「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第8話 宇佐美エナが見たもの。 業火に焼かれ、誰にも知られることなく滅びていった、独りの研究者の末路。 狂気とも言うべき果てしなき知の追求は、他人との関わりを遮断し、自我が目覚めてか ら、睡眠と食事と排泄を除く、人が許される時の総てを研究に捧げるに至った。 前人未到の研鑽を積み、理想は現実と結びつく一歩手前まできていた。 理性など忘却の彼方にあった。 その究極の企図への欲望は、手段を選ばせなかった。 ただ己のために。 人を創る。 ただそれだけのために。 目的のためには、人を徹底的に知る必要があった── 宇佐美エナには、男の所懐を理解することができる。 かつて宇佐美エナにも何事も省みずひたすら前へと突き進み、命を削り、周囲を破壊し、 それでも夢を追い求めた時期があった。 やるせない気持ち。 一方では、危うい羨ましさ。 野ざらしにされた瓦礫の山を見上げる宇佐美エナの瞳には、計り知れない哀れみが漂っ ている。 人が人と交わらずに生きていくこと。 それを拒絶した男の、熱情の根がどこにあるのか窺い知ることはできない。 男が何者なのか。 宇佐美エナが得た情報は少ない。 だがこの場所に来て、ひとつ、大きなものを見つけることができた。 全世界を揺るがす。 かつての自分であれば、迷うことなく、これを用いて万物を貫く弾丸の入った銃の引き 金を引いただろう。 左目の視力を失ったことで、宇佐美エナは運良く立ち止まる機会を得ることができた。 周りには家族さえいなかった。 自分が人類の先頭を走っているという錯覚に陥り──その実は、人の住む地上に開いた 穴から、地の底に向かってまっ逆さまに落ちていたという事実。 蜘蛛の糸を手繰り寄せ、地上に戻るまでには年単位の時間を要した。 そして今。 宇佐美エナは迷わない。 倒壊した屋敷の廃材を適当に集めて、火をつけ、不要な書類を燃やしていく。 人間とは何なのだろう。 人類の永遠の命題であるその問いについて、宇佐美エナは、風に揺れる炎を見つめなが らしばらく考えていた。 「なーに難しそうな顔してるんですかー?」 数学教師の御堂千歳(みどう ちとせ)が、背後から宇佐美エナの肩を揉んでくる。 「脳みそがちくちくする……」 「昼の放送で読むものを選別してるの?」 「んーと、どっちかっていうとコラムの方。ちょっと理解不能な資料があってね」 「かつて神童と呼ばれたエナっちにも理解できないことなんてあるのねぇ」 千歳はプライベートや2人だけのときは、エナをあだ名で呼ぶ。 学校内では基本的に宇佐美先生と呼んでいるが、放課後や、今のように全ての教師が帰 ったあとは、同僚から友だちへの言葉づかいに変わる。 千歳はエナと、小中高と一緒の学校に通っていた。 当時は互いに名前を知っているという程度の関係だったのだが、何の因果か、10年以 上経って教師として同じ学校で出会うことになった。 「上には上がいるのよ」 「うわこの人、自分で上って言ってますよ」 2人の他に誰がいるわけでもない職員室で、千歳は誰かに向けて報告する。 「揺るぎようのない事実だしね」 「キャー」 悲鳴のような奇声を発し、ぽかぽかぽかとエナの肩を叩く千歳。 「おー気持ちいい。ありがと」 「痛がれー」 小柄で非力な千歳には、どんなに強く肩を叩いてもエナに0ダメージしか与えない。 「いい感じ。そのくらいが丁度いいわ」 「やーめた」 相手を回復させるだけなことに気づき、無意味な弱パンチの連打をやめる千歳。 「あと10分続けてくれたら今度なんか奢ってあげる」 「続けさせて頂きます、エナお嬢様。ついでに中華料理のフルコースも頂きます」 「後者は却下」 「花風堂のラーメンは嫌よ……」 「美味しくなかった?」 椅子を回転させて、千歳の正面で止める。 