷馬糞ウニとか・・・・メチャクチャ
高級な食材(実はほとんど食べたことないものばかり)
を頼むかもしれません。
多分、頼むでしょう。
最後の食事くらいテーブルに豪勢なものを
いっぱい並べて、どれから食べようかなぁって
悩むくらいでありたいと思っているからです。
その悩む時間が、とっても有意義だと思います。
その悩んでいるときだけは、これが最後の食事だという
事を忘れさせてくれるからなのかもしれません。
最後の食事だ!!これが最後だ!!!
と思って、白い御飯をじっくりと味わうなんて
なんだか悲しくなってしまうような気がするのですが・・・
さて、これを読まれた皆さんは、何を
お食べになるのでしょうか。
人それぞれ、楽しい答えが帰ってきそうな
『最後の晩餐』であります。
[347] SOROSORO。。。 投稿者: 投稿日:2003-08-17 (Sun)
今日、第四回公演のメンバーが集まってビデオ鑑賞会を
します。あの公演から、二ヶ月しかたってないなんて
なんだか不思議な気がします。私には一年前くらいの
感覚です。どうも時間の感覚が芝居をやっていると
麻痺しているようになるのでしょう。
第四回公演が終わってから、いままで
のんびりと芝居のことをあまり考えずに
流れるように、思いのまま、いろんな本読んだり
旅行にいったり、ビデオを見たり
・・・・やってきましたが・・・・・
そろそろ、次回の第五回公演のことに
取り掛かろうかなと最近、思いだしました。
まず作品をどのようにするか・・・・・
タイトルだけは『義士スピリット』とは決めてはいるのです
が、それをどういった切り口でやっていこうか
その大枠を決めなくてはなりません。
ある程度の「決め」を自分自身で作って
本を書こうと思っています。
その「決め」を書いた言葉を書いた紙を
机の前にはって、自分が変な方向に脱線しないように
いましめながら、いつも書いていますので
今回もそのようにしたいと考えています。
実際に脚本として書いて、役者さんにお渡しする第一稿は
10月の終わりになると思いますが
その時点では細かいプロットや構成が確立されていないと
いけません。そのことのほうに時間を費やすタイプなので
推敲の日々が続きます。
そろそろ・・・その推敲の日をはじめようかなと
思っています。
それは、私の体の体内時計が・・・そろそろ・・・・
SOROSORO・・・だよっていった感じで
小さく鳴りはじめた感じがするからです。
はやく次回公演に参加される人に会いたいし・・・
はやくその人たちと稽古もしたいし・・・・
はやく・・・・はやく・・・・
秋くらいになって、そんな気持ちになるのかなぁ
と思っていたのですが・・・・夏のこんな時期に
そのような事を思ってしまいました。
それもこれも・・・今年の冷夏のせいかもしれません。
[346] 『秋』の。。。気配 投稿者: 投稿日:2003-08-14 (Thu)
冷たい雨の一日でした。
何年ぶりだろう・・・・というより・・・
生まれてはじめてなのだと思います、この頃に
こんなに冷たい雨が降るのは。
姫路の町も気象台はじまって以来の
8月の最高気温の最低記録(ちょっとややこしい表現です)
だったそうです。
太平洋高気圧さんが、頑張ってくれないから
台風は直撃するは、こんな冷たい雨がふるは・・・
涼しい夏は、たまにはいいけれど
度を越えてここまでくると、夏がない夏になりそうです。
そして、いつもやってくる「実りの秋」が
この「夏がない夏」の影響で、「何も実らない秋」に
変わってしまうのではないかと・・・・
危機感を抱いてしまいます。
ずっと、「夏は暑いほうがいい」と言っていたのですが
ここまでくると、何か裏切られた気がします。
季節が、どんどん先に進んでいるような感じがします。
「もう秋かぁ〜」・・・・こんなことを仕事場で
年配のおっちゃんが言っていました。
「世の中のサイクルが狂ってきてるのとちゃうか。」・・・
こんなことも言っていました。
確かに、なんだか、おかしい、今年の夏です。
気候が涼しいと・・・何だか、せかされているような
感じがします。はやく、本来の夏に戻って
『かき氷』を食べて、頭をツーンと痛くして
その痛さが、また心地いいって具合にならないのかなぁ。
盆も高校野球も終戦記念日も
まだ何も終わってない・・・8月14日
冷たい雨の日です。
[345] 恋・・・・と・・・・愛 投稿者: 投稿日:2003-08-11 (Mon)
最近、カラオケに行くと、よく
松山千春さんの『恋』という歌をうたいます。
むかしむかし、流行した歌です。
なぜか夏のこの時期に歌ってしまいます。
夏って、ひとつの恋がはじまり
そして、終わる・・・・そういう感じが
するからかもしれません。
恋愛という言葉があります。
とっても私から見て、わけがわからない言葉であります。
難しい言葉であります。
「恋」という言葉と「愛」という言葉を並べているのですが
その言葉どうしは近いようで、似ているようで
その間には、とてつもない大きな溝が存在している
ように思えてならないからです。
「恋」は・・・・楽しむもの
「愛」は・・・・耐えるもの
なんだか私には、そういう感じがしてならないのです。
よって、「恋愛」っていうのは
「楽しみながら、耐えること」?
「楽しんだ後に忍耐がまっているんだよってこと」?
いろいろと考えてしまいます。
夏のせいでしょうか、こんなことを考えてしまうのは。
夏に出会った二人が
夏の終わりと同時に、恋が終わるか、終わらないか・・・
そんなことよりも
二人で過ごした「夏の思い出」がシャボン玉のように
消えないでほしいなぁと
遠くから祈るばかりです。
恋が終わること・・・楽しい事が終わること
それはすべての人にやってきます。
そこから二人にとって「忍耐」を選ぶ「愛」に移行するのか
それとも、「忍耐」を選ばずに、また違う人との
楽しい事へと戻ってゆくのか・・・・・
どうなんでしょうね。
神のみぞ知る・・・・かもしれません。
『恋』
愛することに疲れたみたい
嫌いになったわけじゃない
部屋の明かりはつけておくわ
鍵はいつもの下駄箱の中
きっと貴方はいつものことと
笑い飛ばすに 違いない
だけど今度は本気みたい 貴方の顔もちらつかないわ
男はいつも待たせるだけで
女はいつも待ちくたびれて
それでもいいと なぐさめていた
それでも 恋は恋
多分 貴方はいつもの店で
酒をのんで くだを巻いて
洗濯物は机の上に 小さな手紙 そえておくわ
今度 生まれてくるとしたなら
やっぱり女で生まれてみたい
だけど二度とへまはしない 貴方になんか つまずかないわ
男はいつも待たせるだけで
女はいつも待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめていた
それでも 恋は恋
[344] 夏の台風 投稿者: 投稿日:2003-08-09(Sat)
夏の台風が来ました。
太平洋高気圧が弱いからだそうです。
夏は暑いほうがいいと思っていたのですが・・・・
私の期待は見事に裏切られそうな「今年の夏」です。
今日まで、お盆前の休みだったのですが
最終日の今日は、今まで行った芝居のDVテープを
VHSテープにダビングする作業をしていました。
いつも私が各公演のたびに芝居を記録する作業を
するのですが、まぁ下手くそですね、ビデオの使い方
といいますか・・・録画の仕方というか。
焦点が合わなかったり、人がいない場所をとったり
全体をとらないといけないのに、一人の人間ばかり
アップにしたりと・・・・とほほ・・・もっと
ちゃんと記録してあげないといけないなぁ・・・
あとに残るものですから・・・・ねぇ。
最初の「ドラキュラ」を除き、第二回から第四回まで
をVHSにとりました。DVを持ってない人にも
これで貸し出しができます。
この文章を読まれて、ビデオを貸して欲しいという方が
いらっしゃいましたら、どうぞ、軽い気持ちで
メールにて問い合わせ下さい。
S−PROを知っていただくためには
どんなことでもしていこうと思っておりますので。
各芝居にも、それぞれ「ええところ」も「わるいところ」
もありまして・・・・細かくみておりますと
もうちょっと、こうしたらよかったなぁとか
悔やんだりもしますが・・・・それはそれ・・・・
次回の糧として生かしていくしかないのかなぁと
思っています。
一つだけ言えることがあります。
一つだけ感じたことがあります。
それは参加してもらった、すべての人が全力で
手をひとつも抜かずに、演じていることであります。
それが記録したテープからではありますが
伝わってきます。そのことが、とっても嬉しい気持ちに
させてもらえます。
多分、今も、このビデオに登場した人々は
どこかのまちで手を抜かずに、頑張っているのだろうなぁ
と思います。
私も・・・・頑張らねば・・・・
そんな気になった、台風一過、快晴の夏です。
[343] 京都へ。。。そして京都から 投稿者: 投稿日:2003-08-06〜07 (Wed-Thu)
京都へ行ってきました。
6日の朝9時から、7日の夕方5時過ぎまでの
32時間の旅だったのですが・・・・
実感としては・・・三日くらい家をあけていた
感じがします。昨日の朝、京都駅に着いて、まっさきに
行った「INODA COFFEE」で喉を
うるおしたことが、何日も何日も前のことに
感じてしまう。
昔、京都に来て、初めて・・・INODA COFFEEの
アイスを飲んだときのことを思いだす。
そこにしかない、食べ物や飲み物は、遠い記憶を
呼び覚ましてくれるのだろう。
喉をうるおし、清水寺には行ったものの、観光らしい
観光はせず、私が昔、住んでいた場所や鴨川で
朝、鴨や鳩に餌をやっていた場所や学び舎である同志社
大学の周りを散策して一日を終えた。
他の二人には申し訳ないが、一人には次の日に
彼が大好きな時代劇を満喫できる『太秦映画村』に
行く約束をし、またもう一人には、最初の日の夜に
彼の好きなものを食べるということを約束していたので
三者三様の「旅」になった気がしている。
勝手に、私がそう思っているだけかも・・・・。
まぁ、それはそれとして、私的には
4年ぶりの京都でありましたが、率直にいって
あまり感慨深い、センティメンタルなものではなかった
ようです。もっと、心が盛り上がるのかなぁ・・・・
いろんな気持ちになるのかなぁと思ったけれど
あまり、そういう気分にはなれなかった。
ただ・・・懐かしい、ただ・・・思い出が蘇る・・・
ただ・・ただ・・・そういう感じでした。
やはり、今ある場所で骨をうずめる覚悟をもって
生活している「自分」があることが、そういう「ただ」
「たんなる」といった気持ちしか湧かなかったことに
繋がっているのかなぁと思う。
昔、京都を離れ、北海道に住んでいたとき、京都に戻った
ときの心境とは遥かに違うものであった。
多分、あの時は、なんの覚悟もなかったのだろう。
会社のために行った場所が、北海道であって、その場所で
自分として、どのように生きていこうとか、何をして
自分らしく生きていこうとか何も考えていなかったから
京都に戻ってきたときに、いろんな事を考え、生活していた
学生時代のときのことを思い出して、感慨深く、いろんな
気持ちにさしてくれたのだろうなぁ・・・そう思う。
何か、その時々の自分の気持ちを探るために
『京都』があるのかもしれない。
『京都』は、そんな私の心の物差しのような町なのかも
しれない。
たかが『京都』、されど『京都』
家に帰ってきた今、さぁ明日から・・・・
第五回記念プロデュース公演に向けて・・・
頑張ろうという気持ちに素直になった。
「今、ある場所でおきばりやす!!」
京都の町が微笑んで、そう言ってくれてるような気がする。
「また、わてのとこに、おこしやす。
わてのこと、あんた素直に見れるようになったんどすえ。
もう感傷的にもならんでよろしい。ただの・・・・
ただの・・・普通の場所なんどす。
それからやね、ほんまのお付き合いは・・・・ねぇ。」
京都へ・・・そして京都から、いつも私の旅が
はじまっているような気がしている。
[342] 『友情』 投稿者: 投稿日:2003-08-04 (Mon)
先日、いつも照明でお世話になっている、足立氏と
次回の公演の打ち合わせをしたときのこと・・・・
足立さんが一枚のチラシを私に見せて一言。
「首藤さん、ここ、ここ、見て・・・京ちゃんが
載ってるわ・・・ここ、ここ。」
「えっ?どこどこ・・・あら・・・まじやわ。」
「でしょ。」 「これは、まじで見にいかなぁ。」
彼が持参したチラシは、今年の秋(10月12日)に
赤穂市文化会館・ハーモニーホールで行われる
『友情 〜秋桜のバラード〜』というお芝居の
ものでした。
東京発のお芝居です。
その東京発の芝居のチラシに、S−PROの第二回公演に
水野役を演じた「藤本京子」さんが写真入りで
のっているではないですか。
今年の正月に彼女に会ったときに、少しばかり
その話らしきことを聞いてはいたのですが
いざチラシを見させてもらうと、やったなぁ〜という
感じがします。高校をでて、すぐに上京して
東映の劇団に入った彼女の播州凱旋公演が
こうも早く実現するとは・・・です。
まだ・・・・多くの中の一人にすぎない役柄かもしれません
が、最初から、メーンをやれるわけでもないし
こういう地道な積み重ねをいっぱいして
自分の信じた道を邁進していってもらいたいものです。
「念ずれば花開く」
「求めれば道はひらける」
あせらず、あわてず、こつこつと・・・・ね。
次回のお芝居は赤穂がテーマです。
前回の「さらやしき」では、お菊神社や長壁神社に
姫路城のお菊井戸などを、成功祈願で行きました。
赤穂がテーマの今回は、公演までに赤穂を
訪れようと思っていました。
大石神社や赤穂の町並みを見ようと思っていました。
それが・・・・10月12日(日)になりそうです。
彼女が出演する『友情』を見ることと
次回の公演の成功祈願が、同じ日に赤穂でできるなんて
何か妙な因縁を感じてしまいます。
一枚のチラシを見て、ちょっぴり幸せな気持ちに
なった日・・・・・です。
[341] お城祭りの・・・日 投稿者: 投稿日:2003-08-02 (Sat)
昨日、今日と姫路は「お城祭り」であります。
今回で54回目だそうです。言われも知らないし
私的には、あまり興味のない、お祭りである。
その理由は・・・・・
姫路といえば「お城」、その「お城」に
とにかく「まつり」をつければ、体裁がつくだろうと
誰かが考えたような感じの「まつり」だからである。
姫路に住んでいて、いつも思うのは
何かあったら・・・・「お城」
困ったら・・・・・・「お城」
姫路といえば「お城」というのが、あまりにも
知れ渡りすぎて・・・他になにがあるのやら
という風になっていることであります。
確かに、美しい「お城」には違いないのですが
それにおんぶにだっこ、頼ってばかりいても
新しい姫路を作る上での「さまたげ」になっているのも
また事実かもしれない。
それは文化面でもしかり、新しい創造の「さまたげ」に
なっている感じもしています。
温故知新という言葉があります。
確かに、歴史の上に、我々の様々な生活や習慣が
成り立っています。
ふるきものを知ってこそ、だとは思いますが
知った上で、いざ何をするか、それが問題であるように
思います。
現代の日本の地方都市において、盛んに行われているのが
「ふるきを知るための」場所作りのようです。
資料館とか展示館とか・・・姫路でいいますと
文学館、歴史資料館、武蔵の館・・・・などなど
そこに来て、今までの、その分野の歴史的なことを
知ってもらう場所であります。
その場所は、別に悪い場所ではなく、有意義な場所で
あると思いますが、その次のステップの場所がない
ように思えるのです。
つまり、「ふるきを知る場所」から「新しきを知る」
「新しきをつくる」場所が、ほとんどない、皆無と
いってもいいのではないでしょうか。
ほとんどが地方公共団体が、そういった場所を
企画して作り、運営もしていると思います。
彼らにとって、「ふるきを知る場所」を作ることは
あまり頭を使わずに、安易な発想で、作り上げることが
できるのではないでしょうか。
そりゃ、そうですよね、ただ資料を、どこかから
かき集めて、展示さえしていれば、いいのですから。
そこに来る人が、矢印どおりに、その建物を一周して
はい、さようなら、って感じです。
そのパターンで、市や県や国の税金を使うのを
もうやめにして、これからは
「あたらしきを知る・作る」場所をぜひぜひ、多く
作っていただきたいものです。
その街の文化を育もうとしている人々と
当局の担当者がもっともっと、ディスカッションする
機会をたくさん持って、「新しきを知る・作る」場所
を模索していっていただきたいなぁと思います。
本当に、魅力ある姫路にしましょう!!!
姫路のメイン通り「みゆき通り」の地価が
全国で一番下がったこと・・・知らせるニュースが
あった・・・次の日・・・こんなことを考えてしまい
ました。
[340] 知らず・・・知らずの・・・うちに 投稿者: 投稿日:2003-07-30 (Wed)
最近の若者にたいして、今日は感じることを
詩にしてみました。
なんとなく、ここ数年、知らず知らずのうちに
保守化されていった若者たちに
なにか言いたくて・・・・・
『壁の向こう側』
ある日 壁が崩れた
二つあった世界が ひとつに なった
ひとつに なって 人々は 喜んだ。
喜んだけれど・・・・ ・・・・・ ・・・・・・
何をしていいのか わからなくなった
遠く 北のはての海 と 南のはての海を
見ていた 老人が こう言った。
「プラスとマイナスの電極がなくなった電池は
何のエネルギーを生み出せるのだろうか。」と
何をしていいか わからなくなった人々は
何をこれから するのだろう。 老人は、ふと考えた。
ほとんどの者が 支配されること・誰かに従属されることを
望むようになるのではないか。
何をしていいかわからないから
何をしなさいと指図する人を欲するのではないか。
誰でもいい
馬鹿でもいい
幼稚でもいい
人の心がわからなくていい
人の情がわからなくていい
・・・・・とにかく、指図してくれたらいい。
海の彼方を見ていた 老人は 深く頭をたれ
静かに 自分の 足元に目をやった。
目をやったというより 遠くを見るのが
つらくて 哀しくて しんどくて ・・・・・
そして、ぽつりと言った。
「人を見抜くことができない人々が増えている。
このままでは・・・・この国が・・・滅びる。
必ず・・・滅びる・・・滅びる・・・・滅びる。」
そう言いながら、彼が静かに息をひきとったのは
夏の夕暮れ、蝉時雨 盛んなとき だった。
※あなたの周りの世界で支配するもの、されているもの
一度、客観的にみてみるのも面白いかもしれません。
[339] HA・NA・BI 投稿者: 投稿日:2003-07-27 (Sun)
何年ぶりだろう・・・花火をまじかで見たのは。
多分、小学校のとき、母に連れられていった
手柄の花火大会以来、だと思う。
あのときは・・・花火が物凄く、大きく見えた。
今は、それは感じない。
だけど、花火が炸裂するときの音は
こんなに、大きな音だったのだろうか、そう感じた。
幼い子供が母に連れられ、夜店で買った、りんご飴を
ほおばりながら、首を大きく傾けて
花火を見ている。
大きな音が鳴ると、首をすくめる、その繰り返し。
浴衣を着た女の子と手をつないでいるのか
添えているのか、判断付きにくい、赤ら顔をした
男の子・・・・・初めてのデートなんだろうなぁ。
今日、二人が見た花火、いつまでも・・・いつまでも
と思う。
私はといえば・・・仕事で、この場所にやってきている。
ひとりである。周りに、知り合いはいない。
ひとりで見ていると・・・花火って、なんだか
物悲しい。
まず音が鳴る。ドーン・・・・ヒュルヒュルヒュル
天空めがけ・・・花火の玉が・・・駆け上がっていく
そして・・・またドカーンと音がする。
美しい光が360度に拡がる瞬間、見ていたものたちは
心が解放された気分になる。
みな、いっせいに口をあけてしまう・・・「わぁー」と。
次の瞬間、輝いていた光が静かに・・静かに・・消えゆく
すると、笑いながら、あけていた口はそのままに
顔の表情だけが笑いから、なんともいえない
物悲しい顔に変化してゆく。
そういった人々の様子と打ち上げられていく花火を
同時にみている・・・・私がいる。
物悲しい花火ではあったが
今日の救いは・・・まだ夏のはじまり・・・・
これが、夏の終わりの花火なら・・・・
涙が止まらなくなりそうな感じがする。
[338] 京阪乗る人・・・『おけいはん』 投稿者: 投稿日:2003-07-26 (Sat)
来月に京都に行きます。
ホテルもとりました。姫路に帰ってきてから
4年ぶりに行きます。京都にずっと住んでたから
変な気分です。もう一つの・・土曜日ならぬ
もうひとつの・・・里帰り・・・ぽいですね。
それはたわいもないことが「きっかけ」でした。
私たちの仕事は、その施設の朝礼からはじまります。
その前の約30分くらい、隊員15名がその施設の
地下に集まって、談笑していたときのこと・・・
隊員の一人でいつも変わったことばかり言う藤井さんが
私に向かって、いきなり、こう言いました。
「京阪のる人・・・おけいはん。」
そう言って、「ふぁふぁふぁふぁふぁふぁ・・・」
と笑い出すではないですか。彼は、そのフレーズが
好きなのでしょうね。私は、彼に言いました。
「藤井ちゃん、京阪乗りたいの?」
「はぁ」「で」「京都に行きたいんです。」「京都に」
「はぁ」「何しに」「京阪のって・・・・」
「ちゃうんや、何をすんの、京都で」「えっ?」
「えって・・何も考えてないの」「はい、でも京都に」
藤井ちゃんは50歳です。あまり今まで旅行をしたことが
ないらしく、機会があればどこかに行きたいと思っていた
そうですが、いかんせん、一人では、どこへも行けない
方向音痴だそうです。
「京阪のる人・・・おけいはん」というコピーも
印象的だったのでしょうが、そのときに映像として流れる
京都の鴨川や出町柳や東山などの景色が・・・・・
なんとなく、ぼんやりだけど、行ってみたい場所やなぁ・・
と思ったと彼は言っています。
8月初旬に一週間の夏休みがあります。
そのときに彼ともう一人の隊員の吉村君と私で
京都に行くことになりました。
毎日のように・・京都に・・京都に・・京都に
と言われては・・隊長として・・応えないわけには
いかない・・・というより自分も・・・4年ぶりに・・
行ってみても・・いい頃かなと・・・そういう感じには
なっていたのですが・・・ちょうどタイミングが・・・
あったのだと思います。
京阪乗る人が「おけいはん」という京都っぽい響き
で良かったです・・・といっても・・・ただたんに
「けいはん」に「お」つけただけなのですが・・・
でも、その「お」をつけて・・・人の名前にしようと
したコピーライターの発想がよかったのかもしれません。
今回の京都の旅の実現は、このコピーなくして
ないように思います。ライターさん、ありがとう。
そして・・・京阪の前に
「近鉄乗る人・・・・きんさん」とか
「阪急乗る人・・・・きゅうちゃん」とか
「山電乗る人・・・・さんちゃん」とか
いうのが、なくてよかったと思います。
二番煎じは、どうしてもインパクトにかけますもんね。
京都の旅・・・いろんな意味で
今から楽しみです・・・・どうなんねやろ・・
[337] 第五回プロデュース公演・募集開始です 投稿者: 投稿日:2003-07-22 (Tue)
昨日、とうHP上で第五回プロデュース公演の
募集要項のページができあがり、UPされたわけですが
そのなかで、何かやりたくて、うずうずしている方
人生で一度くらい人前で演技したい方
何か息苦しくて、はじけたい方・・・・・
参加されませんか?というのがありました。
これは、このHPの管理人さんが考案された言葉なのです
が、その言葉に私なりに付け加えさせてもらえるならば
「いい子を演じている皆さん、大人の望む、いい子を
演じている皆さん、本当の自分を見つけるために
お芝居でも、やってみませんか?
