「桜夜」 - sakuya - 第32話 風呂から出た俺は、居間に向かう。 身体のあちこちが痛む。 2人は朝食を食べずに待ってくれていた。 沙夜はあからさまに不機嫌な顔をしているが。 彩は俺が廊下を歩く音を聞いて準備をし始めたのだろう、味噌汁を3つ目のお椀に注い でいた。 俺は彩の隣に座る。 沙夜「……」 彩「はい、桜居さん」 お椀を受け取る。 彩は今度は順番に茶碗にご飯をよそる。村に来て、この家で暮らしているうちに、こん な生活にも慣れてしまった。 村を出て街に帰れば、一人暮らしが待っているのに。 彩「いただきます〜」 沙夜「…いただきます」 俺もいただきますと言って朝飯を食べはじめる。 沙夜「……」 宏則「……」 彩「……」 彩が俺と沙夜の顔をちらちらと見ている。 宏則「痛み分けなんだから、そんなに怒るなよ」 むしろ殴られたり蹴られたりした分、俺のほうが割に合わない。 沙夜「……」 無言で睨んでいる。 彩「そ、そうだよ、お姉ちゃん。桜居さんはお姉ちゃんがお風呂に入ってること知らなか ったんだから」 俺は頷く。 沙夜「別に怒ってないわよ」 と言いながら、俺の皿にのってる厚焼き卵をつまんで食っている。 宏則「それ、最後に食べようと……」 沙夜「今朝のは一段と美味しいわね」 宏則「……」 沙夜「これで許してあげる」 彩「よかったね、桜居さん」 宏則「よくない」 おかずを取られたくらいで腹を立てるのは子供じみてるとは思うけれど、何もないこの 村では、飯を食うことも一日の大きな楽しみのひとつだ。 それに、彩のつくる厚焼き卵は絶品だ。 火の通し具合が絶妙で中身が適度に半焼けでほのかに甘く、形もいい。 沙夜「心の狭い男ね」 宏則「…ムネノチイサイオンナヨリハマシダ」 沙夜「なにか言った?」 宏則「いや、何も」 あやうくまた死にかけるところだった。 俺たちは、ぽつぽつと他愛のない話をしながら朝食を食べた。 彩「どこにいくの?」 宏則「さあな。行き先は沙夜に聞いてくれ」 朝飯を食べ終えたとき、沙夜が言った。 3人で行きたいところがある、と。 彩と沙夜が洗い物を終えてから、3人で家を出た。 途中までは神社に向かう道だったが、並木道(まっすぐ行くと神社への階段に辿り着く )の手前で右に曲がる。 彩「あ…」 宏則「どうした?」 彩「…ううん」 どこに向かっているのか彩は気づいたようだった。 だが、俺には教えてくれなかった。 20分くらい歩いて、俺たちは細い山道に入った。 宏則「…?」 前を歩いていた沙夜が、急にかがみ込んで、道の脇に生えていた黄色の花を摘む。 そしてまた歩き出した。 木々に囲まれたゆるやかな坂を上っていくと目的の場所についた。 沙夜「ついたわ」 宏則「……」 そこは墓地だった。 いくつもの墓石が等間隔に並んでいる。 よく手入れされているようで、どの墓石も綺麗で、供えられている花や食べ物はまだ新 しい。 彩「…お姉ちゃん」 沙夜はひとつの墓石の前で止まった。 黒と青が混ざったような色の墓石には『沢角家之墓』と彫られている。 沢角……。 沙夜「私たちのお母さんのお墓よ」 宏則「沢角? 長峰家じゃないのか」 彩「しきたりなんだって」 宏則「…?」 沙夜「私たちのお母さんは、話す必要もないと思ったから黙ってたけど、神主さんの妹な のよ。お父さんと結婚して姓が替わったけど、死後は、一族のしきたりでこのお墓 に入らなきゃいけないの」 彩「……」 沙夜は摘んできた花の一輪を墓に供え、もう一輪を持ったまま、墓石に向かって手を合 わせる。 彩も同じようにして目を閉じる。 宏則「……」 俺も手を合わせる。 この2人の母親と神主さんが姉妹── 沙夜「行きましょう」 言って、沙夜は歩き出す。 墓地を出て、山道をさらにのぼっていく。 彩「……」 数十メートル歩いただけで、道は終わった。 道は完全に遮断されている。 だが、沙夜は構うことなく木々の間に分け入り、先へと進んでいく。 彩もそれに続く。 沙夜「……」 しばらく歩いて、沙夜は立ち止まった。 森の中の、ただ背の高い草木が生い茂っているだけの場所。 沙夜の足元には、人の頭くらいの大きさの石があった。握っていた黄色い花をそっとそ の上に置く。 沙夜「ここがお父さんのお墓…」 彩「……」 二人はまた手を合わせて、軽く頭を下げる。 長い沈黙の後、 沙夜は俺のほうを向いた。 沙夜「村の人間じゃないという理由だけで、お父さんはこんなところに埋められたのよ。 こんな、寂しい場所に…」 彩「…お姉ちゃん」 沙夜「お母さんは、死んでしまう直前、お父さんと同じこの場所にお墓を作って欲しいっ て言ったのよ、私に」 沙夜「でも、私にはお母さんの願いを叶えてあげることができなかった。私の味方になっ てくれる人なんて…この村には、いなかった」 沙夜は淡々と語る。 宏則「神主さんは?」 沙夜「あの人は典型的な村の人間だから。詠が説得しようとしてくれたみたいだけど、結 局、駄目だったわ」 彩「……」 沙夜「今でもときどき夢を見るの。悲しそうな顔をしたお母さんが、私のことを見つめて いる夢……」 宏則「沙夜…」 彩「お母さんは、」 彩「そのことで…悲しんでるんじゃないよ」 沙夜「…彩?」 彩「ここにお父さんがいないからだよ。だから、お母さんは悲しんでるんだよ」 彩はそう言った。 いない? ここに埋葬されたんじゃないってことか? 沙夜「なに言ってるの、彩。私はこの目で、お父さんがこの場所に埋められるのを見てた の」 彩「……」 沙夜「お父さんは、ここに眠ってるの。間違いないわ」 彩「…うん」 まだ何か言いたそうだったが、彩は黙ってしまう。 沙夜「そろそろ、帰りましょう」 俺たちは元来た道を戻り、再びなだらかな山道に出た。 下り坂の途中。 沙夜は不意に立ち止まって、振り返り、 沙夜「お父さん、お母さん、ごめんなさい」 と言い、 沙夜「さようなら」 消え入りそうな声で、最後にその一言を付け加えた。 【戻る】 |