「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第23話










「そういえば、動物園は楽しかった?」


 赤信号で車が停車すると、エナは言った。


『とても楽しかったです』


「気づいたかしら?」


 KANAの反応を横目で窺う。


『はい』


「あなたの想像通り、手術は終わってるわ。四度目の検査は嘘よ」


『知らない間に手術をしてしまうなんて酷いです。わたしの命なのですから』


「だから、死ぬのも自由だって言うの?」


『……そうです』


「KANAちゃん、人は、生まれ変わりなどしないのよ」


 エナは、語勢を強める。


『どうして希望を持っては……いけないのですか。わたしは、ようやく幸せを見つけるこ
とができたんです』


 KANAは、訴えかけるような瞳を向ける。


「下らない幻想に惑わされて、死んで、どこが幸せなの? 独り善がりって言うのよ、そ
ういうの。あなただけひとり幸せで、たくさんの人を巻き込んで、周囲の人間を悲しませ
ることを知っていながら、ああいったことをやる。ただのバカよ」


 信号が青に変わり、車がまた走り出す。


 エナは押し黙ってしまったKANAから視線を外して、前方のトラックの背に注意を向
ける。


「希望は現実に持ちなさい。あなたの幸せは別の場所にあるわ」


『わたしは、独りです。わたししか居ない世界に、どうすれば希望を持つことができるの
でしょうか』


「んー、厳密に言えば一人ではないわよね。あなたは、もともと人間だったのだから。覚
えていないとはいえ、そんな身体になってしまった自分を見続けるのは、つらいわよね」


 KANAは驚きの表情を見せたがすぐに顔を背け、俯いてしまう。


『そこまで……知っているのですか』


「まあね。本題はこれから。続けるわよ。あなたを創ったのは、あなたのお兄さんね。彼
は、死んでしまった妹の遺伝子から、クローン人間を創った。その一人が、あなた。ほぼ
独学で、たった一人でそこまで辿り着いたことは、賞賛に値するわ。でもね、そのクロー
ン技術は、お粗末な設備──それでも千万単位なんだけどね──のせいもあって、完璧に
は程遠く非常にムラがあった。多くのクローンが創られ、育てられては、殺されていった。
五体満足でない個体や、先天性知的障害を持つ個体、肉体が極端に弱い個体、成功と言え
るクローンは結局、一体もできなかった。だけど成果はあった。数限りない犠牲の果てに、
あなたが生まれた。あなたは、成功に最も近い存在だった。でも、致命的な欠陥があった。
身体が非常に弱かったの。無菌室から外に出ることができないほど。そこであなたのお兄
さんは、あなたに機械の身体を与えた」


『……やめて……ください』


「大体合ってるわよね」


 きつく口元を引き締め、エナの問いを肯定する。


「屋敷の跡地にも行ったわよ。黒ずんだ大地と瓦礫の山……で、わたしはそこであるもの
を見つけた」


『……』


「でもね、ちょっと問題が発生してね。時間がかかってしまったわ。私がそれと対面でき
たのは、昨日、あなたと伊月を送り出してから」


『……何が、あったのですか』


「見ればわかるわ」








 ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇








 屋敷に到着するとKANAは、エナに部屋で待つように言われた。指示に従って、与え
られている自室に向かう。


 宇佐美エナが見せたいと言ったもの。


 焼け崩れた屋敷の残骸の中から、エナは何を見つけ出したのだろうか。研究室に火を放
ったのだから、重要なものが残っているとは思えなかった。


 ドアノブを回す。


 部屋に入ってカーテンを勢いよく開き、窓を全開にして空気を入れ替える。


 ぼんやりと外を眺める。


 KANAは、庭に数本の向日葵が生えているのを見つけた。先端に小さな蕾が見え、瑞
々しい緑色をした太い茎とたくさんの大きな葉が風で揺れていた。


 まだ見ぬ満開の向日葵を思い、つい顔が綻んでしまう。


 高く、高く、太陽に憧れるかのように、日を追って回る向日葵の鮮やかな大輪──夏の
陽にも負けずに咲く輝く黄色と、ひたむきな感じがするこの花の特性がKANAは好きだ
った。


