[戻る]
2005年

[596] MUTEな人生 Date:2005-12-06 (Tue)
静かにはじまり 静かに終る
おさえた声ではじまり おさえた声で終る

ささやかに ささやかに
ささやくように ささやくように

人の目ばかり 意識するのは お馬鹿さん
誰も貴方を見ていない 見ているのはただ一人
自分の中の もうひとりの貴方だけ

それも知らずに お馬鹿さん
せっせせっせと 周りばかりを見ている

貴方を見ている『人』と会話をしないと
貴方はいつか壊れてしまう
貴方のこと 一番 知ってる『人』なのだから

力がないのに それ以上のもの でるわけない
言葉がないのに それ以上の言葉がでるわけない

背伸びせずに 自分の言葉で
格好つけずに 自分の言葉で
拙くても   自分の言葉で

淋しがりやとは名ばかりの
幼稚な大人子供が今 増えている
それは 無知の知という言葉に例えるならば
無我の我かもしれない

それを解決するにはミュートに生きることだろうな
ただ なんとなく そう思う





[595] カニ雑炊 Date:2005-11-27(Sun)
今年 初めて カニを食す。
美味なり。
最後の楽しみ カニ雑炊。
日本人でよかったと 思う一瞬。

鍋をして思う。
一人じゃつまらないだろう・・・・と。
楽しくないだろう・・・・・と。
家族があってこその・・・鍋だと。

鍋に合うのは、日本酒だと
決め付けているのか どうなのか
我が家は 日本酒ブームである。
青森の地酒を送ってもらったので
ちょっと飲んでみようかというのがキッカケ。

青森県百石町 新入社員研修でお世話になった町である。
そこの蔵元が丹念に作りはった「お酒」である。
とっても美味である。
あまり、お酒を飲まなかった妻も飲んでいる。
さっぱりして口当たりもよい。しかも、フルーティ。
日本に生まれて、また、よかったと思う。

私はその「お酒」を
飲みながら、青森のことを想う。
あのとき、出会った津軽弁を話す皆さんは
お元気で毎日、大変な仕事をされているのだろうかと。
手が本当にかじかむということを
教えてくれた街、青森は百石町。
カニ雑炊を食べながら・・・・ほろ酔いである。

[594] 自伝的 Date:2005-11-13 (Sun)
自伝的小説という言葉はよく聞くが
自伝的戯曲は?
次回、第九回公演は自伝的戯曲にしようと
思っている。
自伝的といっても、ちと違う。
それは私の自伝ではなく、私の母かもしくは祖母のことを
モチーフにしたものにしようと思っている。
私が生まれた場所は市役所のまとなりである。
市役所といっても姫路市と合併する前の飾磨市の
市役所である。そのとなりで『三木屋』という料理旅館を
祖父と祖母が営んでいた。
その料理旅館も祖父が死んだ後、廃業したそうだ。
廃業しても家屋はそのままで、私が大学をでるまでの
その家は、中庭があり、その中には社がある。お風呂も
その中庭を歩いてく。風呂場だけが独立した建物に
なっている。階段が家に二箇所あり、玄関からも裏からも
二階に上れるようになっている。
まるで迷路のようになっているので家の中で
かくれんぼをして遊んだ記憶がある。
その思い出がいっぱい私の頭につまっている。
木のぬくもり、人情、古きよき日本がつまっていたような
感じがする。
その旅館としていた建物も今はなく、新しいコンクリートの
家がそこに建っている。
でも、その場所に戻り、目をつむると、浮かんでくるのは
今、いった昔の建物の景色である。
われわれは何を残し、何を捨ててきたのか・・・・・
その土地に立ちすくんでいると、捨てられてた『何か』が
私に言葉をかけてくるような感じがする。
その言葉をたくさん、ひろい集めて、次回の作品に
つなげていこうか、そう思う。
過去に思いをはせること、それはちょっぴり素敵なことに
なると信じて・・・・・・




[593] 文化の日なのに Date:2005-11-03(Tur)
文化の日、文化的なことせずに
仕事にあけくれておりました。
最近、お疲れ気味です。それはお家を引っ越すことを
決めたからであります。同じ姫路市内ではありますが
引越し先の片付けあり、今いるところの片付けありと
休みの日返上でお掃除、草刈り、お片づけと
もう大変です。
明日も休みをとり、会社の若い衆を4人したがえて
『大掃除』です。明日は、大型ゴミをだす日ですので
力が入ります。
いらないものを捨てるのは簡単そうに見えて
勇気がいるものだなぁと感じます。
役に立たなくても、今まで使ってきた愛着があるからです。
しかし、捨てないと、新しいものを持ってきたときの
スペースがないので、愛着があっても、ここは我慢して
捨てよう、そう思います。
その中で、どうしても捨てられないものがあります。
それは、古びた『桐の箪笥』であります。
祖母の箪笥です。
祖母が他界して18年になりますが、ずっと置いてあります。
認知症にになった母がそれを捨てたとしても
ああだ、こうだとは、もう言わないと思うのですが、
捨てられません。
その箪笥の中に入っていたものを見れば見るほど
思い出を捨てるようなものだという感じがして
余計に捨てられなくなります。
どうなることやら・・・・・・・といった感じです。
当分、引越しのための、片付け作業が続きます。
サロンシップが必需品になる11月です。

[592] 一か八か Date:2005-10-25 (Tue)
阪神タイガースが三試合続けて、10点を取られて
多分、三連敗するでしょう。
今、甲子園初戦の七回表、一気にロッテが突き放しました。
阪神ファンである私にとっては、つらいものがあります。
スポーツ新聞には、ロッテはプレーオフから
ずっと試合をしてきて「勢い」があるということが
この3連勝につながっていると書くのでしょう。
だけど、このシリーズを見ていて
ロッテと阪神の差は私の目からすると
「一か八か」でやっているロッテとそうではない阪神の
差だと思います。
勝負事は、勝つか負けるかしかない。
そういった本質をわかっているかいないかで
短期決戦の勝敗が決まっていくように感じます。
それをふまえて打者なら、ストレートか変化球か
どちらかに決めて打つか打たないか・・・・・
投手なら相手が山をかけてきていると読んで
何も考えずに、怖がらずに思いっきりど真ん中に
投げこむとか・・・・・・
明日から、どれだけ開き直って、阪神の選手が
『一か八か』しかないんだ、勝負事は!!!!
と思って戦ってほしい、そういう気がします。
野球が好きです。だからもっと見たいのです。
どちらが勝つにせよ、第七戦まで、この日本シリーズが
いってくれることをのぞみます。
頑張ってくれとはいう気にはなれません。
大いなる博打を打ってくれとでも
いっておきましょう。




[591] 笑えない Date:2005-10-15 (Sat)
最近のテレビ、なにみても笑えない。
東京から発信する「笑い」は特に笑えない。
落ちが見え、見えなのに笑う客。
それに支えられているのだろう。
笑えない。

ゆとり教育が学力の低下を生んだらしい。
ゆとり教育が笑いの低下もあわせて生んだのだろう。
レベルが低い、笑いが多い。

そして、人情がない、優しさがない。
人を傷つけたり、揶揄したりすることで
笑いをとろうとする傾向がある。
それを笑う観客は、彼ら自身も
人情も優しさもない、悲しい群衆なのだろう。

テレビは何チャンネルありますか?
その何チャンネルの中から一つを選ぶ。
せいぜい10数チャンネルの中からしか選べない
しかも作為的に作られているものばかり。
それを面白がっているのは、愚の骨頂、知能の低い
子供たちならいざ知らず、成熟した大人が喜んでいる
ことに情けなくなる。
テレビは排泄物、毎日、流さなきゃならないもの。
どこかのコラムニストがそのようなことを書いていましたが
そのとうりだなぁと最近、つくづく思う。
とくに「笑い」をあつかう番組では
その垂れ流しがひどい気がする。
笑えることをテレビに求めてはいないが・・・・・・
何か気分が悪い。

[590] beーing my life Date:2005-10-07 (Fri)
結果なんていらない。
その答えなんていらない。
いつも進行形 そんな人がいい。
そんな人になりたい。

〜ingでいきましょう。
ラララ 歌をうたいながら
ハハハ 笑いながら
キャキャキャ はじけながら

肩書きを捨てましょう なにもないところから
はじめましょう
縛られていては 何もできないから
そんな人が好き そんな人になりたい

順位つけるのやめましょう ナンバーワンなんて
つまらない 誰かが決めたことに
左右される人生なんて つまらない
そういう人が好き そういう人になりたい

沈黙はいやです 生きてる間だけでも
語り合いましょう いつか沈黙がくるのだから
いいたいこと いいましょう
伝えたいこと 伝えましょう
そういう人が好きです そういう人になりたい

あなたが好きだ 照れずに言えるように

[589] 背番号100番台の男たち Date:2005-10-02 (Sun)
阪神タイガースの優勝がなんとか公演後にあるように・・・
そういう祈りが届いたのか、公演後の木曜日に
宿敵巨人軍を破って、2005年セントラルリーグ優勝を
わがタイガースが成し遂げました。
感慨無量であります。
馬鹿騒ぎしている若いタイガースファンの気持ちは
理解しがたいものがあります。
私くらいの年齢になると、しみじみと喜びを
一人自分の部屋にてかみしめる、そんな感じです。
岡田監督の胴上げのシーンを何度も見ています。
よく見ると、背番号100番台のユニフォームをきた
日頃ではあまり見ることのない人たちも
胴上げの輪の中にいるではありませんか。
よくみると名前のところに
YAMAZAKI KASE KIYOHARA と
書かれてあります。
そうか、彼らはバッティングピッチャーなんだ。
試合前のフリー打撃練習のときに、選手相手に
ボールを投げて、ただただ打ってもらうだけの役割の
人たちなんだ。
試合に出ることのない、いわば「裏方」さんなのです。
野球を良く知る人は100番台の背番号の上に書かれた
名前で元阪神の山崎さん、元オリックスの清原、嘉瀬さん
だということがわかります。
彼らも現役として白球をおっていた選手だったのです。
その現役をしりぞき、バッティングピッチャーとして
優勝をむかえた彼らの気持ちはいかがなものだったのでしょう
そういうところに、ついつい私は目がいってしまうのです。
彼らの様子をずっと目でおっていますと
現役選手同様に大変、嬉しそうな顔をしてらっしゃいます。
自分が投げて、勝つよりも、もしかして
嬉しいのではないかのように、はしゃいでらっしゃいます。
その光景を見て、私は大学時代、役者から離れ
はじめてスタッフで照明をしたときの気持ちを思い起すのです。
それは芝居が終わり、役者をしたときには味わえない
ある種の感動がありました。感動という簡単な言葉では
言いあらわせないようなものでありました。
何かじわっと喜びが体にしみてくるような感じとでも
いえばよいでしょうか。涙がとめどなく流れるというより
じわっと流れ出るような感じといいましょうか。
やったものにしかわからないものだと思います。
そして、本当に野球が好きでなければできないものだと
思います。

今日、第8回公演の反省会でした。反省会といっても
感想を各自いってもらう程度のものでした。
貴重な意見や感想をいってもらい、ありがたい限りですが
残念なのはスタッフが少なく、裏方さんとしての意見を
あまり聞けなかったということ。
劇団という集団が成長するには、
『背番号100番台の人々』が何人、真摯に参加して
もらえるか、そこが鍵になってくるのではないのだろうか
そう思います。本当に芝居作りが好きな人々が
参加されること、望んでやみません。

[588] 打ち上げの夜 Date:2005-09-25 (Sun)
打ち上げで参加された皆さんがはじけている姿を
見て、やってよかったなぁと思う夜です。
参加された方、それぞれには、それぞれの
苦悩や苦労があり、それを乗り越えて最後まで
よりよいものを作ろうという意気込みが感じられ
とってもうれし、楽しい舞台だったように思います。
私はシャイな性格なので、よかったら
アメリカ人のように、いいよ〜とかグッドジョブ!!
とか言えない性格であります。
もっともっとええなぁと思うところを褒めてあげれば
よかったなぁといつも「打ち上げの夜」お酒を飲んだときに
思ってしまうのです。
その分、今回は鳴り止まないカーテンコールでの
お客さんの拍手が私の褒め言葉以上にみんなの心に
「お疲れ様、よく頑張ったね」と言ってくれているように
感じました。
一地域に住む人たちに 一地域に住む人たちが
楽しんでもらいながら 自分たちも楽しむ・・・・・
そこに在ることが芝居の原点だという気がします。
今、テレビの時代、東京発の番組が流れています。
芝居だけは東京発の芝居や人間をよんで作るのは
如何なものかと思います。
高校野球の地方大会の試合が面白いのは
野球の技術が稚拙でも、そこに在る学校の生徒で
みな野球が好きで、一生懸命に白球を追っているからでは
ないかなと思います。
これからも、その気持ちを持ち続けて
権威に屈せず、頑張ってもの作りをしてゆこうと
思っています。
今日は「打ち上げ」・・・ほろ酔い気分です。

[587] 当日です。 Date:2005-09-24 (Sat)
第一回目の公演が無事終了いたしました。
本日、ご来場のみなさま、ありがとうございました。
みなさま方の温かい眼差しを感じながら
役者もスタッフも心地よく、お芝居に興じることが
できたのではないかと思います。
最後のカーテンコールの拍手はその表れ、ものすごく
温かい心を感じることができました。
本当にありがたいことだと思っております。
当劇団のBBSに早々の感想が書かれてありました。
大変ありがたく、明日の勇気をくださった気がしています。
あと本番も明日の公演で最後です。
有意義な一日に明日もなるように・・・・・
ただそれだけです。
残り一日です。

[586] 前日です。 Date:2005-09-23 (Fri)
朝6時にホール前に行き、荷物(資材)を下ろす。
祭りのはじまり、そんな感じがする。
ホール入りするまで、その番をする。
今までの稽古のこと、これからはじまる舞台作りのこと
何人かと話しをする。
それも一興、たのしい時である。
9時前、ホール入り、舞台を作りはじめる。
みんな一生懸命に舞台を作っている。
その姿をみていると、心が和んでくる。
はじめて、このような小劇団の舞台作りに
参加された人も何人かいて、今日の疲れが
明日に残らねばと心配する。
だが、これも一興、その疲労感も何度か経験すれば
心地よさに変わるのだろう。
私はそんな感じである。
今回は9ヶ月ぶりの舞台ですが、前年の12月から
あっという間に時間がすぎて、ここに至った感じがする。
一年なんてあっという間なんだなぁ、ふと思う。
そうしたら今日、明日、あさって、この3日間なんて
あっとのあっと、ベリーあっと、超あっと・・・・
瞬く間に時がすぎてゆくのだろう。
同じ時の流れのはやさを感じながら
3日間、舞台に集中する、その光景はちょっと「素敵」な
ことなのかなと客観的に思う自分がいる。

