聖書日課

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ヨハネ17章 12〜19

ヨハネ17章 20〜26

ヨハネ18章 1〜11

ヨハネ18章 12〜27

ヨハネ18章 28〜40

ヨハネ19章 1〜16

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使徒2章 37〜47

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使徒4章 23〜37

29

使徒5章 1〜11

30

使徒5章 12〜32

31

使徒5章 33〜42

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1999年 7月1日(木)

ヨハネ一六章16〜24節(24)

《今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。》

 

間もなく主を見なくなる。しかし、やがて再会する。弟子たちにはこの意味は分からなかったが、イエスが十字架の死による一時的な別れと、復活による再会を意味していたのは明らかである。一時的な別れとはいえ、弟子たちは泣き悲しむと予告なさった。しかし、甦りの朝には喜びが回復されるとも言われた。だから、ここには喜びと悲しみとが対照的に記されている。ただし、ここに注目すべきことがある。痛み悲しむその時は、女が子供を産むようであるとのたとえである。つまり、キリストの十字架の苦しみは、神の子が生まれてくるための産みの苦しみのようなものである。私たちは、キリストのこの苦しみのゆえに、子として生み出された。私たちがよい結果を生み出そうとするときには、苦しみがある。しかし、それを通過すれば、苦しみは喜びに変わる。苦難の中でこそ祈りは真剣になる。その祈りが喜びに変わる。

 

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1999年 7月2日(金)

ヨハネ一六章25〜33節(33)

《これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。》

 

「これらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さない」。むしろ、あからさまに父のことを話す時が来ると主は言われた。これらのこととは、十字架や復活のことであり、それを出産の比喩で話したことを指す。しかし、やがてそれらについてあからさまに話す時が来る。それは、弟子達の魂の中に聖霊によって父のことを知らされるという直接的な信仰の理解を意味したのである。弟子達は「分かりました」(30)とは言ったものの、本当には分かったのではなかった。というのは、イエスは彼らがイエスを捨ててしまう時が来ている、と言われたのを見ても分かる(32)。やがて弟子達が復活の主に会い、聖霊の降臨なるペンテコステを経験した時、イエスが誰であるかを知り、父を知るようになった。それ故「この世では悩みがある。しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」という、み言葉の通りに生活できるようになったのである。 

 

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1999年 7月3日(土)

ヨハネ一七章1〜11節(11)

《わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。》

 

 今日の箇所は主の祈りである。この祈りの中で、イエスが弟子たちのためにしてくださったことを三つあげておられる。

@父のみわざをなしとげて、栄光をあらわしたこと(4)。イエスにとっては、十字架が父のわざのゴールであり、それはもう起こってしまったのと同然であった。

Aみ名を表したこと(6)。

B神のみ言葉を弟子たちに与えたこと(8)。私たちにとって、十字架を受け入れること、父のみ名を知ること、即ち神を信じること、そしてみ言葉によって成長していくことは、信仰生活の大切な要素である。さて、その上でイエスが弟子たちのために祈られたことは、「私に賜ったみ名によって彼らを守ってください」であった(11)。主は弟子たちがみ言葉を受け、神を信じたのだからそれで充分だとは思われない。多くの危険の中で生活し、あかしをするのだから、継続して守って下さいと祈らずにおられなかった。父の守りの中にこそ信仰生活が続く。

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1999年 7月4日(日)

ヨハネ一七章12〜19節(13、19)

《今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。

また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。》

 

主が更に弟子たちのために祈られたことは、「私の喜びが彼らのうちに満ちあふれるため」であった(13)。信仰生活は教理や義務、奉仕のためであっては命がない。喜びがなければならない。初代教会の人々は困難や迫害があったが喜びに満ちていた。その喜びは、事情や境遇がよいので与えられた喜びではない。聖霊により、恵みによってくる喜びである。しかし、その喜びを心の内に流れ込ませないものが一つある。それは心の罪である。それゆえ主は、弟子達が世から取り去られることではなく、悪しき者から守られ、聖別されるようにと祈られた。イエスは私たちが清められるために、ご自身を聖別して十字架につけられなさった。内から湧き出る様な喜びを持つ者は、苦しいことに負けない。その喜びは、心が清められ、私と主イエスとが密着することによってくる。また心の熱くなるような祈りによる。