もういい子を演じるのをやめませんか?自分が自分を
殺してしまっているのを止めにしませんか?
お芝居は、あなたの存在をまるごと受け止めて
くれると思いますよ。あなたが生きていることを
肯定してくれますよ。そのときに、あなたは幸福な
気持ちにきっとなることでしょう。」
長々となりましたが・・・・私がいいたいのは、このような
感じかなと思います。この文章は、私が師として尊敬する
芹沢俊介氏が神戸新聞に「男児誘拐殺人事件」にかんして
書かれた文章を参考にして、書かしてもらいました。
長崎の幼児を殺害した子供は、大変な優等生であり
大人の目には文句のつけようのない「いい子」だったそう
であります。
彼は「いい子」を演じる自分が嫌であり、その作業が実は
本当の自分を生きていないことを知っている。
そして、また
自分を生きているように見える人をうらやみ、憎んだりする
もうひとつの顔を持っていると分析されています。
その顔が世界を破壊したいという激しい憤りに
震えていると・・・・・
それが、この事件の発端になっていると・・・・・
もし、いい子を演じる彼に彼が信頼をおける大人が
人生のなかで、ひとりでもあらわれていたら
このようなことには、なっていなかったのではないか
と述べています。
信じてあげること、肯定してあげること・・・・
何か芝居作りにおいて大切なことと、共通点があります。
今日から、そして明日から
はじまりは『あなた』しだいです。
[336] ふれあい→・・・・・→触れ合い 投稿者: 投稿日:2003-07-20 (Sun)
♪悲しみに出会うたび あの人を思い出す
こんな時 そばにいて 肩を抱いて欲しいと
なぐさめも涙もいらないさ 温もりが欲しいだけ
人はみな一人では 生きてゆけないものだから
1974年(昭和49年)にリリースされた
「ふれあい」という曲の歌詞です。
中村雅俊さんのデビュー曲です。大ヒットになりました。
流行歌というものが、時代の鏡である・・とよく
言われます。当時の私は12歳、世の中、なんのこっちゃ
わからずに中学受験というものを親に背負わされ
ただ、ひたすらに勉学に打ち込んでいた頃だったと
記憶しています。
それから29年たちました。
あの当時の社会状況から日本はどのように変わったので
しょう。物質は豊になってきたけれど、便利なものが
多く出現したけれど、人の心・精神といった面では
どうなんだろう、豊に満足に心みたされて
人生を送っている人々が何人いるのかと思うと
?マークがつきまとってしまいます。
長崎の事件、大学生の集団レイプ、渋谷少女監禁事件
援助交際がまかりとおり、政治家と金の関係が
いつまでたっても絶えない・・・はぁ〜・・・
ため息ばかりの時代になってきています。
みんな、間違いとわかっていながら
どうしようもできない状況が続いているようにも
思えます。どうしたら・・・いいのか・・・
なかなか難しい命題ですが・・・私なりに考えたことを
少し・・・ばかり・・・それは
今の時代こそ・・・この歌の歌詞のように
「ふれあい」が必要な時代なのだということであります。
平仮名で書くよりも、漢字で「触れ合い」と書いたほうが
わかりよいかなと思います。
実際に「触る」ことが欠如している。
あらゆる場面で簡単にすまそうと、ついつい言葉だけで
頭だけで、わかろうとする作業が横行している
ように思います。
もし自分が親の場合、子供がいいことをしたら・・・
ムツゴロウさんが動物を可愛がるように
子供を抱きしめて「よーし、よしよし」と言ってやるとか
・・・悪いことをしたら・・・・
自分の手が痛くなるくらい、頭をはついてやるとか・・・
実際に自分の体と相手の体が触れ合って、何かを
伝えるといった作業が大切なことのように思います。
日本人の多くは、初対面の人には、お辞儀だけをしますが
欧米のかたのように、手をさしのべて
相手の手を握ること・・・握手すること・・・・
相手の手の温もり、相手の手の力、相手の肌感覚・・
触ると何か感じます。それが大切なことのように思います。
人間同士以外にも、外に出て、実際に土をいじったり
植物や動物に実際に触れてみることもいいかもしれません。
♪むなしさに悩む日は あの人を誘いたい
一言も語らずに 同じ歌うたおうと
なにげない心のふれあいが 幸せをつれてくる
人はみな一人では 生きていけないものだから
触れ合うことは、大変、面倒なことかもしれません。
恥ずかしさをともなうことかもしれません。
でも・・・でも・・・それを超えない限り
特に今の低年齢の人が起こす事件が、より多くなるような
危機感をもっています。
夏休みです・・・(私には関係ないですが、学生の人には)
時間がたくさんあります。テーマを『触れ合う』ことに
して、いろんなものや人に触れてみるのは、どうでしょう。
[335] 私の 「NOVA うさぎ」 投稿者: 投稿日:2003-07-18 (Fri)
大学にはいり、何かしないとなぁ〜と漠然と思っていた。
4月の半ば、京都御所に新緑の季節が訪れる少し前の話。
英学校からはじまった同志社に入ったわけだから
日常的な英会話くらいマスターしたいなぁと
なんとなく思い・・・ESSに入った。
英会話をのんびりと楽しく、可愛い女子大生と一緒に
やっていくのがESSなんだろうなぁと
軽い気持ちで入部したと思う。
今でいうと「NOVAうさぎ」が欲しいから
NOVAに入って楽しく英会話をマスターしようって
いう感じだったのかもしれない。
しかし、事実は180度、違っていた。
英会話などするような場所はなく、英語を使って
専門的なディベートやディスカッション、スピーチや
ドラマなどをする場所がそこにはあった。
英語はあくまでも道具であって・・・各分野では
英語以外にその各々の場所での専門的な知識が
なくてはやっていけないような感じをうけた。
大丈夫かいな・・・・やっていけるのかいな・・・・
不安だらけのオリエンテーション期間だった。
その期間がすめば、自分がどの分野に行くか決めなければ
ならなかった。
私は、迷わず・・・ドラマという分野を選んだ。
理由は単純で、オリエンテーション期間に
とっても私のことを可愛がっていただいた先輩が
その分野のチーフをしていたからである。
彼はとっても面白い人だった。英語の話は、いっさいせず
ほとんどが芝居の話ばかりだった。
今、東京でこんな芝居がはやってるんやで・・・とか
同志社には小劇場が三つあってな・・そこではな・・
それぞれ、こんな特徴があってな・・・その歴史はな・
とか、目を輝かせながら、夜毎、そのような話をする。
芝居狂いかいなぁ・・この人はと思ったが・・・
英語もペラペラで・・・クラブの同僚からも
一目おかれた存在であるように見えたので
この人なら着いて行っても・・大丈夫だろう・・・
そう思うようになっていった。
初めて芝居を見に連れて行ってもらったのも彼だったし
・・・大学生らしい遊びも教えてもらったのも彼だったし
本当に時が流れた・・・今でも感謝している。
今、こうしてS−PROJECTとして頑張っていけている
のも、その先輩のおかげだと思っている。
それからは・・・私の「NOVAうさぎ」欲しいような
軽い気持ちは、どこかに吹っ飛んで、英語を使った
芝居に没頭する日々が続いた。
英会話をマスターしようかなぁ・・・・ちょっと
人より話せるようになったらなぁ〜
本当に今の駅前留学して英語をならう感覚で
入ったESSで・・・いろいろな人に出会いながら
自分の考えが、いろいろと変化していったことが
必然だったのか偶然だったのか・・・わからないが
ただ一つ言えることは、自分の知らない世界に一人で
踏み込めたこと、真正面から素直に受け入れられたこと
・・・それが良かったのかなぁとなんとなく思う。
♪ いっぱい聞けて・・・いっぱい、しゃべれる
いっぱい聞けて・・・いっぱい、しゃべれる ♪
「NOVAうさぎ」をCMで見るたび・・・・
大学当初のことを思い出す、英語を話そうとしていた
頃のことを・・・
[334] 『晴耕雨読』 投稿者: 投稿日:2003-07-16 (Wed)
体の節々が痛む。歩くのがつらい。
多分、筋肉痛である。一昨日の「草刈り」のせいだろう。
草刈りって・・・何年ぶりだろう。
久しぶりに、ミミズを見た・・・マル虫・ダンゴ虫・・・
いろんな虫をまじかで見た。
長袖のシャツを着て、首にタオルを巻きつけて
完全防備の格好をしたにもかかわらず・・・
いっぱい蚊にさされてしまった。
久しぶりにやった「草刈り」がすんで、一服していると
私の頭に『晴耕雨読』という言葉が浮かんできた。
高校時代に教わった・・その言葉が・・・
雑草が生い茂る土地の真ん中で汗まみれになった
こんな状況で浮かんでくるのは・・・多分
その言葉の単純明快さが気に入っているからなのだろう。
そう思う。
「晴れた日は田を耕し、雨の日は家で本を読む」
それが本当に自然な感じがする
本当に自然な生活がある気がする
今、暑くなればクーラー、寒くなればヒーター
一年中、トマトやミカンやメロンを食することができる。
季節があって、ないようなことになってきている。
季節感が失くなっていくこと・・・・そのことに
不自然さを感じてしまう。
今年の夏は 暑い夏であってほしい。
夏は暑ければ暑いほうがいい。
梅雨明けまじか・・・
♪ コンコンチキチン コンチキチン
コンコンチキチン コンチキチン ♪
京の都は 宵山である。
[333] 『生』放送は。。。 投稿者: 投稿日:2003-07-12 (Sat)
今日は姫路のFM局の番組にでてまいりました。
播州地区の文化情報雑誌「Ban Cul」を御覧になった
姫路市の広報課の方から、お電話いただいたのが
約半月ほど前・・・それからFMの方と話をして
本日、出演とあいなったわけですが・・・・
『生』放送ということを事前にわかっていながら
放送の中で、「メガネの三城」とか「潮味まんじゅう」とか
まぁ・・いろいろと自分で後で考えてみても
固有名詞といいますか・・・スポンサーの方のことを
考えない発言が多すぎたなぁと思っています。
一緒に出演した大北君とは、放送禁止用語しゃべらんように
打ち合わせはしたのですが・・・・とほほ・・・・・
ついつい固有の店の名前をだしてしまったわけです。
あまり緊張はしなかったのですが、思ったことを
すぐに口にだしてしまう性質なのでしょうか・・・
多分、担当のディレクターの方も冷や汗もので
わたしたちとパーソナリティの方との話を聞いていたに
違いない・・・そう思います。
ラジオを昔から聞くのが好きでした。
中学・高校時代は、ほとんどラジオとともにあった
学生生活という感じでありました。
そのときはヤンタンとかヤンリクとかいった番組の
全盛期であったことを記憶しています。
あの時代には、もう帰れないけれど、このラジオ出演を
きっかけにFM、AMとわず、今、どんな面白い番組が
あるのか・・・探してみようかな、時間があれば
ラジオのスイッチを入れてみようかな、・・・・・
そんな気持ちが芽生えてきたような気がしています。
今、カメラ付き携帯や液晶テレビ、DVDやHDの録画
機器が最先端をいっている感がします。
「見る」ことばかりしていないで たまには
目をつむり、「聞く」だけの作業をしてみることは
疲れた頭をリフレッシュするには最適なことに
なるかもしれません。
ラジオの語源を調べてみると、ラテン語のradius
という言葉からきているそうです。
そのradiusのおおもとの意味は、放射状の光線とか
半径とかいった意味だそうです。
一つの支点から放射状に広がるラジオにあやかって
わたしたち、S−PROJECTの活動も
そのように人づたいに拡がっていって、多くの方々に
認知されていけばなぁ・・・と思った
『生』放送の怖さを知った一日でした。
[332] 長崎は今日は悲しい雨なんだろうなぁ 投稿者: 投稿日:2003-07-09 (Wed)
石畳・オランダ坂・出島・天主堂・・・・・
長崎は・・・風光明媚な町です。
一度ですが・・・訪れました。
高校の頃、芥川龍之介の『奉教人の死』という短編小説を
読んで、キリシタンの事を考えたことがあります。
京都の五条と七条の橋の間に『正面橋』という橋が
あります。その橋の東側、川端通り沿いの北側の場所に
キリシタン殉教の地と書かれた石碑が、ひっそりと
立っています。
その石碑を見ながら、階段をおり、川で泳ぐカモや
都鳥に、よく餌をやっていたのを思い出します。
そしてキリシタン殉教の石碑を見るたびに
「奉教人の死」という小説のことを思い、また
長崎でいった大浦・村上天主堂のことを思います。
長崎で4歳の子供を殺害した犯人が逮捕(補導?)されました。
12歳の少年でした。
言葉が見つかりません。何を言っていいのか。
言えるのは、一度行った、長崎の街の印象くらいしか
ないのかもしれません。
ただテレビで映った家電量販店の黄色い建物が
同じ姫路の町にもあって、あの場所は、どこにでも
どこの町にもある風景とさほど、変わらないのだなぁ
と思うことくらいです。事件が起こったのが
長崎しかない場所、長崎らしい場所でなかったのが
救いといえば、救いになるのでしょうか。
真剣に、本当に真剣に、考えなければ
こういった事件は、あとを絶たないような気がします。
長崎は今日も明日もずっと悲しい、やりきれない雨が
続くのでしょうね。
己を貫き、殉教していった時代から何年たったので
しょうか。
このような時代に生きていることが嫌になった
長崎の事件です。
[331] た・な・ば・た 投稿者: 投稿日:2003-07-07 (Mon)
願いごとを短冊に書く。
『力を下さい』・・・・と。
体力・・・知力・・・精神力・・・想像力・・・etc
ただ・・権力はいらない。
いろんな力があるけれど
一番、欲しいのは『想像力』だろう。
想像力?創造力かもしれない・・・音にだせば同じだから
ここは、ひらがなで『そうぞう力』ということに
しよう。
『そうぞう力を下さい』
今年の七夕には、こう書こう。
与えられる人生はいらぬ。何かを与えることのできる
人生でありたい。
それには・・・『そうぞう力』がいるのだろう。
では・・・『そうぞう力』は何から生まれるのだろうか。
コンプレックス・・憤り・・憎しみ・・
マイナスのベクトルから生まれていた時代も
あったような気がするが・・・・今は違う。
歳のせいでもあるのかもしれないが・・・今は違う。
あの人の笑顔が見たいから・・・・・
あの人の笑い声が聞きたいから・・・・
あの人に愛をあげたいから・・・・
『そうぞう力』が生まれてきていることを
最近、実感している。
なんでだろう・・なんでだろう・な、な、な、なんでだろう
と言っても、自分でもわからない。
今の生活のまわりの人々が、暖かい、人情味あふれる
方々が多いからなのかもしれない。
たくさんの方と、なん年も、ばかになって、たのしめたら
・・・・・いいのにね。
いつもプラス志向、何でも受け入れる懐の深さを
いつも持って・・・・いきますか・・・・ねぇ。
[330] 芸術文化活動が まちを変える時代 投稿者: 投稿日:2003-07-06 (Sun)
今日は姫路文学館で『芸術文化活動がまちを変える時代』
というシンポジウムに行きました。
福井や北海道でNPO活動をされている方々の
話を聞いた次第です。
後者の北海道の富良野でNPO法人「ふらの演劇工房」
の篠田さんの話の方が、演劇に携わっている私には
興味深い内容でありました。
彼女の話を聞いておりますと
大変なエネルギーを持って、その活動に全身全霊を
かけていらっしゃるのが、話を聞いていても
伝わってきます。
このように、芸術を地域に根付かせようとされる方々が
頑張っていただくことで、わたしたちの活動も
あらゆる面でスムーズにいくのではないかと
思います。今後の姫路においてのNPO法人・しみん芸術
が発展されることを望みます。
わたし個人としては、はじめたばかりのS−PROJECT
の活動を地道にやっていくことで、微力ながら
この姫路という地方都市での芸術文化の向上に
貢献できればなぁと思っています。
あくまでも作り手として、より良いものを、より人が
感動できるものを・・・創造してゆきたいと思います。
芸術というものは、なにがよくて、なにが悪いか
人生と同じように正解のないものだと思っています。
どこが一番で、どこが二番でっていうような順番を
つけるものでもないように思います。
演劇に関して述べますと、様々な色をもった劇団が
たくさん、姫路のまちに出現するための土壌作りが
大切なことなのではないかと思います。
「さらやしき」公演から2週間・・・たった日曜日
久しぶりに演劇のことを考えた一日、蒸し暑い日でした。
[329] 独立記念日? 投稿者: 投稿日:2003-07-04 (Fri)
建国記念とか独立記念とか・・・・祝う気にはならない。
ただ一つだけ、ありがたいのは
こういう日があるたびに、国ってなんだろう、国家って
なんだろうと考える機会を与えてくれていること
くらいだろう。
生まれてから、今まで経済的には高度経済社会あり
バブルあり不況、リストラ、デフレ・・・・・
私が生きた40年間ですら、いろんな出来事が
あったのだけれど・・・・政治的にはあまり、なにも
変わっていない気がする。
一度、熊本のお殿様がでてきたときには
変わるのかなという期待をもったけれど、結局、幻想に
終わってしまった。
ずっと・・・土建国家、ずっと公共事業国家、ずっと
利権を求める奴らのための国家・・・・
なにも変わらない・・・40年間のような気がする。
戦争を放棄し、平和国家を掲げながら
イラクでおこる戦争を肯定する・・・国家
集団レイプ発言、子供を産まない女性にたいして偏見
をもった発言・・・・をする政治家たち
問題は、言うこと、発言することと
実際に行われていることとの乖離だとしたら・・・・
意味のない言葉、希薄な言葉だらけに
なってしまうことに、危機感を感じてしまう。
国を代表する政治家がそうなら、学校や職場や家庭に
おいても、その意味のなさ、実感をもてない言葉が
氾濫することになるような気がする。
自分だけは、意味のある言葉を話そう。
自分だけは、自分の話した言葉だけは
きっちり守って、その意味どおりに 生きよう。
国家からではなく 個人から 上からではなく 下から
・・・それが唯一の救いとなることを・・・
[328] 貯金30の朝・・・ 投稿者: 投稿日:2003-07-03 (Thu)
兄が大のジャイアンツ・ファンだった。
当時は王・長島の全盛期だった。兄は、背番号3の
ユニフォームを着て、街中を駈け回っていた。
5才も年齢が離れていると、何をしても兄にかなわない。
よく、どつかれた。ぶん投げられた。
今、思うと兄のストレス解消の対象に私が
なっていたように思う。
くやしい日々が続く。何をしても兄にかなわないのだから。
当時の阪神タイガースも何をしても
東京読売ジャイアンツにかなわなかった。
兄が憧れたジャイアンツ、強いジャイアンツが
憎らしく思えるようになった。
何をしても、かなわないタイガースと自分を
重ねるようになった。その流れは自然なものであった。
それから一度だけタイガースは優勝はしたものの
ほとんどBクラスに低迷していた、それが・・・・・
やっと・・・今年・・・・
18年といえば・・・長い年月である。
私が23〜現在にいたるまでの年月になると思うと
感慨深いものがあります。
貯金30になった朝・・・疑い深い、慎重な私が
阪神タイガースの今年度の優勝を確信した『朝』・・・
いろんなことを思いかえした朝・・・・
すがすがしい朝・・・・今から仕事です。
[327] あっと・・・いう間。。。 投稿者: 投稿日:2003-06-29 (Sun)
公演から一週間がたち、今日は反省会でした。
なかなか人が集まらず、食事会だけになりましたが
その場所で撮影した写真や日曜の公演のアンケートなど
を見て、盛り上がりました。
預かっていた個人の衣装などをお返しし
みな、帰路につきました。
本当に、あっと、いう間の出来事のように
終わってみれば、そう思います。
芝居に携わっているのは、とても楽しいのですが
『あっと、いう間』に私の人生も過ぎさっていって
短い人生に感じるのかもしれません・・・・ね。
でも、ぼーっとして毎日を過ごせない性質の私に
とっては、これほど、ぴったしくるものは芝居以外
ないのでしょう・・・多分。
反省会の前日の土曜日、今回の芝居で使った椅子を
実家(といっても同じ姫路市内なのですが)の
年老いた両親に寄贈しました。
実家には小さきながらも庭があります。その庭の片隅に
その椅子を置きました。
あと何年、その椅子が庭弄りで疲れた両親の一服する
場所として、安らぎを与えてくれるのだろうと思うと
なんとも言えない心境になります。
『お菊』さんが座った椅子が・・・・・暖かく
彼らを見守ってくれること・・・祈るばかりです。
その場所に座り、今までの人生を語りあうことが
二人にあったとしたら・・・それは・・・・
『あっと、いう間』に過ぎた70数年になるのでしょうか。
どうなのでしょうか。
今までの楽しいこと、いっぱい語り合って
長生きしてほしい・・・・今、わたしが言えるのは
ただ、それだけであります。
[326] SENSE 投稿者: 投稿日:2003-06-26 (Thu)
「あなたはユーモアのセンスがありますねぇ。」
・・・・こういう風にセンスという言葉をよく使います。
センス・・・SENSE
辞書を開きますと・・・五感の一つとしての感覚
・・・〜を理解する感覚・能力
・・・〜に対する意識
・・・分別・判断力・良識
・・・あることをするだけの意義・価値
・・・正気(普段の精神状態)
・・・意味
・・・全体としての意向
だいたい、この8つくらいの意味が書かれています。
ユーモアのセンスが・・という場合は、二番目の
ユーモアを理解する感覚や能力があるということ
なのでしょう。
どうしたら、その感覚や能力が研ぎ澄まされるのでしょう。
そこがとっても気になります。
それは辞書には載ってませんから、自分で考えるしか
ないのでしょうね。
簡単にいろんなものを見て、聞いて、手にしただけで・・・
これで感覚が研ぎ澄まされるとは、ちょっと思えません。
大切なのは、見て、聞いて、手に触れたときの
己の心の持ちようではないかと思います。
今までの固定観念を捨て去り、どれだけハードルを
低くできるか、無心で受け入れられるか・・・
そういった心持ちでないと何も得られないような
感じがします。
今まで生きてきた自分の中で作り上げた『善と悪』
『好きと嫌い』・・これを捨て去ること・・・
まず、その心になれるかどうか、これが第一段階の
ように思います。
次回の芝居が私の中では、もうはじまっています。
いい作品にするために、センスのいい作品にするために
私の今までの固定観念を捨て去り、「無」になって
いろいろな物事に触れよう!そうしよう!と
自分を戒めた涼しい夜です。
SENSEという言葉を考えはじめてから
3時間半もパソコンの前にいることが
ナンセンスな事に終わらなければいいのに・・・です。
[325] 時代まで変わってしもとう・・・小屋について 投稿者: 投稿日:2003-06-24 (Tue)
前回から、客席を桟敷にしています。
なにか芝居小屋みたいな雰囲気がだせればということが
ひとつ。それと舞台が低いので、多くの方々が見やすい
ようにというのがひとつ。
この二点で客席の70%の椅子を取り除いて、桟敷に
しています。お年寄りや足の悪い方のために30%の
スペースに椅子を20〜30置いております。
そうした感じでやっているのですが、いつも、いつも
アンケートの中に「長時間、桟敷ではしんどい。疲れる。」
といったものが二、三あります。
すべて若い人が、それを書いておられます。
年配の方々で、こういったことを書かれる方は皆無です。
このことが・・・私にとっては・・・「時代が変わったのだなぁ・・」という気持ちになります。
私が初めて見た芝居が状況劇場というテント芝居で
桟敷だけでしたが、私どものように座布団もなく
冷たい土の上に薄い、薄いカーペットのようなものを
敷いてあっただけのように記憶しています。
はじめてだったので、これが芝居なんだろうと
当時は思ったものです。
それからも小さな芝居小屋のようなところで何回も何回も
観劇しましたが、ほとんどが桟敷であり、小演劇はなやか
なりしときは、隣の人と肩が触れ合いながら、芝居を
見たことをよく覚えています。
私以外にも、年配の方が私どもの芝居を見て
座敷に違和感をもたれないことは、昔がそうであったからではないのかなぁと思ってしまいます。
若い、芝居というものをあまり知らない人、芝居という
ものが綺麗な劇場の中で綺麗な椅子に座ってしか見たことの
ない方々が、多分、「腰がいたい。長時間の観劇はつらい。
・・・・」という感想をアンケートに書くのだと思います。
こうした所にも変に豊になってしまった日本社会を
見るような気がしています。
劇場ではなく、芝居小屋でずっと、ずっと
手作りの芝居をしていき、初めて見た方が、座敷に
座って、隣の人の吐息や鼓動が聞こえるのが芝居なのか
と思っていただけるよう・・・これからも・・・・
同様に、やっていこうと決意を新たにした
梅雨の晴れ間、まだまだ疲れが完全にとれない
火曜日の夕暮れです。
[324] わたくし、AMANO・JACKです。 投稿者: 投稿日:2003-06-23 (Mon)
会社に復帰いたしまして、来ていただいた方々から
感想を聞きました。年配の方が多い職場ですので
「よかった。わかりやすかった。ずっと、この路線で
いったら・・・どう?」
まぁ、おしなべて肯定的な意見が多かったですね。
しかし、隠しておりましたが
わたくしの性は「SHUTO」ではなく「AMANO」
名前は「SHOJIRO」ではなく「JACK」です。
あっ・・・・本当のことを、ついに言ってしまった。
褒められると・・・嬉しいのですが・・・・
このままのパターンで芝居を作ったとしても
自分的には面白くないなぁと思っているのです。
よく劇団において、劇団のカラーというのがあって
それを楽しみに見に行くということがありますが
わたしの場合、AMANO・JACKであり
カメレオンみたいな性格でありますから、同じような
芝居をしたくない、なんとか前回とまったく違う感じで
できればいいなぁと思う人なのであります。
根本的な精神的な部分では、やはり自分がでると思います。
しかし、表面の形、見た目、雰囲気などは、ころころ
変えるのが、好きな人のようです。
今度は「赤穂浪士」を題材の話です。
はてさて・・・どうなるのか?
