TOP 聖餐(4)
ルターの小教理の学び 「聖餐式について」(4)
問い それでは誰がこのような聖餐にあずかることができるのでしょうか。
答え もちろん、断食やそのほかの物理的な準備というのは、体にとってすばらしい訓練となるでしょう。しかし、「あなたたちのために与えられる」および「あなたたちの罪を赦すために流される」という言葉を信じる人なら誰でも、聖餐にあずかる十分な資格があり、準備ができているのです。しかしながら、これらの言葉を疑ったり信じなかったりする人は聖餐にあずかる資格がないのであり、準備ができていないのです。なぜなら「あなたたちのために」という言葉は、完全に信ずる心を求めるからです。(ルター『小教理問答書』より)
いよいよ聖餐式の項も最後となりました。
聖餐の恵みにあずかる資格。もしかしてこれは、聖餐式でどんな恵みをいただけるか、ということよりも、ずっと気になることかもしれないですね。教会に行くために家を出る前に家族とうまくいかなかったから、そんな私は今日はふさわしくないとか、聖餐式の前の晩に思い付く限りのすべての罪を告白していたのでもう大丈夫とか、そのようなことなのでしょうか。
ルターが聖書全体からのメッセージとして受け止めたのは、「みことばを信じる者が、聖餐式の恵みを受けるにふさわしい」ということでした。特にそのみことばは、パンとぶどう酒が「あなたたちのために与えられる」および「あなたたちの罪を赦すために流される」ことを告げるもので、それさえしっかり心に受け止めていれば、誰でも聖餐式にふさわしいのだ、と言うのです。
むしろ私たちは、自分がふさわしいかどうか疑心暗鬼になるより、罪の赦しを求めて、率直に主の食卓の前に出るべきです。求める者には、与えられる。これは、罪の赦しも同じことです。
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