万事、無事に終ることのできるよう
気を抜かずにやること、それだけを念頭に
残り二日間、頑張っていこう、そう思う。
今日は・・・・・・本番前日です。


[585] いよいよ。。。 Date:2005-09-15(Trs)
昨日、マジック13が点灯し、今日も我が阪神タイガースが
勝ち、中日が破れたので、マジックが二つ消え、11になり
ました。
いよいよ、今年度のセントラル・リーグも大詰めです。
今までは、毎日勝って、勝ちまくってと祈っていたのですが
このまま勝ち続けると、9月23,24,25日に
優勝が決まってしまう・・・公演と重なる・・・・
これは問題です。
よって、これからは勝ったり負けたり、ゆっくりと
カウントダウンといきましょう。
理想は9月末の甲子園での巨人2連戦が希望です。
阪神がここぞというところで踏ん張ってきたからこそ
マジック点灯があったと思います。
お芝居も今が踏ん張りどころ。
これからの公演までの約一週間が正念場です。
踏ん張りどころです。最後の最後まで、よりいいものを
作るのだという気概をもって、参加する人すべてが
臨んで欲しい、そう思います。
このような地方都市の、小さな劇団が
シェークスピアさんにチャレンジすること自体、凄いことだと
思います。
この難しい戯曲にチャレンジして頑張っている役者さんには
今よりもっと自信をもって、堂々として
舞台に立ってもらいたい、そう思います。
いよいよ。。。。です。

公演まで後9日です。

[584] 駒? Date:2005-09-06 (Tue)
♪吹けば飛ぶような 将棋の駒に・・・・・

本日、第46期王位戦で佐藤棋聖が羽生四冠を破り
通算成績を三勝二敗とし、王位のタイトルに王手を
かけました。
その棋譜を見るのは後の楽しみとして
最近、お芝居と将棋って似てるのとちゃうやろかと
思ってきました。
役者は駒だ!!  と間違った意味で使っている方は
ここではおいておき・・・・・・私が将棋と芝居が
にているなぁと思うのは、人間で言うところの
左脳、右脳、ともに働かなければ、勝てないし
いい芝居も作れないということであります。
お芝居作りにおいて
理詰めでいかないと作れない場面あり
感覚でいかないと面白くない場面あり
将棋においても、同じようなことがいえます。
将棋の世界では『直感』とか『第一感』とかいう言葉を
よく使います。相手が差した手にたいして、実際は時間をかけて
考えて手をさすのですが、さされた瞬間、次の一手は
こうだろうと感じるのが「第一感」と呼ばれるものなのですが
芝居でも一つのシーンを作るのに、あれやこれや、いろんな
ことをしながら、作ったり、壊したりしたあげく
最終的には一番最初に「こうしよう!」って思ったことが
実は一番、面白かったってことがよくあります。

右脳を左脳を巧みに使い分けること、これからもです。

それと役者さんで舞台上でどのように動いていいのか
わからないとよく言われます。
その答えが実は将棋に隠されているような気がするのです。
王を奪うのが将棋というゲームです。
その『王を奪う』というのを『テーマを伝える』という
言葉に置き換えてみましょう。
そうするとわかりやすいので。
『王を奪う』ために駒を動かします。
『テーマを伝える』ために役者が動きます。
動かす『駒』は多種多彩、いろんな動きをします。
よって『テーマを伝える役者』も多種多彩、いろんな動きを
します。
『駒』は連携しあって、相手王を攻めます。
『役者』も連携しあって、『テーマ』を伝えます。
一つの駒だけでは『王』はやっつけることはできない。
多くの中の、一人の役者さんだけでは
『テーマ』を伝えることはできない。

自分は将棋において、どのような『駒』なのか・・・・
自分は誰とどのように連携していくのか・・・・・・
目先の狭い世界のことよりも、全体の中でどのような役割を
になう『駒』なのか・・・・・・
そのようなことを考えると、自然とどのように動いたらいい
のか、そういうことが見えてくるのではないかなぁと思います。
少し、抽象的かもしれませんが、つまりは自分の役割を
全体の中で考えていくこと・・・そう思います。
それには全体を把握しなければなりません。
ゲネプロをやって、動きが変わる役者さんがいます。
全体をとおして見て、自分なりに何か感じるものが
あったからだと思います。
お芝居を何度もやっていても、下手くそな人は
多分、自分の台詞を覚えるのに四苦八苦していて
全体のことなんか考えたことのない人なんだろうなぁと
思います。
なぜ、台詞を覚えるのに苦労するか・・・・・・・
全体を見ていない、全体の中での自分の役割とか
考えていない、これにつきると思います。
与えられた目先の台詞ばかり覚えるために台本を読む前に
全体を何度も何度も目をとおし、きちんと自分の役割を
理解して、覚えるようにすると、すっと頭の中に
入ってくるはずなのになぁ・・・・残念です。
残された時間はまだあります。まだ間に合います。
全体をもう一度、読んでみましょう。
読むたびに新たな発見があるものです。

公演まで後、18日です。











[583] 心の中で何を叫ぶ? Date:2005-09-03 (Sat)
お芝居の練習、佳境に入ってきました。
8時間練習しても、まだまだ、もっとしたい・・・・・
こういう気持ちになってきました。
気がずっとはりつめているのでしょう。
あっという間に時がたってゆきます。
帰ってからも音響の仕事が待っています。
なかなか一日が終わりそうもありません。
でも、それが全然、苦痛でないのは
やはり『お芝居』が好きなのでしょうか、どうでしょう。
自分ではわかりません。

今回の『お芝居』はコメディーでもなく
シリアスな悲劇です。
心理劇といってもいいでしょう。
それぞれのキャラクターの心の中を
どのように表現するのか、そればかり考えています。
台詞の言い方、台詞と台詞の間、コロスを使っての
視覚的な表現・・・・・・などなど
薄っぺらくならないように考えています。
そういった、心の中の各キャラクターの叫びを
大切にしたいと思います。
練習のない日にもシナリオを読み込むこと・・・・
それが各キャラクターの心の中の叫びを
いかに表現できるかの近道になるのだと思います。

公演まであと21日です。




[582] 声... Date:2005-08-29(Mon)
今日は芝居の練習がオフの日。
愛犬ローリーと戯れる。
最近、散歩の時間もとれず、土日は芝居の練習が
あるから、一緒に過ごしてあげられない。
しかも練習が終るのが、昨日なんて10時を過ぎ
それから舞台装置と照明の打ち合わせ、帰ると
12時をまわっていた。
いつもよりも私が帰ると、淋しい鳴声をだす。
ごめんな、ローリー、芝居の公演がすんだら
おもいっきり遊んであげるからね、散歩も毎日しようね!
心に誓う。
最近、ローリーと戯れていると面白いことに
気がついた。
それは私の声にどのように反応しているかということである。
低い妖怪のような『声』で「ローリー・・・ローリー」
と私が言うと、彼女は身をかたくして、じっとこちらをみすえ
「ウゥ・・・ウゥ・・・・・」と威嚇するような声をだす。
多分、怖いんだろうね。
ローリーはちょっと弱虫なもので・・・・・
今度は猫なで声で優しく、「ローリー、ローリー」と
隣の部屋から呼んでみる。
するとローリーは走ってきて、寝ている私のお腹の上に
飛び乗り、シッポを振りながら、私の顔をペロペロなめまわす。
多分、嬉しいんだろうね。
ローリーは実は寂しがり屋さんだから・・・・・
ローリーの反応が面白くなって
いろんな声で呼んでみる。不可思議な表情をしたり
寄ってきたり、うなるように吠えたり・・・・・・・
声の出し方で反応が違う。
そうか! 彼女は私の声のトーンで私の今の感情を
読み取ることができる。それがわかるからこそ
それに呼応して、様々な反応をしているのである。
これだ! 
芝居において、台詞を読むとき、その裏には必ず感情がある。
様々な感情には、それぞれ違った「声のトーン、声の質」が
ある。
悲しいときには・・・・・悲しいトーンが
怒ったときには・・・・・怒ったトーンが
楽しいときには・・・・・楽しいトーンが
苦しいときには・・・・・苦しいトーンが

当たり前のようなことだが、私にとってローリーが
何かを教えてくれた気がした。
忘れかけているものを教えてくれた気がした。
どのような感情が、台詞の根底にあるのか?
まず、それを考え
次には、その台詞が、例えば、悲しい感情の台詞ならば
悲しい声のトーンをいかにだすか。
そういうことをやっていかないと
見に来られるお客さんに何も伝わらないのではないのかなぁ
そう思います。
特に今回は、修飾語が多いシェークスピア戯曲であります。
感情をきちっと押さえるのが難解です。
それには深く読み込むことが必要になってくるのだと
思います。

「あの方の蜜のように甘い恋の調べに酔ったのに
 今聞こえてくるのは、気高く雄々しいお心が
 ひび割れた鐘となって出す、狂った音色。」

前後の文脈もあるでしょうが、さてさて、上の台詞を
貴方ならどのように感情分析し、どのようなトーンで
声にだしますか?今日はなぞなぞだなぁ。
公演まで後、26日です。

[581] うてや。。。響けや。。。 Date:2005-08-25(Trs)
時に元禄十五年十二月十四日
江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓
しかも一打ち、二打ち、三流れ
思わずはっと立ち上がり 耳をすませて太鼓を数え
おう、まさしく赤穂浪士の討ち入りじゃ
助太刀するはこの時ぞ、もしやその中に
昼間わかれた、あの蕎麦屋はおりはせぬか
名前はなんと今一度、逢うて別れが告げたいものと
稽古襦袢に身を固めて、段小倉の袴
股立ち高く取り上げし、白綾たたんで後ろ鉢巻目のつるごとく
なげしにかかるは、先祖伝来、俵弾正鍛えたる九尺の手槍を
右の手に、切戸を開けて一足表に踏み出せば
天は幽暗地は凱凱たる白雪を
蹴立てて行くは・・・・・松坂町!

風間さんの芝居を見るのは久しぶりです。
まさか播州の北の地で観ることになろうとは・・・・
思いもよりませんでした。
つかこうへい事務所の公演から数えて、何度、彼の舞台を
みたことでしょう。お幾つになられても、変わらず
役者としての「色気」「かわいさ」「狂気」などなど
あらゆるものをもたれております。
映画の「蒲田行進曲」の銀ちゃんよりも
舞台の彼の方が数段いいです。
今回は「ひとり芝居」でした。彼がでている芝居はいつも
彼を主として見ていたのですが、3時間ずっと彼を
見続けることができ、なんと幸せなことか・・・・・
そう思った次第であります。
大好きな浜省の歌あり、また親戚のおっちゃんが
毎年、宴会で歌う「俵星玄蕃」あり、また
カラオケでなぜか劇団員Y君28歳の歌う「自動車ショー歌」あり
と自分にまつわる曲をカラオケで歌っていて、その時間は
私にとっては、本当に至福のときでありました。
幸せになりながらも、役者としての彼の技量を考えながら
見ておりますとやはり凄いなぁと感心させられるのは
いろんなスピードでいろんな音がだせるということ、
そして立ち姿勢が変幻自在、いろいろな形に変化できるという
こと、そして最後に目です。
目は口ほどにものをいい、という言葉がありますが
目線が落ちない、一点をしっかり見据え、その見ている
目に表情がある。いろんな目の表情ができる。
小さい200人ほどのホールなので彼と目があうことが
何回かありましたが、そのたびにゾクゾクっとしてしまいます。
あっという間の三時間でした。
私の心に彼の情熱がうちこまれ、そして響いた三時間でした。
彼の舞台をはじめてみてから、もう23年の月日が
流れました。でも、あの時の情熱と今と
なんら変わっていないことがわかり、嬉しくて
芝居途中の悲しくないシーンで涙が流れそうになりました。
そして、そのいただいた情熱を無にすることなく
S−PROJECTの活動にむけていこうと思います。

うてや。。。響けや。。。。山鹿の太鼓。。。。
彼の打つ太鼓の音に共鳴しながら
今後も頑張っていける、そうも思います。
公演まで30日です。




[580] 夏の終わりに・・・選挙です。 Date:2005-08-22 (Mon)
テレビを見ていた。
郵政法案に反対した、ある政治家のお国入りを
映し出していた。
彼は言う。
郵政事業を民営化したら、郵便局がなくなりますよ。
おじいちゃん、おばあちゃん、そこに住んでいる人々
のための郵便局がなくなりますよ。
なくなっていいのですか?

ふるさとの山をつぶしてダムを作り
ふるさとの川をせき止め、河口堰を作り
自然を破壊してきた男が
そのようなことを言ってのける。
恐ろしくなる。
私なら郵便局なくなってもいいから
美しい山や川や海だけは守ってください。
そう言うと思う。
郵便局に人々が預けている『お金』の使い道、それを
議論しましょうよ。
『お金』があるから、公共工事。
『お金』があるから、土地・株に投資。
『お金』があるから、『お金』があるから・・・・・・
どれほど、今まで、無駄なことに使ってきたのか
ご存知ないのでしょうか。
箱物ばかり作るけれど、誰も利用しない施設の数々を
見てきました。もう限界にきている気がします。

今年は、夏の終わりに選挙です。夏の終わりに
お芝居の練習(追い込み)です。
今年はいつもの夏より、残暑が長引く夏になりそうです。
公演まで後、33日です。



[579]  道 Date:2005-08-16 (Tue)
長い人生にはなあ 
 どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ 
 ならぬ道というものがあるんだな

 そんなときには その道を黙って歩くことだな
愚痴や弱音は はかないでな

黙って歩くんだよ
 ただ黙って 
涙なんかみせちゃ ダメだぜ

そしてなあ その時なんだよ
人間としての いのちの根が ふかくなるのは


※あいだ みつおさんのこの詩が書かれた「はがき」を
 貰った。いい詩である。
 仕事場の机の横の柱に貼って それをながめている。
 自分の思いどおりに なかなか人生 すすまない。
 今回の第8回公演に参加された方で
 舞台にたちたいけどたてない 舞台作りをしたいけれど
 できない、そういう方がおられます。
 理由はなんであれ、それも避けられない道だったのかな
 そう思ってしまいます。
 その分、舞台にたてる残された人々が
 その分、舞台作りをたくされた人々が
 頑張らなくてはと思います。
 それが 残され、たくされた人々の「道」なのだ
 そう思います。
 やった分だけ 頑張った分だけ
 ご褒美をくれる お芝居の神様
 どうか これからも みんなを
 見守って あげてほしい
 そう願います。
 公演まで あと39日です。

[578]  楽 Date:2005-08-09 (Tue)
楽という字がある
raku・・・・という発音をする

「しい」をつけると「tano・・・しい」と発音する
「たのしい」ことは「らく」をすること?
だって同じ漢字じゃない。
「らく」なことは「たのしい」こと?
だって同じ漢字じゃない。
そうだよ、きっと・・・・そうなんだよ。
「かっこういいこと」が「本当にかっこういい」と
思っている少女が笑顔でこう答える

表があれば裏がある
そのこと知ってる、もう一人の少女の頭に
???????が浮かぶ
そんな簡単なことでいいの それでいいのかな?
もう一人の少女は 『楽』という字を考えた
『楽』という字を調べはじめた
そして、一つのセンテンスに出会った・・・それは

・・・・・・楽して楽知らず・・・・

ん?なんだ、これ?えっと・・・意味はと?

苦労を知らない人は安楽の意味がわからない。苦労して
初めて安楽の大切さがわかること。
と書いてあった。

そして、もうひとつ。

・・・・・楽は苦の種、苦は楽の種・・・・・・
ん?へんなの?どういうこと?