今のところ、なにも考えていませんが・・・
「さらやしき」とは違ったポップで軽い・・音楽で言うと
『軽音楽』とか『ジャズ』みたいなのがいいなぁ・・・
とぼんやりと考えている公演の次の日の夜です。
[323] 『貴方』のための一日・・・・第二回公演の日 投稿者: 投稿日:2003-06-22 (Sun)
今日が二日目・千秋楽でした。
この場をかりまして、ご来場、ありがとうございます。
打ち上げをビアガーデンでしました。
季節感がでて、夜風にあたりながらの
打ち上げもなかなかのものだなぁと思いました。
次回は冬なので、外でとはいえませんが・・・・
また変わった場所での打ち上げを考えてみるのも
面白いかもしれません。
今回の芝居をどのようにするかで
悩んだ時期があります。それはシナリオを書きはじめる
頃だったように思います。
その頃、出演予定の役者さんから一通のメールを
いただきました。それには、彼女の祖母のことが
書かれてありました。いろんなことが書かれてありましたが
最後に「70、80の方が見てもわかる芝居を」という
言葉がそえられていました。
私の祖母はいません。大学4年生のときに逝きました。
私は祖母に可愛がられていました。
母が仕事を持っていましたので、幼い頃から食事は
祖母の手料理でありました。中学・高校のときの弁当も
当時、80代になる祖母が作っていました。
そんな・・・祖母との関係で育ったことになります。
彼女のメールでいわんとしてることが手に取るように
わかります。・・・・・・・そして・・・・・
今回の芝居です。私なりに物語を複雑にしないで
誰にでもわかる簡単なものにしよう、そうしよう。
何日かして、そのように思うようになりました。
それからは肝がすわったからなのでしょうか、シナリオを
書くのがはやかったことを覚えています。
今日、その方が見に来られました、喜んで帰られたことを
打ち上げのときに、お孫さんである役者さんから
聞きました。その言葉を聞いて、今「ほっ」としています。
台本以外にも演出の際に、よく言っていたのは
「はっきり、しっかり、年配の方が台詞を聞いても
よくわかるように言ってください。」
という言葉でした。
巷で流行っている芝居ではなかったかもしれません。
テンポの速い芝居になれた人々には、?が残る芝居だった
かもしれません。
でも今回は、そういった人たちのために書いた本でも
なく、演出にあたっても意識したことがありません。
まぁ、これも劇団という形を持たずに、一回、一回
形を変えて、やっているからできることなのかもしれ
ませんが・・・・・・
今回は今回で、今日で終わり、次回は、どのように
誰のために・・・また新たな旅がはじまります。
[322] 『さらやしき』第一回公演の日 投稿者: 投稿日:2003-06-21 (Sat)
今日が初日でした。
ご来場していただいた皆様、ありがとうございました。
もし、この文章を読まれましたら、忌憚のない意見を
よろしければBBSに心のおもむくままに書いていただき
たく思います。アンケートって、書く時間って制限も
ありますし、すんだばかりの余韻が手伝って
結構、いいことばかり書かれるものであります。
家に帰られて、ほっとされてから冷静になると
結構、あのシーンはなんやねん、あのストーリーの
展開は問題やろ、音響も・・・いまいちかな?
照明は・・・・?・・・・・?
って感じで、いろいろと出てくるものかもしれません。
よろしければ・・・どうぞ。
自分では、どのように思っているかというと
一言でいいますと・・・・『前向きな不満足さ』が
残ったという感じであります。
役者の演技もしかり、台本もしかり、演出もしかり
スタッフ関係もしかり・・・・・・
あらゆる面で・・・もっといいものができたのではないか
なんで言ったようにでえへんのやろ・・・
優しすぎたのかなぁ・・・どうなんやろ?
さまざまな不安などが後をたちません。
でも振り返ってみても・・・こういう気持ちが
あるからこそ、次回があるのだろう・・と。
次回への前向きなステップとして
今回があるのだろう・・・・と。
ひとつ嬉しいことをあげますと・・・・
今回の「お芝居」は、今までのものと違い
誰でもわかるような、簡単な話をしようと
思っていたものですから、公演後、年配の老人の方に
握手を求められ、「素晴らしい」を連発してもらったこと
・・・とっても嬉しかったです。
開場後、どの席に座ろうか迷われていましたので
私が声を、その老人にかけると、彼はしっかりした
口調で「姫路にこんな劇場があったんやなぁ・・・・
何年も芝居見てるけど・・・はじめてや・・・
こんなところで見るのは。でもここは舞台が低いなぁ
見にくい劇場やなぁ。」と専門家のように
おっしゃるではないですか。
私はてっきり出演者のおじいちゃんだと思っていました
ので、その言葉にびっくりしました。
「チラシを見てきたんや。あんたらプロデュースFさん
とは、どういう関係やの?」って
聞かれました。何の関係もないことを私が言うと
「そうかぁ・・・」と言って客席の中に消えてゆきました。
私は思いました。
この人、芝居やったことある人やなぁと。
後でアンケートを見て、また、びっくりしました。
彼の年齢が86と書かれていました。
しっかり、お話をされるし、動きもしっかりされてるし
・・・・・達者な86歳だなぁと・・思うばかりです。
そして、私も、もし80代まで生きていたとしたら
彼と同じように、この姫路で公演される芝居を
手当たり次第、見に行こう・・・それを老後の楽しみ
にして暮らすのもいいかもしれない・・・・・
そう思いました。
あと残り一回です。
明日は『ゆかた祭り』です。
[321] ここに集いし人々 投稿者: 投稿日:2003-06-20 (Fri)
家を一歩でる。
住み慣れた街でも知らない人ばかりである。
朝、仕事場に行くときも、同じ顔の人とすれ違いはする。
だけど・・・名前も・・・知らない。
何をしてるのかも知らない。
これが近くの町でこうなのだから、日本全国でいうと
途方もないくらい・・・誰も知らないことになる。
世界中だと・・・・天文学的数値で知らないことになる。
明日、第四回公演の本番をむかえようとしている。
出演者6名が、昔からの友達かといえば・・・
全然違う。同級生でもなく、近くに住む知り合いでもない。
おかしいなぁ・・・世の中、知らない人だらけなのに
なぜに、この場所に集まっているのだろう?
ふと疑問に思う。
いつも公演前に、そう思うのである。
あなたたちは、この公演をするために
生まれてきたのかもしれないなぁ・・・・と
おおげさな私は、『人の縁』いうか『因縁めいたもの』を
感じてしまいます。
明日、ここに集いし者達が
同じ舞台で、ひとつのテーマを完結させるために
演じあう姿、楽しみにしたいと思います。
ふくらはぎがパンパンです。
目をつむると、すぐにでも寝入れそうな状態が
続いています。
でも起きて、明日のために頑張ろうと思うのは
見に来てくださる『お客様』がいるからに他なりません。
公演まで・・・・あと・・・というより
明日が公演日・・・あと19時間後であります。
[320] さくっと・・・仕込みです。 投稿者: 投稿日:2003-06-19 (Thu)
イーグレでの芝居も今回で三回目、みんな、なんとなくです
が、要領もわかってきたようで、『さくっ』て感じで
仕込みができたように思えます。
今回から、念願であった舞台にグレーのパンチを
敷きました。思っていたとおり、いいですねぇ・・・
パンチは。費用が少々かかっても、いい舞台ができれば
それにこしたことはありませんから・・・ね。
特に今回は時代物ですので・・・床がフローリングみたいな
ものでは、まったく雰囲気がでないと思って
買うことを決断したしだいです。
今日は舞台作りと客席作り、音響、照明の釣り込み
音響のきっかけ練習、照明のシュートくらいで
一日を終えました。
明日、まる一日をかけて、役者さんのために
役者さんが舞台を楽しむための練習ができればなぁと
思っています。
もう、こまかいことよりも、自分たちがのって
楽しめて、「さくっと」やって
打ち上げをむかえましょう・・・・ね。
なんと、この土日は梅雨の晴れ間になりそうな
予報がでています。
なんか・・いい方向へ・・・流れているような・・
気がしている・・・楽観的な演出です・・・・
大丈夫・・・イッツ オールライト!・・・
まかせなさい・・・どんとこい・・・
残り本番まで二日の自信たっぷりの夜です。
[319] いざっ!ホールの旅へ! 投稿者: 投稿日:2003-06-18 (Wed)
明日からホール入りです。
公演が二日しかないのに四日もホールに居るのは
ホールにいて、そこの空気を吸っているのが
心地よいからだと思います。
あっという間に・・・・そういう感じですね。
最後の荷物を車に乗せ、やっと仕込みの準備が
整ったのが夜の10時をすこし超えていました。
『いざっ!出陣!!』って感じです。
なにごともなく、無事に、参加された、みなさんが
舞台空間を楽しみ、お客様も共通空間を
楽しんでいただけるよう・・・祈るばかりです。
お恥ずかしい話ですが、海外旅行にいったことは
ありません。若い頃から、あまり海外に行こうと
思わなかったし、芝居ばかり、やっていたので
お金もあまりなかったしで・・・今になっています。
でも・・・でも・・・でも・・・・
明日からは、私にとっては『ホールへの旅』が
はじまります。
普段の旅行なら、だいたい、ここをまわって
ここで食事して、ここで泊まって、ここで買い物をして
・・・・とだいたいの予定を決めてゆくのですが
『ホールへの旅』では、何が起こるか、わからないこと
だらけであります。はたして、どのような『旅』に
なるのでしょうかねぇ・・・・期待と不安が
入り混じっております。
公演まで、あと三日・・・えっ!もう三日?
残りの日数を書くのが・・怖くなってきました・・はい
[318] 50の・・・・・だめだし 投稿者: 投稿日:2003-06-16 (Mon)
日曜にゲネプロをやりました。
照明の方(プロの方なのですが)の要望で
それをビデオに撮っておいてくれとの事。
ビデオに撮り、うちに持って帰って、照明さんに
渡すためにVHSテープにダビングしました。
今日、会社が休みでしたので、そのビデオを何回も
見ながら、気になるところをノートに書いていったら
あるは・・・・あるは・・・・
番号をつけて書いていったのですが
全部で50個ありました。
公演前に、ビデオを見るという作業は
初めてでありました。が・・・いつもより客観的に
冷めて見れて・・・これもありかなって思いました。
静かな部屋でひとりコーヒーを飲みながら、テープを
進めたり、巻き戻ししたりしながら見る。
いつもと違う空間で自分たちが作ったシーンを
見るのは、違う角度でいろんなことが見えてくるもの
だなぁと感心しました。
これからも、この瓢箪から駒みたいなことで知った
ビデオ撮影を次回からもしてみようかなという気持ち
になりました。
でも情けないですよね・・・・ビデオをみないと
・・・50もダメだしができないなんて・・・・
演出落第かもしれません・・・もっと練習場でも
冷めてみないと・・・・いけない・・・・
自分は・・・まだまだ・・・なんだなぁ・・・・
そう思った・・公演まで5日の
『50のダメだし』の練習で今日のゲネプロ予定が
『ダメ』になってしまった一日でありました。
[317] う・ら・か・た・さ・ん 投稿者: 投稿日:2003-06-14 (Sat)
楽しみにしていたTG戦が雨の為に中止でした。
残念ですが自然にはかないません。
でも、なんとか小雨ならと甲子園球場のスタッフは
必死になって、いろいろとグラウンドの整備をしてはる
のでしょう。そういうことを思ってしまいます。
芝居でいうなら、ナイターのカクテル光線に浮かび上がる
選手は『役者さん』、そしてグラウンドを整備したり、球場
を掃除したり、電光掲示板やアナウンスなどの音響など
試合を裏側からささえる人々は『裏方さん』と
呼べるのではないでしょうか。
本番まであと一週間になって、『裏方さん』が、
わがS−PROでも頑張ってくれております。
必死になって、衣装を作り、小道具をつくり、舞台セット
をつくり・・・・頑張っています。
そういう姿をみて、いつも私は心を打たれます。
それと同時に表舞台にいる『役者さん』に対して
「君が舞台に立っているのは、多くの人々が
裏側でささえてんねやぞ。
ちょっとでも、手を抜いたら・・・・・
どないなるか・・わかってるやろな!!」
ちょっときつい言い方かもしれませんが・・・・
こんな言葉がでてきそうになります。
いつも、芝居前のこの時期に思うことですが・・・
下手でもいい、下手でも、一所懸命にやってくれれば
それが『救い』となることが多いのです。
いろんな人間の思いが舞台上にあるのです。
それをわからない役者さんは、役者をやめて
違う道を歩んだらいいかもしれません。
う・・・・打ちこんで
ら・・・・ラストまで
か・・・・観客のみなさまに
た・・・・堪能できる『お芝居』を
さ・・・・さぁ〜
ん・・・・んーと
『うらかたさん』の『役者さん』にたいする願いは
こんな感じではないでしょうか。
本番まで後6日・・・今日は「うらかたさん」が主役です。
[316] 『スペース・ゼロ』 投稿者: 投稿日:2003-06-12 (Thu)
小さなスペースの場所で芝居をするのが昔から好きです。
同志社のとき、春の新人公演で新町の小ホール
秋には学館の大ホールで芝居をしました。
それを3年間やってみまして、小さな100〜200人
のキャパのホールである新町小ホールでやった芝居の
方が観客と役者の距離がとても近くて
同じ空気を吸っているんだなぁという感覚を
もつことができました。
芝居をやってるんだなぁ・・・存在してるんだなぁ・・・
生きてるんだなぁ・・・前に同じ呼吸をしている人が
いるんだなぁ・・・・と。
それ以来、小さき劇場が大好きです。
大学を離れて、初めて外部でやった、お芝居の場所が
『無門館』という小さな劇場でした。
そして京都からでて、初めてやった、お芝居の場所が
『スペース・ゼロ』という、大阪にある小さき劇場でした。
両者ともキャパが100人強くらいの劇場でした。
「劇場」という言葉よりも「芝居小屋」といった言葉が
ぴったりする感じで、その言葉どおり、人情味のある
空間であったように記憶しています。
最近ですが、演劇関係のネット・サーフィンをしていまして
昨年、スペース・ゼロがなくなったこと知りました。
その話を聞いて、なんだか寂しくなりました。
記憶力がいい(?)私は、当時のことがいろいろと頭に
浮かんでくるのです。仕込み当日、京都から大阪まで
国道一号線をとおり、免許をとったばかりの
笹ちゃん運転のハイエースに乗って、こわごわとホール
入りしたこと・・・・初めて姫路から両親が大阪まで
私の芝居を見に来てくれたこと・・・・そして
本番がすみ、打ち上げのさいにホールの管理者である
古賀先生から旗揚げの祝いをいただいたこと・・・
まぁ、いろんな事が浮かんでは消えます。
あれから10年後、このスペースがなくなることは
何か、そのときの思い出も消えてゆきそうな感じが
して感傷的になってしまいます。
そのときの、お礼がいいたく、スペース・ゼロを管理され
ていた古賀先生にメールを先日、送りました。
送った、その日に、お返事が帰ってきました。
ありがたいことだと思っています。
彼は今、奈良で朗読劇にまつわるプロジェクトを
やっておられます。地域の民話をもとに台本を
みんなで書いて、それを朗読劇にしてゆく・・・
簡単に子供からお年寄りまで参加できるという形で
やっておられます。そのHPを見させていただいて
何かわたくしどもと共通の感覚がしました。
それでHPのリンクをお願いしましたところ
快く承諾していただきました。
この文章を読まれた方で朗読や簡単に演劇を楽しむために
どうしたらと、思われている方がいらっしゃいましたら
リンクから、そのページを御覧になっては如何でしょう。
今、ふと思います。
『スペース・ゼロ』が市の公共的な施設の大きな劇場で
なかったから・・・・・・
『スペース・ゼロ』という場所を管理する人が
事務的に管理するお役人のような人で
なかったから・・・・
『スペース・ゼロ』が小さき劇団や名もなき劇団にたいして
冷たい態度や対応をとらなかったから・・・・
なくなったことを聞いて、私が感じる
『むなしさ』や『やりきれなさ』が生まれてきたような
気がしています。
姫路に帰って、今回もそうですが、二回目から
小さきスペース、イーグレ姫路アートホールで
やり続けているのも、そういったことがあるのかも
しれませんね。
後本番まで8日・・・です。
[315] 朝市 投稿者: 投稿日:2003-06-08 (Sun)
本番まで後二週間をきってしまいました。
演技とは別に小道具やら衣装やら
揃えなければならないものが多く、あわただしい日々が
続きます。
今日も今日とて、姫路の大手前公園周辺の朝市へ
向かいました。古い着物と刀があればなぁという
思いで出かけたわけでありますが・・・・
結局は刀はありませんでした。が、着物は
これでいいのか、どうなのか、とりあえず買って
これからの練習で男性二名に着てもらって
雰囲気を見ることにしようと思っています。
今まで時代物をやったことがないので
江戸時代の旗本や町民がどんな服を着ていたのだろう?
戸惑ってしまいます。
テレビの時代劇から学習した衣装デザインしか
頭に浮かびません。これから、いつかまた時代物を
やるかもしれないし、もっと勉強しないといけないなぁ
と思ってしまいます。
今日は9時間の練習です。
昨日、たっぷり睡眠をとったし、いざ!いざ!って
感じで、朝から高揚しています。
公演まで残り13日・・・です。
[314] ♪ ギター ♪ 投稿者: 投稿日:2003-06-05 (Tur)
今回の、「さらやしき」では主人公のひとりである
ホームレスの男性がギターを弾きます。
また、BGMにギターの曲を結構たくさん、使います。
それは何故か?
