モドル

■道を行く

 義勇軍と黒の軍団の戦闘は乱戦になりつつあった。行軍中に黒の軍団の小隊と出くわして始まった小競り合いは、三十分もたたないうちに本格的なそれへと様相を変えている。たかが一小隊、軽く蹴散らしてやるさとうそぶいていた傭兵たちの表情からは既に余裕の笑みはない。無残に踏みにじられた夏草の蒸れた臭いは、血のそれと混じり始めている。聖都の騎士団たちが一部所属しているとはいえ、義勇軍には訓練された兵士の数が極めて少ない。持久戦ともなればその弱点が露呈する。勢いを失えば、容易に瓦解しかねない。ここが正念場だと、義勇軍の若き隊長は、汗と血で滑る剣を握り直し、声を張り上げた。
「カイン!ミシディア!左手に回ってシスターたちを守ってくれ!」
 隊長の指示に、古馴染の二人が左手に走る。最前線の正面はダナディ達、聖騎士団が抑えてくれているから隊長が離れてもなんとかなるだろう。右手を守るのは、副都のギルドリーダーを含む傭兵の混成軍。黒の軍団に食い込まれて、態勢に乱れがでていた。
「ピリカ、俺たちは右を援護に回る!」
「わかったよ、しっかりしがみついてるからね!」
 得たりとばかりにピリカは隊長の懐に飛び込む。戦闘に参加こそしていないが、共に幾多の修羅場を潜り抜けたピリカなれば、この程度の戦ならまだまだ日常茶飯事だ。
「隊長!俺もそっちに行くぜ!」
 山と積まれた武器を背中に担いだ男が、隊長に声かける。おう、と返すより先に、右手へと走りだした男の背中の武器がじゃらじゃらと楽しげだ。
「ダスティ!今日は商売っ気もほどほどにしろ!」
「何言ってんだよ、副都の武器商人ダスティ様ともあろうものが、黒の軍団ごときに恐れをなして商売を忘れたなんてみっともない真似できるわけないだろ?!」
「幾ら売ったって、金を回収できなきゃ商売にならないぞ!」
「俺の武器を使えば、無様にやられないよ!」
 実践販売の場を求めて、嬉々として前線へと走るダスティに、とうとう隊長も諦めた。軽く見積もっても己の体重の三倍はあろう武器の束を背負いながら、ダスティの足取りは軽い。商売繁盛、ってことでいいのか?と思ったところで口には出せず、隊長は武器商人の背中を追って足を速めた。

 

