「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第22話 机の上の目覚まし時計が騒ぎ出したのは、午前七時五分前。キィン、という時計のアラ ームとは思えない金属音が室内の空気を叩いた。 突如、音だけの殺陣(たて)がはじまる。 刀身がぶつかり合い、小気味のいい音を響かせる。ざしゅ、ざしゅ、と、ひとりまたひ とりと斬られ役たちが地面に倒れる音が続く。 伊月進が昨日、KANAと行った動物園の帰りに買った目覚まし時計は、店内で聴いた とき以上に騒々しかった。 目覚ましが鳴りはじめてから十三秒。そこで音は止んだ。 伊月進は、不機嫌そうな顔を浮かべ、二刀流のサムライを睨みつける。それから秒針と 時針を睨みつける。すこぶる寝覚めが悪かった。 半分起こしていた身体を、またベッドに沈める。手探りでカーテンを開け、窓を開け、 朝の陽射しと空気を部屋に招き入れる。 天井に僅かに残る補修の跡を見つめながら、その天井を突き抜けて降って来た、機械の 身体を持つ少女のことを考える。 人は死ぬ。 ハカナのときがそうだったように。根拠のない期待は、更なる愁嘆をもたらす。 進は夕焼け色に染まったKANAの横顔を思い出す。 KANAが手術をすることを選んだことは、幾つかの可能性を得る反面、別れを早める 危険性を新たに生み落とす。あの横顔がこの世界から失われる、そのことは、伊月進の心 に重くのしかかっていた。 全身の力を抜いて、目を閉じる。 どういうわけか、二院麻子のことが思い浮かんだ。宇佐美エナの昼休みの放送をきっか けに、一緒に昼食をとるようになった、C組の女の子のことだ。麻子は放送を通じて、自 分の弱さを告白した。 強くなりたいです、どうしたらいいのでしょうか。 二院は強くなれたのだろうか、進は考える。 本人は何も言わないけれど、クラスではうまくやっていけてるのだろうか。まだ嫌がら せは続いているのだろうか。 人はどこかしら欠けてるものだと、宇佐美エナは言った。 オレの欠けている部分は? 伊月進は考えを巡らせる。記憶がおぼろげなイメージを明瞭なものへと──玄関先で父 親がハカナの頭を撫でている場面が見える、別れの日の──進は、ベッドから降りた。 寝巻きのまま廊下に出る。 隣の部屋のドアがほんの少し開いていた。 (なにやってんだ……?) 進は、音を立てないように、部屋に入る。 KANAが、右手にキリンのぬいぐるみ、左手に進が昨日まで使っていた目覚まし時計 を持って、何やら考え込んでいた。 意を決したようにキリンのぬいぐるみをタンスの上に置く、KANA。 進は、すり足でさらに近寄り、真後ろに立つ。 一メートルも離れていない場所まで近づいたのに、まだ気づかない。KANAは、今度 はキリンの右隣に刀の折れたサムライの目覚まし時計を置いた。 何の脈略もなく、可愛らしいキリンのぬいぐるみと、厳しい表情をしたサムライが並ん でいる。とても奇妙な組み合わせだった。 『とても華やかになりました』 「どこがだ」 『す、進さんっ! いつからそこにっ!』 長い髪を跳ねさせて振り返り、 『酷いです! 女の子の部屋に勝手に入ってくるなんて!』 顔を真っ赤にさせて、進を非難する。 「ドアが開けっ放しだったからだ。それより、なにやってんだ。そのぬいぐるみと目覚ま しは、先生んとこに持って行くんじゃないのか?」 『わたしがいないと、進さんが寂しがると思いましたので、このぬいぐるみは置いて行き ます』 いつもであれば「いや、寂しくねーし」そんな風に否定する進だったが、 「早く帰って来いよ」 『はいっ。それまでは、わたしだと思って、大切にしてくださいね』 「おう。毎朝、挨拶しておく」 『安心しました』 「学校にもちゃんと行くからな、もっと安心しろ」 『さらに安心しました』 口元をほころばせる、KANA。 「帰ってきたら、またどこかに行こうな。今度は、水族館なんかどうだ」 『楽しみです』 「絶対に行こうな」 『はい』 「……」 『進さん、』 「ん?」 『絵本の続き──伝えて下さって、ありがとうございました』 進は頷く。 『間に合い……ますよね』 「……?」 その言葉に、進は疑問を持つ。 