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1999年8月1日(日)

 使徒六章1〜7節(2)

《そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。」》

教会に問題が起こった。人が集まる所には問題は起こる。大切なのはどのようにそれを処置するかである。問題の始まりは人々が別の言葉を話しており意志の疎通が欠けていたことにあった。それが配給の不公平に関係し教会の一致が失われかねない事態に発展したのである。この時教会では「私たちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない」と考えた。食卓のこととは食糧の公平な配分だけでなく、いろいろな生活上の諸問題も含む。教会だけでなく家庭でもそのような事は起こる。そのような時、解決のために人の知恵をしぼるだけではなく「神の言」を基本にしなければならない。神の言葉をさしおいてはならない。神の御心を聞こうとする態度の中に、神は導きを分からせて下さることを、私たちは知らなければならない。物事が起こったとき、心を静めて祈ることである。やがて教会にはこの問題に当たるために、御霊と知恵に満たされた人が起こされた。

 信仰、御言葉を基礎において問題に当たるとき必ず良い結果を生み出す。

 

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1999年8月2日(月)

 使徒六章8〜15節(15)

《議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。》

 

 十二使徒がユダヤ人関係の代表とすると、ステパノら七人は離散のユダヤ人(パレスチナ以外の地に住むユダヤ人)のクリスチャンを代表する者達である。教会が大きくなると文化が違い、言葉が違うといろいろな行き違いが起こる。それでこれら七人が立てられた。 彼等は最初食糧の配給のために奉仕していたが、間もなくステパノやピリポは説教をするようになった。ところがベルテンの会堂の者から(奴隷から解放されたユダヤ人の集会)反対が起こった。彼等の主張は、ステパノの話は次の三点で違っていると言うのである。

@モーセの教えと違う。即ち律法に反することを教えている。

A神殿の礼拝を否定している。

@神についても違った教えをしている、と非難するのである。

 これに答えたのが七章の説教である。リベルテンの人々はクリスチャンではない。それでステパノらを攻撃した。

 このような非難と攻撃の中で、彼の顔は天使のようであった。どれほどの輝きがあったのだろうか。彼の内には恵みがあり、御霊と知恵が満ちていた。怒る思いをおさえ、非難に打ち勝つのは神の恵み以外では出来ない。

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1999年8月3日(火)

 使徒七章1〜16節(2)

《そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて》

 ステパノの説教の最初の部分は、六章の質問の一つ「神」に関するものである。一般のユダヤ人は、パレスチナ全土は神が祝福する地であって、他国とは違っていると信じた。此処は聖地である。

 ところがステパノは神は全地

の主であり、何処にいても神は恵みを下さると語ったのである。例えばアブラハムは異邦の地であるメソポタミヤで「栄光の神」に出会った(2)。ヨセフは異邦人の地エジプトに奴隷として売られたのに、其処で「神共にいます」経験を持った(9)。神は何処にでも働いておられると語ったのである。このような発言はパレスチナを聖地化していたユダヤ人には聞くに耐えない言葉であった。しかしステパノは神は世界の神であり、ユダヤ人だけの神ではないと言い、どのような場所でも神を呼び求めるとき聞いて下さると教えたのである。信仰は教会だけのものではない。毎日どのような場所であっても、神に祈ることができる。

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1999年8月4日(水)

 使徒七章17〜29節(29)

《モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。》

 昨日の聖書箇所にあるように、神は世界のどこでも生きて働いておられる。モーセはエジプト王から見ると敵である。しかし、幼子モーセを救助したのはパロの娘である(21)。

 神はエジプトの地でも働いておられる。このようなことが起こるとは、まことに不思議な神のみ業である。やがてモーセは同胞イスラエルを奴隷から救出するために立ち上がった。しかし、彼の個人的な熱心だけでは駄目であった(23〜29)。同胞を救うために彼が熱心にすることはすばらしい。

 しかし救うのはモーセでも、パロの娘でもない。神である。モーセは計画し努力したにも関わらず、その計画は失敗しパロを恐れてミデアンの地、荒野の地へ逃げたのである。モーセは敗北と挫折の思いを持ったのではないだろうか。しかし神はミデアンの地でモーセを取り扱われた。

 私たちが成功したと思っているときでも、失敗と思うときでも、神は私たちを導き取り扱って下さる方である。

 