「さあさ、実践販売を始めるぜ!!」
 混戦の中に飛び込んでのダスティの第一声である。戦場の真っ只中、彼の言葉に耳を貸すものはないが、それを気にせず、ダスティは背負いの武器から一振りの太刀を取り出す。
「この剣こそ、知る人ぞ知る九領の名匠がうった業物!」
 言うやいなや、すらりと長いその刃で、ダスティが眼前の黒衣の魔物を一閃する。仕入れたばかりの業物だが、切れ味は彼の想像を上回っていた。目利きが当たった喜びに、彼の口上にも一層力が入る。
「切れ味は、今お目にかけた通りでございます!」
 更に横なぎに刃を流せば、横手に迫っていたもう一体の魔物があっさりと切り裂かれた。幾多の戦場で武器を売り倒してきた、熱血武器商人ダスティの剣の腕前はそこらの傭兵のそれを遥かにしのぐ。おまけに彼の売る得物は、お値段以上ぞろいだ。
「そう簡単には刃こぼれしない!無銘だが、品質は保証済みだ!20000Gは決して高くないぜ、さあ買った買った!!」
 気風のいい掛け声が響き渡れば、旗色の悪かったはずの戦場はどっと盛り上がる。敵をかき分けかき分け、よし、買った!と声を上げた傭兵に刀を手渡し、
「お代はこの戦闘が終わった後にいただきにあがります、毎度あり!」
 次の武器を早く見せてくれ、という声に答えて、ダスティの背負いから武器がもう一振り。先ほどの日本刀とはがらりと趣を変えて、大ぶりのグレートソードが姿を現した。お世辞にも美しい太刀とはいいがたいが、重量級のその形は破壊力の凄まじさをうかがわせる。かすっただけでも、かなりのダメージを与えられそうだ。
「さあ、次の一本だ!こちらは未来の名工、今は名もなき鍛冶師の作品だが、こいつにかかればどんな魔物だって一撃よ!」
 武器を売りこんでいても、敵に注意を払うことは忘れてはいない。彼の真正面から、棍棒を振りかざす大柄な魔物の肩に、両手剣が袈裟掛けにたたきおとされる。ヘビー級の一撃が魔物の体を一気にかち割った。血しぶきの降り懸かるのも構わず、ダスティの口上が続く。
「少々重いが威力のほどはこの通り!使い手を選ぶが我こそはと思う戦士諸兄、お代はたったの10000Gだ!さあさ、どうするどうする!!」
 俺が買うぞ!いや、俺が!との言い争いには、焦らず背中からもう一振り。この剣は実は2本あった、いやいや兄さんたちいい買い物をしたと言ってみせれば、傭兵たちも苦笑いでダスティから剣を受け取るのみ。次から次へとでてくるダスティの武器のストックと商売人の宣伝文句に乗せられて、武器はどんどん売れていく。ダスティの剣のおかげか、それとも単なる偶然なのかはわからないが、彼の商品が売れるにつれ、劣勢だった義勇軍が常の勢いを取り戻し始めた。こうなれば、魔神の司令塔もいない黒の軍勢程度にやられる義勇軍ではない。隊長の剣が、黒の軍勢をまとめて切り裂く、ミシディアの弓が魔物の急所を射抜く。マリナの杖が、ロレッタの槌が、ダナディの槍が――、敵を押しつぶし、黒を駆逐していく。
 そんな戦況知るか知らずか、ダスティの商売も今や佳境だ。
「ほうら、最後の一振り!これで本当に完売御礼!ダスティ商会、本日の目玉商品だ!」
 彼が山盛り背負ってきた在庫も、はやあと一本を残すのみ。取り出したる剣は精霊の加護を受けたレイピアだ。魔力を帯びてほの白く伸びる刀身は美しく、柄には紅玉があしらってある。工芸品としても通用しそうな一品で、本来の目的で使うには勿体ないような代物だった。
「俺が買うぞ!」
 ダスティが値段を言うよりも先に、どこかから声があがる。