苦は楽を、楽は苦をそれぞれのうちに含み持っている。
苦楽が相伴うこと。
そう書いてあった。

二つの言葉、なんども呪文のように言ってみた。
すると「楽しい」ことがなんだか、わかったような気がした。
苦しんで、苦しんで、苦しみぬいた後に
本当の楽しいことが待っているんだ。

もう一人の少女がはじめて微笑んだ。
楽(らく)して得たものなんて、虚像だと思った。
「たのしい」ことは「らくじゃない」
「らく」なことは「たのしくない」

本番まで、あと46日です。

[577] たかが甲子園 Date:2005-08-05 (Fri)
「おじいちゃん、甲子園ってどんなところ?」
野球小僧が聞く。
「甲子園っていうのはな野球の聖地じゃ。憧れが
 いっぱい詰ってる場所じゃ。」
老人が言う。
「一度、行ってみたいなぁ。・・・どうしたら行けるの?」
また野球小僧が聞く。
「行くってなにか、行って野球をみるのか、それとも
 自分がその場所に立ってプレイするのか?」
「そりゃ決まってるよ。ボールを投げて、それを打って
 走って・・・・それしかないよ。」
「そうか。じゃあ、上手くなれ!」
「なにを?」   「野球に決まってるだろ。」
「そうだね。」  「それと・・・・」
「それと?」   「大人のいうとおりにしなさい。」
「大人の?」   「大人に好かれる優等生になりなさい。」
「優等生?」   「そうだ。・・・・・・・・・・・・・
 さっき言っただろ、聖地だって。聖地を汚すことになるんだ。
 だから、優等生でなきゃ入れないんだ。未成年が入る場合は
 煙草すったり、人を殴ったりする暴力行為をしたら
 入れないんだ。そのこと肝に銘じて・・・・・な。」
「そんなこと、僕しないもん。」
「でも、自分だけじゃだめなんだ。チームメイト全員が
 それを守らないと行けないんだ。自分が優等生でも
 だめなんだ。周りにいる仲間の誰か一人でも、それを
 破ったら、お前も行けなくなるんだ。」
「そ・・・そんな・・・」
「そういう場所なんだ・・・甲子園は。大人が都合のいいように
 作った場所・・・・」
「・・・・・・・・・」
「どうした?」  「どうでもよくなったよ。」
「そうか。」 「うん。野球やれたらどこでもいいや。」
「そうか。」 「自由に好きなことやりたいもん。」
「そうか。」
2055年、土佐の高知の桂浜でキャッチボールしている
老人と少年。老人は50年前のできごとを思い出している。
抽選が終わり、対戦相手が決まってから、わずか一日
野球ができなくなり、故郷に戻った、あの夏の日のできごとを。
孫とのキャッチボールを終え、砂浜に、小さく書いた文字・・・

「たかが甲子園」

この文字を書くのも50回目か・・・・ふぅ・・・・・・
いつになったら忘れられるのだろう。

※身体に危害を及ぼすだけが暴力だろうか。
 彼の心に傷をおわせた、50年前当時の大人のみなさん、
 あなたたちの『暴力』は一生消えることはないのです。

[576] かっこいいことはなんてかっこ悪いのだろう。 Date:2005-08-01(Mon)
「サルビアの花」という曲が大好きで
いろんな人が歌う、その歌を探していたら
早川義夫さんの「サルビアの花」に出会った。
その曲が入っているアルバムのタイトルが
「かっこいいことはなんてかっこ悪いのだろう」
だった。
そのCDのタイトルが気に入った。
ふむふむ、とってもいいタイトルである。

姿、形、見てくれ、ばかり追っかける人々。
外見的に 直感的に かっこいいことを判断する。
映像社会になって、その傾向は強くなっている。
単純で深読みができないせいか
見たものですぐに判断する。
本質は、そうだろうか? そうだと思う人はそれでいい。
それで止まったままでも、それでいい。
意味を考えない人だからというのは何の救いにもならないが
それでいい。
しかし、早川義夫さんがつけた、このタイトルを
どのように感じるか、彼の思いに心はせる人がいるなら
それとは違ったことになる。
深く物事を探求していくというのは
一つ一つパズルを解いてゆく楽しさに似ている。
意味を一つ一つ理解して、それをブロックのように
積み上げてゆくこと・・・それでこそ進歩がある。前進がある。

芸術活動(芝居作り)でも同じことがいえるんだなぁと
最近、思うようになってきた。
一つ一つの積み重ねがないと、薄っぺらいものになる。
もっともっと考えないと、前へは進まない。

考えた分だけ、面白さが増す。こねてこねた分だけ
味わいがでる。即物的にならないこと。(意味のある)言葉を
使っているかぎり、小さな言葉も宝のように大事にして
作ってゆくこと、戒めとして自分に言いきかせたい。

演劇など芸術にたずさわる者として
「かっこいいことはなんてかっこ悪いのだろう」
このフレーズの意味するものを忘れずに
公演までの残りの時間を過ごしてゆこうと思う。

[575] 生きる、死ぬ、そして・・・ Date:2005-07-27 (Wed)
生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ
どちらが気高い心にふさわしいか
死ぬことは眠ること 
眠りによって 心の痛みも 
肉体が抱える数限りない「苦しみ」も終る
死ぬ 眠る
眠る、おそらくは 夢を見る
いったい 死という眠りの中で どんな夢をみるのか
ようやく人生のしがらみを振り切ったというのに
だから ためらう 
そして 苦しい人生を おめおめと生き延びてしまう

ハムレットの一番有名な独白の抜粋です
死への恐怖のため 死ねずに 苦しみに耐えながら
生きるのか
それとも その死の恐怖を乗りこえ 自らが
自らの手で 命を絶つのか
悩んでいる 一人の男性像がみえます

彼は 王である父を殺される しかも 叔父に
そして 王という位をとられ 母も叔父の女にされた
そして 悩んでいる

悩みぬいて 彼がだす結論は お芝居を御覧になって下さい
と今は 濁しておきますが 私たちだって
脳天気に生きているわけじゃなく
何かに苦悩して生きています
苦悩して 自らの命を絶つ人もいるでしょう
苦悩して 誰とも話をしなくなる人もいるでしょう
苦悩して それを乗りこえ 普段どおりに生きる人も
いるでしょう
それはどの場合も間違いであるとか正しいとか
いうことはできないと思います
ただ 自分だけが 私だけが 苦悩しているのだという
ことを思うことだけは よくないことだと思います

みな、生きている人は いろんな形で 悩んでいます
それを知ってほしい それをわかってほしい
人の痛みをわかる人 人の悩みがわかる人
人の喜びがわかる人 人の楽しみがわかる人
人の○○○○がわかる人
自分だけが世の中にいるのではなく 
いろんな場所、場面で自分以外の人と
からみあって 人は生きています
孤独であっても 孤立じゃないのだという意識を
もつことが 大切なことだと思うのですが・・・・・

[574] 群れるだけ Date:2005-07-21 (Thu)
信条も思想もなく 群れている
とにかく 群れている
それが心地よいのだろう 
その心地よさは 実はまやかし、嘘、戯言
実体のないものであることを知らない

友達にわかってもらいたい 自分を
そういう一人の男の子
だけど 自分をださないから 自分を表現できないから
友達にわかってもらえるはずもなく
ただ群れている 
自分って何だ? 考えたこともなく 考えようもせず
自分を表現しようとしても できるわけがない
ただ群れるのが好き
孤独 そのときこそ 自分を考える チャンスなのに

群れることが好きになった少年は
孤独を敬遠する 孤独を怖がる 孤独を・・・孤独を・・
真実をみずに 生きてゆくのは 悲しい
少年よ 少女よ
今こそ 自分が何者であるか 嘘は何なのか
本当は何なのか 考えるときにきている
偽りの人間関係 偽りの生活 偽りの自分
みんな 捨ててしまおう
そして 孤独になろう それから はじめよう
ひとりだけの時間、ひとりだけの場所で
頭をフル回転させてみよう
群れてるなかで 他者に 自分が どのように
見られているか・・・そんなエネルギーを使う必要が
ないのが 『孤独』なのです


[573] 神様!  Date:2005-07-20 (Wed)
いろんな神様がいると思うが
僕は芝居の神様が好きだ
どうしてかというと
芝居の神様が一番、正直だからである
一生懸命に練習に打ち込んだものにだけ
希望と成功をもたらしてくれるからである
手を抜くものには 上手くさせない
ずっと へたっぴのままである
へたっぴは どうして自分が伸びないのか悩む
ずっと同じで 前進しないのかを悩む
悩んでも同じこと 練習しないのだから
上手くなるはずがない 
ある役者が言っていた
練習のときから本番と同じ気持ちでやらないと
上手くはならない
この役者は神様と会って、真実を知ったのだろう
そう思う

神様は自分で作るものだと思っている
自分で作った数だけ神様がいる そう思う
その自分で作った神様とお話をすることが
前へ行ける、次の段階へ ステップアップできる
手段のように感じる
芝居の神様と今日は何のお話をしようか?
○○○○について語ろうか?
楽しい時間である

[572] 暑中お見舞い申し上げます Date:2005-07-15 (Fri)
梅雨ももうすぐあけるそうです
今年は空梅雨かと思いきや
なんのなんの フェイント上手な梅雨前線
ところどころに 豪雨をもたらしました
今年は いつもより気温が上がるのがはやくて
6月のエアコンの売り上げが 記録的だったとか
暑いのは嫌ですね 冬の寒さなら 重ね着でいけますが
脱ぐのは限度がありますから 夏はいやです

その暑い夏に 今年はお芝居の練習です
第一回以来になりますか あのときも「夏」でした
夕立に何度もあって 練習場行くまでに
ずぶ濡れになったこと 何回あったでしょう
今年は 運がいいのか まだ濡れたことはありません
夏に今まで一度もひいたことのない風邪を
ひいてしまいました
歳なのか ハムレットというタイトルの本の読みすぎで
体内時計が狂ったのか とにかく 風邪をひきました
疲れがとれない日々が続きます
ただ 救いは タイガースの好調さだけです
そして もうひとつの救いは 練習当日には
風邪もひっこみ 疲れも吹っ飛び 元気になることです
それが何故かは わかりません
好きなことだから なのかもしれません
あと二ヶ月とすこし こんな感じで 時が流れて
いくのでしょうか
暑中 芝居の練習は 今年でやめようね って 私が
もう一人の私に 言っています
暑さ 寒さも 彼岸まで といいますが
公演日が 彼岸ですので ずっと暑さが続くことに
なるのでしょう 
どうかご慈愛下さい、また、もう一人の私に・・・・・・

[571] 父性の喪失 Date:2005-07-08 (Fri)
僕には父がいない
一年前 一年前 一年前 消えた 消えちまった
戸惑ったさ ある日、突然 だったから
戸惑ったさ 借金 いっぱい あったから
戸惑ったさ 隠し子 いっぱい おったから

僕には父がいない
半年前 半年前 半年前 いないことに気付いた 気付いた
狂ったさ  まだ、いると思ってたから
狂ったさ  まだ、笑ってると思ってから
狂ったさ  まだ、母さんを苦しめていると思ったから

何も頼っていなかった 何も寄りかかっていなかった
嘘ばかり 嘘嘘嘘嘘嘘嘘 嘘ばかり
大きくて 見えなかったんだ なにもなにも
深くて  見えなかったんだ なにもなにも
実体があるとき 心の目は閉じる
虚像になると 心の目が開くのは 俺だけか

父がいなくなった7月
海に身を投げようと思った7月
意味のない言葉に意味があることをしった7月
あれから 一年
今日も海をながめている 心の海を

[570] 配役 Date:2005-06-30 (Trs)
十人以上も役者さんがいる。
役柄が十五以上ある。
もう大変である。いろんな組み合わせがあると
頭が痛い。いろんなパターンを見てみたいというのが
本音だが、時間がない。
今週、配役発表なのですが、頭が痛い日々が続いています。
今回の芝居「ハムレット」を読みながら思うことは
「鏡」という概念である。
この本自体、シンメトリーになっている。
まるで鏡のように。そして最近、ふと思うのだが
主人公のハムレット自体、
鏡ではないのかなと・・・・
ようするに「ハムレット」っていうのは
人間でなく、人を写す鏡のような実体のないもののように
感じている。だから得体がしれないのかもしれない。
主人公は王、王妃などハムレットの周りにいる人間のような
気がする。
その人間の表と裏を描くために「ハムレット」という
鏡を利用しているのではないか。
ハムレットは中性的な感じの人物がいいのではないかと
最初から思っていたのだが、読み込めば読み込むほど
それが正しいのではないかと思うようになってきている。
ハムレットをどのように作るか・・・・どのように性格づけ
するのか・・・・それよりも、ハムレットに映し出される
他のキャラクターの表と裏、実と虚を描くこと、表現することが
大切なように感じる。
ハムレットは穴だらけでいいのかもしれない。
まだまだ悩む日々が続く。明日は久しぶりに梅雨空だそうです。

[569] ゆかた・・・・浴衣 Date:2005-06-24 (Fri)
6月22・23・24日と姫路城下ではお祭りです。
「ゆかた祭り」という名前の祭りです。
きれいな名前の祭りです。
ひらがなで書けば綺麗な感じがしますが
感じで書けば・・・・浴衣祭り・・・・って
なんだか海水浴の「浴」って字でありまして、なんだか
着物が濡れているって感じがする字面だなぁと
思っていました。
それが、とある本で「ゆかた」について調べましたところ
入浴するさいに着ていた着物のことを、そのように呼んでいた
ところからきていると書かれてありました。
私の想像どおり、濡れているって感覚はあたっているのだ・・と
どうでもよいことに、うむうむと納得しているところです。
浴衣の漢字は当て字だそうで、実際は「湯帷子=ゆかたびら」
の略だそうであります。「帷子」というのは夏用の単衣の
着物を意味しているそうです。
「湯」につかるときに着る「帷子=夏用の着物」で
「湯帷子」、略して「ゆかた」になったそうです。
江戸時代以降に、「湯」という意味が消えて、ただたんに
夏に着る単衣を「ゆかた」と呼び始めたそうです。
語源をさぐっていくのって、けっこう好きですね。
いろんなことが拡がっていくし・・・・・
今回は平安時代の人々が入浴するときに
着物を着ていたんだということがわかってきますよね。
自分の体を見せたくない、見せるのが恥ずかしいという
感じなのですかねぇ。

カラフルな浴衣着て 好きな子と手をつなぎ あめ細工
ハートの飴を つくってねと 小声でつぶやく
 君の頬は りんご飴 

りんご飴、いつも食べようと思うけど、買う前に
心がいっぱいになって見るだけで満足してしまいます。
変な自分です。


[568] アマチュア評論家もニッコリ。 Date:2005-06-22(Wed)
今年の4月5日のエッセイで鳥谷君のことを書いてから
ずっと彼を見続けてきました。
最初は調子がよかったけど、しだいに打率も悪くなり
どうなるかと思っていました。だけど、あのときのエッセイに
書いたように彼はずっと全力疾走を続けてくれています。
打ったとき、守備位置につくとき、かえるとき・・・すべて・・
交流戦で2番の藤本、関本選手が調子を落として
仕方なくといっては語弊があるかもしれませんが
鳥谷君が2番に入りました。そうすると見る見ると成績が
上がってゆくではないですか。
いい気分転換になったのかな・・・・そう思います。
環境をかえてあげることも、一つの手かなと思いながら
みておりますと、一本もでてなかったホームランが交流戦の
終盤にでまして、ほっとしたのもつかの間、なんと、なんと
今日は二本もホームランをかっ飛ばしてしまいました。
しかも苦しい転換の2点差から1点差にするものと
もう今日は引き分けやなぁと殆どの人が思った延長12回の
一死からのサヨナラホームランと・・・・・・・
嬉しくてなりません。
いつか全力でやってると、こんないいことが待ってるんだよ
って神様が微笑んだのでしょうね。
嬉しいかぎりです。
手をぬいているものに神様は微笑まない。
そう思います。
自分の人生訓にしようかなって思ってしまいます。
今日はアマチュア野球評論家はニッコリ・・・・
満足な一日です。

