■僕の目指す場所 〜隙間 「もう、いい加減にしてくれませんか?」 クリストフが、どうして急にそういったのか、そのとき、テリウスには本当にわからなかったのだ。 サフィーネやモニカの目を盗んで、いつものようにクリストフの部屋に遊びに行って。クリストフはちょっと困った顔をしたけれど、それでもいつものようにテリウスを部屋に入れてくれる。テリウスは従兄のベッドで寝そべりながら、クリストフの行動をぼんやりと見守っているときもあるし、勝手に彼の本を見ているときもある。クリストフと言葉を交わすこともあるけれど、テリウスが一人で喋っているときが殆どだ。クリストフはただ、テリウスの言葉に耳を傾けて、時折素っ気無いほど短い言葉を返してくれるだけ。それでも、テリウスは大好きな年上の従兄の傍にいられるだけで十分満足だったので、毎日のようにクリストフの部屋に足を向けていた。それなのに、 「……え?」 テリウスの訪問をクリストフが嫌がる様子もなかったので、受け入れられているものを思い込んでいた青年にとって、クリストフのこの言葉は青天の霹靂に近い。 「”昔、クリストフはこう言ってたよ”だの、”クリストフはあのときのことおぼえてる?”だの、そんなことばかり言うのは、もういい加減にして欲しいんですよ。」 言葉はその切っ先を尖らせて、テリウスを射抜く。逃げることも、耳を塞ぐことも出来ないテリウスに、クリストフはなおも言葉を重ねた。 「クリストフの名を、私は捨ててしまいました。それなのに、あなたはいつまでたっても…」 「だ、だって…クリストフはクリストフじゃないか…。名前が変わったって、同じクリストフだろう?」 だったら、昔の名前で呼んだって構わないじゃないか、とテリウスは思う。 「…同じクリストフ…ね。」 眉根を寄せて、そう呟いた従兄に対して、テリウスはそれ以上言葉を続けられなくなってしまった。 ――なんでクリストフって呼んだら駄目なんだよう・・・。 クリストフのベッドの上で膝を抱え、テリウスは毛布を体に引き寄せた。 先ほどからテリウスを無視して、机に向かう従兄の横顔をじっと見つめてはみたものの、どうして彼が”クリストフ”の呼称を嫌うのか、全くもってテリウスには見当もつかないのだった。 クリストフ・グラン・マグソートという名は、彼が聖ラングラン王家の一員であり、ラギアスの民であることの証ではないのか。 ――白河愁だなんて…まるで違う人みたいじゃないか。 名前を捨てて、過去の自分も全部捨てて。そして、セニアやモニカ、テリウスのこともみんな捨ててしまうつもりなのだろうか。 ――名前を変えて、違う自分になりたくなるくらい…。 ラングランでの生活はクリストフにとって苦痛だった、なんて、テリウスは信じられない。王宮で誰よりもクリストフは優れていた。廷臣はみな彼に一目置いていたし、誰もが彼を慕っていた。勿論、テリウスだってクリストフを誇りに感じていたし、特務のために地上に出ると聞いたときはショックで眠れなかった。もう、5年も前の話だ。 「”同じクリストフ”のわけがないでしょう?」 ひどく苦しげな言葉に、心臓を握られたような痛みを感じた。 机に向かっていたクリストフは、いつの間にかテリウスを見ていた。自虐的な微笑み…とでもいうのか、今にも泣き出しそうな微笑を浮かべて。 テリウスの知っているクリストフは、こんな顔はしない。こんな風に笑わなかった。 いつも落ち着いていて、自信に溢れていて、クリストフがいれば大丈夫だって根拠なくテリウスは思っていて。でも、それは、もしかして間違いだったのかもしれなくて。 悲しげな従兄になにか声をかけたかったが、浮かんでくるのは陳腐な自己弁護の言葉ばかりなのだ。テリウスにはクリストフが傷ついていることは判っても、その原因が何なのかまでは理解できない。 「同じだったら、私はとっくの昔に殺されています。」 平然と物騒なことを吐く従兄に、初めてテリウスは彼の歩いた道を垣間見たような気がした。”白河愁”という人物を、地上でクリストフがすごした時間を知るのが怖い、そう思った。 |
(2002/04/11)
※いえ…テリウスって、鬱屈した人生は送ってたとは思いますが、苦労はしてなさそうかな、と思っただけなのです。