FAの思惑@(99/11/21)



作・つめきり

今年のFA戦線もいよいよ大詰めになりました。


例年になく派手である今年は工藤、江藤をはじめとして一世を風靡した選手たちで満載です。


FA制度が始まって以来、この制度において常に球界をリードし続けたのは言うまでもなく巨人です。

しかし、巨人は当然受けてしかるべきの恩恵を十分に生かすことはできませんでした。

獲得した選手がほとんど本来の力を発揮できなかったことが最大の原因ではありますが、巨人フロントはさらなる愚策を労し続けました。


FA移籍するような本来実績のあるベテランが不調の時、奮起する材料としまして競争というものがあります。

もちろんベテランに限らず若手でも奮起する材料となりますが、若手であれば例え競争相手が居なくても自分の本当の力への挑戦、という形で自己競争ができるのです。上昇志向という言葉に置き換えることができるかもしれません。

自分の力というものを知っているベテランには意識していなくてもどうしてもその上昇志向が薄れてしまいます。

ですから、彼らを発奮させる為に競争させる、というのは非常に有効になるわけです。目に見える敵なのですから。

巨人は力の発揮できないFA選手に対して競争相手を作りました。

私は先程巨人は愚策を労した、と述べましたがこの手法自体はなんら間違っていないと思うのです。

ただ、巨人の最大の失敗はその競争相手として同じようにFAで獲得した実績のあるベテランや外国人選手を引き合わせたのです。

ベテランにとって一番イヤな競争相手は若手なのです。

何故イヤなのか。それは若手は自分の能力を全て上回る可能性があるからです。

若手が成長して自分の全てを上回れば当然自分の利用価値は無くなります。
そうなれば自分は立場を追われてしまいます。

ですから「こんな若造に負けるわけにはいかない」と奮起するしか道はないのです。

分かりやすい例として中日の福留、久慈の遊撃争いが上げられます。


昨年までどうしても打撃の弱かった久慈が、単なる守備固めに甘んじず打撃を磨き、最後にはとうとう福留を別ポジションに追いやるまでになったのです。久慈が自分の力を見限り守備の人で満足していたならば、1年間守備固めでしか起用されず、将来的に福留の守備が成長した瞬間戦力外になっていたでしょう。


久慈は福留に自分の全てが凌駕されることを恐れたのです。


ところが、競争相手が自分と同じようなベテランであった場合、お互い相手の力というものを既に理解しているのです。


例えば清原とマルチネスがファーストのポジションを争った場合を考えてみます。

マルチネス側から見ると

「清原は肝心なところで今一つ信頼できない打撃をする、打線重視の試合ならば自分が使われる」

と考え清原側は

「マルチネスは守備において劣る、僅少差ならば当然自分を使わざるを得ない」

となるわけなのです。

無意識のうちに譲り合ってしまって、なんの競争にもなりません。

当然です。お互いこのままであれば十分働き場所の住み分けができてしまうのですから。


巨人の愚策とはまさにこのようなことを繰り返したことにあります。

(続く)


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