すべてのめぐみにたいして、あなたは何をしなければなりませんか。
神にたいして、感謝、賛美、奉仕、服従をしなくてはなりません。
(スヴェルドラップ著『神の救いの道』より)
ほんの一行しかないこの条項から、ルターはこれだけ豊かな内容を読み取っています。特に、世界の創造と、自らの創造を結び合わせて考えているところが大事だと思います。これで、天地創造の出来事は個人化され、ひとりひとりの存在と大きく関わっている出来事になるからです。
さて、神様は信仰に関わることのみならず、日常生活に関わることにも目を向けていて下さり、豊かに満たして下さいます。しかもそれらの恵みとは、私たちの方にそれにふさわしい何かがあるからもたらされるのではなく、一方的に神様の側からのあわれみだと言うのです。そこで何が起こってくるのかというと、それは感謝に基づく奉仕と服従なのです。「服従」というと、普通は恐怖から来るものの方が多いのではないでしょうか。暴君に服従する。それはその力が恐ろしいからです。そのようなイメージがあるから、「奉仕」はまだしも、「服従」ということばにはどうも慣れない、好きになれない、という思いがつきまとうかも知れません。しかしここに描かれているのは、恐怖からではない、感謝からくる奉仕と服従なのです。そこには、自由と喜びがあります。
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あなたがイエス・キリストを信じるとは、どういう意味ですか。
私の心からの信頼をもって、イエス・キリストこそ、罪と死と悪魔の力からの ただ一人の救い主であるとして、自分自身をすっかりおまかせすることです。
(スヴェルドラップ著『神の救いの道』より)
信仰とは信頼である。これがルターの理解でした。キリストを信じるとは、キリストを信頼することであり、彼にまったく任せてしまうことだと、スヴェルドラップもルターに倣って告白しています。
それでは、どうして彼に任せることが出来るか。それは、主がその貴い血と御苦しみによって私たちの受けなければならない罪の罰を「身代わりに」受けて下さったからであり、また、律法を守った良い生活も、彼が「身代わりに」生きて下さったからです。良い面でも悪い面でも、私たちの主は完全に私たちの身代わりになって下さった。もう改めて私たちの方で罪の赦しのために、良い生活のために何かをしなくとも、もうすでにイエス様の方で全部成し遂げて下さっているのです。まさに「至れり尽くせり」といった感じです。この身代わりの主によって、私たちは生きるのです。
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聖霊は、何によって人を(神に)まねかれるのですか。
神のみことばによってです。律法によって私共を罪に目覚めさせ、それから福音によってキリストへとまねいて下さいます。(スヴェルドラップ著『神の救いの道』より)
ルターは、「聖霊とは何か」(あるいは、どんな方か)という神学的・哲学的解説よりも、単純に「聖霊が何を私たちにして下さるか」ということに焦点を当てているように見えます。聖霊は私たちを「福音をとおして召し」、「照らし」、「きよめ」(だからこの条項が「きよめについて」と呼ばれています)、「すべての罪をゆたかにゆるし」、「よみがえらせ」、「永遠の生命を与えてくださいます」。勿論、聖霊のお働きを「これだけだ」と限定するのは正しくないでしょう。聖霊は神ですから、私たちの考えをはるかに超えて働かれます。しかし、私たちの理解は有限ですから、ルターの整理にならい、以上の働きを聖霊のお働きとして、感謝して受け止めるのが良いと思います。
「わたしは信じます」との使徒信条。「わたしたち」ではないところに、意味があります。そう、「あなた」が、父なる神を、救い主なるキリストを、きよめ主である聖霊を、自分自身でしっかりと信じるのです。
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本文は
マルチン・ルター 著 結城 浩 訳『マルチン・ルターの小信仰問答書』
Copyright (C) 1999 Hiroshi Yuki (結城 浩)