「兄さん、価格を聞いておきなよ、後悔するって。こいつは精霊島のレアものだ。ちょっとやそっとでは手に入らないから、値段もかなり張ってるぜ。」
 流石のダスティもこの剣で実践販売をする気にはなれなかった。わざわざ使ってみせなくても魔力剣の威力は知られているし、下手に使って刃が欠けでもしたら目も当てられない。ひと振りしてみれば、光を飛び散らせて空を切り裂く刀身、我ながら全く惚れ惚れするような逸品なのだ。
「売るのは惜しいが、こいつの凄さを知ってもらえないのはもっと惜しい!20万G!どうだい、完売御礼特別価格!次回はないぜ、こいつはこれっきりだ!さあ!」
20万Gといえば、一介の傭兵がおいそれと手が出せる金額ではない。先ほど声を上げた誰かさんも、この価格を聞いて考え直したか、先ほどまではぽんぽんと上がっていた「買った!」と掛け声が急に鳴りを潜めてしまった。魔法剣の値段、20万Gは決して高くはないが、戦場のノリで購入するにはかなりの勇気が必要な額なのだろう。
「おいおい、兄さんたち、この剣をこの値段で出すのは今日限りだぜ!今がお買い得チャンスさ、我こそはと思わん強者はいないのかい?」
 ダスティが剣を掲げて見せれば、刀身が陽光をはじいて一層眩い。確かに高額だが、それに見合った凄い剣なのになあ、とは彼の心の呟きである。そこらの剣士には勿体ないが、最近海内に名前を響かせている義勇軍であれば、きっとこれに相応しき剣士が買ってくれるに違いないとダスティは目論んでいた。思惑外れの原因は、義勇軍が貧乏所帯であることをさくっと失念していたことだろう。誰も声をあげそうにないなら仕方ない。また次の機会に回そう、と彼が魔法剣を背中に戻そうとしたその時に。横からふわりと伸びた白い腕が、その剣を優しく奪い取った。
「兄さんではないけれど、私が買ってはいけないかしら、商人さん?」
 鈍く光る銀の鎧にプラチナブロンドが妙に艶めかしく、ただそこに彼女がいるだけで甘い香りすら漂うように思える。戦場の真っ只中であるにも関わらず、彼女の鎧が、魔物たちの返り血で飾られているにも関わらず、だ。ここが酒場なら是非とも一緒に飲みたい、ダスティを含めて男なら十人中九人はそう思うであろう美女がそこにいる。見知らぬ相手だが、こんな綺麗な女性ならば商売相手として大歓迎、申し分なし、だ。
「あんたみたいな美人なら、こちらからお願いしたいくらいだよ。」
「あらまあ、お上手なのね、商人さん。私は聖鉄鎖騎士団のイルヘルミナ。」
「ダスティだよ、イルヘルミナさん、今後ともダスティ商会をご贔屓に。」
「覚えておくわ、ダスティ。」
 ダスティの名前を囁く濡れた唇の色が胸を騒めかせるけれども、ここは商売優先、戦闘優先だ。手に入れたばかりの剣で魔物を鮮やかに切り伏せながらダスティにひらひらと手を振る余裕ぶりを見せるイルヘルミナの背中を思わず目で追いかけながら、ダスティも使い慣れたロングソードでガイコツ兵にとどめを刺す。背負子の中身は空っぽ、完売御礼、商売人としてこんなに誇らしくも幸せなことはない。今ならどんな強敵を相手にしたとしても、決して負けない自信があった。ダスティの高揚感が戦の行方にどう働きかけたのかは分からないが、気付けば周りの敵はすっかりいなくなっている。勝ったな、としったダスティが最初に考えたのは実に商売人らしいそれだった。この戦闘で、傭兵たちの懐もそこそこ潤うだろうから、どこかの飲み代になる前にさっさと回収してしまおう、と。