 

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1999年8月5日(木)

 使徒七章30〜38節(35)

《こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。》

 

 神は世界の神であるというステパノのメッセージはなおも続く。荒野に逃げたモーセを神は決して放置したわけではない。四〇年後であっても神はモーセの魂を取り扱われる。

 神の方から彼に近付き、驚きと恐れの中にいる彼に語りかけなさったのである。主の取扱いの順序はすばらしい。第一に先祖の神、即ち身近なお方であることを示された(32)。

第二に靴を脱ぐように言われた。それは僕になることである(33)。

第三に友の苦悩を示すことであ(34)。

そして最後に神による派遣であ(34)。人が神のために何か奉仕や伝道をしようとする場合、順序はどうであれ、このような要素は経験するものである。神のための奉仕は、才能さえあれば出来るわけではない。魂の内面の取扱いが神によってなされ、真に神に従うのか、謙遜な魂になって奉仕するのか、神が人々の苦境を見るように、私たちも同じ心で見ることが出来るか。そして神が私をその働きのために派遣していると信じることが出来るか。そのような信仰と確信が奉仕に確信と力を与えるのである。

 モーセは神の導きを信じたのである。

 

 

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1999年8月6日(金)

 使徒七章39〜53節(48)

《しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである》

 六章でステパノは「律法に逆らっている」と非難されたが、彼はそれに対して39節から反論する。ステパノの主張は次の通りである。

 モーセは十戒という律法を与えた。しかしそのような大切なものが与えられても、人々はその後すぐに偶像を拝み、姦淫をし律法を破っており、それは彼等の歴史の中で繰り返されていたではないか。だからイスラエル人は律法を受けたとはいえ、もらってないのと少しも変わらない。このようにステパノは民の罪を指摘したのである(39〜41)。これはユダヤ人の心を怒らせることとなった。

ステパノは最後に最もするどい指摘をした。それは「神は神殿のような小さい場所に閉じこめられるようなお方ではない」ということであった(48)。 神殿で礼拝する、これは大切なことである。しかし世界の神、全人類の神をある特定の場所に閉じこめ、その場所を聖地化するのは間違いである、とステパノは語ったのである。

 締めくくりとして、イエスによって神は救いの道を開かれたのだから、彼を信じなさいと勧めた。      

 

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1999年8月7日(土)

 使徒七章54〜60節(55)

《しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。》

 ユダヤ人の神殿に関する考えをステパノが否定するような発言をしたので、パリサイ人は彼が神を汚す者であると考えたのである。

 彼等はステパノの説教を聞いているうちに、だんだん憎しみがわいてき、歯ぎしりをするほどに怒りがこみあげてきた。ついに怒りは石打へとエスカレートしたのである。

 そのリーダーがパウロである。ステパノはパリサイ人に対して挑発的な態度ではなく、彼等が悔い改めることを願ってのことであった。しかし、頑迷な人々は憎しみに燃えていた。

 このような中で、ステパノは天におられる神の子イエスを見ることが出来た。これは彼の信仰の目で見た経験だったのではないだろうか(56)。他の人は天のイエスは見ることはなかったと思う。そのような極限状態の中で彼は自らを神にゆだね、「この罪を彼等に負わせないでください」ととりなしの祈りを捧げ殉教していった。生前のステパノは、天使のような輝いた顔をしていた。そのような人であればこそ、このような死に方をしたのであろう。

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1999年8月8日(日)

 使徒八章1〜13節(4)

《さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。》

 ステパノの事件以来パリサイ人が教会の迫害者になり、エルサレム教会は迫害の対象になったのである。使徒達は都に留まったが、多くの者は危険を避けようとして地方に移り始めた。今や教会は存続が危ぶまれるような状態なっていた。

 しかし私達は倒れるようなことがあっても、決して滅びることはない。(詩篇三七24)。苦難の中を通りながらも、神は教会の悩みを見過ごしておられたのではない。

@神はステパノの殉教により、あの迫害者パウロを救う道を用意しておられたのではないだろうか。

Aさらに、奇妙な方法ではあるが、神は使徒一章8節の約束を実現しようとしているかのようである。つまり人々はエルサレムからユダヤ、サマリヤへと散らされていき、そこで福音を語るようになった。