答えは簡単です。ギターの音色が好きだからです。
なんとも、いえない哀愁があるますよね。
ギターの音色はね・・・・好きだなぁ。
兄がいます。5歳年上の兄です。
私が小学生、兄が高校生、その頃、兄がフォークギターを
よく弾いていました。
憧れました。いつか自分も・・・・弾けるようになればと。
私も中学生くらいから、YAMAHAのギターを
買って、練習しましたが、ダメでした。
上手くなりませんでした。人差し指が、他の指と比べて
私の場合、短いのです。
これは肉体的につらいものがありますよね。
Fの音が綺麗にでないのです。
F以外にも、人差し指で弦全体を押さえるコードは
同じように、クリアーな音がなかなかでません。
親を恨みました・・・なんで、人差し指を長く
生んでくれへんかったのやって。
言っても無理なので、あきらめました、自分で弾くのは。
でもギターの音色は弾けないからといって
嫌いになるものではなく、より好きになっていきました。
大学に入り、同じ倶楽部の松井君からギターを
貰いました。もらったというより、彼がギターを
弾いて、歌をうたうのが好きだったので、私の下宿に
一本、彼のギターをキープしていたというのが
本当のところでしょうか。
毎夜、毎夜、狭い下宿で彼や仲間と、そのギターで
歌をうたいました。
コードの難しいのは松井君が弾き、GやAmなどの
やさしいコードのやつは私が弾きました。
生活の中にギターが溶け込んだ大学生活であったように
思います。フォークであれガットであれロックであれ
いろんなギターを見ると、触りたくなります、今でもね。
楽器屋さんに行くと真っ先にギターのところへ
行きたくなるし・・・音色もいいけど、いろんな形が
あって、ギターそのものを見るのも結構、楽しいものです。
そういった『ギターへの思い』があったのでしょう、
今回の芝居でギターの音を使いたくなったのは。
せつない、悲しげな、ギターの音色・・・・
今回の芝居でどのように使われているかは・・・・
見に来られての・・・お楽しみということで・・・
宣伝も少ししないとと・・・思った、公演まで
残り16日のエッセイです。
[313] 日記. 投稿者: 投稿日:2003-06-02 (Mon)
小学校3年生から日記を書き始めました。
日記というもの、たいていは、人に見せるために
書くわけではないのですが、意識として、もし自分以外の
人間が見てしまったらと、思う気持ちが何パーセントか
あって、書いているように思います。
最近は、ホームページ上で自分の日記を書いている方々が
いらっしゃいますが、多分、それは真の意味で言う日記
ではなく、多分、100パーセント、人様が読むことを
前提として書かれたことでしょうから、『日記もどき』
のような気がします。
人には言えぬ、自分しかわからぬこと、それを
つらつらと、ああでもない、こうでもない、と書きためて
いるのが・・・昔でいう『日記』なんでしょうが
時代が流れ、自己顕示をしたい、自己の情報を表示して
自分をわかってもらいたい、そういう手段として
ネットでの日記がはやっているように思います。
それは悪いことでもなく、かといって、よいことでもなく
ただ・・・そういう時代になっているのだなぁと
単純に、そう思うだけであります。
願わくば、それでしか、自己表示とか自己顕示が
できなくなっていく人間が、増えないで欲しいと
思うことくらいでしょうか。
学校や職場で、おとなしく社交的でない人が
自分の日記帳に人に言えぬ思いをぶちまけるなら
わかるのですが、不特定多数が見ることのできる
ネットなどでの日記もどきに、自分の思いを
さらけだすことに、ある種の『怖さ』を
なぜか感じてしまいます。
だいぶ前のことですが、職場でこういうことがありました。
Hさんという役職についている人がいました。
彼は、自分の部下の不満を言うのですが
それは、その部下がいないときに言うのでありました。
直接、その人には言いません。
でも違う人と酒を飲みにいったときとかに
その部下の不満や悪口を言います。
ある日、その話が第三者から、その部下である人間に
入りました。その部下である人間は激怒しました。
なぜ文句があるなら、直接、面と向かっていってくれないの
かと・・・・
そこから二人に亀裂が入りました。
言われた部下はHさんを信用できなくなりました。
そして、ある日、その部下は、Hさんを殴りました。
殴ったときの原因は、ちっちゃな事がキッカケでしたが
その前に・・・・つもりに、つもった不信感が
そうさしたように思います。
殴ったことは悪いと思います。暴力で解決しようとする
ことは、あってはならないと思います。
しかし、殴った部下である人間に対して
Hさんが、上司として真正面から、きちっとした言葉で
なんでも言っていたなら、こんなことには、ならなかった
ような気が私はしています。
人間関係って些細なことで揺れ動きます。
人の心が繊細なものであることに呼応しているように。
まぁ・・傷つきやすい人間(自分も含めた)と接するときに
言葉の使い方、そのときの状況、考えていかないと
いかんなぁと思った・・・本番まで19日、涼しい夜です。
[312] 会社員? 投稿者: 投稿日:2003-05-29 (Tur)
今日の神戸新聞の播磨交流の欄に「さらやしき」の
記事が載りました。
本当にありがたいことだと思っています。
知ってもらうことが第一歩であります。
特に地元の多くの方々に来ていただきたい気持ちが
強くありますし、演劇をあまり見ない方々、あまり
知らない方々に多く来ていただきたいとも思います。
そのために意図的に地元に馴染んだ題材を
選んで、演目にしたのですから。
その欄の中で、芝居のことを伝えていただくのは
本当にありがたいことなのですが、個人的に
腑に落ちないことが、ひとつ、あります。
それは私のことを、会社員の首藤さん、という表現を
されている所であります。会社員には違いはありません。
だけど、勘違いされる表現でもあることは事実です。
会社にいってる傍ら、芝居をしているように、とらえられ
かねないなぁと思います。
芝居をするために、プロジェクトを達成するために
あえて、定時できちっと終わる、今の仕事についています。
経済的なことを捨て、時間を優先しているのです。
自分の頭の中では、演劇人としての気持ちが99で
あとの1が最低限の生きる糧を得ている会社員であります。
だから、会社員というくくりで、私のことを書かれている
ことに自分自身では嫌悪感を感じずにはいられません。
まだまだ認められていないから・・・仕方ないのかも
しれません。しかし、芝居をしていて生計をたてている人間
なんて、一握りです。
東京の有名な劇団にいる方々もそうでしょう。
それをいちいち紹介するにあたって、フリーターの○○さん
とか自営業の○○さんが、今度、芝居をするとは
書かないと思うのですが・・・どうでしょうか。
せっかく、記事に載せていただいたのに・・・このような
事を言ってなんのですが、いいたいことは言う性質なので
ここは誤解のないようにしておきたいのです。
私の中では、芝居で生計をたてられないと思っています。
商業演劇のように毎日毎日、芝居の「し」の字も
わからない、弁当を食べながら芝居を見にきている
人々を対象に入場料を8000円とか一万円とか
高額なお金をとっている劇団なら、上層部くらいは
生計をたてられるのでしょうが、そんな方々を
私は対象にしたくないと思っていますし、それに
あわせて芝居作りをしようとも思いませんので
経済的に成り立つのは無理なことなのです。
成り立たなくてもいい・・・しかし、いつも、いつも
赤字ばかりだしていては続かないし、トントンを
目標にしていこうとしているのですが・・・
今まで、一度も、それを達成したことはありません。
だけども、あきらめずに、やるしかないと
腹をくくっています。今回も関係する人々が多くの
チケットを売ってもらって、当日も多くの人々が
来ていただいて、どの程度のものになるか・・・・
心配していてもきりがありません。
それは制作さんにまかせて、明日から、演劇人として
練習に打ち込むことにします。後公演まで23日。
[311] 『これから』 投稿者: 投稿日:2003-05-26 (Mon)
昨日は練習後、食事会をしました。
少し二日酔いです。先週で台本もあがり、昨日の練習から
本格的に音も入れ始めています。
『これから』です。
演技する場合、意図的に台詞をこう読むとか
体をこう動かすとか考えないで、自分の癖といいますか
自分の感覚だけで、やってしまうことを
排除するように演出しています。
『これから』です。
そして、あとは、どれだけ緊張をとって
リラックスして、演技ができるのか・・・
しっかり落ち着いて、どっしりとした演技ができるのか
『これから』です。
残された時間は一ヶ月をきりました。
あせらず一歩ずつ・・・です。
丁寧に、わかりやすく、が今回の芝居を作るうえで
やろうとしていることのように思います。
『これから』です。
芝居というものは・・・やったら、やったで
すんだ後、自分なりに感動するものだとしたら
その感動を大きくするには、苦悩し、必死で、この戯曲に
立ち向かい、その役柄をまっとうしてこそ
真の喜びが感じることができると思います。
『これから』です。
決して後退することなく前を向いて・・・・・
[310] アカシアの雨がやむとき 投稿者: 投稿日:2003-05-22 (Trs)
シナリオが完成しました。
4月の中旬から約一ヶ月です。
前回の芝居(2002・11)から暖めていたものを
この一ヶ月に一気に書き上げたことになるのでしょうか。
まぁ、とりあえず完成ということで、ほっとしています。
昨日、最後の最後のシーンを書いていまして
頭によぎる曲がありました。
それは「蘇州夜曲」という昔の曲であります。
なぜか、そのシーンを書いていて、頭に浮かんでくるの
です。そこで、いつものようにHMVのHPに
行きまして、そこでタイトル「蘇州夜曲」で検索して
みますと・・・あるは、あるは、15くらいのアルバムに
その曲があるではないですか。はぁ・・・
どれから見てみようか・・・・いつも、勘で何事も
やってしまうB型さんですから、この15の中から
一番、聞いたことのない人物からみてみることにしました。
それが、『おおたか静流』という人物でした。
いきなり当たってしまった・・・そういう感じです。
サンプルを聴いて、そう思いました。
蘇州夜曲もよかったですが・・・何十曲のサンプルを
聞いた中で、『アカシアの雨がやむとき』という
曲がよかったというか、ビビっときました。
昔、西田佐知子さん(確か、関口宏の奥さん?)が
歌ったものです。
悩んでいます。
最後らへんのシーンなのですが・・・・
『蘇州夜曲』をつかうか『アカシアの雨・・・』を
使うか・・・サンプルでは20秒程度なので
今日、タワーレコード行って、さっそく
『おおたか静流・ツインパーフェクトコレクション』
なるアルバムを買ってきました。
今、まさに聞いております。が・・・
まだ、まだ、他にも一杯、いい曲があって
二者択一から二十者択一になりそうです。そのシーンに
ぴったりする歌詞なら
『アカシアの雨のやむとき』なのですが・・・
迷いますね。まぁ、これから、いろいろと
役者の台詞と合わせてみて、いいのを決めようと
思います。
『アカシアの雨がやむとき』
アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる 朝の光の その中で
冷たくなった私を 見つめて あの人は
涙をながしてくれるでしょうか
アカシアの雨に泣いてる 切ない胸はわかるまい
思い出のペンダント 白い真珠の この肌で
淋しく今日も 暖めてるのに あの人は
冷たい瞳をして 何処かに 消えた
アカシアの雨がやむとき 青空さして 鳩が飛ぶ
むらさきの羽の色 それはベンチの片隅で
冷たくなった 私のぬけがら あの人を
さがして遥かに 飛び立つ影よ
[309] 「さらやしき」演出日記 vol.1 投稿者: 投稿日:2003-05-19 (Mon)
昨日から練習らしい練習になってきたかなと
思うようになりました。台本も八割がた完成し
今週には完成する予定です。まぁ予定どおりですか。
前半は楽しく、後半はしんみり、せつなくって
てな感じのシナリオに仕立てたつもりです。
あまり複雑な構成もとらなかったし、初めて演劇を
見る方にも、十分、楽しんでもらえる作品だと
思います。そして、題材として姫路になじんだ
「さらやしき」というものを取り上げたうえに
姫路の魚町の近くの公園が、最初の舞台設定に
なっています。
演劇というものが、ライブである以上、実際に
演じる、公演する場所とその演目の中が共通すれば
するほど、リアル感が増すのではないかと思います。
まぁ今回の役者の方々の良いところ、悪いところを
いちはやく見抜くことができればなぁと思います。
良い方向に導けるかどうかが勝負です。
今日も練習しましたが、まだまだです。
あと一ヶ月、梅雨のじめじめした季節にもまけずに
やるしかないっしょ、ここまできたら・・・・と
腹をくくってやらなければならないと
自分を戒めている練習後の私です。
何事にも迎合せず、とことん、役者陣と対決して
面白い芝居を作っていこうと思っています。
細かいことは次回と言うことで・・・・
今日は決意表明のみとすることにして
休むことにしようっと。
[308] 料理。。。 投稿者: 投稿日:2003-05-14(Wed)
料理が好きである。
大学生活という、一人生活が始まってから、今まで
料理を作らなかったことはない。
まぁ、高校生のときも、夜食を自分で作り始めたのが
最初といえば・・・そうなのかもしれない。
あまり、裕福ではないので、安い食材を組み合わせ
自分なりに、知恵をだして、一つの作品にするのが
今、とっても、面白い。
何か、へたくそな役者を一杯かかえて、それをいろんな
知恵をだして、組み合わせ、なんとか見るに耐えうる
芝居にしているみたいである。
最近よくするのが・・・韮と豚ばら肉のキムチ炒め玉子とじ
である。
まずは下準備である。豚ばら肉をいらない脂をとるために
ゆでる。ゆでた後、それを2cmくらいに切っておく。
韮は、水洗いしたあと、3cmくらいに切る。
玉子は3個使う、玉子を割って、そこに少量の醤油をいれ
混ぜる。キムチは一片が大きくないものなら
何もしなくていい。そのまま使いましょう。
準備ができたら、焼きにはいる。
まずはフライパンをめっちゃ強火で煙がでる状態まで
焼いておく。それに油をいれ、油が温まったら
微塵きりにしておいた土ショウガをいれショウガの香りを
油にしみこませ、始まりである。
これからは、手際よくことをなさなければならない。
まずは豚肉を入れる。かりっとするまで焼く。
それから韮をいれる。韮はすぐに火がとおるから
本当に手際よくである。それで塩・胡椒をかるくしてから
キムチをいれる。キムチが他の食材とうまくからまったら
後は、とじた玉子をいれるだけである。
玉子を全体にかけたら、すぐに弱火にする。
蓋をおいて、蒸し焼きにするのである。
後は玉子の焼き具合を見るだけである。
だいたい表面がとろっとした感じのところで
皿にうつしている。ひとぞれぞれ、好みもあろうが
肉でもそうだが・・・かたすぎるくらい焼くよりも
軽いウェルダンあたりが美味しいようである。
あとは皿にもって、好みでソースか焼肉のタレ・甘口を
かけて食べている。
毎日、毎日、食べないと生きてはゆけない。
食べることが楽しみであれば、「毎日が、楽しい」と同義で
あるかもしれない。
あまり料理するようなタイプとは見られないようである。
人は見かけによらない・・・のだよと
一度、芝居仲間にでも料理を作ってあげたい心境である。
[307] 『お菊』さんは・・・雨女だったのかもしれない。 投稿者: 投稿日:2003-05-11 (Sun)
朝4時まで自宅で看板作ったり、祭りに参加させてもらう
準備をしながら・・・雨の音を聞いておりました。
明日・・・といっても・・実際は・・同じ日なのですが
晴れてほしい・・・晴れなくても、いい・・・
雨さえ降らなければ・・・いい。
そう思って4時間ばかし、ねまして
起きましても・・・・雨の音・・・
まだ、祭りの始まりには二時間ある・・・雨よ、やんでくれ
お菊神社に着きましても・・・雨の音・・・
そこでテントたてるの手伝ったり、自分たちの売店作り
をやったり準備をしていても・・・雨の音・・・・
祭りが10時から始まりましても
そこにいるのは、最初からいる私たちと
自治会でしょうか、焼きそばや飲み物を売っている
おばちゃん、おっちゃんたち数十名・・・まだ雨の音
その音がだんだんと・・・強くなってゆきます。
十二時前に・・・主催者側から中止の連絡が
入りました。無念の雨の音です・・・本当に。
結局、チケットはといいますと・・・全然、売れなかった
状況が続いていまして・・・もう、あかん、まぁ
しゃーないか・・雨やもん・・はぁ・・
とため息をついて、あきらめている最後の最後に
「二枚、買わしてもらうわぁ。」・・
という女性があらわれました。
何か私たちの意気消沈している姿を見て
お情けで買っていただいたのかもしれません。
でも、本当に、みんな、嬉しかったと思います。
少しは救われた気持ちがしています。
とうとう今日は一日中、雨でした。
昨日は晴れ、明日も晴れ・・・その間の今日だけが
雨だなんて・・・お菊さんは・・・
雨女だったのではと・・・思ってしまいます。
お菊さん!どうか芝居の当日だけは梅雨ですが
梅雨の晴れ間・・・晴れ女に変身してもらませんか?
今から、お願いするしだいであります。
[306] 体がいっぱい・・・欲しいです。 投稿者: 投稿日:2003-05-10 (Sat)
なかなかエッセイが書けてません。
思いつくことが・・・ないくらい・・忙しい、忙しい
忙しい・・そんな感じです。
まぁ仕事をしていますので、残った時間を
芝居の練習、そのあとに台本の執筆と・・・
やることが多い上、明日が「お菊祭り」というのが
ありまして、そこの祭りに参加させていただいて
宣伝をさせていただくことに、なりましたので
もー大変です。家の中で立て看板みたいなのを
作ったり、公演の券も売っていいとのことで
つり銭の準備やチケットの用意や・・・・
制作のIさんが今、実家に帰られているので
こういった細かい作業を私がやらなければ、ならず
「体がいっぱい、いっぱい・・・あれば・・・」
と思ってしまいます。
どうして、集中するのでしょうね、いろんなことが・・・
・・・ねぇ。
それと、明日は母の日だし・・・・・ねぇ。
いろいろな事がある明日になりそうです。
5月11日、十二所神社で10:00から14:00
「お菊祭り」、興味がおありの方は、来られてみては
どうでしょう。ちなみに・・・なぜ、この日が祭りだと
いうか・・・それはお菊が亡くなった日が5月8日で
あり、その週の日曜日に祭りをしているそうです。
でも?お菊って・・・・・実存したのか?
謎が多いのに・・・どうして・・・亡くなった日が
わかったのでしょうね・・・まぁ、いいか。
割り切れない話だから・・・お菊の話は・・・
謎めいて・・・面白いですからね・
[305] 楽しい練習になりそう。。。 投稿者: 投稿日:2003-05-06 (Tue)
本格的な練習がはじまっています。
ああしよう・・・こうしよう・・・・こんな感じ
あんな感じ・・・まだ、読みの段階ですが
面白い練習になっています。
楽しい練習になっています。
それも今回の参加された方が前にもS−PROに
参加された人がほとんどで、まぁだいたい、その人の
人格や考えや趣味趣向などを
お互いに熟知しているので非常にスムーズに
事がはこんでいるしだいであります。
一つの芝居をうつ場合、役者・スタッフなどいろんな人々が
いて、その人々の心の繋がり度合いが
非常に大切である、そして、それがもしかして
芝居の成功か否かを決めてしまうものである・・・・
そんな気が最近しております。
そういった意味で、今回の「さらやしき」は成功に
とってもいい芝居ができる予感がします。
同じ時間を心のつながりを持った人々と
すごせること・・・それだけで満足なのですが
あとは皆でいろいろと、いろんな発想をだしあって
面白い芝居にできれば、満足の二乗です。
人間関係をきちっと築くこと、相手をよく知ること
相手の気持ちをわかること、摩擦があるなら
しっかりと話し合いをすること・・・・
芝居以外でも集団で何かをするときに
必要なことばかりです。
答えを求めてばかりじゃなく、そのプロセスを
大切にして、これからも、これからも、です。
[304] 華・・・・HANA 投稿者: 投稿日:2003-05-04 (Sun)
よく華のある人・・・・華のない人という表現をします。
なにを基準としているのか、まったく、あいまいです。
しかし、いままで長いこと芝居にかかわっていて
人を見ていますと、最初のインスピレーションで
感覚的に、その人の持つ『華』を感じるようになりました。
今までの経験(統計?)からして
華のない人は、芝居バカといいますか、演劇のことが
自分の頭の中でいっぱいになっている人が多い気が
しています。演劇をつくる→演劇をみる→演劇をつくる
→演劇をみる・・といった演劇づけだと そういった人は
華がなくなっていくようです。それは、彼らの単純な、狭い
思考がそうさせているのでしょう。
華を持った人(魅力的な、ひきこまれる人)は
たいてい芝居をやっていても、芝居だけが
その人の世界になっていない・・・そういう感じがします。
人として、恋したり、人を愛したり、人を憎んだり
自分の人生を考えたり、今の社会を考えたり
自分の今ある人生の周りを見渡している人、
広くいろいろな事をみようとしている人、
なににでもTRYして行こうとする人・・・・
そういう、その人間の人生の奥行きを極めようと
している人が、華のある人であることが多いようです。
視野の広い人って素敵な人だと思います。
ついつい一生懸命になって、視野が狭くなりがちなときに
悠然と違うことを考えられること、違う視点で物事を
見れる人、そういう人に憧れます。
演劇をやっている私にもう一人の私が言います。
『演劇が人生のすべてになっては、いませんか?
それは間違いだよ。人生の片隅に演劇が
あるのだよ。演劇以外の部分であなたが
どのように過ごしたり、どのように何かを得たり
どのように何かを考えたりすることが
とっても大切だよ。』
そういった言葉で戒めながら、次回公演まで
一ヶ月と少々、時の流れるままに、自然体で
精神がいられたらなぁと思います。
[303] 五月になりました。。。 投稿者: 投稿日:2003-05-01 (Tur)
五月になりました。はやいもので公演まで二ヶ月を
きってしまいました。台本はいつものように完成して
いません。多分、前回と同じく一ヶ月前くらいに
最終稿が手渡せれば、いいかなと思っています。
最初から台本できてて、台詞を二ヶ月も三ヶ月も
前から覚えていて、練習をやったとしても
面白くないような気がします。
特に台詞というものなんて、役柄をきちっとイメージ
できるまで覚えなくていいと思っているものですから
まぁ二週間くらいまえに、ある程度入っていればなぁと
ひそかに思っています。
だいたいは、この日から台本を見ずに練習をやるという
日を定めて、役者に伝えておりますが
役者というものは怠惰なものでして
決めた日に台本の自分の台詞を覚えてきたものは
ほとんど、いないですね。今までを振り返ってみても。
まぁ今日から5月、あせらず、あわてず、動かざるごと
山のごとく、芝居作りに専念しようと思います。
人生何年、生きれるのかしれないけれど
お芝居ができる回数なんて、プロでもしれてますよね、
ましてアマチュアの素人集団なら、言わずもがなです。
一回一回、楽しく、有意義に、素敵な人々と
舞台を作れる喜びを感じながら、時を共有できたら
もう、それだけで満足です。
芝居は、阿波踊りの
『踊るあほうに、見るあほう。同じあほうなら
踊らにゃ そんそん』という言葉と同じく
やって何ぼのものと思っています。
それができる五月・六月・・・・楽しんで
苦しんで、また楽しんで、谷・山ありながら
最終日を迎えたいものです。
[302] GWのTG 投稿者: 投稿日:2003-04-29 (Tue)
スポーツ番組が大好きです。
筋書きのないドラマがあるからかもしれません。
最近、仕事を終え、仮眠します。そして徹夜で台本を
書いている生活が続いています。
よってリアルタイムで大好きな野球を見ることは
できませんが、そのテレビを録画して、起きてから
見ております。
今日のTG戦も好勝負でした。
見るときは、監督として見る事が多いです。
ここで投手交代や、バントや、エンドランや・・・etc
自分なりに、いろいろな作戦を考えてみています。
私の考えと星野監督の考えが一致したときは
だいたい、好結果に結びつくことが多いです。
自慢じゃないですが・・・・・勝負勘は、だれよりも
持っていると私なりに思います。
頭を使う勝負事・・・麻雀とかトランプとか将棋とか
あまり負けた記憶がありません。
よくバッターでツボにハマルという表現をして
ホームランやヒットを打ったときの説明で解説者が
使いますが、ようは、そこなのです。
勝つためにもツボがあると思います。
それは、勝負時を見誤らないことです。
ここで勝負をかけるのか、自重するのか。
一番、やってはならないことは、中途半端なことです。
いくときはいく・・・やめるときはやめる・・・・
これが鉄則であると感じています。
が、なかなか、いつも勝ちたい、勝ちたいと思っていると
そうは、できないものです。
勝負にたいする冷徹な目が必要になってきます。
そして、観察力や洞察力も必要です。
こう書いてみると、お芝居の演出にも同じような
ことが言えるのかもしれません。
共通点がありそうな気がします。
そう言えば、監督も演出家も英語では同じ
『ディレクター』と呼びますよね。
英語圏の人の感覚は、なかなかのものだなぁと
感心します。
さて・・・ディレクターの前にライターとして
朝まで・・・頑張りますか・・・・てなところで。
[301] 選挙U 投稿者: 投稿日:2003-04-27 (Sun)
四月の統一地方選挙第二弾が今日でした。
朝、近くの小学校に投票に出かけました。
お年寄りの姿が多く、若い人の姿はあまり見かけません。
自分の家に送付された葉書を持ってゆくと
番号が書かれてあり、それを一人の女性が確認して
その番号を隣の女性に伝え、その女性が名簿を見て
「首藤さんですね。」と私に言い、私が「はい。」と
言うとやっとこさ、投票用紙をもらえるという
ややこしいというか、念には念をいれてのものか、
煩雑さがつきまといます。
そこまで、やるのなら、私が唱えている「選挙に行った人
に、なんらかの恩恵を」ということが
できるものだと感心して、帰路につきました。
姫路市の市長は、今晩、わたしも投票をした
「岩見としかつ」という人に決まりました。
現職をやぶっての当選ということになります。
たわいもない争点ですが、JR姫路駅の東側のスペースに
ドーム施設を作るかどうかというものがありまして
岩見さんは建設反対を、現職は推進をという立場を
とっていました。
市民は反対を希望したことになります。
私もそのことには喜んでいます。
箱物ばかり作っていても、だめなことは明白です。
箱物を作ることは、悪くはないのですが
ようは、その中身にあると思います。
箱物を作る・・・・作ると運営しないといけない・・・
運営するには金がかかる・・・・金がかかるので
集客力のある東京とか大阪とかから知名度のある人や
集団をつれてくる。一万人も入るホール作って
モー娘を呼んできても、満員になるにはなっても
来るのは神戸や大阪からやってくるだけです。
姫路市民になんの利益があるのでしょう。
今、文化振興をしている市役所の部署がありますが
演劇に関しても、年に何回かを大阪や東京のつまらない
劇団をよんできたりして、文化振興をしたかのような気に
なっている感をうけます。
それは「間違い」だと思います。
見たいやつは、新快速のって、新幹線のって見に行きます。
市の税金使って、そんなことすることはないのです。
演劇をよく知らなくて、演劇をしている劇団でも
いいじゃないですか、この町で暮らし、この町で活動し
ようとしている者たちにのために、金を使っても。
助成制度というものがありますが、お役所ならではの
細かな見積もりを書かされたり、やっかい、きわまりない
ですし、何か、ところどころに助けてやってんのやぞって
上から見てるところがあるので私は、この制度、好きでは
ないです。
実際に金を渡すというのではなくて、演劇ならば
演劇という文化に携わっている人たちから、ヒヤリングを
いっぱい、いっぱいして、何が必要なのかを聞くべき
だと思います。あまりにも、現場というか
その分野において実際に活動している人間と
市の文化担当の人間との感覚が乖離しているのでは
ないのかなと思います。
市長が変わりました。スローガンは「姫路を変えよう」
です。
本当に変わってください。
わたしたち、市民とあなたたち、行政に携わる人たち
との溝が少しでも埋まることを望んでやみません。
[300] 誰のために 投稿者: 投稿日:2003-04-25 (Fri)
京都三条大橋西入る・・・その場所にローソンがあります。
姫路に帰ることを腹の中で決めた頃、そのローソンの前を
歩いていた。若者が四、五人、カップ麺や弁当を
座りながら食べていた。彼らの周りは彼らがだしたゴミが
散乱していた。その姿が私には退廃的に見えた。
と同時に、彼らにわかる芝居なんて、多分、できないだろう
なぁ、彼らのための台本なんて書けないだろうなぁと
漠然と思った。
それから、もう4年、今もその気持ちが変わっていない。
すべての人が受け入れるものなんてないと思う。
すべての人が好きな芝居なんてないと思う。
芝居以外でも、そうだと思う。
それを踏まえて、私は誰のために、誰に何を言いたいのか
何を伝えようとしているのか・・・考えるときがある。
『誰のために』
お国のために 戦う 兵士
家族のために 働く 父親
私は 誰のために 生きているのだろう
私は 私のために 生きているのか
私だけが よかったら それで いいのだろうか
そう思うと やりきれない
幻想でもいい 誰かのために 人のために 生きていたい
それが誰なのか 考える
なかなか答えがでてこない
私が今、いる場所で見つけるしかないのなら
私が今、かかわる、すべての人のため?