[567] IMAGE Date:2005-06-19 (Sun)
多くの人に戯曲を読んでもらって、気付くことがある。
それは、イメージを持って読んでいる人と
そうでない人がいるということである。
意味がわからないで読んでいる・・・・・・
こういう人は論外である。
ほとんどの人は、渡したシナリオにおいて、わからない言葉を
調べ、きちんと予習をしてきてくれている。
でも、聞いていて、イメージをもって読める人と
そうでない人がいるのは不思議である。
不思議だと思うだけではダメだと思い
なぜかということを考えてみた。
それは多分、戯曲に書かれている言葉から
意味はわかっても、絵として捉えることをしていないから
そうなるのかなぁと、思う。
例えば、『黒い雲』という言葉があるとすると
意味はいわずもがな、わかる。
それを絵に描いてくださいというと、どのように書くか
考えると思う。何を考えるか。
『黒い雲』といった人の気持ちがいかなるものなのか。
雨が何ヶ月も降っていない、田植え前、農家の人たちが
西の空をみて、「あっ、黒い雲が!」といったのだろうか。
高校生になって恋人ができて、はじめてのデートの当日
遊園地に行こうと思っていた若者が、西の空をみて
「あっ、黒い雲が・・・・・」といったのだろうか。
言葉に思いをはせること。
それができるかどうかで声の出し方が違ってくる気がする。
声の出し方が違ってくると、聞いている人が
あっ、この人はイメージを持って読んでいるのか、どうかが
わかってくる。以心伝心である。

言葉とむかいあうこと、それが大切なのだろう。
イメージをもって、それを声や体で表現できる人が
多ければ、多いほど面白い芝居になると確信している。
いろんなことを気付かせてくれるワークショップ、後一回
である。

[566] 下半身強化。 Date:2005-06-15(Wed)
7月から本格的に練習がはじまる。
今回は練習期間も長く、やることも多く、しかも真夏の練習
である。スタミナが心配である。
ということで毎日、起きたとき、寝る前、会社から帰ってきた
とき、などに下半身強化ということで、足上げ腹筋をしている。
もう3週間くらいになる。毎日毎日に積み重ねは恐ろしいもので
最初は15回からスタートして、徐々に回数を増やしているの
ですが、いまは50回くらいしても、しんどくなくなっている。
こつこつ、これが一番かもしれません。
足上げ腹筋のあとは、足蹴りやヒンズースクワットをしたり
たまに四股をふんだりと・・・・体を鍛えていないと
演出しても きれがない、全力で演出したいがために
体を鍛えている・・・・・そうなのだろう。
図書館で芝居の本を借りた。
技術のことを書いた本ではないのだが、いろんなジャンルの
役者さんにとある記者がインタビューしたものですが
今日のタイトルと少し関係していることもあって
ご紹介をば・・・・・・
白石加代子さんという女優さんがいる。
1960年代に台頭した、いわゆる小劇場演劇の最も代表的な
女優として名をはせる。ずっと早稲田小劇場にあって
狂気を通した人間の奥深い情念の表現に特異な芸境を切りひらい
てきた。強い芯の通った、よく響く声、はっきりした口跡に
特徴がある。
彼女が、その声、について答えたインタビューが面白い。
彼女いわく
「舞台の声というのは、投げっぱなしではスカスカして
 魅力がないんですよね。出した声を引いてこなくては
 ならない。それには、下半身がしっかりしていないと
 引き戻してこれないのです。引いてくることで、出した声と
 自分の体との距離がはっきりしてくる。厳しい稽古のなかで
 そういう呼吸法みたいなものを一つ、狭いながらも会得した
 気がしています。これからの課題は、その呼吸法を
 もう少し幅を広げていくことではないかと感じている
 ところです。」
声は役者の武器である。哀しいかな、今のエスプロでは誰も
武器と呼べる代物の声を持っている人はいない。
まず声を意識すること、自分からどのような声が発せられている
のか意識すること、それが大事なことなのかもしれない。
声優を目指す少女が、「気の弱い少年・14歳」という設定を
もうけて、自分のラジカセに何度も何度も自分の声をいれては
それを聞き、自分でダメだしをしている様子をテレビでみたこと
がある。
それを見ていて、彼女は多分、うまくなるんやろなぁと
思った。格好いい声がだせるんやろなぁと思った。
格好いい、魅力的な声の役者さんが何人あらわれるか・・・・
それはその人の誰も他人が見てないところでの
努力にかかっている。そう思う。

[565] 役者は影法師? Date:2005-06-11 (Sat)
われら役者は影法師
皆様方の お目がもし お気に召さずば
ただ夢を 見たと思って お許しを
つたない芝居でありますが 夢にすぎないものですが
皆様がたが大目に見、おとがめなくば 身のはげみ
私パックは正直者 さいわいにして 皆様も
見ていてやって くださいまし
それでは おやすみなさいまし
皆様 お手を願います パックがお礼を申します

※シェークスピア作 「真夏の夜の夢」の最後の台詞である。
 妖精パックがこれを言う。芝居の最後にこんな台詞を書く
 なんて、ちょっと卑怯かな、どうでしょう。
 役者って何だ?といわれて、さて貴方ならどう答えますか?
 舞台に立つ人が役者というのなら、だれでもなれるのが
 役者なんだ、そう、そうなんだろう多分、でも、
 それが答えになっているのだろうか。
 イギリスの国立演劇学校に行って、スタニスラフスキーを
 学んだものだけが、役者なのだろうか
 多分、それも違うだろう。
 いったい『役者』ってなんだろう。
 考えれば考えるほど、深みにはまっていく。
 そうなると、役者は影法師だという言葉が
 言いえて妙な気がしてくるから不思議だ。
 不思議な言葉の一つである。
 舞台に5年もたたない人が、わしゃ今も『役者』やってます
 って言っていいんだろうか?
 多分、言っていいのだろう。そんな強がりを包んでくれる、
 そんな言葉が『役者』なのだろう。
 日常、静かな人間が、舞台の上で狂う役者を演じると
 背筋がぞくぞくっとする。
 その人間に秘められたものが役者として舞台上に露呈したとき
 私はある種の快感をえる。
 今回、その快感をどれだけ感じることができるのか・・・・・
 
 その秘められたもの、それはその人間の影の部分
 日常では見せない顔、顔、顔・・・・・・
 いくつ今回の芝居でみることができるか・・・・・・・・
 
 想像するだけで楽しくて仕方がありません。明日は
 二回目のワークショップです。
 

[564] 大所帯。。。 Date:2005-06-07 (Tue)
第八回プロデュース公演『ハムレット』に出演したいと
応募された方々が男性9名、女性8名、スタッフが私を入れて
4名と・・・・大所帯です。
合計21名ですか・・・・ふむふむ・・・ふむふむ・・・・
ここで問題です。
さて、私はこの人数を知って何を思っているのでしょうか?
・・・・・・・・
・・・・・・・・
答えはいろいろあるでしょうが
まず「ハムレット」というシナリオにしてよかった
ということがあげられるでしょうか。
私がオリジナルで書く場合、こんなに大勢の人数がでる
芝居なんて、書くことが困難です。書いたとしても
毎日毎日、頭がこんがらがって生活に支障をきたしそうです。
『ハムレット』にしましても女性の役が少ない『お芝居』ですが
私がイメージとして持つシェークスピア劇において
男性の役を女性がやってもOK・大丈夫な感じがしますので
あまり困ってはいません。
今回の応募で年齢で言うと13歳が一番下で、61歳が
一番上でした。大変、幅広い年齢層だなぁ、こんな劇団は
東京の老舗劇団以外はないだろうと思います。
我々のように、地方の小さな私的な劇団ではありえないことの
ように感じています。
まだ初期の段階ですが、13歳の方、61歳の方、本当に
最後の最後まで、つらいことが多々あるかもしれませんが
練習を頑張って、参加された他の人たちと同じ舞台に
立っていただきたいものだと思います。
お芝居はじめて、24年になりますが、13歳や60代の
方と一緒に舞台を作ったことはありません。
それだけに、本当に心から楽しみであると同時に
きちんと舞台上に立たせることができるのかという
責任感・使命感を感じています。
まぁ、焦らずに、じっくりと一つ一つ、まず声をきちんと
だすところからはじめようかなと思っています。
前回(第7回公演)の最初の顔合わせのとき、初めて参加された
方々のかぼそい声や変なイントネーションを聞いて
大丈夫かいなと思ったのですが、それがすっとこどっこい
本番では、今まで芝居経験のある方以上に、メリハリのある
声を出されていました。そのとき、2〜3ヶ月でも一生懸命に
やれば、できるものだなぁと正直、感心させられました。
と同時にはじめて参加された方々が真摯にお芝居と
向かい合われた成果ではないのかな、とも思いました。

馴れ合いはいらない。
いつも初々しい心を持った人が好きです。
いつも一生懸命な、いつも前向きな、いつも微笑んでいる
そういう人が好きです。
大所帯です。
合言葉は『初心、忘れず、一生懸命』
今回はこれにしましょうか。ね。


[563] 目をつむり・・・強く、強く、強く Date:2005-06-03 (Fri)
JR福知山線の事故以来、全国で起こる『置石事件』
どんな奴がそのような非道なことをしているのかと
思っていました。
姫路の小さなローカル鉄道・山陽電鉄のレールの上に
あった置石、それを置いたのは近くに住む
小学3年〜5年生の女児三人でした。
調べに対し、彼女らは
「JRの脱線事故を知り、電車が転ぶところを見たかった」
と述べています。
哀しいかな、彼女たちの想像力は
電車が転び、マンションにぶつかり、車両が大破したときの
画で止まっているようです。
その後に、人が悲鳴を上げ、血を流し、生死の境をさまよった
ところまでは及んでいないようです。
それは誰の責任?
血を流し、のたうちまわる人間をうつさなかったマスコミの
責任?
いや違うような気がする。
想像力が『大破したマンションと転んだ電車』で止まることは
時代の責任?
教育の責任?
責任って言葉で片付けられないところにきているのだろうか?
人の痛み、人の悲しみ、人の苦悩、人の・・・・・・
どうして、わからないのだろう。歌の文句じゃないけれど
悲しくてやりきれない。
私が彼女たちに一言いうならなんだろう。
「なんでもいいから、大好きなことを頭に浮かべてごらん。
 そして、微笑んでごらん。目をとじて、強く、強く、強く
 ・・・・・・・・強く。」
一つの事象から次々に連想していくことができなくなっていると
したら・・・・・つまらない世の中になってきた・・・・・
そう言えるかもしれない。
救いは芸術にある。そう思いたい。

[562] 六月から・・・はじまること・・・ Date:2005-06-01 (Wed)
今日から6月です。
昨日で第八回公演の募集が終わりました。
多くの方々からのご応募がありました。そして今週には
初めてお目にかかることになる次第です。
楽しみです。そして、今回のお芝居の台本をはじめて
お渡しできると思います。
いつものように、一度に全部の台本を渡さずに
少しずつ、少しずつ、渡していこうかなと思っています。
そして、今日、来年の第九回プロデュース公演の
ホールをおさえてまいりました。
演劇人として、ホールをおさえた時は
何かゾクゾクっとしますね、何回やっても・・・・・
来年のことを何でこんな早い時期にと思われるかもしれません。
が、自分たちの本当にやりたい時期にお芝居を
するには、このくらい前からホールをとっていないと
できないことが今までにありまして、今日は今回も参加する
Y君と朝いちにホールの受付に行き、抽選をくぐりぬけ
なんとか、希望どおりに、おさえることができました。
第十回も希望どおりにホールを押さえて
来年度、劇団結成5周年、第十回メモリアル公演と
記念行事が目白押しの・・・2006年・・・・・
を充実したものにしたい、そう思います。
それには、まず目の前にある・・・・第八回公演「ハムレット」
とどう向き合って、真摯に芝居を作っていくか・・・・・
だろうと思います。
6月から・・・・・はじまること・・・・・・
それは2006年につながっているのだ・・・・・
実感してます。

[561] 善意は人を追い詰める。 Date:2005-05-24 (Tue)
最近、ふむふむと思った言葉が
『善意は人を追い詰める』という言葉である。
昨日の朝日新聞・若者点描に書かれていた言葉である。
私が二十数年来、尊敬している社会学者・芹沢俊介さんの
言葉である。
彼との出会いは彼の著書『システムからの贈り物』という本を
手にしたときからはじまる。
京都は四条河原町を北に上がった「京都書院」という本屋さん
の二階の書棚でその本と出合った。
以来、彼の出版物や新聞などの記事を彼の名前を見つけるたびに
読むようにしている・・・・というか・・・彼の一語一句が
気にかかるのである。
ニートという言葉がある。
仕事や学業にも就かず、職業訓練も受けていない
15歳〜34歳の若者をさす言葉である。
彼ら、ニートは将来、生活困難に直面したり、社会秩序や
国家財政を脅かしたりする危険性が大きいといわれている。
そして、そのニート問題は、引きこもり問題と変な形で
オーバーラップされ、今では自己防衛的な行動としての
引きこもりが雇用問題であるニートに変質していっている。
その変質した理由を『善意の引きこもり対策の失敗』である。
つまりニート問題が出現したことで
引きこもる青年とその家族が「早く出なくては大変だ」と
危機感を抱かざるをえないような、刺激になっているのだと。
引きこもっている本人の反応を調べると、一応に
ニートという言葉で多くのメディアや識者が語りかけて
くるようになり、一段と「社会復帰」をせかされている
感じが強まってくる、そして、それに呼応して
ますます引きこもりたくなる。そういう自分と闘うのは
大変だ。
そう、善意は人を追い詰める。

こう彼は若者点描という欄で書いている。
私はニート問題も引きこもり問題もこの記事を読むまで
あまり感心がなかった。知らない世界、いや別に知らなくても
どうでもいい世界の話なのかもしれない。
ただ、彼の最後に使った言葉に
ものすごく引き込まれるものがある。真実をみてしまう。
そのとおりだなぁと感心させられる。
最近、クイズミリオネアという番組で
アグネスチャンが1000万円とったら何につかいますか?
と聞かれて
どこかの貧しい難民がいる国にすべてを寄付しますと
いったそうである。
とってもいい話である。テレビを見ていないので
彼女が1000万円とったかどうかは知らないが
もしとっていたなら、彼女が使う1000万円という
その善意がどのように人々に幸せをもたらすのか。
はたまた・・・・・・
その答えはいつかわかるのだろう・・・・って
やんわりと書いて今日は眠ることしますか。

[560] ヒストリーをダヴィング Date:2005-05-23 (Mon)
前回、S-PROに参加された、とある女性から
今までにやったS−PROのお芝居のビデオがあるなら
見せてもらえませんか?とお願いされました。
 「ビデオはないけど、DVDならあるよ。君んちに
  DVDプレイヤーある?」
かっこつけて言ったものの、即座に
 「はい、あります。」との答え。
そうか、最近の人はDVDくらい持っているんだと
自慢気に「持ってるの?」と聞かないようにしようと
思い・・・今、とりためたものをDVDに書き込み中です。

