「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第6話 宇佐美先生は、教室に入ってきたかと思うと、教卓の上から用紙をひったくるように回 収して、すぐさま出て行ってしまった。 病み上がりにこんな無茶して……。 ただでさえ忙しい身なのに、あんな企画引き受けて大丈夫なのだろうか。 今日は話すのは無理か……。 ひとまず図書室に借りてた本を返しに行って、何か借りて、それから職員室と実験室を 覗いてみよう。 図書室には、片瀬姉妹がいた。 「あ、伊月さんっ」 片瀬姉妹の妹、椎奈(しいな)は、ひとり真面目にカウンターに立って、利用者を待っ ている。 フチ無しの眼鏡に、長い黒髪。 背が低くて童顔で全身から可愛さを醸し出しているが、侮ってはいけない。 こう見えて、学年トップの成績を持つ天才少女なのだ。 嘘だけど。 成績はクラスの真ん中くらい、運動能力も人並みらしい。 ごく平凡な子だ。 「こんちは、片瀬妹」 「こんにちは〜、伊月兄さん」 片瀬姉は椎奈の横で椅子に座り片肘をついて、世界の昆虫図鑑を読んでいる。 「嬉しそうだな、椎奈」 「先輩が今日はじめてのお客さんですからね〜」 椎奈はオレが片瀬妹と言ったときだけ、伊月兄さんと返してくる。 ささやかな抵抗らしい。 片瀬薙と椎奈は、本当の姉妹じゃない。偶然同じ苗字で同じ図書委員で同じ学校に通っ ているだけだ。 片瀬姉が3年の薙で、片瀬妹が1年の椎奈。 どちらも片瀬だから、2人がカウンターにいるときに苗字で呼ぶと、返事が2つ返って きくる。 かといって名前で呼ぶのには抵抗があった。 で。 毎週欠かさず通っているうちに、なんとなく今の呼び方に落ち着いた。 きっかけは──ってほどのものはなくて。 呼びやすさを追求した結果だ。 一時はメガネ(椎奈)とメガネ無し(薙)と……かなり失礼な呼び方をしていた。 「はい、返却」 小説を渡すと、椎奈は背後の棚から迷いながら貸出カードを探し出し、ハンコを押して、 本を裏返してカードを入れる。 「ご利用ありがとうございました〜」 椎奈は貼ってあるシールの番号を見ながら、本を棚に戻しに行く。 「いい挨拶だ。どっかの誰かとは大違いだ」 「伊月くんのときだけだからね。椎奈がこんなに愛想いいのは」 意外なことを言う、薙。 いや。 椎奈とは図書室で会うか、たまに廊下ですれ違うくらいだから、オレといないときのこ とはわからない。 「惚れられてる?」 「聞いてみたら?」 世界のテントウムシのページを眺めていた瞳が、1度だけこちらに向けられる。 「オレ、小心者だから」 「どこがよ。とにかく、私の妹を傷つけることはしないでよね。あの子、伊月くんと違っ て、かなり繊細だから」 こういうときだけ椎奈を妹として扱う薙。 なんだかんだ言って、薙は椎奈のことをえらく気に入っている。 「オレも繊細」 「図鑑のカドって痛いの知ってる?」 「知りたくもない」 椎奈が戻ってきた。 「なに話してたんですか?」 オレがどう説明しようか考えあぐねていると、 「伊月くん、椎奈のお薦めの本が借りたいんだって」 「なんかない?」 オレも話を合わせる。 といっても、最初からそのつもりだったんだけど。 薙と椎奈の読書量は半端じゃない。 そしてひとつの分野にこだわらず読むから、こういう本が読みたいと話せば、いくつか 候補を挙げてくれる。 「希望のジャンルはありますか?」 「んーと。椎奈が最近読んだ本はなんだ?」 「『精神分析学入門』です」 ……聞くからに眠くなりそうな本だ。 「伊月くんには漢字と文字が多すぎるわ、それ」 オレはバカか。 「では、たまには絵本にします?」 「ほーお。言うようになったな、椎奈」 「ねえ、伊月くん。最近の絵本って、読んだことある?」 