「アンドロイドが真夜中に降ってきたら」 〜 Past 02 〜 ぼくは さいしょ いらないといったんだ とうさんが わらうから そいつとはなしてるときのとうさんは やさしくて うれしそうで すぐにそいつに とうさんを とられるようなきがしたんだ だから いらないっていったんだ そんなやついらない すててきてよ ぼくは とうさんにたのんだ とうさんは このこは おまえの いもうとみたいなものだ いっしょにくらすのだから おまえがまもってやるのだ ぜったいに なかすんじゃないぞ ぼくにそういった まもる? たしかにそいつは おどおどしてたし よわそうだった それに きずだらけだった いたそうで かわいそうだとおもったけど きゅうにいもうとだなんていわれても ぼくには なっとくできなかった こんなよわそうなやつの にいさんになるのは ぜったいにいやだった オレが小学生の時、親父が迷子の少女を拾ってきた。 拾ってきたという表現はどうかと思うが、親父の言葉を引用しただけだ。 うちの前に突っ立っていたそいつを親父が見つけ、警察に連れて行ったのだけれど、捜 索願はでていないということで、保護者が見つかるまでうちで面倒を見ることになった。 傷だらけの少女は、ハカナと名乗った。 苗字は聞かされていない。 腕や足や背中に残る無数の傷が怪我によるものじゃないことは、ガキのオレにも理解で きた。両親だか親戚だがわからないが、保護者に虐待されていたのだと思う。そうだとす ると迷子だったという話も疑わしくなる。どこかから逃げてきたのかもしれない。オレは 今も真相を知らない。 一ヶ月間、ハカナは伊月家で暮らした。 はじめのうち、オレはハカナを敵視していた。 親父と母さんに何を言われても、オレは強情になって言うことを聞かなかった。ガキは 自分の位置を脅かす敵に対して敏感だ。気に入らない、それだけの理由で敵意を持つ。 遊んでやっているフリをした。 仲良くやっているフリをした。 しかしハカナはそれくらいじゃ動じなかった。どんなに意地の悪いことをしても決して 泣かなかった。あいつが体験してきたものが、ガキのするような、生易しい逆撫でじゃな かったからだと思う。 当時のオレにはわからなくて、気味が悪いと感じるだけだったけれど。 ハカナを絶対に泣かしてやる──相手の気持ちを一切考慮しない身勝手な意地が、ガキ のオレを執拗に囃したてる。 オレはハカナを公園に連れて行った。 いつもより遠い場所にある、小さな公園に。 そこでしばらく遊んでやってから、ハカナを置き去りにして帰るつもりだった。それは オレがハカナにした、最も悪質なイジメになるはずだった。 計画は途中までうまくいった。 オレは便所に行くと嘘をついて公園を抜け出した。ハカナは、ひとりになるのが嫌みた いで、一緒に男子便所の中にまで入ってきそうだったので、見つからないかと心配だった けれど、なんとか気づかれずに公園を出ることができた。 ところがそこで、クソガキに天罰が下る。 公園から出た瞬間、オレは、オートバイに撥ね飛ばされた。バイクは止まりもせず、そ のまま逃げ去った。 左足の膝から太ももあたりがバイクの側部にぶつかっただけなのに、数メートル飛ばさ れ、石塀に頭を打ち、アスファルトの地面に背中を打ち、呼吸ができなくなった。 ひどい耳鳴りがした。視界が白いもやで埋められていく。声が出ない。口の中に血の味 が広がる。 誰か助けてくれ。 人通りの少ない公園を選んだことが仇となり、誰もやってこなかった。 遠くなる意識を繋ぎとめたのは、ハカナの声だった。お願いします、誰か来て、救急車 を呼んでください、そうハカナが叫んでいた。 目を開けるとハカナがいた。 必死になって助けを呼んでいるハカナを見て、オレはようやく自分のクソガキっぷりに 気づく。 「だれかたすけてください! わたしのおにいちゃんなんです!」 全面降伏するには充分な言葉だった。 オレのことを兄と言うほうが、道行く人が注目してくれるという計算だったのかもしれ ない。それでも、オレの心は震えた。 