審判を尊敬させる (00/06/12)
作・つめきり
週間ベースボール2000.6.19日号
海老沢泰久氏著「識者の視点」より
「あの審判はへたくそだ。我々は一球に命をかけて野球をやっている。審判もそれくらいのつもりで判定してもらいたい」
これはトラブルが起きたときに、その当事者になった監督や選手が必ず言う言葉だ。それなら試合に負けたことを悔やんで一人くらい命を断った監督や選手がいてもよさそうなのに、そういう話はいまだにきいたことがない。
『一球に命をかけて』を額面通り受け取るとは流石は直木賞作家だぜ!言葉を操るプロが言葉に遊ばれてるぜ!それならばアンタは死ぬ気が無ければ『必死』だとか『一生懸命』と言う言葉は絶対使わないでくれよ。大体なんで「星野監督、立浪、そして大西という選手」って大西を傷つけるようなこというんだよ!このクサレチンポ!(額面通りに受け取られると困るのでこれは比喩です。海老沢さんのチンポは見たことありません。)
ぐらいの皮肉が思わず出てきてしまうわけなのですが、去年からずっと続いている一連の審判が絡んだ事件は詰まるところ「選手が審判を尊敬できる環境ではない。」ことに原因があると思うのです。
「審判は絶対だ」と神格化が完全に行われればこういった問題はほとんど皆無になるという意見は数十年も前から審判問題が起こるたびに叫ばれていることからも正しい意見なのでしょう。
ただ、この啓蒙活動が結局上手くできていないのは目に見えない「尊敬」という感情を動かさねばならないからです。
ある程度のルールは作ることができても最終的には選手の「意識」に委ねられてしまいます。
この意識をある一部分だけでも統一させることは軍国主義国家でもそうそう容易い作業ではありません。
だから、問題が起きる度に啓蒙活動が言葉だけ浮いてしまって根本的にはやはり解決しないのでしょう。
だとしたら発想を変えてみるのは如何でしょう?
平光清氏著の「審判失格」によると審判の待遇は
・年俸制だが減俸は絶対に無い。(つまり通常ならば解雇は無い。)
・一軍の審判ならば年俸は一千万以上。
〜以下年俸以外の支給〜
・年二度の「功労金」という名のボーナスが支給される。
・公式戦1試合担当につき3万円の支給(年に110試合として330万。オープン戦、オールスター、日本シリーズは別途支給。)
・洗濯代年間約22万円。
・用具代年間30万円。
・宿泊代一泊1万5千円。
・新幹線はグリーン車料金の支給。
退職金が無かったり年金が雀の涙程しか無いというマイナス面もありこの待遇が妥当かどうかを私が判断する権利は無いのですが、
子供の頃から野球漬けで受験戦争よりもはるかに厳しい競争を勝ち抜き、やっとの思いでプロになれたとしても序文の言う所の正に「一球によって」選手生命が終わり野球以外の何もスキルを持たないまま社会に放り出されるというリスクを常に背負い、大成しても選手生命は30歳台後半までと非常に短く、しかも夢破れるものがほとんどであるプロ野球選手にどういった啓蒙をすれば誤審をする審判を尊敬させることができるのでしょうか?
重労働であろう審判の待遇が妥当であるならばせめて
「ファンや選手がいやがおうにも尊敬せざるを得ない」
システムの構築を本気で取り組んでみては如何でしょうか?
発想が貧困で申し訳無いのですが
「年齢は22歳まで、身長175cm以上(肥満体不可)、視力裸眼1.0以上、野球経験がありルールの基本的知識を持ち、試験では面接重視」(同じく「審判失格」より引用)
等という、審判をするのに絶対的に必要な条件とはとても思えない審判資格を作るくらいならレベルを高めた競争力の激しい審判学校を整備するのもその一つの方法だと思うのです。
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