■欲しいものは別のもの 「手、というより指だな。」 クク、といつもの笑いとともにひろゆきに投げられた言葉は、あまりに唐突なものだった。ひろゆきはちょうどツモ切りしたばかり、牌をきった手が一瞬止まる。何かやらかしたのか?と思ったが、それこそ自意識過剰と思い直して赤木の顔を見た。 「?指がどうかしたんですか?赤木さん。」 「ん?いや。」 そのまま何も言わずに赤木は牌を切る。中途半端な会話の続きが気になるところだが、ひろゆきはそれ以上突っ込むのをやめた。あの赤木しげるが、賭けの絡まない麻雀の相手をしてくれるなんていう奇跡のような今を、自分のくだらない好奇心で駄目にしたくはない。 ひろゆきの部屋で、赤木と二人で対面麻雀。その十七順目。赤木の切った牌に、ひろゆきはカンを宣言してつとその捨て牌に手を伸ばした。その指先が、いきなり赤木に捕まえられる。 「!!」 特に力を入れて握られているわけじゃあない。まるで牌にそえるかのように、軽く、だけど、赤木の手の中でひろゆきは動けなかった。 「あ、あ、赤木、さん?な、なんですか?…」 なんで?なんでなんだ、この状況。いつもの赤木の気まぐれか?それにしたって、なんだって指なんだ。いや、別に他の場所ならいいとかそういう問題ではなく。 尊敬してやまない赤木の突然の行動に、ひろゆきは混乱の極致にあった。これが天なら、冗談はやめてくださいと一蹴して手を振り払えるのだけれど。ひろゆきはこと赤木に対しては、思うままに行動できない。だって、赤木は神様だ。少なくともひろゆきにっては。 「指が、こうもまっすぐ伸びてくるとなあ。」 「はい?」 赤木はひろゆきの指を離さない。 「捕まえたくなるのよ、つい…な。」 「はぁ。」 わかったようなわからないような声が出る。つまり? 「ここは鳴くところじゃない、とか…」 おずおずと口にしつつ、赤木の顔色を窺ってみる。 「じゃないですよね、やっぱり。」 赤木はにやりと笑ってひろゆきを見た。捕まえられたままの指が熱をもつ。からかわれているのだ、いつものように。それがわかっていても、赤木を見返すことができない。 「ひろ、この一局、今からかけねえか?」 「え?」 もう終わりかかっているのこの局で?いまさら何をかけるというのか。指をかけろとか・・・まさかね。 「ひろが負けたら、今、俺が捕まえてる指を全部もらう。」 「はい?」 もはや照れている場合ではなかった。赤木の顔はどう見たって本気以外の何物でもない。 「お前が勝ったら、そうだな・・・お前の望みを何でも聞いてやるよ。」 「え?え?そんな赤木さん、望みを何でもって…俺の指とじゃ全然釣り合わないじゃないですか!」 「そんなことないだろ、ひろ。俺はお前の指が欲しいんだからよ。お前も俺に好きなことを望めばいいのさ、釣り合わねえとか釣り合うとか、そんなの関係ねえよ。」 指は未だに赤木の手の中。ぎゅっと赤木の手に力が入る。ひろゆきの指の先で、彼は楽しげに笑っている。それがますますひろゆきをうろたえさせるのだ。赤木さん、冗談ばっかりやってないで、そろそろ手を離してくださいよ、そんな言葉すら口に出せない。 「ど、どうして・・・そんなの、意味ないっていうか・・・お、俺の指なんか…何の役にも…。」 どうしてこの人のやることなすこと、いつもいつもこんなに突拍子がないことばかりなのか。それなのに、どうして自分は彼に逆らえないのか。どうしたらいいのかわからなくなって、ひろゆきは赤木から目をそらす。 「役に立たない、とか、意味がない、とかいうけどよ、ひろ。博打ってのはそんなもんさ。意味がないし、役にもたたねえ。」 ただし、と赤木は付け加える。この上なく、楽しげに。 「俺にはこれしかねえけどな。」 「・・・・・・」 いつものひろゆきなら、即断っていたはずの申し出。しかし、道を踏み外せない自分がお荷物になった勝負を経験したばかり。