この事件がなければ、オレはハカナに嫉妬するだけのクソ生意気なガキのまま、ハカナ のことを疎ましく思うだけで、時間は過ぎ、そして別れを迎えただろう。 そうであれば、つらい思いをすることもなかったけれど。 幸い事故のケガは軽傷で二日後には痛みも消えていた。 オレとハカナはあの日以来、本当の兄妹のように仲がよくなった。何をするにもいつも 一緒で、毎日、日が暮れるまで遊んだ。 親父と母さんとハカナとオレ。伊月家は、その時期、誰が見ても四人家族だった。 別れがやってきた。 ハカナを引き取りに来たのは背の低い痩せた男だった。ハカナの父親ではなく、親戚だ ったと思う。 顔は覚えていない。 オレはハカナと別の部屋で待ってるように言われたから、親父と母さんとその男が何を 話し合ったのかは、わからない。 いつかはその日が来る。 それはガキのオレにもわかっていた。ハカナにもわかっていた。しかし理解しているか らといって、感情を制御できるものではない。 親父だって母さんだってハカナを実の子どものように可愛がっていた。手放したくない と思っていただろう。 でも、それはできないことだった。 だからせめてハカナが幸せになれるようにとオレは願った。新しい家庭で、元気に、楽 しく、笑っていられるのなら、それでよかったんだ。 最後の日。 オレは、ハカナが泣くのをはじめて見ることになる。 あれだけイジメても泣かなかったハカナが、オレたち家族と離れ離れになる瞬間、大粒 の涙をこぼした。 親父は小さなハカナを抱きしめ、 「いまは悲しいだろう。だが、ハカナにとって、これが一番しあわせなことなのだ」 一番の、しあわせ。 決して泣かなかったハカナが泣いたことが、どれほどの意味と価値を持っていたのか、 親父は、わかっていなかった。 「一生会えなくなるわけじゃないんだ、ハカナ。そうだ。今度、みんなで海に行こうでは ないか。向こうのご家族には、私から頼んでみる。ハカナは海が好きだろう?」 「……う……ん」 「約束だ」 あの日、ハカナが泣かなければ。 オレもそれほどの不安を感じることはなかったかもしれない。 ところがハカナは涙を見せた。ハカナのこの悲しみを埋める環境が、果たして存在する のだろうか。どんな家族が、ハカナを幸せにできるのだろうか。オレは疑念を抱いた。 実際、ハカナは幸福になどなれなかった。 ハカナがいなくなったという知らせがうちに来たのは、別れの日から、わずか四日後の ことだった。そして失踪の翌日から、事件や事故に巻き込まれた可能性も考慮され、警察 による大掛かりな捜索が行われた。それでもハカナは、見つからなかった。 オレの怒りの矛先は親父に向けられた。 ひとりぼっちで泣いているハカナが毎晩夢に出てきて、わたしはどこにもいきたくなか ったのにと、ぽつりと呟いた。 ハカナを探す毎日。 親父は仕事が終わってから、オレは小学校が終わってから、母さんは家事の合間を利用 してビラを配ったり、情報を呼びかけたり、警察に通ったり……ハカナのために、ありっ たけの時間をかけた。 オレたち家族は少しずつ磨り減っていった。 期待、徒労、希望、絶望、その繰り返し。一向に報われない努力に疲れ、それでもハカ ナを探し続けた。 駆け抜けるように二年が経った。とっくに警察の捜査は打ち切られていた。 夏。 腹が立つくらい暑い日だった。アブラゼミが近所迷惑も考えず叫び散らし、じめっとし た熱風が開けっ放しの窓から入ってきては、体にまとわりつく。 オレは部屋で半ば自動的に情報提供を呼びかけるチラシを作っていた。 そのとき、家にはオレしかいなかった。親父と母さんは隣県の図書館で情報を集めると いって、朝早くから出かけていた。 電話が鳴る。警察からの、ハカナが見つかったという知らせだった。 伊月家の居間の奥には、仏間がある。 仏壇と位牌。線香と畳の乾いた匂いが染み付いた薄暗い部屋、そこにハカナがいる。 ハカナは山で見つかった。 オレたち家族は伊月家とハカナが住んでいた家を道路で結んだ、その周辺を中心に探し ていた。