 本音ではユダヤ人はサマリヤ人の地に行きたくなかった。しかし結局こんな状況で、その地に行かざるをえなくなった。サマリヤでの中心人物はピリポである。彼は使徒ではない。しかし伝道し洗礼を授け、多くの人々を導いた。これは教会歴史での大切な転機となった。

 

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1999年8月9日(月)

 使徒八章14〜25節(25)

《使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。》

 9節からシモンのことが出てくる。彼はピリポの指導を受けて、信仰を持ち受洗した。すぐにピリポの弟子のになったが、彼のめざましい働きを見て、自分もあのようになりたいと思った。 ところがこともあろうに聖霊をお金で手に入れようとしたのである。普通では考えられないような行動である。 もしかしたらシモンは、これまでも魔術師をやっていたので、それをもっと自分に都合よくやろうとしてキリスト教を取り入れようとしたのではないだろうか。もしそうなら入信の動機は不純である。

 当然の事ながらピリポは彼の申し出を拒否し、「神の賜物がお金で得られると思っているのか」と叱責した。問題はシモンが聖霊の賜物を人への見せびらかしのために利用したことにある。 神は私達に恵みの賜物を与えて下さる。聖霊を与えて下さる。何かの奉仕の賜物も与えて下さる。しかし、それが他への自己誇示とするようなことなら、その奉仕や賜物は無意味なものとなるであろう。自己宣伝の信仰は意味がないからである。

 しかしシモンは悔い改め、祈ってもらう者となった。このようにして福音は広がった。

 

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1999年8月10日(火)

 使徒八章26〜40節(35)

《そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。》

 エチオピア人が回心した証しである。福音はユダヤ人から、サマリヤ人(ユダヤ人との混血民族)へと伝えられ、さらにエチオピア人へと伝えられていく。このように福音は一民族から世界の人々へと徐々に広がっていくのである。

 さてこのエチオピア人にどのようにして救いが伝えられたのであろうか。@聖霊がピリポを導いたからである。29節には、聖霊がピリポを導き、その人の馬車に近づきなさいと語っている。心の内面への神の語りかけである。伝道しようと祈っていると必ずいつか道は開かれるものである。

A御言葉による導きである。35節に、ピリポが聖書から福音を語っているのを見る。聖書から与えられる恵みを語るなら、それで十分ではなかろうか。B人による導きがある。神は伝道のために人をお用いになる。「導く人がなければ、どうして分かりましょう」とこの人は言っている。

 聖書の福音を、聖霊の導きを信じながら伝えようではないか。

 

 

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1999年8月11日(水)

 使徒九章1〜9節(4)

《彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。》

サウロはイエスがどのような方であるかを知らなかったので、弟子達を迫害した。晩年になってもその記憶はなくならず、申し訳なさで一杯になっている。しかし、同時に神の憐れみに深く感謝する(第一テモテ一章13)。

 さて、ここに倒れたサウロを見る。学問を持ち、宗教的にも、社会的にも抜きん出ていたサウロが「地に倒れている」のである。このようなことは彼の生涯にはなかった。何時でもトップにいて、挫折など経験したことのないサウロである。このようなことは今でもよくある。自他共に優秀だと認める人が挫折し、あるいは甘やかされた人が問題に直面して倒れることがある。サウロの場合は天よりの光に照らされて倒れたのであるが、暗黒の中で「サウロ、サウロなぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞いた。神の前に心砕かれたサウロの姿を見るのである。目が見えず、人に手を引いてもらってダマスコへ行く。彼は食べることもできなくなったのである。

 人は時として挫折の中から、真の自分の人生を発見するものである。しかし神の光に照らされたことが彼の救いとなった。

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1999年8月12日(木)

 使徒九章10〜19節(18)

《するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、》

 打ちひしがれているサウロのもとに、主はアナニヤを派遣しようとして「真すぐという町のサウロのもとに行きなさい」語られた。しかし、アナニヤには恐れがあった(13)。

 そう思うのは当然である。アナニヤは特別に勇気のある人というわけではない。しかし、主の導きを信じ従う人であった。サウロの初期の導きをした事以外、彼について言及する箇所はないが、二二章12節によると以前からダマスコに住んでいて、評判の良い信徒であったと記されている。