生きていけばいいのだろうか・・・・・
堂々巡りをしている
こうなったら ひとつだけ 決めよう
人情・・・・人情のわかる人のために
優しさ、悲しみ、喜び、怒り・・・・
人としての情のわかる人間のために
生きよう
今日は朝から雨が降っている
いつもと同じように仕事にでかける一時間前
なぜか、妙なことを考えた朝である
[299] 天守閣へ! 投稿者: 投稿日:2003-04-20 (Sun)
今日は、姫路城に上りました。
今回のお芝居の出演者のみなさんとスタッフ3人で
天守閣の長壁神社を目指し、何段もの階段を
のぼり、やっと到着したのが、登りはじめて
40分くらいでしたか。
一服せずに、40分間、ウォーキングしたことになります。
小学生の頃に上って以来だと思います。
けっこう新鮮でした。暗い回廊・・・本当に幽霊がでてきそ
うな感じです。古い木の臭いがします。
天守閣に入ると古い絵や甲冑がならべてあります。
甲冑を見ていると、なんとなく不気味です。
今日は曇っていたので、薄暗かったから
よけい不気味さがつのります。急勾配の階段を
何段も何段ものぼります。頭を何度も打ちそうになります。
やっとこさ、天守閣最上部へ到着しました。
その、ど真ん中に神社があります。
『長壁神社』といいます。
あぁ・・・ここか・・・・おさかべ姫という幽霊が
でる場所は・・・・と思いながら
賽銭箱にお賽銭をいれ、今回の芝居の成功を祈りました。
怪我やアクシデントがないよう、お願いしました。
それから、天守閣をでて、下におりる途中に
お菊さんで有名な『お菊の井戸』があります。
その井戸の前でも手をあわせ、今回の公演が無事に
終えられるよう祈りました。
昼間でしたし、私たち以外の観光客も何人かいたので
怖くなかったですが、もし夜、一人でこの場所に
来いと言われたら、多分、怖がりの私は、ダメでしょうね。
近くに腹きり丸という・・・場所もあったりして・・ねぇ。
汗びっしょりの小一時間でした。
その後に売店で飲んだコーヒー牛乳、とっても
美味しかったです。よほど、喉が渇いていたのでしょう。
まぁ、祈願という形で行ったわけですが
帰ってきて、何が一番、よかったかといえば
城自身が持っている雰囲気に触れられたということが
一番、よかったなぁと思います。今回のお芝居の中で
そういった城にまつわるシーンがでてきますが、行くと
行かないとでは、えらい違いだったのではないかと
思います。
この雰囲気を芝居の中でも出せるよう
頑張らなくてはと思った『皐月』・・小雨が降った
一日でありました。
[298] START 投稿者: 投稿日:2003-04-18 (Fri)
第四回公演の練習が始まりました。
台本も配り始めました。
これからまずは一ヶ月で台本完成を目指します。
推敲する日々が続きます。
それと、芝居の練習も大変です。
役者が本意気でギターを弾くシーンを
作ろうと思っています。
いきなりですが次の日曜日にはギターの練習です。
魚町で流しをされているSさんに練習場まで
来てもらって、いろいろと指導してもらおうと
思っています。楽しみ半分、不安半分ですが
何でもTRY!!何でもやってやろうという精神は
人一倍なので、多分、どんなことがあっても
このシーンだけはカットせずに、最後まで残って
いることを願います。
ころころ気が変わるので、あまりにも、あまりにも
なら・・・・カラオケに変わったりして・・・・
その日曜日はギターの練習のあとには
今回の芝居をする以上、行っておかなければならない
場所・・・・そうです・・・・・お菊神社です・・・・
そこを参って、今回の芝居の成功を願うとともに
題材として使わせていただいたことに対しての
お礼を言いたいと個人的には思っています。
この姫路という場所で生きている以上
この街とかかわっていく演劇をしたいと思います。
それが今回は題材として姫路にまつわるものを
選んで、芝居を作ろうというコンセプトのもと
はじめていますので、何かいつもよりプレッシャーが
あるような・・・気もするのですが・・・・
まぁ、なるようになれがモットーですので
気楽に、楽しみながら作ってゆきたいと思います。
さぁ・・・・楽しみましょう!!
6月22日の打ち上げにはみんなで
『ゆかた祭り』に行きませう。
[297] 選挙 T 投稿者: 投稿日:2003-04-14 (Mon)
昨日、統一地方選挙がありました。
44ある県議選のうち、35の投票率が戦後最低で
ありました。ちなみに、私が住む兵庫県の議会選挙の投票率
も史上最低で44.6%でした。これは阪神大震災が起きた
1995年の44.9%をしたまわるものです。
毎年、毎年、選挙をやるたびに、最低投票率の数値が
どんどん下がっていくのでしょうか。
残念です。
姫路市の皆さん、次回(4月27日)の市長選・市議会選挙
には選挙に行きましょう!!
市というのは、本当に身近な存在であります。
県庁には行ったことがない人が多いと思いますが
市役所にはたいていの人が利用したことがあると
思います。本当に私たちの生活と密着しているのが
市の行政だと思います。
なぜモノレールの残骸が残っているの?
なぜ将軍橋には夜間の外套がないの?
なぜ市民税がこんなに高いの?
などなど・・・・身近な疑問があると思います。
この際です。ぶつけてみましょう、候補者に。
そして、その解答を聞いて、人を選びましょう。
うさんくさい、まやかしの言葉を使う候補者に
だまされてはいけませんよ。愛とか自由とか希望とか夢とか
・・・・・そんな言葉よりも、具体的な事例をあげて
私が当選したなら、空港を作るのを反対し続けますとか
お城のまわりに今よりも多くのゴミ箱を設置しますとか
・・・小さなことでもいいから、具体的なことを
はっきり言う人に投票したいと私は思います。
『イラクの自由』という言葉を使った、どこかの国の
政治家の嘘や欺瞞、忘れてはないから・・・です。
[296] 勝てば官軍? 投稿者: 投稿日:2003-04-10 (Thu)
イラク戦争が終わろうとしています。
なんだかあっけなかった気がしています。
一方的な展開でした。
戦争がはやく終わることにこしたことはないのですが。
戦争というより、侵略といった感がします。
対等で戦えばこそ、戦争って言葉も意味を持つので
しょうが、あまりにも一方的すぎましたから。
今のところ、テレビではアメリカが正義で
イラクの国民を解放して自由をもたらした的な
映像ばかり送られてきていますが、テレビに映ってない
ところでは子供や女性・・・何の罪のない人々が
死んでいっているのですから、浮かれてはいけないと
思っています。
戦後もアメリカ主導でアメリカ型の民主主義が
導入されていくのでしょうが、その一挙手一投足を
見続けなければならないと思っています。
何もできない無力な私たちができることは
アメリカの対応を見続けることだと思います。
それを踏まえて、アメリカという国家と今後
どのように我々が付き合っていくのか考える、いいキッカケ
になるのではないのかなと思います。
日米安保条約というもの、日本国憲法というもの・・・・
われわれが、もう一度、アメリカとの関係を
再考しなおしてもいい・・・そんなイラク戦争になった
気がしています。
アメリカ軍 勝っても負けても あなたは賊軍
by イラクの詠み人
昨日まで アメリカかぶれの 女子大生
意味もわからず 反戦運動
by 日本の詠み人
[295] お花見とお城 投稿者: 投稿日:2003-04-07 (Mon)
お花見をしました。場所は姫路城三の丸広場です。
姫路城を見ながら、桜を見ながら、飲むお酒は
格別なものがあります。
京都に住んでいた頃、JRから東寺の五重塔をみると
あぁ〜京都に帰ってきたんだなぁという感じがしましたが
姫路に移り住んでからは、姫路城を見るたびに
あぁ〜姫路にいるんやなぁと思います。
姫路市民、誰もが、お城を愛し、お城とともに
生活を送っている感じがします。
もし一夜にして、お城が消えてしまったら
多分、姫路の人はどのように毎日を送っていいか
戸惑うことになることでしょう。
それほど姫路市民の中で『お城』の存在というものは
かけがえのない安堵感を与えてくれている感じがします。
花見の宴が盛り上がって、歌がではじめます。
その中で、あるおっちゃんが三橋美智也の古城を
歌いました。
♪ 松風騒ぐ 丘の上 古城を独り なに偲ぶ
栄華の夢を 胸に追い ああ 仰げば侘し 天守閣 ♪
姫路城・・・この場所で今までに何回も何回も
人々が花見をして楽しみ、また逆に戦いにまきこまれ
人々が苦しみ、いろんな姿を見てきたお城です。
永久に、その美しさを変えずに、今までどおり
姫路に住んでいる人々を暖かく見守ってもらいたいと
思います。
[294] 宮本武蔵 投稿者: 投稿日:2003-04-04 (Fri)
大河ドラマで「宮本武蔵」をやっています。
姫路の町にも「武蔵の館」なるものが出現しました。
少し前には「人形の館」だったのですが・・・・
NHKでブームになるやいなや・・・即座に
対応した市のお役人さんのセンスの良さに
感服いたしまする。さすがに文化というものを
よくわかっていらっしゃいます。
NHKの大河ドラマが変わるたびに、その建物の名称を
名前を変えていっても、面白いかもしれませんね。
期待しておきましょう。
どのように市税を無駄に使っていただけるかを。
私と宮本武蔵さんとの出会いは、確か、高校生の頃
吉川英治さんの「宮本武蔵」を読んだのが最初で
あったと記憶しています。
『巌流島の決闘』・・・・・いいですね。
一対一で対決している構図がいいです。
佐々木小次郎vs宮本武蔵
ツバメ返しvs二刀流
いいですね。男の戦いはこうでなきゃいけません。
他人様を巻き込んではいけません。
このように書いていて、はたと、ひらめくことが一つ。
それは今のイラク戦争の中、日本に何ができるか・・・・
その解決方法を発見しました。
ブッシュとフセインを巌流島に招待して
一対一で日本文化の伝統的な刀で戦ってもらうことに
したらどうでしょう。これはいいですよ。
その二人以外、誰も傷つきません。
子供も老人も市場で働く人々も死にません。
死ぬのは一人だけです。
本当に憎しみあうものだけが・・・・
本当に殺しあいたいものだけが・・・・
戦えばいいのです。
原爆を落とした国を支持することは
何人もの軍人以外の人間を殺した国を支持することは
できない。
テレビのニュースを見るのが嫌になってきました。
バクダッドの何の罪もない市井の人々が
被害にあわないように祈る日々が続きます。
[293] 意識をするということ 投稿者: 投稿日:2003-04-02 (Wed)
ワークショップが3月で終わりました。
私なりに総括してみますと
声をだすにしても、演技するにしても
『イメージを持つ』ということが大切であるということを
参加された人々とレッスンを重ねるたびに
痛感したしだいであります。
台詞を言うときにも、その自分が言う言葉にたいして
何のイメージを持たなくていうのと、しっかり、その言葉の
イメージをもって台詞をしゃべるのとでは
大いなる違いが生じてくるような気がしています。
体を動かすのでも、自分が意識して、このように動こうと
している動きなら、演出していても修正がきくのですが
無意識に勝手に体や手や足が動いてしまう人は
お手上げになります。そういう方は、だいたい緊張しすぎる
人が多いのですが、演技の前に、その方の頭をいかに
リラックスさせればいいのかということを
考えないといけないのではないかと思います。
私が今、仕事をしている施設では毎朝、朝礼があります。
その施設の施行者の方が、よく言われるのが
『ほどよい緊張感を持って、仕事、頑張って下さい。』
と言われます。
『ほどよい緊張感』って言うのは簡単ですが
実際に、難しいことです。
この言葉は、舞台にたつ役者にも、あてはまるような気が
します。
もうすぐ第四回公演の練習がはじまります。
いつも何か役者として参加していただいた人に
プラスになることをと考えて、演出するように
心がけています。今回は『イメージを持つということ』
と『ほどよく緊張した演技』を目指そうと
何気なく、ぼんやりと感じた就寝・二時間前です。
[292] 順位予想 投稿者: 投稿日:2003-03-31 (Mon)
プロ野球が開幕しました。
わが阪神タイガースは、まずまずのスタートをきって
ほっとしています。まぁ秋まで楽しく今年は、野球が
堪能できそうです。
プロ野球のことで最近、ひとつ、とっても気になることが
あります。それはオリックスの本拠地であるスタジアムが
『グリーンスタジアム神戸』から『ヤフーBBスタジアム』
に名前が変わったことです。
グリーンスタジアム神戸は私が住んでいる姫路からも
近く、私が学生のとき家庭教師をしていた街『名谷』から
すぐそこの場所にあります。馴染み深い場所です。
このスタジアムは神戸市が運営しています。
昨年の9月、神戸市がこのスタジアムの命名権の譲渡を
表明し、ソフトバンクグループが、その命名権を
二年という期間限定、二億円で買いました。
いくら経営が赤字といっても、これだけはやって欲しくは
ないことをやってしまったという感じがしました。
神戸市の考えることはわかりません。
また、このことをオリックスが反対しなかったことにも
理解できません。私がオリックスのオーナーなら
神戸市に寄付するつもりで二億円くらいだして
『グリーンスタジアム神戸・オリックス球場』くらいに
名前を変えるくらいにして、今までの名前を極力、変更
しないようにするのですが・・・・
本当にお役人の考えることは、センスがないですね。
球場の周辺に住む人々に愛されてこそのプロ野球だと
思います。誰が「ヤフーBBスタジアム」に愛着を
持つでしょうか。
言葉は大切です。とくに場所の名前は大切だと思います。
みんなが集う場所であるボールパークが
企業の名前だなんて、ぞっとします。
選手や監督・コーチも戸惑っていると思います。
球場に試合を見に来てくれたファンを喜ばすことを
背負って戦っている彼らです。その彼らの前から
そのファンが徐々に消えていったら、戦う意欲も
湧かなくなってくるのではないでしょうか。
今年の順位予想・・・ひとつだけ確信を持っていえるのが
オリックスは最下位になる。・・・これだけです。
セリーグは混戦、パリーグは西武・ダイエー・近鉄の
三つ巴になるような感じです。
『情』に流されるな・・・という言葉があります。
でも逆説的に言えば、『情』というものは、物凄く力が
あって、人の行動をどのようにでもできるものである・・
もしそうなら・・・たとえ球場の名前をつけたりするの
でも『情』を含んだ言葉にするべきだと思います。
意味のある言葉にするべきだと思います。
チーム名・・・オリックスブルーウエーブ
本拠地・・・・ヤフーBBスタジアム
というのと
チーム名・・・・阪神タイガース
本拠地・・・・・甲子園球場
というのと
選手はどちらが胸をはってプレーできるでしょう。
[291] 『夢』という言葉の罠 投稿者: 投稿日:2003-03-28 (Fri)
久しぶりに詩をひとつ
『夢』という言葉の罠
私には夢がある 私には夢がある 私には夢がある
オマジナイのように 3回 言うとほっとする
「夢」がないより、あったほうがいい
でも、ないのに 夢があると言ってしまう人が怖い
「夢がある」と言わないと 自分が何ものであるのか
わからなくなってしまうからなのかなぁ?????
夢という言葉の罠 夢という言葉のまやかし
夢という言葉の幻 夢という言葉のはかなさ
夢がないのなら なくていい
心から湧き上がるものがないのなら
無理に 何も 言わなくていい
やりたいことがないのなら 何も しなくていい
誰も 見ていない 誰も 君のことを
しいて 言うなら 君のことを 見ているのは
もうひとりの君かなぁ?????
何も言わないことは 何もしないことは
素晴らしいことかもしれない
じっと自分の手を 一日中、ながめていることは
素敵なことかもしれない
罠にかからないために じっとしていよう
あせることは なにもないから
※3月から4月にかけては桜の季節です。
その桜の木の下、別れがあり、出会いがある
そんな季節でもあります。
新しい環境で新しい生活がはじまる・・・・
そんな季節でもあります。
「夢」を抱いて 新しい世界に
胸膨らまして 入っていく前に
自分の抱いた「ゆめ」が実際、どういうものだったのか
もう一度、考えてみてもいいかもしれませんね。
初心・・・思い出してみても・・・・です。
[290] 対立するものと、どのように関わったらいいのか・・・・・・・ 投稿者: 投稿日:2003-03-26 (Wed)
久米宏より筑紫哲也の方が好きです。
まぁ深い意味はなく・・・生理的にですが。
ということで毎日かかさずNEWS23を見ています。
3月25日の市井の人々に今回のイラク戦争について
あなたは、どのように思いますかというインタビューを
していました。
様々な意見がありました。だいたいは戦争反対の意見が
多くありました。その中で私が心に残った言葉が
ひとつありました。
それは・・・・このイラクとアメリカの戦いを見ていて
私は、私の対立する物事や人間と、どのように関わって
いけばいいのか・・・思案するようになりました。
まぁ正確ではないのですが、だいたい、このような
ニュアンスの事を述べている人がいました。
BIBIっときました・・・鋭い人だなぁと思いました。
自分と考え方や価値観が違う人に出会ってしまったとき
対立が生まれることが多々あります。
そういうとき、その人とどのように関わりをもって
いくのか、どのように対処してゆくのか。
非常に難しい命題であります。
アメリカとかイラクとか国家的なレベルじゃなく
日常生活の中でも人間どうしが生きている上で
小さい『対立』というのが必ずあります。
その解決方法を何も模索しないで、自分の言うことだけが
正義で、それ以外は悪であるという事の単純さは
とっても、とっても危険であり、何の解決にも結びつかない
軽薄なものであるように感じます。
人は心で動いています。
その心はいろんな色を持っています。
何十、何千、何万色の色を持っています。
そのような多くの色を
自分の大好きな一つの色にしようとするのか
その色をその色として認めてあげて
いろんな色を組み合わせて、美しい花束のように
まとめてゆこうとするのか
のんびりとゆっくり、あせらず遠回りしてもいいから
美しい花束を目指すほうが好きやなぁ。
[289] 無力感。。。 投稿者: 投稿日:2003-03-24 (Mon)
毎日毎日、イラクから送られてくる映像を見ていると
自分の無力感がますばかりです。
戦争を知らない世代です。
生まれたときから平和憲法がありました。
平和を守ることを教育されたように思います。
人を傷つけてはいけないことを教育されたように
思います。
そんな日本の教育を受けてきた『戦後生まれの私を含む
人間』が、首相が「わたしたちはアメリカの今回の行動を
指示します」と言った言葉を聞いて
何を思うのでしょうか。
私は・・・今までの私の平和に対しての歴史は
いったい何だったのか・・・戸惑うばかりです。
その戸惑いが日々を重ねるたびに
『無力感』に変わってしまいそうで・・・怖いです。
アメリカ・・・・アメリカ・・・・アメリカ・・・
アメリカ・・・・アメリカ・・・・アメリカ・・・
このエッセイを書き始めたのは2001年9月21日です。
そのとき書いた自分の文章を思い出します。
紹介までに
タイトル『さよならアメリカ』 2001年9月21日
世界貿易センタービルに旅客機が突入した映像を見ながら
あの映像にBGMつけるなら、どんな曲がいいだろうと
ふと、思った。
浮かんだのはハッピーエンドというバンドの
『さよならアメリカ さよならニッポン』という曲でした。
それは・・・・
♪さよならアメリカ さよならニッポン バイバイ
バイバイバイ バイバイバイ
このフレーズが何回も延々と続くだけの歌です。
あんな事をされる国は、どこかであんな事をしてきた国なん
だろうなぁと「へそまがり」の私は思ってしまうのです。
そして、そろそろ、あんな事をする国とは
『さよなら』しても、ええんとちゃうのん、と思って
しまうのです。これ以上、お付き合いしてたら
大変なことになる予感がするのは私だけでしょうか。
※一年半前に感じた『予感』が当たってしまった感じが
します。ただ、あたっても、自分に何ができるかという
事を考えたときの、無力感がこれほどまで大きくなる
ということを・・・予測できませんでした。
情けないです。とほほのほ。
[288] 開戦 投稿者: 投稿日:2003-03-22 (Sat)
とうとう戦争がはじまりました。
嫌ですね。人が人を傷つけているのを見るのはね。
だからNHKさん、その他、大勢の放送局さんへ
戦争、戦争といって番組を変更して日常の放送を
やめたり、次週にまわしたりするの、やめてほしい
ものです。戦争、あまり見たくない人もいるかもしれず
そうなら一日中、戦争ばかりのチャンネルを臨時に
作って、そこで戦争ものを流すとかしていただきたいです。
今日のテレビ欄を見てまして、選抜高校野球の開幕式が
NHKの教育テレビだけでしかやっていません。
NHKのメインでは、戦争の番組やニュースなどを
ひっきりなしに放送するスケジュールになっています。
これでは・・・・ねぇ・・・・
あまりにも、あまりにも・・・高校球児が
かわいそうな感じ・・・・です。
戦争が始まって、大リーグの日本での試合も中止
サッカーの遠征も中止、ドバイで開かれる競馬のワールド
カップの日本馬による参戦も中止・・・・・・・・
人の命を奪うこともそうですが・・・・戦争って
このような人びとが楽しみにしていたを奪うのですね。
面白いこと大好きの私には・・・・この戦争の間・・・・
退屈な毎日を過ごさざるをえない・・そんな気分です。
[287] ガガガSP 投稿者: 投稿日:2003-03-18 (Tue)
シナリオを書いています。
へッドフォンをしながら書いてます。
ながら族です。高校のときからの癖なのでしょう。
この方が集中できるようになってしまったようです。
高校の時はラジオだったのですが、私も進歩しているのか
今はスカパーのデジタルラジオを聴きながらです。
ある日、なにげなく『播州の夕暮れが〜・・・・』
という歌詞が聞こえてくるではないですか。
パソコンの画面から、スカパーのチューナーの表示に
目を向けると・・・バンシュウ・・・ガガガSP・・・
という表示がでています。
えっ?もしかして姫路のバンド・・・播州の夕暮れを
歌ったの?三木露風以来?いろんなことを思いながら
聞いていました。ちょうど播州に由来の話を題材に
本を書いている真っ最中だったものですから。
どんなCDに入っているのだろうと、お気に入りにいれて
あるHMVのホームページへ・・・・
そこで『ガガガSP』と検索してみると・・・なんと
なんと・・・お恥ずかしい話・・・『播州の夕暮れ』の
播州は晩秋であったことがわかりました。
私の大いなる勘違いだったわけです。早合点だったのです。
でも・・いいわけをば・・イントネーションからいって
この曲を聴いたことがある方ならわかると思うのですが
ここで歌われているBA・N・SYUの響きは
絶対、初めての人なら『播州』を思い浮かべると思います。
まぁ・・・・いいわけはいいとして
とっても、なんだか、気になったので、今日、彼らのCD
『オラぁ いちぬけた』を買ってしましました。
今、聞きながら、このエッセイを書いています。
いいですね。晩秋以外の曲もいいのがいっぱい入ってます。
彼らは同じ兵庫県のバンドだったのですね。
長田、新開地、板宿・・・なんて地名が入った歌もあり
親近感が以前より湧いてきます。
従姉妹が板宿で地下鉄に乗り換えて、二駅ほどいった
『名谷』に住んでいます。学生のとき、彼女の子供たちの
家庭教師として半年ほど、週末に京都から通いました。
『板宿』や『新開地』や『長田』の街をそのとき
闊歩したことを思い出しました。
これからも応援してゆきたいバンドです。
日本のバンドを選ぶ条件の第一が歌詞の良し悪しだと
私なりに考えています。メロディなら海外のほうが
いいのがいっぱいあるし・・・私見ですが。
今日、聴いた曲の中で一番、気にいった歌詞を紹介して
応援する人を増やせれば・・そんな気になるバンドです。
『一人ぼっちの世界』
朝早く 足の音で 目が覚めた
枕元には 真新しい 野球グローブ
さぁ キャッチボールだと 父親が微笑んでいる
父親が くれたプレゼント そのすべてが愛だったのさ
父が教えてくれたこと 全て愛だったのさ
愛を貰ったり 愛をあげたりを繰り返して
いつ頃 僕らは 大人になるのかなぁ
愛を貰ったり 愛をあげたりがすべてなんだと
気付く頃に もう父はこの世にいない
母親は 心の形をしてた
おばあちゃんは 優しさの形をしてた
あぁ もうすべてが 愛につながっている
愛を貰ったり 愛をあげたりを繰り返して
いつ頃 僕らは 大人になるのかなぁ
愛を貰ったり 愛をあげたりがすべてなんだと
気付く頃に もう誰もいない
[286] 課外授業 投稿者: 投稿日:2003-03-16 (Sun)
今日、久々に、ええ番組やなぁ〜・・・と思える番組を
見ました。見ようと思ってみたわけじゃなく、相撲つけてた
ら、それからニュースになって、それから、その番組が
始まったわけでして・・・
その番組は「課外授業」というタイトルの番組でして
ある世界で著名な人が自分の母校の小学校に行って
生徒に自分の培ってきた分野をもとにして、授業を
するというものです。
今日はノンフィクション作家の佐野真一という初老の人が
自分の母校(たしか東京は葛飾のどこか・・・)に行って
そこの小学校6年生を教える番組でした。
ノンフィクションと言葉の意味を子供たちのわかってもらう
ために、彼は一枚の写真をだします。それは阪神大震災の
ときにバスが倒れた道路に半分、のっかかっている
今にも高速道路から落っこちそうな写真です。
彼は、この写真を新聞でみて、助かったバスの運転手に
会いたくなります。そして会いにゆきます。
なぜに会いにいったかといいますと、バスの運転手に
どのようにして家に帰ったかということを聞きたいためで
あると子供たちに言いました。ただ、たんに彼が思った
疑問だそうです。
そして、バスの運転手の方を取材して、いろいろな真実を
聞きます。運転手の方は、タクシーで家に帰られたのですが
その前にある場所へ向かいます。それはコンビニです。
そしてコンビニであるものを買います。それは?