だから、その報告を受けて驚いた。 オレの家とは正反対の場所でハカナは見つかったのだ。 ハカナを見つけてくれたのは、道路拡張工事をしていた作業員だったという。地元の人 間ですら名前を知らない、標高五百二十メートルの小さな山の、山頂付近の公道から少し 外れた森の中に、ハカナはいた。 どこを目指していたのか。道に迷ったのだろうか。誘拐され、そこに連れてこられた可 能性も捨てきれない。しかし、外傷はなかったらしい。 検死の結果、ハカナの死は事故とされた。 オレは無理を言って親父と一緒にハカナの死体を見せてもらった。体の大部分は白骨化 していて、直視することができなかった。いつだったか警察の人に教えてもらったように、 虫歯の治療の跡がハカナである証拠となった。 安堵感や感傷に浸るまもなく、通夜や葬儀やらが執り行われた。 葬式はささやかなものだった。 伊月家が中心となって行い、近所の人たちと捜索を手伝ってくれた関係者、ハカナの親 族の何人かが参列にやってきた。 どの参列者にも悲しみより疲労の色が窺えた。年月は悲しみを心の奥底に封じ込めてし まっていた。 泣いていたのは、母さんだけだった。 葬儀の費用を全額伊月家が払い、香典のすべてを親族側に渡すこと、それが戸籍上親族 でも家族でもない我が家で葬式をさせてもらう条件だった。 親父と母さんは、喜んでその条件を飲んだ。 ハカナは、海のそばにある、母親の墓に埋葬された。 父親はハカナの母親──自分の妻が亡くなって、それ以来、頭がおかしくなって今は病 院にいるのだと、参列に来た親族の誰かが小声で喋っているのを聞いた。 ああやっと終わったんだ。 それが四十九日が終わったときの気持ちだ。祭りの後。夏の終わりの夕暮れ時のような 気分だった。 乱れた心が鎮まっていく、それから淋しさが身を包んだ。 たった一ヶ月、人生のうちの一瞬で紡がれた絆など、弱くて、たやすく切れてしまって 当然なはずなのに。 オレたち一家は、ハカナのために、一生懸命になって。どうしてそこまでする必要があ るのかと、たびたび聞かれた。 だって家族なのだから。 兄貴が妹のことを、両親が娘のことを想うことは当たり前のことだ。 そんなことを言っても、わかってはくれないと思ったので、そのときどきの思いつきで 適当な返事をした。 ひとつ、オレにはわからないことがあった。 ハカナがあんな山の中にいた理由、それがどうしても理解できなかった。 ある日曜日、オレは家族に内緒で、ひとり電車を乗り継ぎ、ハカナが発見された場所へ と続く急な坂道を歩いていた。 ハカナが見つかったという森をしばらく眺め、山頂へと向かった。実際に自分の目で現 場を見ても、そこにハカナがいたという実感は湧かなかった。 しかし坂道を登りきったところで、オレは、視界に広がる大海原を見ることになる。 『一生会えなくなるわけじゃないんだ、ハカナ。そうだ。今度、みんなで海に行こうでは ないか。向こうのご家族には、私から頼んでみる。ハカナは海が好きだろう?』 親父の言葉を思い出す。 海が好きなハカナ。ハカナの母親の墓は海のそばにある。偶然かもしれない。だが想像 は止まらず、ある結論を創り出す。 親父のあの言葉がハカナの中で眠っていた母親への想いを、揺すり起こしてしまったの ではないのだろうか。 当時オレはまだ小学生だった。 客観的に物事を見ることなどできるわけもなく、親父が余計なことを言ったせいでハカ ナが死んでしまったのだと、強く思い込むようになった。 どうしようもなかったのだと、母さんは言った。 その通りだと今は思う。 時間は巻き戻らないし、ハカナがなぜあそこにいたのか、知る者はいない。誰にもわか らないことなのだ。これまでも、これからも。 あれから八年が経ち、そんな風に考えることができるようになった。 もう戻りたくはない。 それなのに。 また突然やってきたのだ。別れを予感させる、新たな出会いが。 しかも、アンドロイドが真夜中に降ってくるという、親父がハカナを拾ってきた、前回 のシチュエーションを上回る登場の仕方で。 【戻る】 |