モドル

■ふれぐらんすのぎゃくしう


 ある春の昼下がり。久々にのんびりとした気分で、天真は大きく伸びをする。空も風も限りなく青く澄み渡っていて、降り注ぐ陽光も心地よい。根が単純…いや、物事に素直な反応ができる天真は、非常に気分がよかった。鬼の輩も最近静かになったことだし、今日はちょっと遠くに足を伸ばせるかも…と、彼の向かった先は、例によって…。


「な、なんなんだよ、あかねっ!」
 土御門の館、あかねの部屋にやってきた天真の、開口一番がこれであった。
「あ、天真君。」
 にっこりと笑って、ほてほてとこちらに向かってこようとするあかねから、天真は一歩後退した。いや、出来ればもう帰ってしまいたかった。あかねに惚れてなかったら、多分そうしてたと思う。
「”あ、天真君”じゃねぇ!何なんだ、この匂いは!」
「あはは、やっぱりちょっと…きついかなあ。」
 あかねは自分の腕に鼻を寄せて、匂いをかぐ。のほほんとしたあかねの仕草を見つめながら、天真の眉間には深い皺が刻まれた。

あかねの纏う衣がひらめくたびに、香りが空に散る。

 特に嫌な匂いというわけではない。今時の高校生なら香水の一つや二つ当たり前だ。ただ…この華やいだ香りは平安京にはあまりにもそぐわなさ過ぎて…。それ以前に、どう考えてもつけすぎだ。まるで香りに襲われている気分になる。そもそもこんな匂いの洪水の中で、なんであかねは平然と笑っていられるんだろう。
「とっとと落としたほうがいいぞ、それ。」
「う…ん?」
「藤姫がきたら、貧血おこす。」
「うーー。」
 何かいいたそうに唸っているあかねをおいて、とにかくも空気の入れ替えをと扇ぐものを探して天真はあたりに視線を走らせた。と、廊下からほてほてとやってくる者がいる。盥と布を必死で抱えてえっちらおっちらやってくる金髪の少年。
「あかねちゃん・・・ごめんね。お湯貰ってきたから。あ…天真先輩…。」
 ”やばい、怒られる”と首をすくませる後輩の表情が、何より犯人が誰かを語っていた。

■□■


ばたばた・・・ばたばた・・・ばさばさ・・・。

 風流人の少将殿が手遊びに歌なんぞ書き散らして置いてかえった扇を両手に、天真は休みなく空気の入れ替えを図っている。元の持ち主がみたら、眉を吊り上げそうな使い方をあかねに咎められたが、”扇は扇ぐためのもんだろ”と一蹴した。
「・・・ったく、何やってんだよ、お前らは。」
「あは・・・はは・・・。」
「ごめんね、ごめんね、あかねちゃん、本当にごめんなさい。」
 きっかけは。いや、きっかけというのも馬鹿くさいほど、ご想像通りな展開なのだが。詩紋が偶々持っていた香水をあかねが懐かしさのあまりいじくったら、蓋が開いてしまって…。あわあわとそんなことを二人で言い募るのを見ていると、天真は頭痛がしてきた。さっきまではあんなに気分よく、今日はきっといいことが…なんて夢見がちなことを考えていた自分が恨めしい。
「詩紋が悪い。大体、なんでこんなもん持ち歩いてんだよ。」
「天真君、詩紋君は別に悪気があったわけじゃないし、それに・・・。」
「・・・まぁ、つけすぎたお前が一番悪いけどよ。しっかし・・・。」
 肩を落としてため息をつく。
「・・・なかなかおちねぇな、それ。」
 少なくとも一時間は空気の入れ替え作業を進めているのに、あかねの匂いは一向におさまる様子がない。
「上等の香水だから・・・ごめんね、詩紋君。全部なくなっちゃった。」
「ううん、いいんだ。なくても困るものじゃないから。」
「お・前・ら・な〜〜〜〜〜〜、もっと現実的な心配をしやがれっ!あかねの匂いが取れるまで、俺たちゃ外にもでられねぇんだぞ!」
 この二人の能天気さときたら!状況適応能力もここまでれくば感動ものだが、天真にしてみればこんな状況に適応すんな!と言いたくもなる。
「は〜〜〜い。」
 かえってきた返事にまた眩暈に似たものを感じながら、天真は必死で扇ぐ作業に没頭するのであった。

■□■


「神子殿…突然で失礼かとは思いましたが…ちょっとお話したいことが・・・。」
 部屋に入ろうとした瞬間、鷹通は僅かに顔をしかめた。
だが、そこは平安貴族、女性の前で無様な様子をみせまいと表情を和らげ、
「今日は、変わった香を焚いていらっしゃるのですね。」
 一歩、二歩とあかねの部屋に入ってきた。一歩ごとに少しずつ表情が硬くなる。それでも、足を止めずに室内に入ってくる度胸というかプライドというか…ある意味すごい根性だと天真は密かに感心した。
「…鷹通さん・・・あんまり…無理をしないほうが・・・。」
 流石のあかねも不安そうに、ぶんぶんと手を振った。実は動かないほうがいいのだ。あかねが動くと匂いが広がるから。
 案の定。鷹通の顔は目に見えて強張る。
「あ…いや、神子殿・・・今日は失礼いたします・・・。」
 ずりずりと一歩一歩後退して、挨拶もそこそこに逃げ出した鷹通の後姿を見送りつつ、天真はぼそりと呟いた。
「ほら、犠牲者第一号。」
「て、天真君…そんな簡単に〜〜。」
 あかねは半分涙目になって、恨めしそうに天真を睨む。そんな顔したって、自業自得だから仕方がない。天真と詩紋はなんといっても現代人なので、この匂いにも馴染みがある。だが、この時代の人々にとって、この香りはあまりにも斬新すぎよう。ましてや、慣れているはずの天真たちにもダメージを与えるくらいの匂いがたち込めているのだ。
 ふと、あかねの隣に座っていた詩紋が、こんなことを口にした。
「でも…この匂いがこの時代の人たちに、こんなにダメージを与えられるんだったら…もしかして、鬼にも効き目があったりして。」
「…。」
 三人は顔を見合わせる。
「戦意を削ぐくらいはできそうじゃねえか?」
「そうしたら、いきなり戦わずになにかお話が出来るかも。」
「話が出来れば、お互いにもう少し判りあえるかもしれない。」

 にま。
 何も言わなくても、三人の心は、今一つになった。

(2002/04/08)

※その後、どうなったかはご想像にお任せします・・・。最近、天真とあかねと詩紋は、私の中で3人トリオになってしまいました。私の遥かは偽者だけど、書いてて楽しいよ・・・これ(笑)


モドル