「桜夜」 - sakuya -





 第16話





 俺と彩は真下から御神木を見上げる。


 桜は未だ満開だった。


 村にある他の桜はみんな散ってしまったというのに、この桜だけは最初に見たときと
同じように佇んでいる。


 もしかしたら、この木だけ品種が違うのかもしれない。


 ひらり。


 桜の花びらが落ちてくる。


 彩は落下の動きに合わせて、上手に手のひらでそれを受ける。


彩「ほら見て」


 屈託なく笑う。


宏則「……」


彩「あ、それ」


 御神木の根元には供え物があった。


 大きな葉っぱを皿代わりにして山盛りの団子が置いてある。


彩「食べちゃダメだよ」


宏則「食わん」


 近寄って、巨大な岩みたいな木の幹に手を当ててみる。


 ごつごつした感触も岩のようだった。


彩「温かいね」


 隣では彩が御神木に抱きついている。


宏則「…服が汚れるぞ」


彩「洗濯するからいいよ。桜居さんもやってみれば?」


宏則「いや」


彩「どうして?」


宏則「……」


 特に理由はない。


 こんなところで世間体を気にする必要もないし。


 ということで。


宏則「確かに温かいな」


彩「でしょ?」


 二人して木に身を預ける。


 俺と彩が両手を広げても幹の半周に満たない。


 一体どれだけの年月が経てば、桜の木がここまで大きくなるのだろう。


彩「樹齢1000年だって」


 そんな現実味のない数字も、これを眼前にして言われると納得してしまう。


宏則「桜って長生きなんだな」


彩「これだけが特別なんだよ、きっと」


 ひととおり桜を見てから、100メートルと離れていない、河原まで歩く。


彩「よく助かったね」


 俺が座礁──もとい、流れ着いたと思われる場所から川を眺める。


 轟音。


 相当の傾斜があるのか、凄い勢いで水が流れていく。


宏則「向こう岸には行けないのか」


 対岸まではかなりの距離があるし、見渡しても橋はない。


彩「うん。誰も住んでないしね」


 川の向こう側は、少しの草地があってその先には山が聳えている。


 なにもない。


 自然だけが広がっている。


宏則「気をつけろよ」


彩「平気だよっ」


 彩は大きな石から石へと飛び移っていく。


 その無邪気な表情を見ていると、ただ石へ飛ぶだけのことがとても楽しいことのように
思えてくるから不思議だ。


 俺は手頃な石に座ってその様子を見つめていた。


 彩はしばらく楽しそうに飛び回っていたが、調子に乗って遠くにある石に無理に飛ぼう
として──転んだ。


宏則「言わんこっちゃない」


彩「い、痛くないよ」


 膝から血を流しながら笑顔を向ける。


 痛いって言えばいいのに。


宏則「痛いときには痛いって言ってもいいんだぞ」


 川の水をすくって、血と膝についた砂を洗い流してやる。


彩「大丈夫だよ」


 また笑み。


 そして彩は、目を閉じる。


 自分がつまづいた石に触れ『大丈夫だよ。痛くないよ』と言う。


宏則「何かのおまじないか?」


彩「うーん」


 やや間があって、


彩「『切』(キリ)って言うの。この石に気持ちが残らないようにしたの」


宏則「よくわからん」


彩「説明するから」


 と言って、彩は両手を広げる。


宏則「ん?」


彩「足がしびれて歩けないの。ちょっと時間が経てば治ると思うから、御神木のところま
  で抱っこして」


宏則「却下だ」


彩「早くしないと潮が満ちて来ちゃうよ」


宏則「満ちない」


彩「うーっ」


 唸る。


彩「じゃあ、おんぶでもいいから」


 譲歩してくれた。


宏則「ほら」


 腰を落として背中を向ける。


 彩を背負い、桜の下まで歩き、適当に座れそうなところで降ろす。


 その隣に座る。


宏則「話の続きを頼む」


彩「うん。ええと……信じて貰えるかわからないけど、これは元々お母さんから教わった
  ことなの」


 彩の母親は、もう亡くなっている。


彩「人の気持ちは色んな物に移るって。だから『切』(キリ)をしなさいって」


宏則「気持ちが移る?」


彩「たとえばね、さっきみたいに石で転ぶとするでしょ。転んだ人が痛いと思うと、その
  瞬間の気持ちがその人から抜け出して、石に入っちゃうことがあるの。本人の意思と
  は関係なくね。気持ちが入るのは石だけじゃなくて、人形でも木でも……何にでもそ
  う。お母さんは人から人以外のものへと移った気持ちのことを『残』(ザン)って呼
  んでた。マイナスの気持ち……痛いとか苦しいとかのほうが純粋で強いから、周囲の
  ものに入り込みやすいんだよ。だから『切』をして『残』を散らす必要があるの」