 私達に伝道のために特別な才能がなくても、また時として恐れを感じるような弱い者であっても、神は従う人をお用いになる。アナニヤは「再び見えるようになり、聖霊に満たされるために、神がお遣わしになった」と言って彼のためにお祈りしたのである。

 サウロの目からうろこのようなものが落ちた。サウロは肉眼が見えるようになっただけでなく、神の世界が見えるようになったのである。アナニヤはサウロのためにすばらしいつとめを果たした。

 

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1999年8月13日(金)

 使徒九章19〜31節(31)

《こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。》

 はっきり救い主を受け入れた人は、何らかの行動をする。サウロは自分の救いの証しを始めた。彼は聖書の知識は十分持っていたから、肝心な点である「イエスが救い主」だと分かったら、早速その話を始めることが出来た。しかしこれまでのサウロの反教会行動を知っている者は、変化の大きさに直ぐには彼を信じることが出来なかったようである。

 一方ではサウロがクリスチャンになったことを知ったユダヤ人は、殺害の計画をし始め、他方教会は彼を受け入れる準備を始めた。

 まずダマスコ教会の人々である。そしてバルナバでである。エルサレム教会でさえ彼の受け入れにはかなりの戸惑いがあった。本当に信者になったのだろうかという思いである。そのような時バルナバが助けの手を伸べた。

 信徒は教会の交わりで信仰が守られ成長する。パウロのような偉大な人も同じである。教会との結びつきを大切にしなければならない。

 

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1999年8月14日(土)

 使徒九章32〜43節(36)

《ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。》

 再びペテロの活動にもどる。彼は今エルサレムを離れ海岸沿いの地方で伝道している。これは意味深いことで、ペエテロも都から離れて、徐々に地の果てへの宣教に向かいつつあることを示している。

 さて、ここにタビタのエピソードが記されている。彼女は女弟子である。当時女性に社会的地位はなかった。しかし、タビタはすばらしい働きをしていた。主イエスには十二弟子のほかに女の弟子達がいたが、初代教会の女性の役割は大きい。タビタが亡くなると、彼女を悼む多くの人々、特に生前親切を受けていたやもめ達が来て、彼女が作ってくれた下着や上着を見せながら死を悼むのである。これは美しい証しである。

 証しは、多くの場合自分が主イエスの恵みを語るのであるが、ドルカスの場合は周りの女性達が彼女を通してなされた主の恵みについて証ししている。ドルカスは着物を作ることが伝道になると思っただろうか。ただ主を信じる者の親切の一つと思っていたのではないだろうか。それが証しとなったのである。

 

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1999年8月15日(日)

 使徒十章1〜8節(2)

《信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。》

 福音がカイザリヤまで伝えられた物語である。この町にはローマ総督府が置かれていたが、それはユダヤに問題が多くローマが直接統治するためであった。この町に福音が伝えられたのは、やがて世界の都ローマにも宣教される象徴的な意義深い出来事であった。

 ここにローマ兵コルネリオがいた。異邦人であったがどのようにしてかユダヤ教に強い関心を持っていた。「信心深い」の語は敬神者とも訳されるもので、いわばユダヤ教の求道者人であった。支配者側の立場の者がユダヤ人の信仰を求めるとは不思議であるが、高い倫理観と神観に強い関心を持ったのではないだろうか。

 コルネリオの生き方に心ひかれるものがある。「神を敬う」、「施しをする」、「祈りをする」などは彼の生活の一端を表している。このような生活をどれほどしていたのであろうか、この時になって「あなたの祈りや施しは神のみ前にとどいて覚えられている」と主から告げられた。自然にしていたことを、実は主が知っておられたのかと、コルネリオは嬉しかったことだろう。私達の小さい事柄も神は覚えておられる。

 

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1999年8月16日(月)

 使徒十章9〜23節(20)

《「さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである」。》

 ペテロはユダヤ人で、食物には特別の意識があった。彼等は清い動物と汚れた動物とを区別し(レビ十一章)、清いものだけ食べていた。

 ところで、ペテロが空腹のまま屋上で祈っていると、突然天から汚れた動物の入った布袋のようなものが降りて来る幻を見た。すると、神はその動物を食べよと言われる。ペテロが拒否すると、それは、「神が清めたもの」だと言われるのである。ペテロが戸惑っていると、コルネリオからの使いの者が、ペテロを迎えに来たのだという。そこで、彼はようやく神のご計画の、少しばかりを知り始めたのである。

