「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 第45話
ホームルーム中に気絶したカナが目を覚ましたのは、4時限目が終わる15分前。カー
テン越しに入ってくる光を突き破るように、カナは急に半身を起こした。
「……どこ?」
言うと同時に記憶をたどる。
学校に来た。初めて履く上履き。制服たち。知らない匂い。話し声。なんとなく壁に触
ってみた。靴音。エナがいた。廊下を歩く。教室に入る。自己紹介。教室に入って。たく
さんの人がいて。それで。
「気分はどう? まさか気を失うなんて思わなかったわ」
声の方を見ると、白衣の宇佐美エナが椅子に腰掛けていた。
「雨、やんだのね」
日光の眩しさに目を細め、窓の外を眺める。
「もうこんな時間だし伊月もいないけど授業受ける? 帰る?」
「……受けたい」
ベッドを軋ませ、反動を利用してカナは立ち上がる。
「帰りは一緒になれないから一人で帰ってきてね」
「うん」
「それともうひとつ。伊月には会いに行くんじゃないわよ。あの子、インフルエンザらし
いから」
「インフルエンザって?」
「ビョーキよ。インフルエンザっていう名前のウィルスによる伝染性感染症。今のあなた
は人より免疫力が不足してるから、うつったら大変なことになるわ」
「うん、わかった」
「あと1時限しかないけど頑張ってきなさい。教室まで案内するから」
「ありがとう。でも一人で歩けるから平気よ。場所だけ教えて」
◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆
「対策会議を開く」
ハンバーグ弁当を食べ終えた多川が神妙な顔つきで話し始める。
「会議ですか?」
二院はお茶を飲もうとした手を止め、多川の第二声を待つ。
「何の対策よ」
クリームパンの一切れを口に放る白貫。
「伊月の言った通り、俺たちのこと覚えてないのなら、口裏合わせとか必要だろ」
「バカには敵わないわね」
「ですね」
「じゃーどうしろって言うんだよ。この状況を」
「何もしません。普通です」
「もしKANAちゃんが記憶を失ってなくても、影の薄いアンタのことはどうせ覚えてな
かっただろうし」
「アホか! 俺は主人公クラスだっての!
「はいはい」
「どう見てもチョイ役ですよ」
「伊月……早く帰ってこい!! このコンビ最悪だ!!」
と、多川が天に向かって叫んでいた頃──
伊月進は自宅ですやすやと寝ていた。
酷く体調が悪いので体温を計ったら38度6分。病院でインフルエンザと診断され自宅
に帰ってきた。処方された薬を飲み、今は寝返りひとつしないで規則正しく寝息をたてて
いる。
インターホンが鳴る。
居間で洗濯物を畳んでいた伊月浅子は、いそいそと廊下を歩き、玄関の扉を開ける。
「あの……こんにちは」
制服を着た女の子だった。
浅子の表情が固まる。しかしすぐに、
「はいこんにちは」
「宇佐美カナと言います。伊月進さんはいますか?」
「ごめんなさいね。進は風邪で寝てるの」
カナはやっぱりといった表情をして、
「……そうですか。それでは失礼します」
「あ、ちょっと待って。せっかく来たのだから上がって頂戴」
「でも……」
浅子は躊躇しているカナの手を強引に掴み、家に上がらせる。
カナは一度屈みこんで脱いだ靴を揃える。そして向き直った瞬間、浅子はカナを抱きし
めた。
「……よく頑張ったわね。偉いわ。お帰りなさい」
カナは痛いほど強く抱きしめられ、どうしたらいいかわからず、
「……ただいま」
自然と、押し出されるように声を発していた。
浅子は顔を上げ、カナを見つめる。
慌ててカナは浅子から離れる。
「……すみません。私……KANAじゃないです。KANAは……私の中に残っていませ
ん。彼女はいません。どこにも」
浅子は柔らかに微笑み、
「あなたはあの子の夢。だけど、だからといって、あなたが彼女を背負って生きることを
誰も望んではいないわ」
「……」
「ホントよ」
「進さんも……?」
「もちろん」
再び柔らかな笑みを浮かべる浅子を見て、カナの緊張が少し緩む。
「美味しいシュークリームがあるの。一緒に食べましょう」
◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆
「楽しそうね、エナっち。嬉しいことでもあった?」
フラスコの中で茶葉がダンスする様子を見ながら、御堂千歳が質問する。
「青春を謳歌してる妹が微笑ましくてね」
「自称妹のこと?」
「本物だから」
「エナっちとは長い付き合いだけど、妹の話なんて聞いたことがないし」
「油断ならない相手にはプライベート非公開にしてるから」
「酷い! 大親友でしょ!」
「誰が?」
「私が」
「誰の?」
「エナっちの!」
「お茶、そろそろいいんじゃない? 早く注いで、お茶当番」
「仰せのままに……って、こらー!」
そう言いながらもお互いのコップにお茶を注ぎはじめる。
「ありがと」
エナは熱い緑茶を一口飲み、天井を見つめる。
「あの子には幸せになってもらわないといけないの」
「いけない?」
「そうよ。絶対にね」
「それ、怖い」
千歳は真顔になり、お茶を口にする。
「幸せなんて人に与えられるものじゃないから。その考えはちょっと嫌い」
「……千歳ってたまにまともなことも言うのよね」
「いつもだから」
「感心させられるわ。たまに」
たまにを強調するエナ。
「もっと褒めて」
余計なひと言は聞き流す千歳。
「決めた」
「何を?」
「2度と千歳には食事を奢らない」
「どうして!?」
唐突な発言に声を上げる。
「幸せなんて人に与えられるものじゃない、でしょ?」
意地の悪い表情でエナは笑った。
【戻る】
|