モドル

■戦の前


 王都までおよそ一日の距離に陣取った義勇軍たちは、夜間の進軍を避けた。明日の決戦に備え、最後の休息を取ることに決めた場所からは、今や魔都となったかつての都の姿は見えない。視界を遮るものがない草原に陣を置いたのは、敵の接近に備えたというより離脱者を防ぐための、アインスロット卿の配慮であろう。誰もが皆知っている。明日の決戦で多くの兵士が死ぬであろうことと、負ければ黒の浸食はユグド全土を覆い尽くすだろうことを。今逃げ出したところでいずれは黒に食われて己を失うだけであろうが、誰かの臆病風で士気を下げるわけにはいかない。この戦は負けられない戦なのだ。義勇軍の仲立ちでユグドの全種族の結集はなったとはいえ、ユグド軍の戦力は決して多くない。勝算はひいき目に見積もっても五分五分だった。兵士たちのうち、明日を越えられるものが果たして何人あるだろうか。その未来を知りつつも、誰ひとりとしてそれを大っぴらに口にする者はなかった。
 明日のことは脇において、つかの間の休息に憩う兵士たちの中には、大戦の行方を憂いつつも決死の覚悟を決めている騎士、己の生死は天に任せて明日の勝利とギルドからの報酬額を思い描く傭兵、賢者の塔の面々の中にはあわよくば新しい魔法の実験をと目論むものもあり、癒し手や弓兵たちは得物の手入れに余念がないが、どこか不安が隠せてはいない。なんとかなるよね頑張ろうといじましくも陽気に振る舞う迷宮山脈の妖精ら、世界の行方の思いをはせる精霊島の士族達や、戦そのものを好む九領の鬼たちは、人間たちとはまた違う感慨を抱いていようが、それはまた他人の胸の内の話だ。泣いても笑ってもすべては明日に決まる、ユグドの民の思いを飲み込んで夜はただただ更けていく。そんな面々の中に、騎士団所属の若き三人組の姿もあった。


 
 夜空にばら撒かれた星は、今にもその光が降りかかってきそうなほど、三人に近かった。草地に川の字で横たわる三人の若き騎士たち、アントンとトーマスとマリスは野営の真っ最中。と、いえば言葉はいいが、地位が低い上に若い三人組に、テントなんて上等なものをあてがってもらえるはずもなく、貰った布切れ一枚で三人ごろ寝、だ。とはいえ、義勇軍暮らしもそれなりに長い彼らにとって、こんなほぼ野宿もそこそこ慣れっこになりつつあり、少なくとも夜空の美しさを楽しめる余裕くらいはある。
 