 ユダヤ人がサマリヤ人に近づき伝道するのは難しい民族感情があった。異邦人に対してはなおさらのことであった。聖霊はここで、彼の偏見を取り除こうとしたのである。

 聖霊は私達を真理に導くいわれるが(ヨハネ十六章13)、真理の理解は徐々にである。聖霊の降臨を経験しても、世界の諸民族への福音について、ペテロはよく分かっていなかった。謙った思いと従う信仰を持っていると、神は私達を正しい道へと導いて下さる。間もなくペテロの偏見は取り除かれたのである。

 

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1999年8月17日(火)

 使徒十章23〜33節(33)

《「それで、早速あなたをお呼びしたのです。ようこそおいで下さいました。今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。》

 

 ペテロがヨッパの皮なめし職人シモンの家にいた時、コルネリオからの使者が迎えに来た。幻を見ていたのでかなり異邦人伝道のためらいは取り除かれていただろうが、それでもそのようなことをしたと他の者から非難されないように、数人の友達を連れていった。同時に連れの者にも全ての民族のための福音を知ってもらいたいと、ペテロは考えたのではあるまいか。

 「全世界に福音を伝えよ」と言われていても、民族主義の垣根が排除されなければ到底できることではない。聖霊はまずペテロからその偏見を除き、他の者にもそうされたのである。彼等がその家につくと、もう既にコルネリオの親族や関係者が大勢集まっていた。ひれ伏して歓迎するのをペテロは押しとどめて「わたしも同じ人間です」と言って、来訪のいきさつを説明した。コルネリオも四日前の出来事を語り「私達は主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みなみ前にまかりでているのです」と心を開いた。百倍の実を結ぶ者はみ言葉を聞く者である。

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1999年8月18日(水)

使徒十章34〜48節(44)

《ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった。》

 ペテロの説教の要点は以下の通りである。

@イエスは聖霊の力によって福音を語った。

A彼は十字架で死んだが復活した。

B彼を信じる者は救われる。37〜43節は、初代教会のキリスト伝のまとめで、最初に書かれた福音書と言われるマルコ福音書の原型であると言われている。

 ペテロが話し終えないうちに聖霊は彼等に注がれた。ペテロの同行者ユダヤ人はそれを見て驚いた。なぜなら、ユダヤ人の考えでは異邦人が神の恵みにあずかるのは、彼等がまずユダヤ教に改宗し、その上でキリストを信じれば救われると言うものであったからである。ところがそのような順序を経なくても、コルネリオらは救われたのである。律法を守らなくても、神はキリストの十字架を信じるだけで救われることを明らかに示された。ペテロ自身もこの出来事には驚いたに違いない。 「語り終えないうちに・・・聖霊がくだった」。求める人にはどのような時でも聖霊は与えられる。

 

 

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1999年8月19日(木)

 使徒十一章1〜18節(18)

《人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。》

 異邦人コルネリオが聖霊の働きによって救われたというニュースは、母教会のエルサレムにいち早く伝えられた。そこで割礼を重んじる人々が、ペテロが異邦人と食事の交わりをしたと言って彼をとがめた。それは異邦人が汚れていると考えていたからである。

 このような非難を受けた時、ペテロは自分の体験を順序よく話し説明した。事実を語ることは雄弁な福音の証しである。人々はこれを聞いて黙ってしまった。十章の解説でも書いたように、ユダヤ人がイエスを救い主と信じ、救いにあずかることは何の問題もない。しかし、異邦人が割礼も受けずに救われるとことは、彼等には受け容れられないことであった。なぜなら神は信仰の先祖アブラハムに割礼を命じられたからである。だから異邦人が救われるには割礼を受ける事、即ちユダヤ教徒になり、その上でキリストを信じるなら救われると考えていたのである。

 しかし、聖霊は全ての人はそのままで救われるという真理を現わされた。これによって福音は全ての人のものとなったのである。

 

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1999年8月20日(金)

 使徒十一章19〜30節(21)

《そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。》

 キリスト教はユダヤ教の枠を乗り越え、世界に広がっていく。此処にはアンテオケ教会の誕生を見る。この教会はユダヤ人・異邦人混合の教会であった。

 ここで重要な役割を果たしたのはバルナバである。彼はクプロ出身のユダヤ人で、一般に「離散のユダヤ人」(ユダヤ以外の地に住むユダヤ人のこと)と言われている者の一人である。彼は既にエルサレム教会で大切な働きをしていたが(四章36)、ここでサウロを教会の交わりに引き入れるという大切な務めをしている。また彼はアンテオケ教会の重鎮で、飢饉の援助のためエルサレム教会に出かけている(29)。このようにしてバルナバはユダヤ人教会と異邦人教会の橋渡しを始めたのである。

 この当時アンテオケ教会はめざましい発展をしていた。一般社会でもその活動は目立つようになり、それまでは信徒のことを「この道の者」と呼んでいたが、クリスチャンと呼ぶようになった。聖霊は教会史の転機を導かれた。「主のみ手が彼等と共にあったため、信じて主に帰依する者の数が多かった」

 

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1999年8月21日(土)

 使徒十二章1〜17節(5)

《こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。》

 このヘロデは幼子イエスを殺そうとしたヘロデ大王の孫である。彼はユダヤ人の支持を得たいためクリスチャンを迫害した。殺害されたヤコブはヨハネの兄弟である。ヘロデはこれに次いでペテロも捕らえたのである。時として権力者は自分の立場を守るためにはどんなことでもする。この当時、一般庶民は権力者に嘆願や署名運動など出来なかった。しかし「教会では彼のために熱心な祈りが神に捧げられた」。教会には祈りという武器が与えられている。とは言っても、皆が強い信仰をもって祈っていたかとなると、いささか不安である。兵士によって護衛されている事を思うと、救出は無理ではないかとの思ったのではないだろうか。それは私達とて同じである。何故か、神はペテロを救出された。私達には理解できない神のご計画であろう。ペテロは鎖がひとりでに解けたので、牢から出て衛所を通過し門の外に出た。夢心地であったのか、天使の助けだと思ったのである。無力を感じるときでも忍耐して祈る時、想像もつかない方法で神は助けの道を開いて下さる。

 

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1999年8月22日(日)

 使徒十二章18〜25節(23)

《するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。》

 ペテロは救出された後直ぐに仲間の家に行った。信徒達は祈っていたが、まさか救出されるとは思っていなかったようである。 ペテロが他の場所へ行ったのは、ヘロデの兵隊が押しかけてくると考えたからであろう(17)。 ところで、ヘロデはペテロの脱出に腹を立てた。あの警備を抜け出すことは考えられないので、兵士の裏切りがあったと思い彼らを処刑した。ヘロデは総督府のあるカイザリアへ帰ったが、そこにツロ、シドンの者達が来ていた。彼にへつらう者達がヘロデは神であるなどと言った時、神の裁きが彼に下ったのである。「虫にかまれて息が絶えた」とあるが、この当時の歴史家ヨセファスは、この時ヘロデは激しい腹痛を訴え五日間苦しんだ後五四才で死んだ、と記している。

 人はどのようなことに直面しても神に栄光を帰さなければはならない。飢饉の救援にエルサレムに行っていたバルナバとサウロはこれらの出来事を見ていた。

 

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1999年8月23日(月)

 使徒十三章1〜12節(3)

《そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。》

 アンテオケ教会には多様な人々がいた。バルナバは既に紹介したようにエルサレム教会の重鎮である。ニゲルは黒人。マナエンは社会的に身分の高い人。サウロはかつて迫害者そしてパリサイ人である。アンテオケ教会なればこそこのような多種のリーダーがいたのである。そしてこの教会が世界宣教のビジョンを持つようになった。この働きは現代世界に大きい影響を与えている。キリスト教抜きでは今の世界はありえないからである。彼等は主の大宣教命令(マタイ二八章19、20)を思い、祈りと断食をもってバルナバ、サウロを送り出したのである。

 彼等はクプロへ行った。その島はバルナバの故郷である。先ず会堂で説教したが、ユダヤ人こそ最初に福音を聞くに相応しいと考えたからである。伝道は身近な者からがよい。

 さてセルギオ・パウロが信じた。ローマの高官は皇帝への忠誠を損なわないようにと他宗教への帰依を禁じられていた。それにも関わらず総督が信じたのは、彼が神の業を見たからである。宣教の力は祈りと断食と礼拝である。