 しばらく待ってもエナはやって来ないので、KANAは、しおりを挟んでいた小説の続
きを読むことにした。


 五十ページほど読んで、次のページをめくろうとしたとき、エナがドアをノックして入
ってきた。


「待たせちゃったわね」


『いえ』


「ついて来てくれるかしら」


 長い廊下を抜け、階段を下りる。裏手の出入口から一度外に出て、屋敷を迂回するよう
に右回りに歩いていくと、ドーム型のイグルーに似た小さな建物が見えてきた。


 入り口が一箇所、窓もない。


「あまり大きな音を立てないようにね」


 エナは錠前を外し、KANAにも中に入るよう促す。


『……』


 建物の中は仕切りなどなく、外観そのままの形で円状の部屋がひとつあるだけだった。
三百六十度、白い壁が繋がっている。


 室内はひんやりとしていて空気は澄んでいた。外から通気口は見えなかったが、どこか
らか換気しているらしい。


 床の中央に地下へと続く階段があり、エナはそこを指差す。


「この先よ」


『……はい』


 言われるがままにKANAはついて行く。


 十段ほどの階段を下りきって、一本道の通路を数歩進んだところで、行く手は金属の扉
に塞がれていた。


「わたしはね、この扉の向こうにいるものを見つけ、あなたのお兄さんのやろうとしてい
たことを知った。そして、ある疑問を持ったわ」


『……』


「人間とは何だろう、って』


『……どういう……ことでしょうか』


 エナは扉の鍵を開ける。


「あなたの今の機械の身体は、仮のもの。あなたのお兄さんは、最終的に、あなたを人間
に戻すつもりでいた」


『……え』


「彼が求めたのは丈夫な肉体。そのために、クローンは創り続けられた。不良品を大量に
創り、処分し、また創る。その繰り返しだった」


 KANAが見たのは、黒髪の少女──それは、自分自身の姿だった。自分と瓜二つの人
間が、部屋の壁にもたれかかるように立っていた。


 点滴台からチューブが右腕に伸びていて、点滴針がテープで固定されている。


『……あなたは』


 近寄り、KANAが問いかける。


 しかし反応はない。無表情に、KANAの後ろ、さっきまで扉が閉まっていた場所を凝
視している。


 少女の口元から涎が落ちる。


 それでも気にすることもなく、まるで意志を失った人間のように佇んでいた。


「どんなに話しかけても無駄よ。聞こえてないわけじゃないけど、この子には、言葉が理
解できないの」


『……』


「あなたとは対照的に、この子は丈夫な肉体を持っていながら心がないの」


『……そんな』


「どうやってこの子が生きてきたか、どうして意志を持たないこの子が、まともな肉体を
保っていられたか知りたい? この子の地獄は、あなたの比じゃないと思うわよ」


『……教えてください』


 エナは目を閉じて、


「自動エサやり機、自動運動器具、排泄物処理機──いま思い出しただけでも吐き気がす
る。あなたのお兄さんが亡くなってしまってからも、装置は動き続けていた。死体が三体。
生きていたのはこの子だけ。酷い有様だったわ、本当に」


 KANAは崩れるように、両膝をつく。


『わたし、知りま……せんでした』


「無理もないわ。あなたに隠れてやっていたことでしょうから」


 KANAは震える指先で少女の頬を撫でる。


『……ごめんなさい』


 植物のように動かない、自分の分身を強く抱きしめた。少女は規則的に、時折、瞬きを
繰り返すだけだった。


『……許して……ください』


「聞いて頂戴。車の中で、KANAちゃんは、あなたの命はあなたのものだって言ったわ
よね。だけど、私にはそうは思えない。生きたい? 死にたい? そんな選択すらできな
い子だっているのよ。自分だけが不幸だと思い込んで、差し出された手をことごとく振り
払って、挙句の果てに自殺? あなたは代表なのよ。この子や、犠牲になった子たちの」


『……』


 少女の胸に顔を埋める、KANA。


「勝手に手術をしたことについては、謝るわ。ただ、この子が閉じ込められていた地下の
部屋に入るには、電子キーが必要だった。私はそのキーを、検査の過程で見つけた。あな
たの頭の中に隠してあったの」


『……』


「だから、緊急で手術をしたのよ。生身の肉体を持たないあなたと、心を持たないこの子
……私は、どちらも救いたかった」


『どうして、そこまでしてくださるんですか?』


「命の尊さを知っているからよ」


 エナは力強く言う。


『……わたし、この子を助けるためでしたら、どんなことでもします』


「あなたがすべきことはたった一つ。なにがあっても、私を信じること。それだけよ」








 ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇








 KANAが向日葵に思いを馳せていたとき、伊月進は一時限目の授業を終え、自席に突
っ伏していた。


 学校の中は、相変わらず、変わらない日常で満たされている。HRがあって、授業があ
って、間に休み時間があって、昼休み、午後の授業へと続いていく。このサイクルは、ち
ょっとやそっとのことでは揺るがない。


「ようサボリ魔」


 多川が不機嫌そうに言う。


「一日しか休んでねーだろ」


「寂しそうにしてたわよー、多川。この学校、いえこの街の中で唯一の友だちが休みだっ
たから、話す相手もいなかったし」


 白貫は、真顔で伊月にそう報告する。


「そこの女、失礼なことを言うな。友だちなら腐るほどいるっつの」


 自信を持った口調で断言する多川に、


「悪いけどオレ、友だちだと思ってないし」「私も」


 都合一〇〇回は繰り返されてきたやりとりなので、伊月と白貫の切り返しのタイミング
は絶妙と言える。


「なんですとっ!?」


 伊月は、少し、寂しく思う。


 KANAがこうした日常の中にいたら、自らの命を絶とうとすることなど、しなかった
のではないか。


 ぜんっぜん役に立ってないじゃない、宇佐美エナの言葉が痛かった。


 また、何もできなかった。今度はうまくやれたと思っていた、しかし、KANAには届
いていなかった。そのことが悲しかった。


「ねえ、伊月。聞いてる?」


「ああ」


「休んで元気を取り戻したと思ってたら、またかよ。しみったれたのは、嫌いなんだよ俺
は。気分を変えに、帰りにどこかに遊びに行こうぜ」


「……そうだな、たまにはいいかもな」


「いい企画、思いついたわ。私に奢りまくるイベントってのはどう?」


「却下」


「不許可だ」


 ちっちっ、と、舌を鳴らし、白貫がメトロノームのように人差し指を左右に動かす。


「まだまだ甘いわね、多川クン。0.5秒遅いわ」


「友だち失格だな」


「そうね」


「なんですとっ!?」


 伊月は笑いながら、ふと、思った。


 まだ、終わってない。


 まだ、やれることはある。


 二人を連れて、KANAに会いに行こう、それと、二院や、片瀬姉妹を誘ってみよう、
他者との繋がりは、生きようとする力をKANAに与えてくれるかもしれない。










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