 

 

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1999年 7月5日(月)

ヨハネ一七章20〜26節(26)

《そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。》

 

この箇所は、後代の弟子たちのための主の祈りである。20〜24節には、一つになるという語が何度もでてくる。イエスが父と一つであるような一体性が、弟子たちの間にもあるようにとの祈りである(21)。それは組織上の一つである以上に、心の一体性である。24節には、人々がイエスのいる所に一緒にいるようにして下さいとある。主イエスが共におられるから、私たちもお互いに心を一つに出来るのである。イエスは天に行かれたが、私たちが天国へ行ったとき、顔を合わせたくないというような人がいないように、心がけたいものである。25〜26節には、父を知らせるという句が何度も見られる。一体性を保つために必要なことは、心を合わせようと努力するだけでなく、根本的には、父を仰ぎ見る祈りにあると思う。神を知ることが、キリスト者の大切な一面である。神を知れば知るほど、私たちの心は豊かになってくるからである。

 

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1999年 7月6日(火)

ヨハネ一八章1〜11節(4)

《しかしイエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた、「だれを捜しているのか」。》

 

イエスはゲッセマネの園への最後の祈りのために出て行かれた。そこでの苦闘の様子は描かれていない。むしろ敵対者に対して立ち向かい、弟子たちを守ろうとしている主のお姿を見る。ユダが手引きとなり、兵卒たちがイエスを捕らえに来た。その時、イエスは「進み出て」彼らに対応なさった。また、彼らがイエスをさがしているのなら、弟子たちを去らせてほしいと願っておられる。ペテロは師を守ろうとして、剣をぬきマルコスの右の耳を切り落とした。しかし守るのは弟子ではなく、イエスであった。恐ろしいばかりの敵の攻撃に立ちはだかるようにして進み出て下さったイエスの姿は、「よい羊飼いは羊のために命を捨てる」といわれた教えの実践をしておられる方の姿である。著者ヨハネは、このイエスの姿に強く印象づけられ、9節の説明をした。どんな危険や困難に対しても、主は先に「進み出て」それから弟子を守って下さる。

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1999年 7月7日(水)

ヨハネ一八章12〜27節(20)

《イエスは答えられた、「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。すべてのユダヤ人が集まる会堂や宮で、いつも教えていた。何事も隠れて語ったことはない。》

 

イエスはアンナスの所へつれて行かれた。大祭司はカヤパであり、アンナスは引退していたが、大司祭の家系のボスはアンナスであった。彼らはイエスを神を冒涜する罪におとし入れようとした。彼らはメシヤなど不要であった。というのはメシヤの出現はローマの反感を買い、自分達の政治態勢を覆されるのを心配していたからである。このような世の権力の前に立ってイエスは、「この世に対して公然と語ってきた」(20)と、堂々と立ちはだかっておられる。平手打ちなどしてみても、それによって公然と表された真理が覆されるはずがない。これに比べペテロは、逃げかくれしながらイエスについている。遂には、主を否定した。しかし主は打たれながらも、救いが全うされるために立ち続けていてくださった。このお方がおられるから、弱い者の信仰が回復されたのである。イエスは公然と語り、立っていて下さる。

 

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1999年 7月8日(木)

ヨハネ一八章28〜40節(37)

《そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」》

 

イエスはローマの総督ピラトのもとにまわされた。ユダヤ人はイエスを十字架刑にしたかった。しかし、ローマ政府の許可なしにそうできなかったので、ピラトに裁判を求めたのである。大祭司グループの者は、異邦人ピラトの官邸には入らず、門の外にいて死刑の交渉をしていた。汚れがうつらないためである(28)。官邸内のイエスと、門の外の祭司たちの間を、行ったり来たりしているピラトの姿が見えるようである(29、33、38)。彼は「真理とは何か」と、真理であるイエスの目の前で問いかけているが、ただオロオロするだけである。裁く者がさばかれているようである。イエスは真理をあかしされた(37)。それは抽象的な原理などではない。聖書において真理とは神以外にはない。神のみが永遠に信頼するに足るかたであり、変わりゆく世において変わらない基準となる方だからである。彼は毅然としてピラトの前でもあかしして下さった。

