僕が種田を嫌いな訳 (00/10/16)
作・つめきり
ところで、そろそろはっきりさせようと思うのですが、私、種田は未だに嫌いなんです。
ん、ちょっと誤解がありますかね。正確に言うならば私は「種田を好きになってはいけない」んですよ。
私、普段から本当に中日ファンなのかよコラと言われてもおかしくないほど中日選手達を串刺しているのですが、本当のところは子供を持つ親が自分の子供のヘマに他所で罵詈雑言をする感覚に似ているんですよ。
自分より年上の選手も多い中私が選手達を子供扱いするのは図々しいとは思いますが、一応これには訳があって、少々長い言い訳をさせていただきます。
普通の人が実生活の中で「失敗する」という自体は恐らく全生活の中での数%程度の割合でしか起こらないでしょう。
ところが野球選手という特異な職業をしている人の場合、打者であれば3割打者であっても「70%が失敗」である訳です。
普段我々一般人が仕事をしていて70%も失敗していたら一発でダメ人間扱いされてしまいますし、普通そういう人間は子供社会で無い限りまずありえないでしょう。
野球観戦というのは言い方を変えれば「不遜な息子」達を簡単に見ることができるものと言えます。
だからこそ球場やTVの前では野次が展開されるのでしょうし、反面私のようにこのサイトで野次を飛ばしながら「ダメな子供こそ可愛い」といった具合に選手に愛を感じたりする人もいる訳です。野球選手にとっては因果な話だとは思いますがね。
私にとって中日選手のほとんどは「愛すべきダメ息子」達です。
ですが、種田仁は私の中でその"ほとんど"から外れてしまった選手なんです。
こう書くと種田を悪者にしているようですが、本当は私が悪いのです。
種田のデビュー当時は、数字的にはそれほどではなかったですが、ファーストストライクから思い切りの良いスイング、勝負強さ、意外性ながらも一発を秘めたパワー、など天性のものを感じさせる選手で立浪との1・2番コンビは本当に絵になっていました。特に、その時期の巨人戦での満塁本塁打は未だに脳裏に焼き付いています。
その後、それが例えケガの影響を考慮しても6年間もほとんど2軍暮らしというのは余りに長すぎました。
たまに一軍出場を果たしても、その天性の打棒は「初球打ち」以外は全て消滅していて、単に初球にポップフライを打ち上げるばかり。
同期の元木があれこれ言われながらも独自の色を出し始めるのとは対照的な堕落でした。
その上、数年前の脱税事件ではその当事者となってファンを失望させ、心機一転復活するかと思えばまたケガを起こし二軍出場すらままらなくなっていきました。
毎年解雇リストに名を連ねながらそれでも残留していく様子から遂に
「種田は中日に対して何らかの政治力を持っているから解雇されないんだ」
という断言と供に私は彼を「完全に見捨てて」しまったのです。
中日ファンでありながら選手を見捨てるということはファン失格と言われても仕方ないとは思いながらも、「もう種田という選手は無かったこと」にしたかったというのが本音でした。
去年の日本シリーズの勝負所で代打愛甲ではなく種田が出てきた場面で今まで私が自分の中で守ってきた「ベンチの采配には絶対抗議しない」という禁を破ったのもそういった理由があったのです。
ところが2000年のシーズンも始まりそろそろ種田という名前も忘れかけた頃、突如一軍に上がってきた彼はガニマタ打法を引っさげ大ブレイクを起こしたのです。
見捨てた子供が這い上がってきたのを初めて見た私は種田の大活躍に複雑な気持ちが募るばかり。
確かに彼はネタの素材としては一級品ですから、ウチのサイトでも散々使わせて頂きました。
しかし、失礼ながら他の選手に対して感じるような愛はそこには存在しなかったのです。
いや、むしろ一度捨てた子が立派になったからと言って今更親の面は晒せないというのが本音でしょう。
私は中日OBの木俣達彦のように(※)手の平をグルングルン返しまくるようなことはなかなかできないのです。
ですから、他人から今年の種田評を聞かれても、
「ごめんなさい。私が間違っていました。」
としか言えないのです。
もう一度改めて言います。
種田さん、見捨ててしまってごめんなさい。私が間違っていました。
もう貴方を2度と馬鹿にしたりはしません。
ああッ!また馬鹿にしてるッ!
さ、来年は
今中さんに謝りてぇなァああああああッ(反省の色ゼロ)
(※)手の平をグルングルン返す木俣氏
〜ディンゴ帰国後〜
木俣
「私はねぇ、ディンゴはオープン戦の時からどうかなー?って思ってたんですヨ」
〜シーズン前〜
木俣
「ディンゴはさすがメジャーというバッティングをしますよ。そうですねーディンゴ・ゴメス・山崎がそれぞれ30本打って今年はこの3人で100本は超えるでしょうねぇ。」
(木俣さん、30×3=90ッス!)
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