「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第16話










 駅のホームまで椎奈が見送りに来てくれた。


 雨はまだ降り続いていた。


 しかし、雨脚はだいぶ弱まり、水たまりに落ちた雨粒が跳ねることもない。


 電車を待つ間、ハカナとの思い出を話してくれる椎奈の幸せそうな声を、黙って聞いて
いた。


 親父と母さんは、その話を聞きながら、笑いあっている。


 約20分後──


 ようやく電車がやって来た。


「この電車は、時間調整のために5分ほど停車します。その間に伊月先輩にお話がありま
す」


 椎奈がそう切り出したのは、親父と母さんが電車に乗り込み、オレと2人きりになった
直後だった。


「なんだ?」


「以前、私がお薦めしました、アルビノという絵本のことです」


「ああ。ぬいぐるみの話だろ。黒猫になれなかったぬいぐるみの話。でも、絵本なのにあ
んなストーリー……散々な目にあって、焼かれちまうなんて、救いがねーぞ」


「先輩はあの物語の不幸はどこにあると思いましたか?」


「他のぬいぐるみと同じ黒猫になれなかったことと、何度も捨てられたこと、汚れて黒い
ぬいぐるみになって、そんなことに喜んで、その矢先に焼かれたところとか。まあ、ひと
つのぬいぐるみを一生大事にするやつなんて少ないだろうから、何人かの手に渡れたのは、
幸せだったのかもしれないけどな」


「アルビノはとても不思議な絵本なんです」


 椎奈は続ける。


「あの物語を薦めた人には、続きを語る義務があるんです」


「続き?」


「いったい誰がはじめたのか、それはわかりません。それはすでに、著者の意思を離れて
いるのかもしれません」


 椎奈は、何を言っているのだろう。


 見当がつかなかった。


「アルビノに出てくる『あなた』という名のぬいぐるみの一番の不幸──それは、人間の
心を持って生まれてきてしまったことです」


「人間……って、ちょっと待て。絵本なんだから、ぬいぐるみに感情があっても不思議じ
ゃねーだろ」


「はい。絵本の中では、動物と話をしたり、玩具が意思を持ったりすることは不思議では
ありません。しかしアルビノのぬいぐるみの主語は『あなた』です。読者自身。つまりは、
人間です」


「確かに変な書き方だとは思ったけど……」


 物語の文頭を思い出してみる。






 ── エルという町に、ぬいぐるみを作る工場がありました ──


 ── あなたはそこで生まれました ──


 ── 工場で事故がおきました ──


 ── あなたは、黒猫として生まれたのに、白い猫になってしまいました ──






「アルビノは、人の心を持って生まれてしまった、ぬいぐるみの物語です」


「……」


 人間の心を持って、生まれてしまった……。


 そうだ。


 オレは絵本を読み終えて、絵本に出てくる猫のぬいぐるみとKANAの境遇が、似てい
ると思った。


 黒猫になれなかった白い猫のぬいぐるみ、人間にはなれないアンドロイド。


「人の心を持って生まれたのに、体はぬいぐるみで。人間の言葉を理解できるのに、話す
ことはできなくて。そして、そのことに疑問すら抱かない。ただ、本来そうなるはずだっ
たと思い込んでいる、黒い猫になることを純粋に願う……とても悲しいことです」


 生を受けた日、皆と同じ生を受けられなかった。


 その理不尽な運命が、持ち主に愛されるというぬいぐるみとしての役割を2番目にさせ
てしまった。


 だから哀しいんだ。


 オレは、漠然とそんな風に感じた。


 でも、そうじゃなくて、ぬいぐるみとKANAは似ているのではなくて、まったく同じ
……。


 どちらも、人間の体を持たず、人間の心を持って生まれてしまった。


「伊月先輩は、アルビノという言葉の意味を知っていますか?」


「いや」


「突然変異や遺伝により生まれてくる白い生き物──白蛇や白いカメ、全身真っ白で赤目
のインコとか……そういった、色素欠乏症の生き物のことです。私たち人間や動物に色が
あるのは、細胞の中にメラニン色素を持っているからです。ごく稀に、そのメラニン色素
が極端に少ないか、まったくない個体が生まれてくることがあります」


