「桜夜」 - sakuya - 第17話 詠は神社の境内にいた。 竹箒を使って、地面に落ちている木の枝や葉っぱを集めている。 宏則「訊きたいことがある」 俺の顔を見た途端、逃げ出そうとした詠の頭を掴む。 詠「は、離してくださいっ!」 じたばだと手足を動かして暴れる。 漫画みたいなやつだ。 宏則「なぜ逃げる?」 詠「顔が怖いからだよっ!」 失礼な理由だった。 宏則「そうかそうか」 俺は手を離す。 そして、持ってきた包装紙を目の前にちらつかせる。 詠「…なにそれ?」 宏則「せっかく、彩の手作りクッキーを届けにきてやったのになぁ」 詠「!?」 宏則「そうか、いらないか…」 詠「あ…」 まだ温かさの残っているクッキーをひとつ口に運ぶ。 うむ、美味い。 宏則「仕方ない、全部一人で食うとするか」 背を向ける。 詠「待って!」 宏則「なにか用か?」 詠「…です」 宏則「よく聞こえないな」 詠「…食べたいです」 宏則「訊きたいことがあるんだが」 詠「……」 宏則「帰るか」 詠「きょ、脅迫ですかっ!?」 前にもこれと同じようなことがあったような、ないような。 宏則「3年前にこの村に来た女──黒川葉子について知りたい」 詠「……」 宏則「……」 詠「…だ、誰のことですか?」 しらばっくれる気らしい。 俺はアイツのことを訊くために神社にやってきた。 アイツは村に来てこの神社で寝泊りしていたと、彩が教えてくれた。 俺はアイツが村を訪れた理由が知りたかった。 それを知ることが、俺がこの村に居る理由と繋がる気がしたからだ。 神社に着いた俺は、まず神主さんに話を訊いてみた。 神主さんは、あの時は神事の準備が忙しくて、アイツとあまり話をすることができなか ったらしい。 でも、大きな収穫があった。 この村に来るのが目的じゃなかった。 アイツは、この村に来たくて来たんじゃない、それがわかった。 宏則「俺は黒川葉子の知り合いだ」 知り合いという言葉に、僅かに詠の口元が反応する。 しかし、言葉は出てこない。 両拳を強く握り、何かを必死に我慢しているように見える。 宏則「…もう何も隠さなくていい」 詠「何も…隠してないよ」 宏則「俺は何を知っても怒らないし、お前を責めないし、この焼きたてのクッキーも全部 やるから」 詠「桜居さんは、何もわかっていません」 宏則「ああ。だから知りたいんだ」 詠「知ってどうするんですか?」 宏則「わからない」 詠「それでは…教えられません」 宏則「神主さんに、お前に訊けって言われたんだ」 詠「それでも、」 詠は地面に視線を落とす。 詠「教えられません」 ぽつりと呟く。 詠「お母さんは、何も知らないから…」 宏則「アイツは──この村に来るのが目的だったんじゃない。あの河原近くで倒れてたら しいな。俺と同じように、全身ずぶ濡れで」 そこまでは神主さんが教えてくれた。 詠「……」 宏則「偶然なのか? 俺が今ここに居て、アイツが以前ここに居たことは」 詠「…知りません」 宏則「詠はアイツと仲が良かったらしいから、何か知ってるんじゃないのか?」 詠「……」 無言。 詠「私は、倒れていた彼女を助けただけです。それだけです」 宏則「それに関しては礼を言っておく。ありがとな、アイツを助けてくれて」 詠「…桜居さんに言われても困ります」 宏則「気にするな。単に言いたかっただけだ」 詠「……」 宏則「俺は、お前が全部知ってるんじゃないかと思ってる」 3年前、アイツが俺と同じように、河原で倒れていた理由。 助かったのにアイツが落ち込んでいたという訳。 神事に参加して、死を宣告されて。 きっと、その様子を詠は間近──その頃月使だった母の傍で見ていたのだと思う。 アイツが何を思い、どんな様子で村を去ったのか。 