子供たちに質問します。
それは?・・・・・・・・・・・・・・
いろいろな答えがでました・・何人かめで正解がでました。
それは・・・・「カメラ」・・「写るんです」という・・
そして運転手は今にも落ちそうなバスの真下へ戻り
シャッターを押し、それから家に帰ったそうです。
運転手の人は、「写真をとっておこう」とだけしか
おもわなかったそうです。その写真をどこかにだそうとか
そんなこと、こんな緊急事態に思うはずがないと言い
本当にただ記録しておきたい衝動にかられただけらしい
のです。テレビで大きく引き伸ばされた、その写真は
報道の写真よりも生生しいものでした。
写した時のカメラマンの感情がのりうつっているみたいに。
彼は子供たちに言います。
「私が、阪神大震災の落ちそうなバスの写真をみて
なんの疑問も持たなかったら、なにもわからなかった。
なにも得るものはなかったでしょう。この生生しい写真
にしても・・・皆さんも何でもいいから疑問を持って
下さい。学校の行きかえり、お家にいるとき、等等
それから、いろんな面白いことが見えてきます。」
ふむふむ・・・疑問を持つこと・・・・
それが第一歩なのだという、単純なことを忘れそうに
なっていました。その話をしたあと、友達のことを
知ろう!ということで、自分の席の隣に座っている子の
事を一日かけて、お互いに取材することをやらせます。
どれだけ、友達の事を知っているのか、また知らないのか
そして、友達の何を知ろうとするかで自分が何に興味が
あるのか、自分のことも知ることができると述べました。
下町のある学校なので、中小企業というか町工場というか
そこで働いている子供なんかもいて何だか庶民的な雰囲気
でめいめいが取材してゆきます。
人を知ることって面白そうです。見ててそう思います。
次の日、荒川の土手で自分が取材してきたことを
発表します。子供たちの屈託のない笑顔が印象的です。
発表が終わり、最後に彼がこう言います。
「みなさん、今日は本当にどうもありがとう。
みなさんの発表を聞いて、こちらが教えられることが
たくさんありました。ありがとう。
私が君たちに言えることは、あまりありませんが
君たちが何かで行き詰ったときが来たら
視点を変えてみて下さい。それでは。」
私も、40年生きてみても、知らないことばかりです。
すべてを知ることなんて不可能なことならば
自分が知っている、かかわっている世界なんて
小さな、小さな世界です。そのことで悩みなさんな
その小さな世界だけで解決しなさんな・・・と言って
いるように私には聞こえました。
久しぶりに学生にかえった感じで見た番組で新鮮な
ひとときを過ごさせてもらいました。感謝です。
[285] インプロ。。。面白いかも 投稿者: 投稿日:2003-03-13 (Thu)
今日、ワークショップでした。
昨今、はやりのインプロみたいなものを初めてやって
みました。私が題材を書いて、少しの時間(5〜10分)
くらい考えた即興劇みたいなのは、何回かやったことが
ありましたが、インプロのように題材を誰かが言って、
即、即興で芝居をはじめるのは、できるかどうか
不安だったのですが、参加された皆さんのほとんどが
なんとか、こなしてゆく姿を見ていて・・・・・
これって、結構、面白いかもっていう感じになりました。
インプロは、improvisationの略です。
Improvisationは、日本語に置き換えると
即興という意味ですが、それから発展して
「台本や打ち合わせが全くなく、その瞬間に起こったことを
受け入れあいながら、即興で作られていく
エンターテイメントである」と言われています。
2〜3人のグループでインプロをしたのですが
私なりに、それぞれの芝居を見ていますと、その集団の
中で話を作っていこうとするリーダー的な人、それに
呼応して話をひろげようとする人、または、それができずに
自分で全く関係のない話をいいだす人・・・・・
まぁ・・・いろいろなパターンがあって楽しかったです。
ただ一つ苦言をいうなら、言葉が先行してしまい、空間
の使い方が、まだまだというケースがありました。
まぁ、初めてやったわけだから仕方ないかもしれませんね。
発想力、チームワーク、表現力が瞬間的に要求される
この練習を機会があれば、またやってみようと思いました。
『大切なのはやってみること。できなくても
やってみること。じっとしていても何もはじまらない』
今日は、怖さがあったけれど、やってみてよかったと
満足な気分で眠れます。インプロ。。。面白い・・です。
[284] いろいろと・・・・教えられます。 投稿者: 投稿日:2003-03-11 (Tue)
前回のワークショップで人前で話す根性をつけようと
発声のレッスンがすんでから、お遊び感覚で前説の練習の
ようなことをしました。
「本日はご来場下さいまして、まことに、ありがとうござい
ます。開演前に少し・・・私の夢について、お話させていた
だきます。私の夢は・・・・・・・・・」
・・・・・・の部分はアドリブで来ている人全員に
言っていただきました。それを残りの人々が客となって
それを聞くというシチュエーションでやりました。
私は、それぞれの人が言う内容よりも、それぞれが
お話をしている時の、その人が作り出す雰囲気に
着目して、自分の夢を語る彼らをながめていました。
毎回、毎回、発声の練習をきっちりやった後、そればかり
では、息苦しくなるので、お遊び的なことをやっています。
それは、私の思いつきでマイムになったり
今、流行のインプロになったりします。
前もって、今日はこれをするとか決めていません。
当日、決めるものですから、やるほうは大変です。
考える時間は5〜10分程度で演じなければなりません。
でもこういった即座に何かを話たり、演技をしたりすること
は、演劇的反射神経という言葉があるならば、それを
磨くには、とってもいい練習になるような気がします。
この前の前説の練習で、私が一番、印象に残ったのが
今まで一度も演劇の経験がない17歳の女性が「私の夢」
を話す姿でした。彼女は堂々としていました。
視線が下がらないし、上手く話そうと多分、思ってない
のでしょう、素直な言葉で、素直な感情で、「私の夢」を
淡々と語りました。
あぁ・・・・そうなんやぁ・・・・こういうことなんかぁ
上手くやろう、上手に喋ろうと力が入れば、入るほど
人には伝わらないのか・・・その人の緊張ばかりが
伝わってくるだけなんかぁ・・・そうなんやなぁ・・
今日、イチローのインタビュー番組を見ました。
彼が日本で200本安打を打ったとき、彼は何故ヒットを
打ったのか、理屈がわからなかったと言いました。
勝手に体が反応して、打ったヒットがほとんどであるとも
言いました。しかし大リーグにいって試行錯誤しているうち
に、こうしたらこうなるとか、ここをこうすればいいとか
一本、一本のヒットのそれぞれが、いかなるものかが
わかるようになったという事を話していました。
私もまだまだ演劇とは何かとか・・・わかりません。
だけど、こうして、いろいろな人と出会っていくうちに
少しずつですが、教えていただくことがあります。
そんなとき、今まで、感覚でやっていたことが
実は、こうこう、こういう理由で裏づけされてるのだろうな
・・と思えるようになったのでしょうか。
よりいいものを・・・進歩したい・・・わかりたい・・・・
奥が深いものに対する挑戦・・・です。
終わりなき挑戦になるのでしょう。
[283] ネット自殺 投稿者: 投稿日:2003-03-08 (Sat)
「わたしは自分の自殺を考えるとき、自分を他人から
切り離すことの難しさを感じる。自分、という独立した
存在がどこにもなくて、自分は他人の部分に、すぎなく
なってしまっているのです。自分を殺すことは
多かれ少なかれ、他人をも傷つけたり、ときには
殺すことになる。そのため、他人を巻き込まずには
自殺もできない時代になってしまったことを
考えながら、しみじみと鉛筆をながめている。」
寺山の自殺入門という文章の後書きです。
昨今、ネットで知り合っただけの人々が集団で自殺する
事柄がありました。自殺入門という文章を読んでみると
上手な遺書の書き方とか、動機の必要性とか、自殺に
ふさわしい場所を探そうとか、心中のすすめとか・・・・
まぁいろいろと書いてあります。
しかし、それを読んでみると彼が実際に言いたいことが
「いかに生きるか」ということであるように私は感じて
います。
ネットで出会って車の中で死を選んだ方々のそれぞれの
事情は誰も知りえないことかもしれません。
だから、死を選んだことは彼らの自由であり、とやかく
言うべきものではないかもしれない。
でも今の私には感覚的ではありますが、後味の悪さが
残った事柄であったことは事実です。
あなたは「苦しみながら生きていくこと」と
「自ら死を選ぶこと」と、どちらが容易いことだと
思いますか?
私にはわかりません。
何もわかりません。
何も意味も持たなかった幼い頃に帰ろう。
あの頃に・・・・・・あの頃に・・・・・帰ろうよ。
何が容易くて、何が難しいことなのか
何も知らなかった・・・・・あの頃に
それくらいしか浮かんでこないです。
[282] 民意とは。。。 投稿者: 投稿日:2003-03-05 (Wed)
昨日、リクルート事件が結審しました。この事件を振り返る
当時のVTRがテレビで流れるのを見ました。
中曽根、竹下、宮沢、藤波と今は一線をしりぞいた政治家
たちの顔が映ります。
何を教訓として、このリクルート事件を今にいたる政治家
たちが受け止めたのか疑問だらけです。
だって今もなお「政治家と金」の問題が後を絶たない
からです。
来月は、統一地方選挙があります。私の会社からも
とある立候補予定の人物を応援してくれないかと話が
来ています。大変な4月になりそうです。
選挙というのは我々の民意が反映される唯一の手段です。
我々、市民、県民、国民が多数決で選んだ人間が、もし
罪を犯したならば、やはり選んだ側のわれわれにも
少なからず問題があるような気がします。
だからこそ選挙の際には頼まれたからとか、自分にとって
都合のいいとかではなく、投票する人間がどのような人間
なのかということを十分、知った上で理解した上で投票
しなければならないと感じています。
さきほど選挙は民意の反映と述べましたが、昨今の
投票率の低さでは、特定の人々の意の反映したものが
選ばれている感じがしてなりません。選挙に行かない人が
増えていることをもう少し真摯に考える必要があります。
投票率をあげるには、皆が選挙に行くにはどうしたらいいか
ということを考えました。ひとつの案ですが、選挙に行かな
かった人に対して罰則を与えるというのどうでしょうか。
罰則といっても私が考えるのは、市の選挙なら市民税
県なら県民税、国なら所得税を対象にして、選挙に行かなか
った人の税率を次の選挙まで引き上げるのはどうでしょう。
その行かなかった人々の余分に払った税を選挙に出る人の
供託金の引き下げをした場合の補填とすればいいのではない
かと思います。供託金が高ければ高いほど、若い層がでにく
い、貧しい人がでにくい状況があると思います。
被選挙人として多くの希望をもった、様々な柔らかい思考を
もった人がでてきて欲しい・・・そういった人々が日本を
救う可能性は十分にあると思います。
無投票で、いつものいつもの白髪のおじいさんが
何期も何期も選挙にとおっていていいと思いますか。
そして投票をインターネットで使って家から投票所に
行かなくてもできるようにしていただきたいものです。
まぁそれいは色々な諸問題もあるかと思いますが
セキュリティなどを強化するなどして、いつかやってもらい
たいものです。
次に選挙制度についてですが、いつもいつも選ばれる側の
顔ぶれを見ると高齢者ばかりなのに気づきます。
それを何とかしたいです。様々な層の人間に出てもらいたい
と思っています。そこで一つ考えました。
100人が定員の議会があるとします。
その100人を20歳代、30歳代、40歳代、50歳代
60歳以上と五つに配分します。
それぞれ20人ずつが定員ということになります。
各年齢層に応じて立候補し、そして選挙民は各年齢層ごとに
一票を投じる・・・つまり5票投票するわけです。
それで政治家を選んではどうかなぁと思います。
もし立候補者が20人に満たない場合は欠員でいいと思いま
す。それは仕方のないことで、違う世代から補うということをしないほうがいいと思います。
・・・まぁ、そのへんの細かいことはどうでもよくて
私が望むことは、投票の結果、議会が各世代均等な
議員数で構成されているということです。
先ほど述べた選挙に行かない人々から得た『お金』を
20代の人びとに供託金がなければ、貸し出すことも
考えてもいいのではないかと思います。
若い人たちに政治に参加してもらうことが大切なのです。
まぁ、いろいろと書かせてもらいましたが、私の願いは
『わたしたちの民意が正しく反映されていること』
ただそれだけです。
我が国において今、イラクに対するアメリカの武力行使反対
が70%を超えています。
そのことを政府はどう受け止めているのでしょうか。
今日の参議院予算委員会で首相はこう言いました。
「世論の動向に左右されて正しいかというのは、歴史の事実
をみればそうでもない場合も多々ある。イラクは
圧力をかけると今まで協力してなかった部分を小出しに
する。そういうこともよく判断しないといけない。」
選挙に行きましょう。そして、わたしたちの民意(=世論)
を正しくないという人間たちを落としましょう。
民主主義がなんたるかを教えてあげましょう。
そうしないとエライ目に遭うのは私たちなのですから。
[281] 『春だったね』 投稿者: 投稿日:2003-03-02 (Sun)
今日はほんとに暖かい日和でした。
縁側で日向ぼっこでもしていたい感じでした。
春なんだなぁと感じた一日でした。
春といえば四季の中で一番好きな季節です。
多分、自分が生まれた季節だからなのでしょう。
『誕生』→『生』→『春』って繋がっている感じがします。
そしてこの季節になるといつも『春だったね』っていう
歌を思い出します。吉田拓郎の昔の歌です。
あまりテンポのいい曲ではありません。
にもかかわらず、一度、芝居のダンスの曲として使いました。
今、思うと、よくもまぁ、こんな踊りにくい曲を
使ったものだなぁと思います。だからこそ、今になるまで
申し訳ないことをしたなぁと覚えてはいるのですが・・・
まぁ歌詞が、その芝居のテーマとリンクしていたので
使ったということなのです。(言い訳です)
大学時代、一緒に芝居をしていた連中で今も役者として
演劇に携わっているのが、この曲をひとりで踊った
『NORI』ちゃんという女性です。
彼女はとても頑張りやさんだったことを記憶しています。
今になっていうのも何なのですが・・・もっと踊りやすい
曲にしてたらよかったかも・・・です。
春になると、この曲を思い、この曲を思うと
『NORI』ちゃんのことを思い、
『NORI』ちゃんのことを思うと、
あの時の夢中でやった芝居のことを思う・・・・・
連想ゲームのように、次から次へと、いろんな気持ちが
つながってゆきます。
姫路に帰ってきて、初めてやった芝居に参加してもらった
高校生たちが今春、学校を卒業します。
彼女たちに出会ったのは、彼女たちが高校二年生の夏
でした。もうすぐ大学生になるのかと思うと
時の流れのはやさを感じずにはいられません。
できれば、彼女たちも『NORI』ちゃんと同じように
ずっとずっと何年も芝居に携わっていってもらいたいと
個人的な希望をもっています。
勝手な事ばかり言っていますが、私が知り合った人々が
いつまでも芝居をして頑張っている話を聞くだけでも
私は嬉しくなるし、己も頑張らねばという励ましにも
なります。いつまでも・・・いつまでも・・・・
僕を忘れた頃に君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく
曇りガラスの窓をたたいて 君の時計をとめてみたい
あぁ僕の時計は あの時のまま
風に吹き上げられた ほこりの中
二人の声も消えてしまった
あぁ あれは春だったね・・・・・
[280] 涙そうそう 投稿者: 投稿日:2003-02-27 (Thu)
「涙そうそう」・・・朝、食事するとき、仕事帰ってから
リラックスしたい時、この曲をいつも聞いています。
お気に入りです。
最近、年がいったせいなのか、どうなのか、あまり泣くことって
なくなった気がします。
いつも気をはって生きているものですから
いつも頑張らねばと思っているものですから
悲しくて、泣く前に、制御がかかってしまうのでしょう。
ほっと一息、珈琲飲みながら、煙草をくわえて
目をつむり・・・聞こえるは
♪古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も
浮かぶあの笑顔
思い出 遠く あせても
面影 探して よみがえる日は 涙そうそう
一番星に祈る それが私の癖になり
夕暮れに見上げる空 心いっぱい あなた探す
悲しみにも 喜びにも
思う あの笑顔
貴方の場所から 私が 見えたら
きっといつか 会えると信じ 生きてゆく
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
思い出 遠く あせても
寂しくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
逢いたくて 逢いたくて 君への想い 涙そうそう
[279] 熱海から一年。。。それぞれの夢 投稿者: 投稿日:2003-02-25 (Tue)
昨年の第二回公演「熱海」から一年経ちました。
厳密に言うと一年をすこし越えたくらいです。
変な感覚がします。何年も何年も前のことのような気が
するからです。たかだか一年前のことなのに。
今年のお正月、新年会という形で、そのとき出演した
メンバーが集まりました。
東京・大阪・姫路という、それぞれの場所で
それぞれの夢を追いかけている話を聞きました。
そのような「前向き」な話を聞きながら飲むお酒は
とっても美味しかったです。
前向きな方々は皆、ひたむきなんだなぁと感心してしまい
ます。そんな話を聞くと、私も20代の前半、何もわからず
ただ無鉄砲にひとり上京したことを思い出します。
今までの世界から新しい世界に飛び込むことは
大変、勇気のいることですし怖いことです。
しかし、その怖さを克服したときの心地よさは言葉に表現
できないくらい良いものです。
今まで外から見ていた世界の内側にはいったとき人は
違和なるものをたくさん感じることになります。
その違和なるものと正面から対峙して、迎合や妥協という
ものではなく、自分をしっかり持って、その世界に
溶け込んでいってもらいたいと思います。
彼らは若い20代の方々がほとんどです。
「○○がすべてだ!!!○○こそ、命がけだ!!!」
みたいに肩をはらずに、それぞれの人生を楽しむかんじで
それぞれの夢をつかんでいってもらいたいと思います。
『それぞれの人生を楽しむ』とは・・・・・
私なりに考えました。それは好きなことをただやるだけ
だと思います。ただ有名になりたいだけなら、ただ
お金が人よりたくさん欲しいだけなら、それは、本当の
意味での夢じゃないように思います。
ゴッホやゴーギャンがどう生きたか。
彼らは自分の絵を書くにあたり、描いた絵が高い額で
売れるから描いたのでしょうか。そうではないと思います。
ただ絵を描きたいから、自分の心の中の、もやもやを
絵で表現したいから絵を描いたと思います。
評価は後からついてくるものです。
『汝、迎合するなかれ』・・・この言葉をかみしめて
それぞれの夢・・・・つかんでくださること
祈っています。
[278] 初動ミス... 投稿者: 投稿日:2003-02-22 (Sat)
韓国で地下鉄火災がありました。
130人を超える死者がでました。痛ましいことです。
21日の韓国警察当局は、運転責任者の初期段階での
対応の遅れが被害拡大につながったとして、運転士、
指令室職員など計5名を逮捕すると発表しました。
このような悲しい、やりきれない事件が起こるたびに
いつも、いつも、とりあげられるのが『初動ミス』です。
神戸の震災のときもそうでした。
いくら消防などで随時、訓練をしていても
現実に予測以上の事象が起これば、人は戸惑い、我を忘れて
右往左往するだけなのかもしれません。
このような事件・事故にかかわらず、何事においても
初期段階に何をなすべきかということが
肝心なことのように思えます。
芝居に関しましても、幕が上がってから最初の20分から
30分くらいまでに、いかにお客様を惹きつけられるかが
とっても大切なことのように思います。
なかなか外の世界から、芝居小屋に入られて、かまえて
いる人々をこちらの世界に持ってくることは並大抵のこと
ではないのですが・・・・なんとか、一分でも一秒でも
はやく引き入れなければと思います。
練習していても、それができているのかどうか
演出としては、気がかりで、気がかりでなりません。
今、頭の中でモヤモヤっと次回の作品の冒頭部分が
浮かびつつあります。
次回「さらやしき」、初動ミスのないように・・・
戦いはこれから6月まで続きます。
[277] 『ベルリン天使の詩』 投稿者: 投稿日:2003-02-19 (Wed)
昨日のエッセイで述べました映画を
自分の部屋の明かりを暗くして、真剣に見ました。
タイトルは『ベルリン天使の詩』という映画です。
有名な映画です。よってストーリーとか
誰がでてたとか、説明は書きません。
私が感じたことだけを述べようと思います。
まず見終わっての感想・・・凄いの一言です。
何が凄いと思ったか・・・・ディレクションが凄い
演出の凄いところは・・・・表現する上で何ものにも媚びて
いない、説明的なところがない、アイディアが豊富である
そして全体を『静』という空気で包む力強さ・・・かな
格好つけて言うなら、そんなところでしょうが
正直にうれしかったのは、前にこの映画を見た自分は
とっても退屈な思いであったのに、今回はとっても
新鮮で高揚した気持ちで見ることができたことです。
本にもそういう部分があって、10年前につまらなかった
けれど、今、読むと「なるほど〜うむうむ」といった事が
ありますよね。そういう感じです。
特に感心したシーンといいますか、渋いなぁと思ったのは
天使(=霊)である男たちがベルリンの街で
そこに暮らす人々の側に行って、彼らの内面から湧き上がる
言葉を聞くという設定には「こりゃ、参りました」って
感じがしました。人間ではない天使が聞いた言葉・・・・
それは苦悩する人々が実際に口にだせない言葉である・・・
それを天使だけが聞くことができる。
そのシチュエーションを考えたのは、どなたなのでしょう。
感服いたします。
次回の戯曲では霊がでてくる予定になっています。
その霊をこの映画のように
天使にするかどうかはわかりませんが
このような描き方もあったのかという部分で
おおいに勉強になった作品であります。
光とまではいきませんが、なんとなく、なんとなく
ふつふつと・・・何かが私の心に芽生えてきているのは
事実です。
この もやもや感を楽しみながら、苦しみながら
まぁ一週間くらいは過ごすことにしようと思います。
「急がばまわれ」・「決して焦ることはない」
勝手にそう決めている自分がどこかにいます。
まぁ・・・・ぼ・ち・ぼ・ち・・です。
[276] 死後。。。 投稿者: 投稿日:2003-02-18 (Tue)
ノーベル賞とった、お偉いさんたちも
中学しかでなかった、鉄工所ではたらく人たちも
普通の大学をでて、普通の企業で働いている人も
すべて・・・すべての人たちにとって・・・その知識が
いかなるものであるかにかかわらず、誰も知りえない
事柄がひとつあります。
それは『誰も死後の世界をしらない』ということです。
この言葉の前ではすべての人が平等のようです。
しかし貴方は・・・・「当たり前のことやんか!!」
「何をいまさら、わかりきったことを」とおっしゃるかも
しれません。
しかし、私にはこのことが物凄くインパクトのあることの
ように思えてならないのです。
次の芝居の題材はとっても御馴染みの話です。
簡単にいいますと・・・・秘蔵の皿を割ったとがめで
主人に惨殺され、井戸に落とされた腰元が悪霊となって
皿を数えるという怪談話が「皿屋敷」です。
それを題材にして私なりの「さらやしき」を書かなくては
と思っている最近、この『死後の世界を誰も知らない』
という言葉はとってもキーになるような感じがしています。
キーというより、奥深い地下に流れるマントルのように、
話の根源的部分として、それを置いても面白いかなとも
思ったりもしています。そして、それから様々な想像を
数珠つなぎのようにしていければなぁ・・とも思います。
明日、この前、録画した映画をじっくり見ようと
思います。何年か前に一度見た映画なのですが
この前、たまたまBSでやっていたので録画しました。
その中にでてくる詩を書いて今日は眠ることにします。
映画のタイトルと感想は次回のエッセイのなかでということ
にして・・・・・
子供は子供だった頃 いつも不思議だった
なぜ僕は僕で君でない?