第二回から第七回までの6作品です。
なぜ、第一回目がないのかといいますと・・・
話せば長い物語でありまして・・・・・

第一回旗揚げ公演のとき、実はレンタルでビデオカメラを借りて
きて撮ったことは撮ったのでありますが・・・・
いざ見てみたら・・・・ほとんど映ってなかったのであります。
そりゃそうです、借りてきたのが当日で、その機種の
説明書も読まないで、まぁ、このへんのボタン(録画と書かれて
た)を押したら、とれるのだろうとアバウトに機械音痴の
ヤマダの隆ちゃんに頼んだものだから・・・・トホホ・・・
ほとんど映ってない・・・・最後のいいシーンの前で
テープが終っている・・・・もう悲惨・・・もう大変・・・・
レンタル代3万が・・・・パァー・・・・涙・・・鼻汁・・・
でるもの全部出たくらいのショックを受けたのを覚えています。
それが教訓となり、自前でビデオを調達しちゃんと説明書を
読んだ「ワタシ」がいつもビデオを撮ることが慣例に
なりました。最初は未熟なビデオ・カメラマンでしたが
まぁぼちぼち上手くなっていったのではないかと思います。
でも、そういって撮ったデジタルテープをデジタルカメラで
再生して、最近買ったDVDレコーダーに録画するとき
思ったのですが、デジタルテープをきちんと保管していないと
いざ再生するときに・・・・画面に・・・・・・・・
クリーニングテープを入れてから再生してくださいのコメント
が何回も何回が表示されまして、また大変なことに・・・・・
次回買うなら、もうデジタルといえどもテープ形式じゃなく
DVDかHDDに直に入れられるカメラを買うことにするぞ
・・そう、決意した次第です。
自分たちの歴史を何か編纂しているようで
このダビング作業、結構楽しいものです。
やはり、私が見て、いちばん楽しいのは
「カーテンコール」のときの役者さんたちの表情かな?
今までの緊張から少し、解き放たれ、みんな良い顔して
はります。第八回公演の募集も後一週間で終ります。
募集された、未だ見ぬ役者さんたちとお会いでき、そして
練習して、本番を迎え、その最後にカーテンコールがある。
そのカーテンコールで「いい顔」がまた見られると思うと
この文章を書きながら、わくわく・ぞくぞくしてきます。
もうすぐ第8回公演「ハムレット」のはじまりです。

[559] 交流戦。 Date:2005-05-22 (Sun)
わが阪神タイガースが単独首位になり、気持ちよく
ビールを飲みながら休日をすごしています。
今年からはじまった交流戦いいですね。
にっくきドラゴンズがたくさん負けて、セリーグの1位から
最下位まであったゲーム差が10から4.5に縮まって
きました。いいことです。
どのチームにも優勝のチャンスがあるってことは
選手の皆さん、真剣に手を抜かずにプレイをするでしょうから
これから「いい試合」が秋まで続くことだと思います。

セリーグの選手しか知らなかった、エセ・プロ野球ファン
だったのだなぁ、と感じます。
ロッテのサブマリン渡辺の投球、ソフトバンク4番・松中の
パワーみなぎる打球・・・・などなど
この交流戦でパリーグの様々な能力のある選手を
敵として、相手として、みると今までと違った見方が
できてくるから不思議です。
交流戦もあと半分、一度対戦したカードの2周り目になります。
今まで以上に「熱い戦い」を期待して、残りの試合を
見ることにしようと思います。

[558] 第一独白 Date:2005-05-11 (Wed)
ああ、この固い、あまりに固い肉体が
溶けて崩れ、露と流れてくれぬものか。
せめて永遠の神の掟が、自殺を禁じたもうことがなければ。

ああ、神よ!神よ!この世のありとあらゆるものが
この俺にはなんと疎ましく、腐った、つまらぬ、くだらない
ものに見えることか!
許せん、ああ、許せない。
この世は、荒れ果てて 雑草ばかり生い茂った庭。
けがらわしいものだけが はびこって悪臭を放つ。
こんなことになろうとは!

亡くなってわずか二ヶ月で・・・いや、二ヶ月さえ経っていない
・・・・立派な王だった。今の王は獣のような奴だが
太陽の神のような人だった。
あんなに母上を愛し、天から訪れる風が母上の顔に
強くあたるのさえ 許さぬほどだったのに。
なんということだ、忘れることはできぬのか。
母上にしても、ああ、父上の愛をむさぼるように受けて
しがみついていたではないか。

それが、ひと月足らずで・・・・・考えたくない。
・・・・・・・弱き者、汝の名は女・・・・・・・
たったひと月で・・・・・・・・・
ニオベのように涙にかきくれ、哀れな父上の亡骸を
墓場まで追った、その靴も古びぬうちに。
・・・・その母上が、ああ、母上ともあろうものが・・・

神よ、理性がない獣さえ、もっと長く嘆くはずだ・・・・
それが、叔父と、父上の弟と、結婚した。
父上とは大違いの男だ。俺がヘラクレスと違うほどに。

ひと月も経たぬうちに・・・嘘の涙で泣きはらした目も
まだ赤く腫れているというのに・・・・結婚した。
ああ、邪悪な早さだ!いそいそと近親相姦の床へ急ぐとは!

よくないぞ、よい結果になるはずがない。
だが、胸が張り裂けても、黙っていなければならぬ。

※ハムレットというシナリオには、ハムレット自身が語る
 独白が7つあります。今書いたのは、最初の第一独白です。
 起承転結の『起』の部分です。国王である父が死に
 母である王妃は、すぐさま父の弟と結婚する。
 それがハムレットには理解できずに悩むようになる。
 ハムレットって無垢な人間なのでしょうね。
 今どきの子供だったら、「お母さんが幸せなら、誰と
 結婚してもええんとちゃうん。」とか言いそうです。
 「お父ちゃんの弟かいな、相手は・・・ええんとちゃう。
  まったく知らん人よりも、ええかも、ええかも。」
 そんな声も聞こえてきそうです。
 中学の頃、親父が浮気してまして、家族会議なるものを
 やりました。当時の私は、純だったのでしょうね・・・・
 泣きじゃくりながら、父に浮気の女のところから
 家に帰ってきてくれるように嘆願したことを覚えています。
 もし、このハムレットのような状況に私が、なったならば
 母親に対して、まだ父が死んだばかりだから、しばらく
 喪に服し、その結婚を許さないであろうと思います。
 でも、それを拒んで、自分の勝って気ままに母が結婚を
 選んだとしたら、母に対して??????を持つでしょうね。
 自分は父と母から生まれてきたものである。
 父の血と母の血で成り立っている。・・・・としたら
 そういう???????の母を認めることは
 自分自身の中にも??????が存在するのだということを
 認めることになる。それはできない。
 そして悩む・・・・ひたすら悩む・・・ただ悩む。
 こうしてハムレットは悩んでいる・・・・・
 そういう気がします。
 まだまだ、これから、いろいろと、この本を感じながら
 対峙していくことになりそうです。

[557] 情けないこと Date:2005-05-09 (Mon)
JRの事故以後、置石をする事件が絶えないそうです。
また、JRで現在働いている運転手や車掌にたいする
嫌がらせも後を絶たないそうです。
情けない・・・・実に情けない。
わからない・・・実にわからない。
馬鹿な奴が世の中にいっぱいいるんだなぁと
思うばかりです。
JR西日本にたいしての憤りは何となくは理解できますが
それをこのような形であらわすというのは
理解に苦しみます。
何か自分の日頃の鬱憤をこの事件を利用して
はらしているような感じがします。
特に現場の最前線で働いている運転手や車掌の方々に
嫌がらせをする輩はこの事件の本質を何もわかっていない
馬鹿野郎だと思います。
マスコミもJRの粗捜しばかり、どこの車掌区の職員が
宴会やったとかボーリングにいったとか
そんなことばかり報道して、何になるのでしょうか。
そういうのがJRバッシングを助長させているのだと
思います。
今こそ、日々、時間厳守を課せられている、JRの現場で
働く運転手さんや車掌さんにエールを送り、私たちが
スピードよりも安全や安心を望むことが求められているのだと
強く感じます。
ゆっくり、のんびり、生きることが
素敵なことだと思えるにはどうすればいいのでしょう。
それを考えることこそが、この事件の教訓となるのではないのか
なぁ、ふと思います。
昔、こういう歌がありました。ご紹介までに・・・・

 気楽に行こうよ 俺たちは 
           焦ってみても同じこと
 のんびりゆこうよ 俺たちは 
           なんとかなるぜ 世の中は
 気楽に行こう のんびりいこう
        気楽に行こう のんびりいこう







[556] 五月の雨 Date:2005-05-01 (Sun)
五月になりました。本来ならとっても快適な季節なのに
五月のはじまりは『雨』です。そして、蒸し暑いです。
今もこうしてパソコンに向っている私の額からは汗が・・・
温暖化という言葉が言われはじめて何年になるのでしょう。
本当に毎年、毎年、暑くなるのがはやくなっている感じが
します。
今、私は次回公演『ハムレット』の戯曲と格闘中であります。
ゴールデンウィークで皆さんが楽しんでいるときも
格闘中であります。あまり変えすぎると・・・どうなのかなぁ
とか、思い切って変えちゃえ・・・そうしよう・・うんうん
でも・・・やめよう・・・でも・・・変えよう・・でも
いろんな考えがめまぐるしく頭の中を駆け巡ります。
でも、それが心地よくもあるのですが締め切りという期日が
あるので、そうも言っていられません。
冒頭部分はこういった感じでいこうというのがやっと見えてきた
感じがします。
目をつむって・・・・幻想的な曲を聴く毎日が続きます。
幻想的な曲を聴くとイメージが膨らんでくるから不思議です。
音楽でいつも何らかのイメージを膨らまして、それを戯曲を
書いたり、脚色したりすることに投影していくように
なりました。
幻想的な曲ばかりではないのですが、今回の『ハムレット』の
冒頭をどうするかというときに、そういったのがいいと感じ
たわけです。各シーンの私なりのイメージを連想させる音楽を
片っ端から聞く・・・そういう感じです。
これからまだまだこの作業が続きます。
ネットや新聞をみて、参加される方々が満足してもらえるために
そして第8回公演を見に来られたお客さんが、私たちが作った
お芝居に満足してもらえるように・・・・・・
まずは戯曲から・・・・です。


[555] 惨事 Date:2005-04-25 (Mon)
列車事故が同県で起こりました。
こういうのってとても心が痛くなります。
そして、もし自分が・・・もし家族が・・・・もし友人が
そう思うと怖くなります。
これから電車に乗るときは、後方車両に乗るように
自然となっちゃいそうです。
マンションに衝突した車両をテレビで見ていますと
スピードを出しすぎた車が衝突してペシャンコに
なった交通事故現場のようです。
原因はいろいろあるでしょうが
やはり一番の要因は『スピード』の出しすぎだと
思います。
粉砕痕であるとかアルミ車両がどうかとか、いろんなことが
言われていますが、私はこれは人災、つまり、運転手による
スピードの出しすぎ、それによる危険なブレーキ操作が
要因である気がします。
車でもそうですが、だいたい事故が起きるのは
スピードの出しすぎや運転手の安全確認不足がほとんどです。

時間どおりに電車が来ることはありがたいことです。
今までよりも大阪や神戸に行く時間が短くなることも
ありがたいことです。
でもその『ありがたいこと』の裏側にこういった未曾有の
事故がおこりうる危険性があるとしたら
私たちはその『ありがたさ』を捨てさり
『ありがたくないこと』があってもいいではないかという
心の広さを持ってもいいのではないでしょうか。
不条理な死がもうないために・・・・・・・
合掌。


[554] 愛国無罪 Date:2005-04-18 (Mon)
我 憂う 愛国無罪と云う言葉
我 憂う 愛国心という心

我 花を愛するとき 花に水を与える
我 人を愛するとき 人に愛する言葉を送る
我 国を愛するとき 国に何をする?

国を愛するために 花を踏みつけ 人を傷つける
それが罪でないといのは 哀しいことだ
それが罪でないというのは 貧しいことだ
それが罪でないというのは 
   愛するという言葉の本当の意味を知らないことだ

深い過去の延長線上に僕たちがいるのなら
今こそ お役人の言葉ではなく 僕たちの言葉で
僕たちの素直な言葉で 話しあうときだ
そう思う

憤りはない ただ 虚しさだけが私の心にやどる
しばらく テレビも新聞も見ないでおこうか



[553] いぬのきもち Date:2005-04-11 (Mon)
私の机の前の壁にはカレンダー
「いぬのきもち」と書いてある
妻が毎月購読している雑誌「いぬのきもち」の付録である
4月は鼻の黒い日本犬が桜舞い散る中、正面むいて
ポーズをとっている

我が家のローリーは最近、お疲れ気味
サカリがきたためか、もしかして花粉症?
少し元気がない
でも私が深夜、書斎から寝室にうつると妻の布団の中から
抜け出してシッポをふって私の布団にやってくる
そこで、わたしの顔を一舐め、二舐め・・・・・
何回舐めたら気がすむんだーーーーってくらい舐めまわし
そそくさと、また妻の布団に帰っていく
それはまるで彼女のおやすみの儀式のよう・・・・・
わたしは舐められるのは苦手だが・・・・ここは
「いぬのきもち」にまかせて、その儀式におつきあいする

言葉を話せないものが何か伝えようとしている
それを受け入れるのがコミュニケーションのはじまり
「いぬのきもち」がわかりたい
そして身をまかせる
どうぞ私をご自由に・・・・・・・・・・

次のお芝居、考える
日本語分からぬ方、耳の不自由な方・・・つまり言葉が伝わら
ない・・・そういう状況下でも伝えられるものは・・・何か
見て楽しめるもの、雰囲気だけでも楽しめるもの
そういうものができればいいな・・・勝手に思う

何にしろ、○○の気持ちを考えることは
すべての『はじまり』なんだろうなぁ


[552] 全力疾走! Date:2005-04-05 (Tue)
プロ野球が開幕しました。
我が阪神タイガースは来年の大リーグ行きのことで
頭が一杯の元・エースの投げた開幕戦だけ負けただけで
それから、あとは3連勝しております。
去年と違い、今年は見ていて楽しい試合が多くなる気が
しています。
終盤戦まで優勝争いをする気がしております。
優勝は時の運みたいなところがありますから
なんともここで断言できませんが・・・・・・
何故、見ていて楽しいか、何故、優勝争いをするか
それはひとえに『鳥谷君の全力疾走』にあると
アマチュア評論家の私は思ってしまうのです。

鳥谷君は昨年、鳴り物入りで入ったゴールデンルーキーで
あります。だけども昨年は全然活躍しないままシーズンが
終わりました。今年こそ・・・・必ず・・・・・
彼はそう思ったに違いありません。
結果がすべてだとプロの評論家は言うと思います。
だけどアマチュア評論家の私はそうは思いません。
今、鳥谷君がショートの守備位置につくとき
ショートの守備位置からかえってくるとき
高校球児のように全力疾走でベンチから、そしてベンチへと
走っている姿勢がとても気持ちよくて仕方ないのです。

彼はいろいろ考えたと思います。
キャンプで死に物狂いの練習したけれども
実際に打てるかどうか不安だったと思います。
打てるかどうかは相手があることですし
あまりにも相手投手のできがよければ打てないであろうし・・・
打てる・・・・打てない・・・・・打てない・・・打てる・・・
悩みはつきなくなります。
そんなことを悩んでも仕方ない。
なにも考えずに全力でやれることはなんだろう?
彼は考えます。・・・・・そうだ!!
全力で守備位置につこう!!全力で守備位置からかえろう!!
そう思い立った。そんな気がします。
全力で彼は走っています。
その気持ちが私は嬉しくてならないのです。
見ている野球ファンにたいしての彼の「思いやり」が
そこにあるからです。
守備位置にどれだけはやくつくか・・・野球はそれを
競いあっていませんが、今の彼を見るとそんな気がします。
このエッセイを読まれましたら、テレビで彼の全力疾走
する姿を一度、みていただきたいなぁと思います。
最後の最後まで・・・彼を見続けよう・・・・・
そう思います。今年は楽しい一年になる予感・・・大です。