詠はきっと知っている。 そしてそれは言い難いことらしい。 宏則「話してくれなくてもいい、自分で調べる」 詠「何もわかりませんよ」 落ち着いた口調で言う。 しかし、ほんの一瞬だけ──その瞳がある方角(神社の裏の方)に向いたのを、俺は見 逃さなかった。 そして詠と俺の視線が合い、 詠「…あ」 何かあると直感した。 詠「待ってくださいっ!!!!!」 走り出そうとしたところを詠が叫び止める。 詠「行かないで…ください」 宏則「……」 詠「お願い…します」 宏則「神社の裏に何がある?」 前に散歩で行ったことがあるが、ただ草むらが広がっているだけだった。 何も無かったはずだ。 詠「……」 宏則「どうして教えてくれないんだ?」 詠「…桜居さんが」 宏則「俺?」 詠「きっと、悲しむことになるから…」 宏則「……」 詠「あの人は…戻ってきません。でも、あそこにはまだ彼女の──私は桜居さんにそれを …見せたくありません。彼女も見せたくないから、それを置いていったのだと思いま す」 宏則「なあ、俺は今どこにいる?」 詠「……」 宏則「俺がここにいるのは、アイツが俺にそれを見せたかったからじゃないのか?」 詠「それは…違うと思います」 宏則「じゃあ、何で俺はここにいる?」 詠「事故に遭って…」 宏則「あんなのを事故って言うのならな」 宏則「人間が橋の手すりを飛び越えて、バイクごと川に転落するなんてことが考えられる か? それも風なんてない日に。普通じゃない」 詠「そのことについては、私もわかりません」 宏則「なら、それ以外のことは教えてくれ、頼む」 詠「できません」 宏則「なら、勝手に見るだけだ」 詠「やめてくださいっ! 見ないでくださいっ! 彼女が何故あれをこんな所に置いてい ったのか…あの人の気持ちをわかってあげてくださいっ!」 宏則「お前になにがわかる!」 詠「わかりますっ!!!!!!」 俺以上に声を張り上げる、詠。 詠「私には…彼女の気持ちが全てわかるんです。だから、つらい…です。彼女のことも、 桜居さんのことも…みんな、つらいです」 詠「知りたくなかった。桜居さんなんて、この村に来なければよかった。そうすれば、私 はこんな気持ちを知らずに済んだのに」 宏則「……」 詠「……」 宏則「……」 詠「…わかりました」 詠「質問にお答えします。でも、ひとつだけ約束してください」 宏則「約束?」 詠「何を知っても、自分を責めないと」 宏則「……」 詠「……」 宏則「…わかった」 俺の顔を正面から見据え、頷く。 詠は空を仰ぐ。 上空には、抜けるような青空が広がっていた。 ── ありがとう。ごめんなさい ── そう、詠が言った。 心臓を針で刺されたような痛みが走った。 この言葉は、アイツが残した遺書の最初の── 眠っていた感覚が蘇ってくる。 あの時の気持ちは、俺の腹の底のほうに冷たい塊として残っている。 3年経った今でもそれは消えない。 目の前には、詠だけがいた。 泣いていた。 詠の瞳から止め処なく涙が溢れ、頬を伝い、地面を濡らす。 長い黒髪が風を受けて揺れていた。 詠「私は死にました」 はっきりとした声で、詠が言葉を紡ぐ。 それは、間違いなく詠の声なのだけれど、まるでアイツが詠の体を借りて語っているか のようだった。 詠「まだ生きています。結構元気だったりします。なんか変だね。うーん。イショを書く のって変な…気分です」 俺が読んだ遺書と一語一句の違いもない。 何度も読んだ手紙。 ほろぼろになるまで読み返した手紙。 アイツの、最後の言葉。 その内容を詠が知っている。 なぜだ? あの遺書は、この村で書いたのか? そんな筈がない。 考えられない。 アイツは病室であの遺書を書いた。 それは遺書の内容を見れば、すぐにわかることだ。 