なぜ僕はここにいて そこにいない?
時の始まりはいつ? 宇宙の果てはどこ?
この世で生きるものはただの夢?
見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
この世の前の世の幻?
悪があるってほんと?
いったい どんなだった
僕が僕になる前は?
僕が僕でなくなった後
いったい僕は 何になる?
−−−−−−−−−−END−−−−−−−−
[275] 傍観者 投稿者: 投稿日:2003-02-16 (Sun)
全世界的に反戦のデモが行われました。
その数、400万人だそうです。そのニュースを聞いて
わたしたち、日本人がその400万人の中に
何人いたのであろうかと考えてしまいました。
自国の立場をはっきりさせない、玉虫色の背広を着た首相が
います。言いにくいことなのでしょう。
国連の動きを見て、査察団の動向を注意深く考慮に
入れながら・・・・歯切れの悪い答弁が続きます。
他の国が反戦運動をする横で『傍観者』のように
われわれ日本人はじっと意見も言わずに見ているだけの
ように感じます。
「あなたは傍観者ですか?」
「・・・・・・・・・・・」
「傍観者なんですね?」
「・・・・・・・・・」
「傍観してるだけなんでしょう?」
「はい、傍観しているだけです。それしか手段がない
のです。我々の国を守っているのは我々じゃなく
戦争の大好きな国なのです。その国に守られている
以上、逆らえないのです。どうすることもできません。
だから、こうしているのです。」
「それだったら独立した一つの国ではないのですね。
あなたたちの国・・・失礼・・・あなたたちの民族は。」
「そうかもしれません。適度な生活があれば、物質が
適度にあれば、それでいいと考えている人が
ほとんどです。」
「餌を与えておけば黙っている静かな国民なんですね。」
「そうです。」
「あなたもそうなのですか?」
「そうかもしれません。自分のところだけには危害が来な
ければ、それでいいと思っているのです。」
「真の傍観者ですね。」
「・・・・・・・・・」
わたしも日本人の一員として歯切れが悪くなります。
いつになったら、この歯切れの悪さがなくなることやら。
悩まずに考えることを第一歩として・・・今日から。
[274] マイペース 投稿者: 投稿日:2003-02-14 (Fri)
人前ではB型ですと言っています。
マイペースなB型と言っています。
が・・・実は自分の血液型を知らないのです。
昔、一度、母が「あんたはBやで・・・」と言った一言を
信じて、自分はB型だと思っているだけなのです。
父親はAB、母はA・・・兄はABです。
可能性としてはO型以外あるわけです。
大病をしたこともないし、献血に行ったこともないので
本当に知りません。母の一言だけです。
まぁ、それもそれでいいかもしれないなぁと思います。
謎の部分があっても、いいかもしれないと
ええかげんな私は思っているのです。
今回の第四回公演に関しても、それの募集はしておりますが
それよりも今は「ワークショップ」で毎週、いろんな
レッスンを参加された方々とやってゆくのが楽しくて
なりません。
あまり頭の中に次の公演のことがないのかといえば
嘘になると思いますが、そればかり考えていても
なんか、つまらない自分がいるので
『なるようになる』『どうにでもなる』と
開き直って毎日を過ごしているようです。
マイペースです。
しかし、さすがにシナリオだけは、そろそろといった
感じで書く準備に入ろうと思います。
構想は12月の昨年の段階であるのですが
実際に書く・・・実際に打つ・・・
文章化してゆこうかなぁと思います。
それをしても結局は参加される人が確定してから
それの書き直し作業が待っているのですが。
まぁ、このまえの「HOME@HOME」で
まぁいろいろと書き直し作業を繰り返し、繰り返し
やった経験から・・・・シナリオに関しても
『どうにかなる』・『なんとかなる』という
あるしゅの開き直りがあるように思います。
これもマイペースですね。
たまに自分でこんなマイペースでええのんやろかと
思うときがあります。
感性で生きるタイプなのでしょうか。
何ヶ月も前からわずか二日か三日(公演の日)のために
いろいろと細かく準備したりする根性や執拗さは
私にはないのかもしれません。
それが欠点なのかどうかわかりませんが
演劇のための一日より一日の中に演劇が少しあるくらいの
感じが適度でいいかもしれません。
ほどほどに・・・・・ちょぼちょぼ・・・・ぼちぼち
そんな言葉に支えられながら
『マイペース』でゆこうと思った2003バレンタイン
お菓子業界の陰謀の一日であります。
[273] 記憶に残るということ 投稿者: 投稿日:2003-02-11 (Tue)
昨日、S−PROJECTの取材を受けました。
文化振興財団が年4回発行している「バンカル」という
季刊誌の取材でした。次回のその雑誌に私のインタビューが
「播磨地域での芸術活動として新たな動きをする人々」
という感じで載るそうです。
ありがたいことだと思っています。今年は勝負の年!
前向きに、前向きに、GO STRAIGHT!!
とスローガンを決めておりますので、このことが、今後の
励みとなること間違いないと思っています。
後は、ワークショップをしながら人を育てつつ
今年、前半のプロデュース公演の、いろいろな意味での
成功を目指すだけです。頑張るしかない・・・うん。
取材を終えて、その記者の方とS−PROの二回公演に
参加したY君が合流して、居酒屋に行きました。
そこでの話。
記者のFさんは私と同じ大の阪神ファンでありました。
意気投合して、阪神の話でおおいに盛り上がったわけです。
私が彼に質問しました。
「今までの阪神の選手で一番、好きな選手は誰ですか?」
彼は言いました。
「江夏です。」
小学校4年のときの秋のバス旅行で訪れた阪神パークで
買った江夏選手のサインボールと田淵選手のペナントが
私の宝物でした。私も、この頃の阪神が大好きです。
またまた酒席は盛り上がりました。
そして彼は、江夏選手がノーヒット・ノーランをした
中日戦(この試合が凄いのは江夏自身がサヨナラホームラン
を打って、延長戦をたたかって勝利を決めた・・ノーヒット
ノーランだった試合だったからですが)
江夏選手が広島時代、近鉄との日本シリーズ第七戦9回裏で
投げた『江夏の21球』と呼ばれる名場面を
話はじめました。
特に江夏の21球については、その一球一球にかんしての
コメント入りで話されたことに、これはただものの阪神
ファン、いや江夏ファンじゃないなぁといった印象を
受けました。参りましたって感じです。
いつまでも、いつまでも、自分の利害関係以外で
記憶に残ることって少ないと思います。
それを鮮明におぼえていることは、凄い感動を与えて
もらったからこそ、心に残っているのだと思います。
何か・・・私たちの活動も・・・そこにあるのかなぁと
ふと思いました。お金では買えないものがあるとしたら
それは・・・感動・・・心に残るものを与えられること
・・なのかもしれません。
『記録よりも記憶に残る選手』というフレーズがありますが
私どもの芝居も観客動員が姫路で一番の劇団というよりも
少ない人数でも来ていただいた方々の心の片隅に
いつまでも残る芝居でありたいと思っています。
それで観客が徐々にでも増えていけばいいなぁと
二次的な要素として考えるくらいにしておきましょう。
今朝、起きて新聞欄をチェックしてびっくりしました。
BS7で午後十時からNHKスペシャルで昔、放送した
『江夏の21球』という番組があるではないですか。
NHKは放送50周年として2月から昔、放送された
質のいい番組の再放送をやっています。
多分、それの一環としての番組だと思います。
このタイミングのよさは・・・・不思議な気がします。
F記者が熱く語られた『江夏の21球』、録画しています。
録画したそれを何度も何度も見て、もう一度
感動してみたいと思います。
[272] 名前を名乗るということ 投稿者: 投稿日:2003-02-09 (Sun)
会社に毎日、次の日の人員のことで電話をしています。
ある日、若い女性が電話をとりました。
会社の名前を言いました。わたしはわたしの名前を
部署の場所を言ってからその後に言いました。
彼女ははじめて私と話すにもかかわらず名前を
いいませんでした。そうか・・・たまたま違う階の経理の
人が業務部に来てとっただけなんだろうと思いました。
それなら・・・いいか・・・違う部署だし・・・
しかし、次の日も彼女が電話をとりました。
同じように名前を名乗りません。不思議な気持ちで業務的な
話をして、その場は終わりました。
次の日は部長がでました。そこで私はその女性のことを
たずねました。すると彼女はHさんといって
最近、会社の業務部に入りたての人であることが
わかりました。その話を聞いて、少し複雑な気持ちに
なりました。嫌な気持ちにもなりました。
初めての同じ会社の現場の人間と話をするときに
この度、入社した○○ですとなぜ名乗れないのか。
彼女はとっても若いです。社会にでて何年もたって
ないでしょう。しかし、しかし・・・です。
S−PROの活動を2001年からやって
応募のメールを送ってこられる方にも名前をきちっと
名乗らない人がいました。BBSの書き込みにも
名前を名乗らずに、好き勝手を書いてある人も
いました。前者では、その質問に答える前に
名前や年齢などを送ってくださいという旨のメールを
うつことにしていますし、後者は管理人さんにお願いして
削除してもらうようにしています。
見知らぬ人間同士が出会うときに、
『自分の名前を名乗ること』は最低限の常識であると
考えています。ネット社会の人口が増えれば増えるほど
見知らぬ人同志の出会いが増えてゆくことでしょう。
不特定多数の社会でこそ、守らなきゃならない
ルールがたくさんあると思うのですが・・・・・
[271] 第一回ワークショップを終えて 投稿者: 投稿日:2003-02-07 (Fri)
『神は飢えている人、病の人、裸の人、家のない人の中に
おられます。飢えといってもパンがないためだけでなく
愛、おもいやり、だれかの「あなた」でありたいことの
飢えなのです。また裸といっても服がないだけのことで
はなく、見ず知らずという理由だけで、優しい心づかい
を示してもらえない意味での裸であり、家がないという
のは、石で造った家だけでなく、自分を招き、受け入れて
くれる人を持たないゆえの家なしなのです。』
4日の講義でマザーテレサに興味をもちました。
これは、いろいろと彼女の言葉があるHPを訪れた結果、
私が一番、気に入った言葉です。
まだまだ、もっともっと知れば、好きな言葉や文章が
あるかもしれません。
この言葉を自分なりに考えてみました。
すると・・・・神様のおられる場所には・・・・
なにもない場所なんだなぁと思いました。
「得る」ことばかり考えていてはよくないのだなぁ
「捨て去ること」も「裸になること」も考えなくては
いけないのかなぁ・・・ふとそういう気落ちになります。
実利ばかり追いかけていては、苦しくなるのは
そのせいなのかもしれません。
昨日、ワークショップをやりました。
実際に役柄をもらって、芝居の練習というものでは
ありません。実利的な感覚のものではありません。
しかし、テレサの言葉をかりていうならば、こうした
地道な、なにも得られないかもしれないことに
「芝居の神様」がいるのかもしれません。
基礎をおろそかにして、自分が出演するときにだけ
芝居の練習をする・・・・そんな人々が上手くなるわけが
ないと、神様がおっしゃりそうな気がしています。
昨日、来られた皆さんをいつまでも「芝居の神様」が
見続けておられること・・・・確かなことだと思います。
[270] 『愛』の反対の言葉は。。。 投稿者: 投稿日:2003-02-04 (Tue)
今日は今、勤務している施設の総合訓練でありました。
基本動作や護身術や消防訓練などをやった後の
最後に人権にまつわるビデオを見て、そのあとに講師の
方から講義を受けるというのがありました。
そのときの話です。
「翔太のあした」というビデオを見終わった後に
姫路市の市民局・人権啓発課(こういうの、あった事に
すこし驚きましたが)の先生の講義の話の一部分が
興味深かったので、ここに取り上げることにしました。
ビデオは女性の人権についてのものでありましたが
先生は、女性、男性の区別のない社会はどういうもので
あるか・・・それをお話になります。
その説明の中で、先生はわたしたち約100人強の人間に
質問をされました。「愛の反対語はなんですか?」と。
誰も応えません。一番後ろに座っていた私は心の中で
「憎しみ」や「憎しみ」や・・・とつぶやいていました。
すると先生はこう言いました。
「多分、皆さんは、憎しむことが『愛する』の反対の
言葉だと思っている人が多いかと思います。
しかし、それはあまりにも教科書的な優等生な答えです。
私が尊敬するマザー・テレサはこう言っています。
愛の反対の言葉は無関心であると・・・・」
『無関心』・・・・『無関心』・・・『無関心』
私は三回、心の中でつぶやきました。
なるほど・・・なるほど・・・・なるほど・・・・です。
この先生の講義の中で唯一、感心した言葉でありました。
愛するということは、何かを前向きに積極的に感心を
持ってみつめることだと続きます。
これもなるほど・・・・です。
流行歌で簡単に『愛』という言葉を大安売りのごとく
使っています。それを聞くたびに、この詩を作った者は
真剣に『愛』という言葉の意味をわかって、考えて
使っているのだろうかという疑問を持つことが多々
あります。
反対語から『愛』というものを考えるのって
何か新鮮で、こういう手もあるのかと、はっとさせられたと
いうのが実感です。
皆様も一度、それぞれに思う、自分なりの『愛』についての
反対語を考えてみても面白いのではないでしょうか。
『愛』だけに限らず、抽象的な言葉、例えば『自由』とか
『希望』とか『人生』とか、教科書にのっている反対語では
なく今まで自分が生きてきた経験則からでてくる言葉を
考える作業って面白いかもしれませんね。
愛することがわからなくなったとき
無関心な自分を捨てて、なににでも興味を抱いて
前向きに生きていけば、道が開ける
そういう感じがしてきた単純な私であります。
あなたも・・・何かに、誰かに・・・・
関心を持つことからはじめてみませんか?
それが『演劇』なら・・・ご一緒に・・・S−PROで・・
お待ちしています・・・少し宣伝も・・・です。
[269] ゆめ日記? 投稿者: 投稿日:2003-02-01 (Sat)
姫路でない、どこかの街に行き、ふらっと、お芝居をみることに
なる・・・
その会場にはいると、びっくり!・・・そこは、お寺の本堂の
ような場所で、下が畳で大きなツイタテが城壁のように舞台前面に
立っている。しばらくして暗くなる。明かりがつく。
その壁の前に30人くらいの人間が修学旅行の記念写真を団体で
とるような感じでこちらを向いている。
変な芝居が始まったものだなぁ・・・そう思っていると
その中の人々がパート、パートで(4から5人くらいかな)
会話をはじめる。重なりながら、話しているので
どこのパートを聞けばいいのか迷っている私・・・・
うすぐらい明かりがしだいにあかるくなり、そのパート、パート
の人々がくっきり写し出せれて・・・またびっくり・・・・
私が大学のときの芝居仲間(同級生や後輩、また他の大学の面々)
・・・・東京の劇団のときの同期の人々・・・・・
その後、自分たち有志で作った劇団にまつわる人々・・・・・
そして最後にS−PROで芝居に携った人々・・・・・
ようするに私が今まで知り合った人々がでている芝居なのです。
なんで、こんなぶらっと時間つぶしに立ち寄った名も無き劇団の
公演になぜ? なぜ? なぜ? 疑問符が頭の中を
駆け巡る。彼らの会話はいっせいで言っているので聞き取れない
のですが・・・多分、私のことを言ってるのかなぁ・・・・
何を言ってるのかなぁ・・・神経質の私は気になっている・・・
しばらくして彼らの会話が同時にやみ、後ろから大声で
「おーい!!」と呼ぶ声がする。振り向く。誰もいない。
前を向く。すると舞台前面にあった大きな壁がなくなり
だだっ広い、宝塚大劇場のような舞台が出現している。
座っているのは畳で今までは小さな寺の本堂みたいな場所で
あったのに・・・・この変わりように・・・驚く
すると壮大な曲が流れ、礼服を着た男女が踊りだす・・・
それも私が出会った人々なのだろうか・・・・はっきり
顔が見えない・・・劇場が広すぎて・・・見えない
けれど優雅に踊っている・・・しなやかに踊っている・・・
そこで目が覚めた。
ゆめだったのか。それにしても変な夢だなぁ・・・・・
よく夢は毎日のように見るのだが・・それにしても・・・
夢占いってあるけど、今日の夢はどんなものなのでしょうかね。
もう連絡もつかない、どこでどのように過しているか
わからない人たちが、ほとんどです。夢にでてきたのは。
私にとっても二月が今日からはじまるし、その人々も
おなじようにはじまるし、同じように朝になれば、陽があたるし
・・・・・同じ時代を生きていること
生きていたことだけでありがたいなぁと懐かしい顔を見た私は
しみじみ思うのであります。
出会った、すべての人々の健闘を祈り、自分自身も
頑張らなきゃと思う『夢』だったのだと勝手に分析して
おくことにしましょう。
[268] 雪が舞った一日 投稿者: 投稿日:2003-01-29 (Wed)
朝起きて窓から外の景色を見ると一面の銀世界でした。
一瞬、わぁ〜きれいだなぁ・・・と思ってしまいましたが
すっとこどっこい・・・これが大変な一日の始まりになるとは。
違う西側の景色を見ようとして窓を開けようとすると
窓があきません、凍っているのです。
マンションの自転車置き場から自転車をこぎはじめ
道にでたとき、スルッと車体が横滑りしました。
これはえらい事になっているのだと実感した始まりでした。
道行く自転車、バイク、車、人の動きがいつもとは違います。
すべてにおいてスローモーションなのです。
変な感じがしましたが、私も自転車に乗っていると
いつ転ぶのかと、不安な気持ちがして、スローになってしまします。しかし、遅れるわけにはいきません。
自転車を押してゆく人々をしりめに、スピードをだし
氷結してない道を選び選び、なんとか、いつもより5分遅れで
事務所に到着することができました。
本当に着いた時は、あぁ〜無事についたんだなぁ・・・・
と安堵の気持ちになりました。やれやれ・・ほっ・・・・
こんな気持ちになるとは思いもよりませんでした。
日中も風がメチャクチャ強く、ブリザードってこんな感じなのか
なぁと北極あたりのことを思ってしまいます。
私たちが整理の為に置いたバリケードが倒れます。自転車や
宣伝広告ののぼりも倒れます。あちこちでバタン、バタンと
音がします。公園にいつもいる鳩が震えて、固まっています。
微動だにしません。寒いです、みんな、みんな・・・・・・
事務所で待機している人たちの話は今日の「寒さ」のことばかり
です。
『ある・おっちゃん』がこう言いました。
「雪なんか降らんと、金が降ってくれたらなぁ・・・」
それを受けて、『隣のおっちゃん』が
「金が降ってきても、しゃないやろ・・・・・」
『ある・おっちゃん』が 「なんでやねん?」
『隣のおっちゃん』が 「皆、拾うんやで、皆、金持ちに
なるんやで。あんただけとちゃうんやで・・・わかるか?」
すこし間があって、『ある・おっちゃん』が意味がわかった
らしく・・・・「なるほどなぁ・・・」と。
『隣のおっちゃん』の隣の机で今日の報告書を書いていた私は
たわいもない、二人の会話を耳にして、なんだか
ほのぼのとした気持ちになりました。
雪が舞った、本当に寒い、寒い一日・・・・・・
そんなときこそ、心の中だけは、ほのぼのと、あったかい気持ち
でいることが大切なのかもしれません・・・・・・・ネ。
[267] リラックス 投稿者: 投稿日:2003-01-26 (Sun)
正しい発声には体をリラックスしなければならない。
・・・・そう専門書では述べております。
その為の体をリラックスさせる方法も書いてあります。
リラックスする体・・・これが本当に難しいです。
まぁ本に書いてあることは練習でするとして、普段どれだけ
リラックスして一日を過ごしているかと言えば
あまり、その時間は長くないように思います。
まず他者がいるときには必ず意識をします。
その他者が縁遠ければ縁遠いほど、知らなければ知らない程
リラックスできなくなります。
無意識のうちに・・・・・無意識のうちに・・・・
手が動く・・・指が動く・・・顔が赤くなる・・・
そういったことがよくあります。
人にとっては素直なことだと思いますが
役者にとっては、よくないことのようです。
意識をして、体を動かせること。自己の指示どおりに
体が動くこと・・・演出家のとおり・・体を動かせること。
そのために・・・・まず力をぬくこと、リラックスした体を
つくること・・・それが第一歩なのかもしれません。
リラックスした体作り・・・・・それは訓練でできるものだ
と思います。
体の柔らかさとか筋肉が発達しているとか・・・・
そういう問題ではないので・・・・一市井の、普通の
一般の人、演劇初めての人、一度、リラックスした体を
作ってみませんか?