 

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1999年 7月9日(金)

ヨハネ一九章1〜16節(12、16)

《これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」。そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取った。》

 

苦難を受けたイエスの姿を見る。兵卒はいばらの冠を王冠に代えイエスに与えた。小さいながらもそのとげは皮ふにくい込んだ。さらに兵卒は平手で打ちつづけた。何の防御もない者を打ちつづけるという言葉には、陰湿さがある。そして、遂に十字架にまで引きわたした。

 ピラトの狼狽している姿を見る。イエスに罪を見出せず赦そうとしたが、ユダヤの権力者の声も怖い。また、イエスが神の子であるといったというので、神にのろわれはせぬかと恐れもおぼえた。しかし、結局はカイザルに背くことになるとおどされ、自分の身の安全をはかってイエスをわたした。  ピラトは一番の泣き所をつかれ、恐ろしい罪を犯してしまった。私たちは全てを主の手の内に委ねられる信仰をもっていないと、サタンは一番弱い点をついてくる。イエス以外に心の王をもってはならない。

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1999年 7月10日(土)

ヨハネ十九章17〜30節(26)

《イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。》

 

 イエスの十字架の足下には、衣服をくじ引きにしている兵卒がいた。十字架があっても、自分の益のためには何でもする人がいる。教会に来ても心が変化しない人がいるとすれば、それは十字架の真の意味を体験しないからであろう。

 十字架の下には別の人がいる。イエスの母やその他の数人の女である。肉親の者は、どんなにか苦痛を受けたであろう。

 また弟子のヨハネがいた。愛弟子とある。これらの者たちは、イエスに従ってきた人々である。この人に対して主は、「あなたの子です」「あなたの母です」といわれた。人間的にはイエスは長男である。彼の死後、母の世話をヨハネに委ねた。主に従う者への主イエスの思いやりである。ヨハネもまたその責任を果たした。神に従う者に対して神はそれを喜びなさる。そして小さいことに至るまで、心を用いて下さる。十字架の苦しみの中からでさえもそうであった。いつも十字架の前に立っていたい。

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1999年 7月11日(日)

ヨハネ十九章31〜42節(39)

《また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。》

 

イエスが十字架上で息を引き取ったあとのことを書いている。朝九時に十字架につけられ(14節の昼の12時は、原文には第六時とある。つまり今の朝六時)、午後三時に死んだ。六時間の死は早すぎる。多くの人は心臓の破裂ではないかという。血と水はそれは表す。さて、36、37節には、旧約を引用して、イエスの死後の事についても預言の成就があったと言う。このようなことはことは他の福音書にもあることだが、十字架の死は多くの人々の手を経つつも、神のみ手にあって起こったことだと言うのである。

 葬りに参加した者はヨセフとニコデモであった。世間的には犯罪者の死とされたイエスであった。彼らはこの方の葬りをした。ニコデモはかつてさまざまの質問をもってイエスの所へ来た。その時か、その後か、彼には変化があったのであろう。表だたない回心者、奉仕者がいる。しかし逃げた弟子に代わって尊い奉仕をした。もてるものをもって主に仕えたい。

 

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1999年 7月12日(月)

ヨハネ二〇章1〜10節(2)

《そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。》

 

 マリヤが墓に行ってみると、イエスの死体はなかった。それを知らされたペテロとヨハネも、そこに死体を見出せなかった。ただそこにはイエスの体を巻いていた布が残されていた。盗人がわざわざ布を解く理由はない。7節の「くるめてある」は、体を巻いている布がそのままの状態で、体が急に抜け出した様子での表現である。弟子はマリヤの言うように、イエスの体がなくなっていることは信じた。しかし、9節によれば、主の復活はまだ信じられなっかたようである。マリヤは、イエスの体を誰かが取り去り、「どこに置いたのかわかりません」と、とまどっていた。主は復活しておられるのに、どこにおられるのか分かりませんと言うものには、悲しみと狼狽しか残らない。復活は、それを信じる者の主観の問題ではない。あのときに起こった事実である。不信仰は、主がどこにいるか分からないと言うが、信仰者は、今も共におられると言うことができる。

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1999年 7月13日(火)

