モドル
■傍らのそれに気づくとき

「お前って、かけが絡まなかったら強いのな?」
 信じられんと男は天を仰ぐ。傷だらけのどちらかといえば強面の彼だが、大げさなしぐさはユーモラスだ。対するひろゆきの仏頂面とは対照的だった。
「相変わらず失礼ですね、天さんは。」
「だって、そうだろ、さっきから。」
 正月休み。三十路も過ぎた男が二人、炬燵を囲んで麻雀牌を握っている。半荘うって、ひろゆきの快勝。ツモあがりが多い。二人麻雀なので、三翻しばりでのルール。とはいえ、流れはひろゆきにきていた。このままいくと、天が仕掛けない限りは終わってしまうパターンではあるが。遊びの麻雀にしゃかりきになるほど、天も子供ではないということか。ましてや相手はひろゆきだ。
「天さんが真剣に打たないからでしょう。」
「・・・・・・お前のほうがよっぽど失礼だ。」
 無論、ひろゆきも流れが自分に向いていることに気づいている。とはいえ、暇つぶしの、いうなれば天とのじゃれあいに近い麻雀なわけで、勝とうが負けようが正直どちらでもよいのだ。運がいいのか悪いのか。そんなときに限って、流れに恵まれたりするのはよくある話といえないこともない。
「賭けてもないのに、真剣に打てるわけないだろーが。」
 真剣にうったら疲れる、だのなんだの、四十過ぎがぶつぶつ。あんまりにも情けないことをいうもんだから、少々ひろゆきも調子に乗ってしまいそうだ。
「遊びの麻雀だって、負けたら失うものがあると思いますよ。」
「ない、ない。絶対にない。ひろゆき君は何を失うのかな?」
「プライドとか。」
 牌を切る天の目が丸くなった。ひろゆきの言葉に感動して…ではなくて、呆れているのだ。その証拠に、口の端がピクピクピクピク、笑いたいけど我慢してあげるよと言わんばかりに。口が滑ってしまったことを後悔する。笑いたければ笑えばいいのに。余計に腹立たしい。
「笑いたいのなら、笑ってもらってもいいです。」
「い、いやいや、ひろゆきクンを笑うなんてトンデモないです。」
 大袈裟に両手をふるさまが、さらにひろゆきの怒りを誘うわけで。
「口の端がひきつってますよ、天さん。」
「あ?あれ?そう?気のせいじゃないの?」
「遊びに真剣になれないなら、今からかけたっていいんですよ。勿論、今までの点差はなしにして。」
 我ながら子供じみているとわかっていてもとまらない。天に対しては、どうしてだかいつもこうなってしまう。初めて出会ってから、十年はとうに過ぎたというのに、天との関係はちっともかわらない。立場も、距離も。
「ひろゆきくーん、そんなこと言っちゃってもいいのかなあ?」
「ええ、構いません。真剣勝負です、これから。」
 嗚呼、売り言葉に買い言葉。すねるなんて若い女性ならまだ可愛いで許せるが、自分のようなおっさんがしたところで、みっともないったらありゃしないのに。内心自己嫌悪に陥りつつも、ひろゆきが1萬を鳴いた。
「天さんが勝ったら、一つだけ何でもいうことを聞きます、俺が勝ったら天さんもそうしてください。」
「へいへい。」
「俺、本気で言ってるんですよ。」
「本気、ねぇ・・・。」
 苦笑いの天が、煙草に火をつけた。紫煙がけだるく天井へと這い上がっていく。
「そんな言葉が出るあたり、ひろはまだまだ若いなあ。」
 それは、ひろゆきが今まで散々言われてきた言葉だった。赤木に、天に、澤田に。そう言われるたびにお前は俺たちとは違うんだ、とそう言われているような気がしていた。いつも、いつもそう思っていた。
「俺は、あの時みたいに若くありませんよ。」
「そうか?」
「ええ、もうあの時みたいにはなれません。」
 若いといえば聞こえはいいが、ようはガキだといわれているのと同じことだと、ひろゆきはそう知っている。だから、言われるたびにひろゆきの奥底が、じくじくじくじく忘れてしまいたい痛みを思い出すのだ。今もそうだ。
 人事みたいに、−実際に人事だが−天は笑う。
「そーでもないと思うけどな、と。お、ツモ。」
「は!?」
 にやにや笑って、天が牌を倒した。ひろゆきは満面の笑顔の天を見、捨て牌を見、そして天の牌を見た。
「…天さん。」
「なんだい、少年。」
 なんだい、少年、じゃないだろう。実に久々に見たような、天のちゅーれん。目をキラキラさせてひろゆきを見つめる天の脳天に、遠慮呵責ないひろゆきのゲンコツが振り下ろされた。
「遊びの麻雀にイカサマすんなーーーー!!」
「遊びじゃないでしょー、ひろ、さっきかけるって言ったでしょ。」
 言った、ああ、言いました、自分で言いました、そんなことは百も承知だ。わかってる。だが待てよ、イカサマは禁止だ、当然だ。
「かけ麻雀だったら、イカサマやってもいいってことにはなりません。何言ってんですか!」
「イカサマだったとしても見抜けなかったひろが悪い、だろ?」
 そんなことを言われたら何も言い返せない。天はひろの顔を見て笑い、何も言えずに言葉を詰まらせた頬を指で引っ張っては、また笑った。いつまでたっても子供扱い、だけど本当はそうじゃない。また天に一本取られたのだ。イカサマされたことではない。天に自分を見抜かれてしまった。息苦しくて、ぱんぱんに膨らんで、いつかの自分に戻ってしまいそう。そんな自分になる前に、天はひろのガスを抜く。自然すぎて今までは気づかなかったけれど、そんな大人の優しさがじんわりひろに染み渡る。
「なんでもいうこと聞いてくれる〜?」
「ええ、わかってますよ。俺が負けたんだから何でも言ってくださいよ」
「天さん、今日はひろの作ったカレーライスが食べたいなvひろの手作りカレーv」
「その言い方をすぐにやめないと、タバスコカレー食べさせますよ!」
 こんなやり取りだって、天がひろを受け止めてくれるからこそ出来ることだ。
畜生。負けた。まだまだ勝てない。
 目と胸の奥が、きゅっと熱くなるのをごまかすように立ち上がる。
「カレー食べたら、もう一回勝負ですからね!」
「気が向いたらね〜」
 そんなことをいう天の目は、やっぱり馬鹿みたいに優しい。悔しい、腹が立つ、嬉しくて、涙が出そうだ。
 絶対にしょっぱいカレーを食べさせてやる、台所に向かうひろゆきは、負け惜しみと知りつつそう決めた。


(2011/10/10)

※ひろがとても三十前には…。


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