「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第15話










 雨粒が傘を打つ。


 昨晩から全国的に雨が降り続いている。


 まちまちの濃淡のグレーの雲が重なり合い、それぞれ違った速度で流れている。


 降水確率100%。


 明日の昼まで止まないらしい。


「田舎だな」


 電車を4回乗り継いで降りた駅は、無人駅だった。一本の線路が左右一直線に果てしな
く伸びている。


 駅のホームに屋根がないので、電車から降りると同時に傘を差す。


「これはどうするのかしら」


 母さんがあたりを見渡しながら切符を持て余している。


「その箱に入れるのだろう」


 駅の出入口に置いてあるポストのような木の箱に切符を放り込む。


「随分いい加減だな」


「都会を離れればどこもこんなものだ」


「ここはその中でもかなり末期的だと思うけどな」


 駅を出ると、ロータリーらしきものがあったけれど、タクシー乗り場もなければ、バス
停もない。


 そもそも人間がいない。


 ロータリーを挟んだ向こう側にタバコ屋が一軒あって、シワだらけの婆さんが目を細め
てこちらを眺めている。


 他に人の姿はない。


 婆さんも身動きひとつしないので置物か何かじゃないかと疑いたくなる。


「ここで待ってれば、車で迎えが来るって言ってたんだけど……」


 雨宿りをする場所もない。


 周囲を眺めても、畑と田んぼと山々と民家がちらほらあるだけで、特に注目を引くもの
もなかった。


 5分で飽きた。


「海の匂いがするわ」


 母さんはそう言うが、オレにはわからなかった。


「進、連絡先は聞いてないのか」


「一応聞いてあるけど、電話ボックスがないだろ……あ、タバコ屋で借りればいいのか」


 歩き出そうとしたとき、1台の車がやってきた。


「伊月せんぱーーーいっ!」


 雨などお構いなしの様子で窓から顔を出して、椎奈が手を振っていた。


 車がオレたちの前で止まる。


「ようこそいらっしゃいました」


 運転手席からスーツを着た白髪混じりの痩せた男が降り、礼儀正しく頭を下げる。助手
席から出てきた椎奈が一緒になってお辞儀する。


「今日はお招きくださり、ありがとうございます」


 親父と母さんに椎奈のことを紹介すると、椎奈はスーツの男のほうを見ながら『運転手
の三崎(みさき)さんです』と説明してくれた。


 運転手……。


 詮索はしないことにする。


「お荷物はこちらに」


 手荷物をトランクの中に入れてから後部座席に乗り込むと、車はロータリーを一回りし
てから来た道を引き返した。


「言っちゃ悪いけど、ずいぶんな田舎だなー」 


 どこまでも同じ景色が続いている。


「この付近は特に過疎化が進んでいるんです」


 と、椎奈。


「右手の山を越えれば海が見えてきます。港の周辺はここより遥かに発展しています。私
たちにとっては、自動車や連絡船のほうが便利なので、鉄道を利用する人はとても少ない
のです」