ヨハネ二〇章11〜18節(14)

《そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。》

 

 マリヤは泣いていたためにイエスの復活を知ることができなかった。イエスは墓の中にいるものとばかり思い込んでいたから、主がそこにおられるのに彼を認めることができなかった。私たちは、問題や困難を見つめるために、イエスを見ることを忘れてしまう。そんな者に向かって、「マリヤよ」と呼びかけられた。その声によって彼女は主を認めた。

 会話は単なる説明ではない。交わりである。主との交わりは祈りと言うべきであろう。私たちは祈りの中で主に呼びかけ、聖書のみ言よって私たちが呼びかけられるとき、説明ではない生ける主を知る。「マリヤよ」、と語りかけられて、かつての語られた主の声を思い出した。「さわるな」は、人間的にすがりつくなの意味である。彼女には福音伝達の奉仕があった。私たちは、いつも主と交わる習慣をつけていたい。その時、そこに立っておられるイエスに気がつく。

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1999年 7月14日(水)

ヨハネ二〇章19〜23節(21)

《イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。》

 

 復活の主の体は栄光の体と言われるものである。壁があってもそれに制限されるわけではない。だからといって、人が見ることの出来ない者でもない。復活の主が弟子たちに第一になされたことは、彼らに平安を与えることであった。それは、彼が生きておられることを示すことによる。弟子たちは喜んだ。喜びはクリスチャンの力である。 第二に弟子に伝えたことは、伝道のために遣わすことである。全ての弟子は、主の福音を伝えるために遣わされている。「あなたがゆるす罪はゆるされ、赦さずにおく罪は残る」と言うのは、私たちに許しの力があるという意味ではない。救いはイエスにある。しかし、人がイエスを受け入れ、罪を悔い改めるなら、イエスは救い給うのだと、その人に伝えてよい技能が与えられているという意味である。不安、悲しみ、混乱の人生を変える。だからこれを伝えたい。

]は筆者

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1999年 7月15日(木)

ヨハネ二〇章24〜31節(29)

《イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。》

 

 トマスの不信仰が信仰に変えられた物語である。彼は「一緒にいなかった」ので、主が来られた日曜日の夜、復活の主を信じることが出来なかった(24)。どの集会で神様が私たちの心を取り扱い、恵み給うか分からない。どの集会もおろそかにしてはならない。トマスは弟子の群と一緒にいなかったので不信仰におちいった。

 さて、トマスが皆と共にいるとき、主が入ってこられた。「わたしのわきに手を差し入れよ」と言われたとき、彼は「わが主よ、わが神よ」と言ってひれ伏した。トマスは自分の目で主を見たから信じたのでもあろう。しかし彼にとって更に驚きであったのは、一週間前に「釘あとにさし入れたい」と言ったのを、そこにいないと思っていた主が聞いておられたと分かったことである。イエスは今も私たちのつぶやきも、祈りも聞いておられる。見える所だけで物事を判断してはならない。見えなくても祈りを聞かれる主を信じいたい。

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1999年 7月16日(金)

ヨハネ二一章1〜14節(6)

《すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。》

 

弟子たちは、ガリラヤに来ていた。復活の主が「あなた方より先にガリラヤに行く」と伝言しておいたからであろう。彼らは食糧のためにか、漁に出たが何の獲物もなかった。主が舟の右に網をおろせと言われた言葉に従ってそうすると大漁があった。ルカ五章にも同様のことがあり、ペテロはすぐに復活の主がおられると気がついた。復活の主は、ご在世中と同じように働かれる。人をすなどる漁師も同じ仕方で多くの人を神に導くことが出来ると教えるものであろう。

 伝道のわざはむずかしい。人間的な力でしようとすると無力を知るだけである。しかし、主が右に網をおろせ、と言われた時大漁があったように、主のなさるわざに従っておればそれでよい。伝道は神のわざである。しかもイエスは食事を備えて、休みと力を再び与えて下さる方でもある。弟子たちには、目に見えずとも同じ主が共に働かれることを教えられたのである。

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1999年 7月17日(土)

ヨハネ二一章15〜25節(15)

《彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。》

 