[551] 桜はまーだだよ。。。 Date:2005-04-03 (Sun)
昨日、姫路城で市主催の観桜会でした。
去年は散った後、今年は咲く前と・・・・桜は人間が
考えたようには咲いてくれません。
この分で行くと来週の日曜くらいが見ごろ?はたまた
まだ七分咲きかもしれません。
今週の中頃に気温が二十度を超える日があるとのことです。
その気温の上昇と共に満開になるのでしょうか?
どうでしょう?
桜の花をみると、いつも『はじまり』という気持ちに
なります。
新入生や新入社員の初々しい姿をみると、その気持ちが
一層強くなります。
私自身はあまり変わらない生活が続くのでしょうが
日々新なりという気持ちをもって生きようと
この季節に思うのですが・・・・・・それが
いつまで続くやら・・・・だらだら・・・・ぐうたら・・・
すぐに自分を甘やかしてしまう自分がいるので大変です。
今年こそ、自分に厳しく、人に優しく
桜咲く前に・・・・決めることにしましょうか。



[550] To be or Not to be・・・・・・. Date:2005-03-29(Tue)
第8回公演の演目が決まりました。
かの有名なシェークスピアの三大悲劇の中の一つ
「ハムレット」をやります。
S−PRO風にアレンジをしてやるつもりです。
オリジナルをしようか、またシェクスピアとは違う台本を
しようかといろいろと悩みに悩みました。
昨年の第6回公演「恋愛シャンプー」の台本にたいしまして
各方面の方々からお褒めの言葉や激励の言葉やメールなどを
いただきました。
自分としては前回(第7回公演)が既成の台本であったこと
今年はS−PROとしては年に一回しか公演をしないこと
そういったことから自分で書いたものを上演しようとも
考えたこともありました。
それが何故、「ハムレット」になったかといいますと
前回の公演のあと、PROJECTに参加された方が
引き続き、今回の公演にも多数参加意志を表明されたという
こと、そして、その参加意志のある方々に台本選定において
いろんな意見を求め、話合いを持ったということ
そういった中から・・・・シェークスピアが浮かび上がった
わけです。しかし、本当はそれだけではないのです。
私がオリジナルで書こうと思っていたことと
今回の「ハムレット」には共通点が多々あることが
最終的にこの作品を選んだ決め手になったのではないかと
思います。
昨年の5月30日、「恋愛シャンプー」の練習中、父が
脳梗塞で倒れたという連絡が私の携帯に入りました。
それから2ヵ月後、父は他界しました。
ここのエッセイでもその詳細は書かせてもらいましたが
・・・・いまも「父が私に言い残しかったこと」を
考える毎日です。
突然、言葉と体の動きをなくした「父」は病院に
見舞いに行くと何か言いたげでした。
何か言いたいだろうということはわかりますが
何がいいたいのか、わからない、そういう2ヶ月でした。
前回の公演がすんで、オリジナルをするなら
「父親の死」が出発になる物語を書いてみようと思いました。
悲劇にせよ喜劇にせよ、それはどちらでもよく・・・・・・
話合いでシェークスピアもという案がでてきてから
いろいろとシェークスピアの台本をいろいろ読んだり
ビデオなども見ました。
その中で物語のはじまりが「父の死」であるものが
この「ハムレット」でありました。
「ハムレット」は父の亡霊にあい、父の死の真相を知ります。
そして父を殺した叔父に復讐する物語です。
私の父はハムレットの父のように誰かに殺されたわけでは
ありません。ですが、年金をもらえるような歳になりながらも
私の父はひとりビジネスでの成功を夢見て、誰にも会社の内情
を言わずに戦っていたのです。
苦しいこと、つらいこと、大変なこと、誰にも言えずに
戦っていたものは何なのか・・・・そして、何を子供で
ある私に言いたかったのか。
それらを考えていると・・・・何かに殺されたような気持ちに
なります。隠居して、平々凡々と老後を送っていたなら
そういう気持ちにはなりませんが、彼は戦っていたのです。
「ハムレット」を演出するにあたって、私が考えおりますのは
たんなる復讐劇にしたくないということであります。
「ハムレット」は多分、「父が殺されたか、どうか」よりも
「たんに父が存在しなくなったこと」によって
自分の父親が自分にとってどういう存在であったかということを
考え、そして悩み、そして狂うのではないのかなぁと思います。
そういったところが今の私の状況にも類似していて
この作品をやろうという決め手になりました。

To be or not to be・・・・・
試行錯誤の日々が最後の最後、千秋楽の日まで続きそうです。

[549] 立て続けに・・・ Date:2005-03-24 (Thu)
立て続けに・・・・演劇ビデオを鑑賞し、また、姫路の劇団の
公演も見たりして、頭の中がいろんな話でいっぱいです。
好み・・・・って言葉があります。
嗜好・・・・人それぞれにあるのだなぁ・・・
いろいろな「お芝居」を見て、そう思います。

嗜好のない私が最近見た「お芝居」の中で
一番、よかったと思えるのは 
「赤鬼 タイ・バージョン」作・演出 野田秀樹
でした。
蜷川作品なども見ましたが、やはり野田さんの演出は
好きです。好きだから・・・よいと思えたのでしょう。
どこがいいのかというと・・・言葉つたないかもしれませんが
ちっぽけじゃない・・・ちまちましていない・・・・
そういうところが好きな理由です。
巧妙に細かく作っていくことは、誰でもできるような
気がしてまして、野田さんにはそれを超えたものがあるような
気がしてなりません。
将棋で例えてなんなのですが、羽生さんという本当に
強い棋士がいるのですが、彼が将棋の終盤に見せる
一手、一手の素晴らしさ(人はそれを羽生マジックというの
ですが)に似ています。
つまり、お強い棋士の皆さんは定石を知っていらっしゃる。
すべて知り尽くした同士の勝負で何故、いつもいつも
羽生さんが勝つのかというと・・・・彼は理屈のない部分
インスピレーションと呼んでもいいのかもしれませんが
それが人より秀でているからだと思うのであります。
枠にとらわれないといいますか・・・既成概念がないと
いいますか・・・・そういう部分で他を圧倒している感じが
します。
戯曲に忠実に、戯曲のテーマを伝えることばかり考えて
緻密に作って、それが伝わっても、それが何になるのか
それがなんぼのもんじゃい、って彼が笑っている感じが
します。
どうぞ、お好きなように・・・・ご勝手に・・・・・
そういう感じが彼の芝居作りには感じられて、とっても
こちらの脳を刺激させてくれます。
本当に心地いいです。
私どもも「見て楽しく・・・心地いいもの」を・・・・
精進の日々です。


[548] アイデンティティ オブ S−PROJECT Date:2005-03-17 (Thu)
アイデンティティ・・・・とは自己同一性などと訳される。
自分自身が納得できる自己像、自己の存在基盤を指し示す。
何があるから自分は自分なのか、何によって自分は他と区別
されるのか、それを問いかけている。
「自分は何者か」「自分の目的は何か」「自分の存在意義
 は何か」など自己を社会の中に位置づける問いかけに
対して、肯定的かつ確信的に答えることができるのが
アイデンティティの確立にとって重要である。

ふむふむ・・・なんだか難しそう・・・だけど
哲学大好きな私は、そういった言葉に心動かされるので
あります。
S−PROJECTのアイデンティティは何だろう?
今一度、考えてみてもいい時期にきているのかも知れない。
S−PROJECTは一回こっきりの劇団である。
公演の都度、募集をし、集まった方々と公演をうつという
システムである。費用はすべて私が持つ。
劇団費はとらない、チケットノルマも課さない
赤字が当然のようにでますが、それの補填もない
劇場をとったり、練習場の確保といった雑用もない
ただ役者として参加していただいただけでなく
スタッフが少ない場合(ほとんどの場合なのですが)
としての作業(大道具、小道具、衣装などなど)
は申し訳ないが時間の許す限りやっていただくという
ことであります。
なぜそういうシステムにしたのか・・・・・
このことはあまり人前では言わなかったのだけれど
S−PROのアイデンティティを考えるにあたっては
この場で言わないといけないと思う。
答えは『芝居をやり続けたい』・・ということだけです。
同じような人間同士で集まって、同じような『お金』を
出しあって、芝居をしていると必ず、どこかで
軋轢が生まれてきます。
何かあったときに誰が最終的に責任をとるのか、とか
私だけしんどい仕事ばかりまわってきて、あの人は口だけで
何も行動をしない、とか
愚痴ばかりでてきます。また何か決定しようとすると
なかなか意見がまとまらず、それにうんざりとなってきます。
そういうことで解散してきた劇団を山と見てきました。
それが私にとっては恐怖だったので
こういうシステムにしたのかもしれません。
また『お芝居』を広く知ってもらおう、体験してもらおう
とするとやはり経済的な部分で参加するのは、ちょっとと
思ってらっしゃる方が多くいらっしゃるのではないかと
思ったことも一つの要素ではあります。
S−PROJECTのアイデンティティは
『存在し続けるための存在』って感じですか。
ややこしいですが最初の気持ちはそうでありました。
今も何一つ、その気持ちは変わっていません。
未だ見ぬ、これから、お会いする役者さんと
夢中になる時間を過ごせると思うと今からわくわく、どきどき
してきます。
もうすぐ第八回公演の応募がはじまります。



[547] 季節も私も・・・三寒四温 Date:2005-03-14(Mon)
寒くなったり温かくなったり、今年は寒暖の差が例年よりも
大きい気がします。冬の最初よりも、この3月に風邪を
ひいている人が多いのは、それが要因かもしれません。
私もエッセイを書くペースが3日に一回、4日に一回
・・・・毎日のように書いていた頃もあるのですが
・・・・なかなか私生活が忙しく更新がままならない現状です。
最近、テレビでは毎日のように ライブ・ドアvsフジテレビ
のニュースばかりでうんざりしてます。
でも、それをやると視聴率が上がるそうで
どのテレビ局も毎日、堀江さんがどうしたとか、日枝会長が
どのようなコメントをだしたとかで一喜一憂しています。
あなたは堀江派?それともフジ派?
そのようなことを何も関係のない市井の人々に
たずねて争いを助長しているように感じます。
人は不幸な人の話が好きなもので両者のうち
どちらかが不幸になる、傷つくのだろうと
遠くテレビの外から見ている感じが私にはしています。
それが視聴率を上げている一つの要因なのかもしれません。
自分には利害のない場所での話であります。
どちらが勝っても負けても、見ている人のほとんどが
関係ない話って無責任で呑気に楽しく、見ていられるの
でしょうね。
私も無関係の人たちの一人ではありますが
今回のことを見ていますとお金というものを使って
その会社の株を大量に買い、それが過半数を超すと
権力を握ることができるという、単純なことが
なんだか真新しいことに思えてきます。
お金でなんでも解決しようというのは
なんだか日本では良くない事のように感じる方々が多いよう
ですが実際に運営していくには『お金』がいるわけで
お金をだしているものが、その組織を運営していく権利を
得るのは当然のことだと思うのであります。
今の日本では、特に「お役所や警察や学校など」の公的な
機関で「お金」にまつわる不正事件があとをたちません。
5億円を長年にわたって横領していた人間が
チェックされずに刑事事件として時効をむかえたという話が
最近、岡山でありました。
それは公的機関の「お金」が会社のように株式として
集められたものではなく、税として集められたという
ことによるものだと思います。
株主が会社に対してチェックするようなことが
公的な機関ではできにくいからなのでしょう。
たまに『街の見張り番』という団体がいらっしゃって
公的機関に対するチェックをしていらっしゃいますが
それも限度があって、その公的機関が情報公開しないと
何も不正が見えてこないというケースも多々あります。
その会社やその地域がよくなるようにと「お金」をだした
ものがきちっと報われるような社会であってほしいと
願っています。


[546] シェークスピア Date:2005-03-08 (Tue)
最近、シェークスピアの作品を少しづつですが
読んでいます。
大学時代、英語で『真夏の夜の夢』をやりましたが
自分ではあまり面白くなかったことがきっかけで
シェークスピアからは縁遠くなっていました。
それから知り合いの『ハムレット』の舞台なども
みたりもしましたが・・・うーん?はて〜?・・・・・
って感じでありましたので、自分とは肌があわないものだと
決めつけておりました。
最近、BSで『子供たちのためのシェークスピア』の
『ハムレット』を見まして、食べず嫌い?はたまた
昔の自分があまりにも幼稚すぎたのか、深く何も考えて
いなかったのか、どうなのか、この年になって
ふむふむ、なるほどと私の今の感性に合致する部分(=台詞)が
ありまして、有名どころは読んでみようと思い立った次第で
あります。
そう思って、シェークスピア全戯曲 全原文 全一冊
っていうのを衝動的に買ったのはいいのですが
それがなんとすべて坪内逍遥訳のものでありまして
今、文語体のシェークスピアと格闘中の毎日であります。
おっちょこちょいです・・・・本当に。
もっと現代語に近い訳のものもあったであろうに・・・・・
まぁ、そういっても坪内逍遥にはそれなりの味があるものだと
負けず嫌いな私は勝手に自分を納得させて、じんわりと
シェークスピアを読んでおります。
でも・・・・きつい・・・つかれる・・・助けて!!
といいたくなります。
第三回公演の『HOME@HOME』を書いたときに
『ゴドーを待ちながら』という戯曲のあとがきに
この『ゴドー』とシェークスピアの『ハムレット』は
穴だらけの本でそこがとっても面白いのだという解説が
書いてありました・・・・・・穴だらけというのは
多分、どうとでもとれる(いろんな解釈できる)という意味だと
思いますが、その良さが今回のシェークスピアの『ハムレット』
を読んで感じとれるのか、どうか、楽しみです。

[545] ひなまつり Date:2005-03-03 (Thu)
今日は「ひなまつり」です。
先人は、可愛いネーミングにしたものです。
「まつり」というのは、ここ播州地方では
勇壮なものなのですが・・・・・
「まつり」に「ひな」という言葉をつけただけで
可愛い感じがするから不思議です。

昨年の終わりから、我が家に実家で飼っていたローリーを
飼うようになって半年がたちます。
毎日がなんだか「まつり」のようです。
あわただしく、あっという間に
時間がたっていく感じがします。
たまにある「まつり」なら楽しいでしょうが
毎日が「まつり」というのは結構、大変で
ひとり静かな時間が欲しくなってきます。

ひとり静かにブランデーを飲みながら
読書にふけてみたいものです。
多分、無理でしょう。今の状況では・・・・・です。
世の中の方々は「ひなまつり」がすんで
普通の生活になられるのでしょうが
私は当分、(ローリーが精神的に大人になって
静かなクールなワンコになるまで)「まつり」が
続きそうです。







[544] 旅立ち Date:2005-02-25 (Fri)
♪私の瞳が濡れているのは 涙なんかじゃないわ
 泣いたりしない 
 この日がいつか来ることなんか 二人が出会ったときに
 知っていたはず
 私のことなど もう気にしないで
 貴方は貴方の道を歩いてほしい