 三崎さんが言ったように、山を越えると港を中心として町が広がっていて、駅周辺とは
比べ物にならないほど発展していた。


「そろそろ到着します」


 てっきり何十メートルも続く石塀に囲まれた、大きな屋敷にでも連れて行かれるものだ
と覚悟していたのだが、そうじゃなかった。


 そこは目的の墓地だった。


 車が止まり、オレたちは外に出る。トランクから荷物を取り出して、母さんが線香と花
束を出す。


「申し訳ありません。長い時間かけて来られてお疲れでしょうから、お屋敷で一休みして
頂いてからと思っていたのですが、少々、事情がありまして……」


 三崎さんが済まなそうに頭を下げる。


「どうか、気になさらないで下さい。私たちはこうしてこの場所を訪れることができたこ
とに感謝しております」


 母さんの言葉に、オレと親父は頷く。


「すみません、伊月先輩」


「だ、か、ら。感謝してるって言ってるだろ。オレたちは、観光で来たんじゃないんだ」


 ハカナの墓参りにやってきただけだ。


「……はい。では、ご案内します」








 オレの身長の倍ほどある墓石が立ち並んでいた。


「ここです。ハカナとその母親のお墓です」


 黒い墓石。


 確かに、ハカナの苗字が彫られている。


 オレたち家族は無言で線香に火をつけ、備え付けの線香立てに刺す。


 それぞれ順番で傘を持って、手を合わせる。


「……」


 街の喧騒から離れ、大海原を臨む景色は美しく、傍にはハカナの大好きだった母親がい
る。


 ここなら。


 寂しくないだろう。


 日常を繰り返していく中で埋もれてしまった記憶の数々が、目を覚ましはじめる。


 しかし、悲しみより安堵感のほうが勝っている。


「片瀬さん、本当にありがとうございます」


 親父が墓石に向かいながら言う。


「お礼を言うのは私のほうです。私は、迷子になったハカナが、あなた方に巡り会うこと
ができたことを、奇跡に近い幸運だったと思っています。ハカナは、ずっとここで、みな
さんのことを待っていました。あの子の人生は短かったかもしれません。子どもにはつら
いことが多すぎました。でも、それでも、ハカナは最後に幸せな毎日を送ることができま
した」


 図書室での椎奈とは違う。


 今日の椎奈は、オレより年上なんじゃないかと思えるほど、大人びて見えた。


「あなた方に出会うことができたからです」


 その言葉に、母さんが嗚咽を漏らす。


 椎奈の言葉は、他の誰の言葉よりも胸に響く。


「オレたちもハカナに会えて良かったって思ってる。本当に」


「三崎さん、あれを持ってきてください」


 椎奈が言うと、三崎さんは墓地を出ていき、間もなく一枚の丸まった紙を手にして戻っ
てきた。


 三崎さんは紙を椎奈に渡し、椎奈に代わって傘をさす。


「これを受け取ってくださいませんか」


 椎奈は一枚の画用紙を広げ、オレたちに向かって見せる。


 絵だった。


 クレヨンで描かれた、いかにも子どもが描きそうな、画用紙一杯に大きな顔が並んでる
絵。


 4つの顔は、みんな微笑んでいる。


「……」


「私が最初この絵を見つけたとき、ハカナが私と両親を描いたものだと思いました。でも、
そうではありませんでした」


 オレたち家族とハカナ自身を描いたものだということは、絵を見た瞬間わかった。


 ハカナのために流せる涙はとっくに枯れてしまった。


 絵を見て、心が揺さぶられはしたけれど、それ以上の感情は湧いてこない。


「この絵は、ハカナがあなた方の元を離れてから描いたものです」


 ハカナは親戚らしき男に引き取られ、その4日後にいなくなった。その間に描いたもの
か……。


「伊月先輩、どうか受け取ってください」


 濡れてしまわないように、ハカナの描いた絵を受け取る。


「ありがとう、椎奈」


「裏を見てください。あの子からの最後のメッセージです」


 画用紙の裏。


 黒いクレヨンで、へたくそな字で、ありがとうと書いてあった。


「……」


 10年越しで届けられたハカナからの言葉──当時のハカナが当時のオレたちに向けて
書いたものなのに、


 それは、天国からの、ハカナがいなくなってからオレたち家族が行ってきた、すべての
ことに対しての感謝の言葉に思えた。


「この絵のように、いつまでも笑顔で満たされた、ハカナが愛した家族でいてください」


「うちは親父が変なことを除けば、ごく普通の家庭だ。ハカナに特別のことをしてやれた
わけじゃない」


「その『普通』の環境は、すべての子どもに与えられるわけではないです」


 椎奈は視線を地面に落とす。


「私たちのお母さんは、ハカナを産んでから体を悪くして、死んでしまうまで病院のベッ
ドの上でした。お父さんは仕事の関係で海外出張をすることが多くて、私たち姉妹は、別
々の親戚の家に預けられました」


「……」


「ハカナはそこで虐待を受けました。あの子は私にさえあまり話してくれませんでしたけ
ど、伊月先輩も気づいていたでしょう? それは、あの子の体を見れば誰でもわかるほど
酷いものでした。あなた方には到底想像できないことなのかもしれませんが、無力な、本
来であれば大人が守るべき対象の子どもたちを徹底的に傷つけることができる、そんな人
間がこの世の中にいるんです」


 ……。 


 雨音が遠ざかっていく。


 ハカナの絵を見直す。


 親父と母さんとハカナとオレ、4つの顔が幸せそうに微笑んでいる。


 伊月家は、あの時期、誰が見ても4人家族だった。


 裏返して5つの文字を見つめる。


 ありがとう、お兄ちゃん。


 忘れかけていたハカナの声が聞こえる。


 こぼれ落ちそうな涙を拭い、オレは再び、ハカナの墓に手を合わせ、いくつかの言葉を
贈った。










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