 

 ダスティが武器の代金を回収し終えて、ようやく副都の酒場に落ち着いたのは、夜もだいぶ更けてからだ。馴染みの酒場で彼がカウンターに座った途端、いつもの酒がすっとでてくる。副都でずっと商売をしていた手前、ここのマスターとも見習い時代からの顔見知りで随分と長いつきあいだ。がっちりした体格に強面のマスターは、以前はどこぞの傭兵だったとか、地図から消えた異国の戦士だったとか、見た目のせいで無責任な噂の的になったこともあったが、黒の軍勢の侵攻で副都の安全も脅かされつつある今となっては、もう噂話に興じている場合じゃないのだろう、とんとその手の話を聞かなくなった。勿論彼は異国の剣士でもなんでもないが、暴れる酔客を取り押さえられる程度の腕力は持っている。
「随分と大儲けしたそうじゃないか?」
「ま、ぼちぼちってとこだな。」
 どこから聞いたのか、先ほどの戦場での出来事をマスターは知っているらしい。
「さっきまで義勇軍の人たちが来てたからな、お前の実践販売、大盛況だったって。」
「はは、そんな噂になってるのか?武器売人が武器を売るなんて当たり前だろうに。」
「違いないねえ。」
 戦の熱を冷ましに酒場へとやってきた一団も、明日に備えてか既に宿へと戻ったのだろう。酒場の客は、ダスティを除けば、一人二人がぽつぽつと言ったところだ。団体客がいたころは随分と酒場らしく騒がしかっただろうが、今はすっかり落ち着いている。いつもならば彼も明日に備えて〜となるところだが、今回の戦で仕入れた武器もあらかた売りつくしたし、ギルドへの上納金を差し引いても今回はかなりの利益が出た。ゆっくり時間を気にせず飲んだところで今日くらいは罰は当らないだろう。黒の勢力は日に日に力を増している、副都から九領、迷宮山脈からの仕入ルートもどれくらいもつかわからないのだ。副都を一歩離れれば、ダスティとて無事に帰れる保証はない。
 らしくない考えを打ち消すかのように、ダスティは酒をぐいと飲み干した。
「マスター、今日は終いまでいいかな?」
「かまわんよ。そうだ、久々に九領の話を聞かせてくれ。」
「いいぜ。代わりに一杯おごってくれよな。」
 しっかりしてるなあ、とボヤキながら、マスターはするりと2杯目が差し出す。付き合いの長さは伊達ではなくて、琥珀色の蒸留酒をロック、はダスティの定番の一つだ。安く済ませたな、との憎まれ口を、今日日酒の価格も上がってるんだよ、といなされる。こんなやり取りも副都にいるからこそできるものだ。黒の軍勢との戦いが、命がけの商売が、いくらダスティとて全く恐怖を感じないわけではない。だが、今日はここに帰ってこれた。それを喜ぶべきだろう。
 と。お気に入りの酒を手に、ダスティが異国での苦労話を面白おかしくブチ上げようとしたその時。音もなくカウンターの、彼の隣に滑り込んできた者がいる。
「隣、いいかい?」
 答えを聞くより先に、その女性はダスティの隣に陣取った。彼女の纏う、影のような黒衣には見覚えがある。ダスティと同じく、義勇軍の一人、確か名前は。
「アイアリスさん、なんでまたこんなとこに?」
 ダスティが思い出せない名前を、マスターがあっさり口にした。
「私が酒場に来ちゃあいけないってことはないだろう?馬鹿言ってないで、何か飲ませておくれ。」
 そうだ、彼女の名はアイアリス。ランクは彼女の方がだいぶ上を行くが、彼と同じく、副都のギルドメンバーだ。が、同じ武器商人と言っても、ダスティと彼女のスタイルは天と地と言っていいほど違っていた。一つはダスティが一般品からレアものまで広く浅く取り扱っているのに対して、アイアリスの武器は、手持ちの商品こそ少ないものの、入手の難しい武器がほとんどであること。にもかかわらず、アイアリスの商品は市価の半額以下であること。そして最後に―多分これが一番の違いだとダスティは思っているが―彼女は、武器を、自分が商うそれを嫌っているそうだ。だから、義勇軍にいるライバル達をほぼ把握しているダスティが、すぐに彼女の名前を思い出せなかったのだ。
 ダスティの目の前で、マスターが出した酒をゆっくりと味わうアイアリスの横顔は、彼女の商う武器と同じくらい、いやそれ以上に美しいというのに。
 好きではないものを売るなんざ、何が楽しいんだか、ダスティにはとんと理解できなかった。黒の軍勢をくぐり抜け、迷宮山脈を越え、九領の鬼族に喧嘩をふっかけられ、等々。ユグドをあちこちわたって仕入れをしいの販売をしいの、ダスティの商売には命が危ないことだって多々あったが、それでも彼は今の仕事が好きだ。だから、彼は一度も――いや、もしかしたら一回くらいは思ったかもしれないが――この仕事を辞めようと思ったことはない。鍛冶屋たちが、それこそ流した汗もすぐに乾いてしまいそうなくらいの熱に満ちた作業場で、槌を振り上げ剣を仕上げるのを見ているのが楽しいのだ。決して安くはないダスティの剣を、どこぞの剣士が買っていく、そんな時に「いい剣だな。」とそんな言葉を貰う時はまるで我がことのように嬉しくなる。