 

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1999年8月24日(火)

 使徒十三章13〜25節(23)

《神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、》

 バルナバ一行はピシデヤのアンテオケへ移動した。ここはガラテヤ地方である。彼等は会堂で伝道を始めた。此処にはユダヤ人がいるので聖書から話をすることが出来た。パウロは旧約聖書から救いの神を語った。即ち、神はその民を選び(17)、エジプトの奴隷の身分から救い(17)、荒野で民をはぐくみ(18)、やがて王を与え約束に従って救い主イエスをお送りになったのである(23)と述べたのである。これは旧約聖書の主要部分のまとめである。

 このような話がユダヤ人の興味を引いたのか。そうである。ユダヤ人にしてみれば聖書とは律法の書である。それは安息日に律法、食物に関する律法など彼等の生活を縛り付けるものであった。しかしパウロの話は聖書は救いを伝える書物であるというのである。 私達はこのように聖書を読まなければならない。出来ないことをしなさいと命じるのが聖書ではない。救いを与え命を与えるものである。約束の書である。

 

 

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1999年8月25日(水)

 使徒十三章26〜41節(39)

《信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。》

 16節でパウロは「イスラエルの人たち、ならびに神を敬う人々」と呼びかけ、26節で再び「兄弟達」と呼びかけている。このような呼びかけは内容の区切りをするためのようである。

 25節までは旧約聖書から救いについての神の計画を説明しているが、26節以下ではイエス・キリストが何をしてくださったかを書いている。

@イエスに起こった全てのことは預言されていた(27)。

Aイエスは処刑されたが、実は彼には死罪の理由はなかった(28)。

B死んだイエスはよみがえった(30)。この点についてはかなり長い話をしている(30〜37)。

C最後にパウロはこのイエスによって救われ、義とされると結論づけたのである(38)。

 ここの会衆は旧約聖書を知っている人々であるから、パウロはそれにふさわしい話をした。すなわち、モーセの律法によっては義とされないが、キリストの身代わりの死と復活によって義とされると説いたのである。それはユダヤ人だけでなく、「信じる者はもれなく」である。

 

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1999年8月26日(木)

 使徒十三章42〜52節(49)

《こうして、主の御言はこの地方全体にひろまって行った。》

 パウロの説教を聞いた人々は、イエスによる救いの完成に驚きと喜びに満ちた。この人々にパウロは「恵みに留まる」ように勧めた。それは律法主義にかえるのではなく、続いて福音の恵みの中に生活せよと言う意味である。 福音は他の人々にも伝わりその救いを知りたいと、全市をあげてパウロのもとに集まってきた。人が救われ喜びを持つことはすばらしい。それが他の者にも伝わるからである。「こうして主の御言葉はこの地方全体に広まっていった」のである。

 ところがこれに対して、あるユダヤ人は反対運動を起こした。その理由はいくつも挙げられるが、本音は「ねたみ」である。しかしパウロは失望しなかった。これを機会に異邦人伝道へと方向転換したのである。

 これはキリスト教の世界化の始まりとなった。聖霊は不思議な導きをなさる。恵みの福音が全ての人に伝えられることを主は願っておられる。

 

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1999年8月27日(金)

 使徒十四章1〜7節(3)

《それにもかかわらず、ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。主は、彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた。》

 アンテオケで迫害されたパウロたちは、一三〇キロ東のイコニオムへ行った。

 なぜ町の当局者がパウロを迫害したのか。それにはそれなりの理由があった。ローマ政府は認可されている宗教には信仰の自由を与えていた。ところが不認可のものは取り締まった。当局者はパウロはユダヤ教の一派だと考えていたのに、ユダヤ人から自分たちの仲間ではないと訴えられたので不認可の宗教と見て取り締まったのである。 反パウロのユダヤ人はこれに根拠をえて迫害した。それでもパウロは会堂で伝道した。それは彼等が同胞であり、アブラハムの祝福を受け継ぐべき者だと信じたからである。伝道の結果町は二分した。

 このような状況の中で、パウロは長期間そこに留まった。2節に「ところが」とある。これをある人は「それゆえ」と訳している。反対にもかかわらず留まったのは主の恵みの証しがあ