宏則「……」 俺が考えを巡らせている間も詠の暗誦は続く。 詠「10年前の3月14日から、死ぬ瞬間の瞬間まで──私は桜居宏則くんのことが好き でした」 やがて、 詠「本当にさようなら。手紙の中に、ひとつだけ嘘を書いちゃいました。ごめんなさい。 許してください」 終わる。 詠「……」 長い、息をつく。 詠「…彼女の嘘、桜居さんはわかった?」 宏則「……」 わからない。 3年前、懸命に考えて。 考えて。 最後には、たとえ答えがわかってもアイツが死んでしまった事実は変わらない、そう思 って考えるのをやめたんだ。 詠「彼女はね、生きてるのがつらかったの。死んでしまうより」 宏則「そりゃあ、神事で死ぬ日なんて教えられたら、誰だってそう思うだろ」 詠「そういうことじゃないです」 宏則「…じゃあ、」 詠「彼女は3年前、この村で死期を告げられました。だけど、もう桜居さんは知ってるよ ね、神事で授かる託宣は、人を殺したりするものじゃないって。ただ、未来を少し教 えてくれるだけのものだって」 宏則「それは沙夜から聞いた」 詠「何が理由で彼女は亡くなったの?」 宏則「病気だ」 病名は分からない。 アイツも看護婦さんも、原因は不明だが、たいしたことないと俺に聞かせてくれた。俺 はそれを信じた。心配しなくていいとアイツの両親にも言われた。アイツも笑っていた。 大丈夫。どこも痛くない、って。いつもより元気なくらいの笑顔を見せてくれた。だから。 なんでもない病気なんだ、すぐに退院できる──心配して損した、とまで俺は思った。 だが、黒川葉子は死んでしまった。 詠「それが理由」 宏則「……」 詠「彼女は病気でした。ずっと昔から」 宏則「嘘…だ」 声がかすれていた。 喉の奥が乾いていて、うまく話すことができない。 詠「どこも痛くないし……というのが彼女の嘘。彼女は毎日苦しんでいました。長く生き られないことは、小学生のときに医師に言われて知っていました。痛みと苦しみを抱 えながらずっと生きていたんです。死の瞬間まで。私や桜居さんには想像もできない ような、苦痛に耐えながら、彼女は生きていたの」 宏則「そんな姿は、微塵も見せなかったじゃないか!」 詠「桜居さんは知ってるよ、その事。昔のことだから覚えてないだけ」 宏則「…知ら…ない」 記憶に、ない。 詠「彼女はね、痛みに耐えられなくなって自殺したんだよ。川に身を投げて。でも、運良 く助かって、それを私が見つけたの」 聞きたくない。 詠「だから最初は、私は彼女に責められた。なんで助けたの、って。彼女が村に来て落ち 込んでいたのは、」 こんなことは知りたくなかった。 詠「死ねなかったから、だよ」 俺は詠の忠告も聞かず、開けてはいけない箱を開けてしまった。 本当に何も知らなかったんだ、俺は。 アイツのこと、何にもわかってやれなかった。 自分が情けなかった。 死んだ後でさえ、俺はアイツの気持ちを踏みにじっている。 こんな気持ちになって欲しくないから、アイツが隠していたのに。 謝りたい。 会って話がしたい。 詠「…約束、守ってください」 宏則「……」 詠「自分を…責めないでください」 宏則「…う…ああ……」 目の前が滲んでいく。 胸が痛い。 息が苦しい。 俺は両膝をついて泣いていた。 辺りには、彩が作ってくれたクッキーが散乱していた。 アイツのことを思い出す時──まず頭に浮かぶのは、頬を膨らませて少しだけ目を吊り 上げて怒っている顔。 子どものような仕草。 笑っている事のほうが多かったはずなのに、俺の印象に残っているのは、なぜか怒って いる顔ばかりだ。 アイツが苦しんでいる姿なんて、俺は見たことがない。 一度も、だ。 遺書の中でさえ、アイツは笑っていた。 【戻る】 |