「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第37話 「残暑が厳しい年は夏休みを延長するように校長に相談してみようかしらねー」 出席簿でぱたぱたと仰ぐ宇佐美先生。 その暑苦しい白衣を脱げばいいのにと言いたかったが、素直に応じてくれるようには思 えないので、黙っておく。 気象庁の予想最高気温は31度。秋に飲み込まれようとしていた夏が、急にまた勢力を 盛り返している。 「それにしても……なんで私が担任しなきゃならないのよ」 もっともな意見だが、休み中に食中毒で入院したうちの担任も気の毒だ。 「まーいいわ。とりあえずみんな生きてるわね。初日なんてのは互いの生存確認のための 顔見せなんだから、さっさと終わらせましょ」 「先生質問」 多川が手を上げる。 「却下」 「ひでぇ」 「わかったわよ。簡潔にね」 「しばらく宇佐美先生が担任代理になるんですか?」 ……。 教室内が静けさに包まれる。 コイツ、まったく話を聞いてねぇ……今週一杯はうちのクラスを面倒見る羽目になった って最初に言っただろうに。 「ねえ、多川くん。マジ蹴りしていい?」 「先生、彼の頭ん中はまだ夏休み中なので、どうぞやっちゃって下さい」 白貫が言う。皆が頷く。 蹴りの代わりに出席簿のカドで頭を叩かれた多川は、声にならない悲鳴を上げる。同時 にチャイムが鳴り、始業式初日の終わりと2学期のはじまりを告げた。 転入生の知らせはなかった。 多川たちに先に帰るように言って、実験室に来てみたが、ドアには鍵が掛かっていて誰 もいなかった。 教員の駐車場に向かってみる。 「……」 宇佐美先生の乗用車があったので、職員室に行こうと踵を返したところで、 「ストーカー?」 「違います」 「こんなところまで私を追いかけてきて、どうしたの?」 「カナのことです」 「元気よ。元気が有り余ってて困ってるくらい。でもまだ学校に来るのは無理。あと、悪 いけど伊月には会わせられない」 「快復はしてるんですよね」 「とても順調にね」 「どうして会いに行っちゃいけないんですか?」 「あなたがイツキススムだからよ」 「……どういうことですか」 「あの子はね、あなたへの想いを糧にして頑張ってる。必死にね。ここであなたに会って しまったら、これまでの努力が台無しになるわ」 「……」 「わかってくれるわよね」 「……」 「伊月、」 「……わかりました」 先生の言葉を信じることにする。 「好きな子に会いたい気持ちはわかるけど、カナのことを想うなら今は我慢しなさい」 「そんなんじゃないです。ただの同情心です」 「まったく、素直じゃないわねー」 「事実ですから」 「ハイハイ」 わざとらしくため息をついて、宇佐美先生は車に乗り込む。窓を開け、一枚の写真をオ レに手渡すと、エンジン音を轟かせながら帰っていった。 「……」 写真には、ひまわりの大輪が並ぶ間に、松葉杖をついて立っているカナの姿が写ってい た。 首や両手足、顔を除いた部分には包帯が巻かれている。不機嫌そうな表情をしているけ れど、確かにカナに間違いなかった。 体の力が抜け、オレは壁にもたれる。 先生が持ってくるカナからの手紙を疑っていたわけじゃないけれど……堪らなく不安だ った。 感動、なのだろうか。表現しがたい感情が心を満たし、溢れ出てくる。たった一枚の写 真が、力強く、オレの胸を突く。 カナだ。 写真を食い入るように見つめる。視線を外しても消えない。カナは不機嫌そうな顔をし たままそこにいる。 ひまわりが咲くのを心待ちにしていた表情には見えない。 でも、それでも。 「……ぐ」 目を閉じると、様々な情景が浮かんでくる。 KANAがやってきた日のこと。一緒にゲームをやったこと。飯を食った。些細な話を たくさんした。言い争いをした。動物園に行った──頭の中を映像が埋め尽くす。 オレは両目を拭う。 よかった。それ以外の言葉は見つからない。 空を眺める。 青い、青い空。 今、カナもこの空の下にいる。そのことが嬉しかった。 彼女が元気でいてくれるのなら、オレのことを覚えていなくても構わない。 たとえ記憶を失っても全身が包帯に覆われても、カナはKANAだ。それは変わらない のだから。 【戻る】 |