変わらなければならない自分を認めたばかり。ならば、この赤木の申し出は良い機会なのではないか、苦い後悔がひろゆきにそう思わせた。 一歩踏み出せ。かの人の方へと。死ぬほど憧れる赤木の境地、それに近づくために赤木の賭けに乗るしかない。どうよと目で問う赤木に、黙って頷く。 赤木がやっとひろゆきの指を解放して、止まった時間が動き出す。赤木の切った牌をつまみ上げ、ひろゆきが自らの牌を倒し、リンシャン牌をツモる。 指をかけたのだ。負けるわけにはいかないのだ。だのに、ひろゆきには確信があった。この勝負、負ける、必ず。そう思いながら、それがわかっていながら、それでも切らなければならない。 さっきまでは幸せな麻雀をうっていたというのに、一転、目を閉じて崖へとアクセルを踏み込むにも似た勝負になるとは。勝てるわけがない、そもそも勝ちたいとも思ってない。どうにでもなれ、半ばやけくそで−ひろゆきにしては珍しく−つかんだ牌を見もせずに。 そのまま切った。 「………」 「…………」 「赤木さん、あがらないんですか?」 「………くく、ひろ、何を切ったのかちゃんと俺に見せてくれや。」 言われて初めて、牌を切った時から自分が目をつむったままなのと、切った牌に指を置いたままなのに気づく。あわわとわけのわからないことを口走りつつ、手をはなす。顔は赤くなるわ、危うく自分の牌を倒しそうになるわ、無様な自分に泣きそうになった。もう少しましな人間だと思っていたのに、赤木の前だとどうしたってたいしたことない自分という現実を思い知らされてしまう。 指が離れた。中だ。まだ一枚も場にきれていない。赤木の当り牌だ。絶対にそうだ。 「赤木さん、あがらないんですか?」 さきほどとまったく同じ言葉を口にして、ひろゆきはうつむく。指をかけた勝負に負けた。勝てるはずないってわかっていたのに、こんな勝負受けるほうが間違っているってのに、どうして自分はいつもいつも。 「顔を上げろや、ひろ。なに決めつけてんだ。」 お前は指がいらねぇのか?と赤木が笑う。 「そんな弱気な勝負してたら、勝てるもんも勝てねぇぞ。」 赤木の牌は倒れない。流局?まさか。そんなはずないのに。ひろゆきは赤木の顔を見、倒れないままの赤木の牌を見、そして、自分が切った中へ、捨牌へ、ドラへと目を移す。 「ま、流局だな。」 リンシャンをそのまま切るなんて、どうかしてるぞ、ひろ。と言われれば返す言葉もない。当然、ひろゆきだって上がれるわけがない。赤木の牌が伏せられるのをみ、ひろゆきはふと聞いてみた。 「赤木さん?」 「ん?」 「中、待ってたんでしょう?」 「まぁな。」 やっぱり。 「俺、指は惜しくないです。」 「だろうな。」 あんな打ち方じゃあ、勝てる勝負も勝てない。赤木に言われるまでもなく、ひろゆき自身がわかっていた。本当は指が惜しい。だけど、いったん受けた賭けをお情けでなかったことにしてもらうのもいやだ。 「俺…。」 「ひろ。」 ひろゆきの言葉を、赤木がさえぎった。ひろゆきの目の前で手をひらひらさせ、小さく肩をすくめる。 「あがるにゃ、一翻足りねぇんだ。」 対面麻雀のルール。役は三翻以上。赤木はリーチをしてなかった。字牌と河底ロンで2翻…? 「ドラもなかったしな、俺の負けだ。ひろ、お前の望みを言ってみな、聞いてやるぜ。」 望みったって何も思いつかないのだ。だって、勝てるはずがない。いや、勝ちたくない。 「・・・・・・今度うつときは、賭けるのはなしで、遊びの麻雀をしてください」 ようように口に出した、ひろゆきの言葉に、くわえ煙草の赤木はにやりと笑った。
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(2009/09/28)
※ひろゆきは赤木のようにはなれんわなあ。ひろゆきはひろゆきとして、可能な限り赤木らしさを目指すのでしょうね。