人殺しの道具なのはわかっている、死の商人だという非難も甘んじて受ける。構わない、剣は人を殺すだろうが、未来を切り開く手段にもなりうる。ダスティは、そう信じていた。彼は己の扱う武器そのものが好きで、故にこの職業は彼の天職である。それなのに、彼の武器よりも優れたそれをやすやすと仕入れ、投げ捨てるように売ってしまうアイアリスが武器を好きではないとは、余計な世話かもしれないがダスティから見れば勿体ないにもほどがある、だ。惜しい、つくづく惜しい。いっそその仕入れルートを買い取らせてもらえたらなあ、とあらぬ想像をしつつアイアリスの横顔にまたもちらと視線を向ければ、何時の間にやら杯を干した彼女とバッチリ目があってしまった。
「随分と不躾に見てくるじゃないか。値踏みするのはそこらに売ってるものだけにしておきな。」
 アイアリスのような、美人だけど愛想にかけるタイプの剣呑な視線ってやつはかなりの迫力がある。オマケに、どうも彼女はダスティに気づいてないらしい。実践販売の時以外は、殆ど仕入れのために遠出してたから、仕方がないと言えばそうだのだが。まあ、ご同業と知れて下手に警戒されるよりはマシだろう。
「美女が隣に座ったのに目を向けないような野暮天じゃないよ、俺は。」
 みえみえの世辞と取られたかもしれないが、一応笑顔?のようなものが返ってきた。
「褒めてくれてありがとう。私にそんな言葉をかけてくれる男は珍しいよ」
「そりゃ、周りの男の目が悪いんだろうさ。」
「女の顔なんざどうでもいいような輩ばっかりだからね。人殺しのコトばかり考えてるようなやつか、口先ばかりのきれいごとの理想論を振りかざしてるやつか。そのくせ、やってることはどっちもどっちさね。私のところに来る奴はみんな相手を殺したがってる人殺しさ。」
 空のグラスを見つめたまま、さらりと怖いことを言われ、流石のダスティも言葉に詰まった。武器嫌いの武器屋である彼女の言うことは、確かに真実の一面をついている。武器を求めにくる人間が、それを何に使うのか。心にどんな思いを秘めていたとしても、誰かを傷つけるため以外にはあり得ない。それに、ダスティの売った武器が、巡り巡って黒の軍勢の手に渡り、仲間を傷つけることだってあるだろう。武器とは本質的にそういうものであり、ダスティの信念がどこにあろうがそれは変わらない。しかし、それだけではないと信じるから、今まで彼はこの仕事を続けてこられたのだ。
「人殺しばっかりとはまた物騒だね、ねえさん。でも、よく知らない俺がいうのもなんだが、きっとアンタの思いこみだよ。だって、ほら。」
 酒の勢いも手伝ったのか、ダスティの舌はいつもよりも倍は滑らかに回っている。
「俺は別に四六時中人を殺そうとか考えてないし、ましてや世界を救うとか黒の軍勢を駆逐してやるとか大それたコトを考えてるわけでもないぜ。ただ働いて、それがちょっとは人の役に立てばいいな?って思ってるくらいだ。ここのマスターだって、酒場の客をいなすことと酒の値段が上がったらどうしようとか、考えてることってったらそれくらいだと思うけどな、なあマスター?」
 思いがけないダスティの饒舌に目を丸くしつつ、それでもマスターもうなづいてくれた。
 何故にこんなに必死になるのか、ダスティにもよくわからない。ただ、アイアリスの考えは間違ってはいないが真実でもない、それは自分自身で証明できる、と確信していた。無論、彼は完全に酔っぱらっている。
「そういう奴が一人もいないとはいわないけどな、俺も。でも、多分、アンタの周りの奴は殆どそうじゃない奴ばっかりだと思うぜ。大体、アンタの言ってる通りなら、武器を買うやつは全員が殺人狂ってことになっちまう。ないって、ねえさん、そんなことありえないよ。正しいことに武器を使っている奴だってたくさんいるんだからさ。」
 グラスを片手に、偉そうに上から目線で説教モードに入っていたダスティは自分の失言に気づかない。ダスティの講演会を呆れ顔で見守っていたアイアリスは、不意に口元をゆがめた。
「随分と必死だけど、アンタは私の二つ名を知らないのかい?それともわかっててやってるクチかい、”熱血武器商人”君。」
 ダスティの酔いは一気にさめた。酒場の酔っ払いと思われれば、少々かましても戯言と見逃してもらえようとという甘い目論見は、正体がばれているならまったく無意味だ。やってしまった、自分よりも格上の相手に、いくら酔っぱらっていたとはいえ偉そうに説教をかますなんて失態、ギルドにばれたらただではすまない。ダスティのことを見知ってるなら最初からそういってほしかった、なんて恨み言だってもう手遅れも甚だしかった。
「……”死の商人”ってやつなら知ってるよ。でも、同じ武器屋同士、あんまり意地悪なことせずに、もう少しお手柔らかに願いたいもんだ。」
「ふふ、まあそうかもしれないね。同じく義勇軍に参加してる縁もあるし。マスター。」
 いつから準備してたんだか、すぐさまロックグラスが差し出される。アイアリスの前と、ダスティの前にも、だ。