間に合う? 手術に、だろうか。 しかしそれをKANAに確認することはできなかった。一瞬だけ見せた不安そうな瞳を 前に、どういう意味なのか聞き返したり、その言葉を否定することは躊躇われた。 「ああ。大丈夫だ」 進はやや違和感を感じながらも、肯定する。 『わたしは……いっぱい、痛いのに我慢しました。苦しいことに、つらいことに、我慢し ました。神さまは、わたしに、チャンスをくれますよね』 「当たり前だ」 KANAの勇気になればと、進は、強く断言する。 「お前のようなやつが報われねー世の中なんて、間違ってる」 『はいっ』 間違っている、けれど……伊月進は、続く言葉を抑え込む。人の都合通りに物事が運ぶ ことは、稀である。それは一度、身をもって知った。 現実は、人の思いとは、同列に存在しない。しかし、どんなに無駄であろうとも、願わ ずにはいられなかった。 穏やかな朝に漂う、味噌汁と葱の匂い。 伊月の母が皿に料理を盛りつけ、KANAは茶碗に炊き立てのご飯をよそる。進にとっ ては見慣れた光景も、KANAが増えるだけで、また違った印象を受ける。 台所という舞台で微笑み合う二人。 いつもの、朝食。こういった時間こそが、KANAにとってなにより大切なのかもしれ ない、進は二人を見ながら思う。 「……実に微笑ましい光景ではないか。なあ進、KANAさんは、本当に行ってしまうの か。父として寂しいぞ」 「お前の娘じゃねえ」 「もはや家族同然だ。たとえあの子が違うって言ってもなッ!」 「つくづく迷惑なオヤジだな……」 箸入れを持ってやってきたKANAは、嬉しそうに、 『迷惑ではありません。嬉しいです。わたしには、両親の記憶がありませんから。お二人 のことを、勝手に、両親のように思わせて頂いていましたし』 進の父である実篤は、その温かい言葉を聞いて、感動に打ち震えていた。 「KANAさんは、いつ出発なのかしら」 ニンジンの絵柄がプリントされたエプロンを取りつつ、伊月浅子は尋ねる。 『進さんと一緒の時間に、家を出ます』 KANAは、どこからか取り出したブロックタイプのカロリーメイトのような、灰色の 固形燃料を食べはじめる。 「オレにもちょっとくれ」 『……え』 進は、KANAの手から固形燃料を取って、一本を半分に折って、残りを返す。 「私もいいかしら」 浅子は、進が返そうとした半分をさらにニ等分して、残りを夫である実篤に手渡した。 「なんとも言えねー味だな」 「うまいではないか」 あっと言う間に、家族全員がKANAの食事を口にしていた。 『……皆さん』 時計の針は、万物に対して、平等に進む。 KANAが伊月家にやってきてから幾度か繰り返された、いつもの朝は、いつものよう に終わった。 玄関まで見送りに来た伊月夫妻に頭を下げ、KANAは、最後にもう一度、感謝の言葉 と挨拶を述べた。 靴を履いて振り返ったKANAは、正面の壁にあるものを見つける。 『素敵な絵です』 「……母さん、」 「この絵には、ここが相応しいと思ったの。外さないでね」 額縁に収められた、クレヨンで描かれた絵だった。見ればすぐに子どもが描いたものと 判る、稚拙な、それでいて温かみのある、家族の絵── 『ハカナさんの……絵でしょうか』 そう言ったKANAに、三人の視線が集まる。 「どうして……?」 『昔、ラジオで聞いたんです。ハカナさんの情報を求めて訴えかける、進さんの声……』 進が目を見開く。 「だから、ここに来たのか」 頷くKANAを見て、進は、 「そうかよ。知ってたのかよ……それでか」 『はい。たぶん、進さんが考えている通りです』 「ハカナは、ハカナはな、お前みたいに打算してうちに来たんじゃねーんだよッ!!」 「進、やめなさい」 『いいんです。わたしは、ここなら、ここであれば、わたしのことを受け入れてくれるか もしれないと、ハカナさんのことを通じて思ったのですから』 「……なんで最後になって……そんなこと」 『最後、だからです』 KANAは、左腕に爪を立てて、皮膚をはがす。薄いゴムの膜のような皮膚の、その下 から機械の、くすんだ鉛色の表皮を露呈する。 『わたしは、皆さんを、偽ってきました』 KANAは三人を見つめる。 