「……」


「それがアルビノです」


「……なんで高校生がそんなこと知ってるんだ」


「一般常識です」


 と言って、微笑む。


 ……絶対に違う。


 クラスのやつらに聞いても、ほとんど知らないと思う。


「で。椎奈が伝えたいことってのは何だ?」


「先ほども言いましたが、絵本の続きです。アルビノには、最後に、救いの言葉が残され
ています。薦めた人が絵本を読み終えた人に、聞かせてあげることになっています」






 ── とても寒い日でした ──


 ── おとなは、あなたのことを火の中に投げ入れました ──


 ── あなたは、いなくなりました ──






「これからお話しすることは、絵本のどこにも書いてありません。私も人づてに聞きまし
た。著者は関与していないのかもしれません。一体いつから、誰が考えたのか、もしかし
たら悲しいラストに対する読者の願いが生んだものなのかもしれません」


「……」


「では、お話します。たった5行の、希望の言葉です」















 オレたち家族が自宅に着いたのは、夜11時を回ったころだった。


「疲れた……」


 夕飯は途中で食べてきたので、あとは風呂に入って寝るだけだ。


 いろいろあった。


 とりあえず、そのことは全部忘れて、ゆっくり寝て、考えるのは起きてからにしたかっ
た。


「すぐにお風呂沸かしますね」


「沸くまで30分はかかる。今夜はシャワーでいいだろう」


「異議なし」


「では着替えを用意しますから、あなたから先に入ってください」


 親父は頷き、風呂場に向かった。


 オレは居間の床に座って一息つく。テーブルの上にある紙──母さんが書いた、出かけ
てきますというKANAへの伝言を見つめる。


「……」


 紙を丸めてゴミ箱に投げる。


 ぽす、という音を立てて、ゴミ箱に入った。


 テレビの電源を入れ、ぼんやりとニュース番組を見る。


 今朝の予報では明日の昼まで雨が残ると言っていた気がするが、女性予報士は笑顔で明
日は朝から晴れると断言していた。


「……ふぁ」


 だんだんと眠くなってくる。


 意識が飛びかけた瞬間、母さんに声をかけられ目が覚める。


「進。郵便受けに本と進宛ての封筒が入ってたわよ」


 絵本と薄緑色の封筒をテーブルの上に置かれる。


 真っ白い絵本。


 タイトルには『アルビノ』と、明朝体で小さく書かれている。


 ふと、椎奈が話してくれた、絵本の続きを思い出す。


 それを思うたび、絵本だけの話ではなくて、現実でもそうあって欲しいと願わずにはい
られなかった。


 KANAはこの本を読み終え、どんなことを思ったのだろうか。


「……」


 続きを教えてやりたい。


 哀しい物語が生み出した、救いの言葉を。


 だけどそれは、KANAに、光を見せてしまうだけなのではないだろうか。


 決して浴びることのできない陽だまりを眺めさせる。


 それは良いことなのか。


 宇佐美先生は、KANAに対して、どこまでのことができるのだろうか。


「……」


 絵本を閉じ、封筒を手に取る。


 裏には、アルファベットの筆記体で『Ena』と書かれていた。


 封を切る。


 丁寧に三つ折にされた手紙に目を通す。


「母さん、」


「なに?」


「明日、学校休むから」


「どうしたの急に?」


「これ」


 オレは手紙を見せる。


「ええと……『明日学校を休みなさい。そして、同封してある地図の場所に来ること。出
番がやってきたわよ、頑張りなさい』」


「……」


「どういう意味かしら」


「さあな。でも間違いなくKANAのことだと思う」


「行くがよい。非力な自分を知るために」


 声のした方を見ると、バスタオルを頭に巻いて腕を組む親父がいた。


「いきなり話に割り込んでくるな」


「学校にはサボリだと私から電話しておこう」


「余計なことすんな。親父は粘土遊びの続きでもしてろ」


「貴様はどうなってもかまわん。だが、不甲斐ない貴様がまんまと奪い去られた、KAN
Aさんだけは連れ戻して来い」


「宇佐美先生がKANAを直すために連れて行ったんだっつの」


 そうだったのか、という顔をする親父。


 こいつは……KANAがいなくなった日の夜、オレがした説明をまったく聞いてなかっ
たのかよ……。


「許可します。学校には、私からうまく説明しておきます」


「ああ。頼むよ」


「気張って来い。全員薙ぎ倒して来いッ」


「わかったわかった」


「うむ。今夜はえらく素直だな」


 ……そんなイベントは、どうあっても発生しねぇ。




















 その夜、アルビノを読み直した。


 涙が、流れた。










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