「あたしのおごりだよ。気まずい思いをさせて悪かったね。」
 グラスを片手に、アイアリスはダスティを見ている。今度の笑顔は本物だった。
「いや、俺が勝手に。」
「武器の実演販売だとか、わざわざ戦場で武器を直売してる武器屋がいるって聞いたんでね、どんな奴か気になってたのさ。そしたら、アンタが今日、前線に自分から飛び込んで武器を売ってただろう?」
 ダスティのように戦場を駆け巡り武器を売る姿、それはアイアリスが最も忌み嫌う光景ではないのか?
「あれを見たとき、なんだかどうでもよくなってね。あたしから武器を買おうなんて奴は、ろくでもないのばっかだし、とっとと殺しあって世の中から消えちまえ、とは思っているけど。」
 彼女は怒っているわけではなさそうだ、それどころかすこぶる機嫌がよいように見える。ダスティはただただ武器を、自分が最も売りたい相手に、最もわかり易い説明で販売したに過ぎないのだが、どこがアイアリスのツボにはまったのかイマイチわからない。しかも、折角だからと口にしたアイアリスの酒は、いつものダスティのそれよりも数倍は上物だった。向うの方が格上なのは知っているが、こういうのは己の経験不足が思い知らされて地味に傷つく。
「俺の商売のやり方はおかしいかい?」
「いいや。」
「アンタの縄張りを荒らしちまったかな?」
「はは、あたしにはあんな売り方は出来ないし、する気もないさ。」
 じゃあ、なんなんだ?そう聞いてやりたかったのだが、グラスの向こう側に揺れるアイアリスの横顔が優しく、彼女の酒が本当に美味しかったものだから、どうにも言いそびれてしまった。そのまま何とはなしに話が途切れて、そうして訪れた沈黙は何故だか居心地の悪いものではなく。時折ちらりとうかがうアイアリスは、やはりとても安らいだ笑顔で、益々ダスティを混乱させるのだ。ショバ荒らしを咎められるものと思っていたが、どうにもそんな雰囲気ではない。かといって、交渉や裏取引を持ちかけてきそうな様子もない、そもそも駆け引きのにおいが全くしないのだ。内心頭を抱えつつも、たいして強くもない癖に、ダスティの酒だけはどんどん進む。いつもの安酒ならとっくに撃沈してしまったであろう頃に、不意にアイアリスが彼に話しかけてきた。
「ダスティ、もしあんたの家族が自分が売った武器で殺されたとしても、あんたはさっきと同じ事がいえるかい?」
 しかも、この手の商売をやっている人間であるなら、最も答えにくい質問を投げかけてくる。もう本当に、ダスティにはアイアリスが何を考えているのか、さっぱりわからなくなっていた。
「それを聞いてどうするんだい?」
 武器が嫌いな武器商人、なのに仕入れるそれは一級品、美人で剣の腕前もそこそこ、ギルドメンバーの席順もダスティよりずっと上。そんな相手が何を考え、何を求めてこんなことを聞いてくるっていうんだろうか。試されているのか?だが、一体何を?相も変わらずアイアリスは微笑んでいたが、その後ろに彼の思いもよらない何かが潜んでいるのか?武器の目利きならば後れを取らない自信はあるが、女心を理解するには、ダスティの経験値はまだまだ足りない。もう飲むしかないと思って落とした視線の先、グラスはとうの昔に空っぽなのだ。
 ダスティの混乱を知るや知らずや、アイアリスは黙ってグラスの酒を飲み干すと、
「いいや、意味はないよ。でも、これは嫌な質問だった、すまないね。」
 マスターに視線を投げかけ、アイアリスは席を立つ。
「マスター、釣りはいらないよ。」
「!これは有難うございます。」
 ダスティの視界の端っこでやり取りされたゴールドの枚数は、ハディードセイフ2本分はありそうだ。カウンターの向こう側、マスターがアイアリスに敬語を使うのもそりゃあ当然。とはいえ、ダスティとしてはあまりおもしろくない。
「”熱血武器商人”君の分も一緒に取っておいておくれ。」
「わかりました。」
 更に、本人を無視して、どんどん話が進んでいる。ちょっと待て、アイアリスにおごられる筋合いはない。そう、ダスティは思うのだ。初対面だし、同じく武器を商う者同士、むしろライバル関係にある。いくらアイアリスの方が格上だから、年上だからと言って、ここであっさりと奢られてしまえばなけなしのプライドは更に傷ついてしまうではないか。きっぱり断るつもりで立ち上がったところで、アイアリスが振り返った。
「おごらせてもらいたいんだよ、久々にいいものを見せてくれたお礼にね。」
「いいものって俺は何も。」
 ダスティは何もしていない、ただいつものように武器を売った。それを必要としている人がいる、その時に。武器商人として当たり前のことをした、それだけだ。
「あんたはきっといい商売人になるよ。私が保証する。いつかきっと、ユグド一の武器商人になるだろうさ。」
 未来の大商人に、先達からのささやかな手向けだと、アイアリスは薄く笑い、そうして静かに酒場から出ていった。ダスティとマスターを残して、ただ一人で。