ここに奉仕の原点が語られている。主が三度「愛するか」と問いかけ、「羊を養え」と三度命じられた。全ての奉仕は結局、羊を養うことにつながる。そのために必要なことは愛である。財を投げ出し身を犠牲にしてやってみても、愛がなければ無に等しいというのは第一コリント十三章の言である。各人の羊を飼う奉仕は、その人がどれほど主を愛しているかにかかっている。ところが、21節のような言葉を出しがちになる。「主よ、この人はどうなのですか」と。

 あの人がこの程度のことしかしていないのなら、自分はやりすぎていると思いがちである。ペテロは主を否定したが、もう一度救いの恵みの中に回復された。だから3度尋ねられたのだという。しかし、ペテロだけが問題なのではない。三度というのは、献身の強さを確かめたかったからであろう。どんな奉仕も、主を愛し、熱い心で彼に従わなければできないことである。

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1999年 7月18日(日)

使徒行伝 一章1〜11節(8)

《ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。》

 

 使徒行伝はルカ伝の続編で、ルカがテオピロに捧げたものである。ルカは福音書においてキリストの生涯を、使徒行伝で教会の歴史を書いている。歴史を書く人は誰でもある史観をもって書くがルカもそうである。彼の歴史の考え方は、神が歴史を導いているというものである。ある人は社会的な要素が歴史を作っていると考え、別の人は諸文化が歴史を形成するとも考える。それらは大切な考えであろう。

 しかし、神を信じる者にとっては、神は摂理の神であって歴史を導く重要なお方であるとの信念がある。私個人の生涯を考えるとき、その歴史は神に導かれていると考えるのではないだろうか。ルカは聖霊が歴史を導き、特に教会を生み出し導いているのは聖霊であると信じてこの書を書いたのである。そしてキリストは私たちに「証人」になることを命じておられる。それは私たちがキリストの救いを知り彼の復活を知っているからである。

 聖霊は力と確信をを与え、私たちにキリストを語る命を与えて下さる。

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999年 7月19日(月)

使徒行伝 一章12〜26節(14)

《彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。》

 

 十字架と復活によって救いの道は完成した。主は弟子たちにこの救いを世界に伝えよと命じなさった。自分たちが見聞きしたことを語るのが証しなら、彼らは十分な資格がある。ところが、聖霊によらなければ証人にはなれないと言う。何故か。それは聖霊こそが人々の心に納得のいくように救いの恵みを届けてくれるからである。救いは単なる人の説得によって分かるというものではない。わたしたちが福音を証しするとき、聖霊のお働きがあることを覚えながらすべきである。

 さて、弟子たちはこの聖霊の注ぎを受けるためにお祈りをした。彼らにとっては十日間であったが、私たちもその日数を必要とするというわけではない。ただ祈りの精神は「ひたすら」であった。この語の意味は、継続して、変わらない心で、誠実にということである。証し人になるという真実さ、与えられた恵みを、機会が与えられたら誰かに語ろうというまじめさを持った祈りである。祈り求める者には聖霊が与えられ、確信が与えられる。

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1999年 7月20日(火)

使徒行伝 二章1〜13節(4)

《すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。》

 

 五旬節(ペンテコステ)は旧約時代からあり、初夏の頃に小麦の収穫を祝う祭りであった。この日、聖霊は弟子たちに注がれたのである。聖霊は風とか火とか象徴的に表現されているが、別の箇所には、印とか油にも表現されている(エペソ一章14、第一ヨハネ二章20)。ここで風と言われているのは、風が息とか霊にも訳される言葉で、昔の人々は息は人に命を与えるものだと考えていた。

 創世記二章7節には神が命の息を吹き入れると人は「生きた者となった」とあり、またエゼキエル三十七章には枯れた骨に息が入ると、大群衆になったとあるが、それも息(風)が死んだような人に命を与えるという例である。弟子たちは聖霊によって霊的な命が与えられ生き生きとし、他国の言葉で福音を語り始めた。他国の言葉とは外国語のこであるが、私たちが聖霊に満たされると外国語を話すようになるというのではない。他の人の言葉とは、クリスチャンだけが分かる会話ではなく、相手が主婦であれ、学生であれ、老人であれ誰でも伝わっていくような話をすることが出来ると言う意味である。聖霊の恵みに満たされ友達に通じるように福音を話そうではないか。