「雨じゃなくて助かったな。」
 トーマスの右に寝転がるのはアントンだ。騎士に叙勲されたばかりの彼は、年もトーマスより一つか二つ若い。
「そうだね、決戦前に士気が下がってしまう。天気がいいのは嬉しいな。」
 マリスはトーマスの左。二人に挟まれたトーマスは先ほどから仏頂面のままだ。彼にしてみれば、どうして二人が呑気な会話を楽しめるのかわからない。明日はいよいよ聖都に突入する、これが黒の軍勢との最後の戦いになることは明らかだ。勝って王都の奪還がなされればよし、負ければユグドは黒の軍勢にのみこまれ、恐らく世界は崩壊する。遠い昔から繰り返されてきた、支配者の首がすげ変わるだけ、にはなるはずはない。黒の王と彼の率いる魔物たちは、ユグドにとって異質で相容れないものだ。トーマスの頭上に広がる星空のパノラマは美しくもロマンチックで、常日頃のの彼ならば、”夜のデートは二人並んで星空を眺めるってのも、ムードがあっていいかもな。”と未来の恋人との幸せな想像に胸をときめかせているところだが、決戦を控えた夜とあってはトーマスの楽天主義もとんと仕事をする様子がない。それに、これは友であるアントンにもマリスにも言ってないが、本当のところトーマスは、明日の戦いなど放り投げてこの場から逃げてしまいたかった。生きるか死ぬかの戦場なんて、トーマスの柄ではない。戦の武勲も騎士の名誉も、どちらもトーマスの望むものではないのに、今どうして自分はこんなところにいるんだろう。そう思うと、いても立ってもいられない。こんなところで死ぬのはごめんだ、自分ひとりがいなくったって戦況が変わるわけもない、なら別にわざわざ命がけの戦いに加わらなくてもいいじゃないか、というのはトーマスの本音そのものだった。
――マリスに言ったら絶交されそうだよな。
 あのアインスロット卿の弟君であらせられるマリス君は、兄君の上を行く生真面目な性格の持ち主である。更にはアントンにばれたなら、拳骨の一つや二つは覚悟しないといけないだろう。トーマスとしてはどちらも御免こうむりたい事態だった。
「どうしたんだ、トーマス。」
「さっきから何もしゃべらないじゃないか。」
 トーマスを挟んでの二人の会話に、彼が一向に加わってこないので、とうとう彼らもしびれを切らしたようだ。
「そりゃあ、明日のことを考えたら話す気もおきやしないよ。」
 トーマスは相変わらず不機嫌をまとわりつかせていた。明日、死ぬかもしれないのである。死ぬ前に彼女の一人や二人欲しかったし、兄を見返してやりたかった。それを思えば、のんびり天気の心配なんぞしてられない。
「アインスロット卿の命令だろ、小隊を任されたことくらいでビビってどうすんだ。いい加減腹をくくれよ。」
 ところが、アントンから実に見当違いの反論が降ってきた。マリスは、何も言わずに笑って空を見つめている。そう、野営にはいる前にアインスロット卿に三人そろって呼び出され、明日の作戦にトーマスが小隊を率いること、アントン、マリスもその隊に所属することを命じられたのではある。よくつるんではいるものの、所属の騎士団は別々の三人組にとって、作戦行動を三人そろってなんてのは珍しい。気心の知れた相手と組ませてもらえるのはありがたい話だが、騎士団の中ではまだまだひよっこであるトーマスが小隊長などという大任を負うことになろうとは、およそその手の責任からは無縁であった彼としては青天の霹靂だ。そこで憧れの上司の期待に奮起して、とならずに、回りくどい嫌がらせかと勘ぐってしまうのは、自分が真っ当な騎士とは言い難いことを彼が理解しているからだろう。アインスロット卿も随分思い切った人事をするんだなあと、他人事のように嘯くアントンには、人の気持ちも知らないで勝手なこと言うなと反論したいところだ。大体、こんなに大事な戦で隊長をトーマスに任せるなんぞ、ギャンブルにも等しい所業ではないか。考えているうちに段々怒りすら湧いてくるトーマスなのだ。隊長役が嫌だとかビビっているとか、そういう問題ではない。いや勿論、それはトーマスにとって放り出したくなるようなお荷物なのではあるが、違うのである。トーマスが嫌なのはもっと根本的なことで、戦争に参加したくないのだ。そもそも最初っから気が進まなかったのに、隊長だの部下だの、これ以上の重荷は真っ平ごめんである。
「大体、小隊長は僕よりもマリスの方が向いてるのに。」
「それはそうかもな。」
 自分で口にしておきながら、あっさりアントンに認められてしまうと、それはそれで傷つくのではあるが。
「トーマスは責任を負うとか、誰かに指示するとか苦手だもんな。」
 戦術だとか剣の腕前が云々っていうとこじゃないからな、と付け加えてくれた。流石につき合いが長いだけあって、友はトーマスの性格を把握している。
「それに他の騎士団員だって、マリスの言葉の方が従いやすいだろ。」
 マリスの兄、アインスロット卿の名は、少なくともトーマスの兄の名前よりも効果があるはずだった。
「二人とも、アインスロット卿の指示に不満があるのか?」
 黙って二人のやりとりを聞いていたマリスが、不意に口を挟む。彼の顔からいつもの笑顔が消えていた。
「う、いや、そうじゃなくトーマスをいきなり隊長ってのが意外なだけで。」
「僕だって、総帥の判断に不満があるわけじゃないけど。」
「じゃあ、トーマスもいい加減腹をくくって小隊長をやってくれよ。嫌々隊長をやられたら勝てる戦も勝てない。」
 マリスの言い分は至極最もなので、言い返す言葉もない。彼が気を悪くするのも当然だ。アインスロット卿はマリスが最も敬愛する実の兄、判断ミスを遠回しに非難されて嬉しいはずもない。