「あるわけないだろ」 この年になって絵本なんて読むか。 「先輩はたぶん誤解してます。絵本は一般書籍として、幅広い年代の人に読まれているん ですよ。私たちが読んでもとても面白いですし、少ない文章の中に、様々な意味が込めら れていて、深く考えさせられます」 「そういうもんなのか?」 「桃太郎とか想像してたんじゃないわよね」 「いや、カチカチ山」 「……」 「ちょっと待っててくださいね!」 椎奈は本棚の向こう側にいってしまうが、すぐに戻ってきて、 「これお勧めですっ!」 「いいかもね」 薙が同意する。 手渡されたのは、真っ白い本だった。 B5サイズの硬い表紙の中心に『アルビノ』と明朝体で小さく印刷されている。表紙に 著者名は見当たらない。 どんな内容なのだろうか。 「あ、待って下さいっ!」 ページに手をかけたオレを慌てて止める。 なんでだと聞くと、薙が、 「絵本はね、1人のときに読むのがいいわ。あと、最初から1枚1枚ページをめくってい くものだから。ストーリー性のある映画を早送りやぶつ切りで観てもつまらないでしょ? そうやって観た映画をまた最初から観たいと思う?」 「わかった、家でひとりぼっちで泣きながら読むよ」 「別に泣かなくていいから」 貸出カードに名前を書く。 椎奈が日付を書いて、判子を押す。 受け取った絵本を鞄に入れ、オレは2人に礼を言って、図書室を出た。 職員室に宇佐美先生はいなかった。 実験室にも鍵がかかっていて、誰かが中にいる気配はない。 「あら、伊月」 前が見えないほど大量の紙を抱えた宇佐美先生が後ろに立っていた。 「ちょうどいいとこにいるわね。私のポケットから鍵出して、そこ開けて」 宇佐美先生が足踏みすると、白衣の右ポケットから鍵の束がぶつかり合う音がする。 ポケットを探り、鍵を掴む。 ドアを開ける。 実験室のテーブルに積み上げられた紙の束が2つ聳えている。その隣に、抱きかかえて いたものを並べる。 「ふー」 「ほんとに全部の教室まわったんですね」 「当たり前じゃない。皆に面倒くさいことをさせておいて、私だけ楽してるわけにはいか ないわ」 ガスバーナーにマッチで火をつける。 急須の茶殻を入れ替えて、お茶専用のフラスコに水道水を注ぐ。 「ところで、先生」 「ごめんね。なにも言わず帰っちゃって」 「KANAと何を話したんですか」 「悪いけど、言えないわ」 「何でですか?」 「それがあの子のためだからよ」 「オレに隠す必要があるようなことなんですか。先生はKANAの正体を突き止めてくれ るって言ったじゃないですか」 「そんな約束したかしら」 「した」 「そう。だったらごめんなさい」 「そうじゃなくて、」 謝罪の言葉なんて求めてない。 「あの子は無害。あなたに危害を加えることはないわ。話にあった爆弾のことだけど、そ んなもの詰め込まれてなかったから。安心なさい」 「……」 「知りたいことが沢山あるでしょうけど、今は、待ちなさい」 「……」 なにを待てって言うのだろう。 KANAが家から出て行くのを、だろうか。 お湯が沸騰する。 宇佐美先生は、急須に熱湯を注ぎ、 「飲んでく?」 「帰ります」 出て行こうとすると、 「伊月、」 「なんです?」 「何があってもあの子を追い出そうとしたりしちゃ、ダメよ」 オレの質問には答えないくせに、一方的に押し付けがましいことを言う先生に対して、 次第に腹が立ってくる。 「そんな約束できないですよ。オレはあいつのこと何にも知らないんですから」 「じゃあ、好きになさい」 「そうします」 「ひとつ教えてあげるわ。あの子を治せる人は、もういない。これだけは覚えておきなさ い」 「関係ないです、そんなこと」 はき捨てるように言う。 先生の目つきが鋭くなる。 「ガキね」 「今頃気づいたんですか?」 