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1999年 7月21日(水)

使徒行伝 二章14〜21節(17)

《『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。』》

 

 弟子たちが説教したとき、普段とはかなり違った様子だったのだろう。人々は弟子たちが酒に酔ったのだと勘違いするほどであった。彼らはそれを弁明し、聖霊が注がれたので福音を語っているのであり、それはヨエルの預言の成就だと言った。

 ユダヤ人の間では中間時代(旧約と新約の間の期間)には聖霊の働きは止まっていると言われていた。しかし、旧約聖書には聖霊の注ぎが与えられると何度も約束されている。弟子たちはそれが今実現したのだと語った。

 聖霊は新しい時代を形成する。それが新約の時代である。聖霊は昔特別の人、例えば聖者や預言者に与えられたが、新約の時代には若者、老人など普通の男女に与えられるのだと語る(17、18)。「終わりの時」に聖霊が注がれるとあるが、それは救いの完成の日のことである。主を受け入れた人には誰にも聖霊は与えられ、神の命は与えられている。聖霊に満たされ恵みに満ちた日々を歩もうではないか。

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1999年 7月22日(木)

使徒行伝 二章22〜36節(33)

《それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。》

 

 ペテロは最初の説教者になった。彼は何よりもキリストの十字架と復活を語る。不法な人々がイエスを十字架で殺したが、神はイエスを甦らせ、彼が死に支配されるような方ではないことを示し、神が遣わされたメシヤであることを明らかにされたのである。主は復活後四十日間地上に留まったが、

それは@弟子たちが復活の事実を確信するため、

Aイエスが生前教えた神の国の意味を再び教えるため、

B全世界への宣教を命じるためであった。

 その福音宣教のために神は人々に聖霊を送られたのである。私たちは福音は神が備えてくださったものであることを覚えたい。信仰は自分の努力によるのではなく神の恵みである。

 伝道の力も神にある。だから救いの信仰を自分の主観的な経験とか感じとかに置くのではなく、キリストの御業をただ信じることである。また信じた者には聖霊が与えられており、このお方によって伝道が出来ると信じることが大切なのである。

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1999年 7月23日(金)

使徒行伝 二章37〜47節(42)

《そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。》

 

 ペテロの説教を聞いた人々は、どうすれば救われるかと尋ねた。これに対して「悔い改めよ」とペテロは答えた。悔い改めとは神に罪をお詫びすることである。この語の本来の意味は人が神に向かって歩み始めるようにと方向を転換することである。この群衆の中にはイエスを十字架につけるようにと叫んだ者がいたかも知れない。彼らはその罪を悔い改めた。私たちはその場にいなかったから、直接的には何の罪もない。しかし、神を無視し自分勝手な生き方をしていたとすれば、それは罪である。赦しの道はすでに用意されている。人々は救いを受け洗礼を受けた。

 洗礼を受けたクリスチャンが成長する道は此処に単純に示されている。

@仲間に加わることである。信仰は牧師の説教を聞くとともに教会の友達を作ることである。だから交わりを持つとも記している。

A教えを守ることである。聖書の読み方、家族のあり方、主への奉仕とは何かなど少しずつ学ぶ。

B祈りをする。祈りは生涯かけて学ぶもの。困難に直面して祈ることを学ぶこともあろう。信仰は実際生活の中で体験し学ぶものである。

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1999年 7月24日(土)

使徒行伝 三章1〜10節(8)

《踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。》

 

 ペテロとヨハネは祈りのため神殿へ行った。しばらく前には「誰が偉いか」と言い争っていた二人である。聖霊によりきよめられた彼らは共に祈ることの出来る者と変えられた。

 美しの門前の男は、いつものように物乞いするのに一番良い場所に連れて来てもらった。彼は数日前ペテロが話していたのを聞いていたのではないだろうか。しかし、あの時の回心者三千人の中に彼は入っていなかった。彼はただ金品をもらうことに熱心であった。この男を見たペテロは、金銀はないがキリストの救いをあげようと言った。 この当時教会に施しのためのお金がなかったとは思われない。ペテロは翌日お金を持って彼を訪問しても良かった。しかし、金銭によって解決しない問題も多い。いま社会には人間関係の破壊、家庭崩壊、低い倫理観などお金ではどうにもならない出来事で満ちている。ペテロが与えた福音はこの男の生き方を全く変えた。彼は自分の足で歩き自立し、神を賛美し始めた。神は人が喜びに満ちて歩くように変えてくださる。