――でも、総帥はマリスに隊長を任せたかったと思うんだけどな。

 これ以上続けると、マリスは本気で怒るだろうから口には出せないけれど。トーマスは思う。アインスロットの弟だからという理由ではなく、マリスには先頭に立って誰かを導く力がある。剣の腕も立つし頭もいい、戦での判断ミスも――少なくともトーマスよりは――少ないだろう。それなのに、あえてトーマスを隊長に選んだのは能力云々ではなく、アインスロットがマリスを選ぶ、ことを彼が避けただけだ。弟を隊長に任じたととられることを避けたのだ。アインスロット卿の配慮は、トーマスにとってわからなくもない。だけど、どうもすっきりしない。トーマスの感性に合わない。なんとアインスロット卿のご配慮たるや!という聖騎士連中もいるだろうが、実にくだらない話だ。だから、お偉いさんってのは苦手なのだ、面目とか体面とか役に立たないどころか邪魔になるものに拘って。本当に大事なのはそこじゃないだろうが、とやりたくもない隊長役を仰せつかったトーマスは愚痴半分、本気半分でそう思う。

――僕に隊長をやらせて、小隊全滅しても知らないからな。

 恐ろしいのは、トーマスがまるっきり本気だということだ。


 すっかりお喋りする雰囲気ではなくなってしまってから、マリスはマリスで後悔していた。彼としてはあんな嫌な言い方をするつもりはなく、騎士団長に対して陰で不満を言うのはよくない、と諭すつもりだったのに。いくら親しき友とはいえ、もっと言葉を選ぶべきだった。決戦前の大事な時に、自分の感情を優先してしまうなんて騎士として恥ずかしい。己の未熟さを思い知らされる都度、マリスが思うはいつも兄の姿だった。the knight of knightsたる兄は常にマリスの前に凛として存在し、マリスの憧れで、遠き目標である。兄の様になりたいと思うが、そのあまりにも険しい道のりをマリスは理解していた。
 傍で寝入ったばかりであろう二人に気付かれぬ様、マリスは密やかにため息をつく。眠ってしまうのが惜しいくらいの星空の下、その美しさは今の彼に全く響かなかった。
 何故、兄は小隊をトーマスに任せたのか、その理由を知っている。
 情実人事を疑われることを恐れて、自分の判断を曲げるような事をするはずもない事を知っている。
 マリスよりもトーマスが適任だから、それ以外の理由はない。生存率の低い戦いで、恐らくマリスよりもトーマスの方が被害を抑えられると、そう兄は判断したのだろう。
 その理由が感覚的にわかってしまうのは、目に見えない血の繋がりがそうさせるのだ。それでも、下腹に重たく残る悔しさはそう簡単に消えてしまえるものではない。誰よりもマリスは兄に認めてもらいたい。その為に理想の騎士たろうと振舞ってきたのだ。トーマスが悪いわけではない、友を恨むのは八つ当たりで嫉妬だ。騎士には相応しくない。
 明日は戦だ、もう休まねばならない。目を閉じたところで簡単には眠れそうになかったけれども。
夜が明ければ、こんな嫌な思いは忘れてきっといつもどおりにできるはずだ。今迄もマリスはそうしてきたのだから。瞼を固く閉じればもう星の光も届かないはずだ、醜い気持を目の当たりにせずに済むだろう。
 兄の背中は未だ手が届かず、マリスの朝も遠い。


(2015/06/28)

※アントン・トーマス・マリスの騎士団若手の話。一部終了間近の話のつもりですが、所属バラバラな三人が一緒の部隊に配属されるわけがないとことか、一人称が怪しいとか色々突っ込みどころ満載ですいません。トーマスはギリギリの状態に突っ込んだ方がいい仕事しそうですが、同じ状況にマリスを放り込んだとしたら、彼の方が死亡率が高そうなイメージ。どっちが強いかとなると難しいような、アインスロットとウェインを比べてどっちが強いかと聞くようなもんかも。


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