大球場の罪(99/7/4)



作・つめきり

今更言う事でもないが、広い球場が増えた。

例えば10年前は「ドーム」と言えば東京ドームしか存在せず、当時は文句無しに一番広い球場であった。

それがこの10年間の間に東京ドーム以外にも

福岡ドーム、ナゴヤドーム、大阪ドーム、西武ドーム(屋根を付けただけだが)と、広いドーム球場ができ、
屋根の無い球場であっても、ラッキーゾーンを廃止した甲子園、「広くて美しい」とオリックスのフランチャイズになる以前から評判の高かったグリーンスタジアム、風の弊害が叫ばれるが、広さ的には他のドーム球場に肩を並べるマリンスタジアム、
と大球場が一気に増えた。


川崎、日生、藤井寺、ナゴヤ球場などがまだ稼動していた10年ほど前には比較的「広い」と評されていた神宮や横浜が今や中継アナウンサーらにも「狭い球場」といわれるまでになってしまった。


この大球場建設ラッシュのわずか10年足らずがもたらしたものは、新聞誌上などでクドいほど唄われていた「プレーの大改革」である。



ホームランが激減し、(例えばナゴヤ球場→ナゴヤドームに本拠地を移し変えた中日は179本あったHRが113本までに減った。)その代わりに2塁打・3塁打が増える特性を持つ球場でのプレーをしなくてはいけない。


そんな球場に求められる選手とは「打撃」よりも「走塁」「守備」に秀でる者である。


もちろんこのようなことは数年前に誰もが口に出していたことであるので今更遅すぎる理論を展開するつもりは無い。


ただ、その「誰もが口に出していたこと」の中に「プレーの改革によってよりスピーディでエキサイトな野球に変わる」というフレーズが必ず含まれていたように記憶している。



他の方はどう思われるだろうか?

私は未だにその意見はどうしても納得できないでいる。


確かに3塁打の増加により「走る野球」が注目を浴び、その意味ではスピーディになったと言っても良いかもしれない。


ただ、それによって野球が以前よりも「エキサイト」するようになったとはとても思えないのである。


私の考える「エキサイト」は”手に汗握る攻防戦””ドラマティックな逆転劇”などを見たときに感じるのである。


今、そういった試合は減ってしまってはいないだろうか?

一つ例を取ってみる。


9回裏2死ランナー無し1点差リードの横浜。投手はもちろん佐々木
控え野手を使い果たした中日は種田(巨人だったら川相か?)をそのまま打席へ



ま、今年の佐々木は調子悪いからそれを忘れて通常の調子だったと考えて


こういったケースではさすがに熱烈な中日心棒者であっても「種田のHRで同点」を望むことは無いだろう。せいぜい「繋いでくれ」と願う程度かもしれない。私だったら諦める場面である。


しかし、この時球場がナゴヤ球場であったなら話はガラっとかわる。


有りうるのだ「種田HR」が。


野外で狭い球場だけに当たり損ねでも風の影響等でHRになってしまった、という場面が過去に幾度もあった。


そうなるとドームなら「諦めゲーム」がナゴヤ球場になっただけで一転「手に汗握る攻防戦」となるのである。


私はこういった「最終回のせめぎあい」がここ数年HR数と同様に激減しているような気がするのである。



確かに外野を破った打球を見て打者は一気に3塁まで激走するのも悪くは無い。

しかし、私の一人よがりかもしれないがやはり「野球の華はホームラン」だと思ってしまう。



高々と打ち上げられた打球の滞空時間

その実時間数秒の間に一試合すべてが凝縮されたような信じられないほどの大歓声

球場の時間が一瞬止まりベースをゆっくり回る各選手個性豊かなガッツポーズ

満面の笑みで選手を迎えるチームメート。


そんなシーンがやっぱり私にとっては一番心を動かされる。


そういった場面が大球場によって激減しているのは記録上明らかである。



異論はあるだろう。狭い球場の弊害として投手の負担を上げる人もいるかもしれない。


先ほども述べたが打ち損ねの打球が風に乗ってHRになってしまうのは、投手にとっては納得のいかないものである。

例え素晴らしい投球をしていても、そのようなラッキーHRでガタガタ崩れていく投手も多かったことだろう。


広い球場ではまずそれは無い。

「まさにホームラン」という打球で無いと今ではスタンドまでは届かない。


そこで「これが本来の野球である」と言われればそれはきっと正論である。


しかし、それでもなお私は野球の最たるエンターテイメント部分である"ホームラン"が強調されるような試合のほうが惹かれる。



そうなると打撃力のあるチームばかりが強者となり、粗の目立つ野球ばかりが展開される恐れを指摘する人もいるだろう。


去年までの巨人やダイエーがスター打者をそろえても優勝に届かないのは、「投手力をおろそかにした打撃中心の粗いチームだから」という意見は多い。


狭い球場が多ければそんな粗いチームが強豪になってしまう、という恐れを指摘するのであろう。



しかし、考えてもらいたい。


あくまで私が野球を見始めてからの15年間、投手力に決め手が無いチームが優勝できたのは昭和60年のタイガースのみである。


結局は狭い球場であれ最終的には優勝するチームは投手力が完備されたチームなのである。


記憶にある人も多いとは思うが、今も昔も変わらず狭い球場を本拠地にしている広島東洋カープは今でこそ、ビックレッドマシンこと打撃中心のチームであるがその昔(といっても10年ちょい前)は北別府、川口、大野を中心とした12球団を代表する「元祖投手王国」であった。



その広島が当時西武と並ぶほどの黄金時代とも言われていた。



当時の広島投手陣がそれほど素晴らしかった理由として私は一つの想像をする。


それは「狭い球場が故の緊張感によって投手陣が鍛えられていた」という想像である。


現在広い球場を本拠地に持つチームの投手コーチは恐らく次のように指導するであろう。


「ここは一発がない球場なんだから思いきって真ん中に投げ込め」


そして安心した投手は真ん中へ投げ込み、たとえ良い当たりをされても大きな外野フライでなんとか打者を打ち取る。
もしくは打者が広い球場というプレッシャーから余計な力が入り打ち損じる。


そういった「安心」によって支えられている投手が非常に多いように感じる。


しかし、「何が起こるかわからないから面白い」というスポーツにおいて「安心」を求めるのは少し違うような気がする。

狭い球場であればそんな「安心」は吹っ飛び、投手には常に緊張感が付きまとうであろう。

打者も狭い球場だからといって優位な気持ちで打席にたてるはずもなく所詮は3割程度の安打確率しかない状況での緊張感はやはり広い球場のときと変わらない。


昔の広島投手陣はそういったギリギリの緊張感の中で大投手を育てていったのではないだろうか?


緊張感の中で投手と打者がお互いにしのぎを削りあい、その中で勝利をもぎ取った投手陣を抱えるチームが優勝を勝ち取る、ただし時にはそんな投手陣を圧倒する60年阪神のような打撃チームが勢いに任せて一気に上昇することもある。


そういったプロ野球界にはやはり私は心踊らされる。

今の野球がツマライとは思っていないが、大球場の急増により「緊張感」が少しでも削られていたとしたらやはり少し寂しい。

「手に汗握るような緊張感」は選手にとって成長を促し、それによって繰り広げられる「ドラマティックなゲーム」はファンの心に深く刻み込まれる、というのが私の思いである。


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