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1999年 7月25日(日)

使徒行伝 三章11〜26節(26)

《「神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。》

 

 ペテロは二度目の説教をした。この説教にはイエスについての画期的な表現がある。イエスをメシヤと信じてはいたが、弟子たちは苦難の十字架を担うメシヤを理解していなかった。なぜなら、彼らも他のユダヤ人と同様民族回復のこの世的な繁栄をもたらすメシヤを信じていたからである。しかし、復活後弟子たちの理解は全く変わったのである。それは、メシヤなるイエスは受難者であり、神は苦難のキリストをすでに旧約で預言しておられたと彼らは分かったのである。「神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである」(18)と語っている。このように同胞に語り、主を十字架につけたのは知らないでしたことだから、罪を悔い改めるなら神は赦してくださると説教した。私はペテロの説教に恵みを感じるが、それは主を十字架につけた罪をただ告発したのではなく、彼らはなお契約の子であり(25)、神は彼らを祝福にあずからせるためだと語っていることである。神はどのような者も救う神である。

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1999年 7月26日(月)

使徒行伝 四章1〜12節(12)

《「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。》

 

 弟子たちの説教により五千人が救われた。大変な信徒の増加である。このような教会の力に対してユダヤ議会は動き出し、弟子の代表を逮捕したのである。議会の多数者はサドカイ派でありこの中に祭司がいた。彼らは神殿の管理者である。逮捕の理由は

@を管理者の許可なしに境内を使い、多数者を集めたことである。ローマは多数者による暴動を恐れ絶えず監視していた。

Aイエスの処刑は議会の不当な裁判によるものだと弟子たちが語っているが、サドカイ人らにしてみればそのようなことを数千人の前で言ってほしくなかった。一応合法的な手続きの処刑であったのだから。

Bサドカイ人は復活を信じない。ところが弟子たちはイエスが復活したと証しする。その口封じのため逮捕したのである。このような為政者の行動に対して、真実を知るペテロたちはイエスがあの足の不自由な人を癒したのだと主張した(10)。さらに「この人以外に救いはない」とイエスによる救いを証ししたのである(12)。体験した事実には力がある。

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1999年 7月27日(火)

使徒行伝 四章13〜22節(20)

《わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。》

 

 ペテロとヨハネは自分達の師を十字架につけた人々の前で大胆に証しをした(13)。それ故「私たちとしては、自分の見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない」と言ったのである。無学のただの人が、なぜこのように大胆になったのか。それは、

@彼らが復活のキリストに会ったからである。この出来事の後弟子たちは全く変化している。彼らは命と希望にあふれる者となった。

Aキリストによって変えられた人が弟子たちのそばに立っているからである。足が不自由だった人は「美しの門」に何年も座っており、多くの人々が彼を知っていた。その人が変わったのだから、これほどの証しはないだろう。このような状況はサドカイ人には予想も出来ないことであった。

 神の救いは人に命を与える。キリストの命が人々を変え、そこに芽を出させ私たちの周りを変えていく。これが福音である。私たちの生き方、考え方を命あるものに変えて下さった主の救いを大胆に語ろうではないか。

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1999年 7月28日(水)

使徒行伝 四章23〜37節(31)

《彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。》

 ペテロとヨハネはおどされた上釈放された。昔のペテロなら恐れて逃げただろう。しかし、ペンテコステ以後の彼は違っていた。恐れがあったかも知れないが、まっすぐ仲間のところへ行った。其処では祈り会が持たれた。私たちが問題に直面したとき、共に祈ってくれる友だちを持つことは大事であり助けである。人は大きい問題は誰にでも話せるものではない。しかしもし祈りの課題をうち明けられたら他言などせず、熱心にとりなしの祈りをすべきである。この祈祷会では御言葉が開かれ、まず詩篇二篇が読まれた(25)。また世界の支配者である神に目を向けている(24)。問題を率直に神に申し上げる(27節以下)。集まった人々は「一つ心」にして祈った。此処には一つ心、一つ思いという言葉が多い。この祈りに伴って一同は聖霊に満たされた(31)。彼らは以前にも聖霊の満たしを経験している。聖霊の満たしは何度も経験する。しかし、聖霊の満たしはマジックパワーを与えるようなものではない。「大きな恵みが一同に注がれた」とあるが、聖霊は恵みを満たす神の働きである。このようにして困難を乗り越え、祈りを教え、主は宣教の業を進められる。

