野球を壊す男・新庄 (00/04/30)
作・つめきり
別に記録を調べたわけでもないし、あくまで僕の中でのイメージっつう話なんだけど。
新庄という男、実は昔から僕の中でプロ野球選手として違和感を感じていたんです。
その違和感がこの中日−阪神3連戦を見ていておぼろげながらも理解できてきたような気がします。
新庄というのは実は野球を壊すタイプの選手ではないかと。
もう少し具体的にいうと野球のオモシロサを台無しにしているような気がして仕方がないのです。
野球のオモシロサというのは数を上げればキリがないのですが、僕が一番面白いと感じている部分は「心理」の部分です。
野球の記録には打率や勝率といった確率で表すものがあります。しかし、この「心理」というものが絡んでくることによって実際の勝負の場ではこれらの確率がなんの意味も持たなくなってきます。
TVで観戦していて試合が緊迫した場面、解説者が
「ここは打率なんか関係ない場面ですよ。」
等と発言することを良く耳にしますが、このような場面は確率などではなく相手の狙いダマを探ったり、ウラをかいたりといった心理戦によって支配されるのです。
守っている側もピンチの場面ではもちろん3割打者と2割打者を比べてみると3割打者の方が怖いのは確かですが、通常時ほどの怖さの「差」は少ないでしょう。
他にも確率に支配されない勝負事特有の「あや」は数多くあります。
しかし、僕は新庄という男はこの「あや」に支配されない特殊な人間に感じるのです。
野球を見ていてよく聞いたり感じたりすることの中に「流れ」というものがあります。「ピンチの後にチャンスあり」などという言葉は「流れ」を説明する諺でしょう。
「流れ」が来ているチームの選手は普段以上の力を発揮することが非常に多くそれが大量得点に繋がったりします。4月30日の中日の1イニング6得点などはまさにそれでしょう。
この「流れ」というのは「確率」というものからはっきりかけ離れているといえます。これも勝負事の「あや」の一つでしょう。
逆に「流れ」が悪ければ選手は普段の力をほとんど出せず例え格下の相手であっても打たれたり抑えられたりするのです。
「野球は筋書きのないドラマだ」といわれることもありますが、真の意味ではそれは間違いです。
筋書きの無いような劇的な奇跡が起こったとしてもこの「流れ」というものをフィルターにしてみるとなんとなく「筋書き」が見えてくるものです。
逆に言うと「筋書き」が想像できるこそ野球はオモシロイのです。劇的な試合の翌日のスポーツ紙がその「筋書きの想像」で紙面を一杯にするのもそういった理由でしょう。本当に筋書きの無いものというのならサイコロ二つ振って「2回連続1のゾロ目」が出るほうがよほど筋書きはありません。
しかし、新庄は少なくとも打撃において全て「確率で打っている」のではないかと思うのです。
現在の新庄の打率は約2割5分。彼はどんなにチームに流れが来ていようがどんなにチームがツキから見放された状況にあっても常に2割5分でヒットを打っているような気がしてしかたがないのです。
それが何となく感じられたのは第二戦の小池から打ったホームランです。
その前日チームの連勝を止められチームの勢いは確実に落ちている試合。
初回にハンセルの乱調で先制点を奪われた直後の回で流れはよくない。
投手は阪神戦2試合目の登板とは言え前回は新庄が欠場した為に一度も対戦したことも無い小池。
小池はセリーグでは数少ないカーブを得意球とする投手。
その初球の大きなカーブをものの見事にレフトスタンドまで運んでしまったのです。
僕はこの時、悔しいだの怒りだのという感情は何も無く「何故?」という単語が頭の中でグルグル回っていました。
きっと小池も同じだったでしょう。
打つ場面ではありません。例えスイングをしたとしてもHRが出る場面ではなかったはずです。今まで野球を見てきてこんな感情に襲われたのは初めてでした。
しかも、そのHR談話においてさらに僕は混乱しました。
「ストレートを狙っていたんですけど上手くついて行けました」
これで、初回の小池を見て狙い球を「カーブ」に絞ったわけでも無くまったく自分の力だけで打ったホームランだったのです。
ここから導き出せる結論としては
「タマタマ打てた」
としか考えられないのです。
つまり2割5分がたまたまここで来ただけなのです。
言うなればこの男は「流れ」とか野球の「あや」に関係無く「確率」で打っているのではないか?
ここで僕は今まで感じていた違和感が氷解したような気がしました。
昨年、新庄が向かう所敵無しの上原から突然大アーチを描いたのも同じ理由だったのかもしれません。
新庄は文字通り「筋書きの無いドラマ」を作ることのできる選手なのかもしれません。
しかし、語弊のある言い方かもしれませんが僕にとっては大好きな野球を「壊して」いるようにしか思えません。
新庄を信奉する熱狂阪神ファンはおそらく新庄をこう分析することはしていないでしょう。
しかし、違和感は僕と同じように感じているはずです。ただそれは得体の知れない期待に向かっているのかもしれません。
ただし、僕のこの妄想ともとれる考えが万が一当たっているのでしたら他球団はこの「筋書きの無いドラマ」を作る新庄はなんら恐れる必要はありません。
どんな場面においても所詮4回に1回程度しか打てないのですから。
打たれたら単に運が悪かっただけです。
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