卒業のシーズンですね。
いろんな旅立ちが世間ではあるのでしょうね。
男女の旅立ちですか・・・・・これ。
女性は強し!・・・てな感じかな。
この詩ができてから、だいぶ時がたってます。
もっと、もっと、強くなってるのでしょうね。
結婚しない 女性の幸せ度が
70パーセント強になったとマスコミが報じています。
結婚しようが、しまいが 自分の幸せって
自分で作るものだから、それはとっても良いことだと
思います。
だけど、昔ながらの人々は女性の幸せ=結婚と
思っている方々が今もいらっしゃるのは事実です。
出生率が下がってきて・・・
こりゃ、お国の一大事。なんとか手をうたなければ・・・・
馬鹿な政治家は時代の流れも読めずに
そう叫びます。
出生率よりも各人が、どのように自分の足でたって
自分の生き様に満足して、生きてゆくか。
それがまず最初にありきだと思うのですが。
それから・・・・女性が不当に差別されたり
昔ながらの偏見で価値観を決められたりすることを
なくしてから、議論するべき問題なのかもしれません。

『旅立ち』・・・・それは一人の人間として、男性も女性も
青い目の人も黒い目の人も、力の強い人も弱い人も
どの人にも自分の足で立つことのできる世の中に
むけての旅立ちであってほしいと願っています。


[543] 第十回まで。。。は Date:2005-02-21 (Mon)
はやいもので、今年に入ったと思ったら、もう2月も
後半、2月は『逃げる』といいますが、3月が目の前に
きています。
S−PROもはやいもので今年で4年目、公演回数も
7回をこえ、今年の秋の公演が第8回めになります。

いろいろと考えることが、ここ一ヶ月くらいありました。
今まで足りなかった部分は何か・・・・とか
もっと、できのいい『お芝居』をどのようにしたら
できるのだろうか・・・・・とか
次の芝居までの時間があけば、あくほど
いろいろと考えてしまうようです。

こういうときは原点に返ればいい、いつまでも初心を
忘れるな・・・と最近、思うようになりました。
S−PROJECTをはじめるにあたり
劇団という形にこだわらず、毎回毎回、募集して
一から新しいメンバーで作り上げよう。
一期一会を大切にして、各回のはじまりには新鮮な気持ちを
持って、練習にのぞむようにしよう。
本当に手探り状態からのスタートだったのですが
今まで参加していただいた方が熱意のある方ばかりで
楽しく、有意義に公演ができたこと、大変嬉しく思っています。
ただ、毎回、毎回、どのような方が来られるのか
わからないということは、芝居のレベルが違ってくることも
実感しました。
はじめて芝居をやる方々が多い公演では、やはり発声のような
基礎から教えなければならないことがあったりして
本題の芝居の練習には最初の予定どおりに入れないことも
ありました。
芝居の経験がある方々が多く参加された公演では
何も言わなくても、彼らの経験からもともと発声もできているし
芝居作りっていうものも熟知されていますので
本題に入って、細かい部分まで作り上げられることも
ありました。
知人は、私に言います。募集して一回こっきりの公演をうつ
今のシステムをやめて、市井の劇団のようにして、ある一定の
レベルを保ちながら芸術性の高いものを追求していったら
どうかと。
いろいろな人の意見に耳を傾けながら、いろいろと思案して
きました。制作強化とかも考えてみました。だけど
もう一度、原点に戻って、いままで考えたことを
すべて白紙にして、第一回に旗揚げした純粋な気持ちを
持って、第十回公演までは変わらずに、変えずに
今までのままの運営でやっていここうと思います。
今年は秋に第8回公演のみやります。
来年は年二回、春に第九回、秋に第十回記念・五周年記念と
ダブルの記念公演をやろうと思います。
来年の秋までは・・・・・・・
第十回までは・・・・・・・・
七回もやると、今のシステムでやっていると
いいところもあり、悪いところ(改良したいところ)も
でてきます。
だけど、一つをいらうと違う部分も変わってくるのが
演劇の微妙なところなので、あえて第十回までは、何も
変えずに突っ走っていこうと思います。

[542] 自立できない理由 Date:2005-02-17(Thu)
僕はどこからきて
どこに去っていけるんだろう
街はお腹いっぱい 僕一人ぐらいなんでもない

君は未練残さず ここから去っていった
後に残った僕は 取り残されたみたいだ

いつの間にかのことなんだ もうすでに街から
離れられなくなったよ

毎日 ここにやってくる とてもたくさんの人たち
毎日 ふりわけられる とても弱い人たち

強く生きてる人 謙虚に生きてる人 うまく生きてる人
僕はどこに入ろう

いつの間にかのことなんだ もうすでに街から 
離れられなくなったよ

あっちの溜まり場がいい こっちの溜まり場がいい
ねぇ そこ 空いてますか 仲間はずれはいやです

いつの間にかのことなんだ もうすでに街から
離れられなくなったよ

※この詩を書いた貴方、聞いてますか?
 貴方が自立できないのは 一人が怖いからなんですよ。
 一生懸命に生きるのが怖いからですよ。
 さぁ飛び立ちましょう。何も怖いものはありませんから。
 さぁ好きな人には『好きです!』と言いましょう。
 さぁこの街から離れ、遠くへ行きましょう。
 さぁ親元を離れましょう。
 さぁ一人で生きてみましょう。
 世の中、貴方のこと、受け入れてくれない人ばかりじゃ
 ありませんから。
 さぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 




[541] 思案 Date:2005-02-14 (Mon)
思案しています。いろいろと。
劇団のことで思案しています。いろいろと。
自分はとってもいい加減なタイプです。
嫌なことよりを楽しいことを
辛いことよりも嬉しいことを
選ぶ性質です。
嫌なこと辛いこと大変なこと これを言ったら
人はあまりよくは思わないだろうなぁということ
そういうことから遠ざかろうとする性質です。
だから「いい加減」なのです。
「いい加減」ながらも、それではいかんと思ったりもします。
だから自分で自分を正そうとしたり・・・・・
『いい加減』から抜け出そうと画策しようとしたり・・・
思案しても思案つきません。
自分では客観的に自分のことを見ようとしていても
本質的には何もわかっていない自分がいるのかもしれません。

私の「いい加減」さが私の周りにいる多くの人々にとって
心地良いものであれば、自分を律してまで自分自身のスタンス
を変えなくてもいいのかなと思ったりもします。

きちっと物事をやるということばかり先行して
本質を見失ってはいけないような感じもしています。

すごく抽象的なことばかり、述べましたが
私の心の中はいつも抽象的であります。
その抽象的な「空気」とか「気持ち」とか「思いやり」とか
「やるき」とか・・・・・
そういうのが結構好きなのであります。
漠然としたもの、何か意味不明なもの、わかりえないもの
そういったことに昔から心惹かれるみたいです。

何の意味も知らなかった少年の頃に 帰ろうか
楽しくて 楽しくて バットを思いっきり振って
走って 転んで 泣いて 笑って
何も考えず ただ好きだから ただ楽しいから
ただ・・・・・ただ・・・・

思案するのは大人 思案しないのは子供
自分はいったい どちらになろうとしているのでしょう

まだまだ・・・・・思案する日々は続きそうです。
でも これを超えて 考え抜いて その日々から
抜け出せたとき 見えた世界に真実はあるのだろう
はじめから 何も考えず 何も考えようとしないよりも

[540] 録画三昧 Date:2005-02-10 (Thu)
最近、第一回公演からのDVテープをHDDに落とす
作業を毎日、行っています。
まぁS−PRO公演ライブラリーといいましょうか・・・
まだ七回しかやってないので、ライブラリーと呼べる代物では
ないのかもしれませんが、まぁ整理するのは、こういうOFF
のときにしかできないものですから。
いろいろと気付くことがあります。
第一回はレンタルでビデオを借りたのですが
そこについてきたテープが短くて、途中で切れていたり
不慣れな人に頼んだものだから、焦点がぼけていたり
本当に見るに耐えれません。
その教訓をいかして第二回目から劇団でビデオを買いまして
舞台を撮るようにしましたが、これも初めてのことが多くて
人をアップしすぎたり、ホワイトバランスが調整しないまま
録画したために顔が真っ白に映ったり・・・・と
まだまだ修行が足りぬって感じで・・・ほぼ見るに耐えれない
ものでした。
第三回は客席を座敷にした分、舞台にいる人間が邪魔されずに
映るようになりましたが、自分的にはまだまだアングルが
定まらないことが多くて、気に入ってません。
第四回、第五回もあまり成長してない感じですが・・・・
第六回からはナカナカ、いい感じになっています。
それが何故か・・・考えた結果、私の腕ではなくて
ビデオを立てる三脚を第六回から変えたということが
要因で上手く撮れるようになった・・・そう思います。
第六回公演のカーテンコールにて結婚式の記念写真を
秀次郎爺さんが撮るということで舞台上にも三脚がいることに
なりまして、それで知り合いの、カメラを趣味になさっている
方にプロ使用の三脚を貸してもらい、それをビデオ撮影用
私の安いモデルを舞台用に使った・・・・そういうことです。
プロ使用の三脚は上下左右、動かすのがスムーズであり、また
高い位置から撮ることもできます。
それが写りがよくなったのだと思います。
やっぱり、三脚はビデオを買ったときに、「おまけ」で
ついてあるようなものでは「ギー」「ギー」とうるさい音が
でるだけで使い物にならないことを知りました。
ホントに『瓢箪から駒』みたいな話でそのラストのシーンが
なければ、ずっと見るに耐えない、ビデオが続々と生まれて
いたのかと思うとぞっとします。
それと今になって思うのですが、はやくHDDに落としておいた
ほうがよかったかなと思っています。
DVテープといっても、やはり時がたてば、劣化します。
第二回の「熱海」のテープなんかはテープが汚れていて
三回の舞台撮影したテープのうち二本が再生するときに
変な横線が入ったり、クリーニングテープを用意して下さい。
というコメントが出たりと、予想しなかった問題が
でてきています。
まぁ、いろいろと知らないことが起こる「録画三昧」の日です。
その録画している「お芝居」を見ると
特に昔の作品なんかをみると、ここはもっとこうやったら
とか、あそこはもっとこうやったら、とか、台詞の間とか
体の動かし方とか・・・・・まぁ今になっては遅いのですが
改良したい部分がいっぱいでてきております。
「お芝居は深い」まだまだ貪欲にいいもの、面白いものを
作ってやろうと・・・させてくれた「公演録画」作業です。


[539] 映画三昧 Date:2005-02-07 (Mon)
最近、映画をよく見てます。
昔と違って、最近はわかりやすい映画を見るように
しています。ストーリーが難解なのが好きな時期もありましたが
わかりやすい話をどんな感じに演出しているのかに
観点をおいて見ています。
ストーリーがわかりやすいと次に起こる展開が読めてしまい
ます。それをどのように飽きさせないで画を作って
次のシーンにつなげていこうとしているのか・・・・・
そればかり見ています。
それが本当の演出者=監督の力だと最近、感じ始めています。
昨年やったコメディ作品(「恋愛シャンプー」「パパがいない
聖夜」)が今までの演出してきた自分を何らかの形で
変えていってくれたような気がしています。
見えなかったものが見えてきたような・・・・・・
感じなかったことを感じはじめたような・・・・・
今日、10年前に見た映画をもう一度見ました。
あの時と感じ方が違う自分がいました。
ただの恋愛話じゃないかと思っていたストーリーが
今見ると、ただそれだけではなく、それぞれの人間の
それぞれの思いの部分が見えてくるのです。
そういった些細な部分をきっちり描いた画を入れながら
単純な話(恋愛話)を飽きさせずにラストまで
丁寧に作品を作り上げているのです。
そういうのを見ると、この作品がアカデミー賞を
総なめにしたことがわかるような気がします。
今は複雑なものを巧妙に描くよりも
単純なものを飽きさせずに丁寧に描く・・・・
そちらの方にエネルギーを使うことが面白くなって
きました。
さて・・・・明日も・・・・一本、見ますか。
3時間15分、飽きないで見せられることの『凄さ』を
感じた、映画三昧の日です。

[538] 節分です。 Date:2005-02-03 (Thu)
節分です。恵方巻きを食べました。
恵方巻きを西南西にかざして願いながら食べていると
あら?不思議・・・なんとなく次の『お芝居』で
何をしようかということが、見えてくるではありませんか!
というのは冗談で・・・・でも今日なんとなく
次、お芝居するなら、こういうので行こうというイメージが
湧いてきました。ふつふつと・・・・まだ、メラメラとは
いきませんが・・・・このFUTUFUTUが
とっても私にとっては大事でして、エヘッ・・と
にっこりしております。
まだまだ時間がありますから、それをじっくりと暖めて
具体化していかなくてはと思います。
2月になりました。今月から月に二回程度ですが
今まで一緒にやってきた方々のなかの有志で練習を
しようと考えています。そして、春くらいから第八回公演の
募集をしていこうかなと思っています。
いつもより早く動き、切羽詰って、最後の最後にしわ寄せが
こない様にスケジュールを組もうかと思っています。
そういっても、公演の前はバタバタしますが・・・・
正直言いまして、基本的なことをいつもやらずに
公演の練習に突入していたのがほとんどです。
今年は年に一回だけの公演ですので
いつもやらない基本的なことを、この二月から少しずつ
少しずつ、やっていこうかなと思います。
台詞を言うときに体が揺れてはいないか・・・とか
視線の定め方、リアクションの仕方、 もちろん正しい
発声について・・・・などなど、きっちりとわかりやすく
しかも楽しく稽古ができたらなぁと思います。
はじまりは如月からですか・・・・楽しみです。
 

[537] ハナミズキ Date:2005-01-30 (Sun)
最近、この歌をよく聞いています。
いろいろな自分の心に浮かぶ、やるせない気持ちを何かに
たくすって、とっても詩的です。
人に言えないことって、結構、たくさんありますから。
私は、そういう状況になったとき
何に気持ちをたくすのだろう?
多分、このエッセイで詩みたいな文章を
書いて、人に言えぬ、やるせない気持ちをたくすくらいですか。

『一生』
一つ年上の大学の先輩が亡くなった。
まだ43歳である。
真面目にクソがつく人物だった。
同じ舞台に二度たった。
よく覚えている。そのときの彼の表情、仕草、声の張り様
20年たっても、覚えている。
人には人それぞれの一生がある。
だけど神様にいいたい。
はやすぎるよ・・・・って。
神様に聞こえないなら・・・・
周りにあるもの、すべてにいいたい。
はやすぎるよ・・・・って。
「真夏の夜の夢」で演じた恋人役
そのとき舞台を走りまわる あなたを忘れない
貴方と芝居でつながっていた時間が
よみがえってくる。
このことが・・・・・
真夏の夜の夢じゃなく真冬の夜の夢であってほしい。
いっときでも、お芝居でつながってた人と
お別れするのは初めてです。
動揺をかくせない自分がいます。合掌