宏則「内容は理解できるが、信じられない」


彩「『残』は目に見えないからね。あたしもただなんとなく感じるだけだし…」


宏則「……」


彩「わかり難いよね」


 とりあえず俺が培ってきた常識は頭から退かす。


 彩の話は続く。


 一所懸命に話してくれる彩の気持ちに応えようと、俺も真剣に耳を傾けた。


 話が終わり、


宏則「この村は、俺の知らないことばかりだな」


 色んな人から当たり前のように非現実的な話を訊かされてるので、俺の常識こそが間違
っているんじゃないかという気さえしてくる。


 『切』(キリ)と『残』(ザン)。


 この話が本当なら、彩は──母親の言いつけを忠実に守って、誰もが口にするありふれ
た感情を我慢してきたことになる。


 そして、これからもそれらの感情を抱えたまま生きていく。


 これは──哀しいことだよな。


彩「あたしには外の世界のことがわからないよ」


 哀しいこと?


宏則「……」


 バカか俺は。


 また繰り返すのか?


 独り善がりの思い込みで、また人を決め付けるのか?


 あの時のように。


 これは彩にとって正しいことなんだ。


 俺には哀しいことのように思えるけど──彩は母親のことが好きで、その母親に言われ
たことを純粋に信じているだけなのだから。


 ちっとも哀しいことじゃない。


 少なくとも、彩が哀しいことだとは思っていない。


 そうである限り、俺が口出しすることじゃない。


 人を理解すること。


 それは自分という枠組みを最大限に広げて考えることだ、と思う。


彩「…いい香り」


 その言葉と同時に、桜の香りが鼻腔をくすぐる。


 こうして木の下で寝転んでみると、地面に落ちている花びらも相まって、一層それを強
く感じることができた。


 たまに風が吹いて、幾つかの花びらが舞い落ちてくる。


 何十分か、二人でそれを眺めていた。


宏則「……」


 ここで近いうちに神事が行われる。


 どんなことをするんだろうか。


 アイツが3年前に見たものを、俺も見てみたい。


 そしてアイツが何の為にこの村に来て、何を想ってここを去ったのかが知りたかった。


宏則「なあ、」


彩「なに?」


宏則「3年前、この村に外から人が来たのを知ってるか?」


彩「クロカワさんだよね」


宏則「……」


彩「黒川葉子(くろかわ ようこ)さん」


宏則「……」


彩「この村に人なんて何年かに1度しか来ないから。覚えてる。何度か話したこともある
  よ」


宏則「彩は隠さないんだな」


彩「…お姉ちゃん、辛そうだったから」


 そういうことか。


 また余計な気を遣わせてしまったらしい。


彩「お姉ちゃんは桜居さんに意地悪してる訳じゃないんだよ。ただ、3年前、神事に参加
  したいって言う黒川さんのお願いを、冴子先生──神主さんに頼んだのがお姉ちゃん
  だったの。だから、すごく責任を感じてるの」


宏則「……」


彩「お姉ちゃんは、落ち込んでた黒川さんに賑やかな神事を見せてあげて、元気になって
  貰おうとしたの。それだけなのに……」


宏則「落ち込んでた?」


彩「…うん。あたしにも理由はわからないけど。黒川さんは、ずっと神主さんのところに
  泊まってたから、神主さんか詠さんなら何か知ってるかもしれないね」


宏則「俺、」


彩「どうしたの?」


宏則「沙夜に…酷いこと言った」


彩「仕方ないよ、知らなかったんだから」


宏則「帰ったら謝る」


彩「そうして貰えるとあたしも嬉しい。お姉ちゃんを助けてあげて」


宏則「助ける?」


彩「…うん」


 それ以上は何も言わず、軽く微笑む。


彩「4日後の夜だよ」


宏則「え?」


彩「あたしは桜居さんに、神事に参加して欲しい。参加って言っても、遠くでこっそり見
  ていて欲しいってことだけどね。誰にも見つからないように」


 この村を見て欲しい──


 これが彩の願いなのかもしれないと、直感的にそう感じた。


 俺は無言で頷く。


彩「ありがとう、桜居さん」


宏則「礼を言うのは俺のほうだ。ありがとな」


 そう言って、なんとなく頭を撫でる。


 彩がにへらっと笑う。


 『あり得ないわ』


 沙夜に言われたことを思い出す。


 確かに、神事でこの子に死が告げられるなんてことは、あり得ない、あってはならない
ことのような気がした。










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