「桜夜」 - sakuya - 第23話 朝早く、俺は神社に来ていた。 はじめてここを訪れたときは、心臓破りの階段のせいで息があがったが、ペースを落と してのんびりと休みながら上ってくれば、なんてことはない。 俺は、鳥居をくぐる。 朝靄のせいで視界が悪く、10歩先すら見えない。 野鳥の囀りがとても大きく聞こえ、逆に辺りの静けさを際立たせている。 宏則「……」 境内には誰もいなかった。 神事の後ということで、今日だけは二人ともゆっくり寝ているのかもしれない。 神主さんに話があって来たのだけれど、無理に起こすわけにもいかず、俺は神社の周り をうろついていた。 そして、なんとなく神社の裏手に足を運ぶ。 あの時── 詠『待ってくださいっ!!!!!』 詠『行かないで…ください』 詠『お願い…します』 宏則『神社の裏に何がある?』 詠『……』 宏則『どうして教えてくれないんだ?』 詠『…桜居さんが』 宏則『俺?』 詠『きっと、悲しむことになるから…』 宏則『……』 詠『あの人は…戻ってきません。でも、あそこにはまだ彼女の──私は桜居さんに それを…見せたくありません。彼女も見せたくないから、それを置いていった のだと思います』 宏則『なあ、俺は今どこにいる?』 詠『……』 宏則『俺がここにいるのは、アイツが俺にそれを見せたかったからじゃないのか?』 詠『それは…違うと思います』 宏則『じゃあ、何で俺はここにいる?』 詠『事故に遭って…』 宏則『あんなのを事故って言うのならな』 宏則『人間が橋の手すりを飛び越えて、バイクごと川に転落するなんてことが考え られるか? それも風なんてない日に。普通じゃない』 詠『そのことについては、私もわかりません』 宏則『なら、それ以外のことは教えてくれ、頼む』 詠『できません』 宏則『なら、勝手に見るだけだ』 詠『やめてくださいっ! 見ないでくださいっ! 彼女が何故あれをこんな所に置 いていったのか…あの人の気持ちをわかってあげてくださいっ!』 宏則『お前になにがわかる!』 詠『わかりますっ!!!!!!』 詠『私には…彼女の気持ちが全てわかるんです。だから、つらい…です。彼女のこ とも、桜居さんのことも…みんな、つらいです』 宏則「……」 ここには、何かがある。 アイツが置いていった──とすると、地面に何かを埋めた可能性が高い。そしてそれが 何であるのか詠は知っている。 草地に踏み入る。 すると、草むらの中に、一箇所だけ土がむき出しになっている場所があるのを見つけた。 この前は気がつかなかった。 宏則「……」 落ちていた木の枝を使って、地面を掘ってみる。 30センチほど掘ると、分厚い日記のようなものが埋まっていた。 宏則「……」 そして日記の上に一枚の紙──手紙だった。 湿っていて、文字は滲んでいたけれど、なんとか読むことができた。 詠さん(冴子さんかな?)ごめんなさい こんなところにこんなものを埋めてしまって でも、できましたら、 日記は読まずに、そのまま埋めておいてください 燃やそうとも思いましたが これも私なんです 私の人生は、長いあいだ苦しいことばかりだったけど それでも、楽しいこともありました 好きな人もできました 私はずっと病気と一緒に生きてきました そして、共に死んでいくでしょう でも神事に出たおかげで、 まだ、あと少し時間があることがわかりました 会いたい人がいます 会って、伝えたい言葉があります その人の前では、最後まで笑顔でいたいから、 痛みと苦しみと悲しみは、ここに置いて行きます 許してください さようなら それは本当にアイツがここを訪れたという証拠に他ならなかった。 すべて事実。 宏則「……」 俺は心のどこかでまだ、なにもかもが夢なんじゃないかって思っていたのかもしれない。 墓参りに行く途中だった俺が、こんな村にいること。 そして、黒川葉子がここに居たということ。 みんな夢で。 寝て起きたら、自分の部屋に戻っているんじゃないか、って。 そう思っていたのかもしれない。 でも。 すべては、嘘偽りない現実だった。 宏則「……」 俺は日記に触れる。 泥が染みこんでざらついている表紙は冷たく──それは、死んでしまったアイツの手を 握ったときの感触に似ていて、思わず涙が出そうになる。 アイツが日記をつけていたことなんて俺は知らない。 ページをめくろうとした瞬間、 『やめてくださいっ! 見ないでくださいっ! 彼女が何故あれをこんな所に置いてい ったのか…あの人の気持ちをわかってあげてくださいっ!』 詠の言葉が思い出された。 宏則「…見ても、いいよな」 自分でも声が震えているのがわかる。 ここに俺が知らなかった、知りたかったことが書かれているような気がする。 ?「ダメですよ、桜居さん」 背後から突然声をかけられる。 朝靄の中から詠が現れた。 右腕に包帯をしているのは、昨夜の神事のときに短刀で切ったせいだろう。 宏則「……」 詠「……」 宏則「…腕は大丈夫なのか」 なるべく平静を装ったつもりだが、うまくいったかわからない。 詠「平気です。それより、その日記を戻してください。どうして、自分を傷つけるような ことばかりするんですか」 宏則「……」 詠「答えてください」 宏則「…許せないから…だと思う」 詠「それは、黒川さんの病気のことを知らずにいたことですか。それとも彼女の死の間際 に立ち会えなかったことをですか」 宏則「両方だ」 詠「今の桜居さんを黒川さんが見たら、きっと怒ると思います。桜居さんが自分を責める のは、ただの自己満足です。周りの人に迷惑なだけです」 ドラマのワンシーンに出てきそうな陳腐な台詞。 でも。 どうしようもなく腹が立つのは、その言葉が正確に的を射ているからだろう。 宏則「俺は…なにもできなかった」 詠「少なくとも桜居さんは、彼女にとっての唯一の支えでしたよ。黒川さんは、本当に感 謝していました、あなたに」 その言葉に胸が熱くなったが、 宏則「…その言葉をアイツから聞いていれば、今ごろになって、こんな気持ちになること もなかったのかもしれない」 詠「…やはり覚えていないんですね」 詠は残念そうな表情をして、目を伏せる。 宏則「何のことだ」 詠「彼女のことを想っているのでしたら、日記は読まないでください」 そう言って、詠が強引に日記を取り上げようとする。 俺は咄嗟に詠の華奢な腕を掴む── 詠「…あ」 日記が地面に落ちて、その拍子に、ページが開かれた。 宏則「!?」 そこには。 俺の目に飛び込んできたのは──真っ黒なページだった。しかし、よく見ると、悲痛な 叫びの言葉がページ一杯に書きなぐられているのだ。 幾重にも、幾重にも。 胸を締め付けるような文字が重ねられている。 痛い。 苦しい。 死にたい。 つらい。 憎い。 痛い。 痛い。 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛 い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛 い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛 い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛 い痛い痛い痛い痛い痛い… どんな……どんな気持ちでこれを──凄まじい筆圧で書かれていた。ところどころ紙に 穴が開いている。 元は真っ白いページだったのだろうが、隅々まで黒い文字で塗り潰されていた。 これが、アイツの痛み。 気が狂うほどの苦しみだったのかもしれない。 俺なんかの想像の及ぶ苦痛じゃない。 これは日記なんかじゃなくて、誰にも打ち明けることができない、伝えることができな い苦痛を吐き出すための手段。 いや、アイツと病気との戦いの痕なのかもしれない。 どのページも……こんな…… 詠「…ほとんどのページは、そんな感じです」 何も言ってないのに、詠がふと浮かんだ俺の想像を肯定する。 宏則「……」 詠「…これでもまだ読みたいと言うのですか」 日記を拾い上げ、胸元で抱える。 宏則「……」 詠「……」 宏則「…頼みがある」 詠「はい」 宏則「…それを……燃やしてほしい」 俺は詠が頷くのを確認してから、木々の中に分け入って枯れ木を集めた。 なにも考えられなかった。 しばらくすると。 詠は火のついた蝋燭を持って戻ってきた。 2人で屈み込んで焚き木が勢いよく燃えるのを待っている間、俺は詠から日記を受け取 り強く抱きしめていた。 不思議と涙は出なかった。 詠「…桜居さん、そろそろ」 宏則「ああ」 立ち上がった拍子に日記の間からページが抜け落ちた──と一瞬思ったが、そうじゃな かった。 それは手紙だった。 日記の上に添えられていたものと同じように、綺麗に折られている。 宏則「これは?」 詠に聞いてみたが首を横に振る。 詠「私も日記を全部読んだわけではありませんから……」 宏則「…そうか」 さっきの日記の内容を見たせいで、どうしても躊躇してしまう。 見ずに、燃やしたほうがいいのかもしれない。 詠「…そう」 誰に向かって言ったのだろうか。詠は何かに納得したような顔をして、 詠「読んでください」 と、言った。 俺はその言葉を信じ、紙を開いてみた。 手紙の一番上には、とても小さな文字で『宏くんへ』と書かれていた。 【戻る】 |