「桜夜」 - sakuya -





 第18話





彩「桜居さん、朝ご飯できたよ」


宏則「……」


彩「起きてる?」


宏則「……」


 襖(ふすま)が開く。


 朝の光が部屋に入ってくる。


 空気が、揺れる。


彩「おはよう、桜居さん」


宏則「……」


彩「ご飯、食べれる?」


宏則「…いらない」


彩「ちゃんと、寝た?」


宏則「…いや」


彩「顔色、悪いよ」


宏則「……」


彩「神社で何かあったの?」


宏則「……」


彩「食べないと、元気でないよ」


宏則「…俺に構うな」


 彩の思いやりも、今は煩わしい。


 こんな少女にまで気を遣われている…そんな自分も腹立たしい。


彩「これから学校に行って来るから」


宏則「……」


彩「ご飯、食べたくなったら食べてね」


宏則「……」


彩「今日はお姉ちゃんも家にいるから、一緒に食べてね」


宏則「……」


彩「行ってきます」


宏則「……」


彩「……」


 襖が閉まり、部屋に静寂が戻る。


 光が再び遮断され、室内の色彩が闇により薄まっていく。


宏則「…あのまま死んでりゃよかったな」


 自嘲的な笑いが込み上げてくる。


宏則「……」


 体の中を虫か何かが蠢いているかのような、不快感。


 気持ちが悪い。


 眠い。


 腹が減っている。


 気分が悪くて眠れない。


 吐き気がして、食う気がしない。


 何もかもが、俺の手をすり抜けて消えてしまったような気がした。


 俺が見ていたものは、なんだったのだろうか。


 不治の病であることを隠すこと。


 それはアイツの願いだったに違いない。


 だけど──そうまでして、体と精神の限界まで我慢しつづけて、俺の近くに居ることに
意味があったのだろうか。


 そんなことをされる覚えは、俺にはない。


 アイツには友達がたくさんいたし、明るい性格でみんなから好かれてもいた。


 なのに、いつもアイツは、俺の傍にいた。




 『10年前の3月14日から、死ぬ瞬間の瞬間まで──私は桜居宏則くんのことが好き
  でした』




 3年前に読んだ遺書に書かれていた、そして昨日、どういう訳か詠が口にした一節を思
い出す。


 何故、詠は遺書の内容を知っていたのだろう。


 昨日は、あれ以上のことを訊くことができなかった。


 10年前の3月14日……


 俺とアイツとの間で、何があったのだろう。


 俺が黒川葉子と知り合ったのは、中学生の時に同じクラスになってからだと思うが、細
かいことは思い出せない。


宏則「……」


 たとえば──


 俺がアイツの立場だったとして、病気のことを打ち明けることができただろうか。


 痛いって言えただろうか。


 言えない。


 苦しいって言えただろうか。


 たぶん、これも言わない。


 長く生きられないことを知りながら、好きな相手にその想いを伝えることができただろ
うか。


 ……。


 すべてを知った相手が、変わらず接してくれると、疑わずに信じることができただろう
か。


宏則「…わからねぇよ」


 思わず、声が出る。


 わからない。


 どれだけ考えても、わからない。


宏則「……」


 ただ、


宏則「……」


 できることなら、支えになってやりたかった。


宏則「……」


 俺は頼りないかもしれないけど、もう少し寄り掛かって欲しかった。


宏則「…帰る…か」


 そんな言葉が口から洩(も)れる。


 村を出て、街に戻って、あの雑踏の一部として、また時を費やしていこう。


 アイツの居た、アイツと居た街で。


 その前に、途中だった墓参りをしに行って……あと、沙夜と彩の二人には、本当に世話
になった。


 できることがあるのなら、何かをしてやりたい。


 彩とは神事を見るという約束をした。


 沙夜は、俺が神事に参加することを拒んだが、病気でもなんでもない俺の近い未来に死
が待っているとは考えにくい。


 何もなければ、沙夜も救われるかもしれない。


 3年前、アイツを神事に誘ったことに対する、罪の意識から解放されるかもしれない。


 神事が終わったら、もう忘れろって笑ってやろう。


 そして、街に帰ろう。


宏則「……」


 一日中、いろいろな事を考えて、いろいろな事をひとりで決めた。


 結局その日も何も食えず、一睡もできなかった。


 彩と沙夜は、姿を見せなかった。


 こんなどうしようもない俺に、愛想を尽かしたのかもしれない。


 少しだけ、気分が楽になった。


 部屋に篭っているだけの2日が過ぎ、気がつくと神事が翌日に迫っていた。










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