そして、そのリラックスできた体から今までにない魅力的な
声をだしてみませんか?
二月から毎木曜週一回・・・三月末までの計八回という
少ない期間ですが、得るものは大きいことだと思います。
そのために毎日、レジメ作りに奮闘している日々です。
[266] 正しい発声 投稿者: 投稿日:2003-01-23 (Thu)
二月六日から一週間おきにワークショップをしようと
思います。演劇に携わってきて自分なりには、きちんとした
声がでるようになった気がしておりました。
それは大学に入って英語劇のクラブでやった、あちゃら式
の発声訓練法によるところが大きいのではないかと
最近、思っています。
といいますのも、今回のワークショップのテーマが
「正しい発声」を身につけるにはといった、本当に基礎の
基礎のそのまた基礎の部分を丁寧にいちからやろうと思った
そのときから専門書等をあさり、ときにはネットなどで
参考資料をコピーしたりして、ふむふむ
あっ!!!そうか!!!なるほど!!!
えっ????で、どうだ!!!キャー!!!!
まぁいろいろなメソッドがあるものだなぁと
いろんな驚き方をしながらも、自分が当時やっていた
「あちゃら式発声法=英語の発声法」がほとんどの文献に
書かれていたことであります。
例えば「S」サウンドと呼んでいた発声音があります。
何気なく先輩のみようみまねでやっていたのですが
それが声帯を使わずに腹式で音をだす準備としては
最適な練習方法であるという文章を読んだとき
へぇ〜 そうだったんだぁ〜 何も考えずにやってきたけど
間違いではなかったんだ、と変に感心してしまいました。
なんと約20年もかかって、それの意図を知るとは
勉強不足の一語です。まぁ救いは理屈がわからなくても
実際にやってみることが大切なことなので、それを長年
やってきたことは自分なりの財産かなとも思っています。
まぁ・・・その色々な専門書をわかりやすくまとめる作業を
して、2月、3月と「正しい発声」をいかに手にいれるか
という事をやっていきたいと思います。
このエッセイを読まれた方で芝居はどうも・・・
でも自分を変えたいなぁ・・・と思われた方がいましたら
ご一緒に自分の声を魅力的な声に変えてみませんか?
『メイクやファッションに気を使う人が多いけれど
自分の「こえ」や「からだ」に気を使う人は少ないです。
自分が持っている「顔」に対しては髪型やメイクを
一生懸命に研究するのに、どうして「こえ」や「からだ」
は研究しないのでしょうか。
「こえ」や「からだ」はファッションや髪形、メイクと
同じように感心を持って努力すればするほど
素敵になってきます。・・・・・・・』
専門書の導入でこう書かれていました。
なるほど・・・・です。
一人間として、自分で自分の声を意識して
表現たっぷりに、いろんな声がだせたら魅力的でしょうね。
楽しみながら、丁寧に、最初の一歩からはじめますので
多くの方の参加をお待ちしています。
演劇のためにだけ「正しい発声」があるのではなく
生活を豊にするためにある・・・それが今回の狙いで
あるかもしれません。
[265] 悲しい年金 投稿者: 投稿日:2003-01-22 (Wed)
今日の事件です。新潟県で自分の両親が死んでいるのを
隠し、その両親の年金を受け取っていた50歳の男が
逮捕されました。詐欺罪だそうです。
こんな話を聞くたびに、人と金の在り方を考えてしまいま
す。幼い頃、祖母が私に「貧すれば鈍する」という言葉を
口をすっぱく言っていたことを思い出しました。
多分、この詐欺罪でつかまった無職の男は
親の年金で生活していたのでしょう。悲しいことです。
さらに悲しいことは供養もせずにミイラ化するまで
遺体をほったらかしにしていた、その男の神経です。
悲しいです。この男は特異な例かもしれませんが
何だか、人の命とひきかえに生命保険を受け取る人間など
とも共通のものを感じてしまいます。
何のために生きているのか、何のために家族があるのか
何のために金というものがあるのか・・・・・
特異な例の裏側にある根源的なものを
この事件を知った多くの人々が、見つめなおすことになれば
この人の両親も報われるかもしれません。
電車に乗って「ペースメーカーの方々のために
携帯の電源をおきり下さい」といったアナウンスの声の下
がむしゃらに携帯でメールしたりゲームしたりする人々に
遠からず、この事件の背後にひそむものとの共通性を
感じているのは私だけなのでしょうか。
海や山や川が美しかった頃に、このような悲惨なことが
あったのでしょうか。高度経済成長をするために
亡くした自然をもう一度、とりもどしたときになって
みないと、その答えはわかりません。
生まれた瞬間から汚い川と海と山しかない世代の人々が
増えている現状であります。
今からでも遅くないと思います。ダムを作ることばかり
考えている政治家や新しい校舎ばかり建てている町長に
NOと言わなければ、手遅れになるような感じがして
います。・・・・・統一地方選挙の年です。
今年は、よく考えて選挙に行くことにします。
[264] 引き際 投稿者: 投稿日:2003-01-20 (Mon)
今日、横綱・貴乃花が引退しました。
30歳だそうです。お相撲さんの引退ははやいです。
人間みんないろいろな意味で『引き際』というものが
あるようです。スポーツ選手の現役は本当に短くて
一瞬しか輝いていないように思えます。
お芝居では体力的なものの衰えはあるのでしょうが
宇野重吉さんしかり、山田五十鈴さんしかり
森光子しかり・・結構、年がゆくまで現役で、いい味を
だしている役者さんがいます。
この前、森光子さんが『桜の園』に主役ででてらっしゃった
テレビを拝見しましたが、しゃきっと立っている姿には
ただただ感動の一語です。一番、演劇において立ち姿勢が
重要だと思っているものですから。
プロとしてやっているから、引退があるだけで
アマチュアなら貴乃花が相撲好きなら続けられるわけで
すが、多分、彼は相撲はそういう形はとらずに
後進の指導にあたることになるでしょうね。
いい力士をいっぱいだして、かげりがでてきた相撲という
スポーツを盛り上げていってほしいものです。
人生の引き際と私が携わっている演劇というものとの
『引き際』が同じであればいいなぁと漠然と今、そう
思います。
『舞台の上で死ねたら』・・・そういう言葉がありますが
私は舞台にでる役者ではないので
『自分が作った舞台を見ながら死ねたら』・・・・・
そういう感じですかね。
まだまだ、これからだというのに、ついつい引き際を
考えてしまった一日でありました。
[263] 「親分」のいない時代 投稿者: 投稿日:2003-01-17 (Fri)
深作欣司監督がなくなりました。
「仁義なき戦い」シリーズではヤクザ社会での
親分と子分の任侠を描き、「蒲田行進曲」では
スターさんと大部屋役者との人間関係を描きました。
彼が亡くなって思うのは、彼が描いてきた
このような人間関係をもし今の時代に描いたとしたら
はたして現代の人々(特に若い世代の方々)は理解すること
ができるのだろうか、受け入れることができるのであろうか・・ということであります。
様々な人間がいて、何かひとつの物事をスムーズに
迅速に為しえようとするとき、人はその場面場面において
「決定」を下さなければ、前に進みません。
「決定」事項が決まっても、それに一致団結して
その社会における構成員が協力体勢をとらないと
何事も前に進みません。
そうしたとき必要になってくるのが「リーダー」
であると思います。
しかし、真のリーダーは今の日本にいるのだろうか?
そういう疑問を抱いてしまいます。
小泉さんが構造改革、構造改革といっても
あまり変わっていないし、今まで甘い汁をすっていた族議員
たちに圧倒されているかのような感じです。
鳩山さんも党内選挙で正式に選ばれたにもかかわらず
挙党体制をつくれずに、失脚してしまいました。
それを受けた菅さんがなっても異分子が党を割って
前途多難な感じがします。
何故、こうなっているのか・・・・その答えが
深作監督が描いた過去の作品にかくされているような
気がしてなりません。管理教育、平等主義のもと変わらずに
戦後の日本はきたように思えます。汚い部分から目をそむけ
暴力を排し、日本国株式会社にそぐう機械的な人間を
よしとするよう教育してきたように思えます。
管理からは秩序ある人間を産んだのでしょうが
同時に「いじめ」というものを生み、平等主義からは
リーダーとしての能力を持たない人間を生み
汚い部分を隠し暴力を排除することから、痛みのわからない
人間を生み、その人間たちが「切れる」という言葉を生み、
切れた人間からは悲惨な事件を生んでいるように思います。
私の幼い時代は、いじめられる人間もいましたが
それを守る人間もいました。番長といって、学校で
自己の強さをアピールして、何人もの子分を従えている
者が、その代表格であったように記憶しています。
「番長」と「子分」の人間関係は、まるで蒲田行進曲の
銀ちゃんとヤスのようでありました。
「番長」は面倒みがいいし、自分のことよりも「子分」の
ことを大切に思っていました。
任侠の世界でも同じだと思います。
ミーちゃん、ハーちゃん、みんな仲良くの平等主義では
もう前に進まないような時代になってきています。
どの集団でも誰かが一応、決定して動いているのでしょうが
その決定するイニシアティブをとる人間が、あまりにも
自己的で、われが、われがと、自分が一番可愛い人間で
あったり、自分の意見以外はすべて間違っているなどど
つけあがった人間であったり、自己犠牲できない人間で
あったりすると、必ず、その集団は滅びることになると
考えます。
はやく今の日本にも昔ながらの「親分」の出現を
望みます。あまりにも今の危機的な状況を打破するには
それしかないような気がするのですが・・・・・・
[262] 『寿命』 投稿者: 投稿日:2003-01-15 (Wed)
余命一年と言われてから、もう四年めを迎えようとしています。
抗がん剤との闘いで、細く、細く、軽く、軽く、小さく、小さく
なってゆきながらも、自分の力で歩く母の姿を見るたびに
ささやかですが、ある種の感動を覚えます。
今年のお正月、母は私に言いました。
「私が、この病にかかってから、とっても親しい友人が
この世を去りました。病気と寿命は違うのやなぁ。」と。
人は必ず死にます。死後のことは誰も知らない。
死ぬ事は恐怖でしょう。まだ私には実感として、その恐怖という
ものをはかり知ることはできません。年老いてゆくにつれて
それが強くなってゆくのかどうかもわかりません。
ただ、ぼんやりと思うことは、ずっと死ぬ間際まで
本当に好きなことに携っていられたら、「死ぬ」ということの
怖さを考える時間がなくて、それはとっても幸せな事かなぁと
思うことくらいですか。
長期に入院なんかして、死を待っているような状況だけは
嫌です。元気で、ころっといくのがいいかもしれません。
まぁ、そんなこんなを言っても、『寿命』というのは
神のみぞ知るものでありますから、あくまでも希望なのですが。
次回の作品には、『生と死』というものをベースに
生きている人間と死んでしまったけれど、まだ現世に未練のある
人間(人はそれを幽霊と呼ぶのですが)との問答なんかを
織り交ぜて面白いものにできればなぁと漠然と思っている
次第であります。
私の「寿命」はいくつなのでしょう?
それが、わからないから楽しく愉快に生きていくことができる
・・・・・わからないから・・・・面白い。
つきつめるのもいいですが・・・・わからないことは
わからないこととして受けとめることも大事かなぁと
思い始めた40代の始めです。
[261] 新・成人 投稿者: 投稿日:2003-01-13 (Mon)
今日、街では晴れ着姿の女性をよく見かけました。
『成人式』だったんですね。1月15日に馴れている世代なので
13日という日はピンときません。
前のエッセイにも書いたのですが、やはり意味のある日が
それを祝う日にしたらいいのにと、ハッピーマンデーを
考えた人のセンスのなさに困惑しています。
それは、さておき、こういう晴れ着や紋付姿を見ると
自分が新・成人になった日を思い浮かべます。
あの時、自分は何を考えて、成人の日を迎えたのだろうか。
正直、あまり何も考えていなかったのが本音ですか。
今年、成人になられる方は1982年生まれの方が
ほとんどです。1982年といいますのは、私が大学に入学し
芝居というものに始めて出会った年であります。
今の成人の方々が生まれて育ったきた分、演劇というものに
良かれ悪しかれ携ってきた事を思うと、えらい長いこと
まぁ、あきもせずに、やっているなぁと思います。
自分では昨日のことのように最初に見た下鴨神社での状況劇場や
初めて自分がでた芝居(テネシー・ウィリアムズ作)の事を
鮮明に覚えております。
あぁ・・・あれから二十年かぁ・・・・
思えば遠くへ来たもんだ。・・・・どこが遠くなんやろ・・
地元に戻ってるやん・・・・元の鞘かぁ・・・・
まぁ・・・・自分ではどうしようもできない・・・・・
いろいろな要因で・・・・ここまで来たんだなぁと・・・
自分の20年間(大学入学から現在まで)の歴史を振り返って
しまいました。
あの時より容姿や経済状況は変わりましたが
『いつも前向きに・・・・・希望をもって生きる』ことだけは
変わらないと・・・・思ってはいるのですが。
[260] 『核』 投稿者: 投稿日:2003-01-11 (Sat)
北朝鮮がNPTの脱退を表明しました。
そして、今日、弾道ミサイル実験を開始することを
示唆するコメントを表明しました。
『核』という言葉を聞くと、どうしても我々日本人は
敏感になってしまうのです。
被爆国であるということが大きな要因であるのでしょうが
もう、あれから58年目です。
あまり、核・核・核といわずに、冷静に世界全体を
じっくりと見てみるのもいい時にきているのでは
ないのかなぁと思います。
大国だけが、核を保有している現状、大国だけの意図ばかり
まかりとおっている国連、大国だけが持つ正義・・・
着実に経済成長をとげていた日本経済にたいして、バブルを
つくり、それを崩壊さし、そして、その崩壊によって
誰が得をしたのか・・・・年金だけを頼りにして、それを
銀行に預けて老後を考えていた人々の生活設計を
奪ったのは誰なのか・・・・・
その答えは国内になく、外にいると思っています。
自分の国の憲法も人様につくっってもらう国って
本当に独立国家ではないという感じがしています。
今、北朝鮮のことを言う前に
我々の国に原爆を落とした国を非難し続けなかったことを
反省し、彼らに対する接し方を今一度、考え直してみる
いい機会が今回の北朝鮮問題ではないのかなと思います。
反戦運動で20万人が集まったことをあまり報道しない
彼らの国の『戦争をあおるマスコミ』に注意しながら
これからの事を冷静に見ていこうと思った一日でした。
[259] フォーク・クルセダーズの残音 投稿者: 投稿日:2003-01-08 (Wed)
1月5日の朝、フォークルの「大統領殿」というエッセイ
書いて、仕事をし、そして、夜に芝居を見に行きました。
その芝居のメーンの曲が、「悲しくてやりきれない」で
次の日、偶然につけたサンテレビで夜8時くらいから
「フォークルの原点・京都」って感じの番組をみて
あの有名な「イムジン河」の訳詩をした松山猛司さんの
お姿を拝見でき、「オーブルの街」の逸話を聞けたり
・・・もう正月あけから、フォークルの音楽が頭に
こびりついております。録画したビデオからお気に入りの
曲だけをMDに落として、今、こうしてエッセイを書いて
いる間も、加藤さんや北山さんや坂崎さんの歌声が
聞こえています。
私の青春時代よりも前の世代の、こうした音楽が
新鮮であり、私の心にフィットしている感じで
どの曲、どの曲を聴いても、涙がこぼれそうになります。
センチな私には、やはり加藤和彦氏が作った、なんとも
いいようのない旋律がはまってしまったようです。
複雑な曲はほとんどありません。「あの素晴らしい愛を
もう一度」のように簡単な部類のメロディーが多いです。
シンプルな曲でこれまで人を感動さすことができるのは
物凄く難しいことだと思います。
演劇の戯曲を書くにあたっても、どうしても最初は
話をこねくり回してしまいます。というか、こねくらないと
話が作れない・・・・そういう感じがします。
こねくらずに、シンプルにいつも書こう、書こうとは
思ってはいるものの、まだまだ修行が足りないのか
煩雑なものしか書けてないようです。
『フォーク・クルセダーズの残音』をいつも頭に残し
それが浮かぶたびに、シンプル・シンプル・シンプルと自己
を戒めて、第四回の作品を書こうと思っています。
あぁ・・・「花の香り」・・・みたいなイメージの戯曲が
いつになったら書けることやら。
せつなく、少し明るく、ほんのりと美しく
薄桃色に色づいた世界・・・ガンバローっと、ふっ。
・・・・・・
[258] 大統領殿 投稿者: 投稿日:2003-01-05 (Sun)
久しぶりに詩を書こうと思います。
今年は何か、世界のどこかで戦争が起こりそうな感じです。
今日、昨年の年末に録画しておいたコンサートを見ました。
そのコンサートで歌われていた『大統領殿』という詩に
感銘を受けました。
ハッ!っとしましたね。
われわれの同盟国が戦争大好きな国家でしたよね。
その国を挑発している国がいろいろとありますよね。
憲法、今の雰囲気でいけば、変わりそうですよね。
流れは・・・・流れは・・・・・
女追いかけてる場合じゃないですよね。
男に貢物ねだってる場合じゃないですよね。
ここ何年かで『保守的になる若者たち』という言葉も
聞かなくなりましたね。完結したからでしょうかね。
とりあえず・・・今日・・・「大統領殿」です。
「大統領殿」
お偉いさんたち 読んでほしい この手紙を
とうとう僕にも戦場へ行けと 徴兵カードをもらったところ
だけど 僕は戦いたくない
見知らぬ人を殺したくはない
あなたたちは怒るでしょうが
僕は逃げよう 地の果てまでも
父は昔、戦場で死んで 子供たちは泣きじゃくってた
女手ひとつ 苦労していた母も 今は墓の中
罪なきものが 罪なきものの命を奪う 悲しみの日々
自由のために国を守れと 戦場に消えて 夢奪われて
この戦争にどんな大きな意味があるのか
僕は、毎日考えぬいた
どんな正義も見つけ出せない
だから僕は戦いたくない 罪なき人を殺したくはない
僕は逃げる 卑怯と呼ばれても・・・・
憲兵たちよ 撃つがいい 撃つがいい
またひとつ考えることが増えました。
フォーク十字軍さん、ありがとうございます。それでは
[257] 先入観 投稿者: 投稿日:2003-01-03 (Fri)
年末の紅白が史上第三位のワースト視聴率だったそうです。
それを食ったのが「ボブ・サップ」だったそうです。
しかし、多くの人々が大晦日に見た、ボブ・サップの勝ち方
が腕ひしぎで決まったとき
えっ?こんな筋書きええの?ちょっと待ってくれー!
と物足りなさを感じずには、いられませんでした。
ぼこぼこの「どつき合い」を期待していたのに・・・・
そうか・・・そうか・・・もう「ボブ・サップ」という
名前が売れてしまった今となっては、もうハードに
闘わなくてもいいんだ、何も危険なことをしなくても
「ボブ・サップ」は凄い、怖い、強い、といった先入観が
視聴者にはあるので、まぁこんな感じで試合をまとめたら
どうかな、そうしよう、それでいこう
と、どこかの誰かが筋書きでも作ったかのように。
「先入観」というのは、何事もつまらなくします。
あまり、よくはないですね、先入観をもって人に接したり
物事をしたりするのは。たまたま・・・・偶然・・・・・
何も考えず・・・行き当たりばったり・・・・・
そんな感じのとき、心動かされることが多いです。
でも人間には記憶というものがありますから
何らかの形で先入観を持っているのは事実です。
大切なのは、その先入観をどの程度信じるかという事なの
ではないかなぁと感じております。
今年は、できる限り、近場での芸術に触れることを
決めた以上、あまり、最初にこの芝居はどうだとか
この絵画はどうとか、この映画はどうだとか
先入観を持たないで、見に行こうと思います。
見る前に知ってしまうと、よくないこと、面白くないこと
のほうが、はるかに多いような気がするものですから。
自分の懐は深くして、今年は生きることにしましょう!!
と思った、新年会後、ほろ酔いの夜です。
[256] 今年のスローガンは。。。 投稿者: 投稿日:2003-01-01 (Wed)
新年あけましておめでとうございます。
昨年同様、ご愛顧のほどよろしくお願いします。
いろいろ大晦日から今年のスローガンを熟考いました。
その結果、今年、2003年、平成15年は
シンプルに『GO STRAIGHT』にしようと
思いました。
昨日のエッセイで述べましたように
何か私なりに見えてきたものがあるので、後はただそれを
追いかけて、まっすぐに行くことだけかなと
単純におもったしだいです。
何にも惑わずに、何にも動じずに、何をも恐れずに
まっすぐに行ければ・・・・自ずと結果はついてくるのかな
と思います。
どうか今年も暖かい目で私どものプロジェクトを
見守ってください。頑張りますので。
それでは、ここまで読んでいただいた方々の
ご発展とご健康を祈りつつ、2003年の初エッセイ
おえることにします。さぁ〜今から初詣、行ってこよっと!