「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第33話










 夏を演出していた蝉の鳴き声もなくなり、夜になると耳を澄ませば微かに秋の虫の声が
聞こえてくる。そんな時節──


 カナは寝室で一本のカセットテープを聴いてた。


《……ですから、》


 90分テープに吹き込まれている音声はたった5分ほどで、聞き終わると巻き戻して、
何度も語りかけてくる声に耳を傾ける。


《私、私は……》


 自分とは違う、機械的な声。けれどもその割には無機質さや冷たいという印象はなかっ
た。


《きっと……綺麗です》


 挨拶から始まり、ひまわりの世話のお願い、伊月進についてのこと、リハビリに対する
励まし、そして──


《……お願いしたく……ないです。でも……》


 真っ白い天井を見つめながら、KANAからカナへのメッセージを聞き取る。しかしテ
ープからカナの過去を知ることはできなかった。


 宇佐美エナは、カナが目覚めたとき、複雑な事情で長い間眠っていたのだと教えてくれ
たが、カナは信じていない。


 過去の自分。


 現在の自分。


 かつて双方を繋いでいた糸が切れ、離れ離れになってしまったことで、カナは自分とい
う存在を掌握することができずにいた。


 これは、記憶喪失とは、違う。


 覚醒と同時に感じた、まるで誰かの生を途中から引き継いだような──空っぽの体に用
意されていた心を放り込まれたような、違和感。そしてたまに頭痛とともにやってくる、
強烈なデジャヴ。


 KANAとはどんな人だったのか。


 何をするにも常にそのことが頭から離れない。


 唯一の手がかりは、エナから受け取った1本のカセットテープだけだった。だが、その
中の自分自身は、今のカナとはまるで違う、かけ離れた人物のように思え、カナはそのこ
とに益々戸惑うのだった。




 ── エナがひまわりの種は食べれるって言うから食べてみました。微妙な味がしまし
    た ──




「んー。こんな感じかな」


 ボールペンを置いて、書き終えたばかりの手紙を読み直す。カナはテープの中の口調に
似せ、伊月進への手紙を書いていた。


 どうしてかわからない。


 ただ。


 伊月進に自分が<KANA>でないことを知られたくなかった。


 KAKAの落ち着いた口調、丁寧な言葉遣い、相手を気遣う心──過去の自分と現在の
自分は、別人のようだったからだ。


 今の『カナ』を出したら、伊月進を失望させてしまうのではないか。


 そしてそれは、かつての自分が大切だと言った人、その人を悲しませてしまうことにな
るのではないだろうか。さらには、過去の自分を知る最も大きな手がかりを失ってしまう
のではないか、という恐れもあった。


 そうしたいくつかの思いが絡み合い、カナは手紙に『KANAらしさ』というフィルタ
ーをかけるしかなかった。


 本当はひまわりを見て泣きもしなかったし感動もしなかった。達成感はあった。だがそ
れだけだ。


 嘘で嘘を重ね書きする毎日。


 日を負うほどにKANAとカナの距離はさらに離れていく。それにつれて、手紙を書く
際にテープを聴く時間は、長くなっていった。








 ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆








「ということでテストをしたいの。いいかしら」


 宇佐美エナは、ホワイトボードに書いた内容を消して《10:30》と新たに書く。


「どうせ拒否できないんでしょ?」


 机の上に頬杖を付いてカナは聞き返す。


「まあね。あなただって、いまさら小学生なんて嫌でしょう? 年齢に見合った学校に行
くには、相応の学力が伴ってないといけないのよ」


 くるくると器用に水性マジックを指で回してから、キャップを取り付けるエナ。


「やるわ。学校には行きたいし。ここは退屈だもの。死にそうなほど」


 カナは鉛筆をエナのように回そうとするが、上手くいかず手からこぼれ落ちる。2度試
したところで、鉛筆が床に落ちて芯が折れてしまったのでやめた。


「制限時間は1科目につき45分。10分の休憩と昼食を挟んで、できれば今日中に5教
科やりたいわ。体調が悪かったらすぐに言うこと。いいわね? 記憶をなくしたあなたに
は、習得した覚えのない知識を測るためのテストだから頑張れもなにも言えないけど、真
面目に解答して頂戴」


「はいはい」


「『はい』は、一回でいいわ。KA、」


 カナはエナの話を遮るように、


「KANAちゃんはそんな言葉遣いをしなかったわよ、でしょ? もー聞き飽きたわ。何
度言えば分かるの? 私は私だもの。KANAって子と比較するのはやめて」


「……そうね、ごめんなさい。だけどね、一般的な女の子はそんな返事はしないの。学校
で恥をかくのはあなたなのよ」


「まるでお母さんみたい」


「お・姉・さ・ん」


「わかりましたわ、エナお姉さま」


「……まあいいわ。じゃ、時間になったら戻ってくるから。また後でね」


「待って、エナ」


「なーに?」


「答案用紙と解答用紙が5組あるけど、どの科目から始めればいいの?」


「好きに選んでいいわ」


「了解」


 部屋を出たエナは長い廊下を歩きながら「……私に似たんじゃないわよね」と、誰にで
もなく呟いた。








「……不思議な気分」


 解答用紙を埋め終え、カナは鉛筆を回す練習をしていた。制限時間の10時30分まで、
まだ5分ほどある。エナは戻ってきていない。


 よろよろと立ち上がって窓から外を見ると、一匹の黒猫がカナの方を見ていた。窓を開
け、カナは猫を招き寄せるように手を伸ばす。


 部屋の隅に置いてある車椅子には乗らずに、一歩一歩足場を確かめるように平坦な床を
歩く。


「おいで」


 一階の窓から身を乗り出す。


 黒猫はその場から動かなかった。そして、急に何かに気づいたかのように、庭の植え込
みの奥に消えてしまった。


 諦めて、席に戻ろうと踵を返すとエナが立っていた。


「窓から逃げ出したくなるほど嫌なら、先に言ってよね」


「猫がいたの」


「ふーん。いい訳はそれだけ?」


「嘘じゃないわ」


 にゃー


 庭のどこかから鳴き声が助け舟を出してくれる。


「……」


「ほら。嘘じゃないでしょ」


「……偶然よ」


「素直じゃないんだから、エナは」


「それよりテストは終わったの?」


「もちろん。時間が余り過ぎたから2教科やっちゃったけど。ダメだった?」


「別に構わないけど、デタラメな回答じゃないことを祈るわ」


「それは保障できないかな。だって、エナが言ったように私が学んだ知識じゃないし、自
然と答えが出てきちゃったから」








 ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆








「合格よ」


 採点を終えたエナは、煮え切らない表情でそう告げる。


「やった!」


「いまいち釈然としないけど、あなたの学力は、日本全国どの高校に行っても通用するレ
ベルに達してるわ」


「それって凄いことなの?」


「まあね」


「……」


「……どうしたの?」


「楓ヶ丘高校にも……行けるかな?」


「ええ。県内の学校ならどこでも行けるわ。好きなところを選んでいいから」


「ううん、楓ヶ丘に行きたい。……エナもいるし」


「私はオマケでしょ。伊月に会いたいんでしょ?」


 カナは顔を真っ赤にして否定する。エナはそんなカナを抱きしめ、頑張ったわねと耳元
で囁き、それからさらに強く抱きしめた。


「あと少しだから。リハビリ頑張りましょ」


「……うん。ありがと、エナ」










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