「桜夜」 - sakuya -





 第20話





黒川「このままだと遅刻よ、桜居くん」


 振り返ると、同じクラスの黒川がいた。


 黒川が自分から話し掛けてくるなんて珍しいことだった。


 俺の隣に並び、歩調を合わせてくる。


 家からずっと走ってきたのか、まだ肌寒い季節だと言うのに、額には汗を滲ませていた。


宏則「このペースだと遅刻だぞ」


黒川「桜居くんは、いいの?」


宏則「慣れてるからな」


黒川「……」


宏則「どうした?」


黒川「すごいなーと思って」


 感心した様子で俺のことを見ている。


宏則「?」


黒川「私はね、遅刻って怖いんだ。先生に怒鳴られるし、教室に入るのにも勇気がいるで
   しょう?」


宏則「そんなものかな」


黒川「うん、そんなもの」


宏則「怒られるのが嫌なら、走った方がいいんじゃないのか?」


黒川「うーん」


 俺の横を歩きながら、どうしようかと考えている。


宏則「…なぜ悩む」


黒川「だって、桜居くんが冷たいから」


宏則「はぁ?」


黒川「私を早く追っ払いたいみたいに聞こえる」


宏則「そんなことないって」


黒川「じゃあ、一緒に学校に行ってもいい?」


宏則「イヤだ。っていうか、遅刻したくないんだろ」


黒川「ほら、やっぱり嫌ってる」


宏則「思い過ごしだ」


黒川「じゃあ、好き?」


宏則「……」


黒川「…もしかして、呆れてる?」


宏則「ああ」


黒川「一緒に学校に行ってもいい?」


宏則「遅刻してもいいなら、許してやる」


 俺が偉そうに言うと、黒川は唐突に瞳を潤ませ──と思うと、次の瞬間には笑顔で、


黒川「ありがとう」


 と、言った。


 当時はわからなかった、黒川の表情の微妙な変化。


 それに、今更気づく。


黒川「よかった」


黒川「私が力つきて途中で倒れたら、学校まで運んでね」


宏則「置いていく」


黒川「……」


 ふくれっ面で、俺を睨んでいる。


宏則「…場合によっては、運んでやるかもしれない」


黒川「桜居くんは優しいね」


宏則「ホントに倒れるなよ」


黒川「……」


宏則「……」


黒川「うん」


宏則「なんだ今の間は」


宏則「もしかして、体調悪いのか?」


黒川「全然」


宏則「その辺で休んでいくか?」


黒川「……」


宏則「……」


黒川「…いい」


宏則「迷ったろ、今」


黒川「気のせい気のせい」


宏則「……」


黒川「…どこにいくの?」


宏則「俺は休憩することにした」


黒川「学校は?」


宏則「どうせ遅刻だ」


黒川「私は平気よ」


宏則「よくそんなこと言えるな。気を遣って欲しくないなら、ばれないようにちゃんと隠
   してろ」


黒川「……」


宏則「とにかく俺は休むことにした。お前は好きにしろ」


黒川「……」


 俺はひとりで歩き出す。


 自動販売機の前で立ち止まり、500円玉を入れる。俺が飲み物を選んでいると、黒川
が走り寄ってきて、勝手にボタンを押す。


黒川「ありがと」


 嬉しそうに販売機から烏龍茶を取り出して、頬にあてる。


 熱があるのだろうか。


 目を閉じ、気持ちよさそうに額や首筋に冷えた缶をつけている。


宏則「お前、いい性格してるよ」


 俺も烏龍茶を選び、飲みはじめる。


黒川「ウーロン茶ってね、カロリーゼロなんだって。いいよね」


宏則「俺は太ってないから関係ない」


黒川「俺は? 私もだよ」


宏則「……」


黒川「……」


宏則「…そうだな」


黒川「なによ、いまの間は?」


宏則「さあな」


 どうやら、怒るとき頬を膨らませるのは、黒川の癖らしい。


 まるで子どものような仕草だった。


 近くの公園のベンチに座って、俺たちは、しばらくとりとめのない話をした。


 その日の授業のこととか。


 テストのこととか。


 これからの学校行事のこととか。


 どれもそんな、他愛のない話題だった気がする。





宏則「そろそろ行くか」


黒川「うん」


宏則「帰らなくて大丈夫なのか?」


黒川「平気」


宏則「…ならいい」


黒川「…うん」


 俺たちは学校に向けて歩き出す。


 さっきまで喋り続けていた黒川は、急に押し黙ってしまい、なにかを考えている様子だ
った。


 時計を見る。


 普通に歩けば、二時限目には間に合う時間だった。


黒川「……」


宏則「……」


 黒川が話しかけてくる様子はない。


 じっと地面を見つめながら、やはり何かを考えているように見えた。


黒川「……」


宏則「……」


 なんとなく気まずい空気が漂いはじめ、沈黙に耐えられなくなった俺は、


宏則「やる」


 ポケットから飴玉を取り出して、手渡す。


黒川「?」


宏則「義理チョコのおかえしだ」


 ただの思いつき。


 たまたまその日が3月14日で。


 偶然、なぜか俺は飴玉を2つ持っていた。


 それだけのことだ。


黒川「チョコ?」


黒川「そっか、」


黒川「今日はホワイトデーなんだ」


宏則「お前、近くにいたやつらに配給してただろ?」


 俺は包装紙をはがして、出てきた飴玉を口に放り込む。


黒川「うん、した」


 確か桜居くんにも、と付け足す。


宏則「ありがたく受け取れ」


 神妙な顔で、手のひらの上の飴玉を見つめている。


黒川「これって、10円だよ」


宏則「お互い様だ。ポッキー1本で見返りを期待するほうが間違ってる」


黒川「そうかな」


宏則「それに、ものは値段じゃない。気持ちが大切なんだ」


黒川「なるほど」


 黒川は、大きな飴玉を口に入れる。


黒川「愛の味がする」


宏則「…んなものは込めてねぇ」


黒川「そう?」


宏則「お前、変なやつだな」


黒川「桜居くんほどじゃないわ。ついていくのが精一杯だもの」


宏則「よく言う」


 俺は大げさに呆れてみせる。


 黒川はそれに笑みで応えた後、ふと、空を見つめ、


黒川「なんか、」


宏則「ん?」


黒川「なんかね、元気になった」


宏則「なにがだ?」


黒川「あめ玉、おいしい」


黒川「コーラ味」


宏則「……」


黒川「…少し愛の味がするし」


宏則「……」


黒川「私、惚れられちゃったりする?」


宏則「しない」


黒川「残念」


宏則「…まあいい」


黒川「うん」


 それから俺たちは、再び、お互いに言葉を交わすことなく、学校に向かって歩いた。










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