『人間ではないのに、人間のフリをして。わたしは、どんなに隠そうとしても、やっぱり、 皆さんとは違うんです』 「KANAさん……」 『たくさんの優しさを踏みにじってしまいました。申し訳ありません』 三人から遠ざかるように一歩下がるKANA。 瞬間── 進は、<何か>を感じる。 KANAは、微笑んでいた。 まるで、すべてのことを言い終えたように、満足そうに。 「やめろ! KANAッ!!」 ── 間に合いますよね ── KANAの部屋で聞いた、その言葉の意味を悟る。 ── わたしは……いっぱい、痛いのに我慢しました。苦しいことに、つらいことに、 我慢しました。神さまは、わたしに、チャンスをくれますよね ── チャンスとは。 アルビノという絵本に残された、希望の言葉、それを聞いて思ったことは。明日への希 望なんかじゃなくて。 次の生への、祈り── どこから取り出したのか、KANAは、マイナスドライバーを強く握っていた。その先 を、喉もとに突き当てる。 『ごめんなさい、進さん。皆さんが本当の家族だったら、よかったです』 目を閉じる、KANA。 たった数歩の距離が、進には、とても長い距離に感じられた。 身体が前に動かない。 KANAの喉が貫かれる瞬間が、届かない自分の手が、KANAの閉じた瞳から流れる 涙── 「ひょっとして、間一髪だったかしら?」 カンッという音を響かせ、マイナスドライバーが床に落ちる。宇佐美エナがKANAの 後ろから、ドライバーを握っていた手首を掴んでいた。 「先生……」 泣き出しそうな顔をして、進は、へたり込む。 「なんか劇的な瞬間に立ち会っちゃったみたいだけど。いいのよね、これで」 ぐすぐすと泣き出すKANAのところに、進の両親が駆け寄る。 宇佐美エナは、伊月進の首根っこを掴んで、ずるずると家の中に引きずっていく。客間 まで連れて行くと、思いきり頭突きをかます。 「なに状況を悪化させてんのよ、あなたは」 「んなこと言われても、」 「原因は何?」 「……」 「心当たりはないの?」 「……絵本」 「絵本? 私が返しに来た、あのアルビノとかいう本?」 「はい、たぶん。後輩から聞いた、あの絵本の続きを話してから、KANAの様子がおか しかったような……」 「どんな内容なのかしら」 進は、口づてに聞いた物語の続きを話す。 「ふぅん」 再び、進の額目掛けて、頭突きをお見舞いする。 「んな話されたら、ああなることくらい予測できなかったの?」 「勇気が……出ると思って……」 「免罪符でしょ、それ。手術が失敗したときのための。ここまで信用されないと、ムカつ いてくるわね。私のこと誰も信じてないじゃない」 「でも、」 「それ以上喋ると殴るわよ。せっかく出番をあげたのに、ぜんっぜん役に立ってないじゃ ない」 「……」 「まーいいわ。あとは私が全部やるから」 「……先生んちに行ったとき、オレに言ったよな。生きるってことは、長く生きれればい いってものじゃないって。もしそうなら、先生のやることに、意味はあるのかよ」 「おおアリよ」 「KANAの意思を無視して、延命させて何になるんだ」 「ミラクルを起こすのよ」 「……」 バカを見る目で、エナを見つめる進。 「そんな顔をして私をバカにしたこと、覚えてなさい。開いた口が塞がらなくなるほど驚 かせてあげるから」 「……」 すっごいバカを見る目で、エナを見つめる進。 「まー凡人にはどう言っても無駄でしょうから、指を咥えて待ってなさい」 「めちゃめちゃ心配なんですけど」 「杞憂に終わるだけよ。そんなことより、再来週からはじまるテストの心配でもしてなさ い。古文で赤点だったら、退学させるから」 「そんなテストあるかッ!」 「なぜかしら、私なら出来ちゃうのよねー」 不敵に笑うのを見て、宇佐美エナであれば本当にやりかねないと、進は不安に思った。 二人が玄関に戻ると、KANAは落ち着きを取り戻していた。 「さあ、行きましょう」 『行きたく……ありません』 宇佐美エナは、拒絶するKANAに耳打ちする。すると、KANAの表情が一変した。 半信半疑な気持ちと、期待が同居したような顔でエナを見、 「行くわよ、KANAちゃん」 その呼びかけに、今度は、小さく頷いた。 【戻る】 |