■吾亦紅 ――ある日のあかねの部屋。 五月の空が目に眩しい。天真的にいうなら、絶好のツーリング日和というやつだ。その当人は、もうすっかり慣れてしまった土御門の屋敷を、当然の如くにあかねの部屋に向かっていた。優雅とは程遠い歩き方で、館中に訪問者の正体を喧伝しているのに全く構わずに、天真はあかねの部屋を覗き込む。 「あかねはいるか?」 「あ・・・天真殿。」 御簾の影から顔を出したのは、天真の探し人ではなかった。 「っと・・・藤姫か。あかねは?」 「すいません、友雅殿と朝からお出かけですわ。」 一瞬、嫌な予感が背中を駆け抜けた。これが頼久や鷹通ならいい。外出のネタは、多分公務に関わることだからだ。だが、よりにもよって・・・。 「・・・二人だけで?」 「いえ、鷹通殿とご一緒です。」 「そうか・・・また明日くる。」 天真はくるりと踵を返した。鷹通と一緒なら大丈夫だろう。それに、別に急ぐほどの用事ではないし、明日またくればよいのだ。 ――次の日。 「あかねー?」 人気のない部屋の中で天真がきょろきょろしていると、とと・・・とやってきたのはまたもや藤姫だった。 「天真殿、おはようございます・・・神子殿ですか?」 おずおずと、そう言う少女の髪飾りがちり・・・と鳴る。 「・・・また誰かとどっかへいっちまったのか?」 「はい、友雅殿と。」 嬉しくない名前に、天真の眉間に皺がよる。地の白虎、橘友雅の美しすぎる笑顔は、どうも生理的に合わないのだ。プレイボーイが同性に好かれないのは、当然といえば当然かもしれないが。あかねがあいつと二人っきりで行動している・・・その想像は、天真には非常に面白くないものだった。 「・・・また、あいつとかよ・・・。」 「はい?なんと言われました?」 いくら友雅でも、まさか日中に堂々とあかねに手を出したりはしないとは思うが。 「何でもねぇ。またくる。」 ――次の日の早朝。朝もやの残る土御門の館を、天真はあかねの部屋に向かっていた。走り出したかったが、流石に周りの迷惑になる、と自粛して、できる限り静かに歩く。 「・・・今日こそ・・・絶対に・・・あかねと・・・一緒に・・・。」 船岡山で見つけた花をあかねと一緒に見に行くことを想像し、天真は知らず口元を綻ばせた。植物にはとんと疎い彼でさえも、あの花が珍しいものであることはすぐにわかった。ひっそりと控えめに咲く白い花。それを、あかねに見せてやりたかった。そのために、もう三日もここに通っているのだ。この森村天真ともあろうものが。女の子の笑顔をみるためだけに。 「摘んで帰ったら・・・あいつ、絶対に可哀想だとかなんとか・・・いうからな・・・。」 女ってのは、これだから手間がかかるんだよったくとか言いつつ、彼はどこか嬉しそうだ。やがて、あかねの部屋の前にたどり着く。 「あかね?まだ寝てるのか?あかねー?」 壁代をめくって茵をひっくり返し、誤って脇息を蹴り飛ばす。それでも、あかねはでてこない。どうやら、またまた出かけているらしい。 「・・・・・・・・・・・・・・・。」 部屋の隅に文が転がっている。見覚えのある手跡、橘少将がまたどこかへあかねを連れ出したのだ。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの野郎。」 ――”俺のあかね”を毎日毎日好き勝手に連れまわしやがって。大体、三十過ぎの癖して、女子高生に手ェ出して恥ずかしいと思わねェのかよ。これだから平安貴族って奴は嫌なんだっ。コン畜生っ! 心の中で友雅の悪口を言いまくった天真は、がっくりとその場に座り込む。 「龍神の神子殿は、みんなにとって大切な人なのだよ、天真。」 ここにはいない友雅が、そういっているような気がした。 「わかってるよ、んなことは。」 判ってるけど。判ってはいるけど。会いたい、声が聞きたい、自分にだけ笑って欲しい、そんな思いが頭で止められるわけがない。あかねの思いを確かめてからは尚更だ。だから天真はせめてルールを守ろうと、今まで通り朝一番にあかねを訪ねているではないか。 ――それを、それを・・・その俺の努力を・・・っ。 でも、そんなことはもうどうでもよかった。今はもう、ただあかねに会いたい。声が聞きたい。ただ、それだけ。 天真は黙って目を閉じた。 「・・・友雅さん・・・もう私、出て行ってもよいですか?」 隣室からあかねの部屋を窺っていたあかねが呟く。 「おや・・・神子殿は私とここにいるのがおいやかな?」 「そうじゃなくて・・・天真君が・・・。」 部屋の中で蹲る天真の様子を視界の隅に捕えた友雅は、それでも慌てる様子を欠片も見せず、 「ふうむ。ちょっとやりすぎたかな。」 がしかし。遮るものがなきに等しいこの時代の建物なので、身を隠すものもなく、二人して幾分か離れた部屋の柱の影に隠れているだけなのである。全く気がついていない天真の注意力も、これで推してしかるべし、だ。 「・・・天真君、大丈夫かなぁ。」 あかねの言葉もどこか暢気に聞こえた。友雅にしてみれば、修行の足りない天真とこの少女は、なんとも可愛らしい組み合わせに見える。龍神の神子だの八葉だの、そんな言葉は彼らには少しも似合わない。 「すまないね。神子殿。」 「え?」 「義務や我慢ばかりをあなたに押し付けている。詩紋や天真に対してもそうだ。あなた方は、立ち止まらざる客人であるのに。」 「・・・。」 天真に八葉としての自覚が足りないのも、あかねを龍神の神子と呼ぶのを嫌うのも当然なのだ。突然見知らぬ世界に連れ出され、役目を果たせといわれて戸惑わない人もいないだろう。 「だが、今の我らにはどうしても龍神の神子と八葉が必要なのだよ。都のために、ここに暮らす全ての人々のため、龍神の神子として、八葉として、我らに力を貸して欲しい。」 「私・・・。」 「その代わり、私は神子殿を全力でお守りしよう。全てが終わったら、天真や詩紋と一緒に元の場所へ戻れるように。」 いつもの軽口でなく、それは本気の言葉だと。あかねにもはっきりわかった。 「有難うございます。」 「ふふ・・・さぁ、天真のところへいっておやり。あの様子じゃあ、そのうち泣いてしまうかもしれないよ。」 「友雅さんは?」 「今、私が出て行ったら天真になにをされるか・・・それに・・・。」 私は平和主義者なのだよと嘯く友雅に笑顔を残して、あかねがその場から飛び出した。 ――そう、あなたは客人だから。自分の場所へと帰るべきなのだろうね。 あかねは帰ってしまうのだ。まっすぐに自分の場所へと、振り返りもせずに。そして、もう決して戻ってはこないだろう。 そんなことを思うと、どこかしら胸が痛むのは、きっと若さへの羨望であるはずなのだ。 友雅の覚えずこぼしたため息の、その意味や重さは、漏らした本人ですら判らず、跡形もなくかききえた。 |
(2002/03/24)
※キリ番を書いているつもりでしたが、何時の間にか違う話になってしまいました。
天真×あかねって案外少ないと気がついた日曜日。