「もう少しマシなガキかと思ってた」 「先生に言われても、説得力ないですよ」 「……ぶん殴るわよ」 「やればいいじゃないですか? 大変ですね、先生って。オレだったら停学程度で済みま すけど、先生がオレを殴ったら確実にクビでしょうね」 「それ、脅し?」 「さあ」 宇佐美先生は立ち上がり、オレの前までやってくる。 「ふっざけんじゃないわよ!!!」 右の拳で殴られ、後ろの棚に背中を打つ。 棚の上からビーカーが落ちてきて、床にぶつかって割れた。 「……く」 人に殴られたのは、小学生のとき以来だ。 教師が生徒を殴るなんてありえない、どこかでそう思っていたから、オレはひどく動揺 した。 宇佐美先生を睨みつける。 口元をぬぐうと、血が出ていた。 「頭、冷えた?」 「オレはずっと冷静だ」 強気に言ってみせる。 「クビくらいで私が怖気づくと思わないことね。私は、自分が正しいと思ったら、後先考 えずにとことんその気持ちに従うわ」 倒れたオレに手を差し伸べる。 その手を掴み、力を込めて引っ張り、前のめりに転ばせる。 ごつ。 豪快に額をぶつける音。 「痛った……」 「これでおあいこだな」 「やってくれたわねー。か弱い女の子に対して」 額を押さえ、口を尖らす。 「普通、か弱い女は、グーで殴ったりしませんよ。昔、悪戯して親父に殴られたときより 痛いですから」 宇佐美先生は、半身の体勢から実験室の床に寝そべる。 「あー、すっきりした」 「生徒でストレス発散すんな」 割れたビーカーの破片を拾い集めようとすると、先生が箒と塵取りを持ってくる。 「伊月もイライラしてたでしょ?」 「先生のイラつきに感化されただけです」 「悪かったわね。教師だって悩み事はあるし、何もかもがうまくいかなくて、イラつくこ とだってあるのよ」 「KANAのこと、話し難いことなんですか?」 「それがねー。話してあげたいんだけど、まだ無理なのよ。手続きとか、調査とか、あと で面倒が起きないように、根回し中」 「ガキは役に立てませんか?」 「今のところはね。でもそのうち嫌でもあなたの出番が来るから」 「……嫌でもってのが引っかかります」 「気にしない気にしない。学生のうちは四六時中好きなことやって笑ってればいーのよ。 学校に目を付けられない程度に勉強して、面倒なことには首を突っ込まない」 「先生にそれができてたとは思えませんけど」 「だから教えてあげてるんじゃない。可愛い私の生徒に」 「可愛い生徒をぶん殴らないでください」 「私を転ばした時点で、さっきのあれは相殺されたわ」 「うわ、でた」 「自分であいこって言ったじゃない。日本、いえ世界の至宝である私の頭に攻撃を加えた んだから、本当は終身刑ものなんだけど、特別に許してあげる。よかったわね」 「……」 すっかりいつもの宇佐美先生に戻っている。 「どうしたの、頭打って、おかしくなった?」 「なってません」 「あ、先に言っておくけど、惚れないでよね」 「ありえません」 「そこまではっきり断言されると、それはそれでむかつくわね」 「じゃあ、好きです、先生」 「棒読みで言わない。それと『じゃあ』を付けない」 「好きです、先生」 「ごめんなさい、好みじゃないわ」 「ひでぇ」 「あはは。伊月って、ほんっとに面白いわね」 「先生には負けますよ。来週からの昼の放送、楽しみしてますから」 「ありがと」 「オレ、帰ります」 殴られたときに部屋の隅まで滑っていった鞄を拾う。 「……伊月、人間って何なのかしらね」 「先生に分からないことなら、オレには到底わかりませんよ」 苦笑する宇佐美先生に頭を下げ、 「また来週」 「気をつけて帰りなさい」 廊下に出るとグラウンドから運動部の気合の入った掛け声が聞こえた。 オレも帰宅部の活動をはじめることにした。 【戻る】 |