 

「なあ、マスター。」
 ダスティがようようにそういったのは、アイアリスが立ち去ったあと、彼がどれだけ考えても彼女の行動が理解できそうにないと諦めてからだ。
「俺、やっぱりおかしな事をしたのかな?」
「いいや。」
 言葉短くそう答えたマスターは、ダスティの前にグラスをもう一杯おく。
「ただ、同じ仕事をしてるからといって、同じものをかけているわけじゃあないってことだろ。」
「そういうもんかね。」
 マスターがおいてくれた酒は、ダスティのいつものそれではなくて、アイアリスのそれだった。柔らかく喉を通るそれを感じながら、アイアリスの横顔と、戦場で剣を振るう様を思いだす。武器が嫌いなのだという彼女のことを、ダスティは心の底から惜しい、とそう思った。

 

 月が追いかけてくる。深更、人気の途絶えた副都を歩くアイアリスの後ろを緩やかに。マントをそっと膨らませては去っていく風が、頬にも気持ちがいい。いい夜だった。足音が軽く響くのは、いささか酔ってしまったのかもしれない。そんなに飲んだつもりはなかったが、久々に他人と飲んだせいでペースを乱したのだろうか。それにしたって、あの青年の素直な反応ときたら。極々真っ当な商売人で、裏も表もなさそうだ。シャクティあたりは、彼を少しは見習ったって罰は当たらない。大富豪の奥方で、自身も商才に恵まれているあの女性の、笑顔で隠れた目論見が、毒蛇とて裸足で逃げ出すレベルであることを、アイアリスは身をもって知っていた。
――私にはあんな時代はなかったな。
 ダスティの目を、戦場を駆ける楽しげなあの姿を思い出す。あんな風に商売が楽しいと思ったことはなかった。武器を売るのが楽しいとか、己の目利きが当たったのがうれしいとか、そういった感情はアイアリスとは無縁である。レア武器の仕入れルートをもって入るものの、それは彼女が受け継いだものであり、自ら切り開いたものではなかったからだ。だが、手放すのは躊躇われるし、割り切って金儲けに徹するほど開き直れない。どちらにも傾けないから、酷く息苦しいのだ。彼のように思えるなら、どれだけ心軽くいられることだろうか。
 風の冷たさが酔いを醒ましてしまったようだ。路地を行くのは、アイアリスの孤影のみ。あの青年の事は考えまい、進む道が違えば行きつく先が違ってくるのは当然だ。羨ましいなどとは思うまい、ただ己の道を行き、めざすその場所へたどりつくのみなのだから。夜を割って進む彼女の、その背中を月は寄り添うように追いかけていた。


(2014/10/05)

※副都の商人、アイアリスとダスティの話。土日に輝く商人たち。中でも一二を争うくらい暗いキャラクターなアイアリスと、陽気な武器商人ダスティの話。商人たち、いいキャラクターがそろっていて土日は楽しいです。


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