ったからである(3)。

 

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1999年8月28日(土)

 使徒十四章8〜18節(17)

《「それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。》

 迫害者によって石打にされそうになり、パウロはルステラへ避難した。ここは行政区域が別なので一時的とはいえパウロは難を逃れることが出来た。 ところが思いがけないことが起こった。それは足の不自由な人が癒されたため、パウロとバルナバを神の使いと思い礼拝しようとした事である。もちろん彼等はそれを拒否し、まことの信仰を伝えた。

 その内容は次のようである。

@神は世界の創造者である(15)。全ての存在の根源は神にあること、

A神は心に分かるように自然、歴史などを通して間接的ではあるが神の存在を知らせようとしておられる(17)。

 人の心(例えば良心)、自然、歴史、などを通して知られる神の知識を、一般啓示と言い、キリスト、聖書などで知る神の知識を特別啓示という。一般啓示では漠然とした神理解は出来るが、救いへの明確な理解は特別啓示によって得られる。キリストが救い主と分かると、一般啓示が意味深くなり自然の恵みが深くなる。

 最近の関心事のエコロジーも意味深くなる。

 

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1999年8月29日(日)

 使徒十四章19〜28節(22)

《弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。》

 ルステラで伝道していたパウロのところへユダヤ人が押しかけ迫害を始めた。ある人々は福音を信じたが、かなりの者はユダヤ人に煽動されてパウロに石を投げた。

 先ほどまで神のようにあがめていた者達が、誰かにそそのかされると反対者に回り石を投げつける。何という変わり方であろうか。

 本当に信仰が分からないと、何時でも人は変わる。信仰とは自分の願いが思い通りにかなえらることではない。心が変えられることである。内心が変えられるのは、信仰を持ってからでも必要なことである。問題の解決のために熱心に祈るとき、実は返って自分自身の心のありようが変えられていくものである。

 パウロは意識不明になるほどの衝撃を受けたが、弟子達の介抱を受け立ち上がることが出来た。彼はこれまで伝道した町々を訪問し「神の国はいるのに多くの苦難を経なければならない」と励ました。苦しいことはパウロもその町の信徒も同じである。

 

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1999年8月30日(月)

 使徒十五章1〜11節(9)

《また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。》

 ガラテヤ伝道を終えてパウロはアンテオケに滞在していた。そこへユダヤから来たパリサイ派からクリスチャン人々が「異邦人も割礼を受けモーセの律法を守らなければ救われない」と主張していた(5)。

 彼等の言い分にも理由があった。それは次の通りである。

 神はアブラハムを選び神の民とした。神はこの民を通して異邦人にも祝福をお与えになる。神はユダヤ人に割礼を命じ律法をお与えになったのだから、異邦人もそのようにしなければならない。つまりキリストを信じるだけでは不十分で、律法と割礼を守ることによって救われると言ったのである。これは福音のユダヤ化である。

 この問題解決のためエルサレム会議が開かれた。ここで先ずペテロが発言した。コルネリオのことを証しし、神は彼に聖霊を与え、信仰による心のきよめを与えたと述べたのである。

 「確かに主イエスの恵みによって我々は救われるのである」(11)

 

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1999年8月31日(月)

 使徒十五章12〜29節(28)

《すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。》

 エルサレム会議にはかなりの論争があった。それらすべてを記していないが、重要な発言は残されている。まずペテロの意見、次いでバルナバ、パウロの証し、そしてイエスの弟で長老のヤコブによるまとめである。

 この会議の流れを見ると、異邦人への福音の線、すなわちユダヤ的な要素はなくても救われるというのが主流と見られる。

 ところが20節で、ヤコブがユダヤ人の長い歴史の中で守ってきたことは尊重すべきであると述べているのは大切だと思う。

 新約の恵みは旧約から出ている。ユダヤ人も主によって救われているが、先祖からのものも受け継いでいる。彼等が不品行を避けるのは当然としても、「絞め殺したものと血を避ける」というのは、血抜きの肉を食べる決まりを守っていることを指している。ヤコブはそれを尊重しようと言ったのである。 寛容で恵みある対応である。そしてこの決議は「聖霊と私達とが・・・決めた」のである。単なる人の合議以上に聖霊の関与があったことは教会歴史の大切な要素である。

 

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