 

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1999年 7月29日(木)

使徒行伝 五章1〜11節(11)

《教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。》

 

 エルサレムの教会には貧しい人々がいた。助け合いのためにそれぞれ分に応じて持寄った。しかし、このような美しい教会にもサタンが働いた。アナニヤとサッピラは「共謀し」て神と人をあざむいたのである。聖書にはダビデやその他の人の罪をあからさまに書いているが、寂しく悲しい話である。なぜそのようなことをしたのだろうか。本心では捧げるのが惜しいのに、人前にはかっこよく見せたいためにしたことではないだろうか。四章の終わりにはバルナバのことが書かれているが、彼のことを真似しようとしたのであろうか。

 アナニヤ・サッピラはひどい例であるが、それほどでなくても、献金や奉仕をする場合、このような思いが起こらないであろうか。人や主のために何かをする場合、心の動機が問われるように思う。恵まれていなければ、心からの奉仕や捧げものは出来ないのではないだろうか。パウロがピリピ教会からの贈り物を受けたとき「それはかんばしい香りであり、神の喜んで受けてくださる供え物である」と言った(ピリピ四章18)が、このような捧げ物をしたいものである。

 

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1999年 7月30日(金)

使徒行伝 五章12〜32節(20)

《「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。》

 

 釈放された使徒達が伝道を再開すると、すぐにサドカイ派の者達は彼らを逮捕した。彼等の主張は

@イエスの教えを広めてはならないと命じたのに何故そうしたのか、

Aイエスの処刑を我々の責任にしているがそれはゆるせないと言うことであった(28)。これに対して「神に従うべきだ」と言い、「十字架は救いの道だ」と答えた。ペテロは当局の人々を敵に回して非難するのではなく、彼等も間違いを認めて悔い改めるなら、神は罪の赦しを与えてくださると語るのである(31)。

 ところで、このような使徒達の大胆な宣教の力はどこから出てくるのであろうか。それは人間的に勇気ある人々だからではない。彼等は生けるキリストに出会う経験をしたからである。また主の贖いの恵みを知り、聖霊の注ぎを受けたからである。使徒達は留置場に入れられたが、み使いは連れだし「宮の庭に立ち、この命の言葉をもれなく人々に語りなさい」と励ました。み使いの働きは神の助けである。このような奇跡が何時も起こるとは限らない(一二章2)。しかし解放された者に福音を証しすることを神は願っておられる。 

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1999年 7月31日(土)

使徒行伝 五章33〜42節(41)

《使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。》

 

 初代教会の信徒達の働きはめざましいものがあった。キリストへの信仰はどのような迫害も押し返す力があった。「人に従うよりは、神に従うべきである」と言って福音を語り続けたのである。しかし宣教の業はただ人間の頑張りだけで出来るものではない。聖霊のお働きが弟子たちを支えた。牢の扉が開けたのも、多くの回心者が起こされたのも神のお働きがなければなし得ないことである。マルコ一六章20に「弟子達は出ていって至るところで福音を宣べ伝えた。主もまた共に働き・・・」とある通りである。さてこの時迫害にブレーキがかかった。パリサイ派の指導者ガマリエルは「弟子達の伝えていることは、神から出たものかも知れないのでしばらく静観してみよう」と提案したのである。これまで迫害していたのはサドカイ派。これに対してパリサイ派は弟子たちに寛容な態度を保っていた。だからこの時点では教会もいくらか伝道しやすかったと思われる。とはいえ、迫害、逮捕、釈放を繰り返されるのは苦しいことであった。そのような状況にもかかわらず「御名のために、恥を加えられるに足るものとされたことを喜び・・・」証しを続けたのである。

 

 

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