[536] 変な感覚 Date:2005-01-26 (Wed)
まだ公演から一ヶ月と二週間しかたっていないのに
何年も前の『出来事』のようにUPした写真を見て
感じる。
変な感覚である。
各公演ごとに、その感覚は違うのだろうか?
どうだろう?
何回もしていると何かが麻痺してしまうのだろうか。
凝縮した時間から解き放たれると時間というものは
長く感じるのだろうか。
よくわからない。もしかして『お芝居の神様』が
芝居がすんでからの時間を長く感じるようにしむけて
いるのだろうか。
長く感じさせて、はやく次の芝居をやりなさい、さもないと
もっと、もっと、その間の時間を長くするぞ!退屈にするぞ!
この野郎!ってな感じかもしれない。
公演終ってから、いろいろと芝居を生で見たり
ビデオで見たりしておりますが、やはり阿波踊りの格言
どおり、『踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら
踊らなにゃ、損損』という気持ちが実感として
湧いてきております。
よくインターネットでも劇評をお書きの方々のHPを
拝見いたします。なかなか細かい所まで見られていて
それはそれで楽しく拝見させてもらっているのですが
芝居つくりを知らない彼らは本当の演劇の楽しさ
本当の演劇の喜び、本当の・・・・・・・を知らずに
文章を書いてはるのだなぁと思ってしまいます。

まだ覚えている感覚 少年の頃 一度だけ
思いっきり振ったバットの芯に ボールが
あたったとき・・・・ その感覚
その気持ちよさが 今も忘れられない
本当に わずかな瞬間のことだけど
忘れていない
実際に あたったものにしか その感覚は
わからない
さぁ バットを振ろう
内角 外角 ストレート カーブ
どんな球が くるか ばかり悩んでないで
さぁ バットを振ろう
バットが重くても 君が非力でも いいのだ
とにかく バットを振ろう
振らなきゃ あたらない 
力がつくまで 待つのかい いいバットを買うまで 待つのかい
さぁ 見ていないで 



[535] DVD&シアター・システム Date:2005-01-23 (Sun)
DVDレコーダーを買いました。
TOSHIBAのやつです。いろいろと考えて、ものを
買うたちです。買おうと思ってから一ヶ月たちました。
何回も何回も電気屋へ行きまして、ネットでの最低価格と
ほとんど変わらない値段まで値引きをしていたので
買う決心がついたってわけであります。
ついでにシアターシステムも買いまして
実はこちらのほうが今となっては気にいっているのですが。
ここ何年か映画館にいけなかった分、最新のものから
少し前の分まで映画を見まくろうと思っています。
今日はさっそくツタヤへ行って三本、借りてまいりました。
私に会われた方はよくしゃべる饒舌な人だと
お思いになられているかと思いますが、実はドッコイ
家では物静かな『人物』であります。
いつも書斎に閉じこもり、音楽を聞いたり、こうして
パソコンの前にいたり、一人で誰にも邪魔されない時間が
大好きなのであります。
だから、戯曲を書くのも苦にならないのでしょう。
DVDレコーダーを買ったので、これからは映画を見る時間も
増えることだと思います。いったい、いつ寝るのだろうと
少々、心配しています。
いつも寝るのが1時か2時くらいなので、それから映画を
一本見るとして、まぁ3時か4時くらいには寝れるのだから
まぁいいか・・・・なんてことを考えています。
今は芝居はOFFなのでこれが戯曲を書いたり、また
練習をしたりと忙しくなれば、また睡眠時間が減って
いくことでしょう。3時か4時かが・・・・5時か6時に
まぁ睡眠が一、二時間になる・・・それもいいでしょう。
寝る時間が惜しいくらいに刺激的なことがある毎日なんて
素敵なことです。そう思い込んで生きていきましょう。
思春期の頃、こんな私でも恋をして眠ることができない
日々がございました。
寝付けない日々の連続であります。
けれど病になったり、体調をこわして、学校を休むということは
ありませんでした。それは楽しくて刺激的なことが要因で
眠れなかったからだと思っています。
さぁ、明日から映画見て、これまでの劇団の第一回から
第七回までに撮ったビデオをDVDに落として
毎日、録画している番組もチェックしてと・・・・・
大変な毎日が待っています。

[534] BRICKS S−PROJECTへ引き継ぐもの 最終章 Date:2005-01-18 (Tue)
『無常』という言葉の意味を知ったのは
高校の頃、「徒然草」を読んでからだったように思う。

常で無くなる・・・・すべての生きとし生けるもの、形あるもの
すべて、無くなる。
それが歳を重ねるたびに実感してくる。
在ることの大切さを無くなったときに感じる。
愚かなことである。
在ることの大切さを在るときにも感じていたい
そう思う。
今、BRICKSという場所がなくなろうとしている。
多分、なくなるのだろう。
私の心に残っているのだ・・・そんな気障な台詞はよそう。
そんなことよりも今、実際にあるS−PROJECTが
在ることに感謝して生きていくこと、それが今の私に
とって大切なことだと思う。

♪青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見おろし
 この人生が 何処へ俺を導くのか尋ねてみる
 手に入れた形あるもの やがて失うのに
 人はそれを夢と名づけ 迷いの中 さまよう・・・

今、迷うことなく自分を表現できる場所があること
今、形あるものが無くなることを知っても
迷うことなく生きていける場所があること
強さというより丈夫さを身につけた自分がいることに
今まで出会った人々、今まで遭遇した体験
今までの人生に感謝せずにはいられない気持ちである。

BRICKSもその中の一つである。




[533] BRICKS 第二章 Date:2005-01-12(Wed)
そのBRICKSの後輩から先日、手紙が送られてきた。
いつもは「葉書」でOB会のお知らせが届く季節なのだが
今回はいつもと違い手紙である。しかも、かなり分厚い。
中味を見て愕然とした。

2005年度BRICKS OB会のご案内

年の瀬もまじかになって参りましが、ご健勝のことと
お喜び申し上げます。BRICKSの公演も無事、盛況のもと
終了し、本年度も再びOB会を迎えることになりました。
OB会の場所は例年と同じく『○○○○』を予定しております。
2月5日に開催させていただきます。時間は18時から
会費は6000円です。二次会はこちら側では企画いたしません
が、集まった方々で開いていただければ幸いであります。

→ふむふむ、いつもと同じ、案内だなぁ、これが送られてきて
 20年がたつのだが、今年は手紙だなんて丁寧な幹事君だなぁ
 と思いきや・・・・・・

現在、BRICKSでは部員が私しかおらず、残念ながら
今年度を持って活動を終了することになっております。
それに伴い、次回以降のOB会開催予定が決まっておりません。
ただし、まだ学生である私が幹事を再びさせていただき
OB会を開くことは予定しております。しかし現在、OB会の
参加人数自体も減少傾向にあります。もちろん先輩方がお忙しい
ことや地理的関係で京都までこられないことなどは存じておりま
す。ですから、もしよければOB会を別の場所、別の日時に
変更することで参加される方をより多く望めないでしょうか。
もし何か良い考えが在りましたら、別紙のアンケートに
ご記入下さい。

→ 愕然とした。言葉がしばらくでなかった。
自分と演劇を出会わせてくれた場所がなくなる・・・・・・
私の原点といえる場所がなくなる・・・・・・・
あの頃のように、今も御所の周りをランニングしている
後輩が何人もいると思っていた。
あの頃のように、学生会館の屋上で肉体訓練して
京都の町並みに向って、大声で「ア、エ、イ、ウ、エ、オ・・」
と叫んでいる後輩が今もいると思っていた。
あの頃と同じように、ラベンダー色の本当に美しい夕焼け空を
見上げ、青春を謳歌している人々がいると思っていた。

毎年毎年、送られてくる公演の案内状を見るたびに
そのようなことを思っていた。
それを糧にこの場所でゼロから演劇活動をはじめることも
できたのではないかと思うこともあった。
それが・・・・・・・
寂しく辛い気持ちでいっぱいである。
この手紙を送ってきた後輩君の気持ちを察すると
本当に言葉がでない心境である。私が入部した以前から
BRICKSがあったことから推測すると、30年は
続いていたことになる。いや、もっと長いのかもしれない。
その一年一年積み上げてきた『レンガ』が自分の代で
崩れて、跡形もなくなってしまうのは辛いことだろうなぁ
そう思う。そして、今年、一年、一人だけで頑張って
BRICKSをよくぞ支えてくれたものだと後輩君に
感謝の言葉を送りたい。
私がBRICKSに入った年は新人が6名いた。
そして2,3,4回生をあわせると20人近い人がいた。
その後も毎年、7名から10名くらいの単位で新入生が
BRICKSに入ってきた。つまり常時、20から30名ほどの
劇団員が存在していた。
BRICKSの伝統は英語よりも芝居、とくにエンタテーメント
を重視した芝居作りだった。そのために先輩から言われたのは
とにかく数多くの芝居を見ることだった。
1、2回生のときは京阪神や滋賀まで芝居を見に行った。
大きな劇場から小劇場、テント芝居までバイトしたお金は
ほとんど芝居のチケット代に変わった。
みんな、お芝居が好きだった。先輩の人たちが酒の席で
こんな芝居が面白い、いやそうじゃない、やっぱりこれだ!
とか言いあっている姿が格好よく見えた。
大人の世界、いや大人というより、まったく別の次元の話を
する仙人のような感じだった。
そういう感じでどんどん芝居にのめりこんでいった。
それがあるから、今があると思っている。
そのときに熱中した感覚を忘れたくないのかもしれない。
しかし・・・BRICKSがなくなる。
心のよりどころが、ふっと消えた感じである。
事実は事実と受け止めなければならないのだが・・(続く)

[532] BRICKS  第一章 Date:2005-01-11 (Tue)
大学に入って・・・・さて、なにをしようかと考えた。
決めていたことはクラブ活動を4年間、やめずにすること
・・・それだけだった。
中学高校と受験のために生きていたようなものだった。
くだらなかった、毎日が。その反動だと思う。
大学ではクラブ活動をおもいっきりやりたかった。
いろいろなクラブからの勧誘があった。そのなかで
アメフトからの勧誘がけっこうひつこかった。
体ががっちり、でかかっただからだろう。
だけど、自分では内心、決めていたものがあった。
それは語学のクラブに入ることだった。日本語以外の言語に
精通したい、受験勉強だけでは話せるようにならないと
感じていた。当時は今から20数年前、NOVAもECCも
なかった。語学学校ができはじめた頃だった。
自分から足を運んで、ESSの勧誘説明会に行った。
大学が英学校からはじまっているのをそのとき知った。
多分、そのせいだろう。英語に関心のある人が多いのだろう。
なんと多くの新入生が集まっているのだろう、そう思った。
集まった新入生はおおよそ100人くらいいたように思う。
大学構内の明徳館という建物にあるM1教室という
一番大きな教室を借り切っての説明会だった。
新入生が100人くらい、2年、3年生が150人くらいいた。
その人数にたまげたが、なんと偶然なことなのだろう・・・
大学の授業の中では小クラスにあたる英語の授業で
友だちになった『坂田』君が、なぜか、その場所にいたのだ。
英語の授業で出会ったものの、英語の話などせず
どこの出身だとか、下宿はどこにしてるのとか
高校のときなにをしていたのかとか・・・まぁ最初の段階の
会話しかしていなかった。
説明会の後、『坂田』君と喫茶店に行った。
「どうすんの?」「どうするって?」
「入るんやったら来週の土曜日に活動費を2000円持って
 またM1教室に来いっていうてるで?どうする?」
「まぁ、一週間くらい時間あるから考えるわ。」
「そうか。俺も考えるわ。」・・・・・・
お互いに、連れ立ってどうこうしようというタイプでは
なかった。我が道を行くタイプだった。
一週間後、坂田君も私も説明会と同じ場所にいた。
教室に入ると、その場で班に振り分けられた。
私はD班、坂田君はF班だった。坂田君と私は離れた位置から
お互いの顔を見合わせて、微笑んだ。
その日、いきなり新入生歓迎コンパがあった。
その場所で、私が演劇に携わるようになる、運命的な人物と
会うことになる。運命的な人物・・・・
彼はESSのドラマセクション(ドラマセクションは
なぜか名前というか、呼称がついてあった・・・それは
BRICKSというのだが・・・・)の代表(リーダーと
呼んでいたのですが)の北村さんである。
ちなみにBRICKというのはレンガという意味で
同志社の赤レンガに引っかけて、先輩が付けた名前だそう
である。赤レンガ、一つ、一つの集合体が
BRICKSだそうで、お芝居もレンガを一つ、一つ
積み上げて建物を作るのと同じであると先輩諸氏から
教えてもらった。
そのBRICKSが・・・・・今・・・・・(続く)


[531] イミテーション・ゴールド Date:2005-01-05 (Wed)
車に乗り CDをかける
『イミテーション・ゴールド』が流れる
その曲の格好よさに ほれぼれする
出だしがいい こんな格好いい曲を聴いていると
なんだか芝居のオープニングを考えてしまう

客電がおちる 暗闇の中 ドラマのはじまり
 ♪シャワーの後の・・・・・
スポットライトが上手にあたる
役者1が立っている 品を作っている
 ♪髪のしずくを・・・・・
スポットライトが下手にあたる
役者2が立っている 品を作っている 
 ♪乾いたタオルでふきとりながら・・・・・
二人、しなやかに踊りだす

イントロ流れる スポットが消え バックから
光線のようなライト 目潰し的にがバンバン光があたる

 ♪彼が窓辺で話しかけるわ・・・・・

ダンサーが上手下手 両サイドから数名でてくる
激しい踊り

 ♪流れる雲さえ季節の色だと・・・・・・

役者1の派手な踊り

 ♪私は軽い目眩を感じ マニキュアの指かざしてみるの

役者2のしなやかな踊り

 ♪ア・ア・ア・イミテーション・ゴールド・・・・・・

役者1・2が絡み合い、アンサンブルを作る
バックの踊り子とともに 決め、決め、決めの連発で
踊っていく

※ただ車の中で 食事の後にたまたま聞いた曲で
 こんな絵を思い浮かべるのは・・・・変なのかな?
 どうなのでしょう。
 でも、何かに触発されるっていうのは
 私にとって、とっても気持ちがいいものなのです、はい。
 もっと、もっと心動かされるものに出会いたいと
 思うばかりです。
 それがイミテーションじゃないことを願いつつ。。。








[530] フルーツ宣言 No.1 Date:2005-01-02 (Sun)
2005年がやってきました。
毎年、このエッセイの年頭で今年の指針となることを
書かせていただいております。
一昨年は地元にある『お話』を題材にしたもので・・・・
昨年は『コメディー』を・・・・・・
そう書かせてもらいました。
さて・・・今年は?
今年はいつもとは違います。
今年は一回しか公演をいたしません。
よって具体的にこれをというものを決めようと
せずにいこうと思っています。
しいていえば フルーツのような『お芝居』を・・・・
フルーツ?
苺に林檎にバナナにパイン、マンゴにキュウイに
グレープフルーツ・・・・・・梨に洋ナシ、柿に干し柿?
黄桃、白桃・・・・まぁ書ききれないくらい多くの種類が
あります。
色鮮やかなです。甘みもあるし、すっぱさもあります。
でもどの味も嫌みがないものです。自然にあるものだから
なのでしょうね。しかも、風邪をひいたときなどの
食欲が薄れたときには、フルーツなら食することができます。
私が小さい頃、私が風邪になると、いつも祖母がリンゴを
布巾でしぼって自前のリンゴジュースを作ってくれたことを
覚えています。
フルーツのような芝居・・・・あくまでもイメージの域でしか
ないのですが、それくらいの感じで今は漠然としておいたほうが
いいのかなと思います。
今年はじっくりと、ゆっくりと、時間をかけて
制作やスタッフ関係を煮詰めてから、お芝居つくりを
しようと思っていますから。
年末に風邪をひいてから、毎日、苺を三つずつ食後に
食べています。さちのか、とよのか、・・・・・・・・
皆、本当に甘くて、いい塩梅です。