「凄く美味しかった! でも、ひとこと言わせてもらうわ! 三十路過ぎなのにこの可愛 らしい容姿のせいで子ども扱いされて人に奢られ続けて十数年の奢られマスターの私(わ たくし)としては、味は二の次でいいから、高いものを奢って貰うほうが嬉しいというこ とを事前にお伝えしておきます!」 「バカと煙は高いものが好きって言うしね」 「微妙に違います!」 「まあいいわ。そんなことより、続き続き」 「えー、帰らないのー?」 「あと30分くらい待ってて」 「手伝おっか?」 「千歳の得意教科って、数学と美術だけでしょ。役に立た、いえ、やっぱり一応、見てく れない?」 4つ折にされた跡のついたA4サイズの紙を渡す。 紙には図と絵と矢印が描かれている。文字は書かれていない。 「なんですか、これ?」 「それがわからないから悩んでるんじゃない」 「側面から見たリング状の図が色違いで5つ積み重なってて、それと、絡み合ったロープ ……かな。矢印が3つ、これは全部同じ色ですか……ふーむ」 「思ったこと言ってみて」 「赤色のリングに意味があるような気がしますね」 「それはなぜ?」 「ひとつだけ規則から外れてますから」 「外れてる?」 「ですよ。他の4つのリングは、主線が実線なのに、このひとつだけ点線です」 「本当ね。でも、それにどんな意味があるのかしら」 「ではもうひとつ。3つの青矢印の配置はバラバラのようだけど、たぶん、ひとつの場所 を指してます。鉛筆で書き込んでもいいですか?」 「いいわよ。コピー取ってあるから」 千歳はペン立てから定規を抜き出して、矢印の先端の方向に直線を走らせる。 紙の端にぶつかった線を進入角と同じ角度で反射させると、矢印から伸びた直線は紙上 で永久に跳ね返り続けることになる。 3つ全ての矢印を3度、紙の端に反射させる。 すると3本の直線が一点で交わる。 「こじつけ過ぎですかねー」 「……」 その一点とは、赤いリングの中心── 「うーん」 「ところで、こんなダルマ落としみたいな絵、誰が描いたんですか?」 「誰がこーんなわけわかんないもの描いたのかしらねー」 「実はとても単純なことだったり」 「ダルマ落としか……懐かしいわね。言われてみると似てなくも……」 「だよねー」 「……待って」 「どしたのエナっち?」 「……」 「ねえ?」 「……」 「眉間にシワ寄せないほうがいいよ。あとが残っちゃうから」 「でかしたわ、千歳」 「えっ? 何かわかったの?」 「ええ。ばっちり」 「よかったねー。で、何を表した絵だったの?」 「複数のリングは独立した意思、縄みたいなのは人の脳、矢印はパルス信号の流れ──こ こまでは理解してたんだけど、つまりダルマ落としだったわけなのよ!」 「わけわかりません」 「つまり、人間の脳には、複数の異なる意思が同居していて、そしてその意思は、とある 法則性を持った刺激を与えることで、入れ替わるってこと」 「多重人格みたいなの?」 「全然違うけど、イメージはそんなものね。この図で説明すると千歳は赤いリング。でも ね、千歳の頭の中には人格が確立した現在であっても他のリングが存在していて、スイッ チひとつで別人に入れ替わってしまう可能性があるの」 「それって、なんだか……怖いね」 「平気よ。私たち、対象外だから」 「どういうこと?」 「この説が適用される対象には絶対条件があって、その条件に千歳や私は該当しないの。 でもまー仮説だから。証明式は不完全で曖昧で、このままじゃ妄想の類。だって具体的な 数値や手段が書いてないし。つまり、机上の空論」 「そうなんだ」 「ありがと、千歳」 頭を撫でられて怒る千歳をしつこく撫でまわし、エナは、白衣を脱ぎ椅子にかけてあっ たハーフコートを着はじめる。 「ほら、行くわよ」 「え? どこに?」 「中華のフルコース食べたいんでしょ? 私の気が変わらないうちに、早く帰り支度をし たほうがいいわよ」 【戻る】 |